転生者たちは今日も新エリー都を駆け回る   作:『 』を応援するテト

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第22話 切り札の価値

 

 パエトーン達が避難を進めようと同時刻、デッドエンドホロウの外――ヴィジョンの爆破解体本部。

 

 爆破エリアに展開していたヴィジョンの兵士たちは、一時的にその動きを止めていた。

 

 理由は単純だ。

 

 ヴィジョンコーポレーションの社長であるパールマンが人質に取られ、その身柄を押さえた猫又が、この場の責任者との直接交渉を要求したからである。

 

 猫又はパールマンを傍らに立たせたまま、周囲を取り囲む兵士たちへ視線を巡らせる。

 

 その少し後ろには、ここまで同行してきたレイがいた。

 

 彼女は何も言わない。

 

 猫又が自分で交渉すると決めた以上、まずはそれを見届けるつもりなのだろう。

 

 やがて兵士たちが左右へ分かれ、その間から見覚えのある女が姿を現した。

 

 サラ。

 

 これまでパールマンの傍らにいた、ヴィジョン側の人間だ。

 

「アンタが今の責任者?」

 

「そう考えてもらって構わないわ」

 

 サラは猫又を見た後、その隣にいるパールマンへ視線を移した。

 

 自社の社長が人質になっているというのに、その顔に焦りらしいものはほとんどない。

 

「それで? 随分と大胆な真似をしてくれたようだけれど、何が望みなのかしら」

 

「簡単だよ」

 

 猫又はパールマンから意識を逸らさないまま答える。

 

「爆破をやめて、取り残されてるカンバス通りのみんなを助ける。それを約束してくれたら、このオッサンは返す」

 

「オッサンだと!? 私はヴィジョンコーポレーションの社長だぞ!」

 

「今は黙ってて」

 

「ぐっ……!」

 

 猫又に睨まれ、パールマンが口を噤む。

 

 サラはそんな2人を眺めながら、僅かに口元を上げた。

 

「住民を救出して、社長も無事に返してもらう。それだけなら、あなたにとって随分と都合のいい話ね。でも、その後はどうするの?」

 

「そこも考えてあるよ」

 

「その前に、1つ聞いていいかしら」

 

「何?」

 

「あなたは誰?」

 

 猫又は一瞬だけ黙った。

 

 それから、いつものように軽く笑う。

 

「そういえば、ちゃんと名乗ってなかったね。アタシは猫宮又奈。猫又って呼んでいいよ」

 

 そこで一度、言葉を切った。

 

「それと――元赤牙組」

 

 周囲の兵士たちがざわつく。

 

 猫又は構わず続けた。

 

「だからさ、こういう話にしない?」

 

 赤牙組の残党だった猫宮又奈が、旧都地下鉄改修プロジェクトを妨害するためにカンバス通りの住民を巻き込んだ。

 

 そこへヴィジョンが乗り込み、犯人を捕らえて住民を救出した。

 

 そういう筋書きにすればいい。

 

「それならアンタたちだって、『住民が残ってるって分かってたのに工事を続けてました』なんて言わなくて済むでしょ?」

 

「……自分を差し出すつもり?」

 

「別にいいよ」

 

 猫又は笑った。

 

 だが、いつもの悪戯っぽい笑顔とは違っていた。

 

「アタシはもう、帰るところのない野良猫だし。どこにも属してないなら、最後くらい誰かの役に立ったっていいでしょ」

 

 少し後ろで、レイの目が僅かに細くなる。

 

 けれど口は挟まなかった。

 

 今の猫又へ何を言うべきなのか。

 

 その答えを伝えるべきなのは、自分ではない。

 

「だからメディアを呼んで、今言った通りに発表して。それで――」

 

 乾いた発砲音が響いた。

 

「――っ!?」

 

 猫又が振り返る。

 

 パールマンの身体が大きく揺れた。

 

「な、何だ……?」

 

 胸元へ目を落とす。

 

 そこには小さな弾体が刺さっていた。

 

 次の瞬間、パールマンの膝から力が抜ける。

 

「オッサン!?」

 

 猫又が支えるより早く、パールマンは地面へ崩れ落ちた。

 

 周囲の兵士たちは動かない。

 

 サラも同じだった。

 

「何したの……?」

 

「心配しなくていいわ。麻酔薬よ」

 

 あまりにも平然とした答えだった。

 

「死にはしない。ただ、しばらく眠ってもらうだけ」

 

「自分のところの社長でしょ!?」

 

「だから?」

 

 猫又の表情が固まった。

 

 サラは倒れたパールマンを一瞥する。

 

「あなた、勘違いしていたみたいね」

 

 その一言で、猫又はようやく理解し始めた。

 

 ヴィジョンの社長。

 

 だからこそ、人質として価値があると思った。

 

 実際、爆破エリアの兵士たちは退いた。サラを交渉の場へ引きずり出すこともできた。

 

 だが――そこまでだった。

 

「その男を捕まえていれば、私たちが何でも言うことを聞く。そう思っていたのでしょう?」

 

「……まさか」

 

「次に誰かと交渉するときは、自分が握っている切り札にどれだけの価値があるのか、もう少しよく考えることね」

 

 猫又の耳が伏せられる。

 

 最後の切り札だと思っていたものが、目の前で簡単に価値を失った。

 

「――そこまでね」

 

 後ろから声がした。

 

「レイ?」

 

「猫又。あなたの交渉は終わりよ」

 

 レイが前へ出る。

 

「ここからは私が話すわ」

 

 サラの視線が、初めて明確にレイへ向いた。

 

「そういえば、あなたもいたわね。ホロウの中からわざわざ付いてきたようだけれど……何者なのかしら?」

 

「できれば最後まで隠しておきたかったのだけれど」

 

 レイは小さく息を吐く。

 

「こうなった以上、意味はないわね」

 

 身につけていた偽装装置へ手を触れる。

 

 短い電子音が鳴り、レイを覆っていた偽装が解除されていった。

 

「……え?」

 

 猫又の目が大きく見開かれる。

 

 髪も、顔立ちも、纏っていた雰囲気さえも変わっていく。

 

 そして、その下から現れた女性の顔を猫又は知っていた。

 

 直接会ったことがあるわけではない。

 

 それでも新エリー都で暮らしていれば、企業広告やニュース、街頭モニターなどで目にする機会はいくらでもある。

 

 TOPS財政ユニオンに名を連ねるアークライト社。

 

 その最高経営責任者。

 

「……ヴァレリア・アークライト?」

 

 問いかけに、彼女は堂々と顎を上げた。

 

「ああ。私がヴァレリア・アークライトだ」

 

「え?」

 

 猫又はヴァレリアと、先ほどまでレイが立っていた場所を交互に見る。

 

「ちょ、ちょっと待って。じゃあレイは?」

 

「無論、私だ」

 

「それは見れば分かるけど! そうじゃなくて!」

 

 尻尾がぶわっと膨らんだ。

 

「アタシ、アークライト社のCEOと一緒にホロウの中を歩き回ってたの!?」

 

「そうなるな」

 

「そうなるな、じゃないよ!?」

 

「猫又」

 

 そこでヴァレリアの声音が一瞬だけ柔らかくなった。

 

「驚くのは後にしろ」

 

「……絶対あとで説明してよ」

 

「構わん。無事にここを切り抜けてから、好きなだけ聞け」

 

 猫又はまだ納得していなかったが、今がそれどころではないことくらい理解している。

 

 一方、サラの表情からは、先ほどまでの余裕が僅かに消えていた。

 

「……ヴァレリア・アークライト」

 

「ようやく直接顔を合わせられたな、サラ」

 

「まさかアークライト社のCEOが、偽名と偽装まで使ってヴィジョンの工事へ潜り込んでいたなんて」

 

 サラの視線が鋭くなる。

 

「いつから調べていたの?」

 

「それを貴様に教える義理はない」

 

「……何を見た?」

 

「さてな」

 

「外には、どこまで伝えたの?」

 

 その問いに、ヴァレリアはすぐには答えなかった。

 

 ただ、僅かに口元を吊り上げる。

 

「自分で考えてみろ。私が何の備えもせず、敵の懐へ足を踏み入れるような人間に見えるのなら――貴様の目も大したことはない」

 

「……」

 

 サラの表情がさらに硬くなった。

 

 いつから疑われていたのか。

 

 何を見られたのか。

 

 どこまで情報を持ち出されたのか。

 

 そして、ホロウへ入る前に外へ何を残してきたのか。

 

 ヴァレリアは何ひとつ答えていない。

 

 だからこそ、サラには判断できない。

 

 相手は単なる潜入者ではない。

 

 TOPS財政ユニオンに名を連ねる大企業のCEOである。

 

 そんな人物が自ら危険を冒してここへ来た以上、何の備えもしていないと考える方が不自然だった。

 

「フン。ようやく理解したか」

 

 ヴァレリアが一歩前へ出る。

 

「パールマンを撃って猫又との交渉を潰せば、それですべて終わる――そう考えていたのなら、随分と私を安く見積もってくれたものだ」

 

 サラは数秒黙った。

 

 だが、やがて再び笑みを浮かべる。

 

「怖いわね、TOPSの大企業は」

 

「ヴィジョンの人間に言われるとはな。質の悪い冗談だ」

 

「でも――」

 

 サラが一歩下がる。

 

「あなたが何を用意していたとしても、今この瞬間に止められないものもある」

 

 ヴァレリアの笑みが消えた。

 

     ◇

 

 猫又は、目の前に転がるパールマンの本当の立場を理解し始めていた。

 

 名目上はヴィジョンコーポレーションの社長。

 

 だが、少なくとも今回の計画において、最終的な判断を下していた人物ではない。

 

「……そういうことだったんだ」

 

 猫又はサラを睨みつける。

 

「パールマンはただの飾りだった。カンバス通りのみんなが残ってるって分かってて、それでも爆破を進めてたのは……アンタだったんだね」

 

 サラは答えない。

 

「どうして?」

 

 猫又が一歩前へ出る。

 

「そこまでして、この工事を進めなきゃいけない理由って何なの? 人の命より大事なものなの!?」

 

「あなたが知る必要はないわ」

 

「っ……!」

 

「お喋りはここまで」

 

 サラが懐へ手を入れた。

 

 取り出したのは、小さな装置。

 

 猫又にはすぐには分からなかった。

 

 だがヴァレリアは、その形とサラの態度から意味を察する。

 

「サラ」

 

 低い声が飛ぶ。

 

「その手を止めろ」

 

「嫌よ」

 

 サラの指が装置へ掛かる。

 

 猫又も理解した。

 

「それ……まさか!」

 

「ご名答」

 

「待って!」

 

 猫又が駆け出す。

 

 ヴァレリアも同時に動いた。

 

「押させるか!」

 

 だが、間に合わない。

 

 サラの指が沈んだ。

 

 直後。

 

 爆破エリアから、凄まじい轟音が響いた。

 

 地面が大きく揺れる。

 

 空気を震わせる衝撃が遅れて押し寄せ、カンバス通り周辺の爆破解体区域から大量の粉塵が噴き上がった。

 

「――っ!」

 

 猫又の足が止まる。

 

「ニコ……」

 

 声が震えた。

 

「アンビー……ビリー……ユウト……」

 

 返事はない。

 

 ホロウの内と外では、まだ通信も繋がらない。

 

 猫又の尻尾から力が抜けていく。

 

「そんな……」

 

「猫又」

 

 ヴァレリアが呼ぶ。

 

「でも、今……!」

 

「まだ死んだと決まったわけではない」

 

 ヴァレリア自身にも結果は分からない。

 

 だからこそ、決めつけるつもりもなかった。

 

「ならば、生きて出てくる方に賭けろ」

 

 爆破エリアを真っ直ぐに睨む。

 

「私はそうする」

 

 猫又は唇を噛み、同じ方向を見る。

 

 それから、そう長い時間は経たなかった。

 

「サラ長官!」

 

 ヴィジョンの兵士が声を上げる。

 

「何?」

 

「トンネルから……人が!」

 

 猫又の耳が跳ね上がった。

 

 粉塵が残る中、デッドエンドホロウへ繋がるトンネルから次々と人影が現れる。

 

 1人、また1人。

 

 カンバス通りの住民たちだった。

 

「……みんな」

 

 猫又の目が大きく開く。

 

 そして、その中に見慣れた姿を見つけた。

 

「ニコ!」

 

「猫又!」

 

 ニコ。

 

 アンビー。

 

 ビリー。

 

 その少し後ろから、イアスとユウトも姿を現した。

 

 全員が無事だった。

 

 もっとも、つい先ほどまでデッドエンドブッチャーと戦っていたのだから、何事もなかったような姿ではない。ニコたちの衣服や装備には戦闘の跡が残り、アンビーとビリーの武器にも激戦を物語る痕跡がある。ユウトの戦闘装備も同様だった。

 

 それでも、誰1人として警戒を解いてはいない。

 

 ホロウを抜けたからといって、任務が終わったわけではないからだ。

 

 ユウトは周囲へ素早く目を走らせ、住民たちの状態、展開しているヴィジョンの兵士、地面に倒れているパールマン、サラ、猫又――そして本来の姿へ戻っているヴァレリアを順に確認する。

 

「猫又!」

 

 ニコたちが駆け寄る。

 

 ユウトも最後尾から住民の流れを確認しつつ合流し、ヴァレリアへ視線を向けた。

 

「リア。そっちも無事だったか」

 

「ああ。そちらも片付けたようだな」

 

「まあな」

 

「……リア?」

 

 ニコが足を止めた。

 

 アンビーもヴァレリアを見る。

 

 ビリーは分かりやすく首を傾げた。

 

 今までこの場にいなかった3人にとっては、突然アークライト社のCEOが現れ、ユウトが親しげに愛称で呼んでいる状況である。

 

「ちょっと待ちなさい。なんでアークライト社の社長が――」

 

「再会を喜ぶのは後にしろ」

 

 ヴァレリアがニコを制する。

 

「まだ終わっていない」

 

 その言葉へ重なるように、サラが口を開いた。

 

「その通りよ」

 

 全員の表情が変わる。

 

 サラは生還した住民たちを見回していた。

 

「爆破エリアから逃げ延びるなんて、大したものね」

 

 住民たちから怒声が飛ぶ。

 自分たちを見捨てたこと。

 住民が残っていると知りながら爆破を進めたこと。

 治安官に扮した兵士まで使って行動を制限していたこと。

 押し殺されていた怒りが、一気に噴き出す。

 

 サラはそれを冷めた目で眺めていた。

 

「でも、勘違いしないで」

 

 ヴィジョンの兵士たちが動く。

 

「ここで生き残ったからといって、あなたたちの話が外へ届くとは限らない」

 

 ユウトは何も言わず、住民たちの前へ出た。

 

 自然な動作で忍者刀の柄へ手を添える。

 

 アンビーとビリーも左右へ展開し、ニコは住民たちを背へ庇う位置へ移る。

 

「やりなさい」

 

 サラが命じる。

 

 ヴィジョンの兵士たちが銃を構え――。

 

「動くな!」

 

 別方向から鋭い声が飛んだ。

 

 ほぼ同時に、複数の人影が遮蔽物の陰から展開する。

 

 ヴィジョンの兵士たちが反射的に銃口を向けた先にいたのは、統一された装備を身につけたアークライト社の警備部隊だった。

 

 ヴァレリアがホロウへ入る前、磯野と打ち合わせたうえで周辺へ配置していた自社戦力である。

 

 サラがヴァレリアを見る。

 

「……やっぱり」

 

「フン」

 

 ヴァレリアは住民たちの前へ出る。

 

「だから言っただろう。私が何の備えもなく敵地へ入るとでも思ったか?」

 

 アークライト側も武器を構える。

 

 だが、撃たない。

 

 目的はヴィジョンと戦争を始めることではなく、住民を一方的に撃たせないことだ。

 

 双方が睨み合う。

 

 ヴィジョン側が引き金を引けば、アークライト側も動く。

 

 それが何を意味するのか、サラにも分かっている。

 

「これで勝ったつもり?」

 

「思い上がるな」

 

 ヴァレリアは即座に切り返す。

 

「私の人間がここへ出たのは、貴様らに住民を撃たせないためだ。事件を処理する権限までアークライト社が持っているわけではない」

 

 そして、僅かに笑った。

 

「もっとも――時間を稼ぐには十分だがな」

 

 その言葉を待っていたかのように、遠くからサイレンが響いた。

 

 兵士たちが振り返る。

 

 1台ではない。

 

 複数の車両が爆破解体本部へ近づいてくる。

 

 さらに、その向こうから騒がしい声まで聞こえ始めた。

 

「サラ長官!」

 

 兵士の1人が駆け寄る。

 

「治安局です! 周辺を封鎖されています!」

 

 別の兵士も声を上げた。

 

「報道関係者も大勢来ています! それに、白祇重工の連中まで!」

 

「……白祇重工だと?」

 

 ヴァレリアが僅かに眉を上げる。

 

「ふふん」

 

 後ろから、得意げな声がした。

 

 ニコだった。

 

「ヴィジョンが素直に交渉してくれるなんて、最初から期待してなかったのよ」

 

「これはお前の手か?」

 

「ホロウを出た時に連絡しておいたの。こういう時、競合相手ってのは頼りになるものよ」

 

 ユウトが小さく笑う。

 

「抜け目ねぇな」

 

「褒め言葉として受け取っとくわ」

 

「フン、なるほど」

 

 ヴァレリアもニコを見る。

 

「やるではないか」

 

「当然でしょ」

 

 治安局が次々と現場へ入り、ヴィジョンの兵士たちへ武装解除を命じ始める。

 

 報道陣のカメラも、すでに回っていた。

 

 生還した住民がいる。

 

 治安官に扮していた兵士もいる。

 

 アークライト社の警備部隊まで現場にいる。

 

 もう、ここで全員を消して事件そのものを隠すことなどできない。

 

 そして、その後方から大型の工事車両が姿を現した。

 

 車体に刻まれた企業章。

 

 白祇重工。

 

 車両が停車すると、先頭から小柄な少女が勢いよく飛び降りた。

 

「ニコ!」

 

「クレタ!」

 

「連絡寄越したと思ったら、なんだよこの状況!」

 

 白祇重工の社長、クレタ・ベロボーグ。

 

 その後ろからベンとアンドーも続く。

 

 クレタは現場へ目を走らせた。

 

 大勢の住民。

 

 ヴィジョンの兵士。

 

 治安局。

 

 報道陣。

 

 アークライト社の警備部隊。

 

 そして、その中心にいる人物を見て――動きが止まった。

 

「……は?」

 

 ヴァレリアと目が合う。

 

「なんでアークライト社のCEOまでいるんだよ?」

 

「事情があってな」

 

「事情で済ませていい場所じゃねぇだろ!」

 

「それには同意しよう」

 

「アンタのこと言ってんだよ!」

 

「随分と威勢がいいな、ベロボーグ社長」

 

「今それ言う必要あるか!?」

 

「ないな」

 

「だったら言うな!」

 

 クレタは思わず怒鳴ったものの、すぐに住民たちへ視線を戻した。

 

 今優先すべきことは別にある。

 

「ベン!」

 

「はい、社長!」

 

「住民の誘導を手伝うぞ! 怪我人がいたらそっちを先にしろ! まだ危ない場所もある、勝手に近づけさせんな!」

 

「承知しました」

 

「アンドーも!」

 

「任せろ!」

 

 白祇重工の面々が動き出す。

 

 工事現場を知る彼らは周囲の安全を確認しながら住民を誘導し、治安局と協力して現場を整理していく。

 

 ニコが用意していた、もう1つの手だった。

 

「サラ長官……」

 

 ヴィジョンの兵士が振り返る。

 

「我々はどうすれば……」

 

 返事はない。

 

「サラ長官?」

 

 兵士が周囲を見回す。

 

 サラの姿は、すでに消えていた。

 

「……逃げたか」

 

 ユウトが短く呟く。

 

 ヴァレリアも即座に周囲へ視線を走らせた。

 

「周辺を確認しろ。発見しても単独では接触するな。住民の保護を最優先とする!」

 

「了解!」

 

 アークライト社の警備要員が動き出す。

 

 ユウトはサラが消えた方向を一度確認すると、住民とヴィジョンの兵士たちへ意識を戻した。

 

 今ここで単独追跡へ移れば、護衛すべき人間から離れることになる。

 

「……面倒なのを残したな」

 

「ああ」

 

 ヴァレリアも短く答える。

 

「だが今は住民が先だ。あの女は後で必ず尻尾を掴む」

 

     ◇

 

 それからしばらくして。

 

 爆破解体本部を覆っていた緊張は、ようやく少しずつ薄れ始めていた。

 

 ヴィジョンの兵士たちは治安局によって武装解除され、住民たちも順番に保護されている。

 

 麻酔で眠ったままのパールマンも、すでに治安局へ引き渡された。

 

 報道陣は生還した住民たちと現場の様子を次々とカメラへ収めている。

 

 もはや、この事件そのものをなかったことにはできない。

 

 猫又は、その光景を少し離れた場所から眺めていた。

 

 助かった。

 

 カンバス通りのみんなも。

 

 ニコたちも。

 

 だったら――。

 

「……さて」

 

 誰にも気づかれないよう、そっと後ろへ下がる。

 

 自分がやるべきことは終わった。

 

 今度こそ、本当に野良猫へ戻るだけ。

 

「どこ行くの?」

 

「うにゃっ!?」

 

 腕を掴まれた。

 

 振り返れば、アンビーがいる。

 

「アンビー……」

 

「まだ事情聴取が残ってる」

 

「いやぁ、アタシは別に……」

 

「駄目」

 

「即答!?」

 

 そこへニコとビリーもやってくる。

 

「まったく。あんた、また勝手にどっか行こうとしてたでしょ」

 

「そ、そんなことないって!」

 

「顔見れば分かるわよ」

 

「ほんとに!?」

 

「まあまあ!」

 

 ビリーが間へ入る。

 

「とにかく全員無事だったんだ! こういう時はパーッと打ち上げだろ!」

 

「打ち上げ?」

 

 猫又が目を瞬く。

 

「そうよ」

 

 ニコが腕を組む。

 

「事情聴取が終わったら、みんなで食べに行くわよ。ここまで散々走り回ったんだから、少しくらいいいもの食べたって罰は当たらないでしょ」

 

「……アタシも?」

 

「他に誰の話してんのよ」

 

 猫又は言葉を失った。

 

 少し前。

 

 サラとの交渉で、自分は帰る場所を失った野良猫だと言った。

 

 それを聞いたニコたちはここにいなかった。

 

 それなのに、目の前の3人は最初から自分の席があるのが当然だという顔をしている。

 

「サバもあるところがいい」

 

 ぽつりと呟く。

 

「はいはい」

 

「いっぱい食べられるところ」

 

「注文多いわね!」

 

「じゃあ食べ放題!」

 

 ビリーが手を挙げた。

 

「それだ!」

 

 猫又の耳が立つ。

 

「……じゃあ、行ってあげてもいいよ」

 

「何で上からなのよ!」

 

 ニコが呆れ、アンビーが僅かに笑う。

 

 少し離れたところでその様子を見ていたユウトも、口元を緩めた。

 

「これでひとまず一件落着か」

 

「ンナ」

 

 隣のイアスが頷く。

 

「アキラとリンにも――」

 

「ユウト」

 

 ニコの声が飛んできた。

 

「ん?」

 

「その前に、ちょっとこっち来なさい」

 

「何だよ」

 

 ユウトが近づく。

 

 ニコの隣にはアンビーとビリー、猫又。

 

 そしてヴァレリア。

 

「さっきからずーっと気になってたんだけど」

 

 ニコがヴァレリアを指差す。

 

「なんでアークライト社の社長がここにいるの?」

 

「あ」

 

 猫又が声を上げた。

 

「そうだった!」

 

「何がよ」

 

「ニコたち、まだ知らないんだ!」

 

 猫又の顔に、ようやくいつもの悪戯っぽい笑みが戻る。

 

「ちょっと猫又」

 

「いやぁ、これは教えないと駄目でしょ?」

 

 先ほど自分が受けた衝撃を、そのまま共有できる機会が来た。

 

「この人――レイだよ」

 

「…………は?」

 

 ニコが固まる。

 

 ビリーも止まる。

 

 アンビーだけがヴァレリアをじっと観察した。

 

「……誰が?」

 

「だから、ヴァレリア・アークライトがレイだったの」

 

 沈黙。

 

 ニコの視線がゆっくりヴァレリアへ向く。

 

「……依頼人の?」

 

「ああ」

 

「アタシたちと一緒にホロウへ入った?」

 

「そうだ」

 

「レイ?」

 

「私だ」

 

「はぁぁぁぁぁ!?」

 

 ニコの声が爆破解体本部へ響いた。

 

「ちょっと待ちなさいよ! なんでアークライト社のCEOが変装して依頼人やってんのよ!」

 

「私自身の目で確認する必要があった。それだけだ」

 

「だからってCEO本人がホロウに入る!?」

 

「必要なら入る。当然だろう」

 

「当然じゃないわよ!」

 

「普通ではない」

 

 アンビーが淡々と答える。

 

「レイという身分と外見を用意し、正体を隠した状態で私たちに同行していたと考えれば辻褄は合う」

 

「アンビー! なんでそんなにすぐ受け入れられるのよ!」

 

「事実だから」

 

「俺もまだ頭が追いついてないぜ!」

 

 ビリーが頭を抱える。

 

「ってことは俺たち、知らないうちにアークライト社のCEOと一緒にホロウを走り回ってたのか!?」

 

「アタシなんて目の前で正体明かされたんだからね!」

 

 猫又まで加わる。

 

「サラと交渉してる最中にいきなりだよ!? びっくりする暇もなかったんだから!」

 

「その点は悪かったな」

 

「やっぱり全然悪いと思ってない!」

 

「まあまあ」

 

 ユウトが口を挟んだところで、ニコがぴたりと止まった。

 

「……ユウト」

 

「何だ?」

 

「そういえば、あんたさっきこの人のこと『リア』って呼んだわよね?」

 

「呼んだな」

 

「まさか……最初から知ってた?」

 

「ああ」

 

「ユウトォ!」

 

「いや、依頼人本人が隠してる正体を俺が勝手にバラすわけにいかないだろ」

 

「正論で返せば許されると思うんじゃないわよ!」

 

「正論なんだから仕方ねぇだろ!」

 

「それでも腹立つの!」

 

 久しぶりに響くニコの怒鳴り声。

 

 それを聞いて猫又がとうとう吹き出した。

 

 ビリーも笑い、アンビーの口元にも僅かな笑みが浮かぶ。

 

 ほんの少し前まで命を賭けていた場所とは思えないほど、いつもの空気が戻り始めていた。

 

 やがてニコが大きく息を吐く。

 

「……まあいいわ。この話は後でじっくり聞かせてもらうから」

 

「構わん」

 

「で」

 

 ニコがヴァレリアを見る。

 

「ここまで一緒にいたんだし、あんたも来る?」

 

「何に?」

 

「打ち上げ」

 

「無論だ」

 

 即答だった。

 

 ユウトが横目を向ける。

 

「早くない?」

 

「何がだ」

 

「もうちょっと考える振りくらいしろよ」

 

「行くに決まっているだろう。今回の件には私も最初から最後まで関わっている」

 

「それ建前だろ」

 

「うるさいぞ、ユウト」

 

 威厳のあるCEO口調を保ってはいるものの、ユウトには返答が妙に速かった理由がよく分かっていた。

 

 その時。

 

「ヴァレリア様」

 

 背後から落ち着いた声がした。

 

 ヴァレリアの動きが止まる。

 

「…………」

 

 ユウトは声の主を確認し、口元を緩めた。

 

 アークライト社CEO第一秘書、磯野。

 

 彼はいつもと変わらない様子で立っていた。

 

「お迎えに上がりました」

 

「……磯野か」

 

「現場の確認はこちらで引き継ぎます。そろそろお戻りください」

 

「今ちょうど今後について話していたところだ」

 

「皆様との打ち上げについて、でしょうか」

 

「……なぜ分かった」

 

「長年お仕えしておりますので」

 

「少しくらいなら時間を――」

 

「ありません」

 

「最後まで聞け」

 

「出発前に確認いたしました」

 

 磯野の声は変わらない。

 

「本件が想定していた規模へ発展した場合、帰還後は予定通りヴァレリア様ご自身で対応なさる、と」

 

「……確認したな」

 

「はい」

 

「私が」

 

「はい」

 

「自分で」

 

「その通りです」

 

「…………」

 

 逃げ道がない。

 

 ヴァレリア自身、それは最初から分かっていた。

 

 ヴィジョンの件がここまで大きく動けば、TOPSに属するアークライト社のCEOとして対応すべきことはいくらでもある。

 

 分かっている。

 

 分かってはいるのだが。

 

「……1時間くらいなら構わんだろう」

 

「戻りますよ」

 

「30分」

 

「ヴァレリア様」

 

「……少しくらい融通を利かせろ」

 

「予定を立てたのはヴァレリア様です」

 

「分かっている!」

 

 ニコが思わず吹き出した。

 

「大企業の社長も大変ねぇ」

 

「他人事だと思って……」

 

 言い返しかけて、ヴァレリアは咳払いする。

 

「……ともかく、分かった。戻ればいいのだろう」

 

 その直後。

 

【転生者掲示板】

 

「ビデオ屋副店長(仮)」

 

悲報

 

CEO、打ち上げ不参加

 

ーーーーーーーーーー

 

「シーホースCEO」

 

おい副店長

 

ーーーーーーーーーー

 

「ちびリス博士」

 

えー!?

 

CEOおねい行けないのー!?

 

ーーーーーーーーーー

 

「おっとり師範」

 

あらあら~

 

それは残念でしたねぇ~

 

ーーーーーーーーーー

 

「シーホースCEO」

 

本当に残念なんだけど!

 

せっかく邪兎屋のみんなとの打ち上げなのに!

 

ーーーーーーーーーー

 

「機械執事」

 

予定を承知した上で潜入したのはCEOだろう。

 

今回は諦めるしかないな。

 

ーーーーーーーーーー

 

「シーホースCEO」

 

正論やめて

 

今それ聞きたくない

 

ーーーーーーーーーー

 

「ちびリス博士」

 

でも副店長おにいは行くんだよね?

 

いいなー!

 

わたしもちょっと行きたかったー!

 

ーーーーーーーーーー

 

「ビデオ屋副店長(仮)」

 

俺は当事者だからな

 

しっかり楽しんできます

 

ーーーーーーーーーー

 

「シーホースCEO」

 

副店長お前ほんとに

 

ーーーーーーーーーー

 

「機械執事」

 

煽るな、副店長。

 

ーーーーーーーーーー

 

「おっとり師範」

 

ふふ、私たちの分まで楽しんできてくださいねぇ~

 

ーーーーーーーーーー

 

「ちびリス博士」

 

おいしいものいっぱいありそう!

 

副店長おにい、あとで何食べたか教えてね!

 

ーーーーーーーーーー

 

「半々医者」

 

食事会の話だろ。

 

そこまで羨ましがるものなのか?

 

ーーーーーーーーーー

 

「シーホースCEO」

 

先生、これはオタクの性なの

 

せっかく邪兎屋のみんなとの打ち上げなのに行けないとか普通に悔しい!!

 

ーーーーーーーーーー

 

「半々医者」

 

そういうものか。

 

ーーーーーーーーーー

 

「ビデオ屋副店長(仮)」

 

まあ俺は行くけどな

 

ーーーーーーーーーー

 

「シーホースCEO」

 

副店長お前ほんとに覚えてろよ

 

 掲示板から意識を戻したヴァレリアは、じろりとユウトを睨んだ。

 

「何だよ」

 

「……何でもない」

 

「絶対何かある顔だぞ」

 

「黙れ」

 

「ヴァレリア様」

 

「分かっている!」

 

 磯野に促され、ヴァレリアはようやくその場を離れる。

 

 途中で一度だけ振り返った。

 

「ユウト」

 

「ん?」

 

「……楽しんでこい」

 

「おう。写真くらい送ってやるよ」

 

「いらん」

 

「遠慮すんなって」

 

「送るな!」

 

 最後にそれだけ言い残し、ヴァレリアは磯野と共に去っていった。

 

 猫又がその背中を見送る。

 

「なんか……思ってたより普通の人だったね」

 

「それ、本人の前で言わなくて正解よ」

 

 ニコが苦笑する。

 

「さて!」

 

 ぱん、と手を叩いた。

 

「こっちも事情聴取をさっさと終わらせるわよ。終わったらご飯なんだから!」

 

「サバ!」

 

「分かったって!」

 

 猫又は笑った。

 

 自分にはもう、帰る場所なんてない。

 

 少し前までは、本気でそう思っていた。

 

 けれど、勝手に離れようとすれば腕を掴む奴がいる。

 

 当然のように食事へ誘う奴がいる。

 

 何を食べるかで騒げる奴がいる。

 

 それなら。

 

 もう少しくらい――ここにいてもいいのかもしれない。

 

     ◇

 

「社長。こちらの住民は、治安局への引き継ぎが進んでいます」

 

「分かった」

 

 ベンから報告を受け、クレタは頷いた。

 

 周囲では白祇重工の作業員たちが、住民の誘導や危険箇所の確認を続けている。

 

 ヴィジョン側はすでに治安局の管理下へ置かれつつあり、報道陣も現場の状況を記録していた。

 

 クレタはふと、ヴィジョンが残した工事設備へ目を向ける。

 

 旧都地下鉄改修プロジェクト。

 

 白祇重工も入札へ参加し、ヴィジョンに敗れた仕事だった。

 

 だが、そのヴィジョンは今回の一件で大きな問題を抱えることになる。

 

「……」

 

「社長?」

 

 ベンが声をかける。

 

「いや、何でもねぇ」

 

 クレタは首を振った。

 

 今は先のことを考えている場合ではない。

 

「こっちが先だ。最後の1人までちゃんと安全なところに出すぞ」

 

「はい」

 

「アンドー! そっち終わったか!」

 

「もうちょいだ!」

 

「なら急げ! 置いてくぞ!」

 

「ちょ、待てって社長!」

 

 白祇重工の面々が再び動き出す。

 

 クレタはその途中でもう一度だけ、ヴィジョンの工事現場へ目を向けた。

 

 ほんの一瞬だった。

 

 すぐに踵を返し、仲間たちのもとへ駆けていく。

 

 騒がしかった爆破解体本部にも、少しずつ日常の音が戻り始めていた。

 

 長かった1日は、ようやく終わろうとしていた。

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