異世界にやってきたレーニン(亡霊)がソヴィエト政権を建てたら? 作:匿名の筆者
霊体は、ほとんど何にも縛られない。これは、蒸気機関車から浮遊でジャンプしたセルーマが、天井をすり抜けて斜め上に飛び、数週間以上経ってヘロヘロになりながらも、ようやく戻ってきたことから自明だ。
彼女──いや、生前はレヴィンの叔母であったというその霊魂は、重力を含む物理法則のほとんどを無視して自由に世界を謳歌している。何しろ、重力という概念自体が彼女らにとってはただの気の持ちよう程度らしいから、唖然としたものだ。
生前も奔放なら、死んで霊体になってからも一向に落ち着きがない。
『幽霊同士じゃ妊娠できないわ、全身避妊具みたいなヤツね。幽霊になったら家族の増設は無理みたい』と、そんな全くもって聞きたくも無い、いらない報告を飛ばしてくる叔母を持つレヴィンは、若くして一人前の霊媒師として独り立ちしたものの、日々の苦労が絶えなかった。
雇われの身とはいえ、レヴィンは国に雇われる霊媒師にまで登り、その運の良さは筆舌に尽くし難い。
かつて霊媒師をやっていただけあって霊の扱いにはプロの自負があるが、目の前にあるのはそういうオカルトの産物ではない。
科学の産物、のはず。しかし説明書にはこう書いてある。
『遠くの場所まで一秒で? 鳥に手紙を任せるより速い、そんな機械について』
タイトルがダサすぎるが、目を引くのは間違いない。しかし読んでも理解不能な文字だらけ。
レヴィンの知能では、なんとも悩ましいものだった。
私室の床、その隅に鎮座する直方体の物体。
この中には、その機械があるのだ。梱包材さえ外していない状態を見つめながら、レヴィンは深くため息をついた。
霊媒師として悪意ある霊なのかを見極める目は鍛えてきたが、この冷たくて重い機械仕掛けの塊に関しては、さっぱり勝手がわからなかった。
なにせ自己紹介してくれることもなければ、職員によれば『クリーム』のメンバーは技能を習得し、扱わなければならないのだという。
軽い鬱のような気分で大量の梱包材を剥がしていくと、もう箱の中身ってほとんど梱包材だったんじゃないか、という大きさのものが出てきた。
(自分の腰から下ほどの大きさの箱から出てくる機械が、まさか膝から下ほどの機械だったとは)
「しっかしテレライターは……なんとも奇ッ怪な装置だな」
レヴィンが眉間に深いしわを寄せ、複雑に絡み合う配線が這う奇妙な機械を指さす。
電線で組み上げられた文明の利器は、人間よりもよっぽど理解しがたい怪物のように見えた。
「それ幽霊の前で言う? どっちも実在するって言ったとて、一般市民は信じないよ」
セルーマは半透明の足を宙にぶらつかせながら、無重力のように机の上に腰掛けた。霊体である彼女には、この重厚な金属の重みすら感じられないらしい。
「ちょっと、これホコリとか入るとダメなんだから、カバー付けないの?」
「あ、テレライターはレヴィンも今知ったばっかだし、知らないか」
「セルーマ、なんだいその如何にも何か知ってそうな口ぶりは。お前、死んでからそんな機械の専門知識でも身につけたのか? 霊媒師の俺より世間に詳しいみたいじゃないか」
レヴィンが不満げに腕を組むと、セルーマはふふんと鼻を鳴らした。
「電信装置の仕組みくらい霊界じゃ必須の教養よ。今のところ、人間たちの間で流行ってる電磁気学の仕組みを、霊界の物好きたちが面白がって研究してるのさ。肉体がないからって、知的好奇心まで死んでるわけじゃないんだから」
「その梱包材と一緒に、たぶんちょうどぴったり被さるようなカバーがあるわ。さすがに剥き出しなんて狂ったデザインにはならないはずよ」
セルーマは得意げに胸を張り、指を一本立てて説明を始めた。
「いいかい? この装置の基本的な理屈はこうよ。遠く離れた場所と場所を、とても細い線を伝って電気が通るの。そうすると、遠隔でキーボードに打った文字が、あっちでもこっちでも同じように再現されるの」
「情報が電気に乗ってる……と言ったらアレだし……ええと、どう例えたらいいかな……レヴィンはタイプライター自体をついさっき、触れたのは初めてとかでしょ?」
「予感がある。難しいことを言うだろうなっていう予感がする。あんまり難しい言葉を使わないでくれ、仕組みは俺にはどうしても理解不能なことだから、平易な言葉で頼むぞ! セルーマ、もうちょっとペースを落としてくれ!」
レヴィンは両手を挙げて降参のポーズをとった。彼女の悪い癖だ。技術的な話になると、昔からこうして早口になって専門用語を並べ立てる。
(叔母は死んでもなお性格を少しも変えていなかったと聞くが……それにしても、叔父は幽霊として毎日このセルーマに付き合い続けているというのだから、驚きだ)
まさかそんな失礼なことを思い浮かべられているとは露も知らず、マウントを取りたいという気分とわずかな親切心は働く。
「あーあーあーあー、わかってるって。要するにこうよ」
セルーマは空中に文字を描くように、指をヒラヒラと動かした。
「キーボードを叩く……あ、いや機械を壊すんじゃなくて、文字を入力する職人がいてね。この職人は通信士という名前で呼ばれるの」
「通信士……ふむ、人間の世界にも似たような職業があると聞いたことがあるな。駅の窓口や電信局にいる、あのカタカタと忙しなく音を鳴らしている人たちか」
「そうそう。この職人がめっちゃ頑張って話した内容をタイプライターに打ち込んで、電線がある場所ならどこへでも文字を届けるんだって。研究者ってすごいの作るよねえ、霊界の仲間たちも『新しい技術だー!』って大騒ぎよ。これが今のトレンドってやつね」
「教えたがりな幽霊がいるの。その子が教えてくれたわ」
肉体がないからこそ、情報の伝達スピードだけはやたらと早いわけだと、レヴィンは楽しそうに笑った。
レヴィンは蓋を取り付けた、目の前の機械をそっと触ってみる。この街は今、猛烈なスピードで新しい機械の時代へと突き進んでいる。
電灯は灯り、工場は増えて消費財も豊かに。霊界の住人たちが面白がるのも無理はない。人間が作り出す技術の進化は、彼らにとって最高のおもちゃであり、観察の対象なのだろう。
(いや、俺の雇い主は国家だ。しかしよく考えたら、霊媒師が幽霊からそんな情報を取り出せるのになぜ悪用を懸念しないのだろう?)
(研究室の内部情報だってその気になればセルーマはいつだって持ち帰れたはずだ。)
(それが価値を持たないわけがない。)
「テレライターってどうやって入力するんだ?キーを押してみても反応しないぞ」
「たぶんその冊子の中に操作方法は全部書いてあるはずよ、細かいことは私でも分からないわ」
「なるほどねえ」
「とにかく説明書を読んでやるしかないってワケか」
「ようし、ワクワクしてきた」