海を失った世界に、暁は来る   作:ぶるぶるメタボ

7 / 24
大いなる力には、大いなる代償が伴う。


第七話 代償

海を失ってから五年が過ぎた。

 

世界は生き延びていた。

 

だが、それだけだった。

 

かつて世界を結んでいた海上航路は消えた。

 

遠洋漁業は途絶えた。

 

貿易は縮小され、人々は限られた資源を分け合いながら暮らしている。

 

沿岸部には防壁が築かれ、監視塔が並ぶ。

 

人類は海を見張りながら生きる時代に入っていた。

 

海はもう希望の象徴ではない。

 

恐怖そのものだった。

 

九月。

 

日本近海。

 

旧愛知県沿岸部。

 

人口の大半が内陸へ移住したその街には、小さな幼稚園が残されていた。

 

避難困難な家庭の子供たちを預かる施設。

 

園児は四人だけ。

 

先生は二人だけ。

 

それでも毎日、子供たちは笑っていた。

 

「せんせー!」

 

「見て見て!」

 

元気よく駆け寄る女の子に、若い女性教師が笑顔を向ける。

 

「すごいね」

 

「上手に描けたね」

 

その隣では男性教師が積み木遊びの相手をしていた。

 

外の世界がどれだけ苦しくても。

 

この場所だけは平和だった。

 

少なくとも、その日までは。

 

正午過ぎ。

 

突然。

 

街中にサイレンが鳴り響いた。

 

聞いたことのない警報だった。

 

窓ガラスが震えるほどの大音量。

 

ウゥゥゥゥゥ―――――ッ!

 

女性教師が顔を上げる。

 

男性教師も表情を変えた。

 

嫌な予感がした。

 

本能的なものだった。

 

放送が流れる。

 

『緊急警報』

 

『緊急警報』

 

『深海勢力接近』

 

『深海勢力接近』

 

部屋の空気が凍り付いた。

 

あり得ない。

 

これまで深海棲艦は海から出てこなかった。

 

海上の船舶。

 

沿岸施設。

 

それらを襲うことはあっても、本格的な陸上攻撃は確認されていなかった。

 

なのに。

 

『直ちに避難してください』

 

『直ちに避難してください』

 

その瞬間だった。

 

遠くで閃光が走る。

 

数秒後。

 

轟音。

 

ドゴォォォォォン!!

 

地面が揺れた。

 

窓ガラスが砕け散る。

 

園児たちの悲鳴が上がった。

 

「避難する!」

 

男性教師が叫ぶ。

 

「みんな先生から離れないで!」

 

街の向こうで黒煙が上がっている。

 

建物が燃えている。

 

さらに。

 

海の方向から次々と砲撃音が響いていた。

 

ドン!

 

ドン!

 

ドドドドドドン!!

 

深海棲艦が。

 

陸を攻撃している。

 

五年前の悪夢が。

 

ついに陸へ上がってきた。

 

先生たちは園児たちを連れ避難を開始した。

 

泣き叫ぶ子供たち。

 

崩れる建物。

 

逃げ惑う住民。

 

地獄だった。

 

「大丈夫!」

 

女性教師が必死に声を上げる。

 

「先生がいるから!」

 

その言葉を言った直後だった。

 

ヒュウウウウウ―――――

 

誰かが空を見上げた。

 

砲弾だった。

 

一直線に落下してくる。

 

「伏せろ!!」

 

男性教師が叫んだ。

 

次の瞬間。

 

世界が白く染まった。

 

轟音。

 

衝撃。

 

熱。

 

何も聞こえない。

 

何も見えない。

 

しばらくして。

 

園児たちは恐る恐る目を開いた。

 

自分たちは無事だった。

 

二人の先生が覆い被さっていたから。

 

だが。

 

女性教師の背中は血で染まっていた。

 

男性教師も瓦礫の下敷きになっている。

 

「せんせい……?」

 

返事がない。

 

「せんせい?」

 

泣きながら揺する。

 

「起きてよ……」

 

「いやだよ……」

 

「せんせい……」

 

血は止まらない。

 

誰が見ても分かった。

 

早く治療しなければ助からない。

 

でも。

 

周囲は戦場だった。

 

どうすればいいのか分からない。

 

四人は泣きながら先生を囲んだ。

 

その時だった。

 

「困っているの?」

 

小さな声が聞こえた。

 

振り返る。

 

そこにいた。

 

掌に乗りそうなほど小さな存在。

 

白い帽子。

 

不思議な服。

 

人形のような姿。

 

妖精だった。

 

「先生を助けたいの?」

 

四人は必死に頷いた。

 

「助けたい!」

 

「助けて!」

 

「お願い!」

 

妖精は少しだけ悲しそうな顔をした。

 

「助けられるよ」

 

四人の顔に希望が戻る。

 

だが。

 

妖精は続けた。

 

「でも代償が必要」

 

「だいしょう?」

 

「うん」

 

妖精は静かに言った。

 

「先生は助かる」

 

「みんなも強くなれる」

 

「深海棲艦とも戦える」

 

そして。

 

「でもね」

 

「君たちのことを、みんな忘れる」

 

四人は首を傾げた。

 

意味が分からない。

 

「忘れる?」

 

「うん」

 

「お父さんも」

 

「お母さんも」

 

「先生も」

 

「友達も」

 

「みんな」

 

妖精は最後に言った。

 

「君たちが誰だったのか、思い出せなくなる」

 

沈黙。

 

だが。

 

四人はまだ幼かった。

 

その代償の重さを理解できない。

 

「それで先生助かるの?」

 

「うん」

 

「みんなも助けられる?」

 

「うん」

 

四人は顔を見合わせた。

 

そして。

 

頷いた。

 

「やる!」

 

「先生助ける!」

 

「みんな守る!」

 

「うん!」

 

妖精は静かに微笑んだ。

 

「契約成立」

 

その瞬間だった。

 

世界が光に包まれる。

 

眩い光。

 

暖かな光。

 

そして。

 

四人の身体を巨大な力が駆け抜けた。

 

遠くの海。

 

5年前に確認され人類から海を奪った異形の怪物。

 

5年の間に人類はこの異形の怪物をこう呼んだ。

 

イ級。

 

正式名称。

 

深海棲艦 駆逐イ級。

 

その群れが街へ砲撃を続けている。

 

人類は知らない。

 

今この瞬間。

 

五年間待ち続けた奇跡が。

 

初めてこの世界に現れようとしていることを。

 

そして。

 

その代償として。

 

四人の名前が。

 

世界から消えようとしていることを。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。