転生者たちは今日も新エリー都を駆け回る 作:『 』を応援するテト
深夜。
営業を終えた《Random Play》は、昼間の賑わいが嘘のように静まり返っていた。
最後の客を見送ってからしばらく経ち、リンは先に2階へ上がっている。アキラはカウンターで今日の売上を確認し、ユウトも店内の戸締まりを終えようとしていた。
あとは入口の鍵を確認すれば、今日の仕事も終わり――そう思っていたところで、不意にドアベルが鳴った。
「……この時間に?」
ユウトが振り返る。
閉店時間を過ぎた店へ入ってきた人物を見て、カウンターにいたアキラも顔を上げた。
「羊飼い?」
「よぉ。相変わらず遅くまでやってるな」
「見ての通り、もう閉店だけど」
「まあまあ。今日は客として来たんじゃない。お前たちにちょっと面白い話を持ってきたんだ」
そう言って店の外を一度確認した羊飼いは、先ほどまでより声を落とした。
「零号ホロウの定期調査が、また始まるらしい」
その名前が出た瞬間、アキラの表情が変わった。
話を聞く場所をスタッフルームへ移し、2階にいたリンも呼ぶ。
羊飼いが持ってきた情報によれば、調査協会が零号ホロウの定期調査を再開することになり、それに伴って外部の独立調査員も募集しているらしい。用意された資質試験を突破すれば、正式な調査資格を得て零号ホロウへ入れるようになるという。
「零号ホロウ……」
リンが小さく呟いた。
新エリー都に暮らす者なら、その名を知らない者はほとんどいない。
かつて旧都を呑み込み、数え切れないほどの人々の生活を奪った巨大ホロウ。
そしてアキラとリンにとっては、それだけではない場所でもあった。
そこには2人がかつて暮らしていた場所がある。そして、いつか自分たちの手で確かめたいと思っているものも残されている。
兄妹はしばらく互いの顔を見た。
「お兄ちゃん」
「ああ。受けよう」
答えは早かった。
「そう言うと思ったぜ」
羊飼いは満足そうに笑うと、スコット前哨基地へ向かうために必要な情報を伝えていった。
ユウトは隣で黙って話を聞いていた。
零号ホロウの定期調査が再開される。
どうやら物語は、また次の段階へ進み始めたらしい。
必要な情報を伝え終えた羊飼いが帰ると、ユウトは入口の鍵を掛け直してからスタッフルームへ戻った。
「俺も行くよ」
「うん。そのつもりだった」
アキラの即答に、ユウトは苦笑する。
「決めつけるの早くない?」
「ユウト兄が、私たちだけで零号ホロウに行かせるわけないでしょ?」
「……まあ、それはそうなんだけどな」
図星だった。
ただ、今回はいつもの依頼とは少し事情が違う。
ユウトは少し考えてから、2人へ向き直った。
「ただし、明日はこの顔では行かない」
「変化するの?」
リンがすぐに察した。
「今回はユウト兄1人の仕事じゃないのに?」
「調査協会の正式な試験だからな。向こうの記録に、俺の顔とお前らとの関係まで残しておく必要はないだろ。今回は念のためだ」
「なるほど。じゃあ、向こうにはどう説明するの?」
「邪兎屋と同じような仕事仲間でいい。お前らが必要な時に仕事を頼んでるエージェント。名前は――カカシで」
「カカシ?」
リンが少し首を傾げる。
「なんだよ、その顔」
「別に? 分かった、カカシさんね」
「なんでちょっと楽しそうなんだよ」
リンは笑うだけで答えなかった。
アキラはそんな2人を見ながら、話を確認する。
「僕たちと以前から仕事をしているエージェント。それ以上は話さない。それでいい?」
「ああ。それで十分」
調査協会に余計な情報を残さない。それだけでも姿を変える理由としては足りている。
ユウトはそれ以上説明せず、明日の準備へ話を移した。
翌朝。
出発の準備を整えたユウトは、アキラとリンの前で慣れた手つきで印を結んだ。
「変化」
ボンッ、と軽い音が響き、白煙が一気にユウトの姿を覆い隠す。
やがて煙が薄れていくと、そこにいつものユウトの姿はなかった。
銀色の髪に、顔の下半分を覆うマスク。片目を隠すように額へ布を巻き、動きやすさを重視した戦闘用のベストを身につけている。背には1振りの刀が収まっていた。
「――よし。これなら問題ないだろ」
声も普段とは違っている。
リンはカカシの周囲をぐるりと回ると、改めて上から下まで眺めた。
「何回見ても別人だよね、それ」
「別人に見えなきゃ変化する意味ないだろ」
「お兄ちゃんは?」
アキラもカカシを観察してから頷いた。
「事情を知らなかったら、ユウトだとは思わないかな」
「合格」
カカシは満足そうに頷くと、荷物を持ち上げた。
「それじゃ、行きますかね」
「お兄ちゃん、向こうに着いたら連絡してね。こっちはH.D.D.の準備をしておくから」
「ああ。そっちは頼んだよ」
リンに店を任せ、アキラとカカシは《Random Play》を後にした。
スコット前哨基地。
車を降りたアキラとカカシの前には、市街地とはまるで違う光景が広がっていた。
防衛軍の施設と調査協会の設備が並び、その間を研究者や調査員たちが忙しなく行き交っている。警備も厳重で、これまで依頼で出入りしてきたホロウとは明らかに空気が違う。
そして基地の向こうには、それらすべてを呑み込めそうな巨大なホロウが存在していた。
零号ホロウ。
アキラはしばらく、その光景を見つめていた。
「……ここが」
小さく漏れた声を聞いても、カカシは何も言わなかった。
アキラにとって、そして店に残ったリンにとっても、ここは単なる巨大ホロウではない。
だからこそ今は、隣で余計な言葉を掛けるより好きに見せておいた方がいい。
しばらくしてアキラ自身が視線を前哨基地へ戻したところで、カカシも気持ちを切り替える。
そのついでに、意識を別の場所へ向けた。
【転生者掲示板】
「ビデオ屋副店長(仮)」
零号ホロウ到着
これから資質試験行ってきます
ーーーーーーーーーー
「ちびリス博士」
おー!
じゃあそろそろあそこだ!
ーーーーーーーーーー
「機械執事」
六課との初遭遇か
ーーーーーーーーーー
「ビデオ屋副店長(仮)」
予定通りならな
とりあえず今日はカカシで行ってくる
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
ああ、なるほど
ーーーーーーーーーー
「ビデオ屋副店長(仮)」
何を納得した
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
別に?
行ってらっしゃい
ユウトは心の中で小さくため息をつき、掲示板から意識を戻した。
何に納得したのかは聞かないことにする。
今は試験の方が重要だ。
手続きを進めた2人は、やがてホワイトスター学会の研究員であるレイと顔を合わせた。
レイは新しく零号ホロウの調査資格を取ろうとしているアキラに興味を示しながら、今回の資質試験について説明していく。その途中、話は零号ホロウ周辺に設置されたデータステーションへと移った。
どうやら周辺地区のデータステーションが、徘徊するエーテリアスの群れに襲撃されたらしい。
そのため今回の試験では、協会から派遣される調査員を目的地まで護送し、現地に残された観測データを回収することも課題に含まれていた。調査員はそのままアキラたちの行動を確認する試験官も兼ねるという。
「せっかく零号ホロウへ入るんだから、試験だけして帰ってくるのも勿体ないでしょ? 観測データも無事に持ち帰ってもらえれば、こっちとしても助かるし」
研究の話になった途端、レイの口調が少し弾んだ。
その様子にアキラが苦笑する。
「レイさん、本当に研究が好きなんですね」
「もちろん。面白いデータはいくらあっても困らないからね」
そう答えたレイの視線が、今度はカカシへ移る。
「ところで、そちらの彼も君の調査チームの一員?」
「カカシです。僕たちが以前から仕事を頼んでいるエージェントで、今回は護衛として同行してもらいます」
昨夜決めた通り、アキラはそれ以上の説明をしなかった。
「どうも」
カカシも軽く片手を上げる。
レイは興味深そうに彼を眺めたものの、今は試験の方が重要なのだろう。すぐに説明へ戻った。
資質試験と調査員の護送、それに観測データの回収。
内容だけを聞けば、それほど難しいものではない。
もっとも――場所が零号ホロウでなければ、の話だが。
説明と手続きを終えたアキラは、前哨基地に設置された通信端末の前へ移動した。
ここから《Random Play》にあるH.D.D.へリモート接続し、現地で使用するイアスと感覚を同期させる。
画面上でいくつもの認証処理が走った。
店に残ったリンとFairyも、向こう側から接続を補助している。
「リン、こっちは準備できたよ」
『了解。こっちも最終確認終わったよ、お兄ちゃん』
通信越しに返ってきたリンの声を確認して、アキラは接続を開始した。
視界が切り替わる。
そして――零号ホロウ内部で待機していたイアスの目が開いた。
『あー、テステス。お兄ちゃん、聞こえる?』
兄妹だけの通信回線から、リンの声が届く。
『聞こえてるよ』
イアスを介して周囲を確認しながら、アキラが答える。
外から見れば、イアスはいつも通りのボンプだ。この兄妹の会話が、近くにいる人間へそのまま聞こえているわけではない。
『映像も通信も問題なし。Fairyの方も正常だって』
今回、零号ホロウ内部へ入るのは、アキラが操作するイアス、カカシ、そして調査協会から派遣された女性調査員の3人。
リンは《Random Play》に残り、H.D.D.と通信を通じて後方からアキラを支援する。
「改めまして。今回、皆さんに同行する調査協会の調査員です。試験中は私が皆さんの行動を確認させていただきます」
女性調査員はそう挨拶すると、指定ルートや使用可能な装備、試験中の注意事項を説明していった。
そして最後に、零号ホロウでは何が起きても不思議ではないため、常に非常事態を想定して行動するよう念を押す。
『聞いたね、カカシ?』
兄妹用の回線から届いたアキラの声に、カカシはマスクの下で苦笑する。
「聞いた聞いた。今日は大人しくしてますよ」
『その言い方だと、普段は大人しくしてないみたいだけど』
「否定はしない」
『そこで認めるんだ……』
今度はリンの呆れた声が回線に混じった。
そんな軽口を最後に、資質試験が始まった。
試験は順調だった。
イアスがキャロットを確認して進路を選び、カカシが周囲を警戒する。遭遇したエーテリアスも試験規定の範囲内で問題なく排除し、女性調査員を護衛しながら目的のデータステーションを順番に巡っていった。
カカシも忍術は使わない。
刀と体術だけで十分だったし、わざわざ公的な試験の最中に余計な手札を見せる理由もない。
「正直、少し驚きました」
いくつ目かのデータ回収を終えたところで、女性調査員が感心したように口を開いた。
「独立調査チームの試験には何度か同行していますが、皆さんはかなり慣れていますね。特にルート判断が速いですし、エーテリアスと遭遇してもほとんど進行が乱れない」
『イアスが優秀なんですよ』
アキラが兄妹の回線だけで答える。
もちろん、その言葉は彼女には届かない。
カカシはイアスへ視線を落としてから、代わりに肩をすくめた。
「まあ、場数だけは踏んでますから」
「なるほど。ですが、油断だけはしないでください。零号ホロウでは――」
その途中だった。
女性調査員が持っていた測定器から、警告音が鳴った。
彼女は足を止め、表示を確認する。
「エーテル活性反応ですね。これ自体は珍しくありません」
再び警告音が鳴る。
女性調査員の表情が少しだけ引き締まった。
「反応が強くなっています。周囲に注意してください」
3度目。
今度は先ほどより短い間隔だった。
「……かなり高い」
彼女が測定器を操作する。
カカシもすでに周囲へ視線を走らせていた。
何かがおかしい。
測定器の警告だけではない。
肌を撫でる空気の感覚が変わっている。
ホロウの中では常にエーテルの気配がまとわりつく。それでも今感じているものは、それらとは明らかに質が違った。
重い。
遠くにいるにもかかわらず、巨大な何かが周囲の空間そのものを押し退けながら近づいてくるような――。
カカシの目つきが変わった。
4度目の警告音が鳴った。
女性調査員が息を呑む。
「4回……? そんな、これは――」
「伏せろ」
「え?」
聞き返された時には、カカシはもう動いていた。
片腕でイアスを抱え上げ、もう片方の腕で女性調査員の身体を抱えるように引き寄せる。
「きゃっ!?」
『カカシ!?』
そのまま地面を蹴った。
近くにあった階段を一気に駆け下り、踊り場の陰へ滑り込む。女性調査員を下ろすと、カカシはイアスを抱えたまま壁際へ身を寄せた。
「静かに」
抗議しかけていた女性調査員が、カカシの表情を見て口を閉じる。
一拍遅れて――空気が震えた。
腹の底まで響くような、低く重い音。
女性調査員の顔色が変わる。
カカシはイアスを床へ下ろすと、階段の陰からわずかに顔を出した。
『……助かった、カカシ』
「礼は後。まだ出るな」
その言葉と同時に、遠くを漂っていたエーテルの靄が大きく乱れた。
何かに押し退けられている。
いや。
何かが、その中を進んでいる。
最初に見えたのは巨大な影だった。
あまりにも大きい。
これまで遭遇してきたエーテリアスとは、体格からして比較にならなかった。
やがて靄の向こうから、異形の姿がゆっくりと現れる。
巨大な植物と異形の生物を無理やり1つにしたような姿だった。
幾重にも広がる花弁を思わせる巨大な器官。その中心にはエーテリアス特有の白く無機質な異形が覗き、周囲には翼とも巨大な葉ともつかない部位が広がっている。そこから長く伸びた器官が、まるで水中を漂う触手のようにゆらゆらと空中を揺れていた。
巨大な花。
一瞬だけ、そんな言葉が頭をよぎる。
異形であるはずなのに、その姿には奇妙な美しささえあった。
だが、それを美しいと思えたのは一瞬だけだった。
周囲を満たす膨大なエーテル。
離れた階段の陰に隠れているこちらまで押し潰そうとするような存在感。
それが、目の前の存在をただの巨大なエーテリアスとは思わせてくれない。
女性調査員が息を潜めたまま、震える声を漏らす。
「……何、あれ……」
イアスも階段の陰から、巨大な異形を見上げている。
『あんなエーテリアスが……』
アキラの声にも、さすがに驚きが混じっていた。
カカシは答えない。
画面越しでは何度も見た。
その姿も、名前も知っている。
だが、実際に目の前に現れたそれは、記憶の中にあるものとはまるで別物だった。
(――ニネヴェ)
零号ホロウを象徴する、規格外の怪物。
カカシは刀へ伸ばしかけていた手を止めた。
戦う必要はない。
今は見つからず、通り過ぎるのを待つべきだ。
そして巨大な異形が彼らの視界を横切ろうとした、その時だった。
別の影が、凄まじい速度で視界を駆け抜けた。
「っ……!」
女性調査員が反応した時には、その人物はすでに遠い。
カカシの目が辛うじて姿を捉える。
狐の耳。
小柄な体躯。
腰に携えた刀。
巨大なニネヴェを前にしても速度を緩めるどころか、その背を追って一直線にホロウの奥へ駆けていく。
「今の……」
女性調査員が目を見開いた。
カカシは、その横顔をほんの一瞬確認しただけで目を細める。
(……やっぱり来たか)
星見雅。
新エリー都で《虚狩り》の名を与えられた者の1人。
雅はこちらを確認するために立ち止まることもなく、ニネヴェを追ってそのまま遠ざかっていった。
カカシは消えていく背中を見送り、小さく息を吐く。
(変えてきて正解だったな)
なぜそう思ったのか。
その理由まで考えることはせず、すぐに意識を現在へ戻した。
「もう少し待つぞ」
女性調査員とイアスへそう告げ、ニネヴェの気配が十分に遠ざかるまで階段の陰から動かない。
やがて、周囲を圧迫していた気配が薄れていった。
「……行った、みたいですね」
女性調査員がようやく息を吐いた。
その直後だった。
今度は、先ほど雅が現れた方向から複数の足音が聞こえてきた。
「まだ何か来る」
カカシが再び警戒する。
だが、現れたのはエーテリアスではなかった。
同じ意匠の制服を身につけた3人。
先頭を進む眼鏡をかけた女性。その後ろには、気だるげな雰囲気を漂わせる青年と、小柄な鬼の少女が続いている。
彼らの姿を認めた女性調査員が、驚いたように声を上げた。
「H.A.N.D.……? それに、あの制服……対ホロウ特別行動部の執行官?」
その言葉を聞きながら、カカシはゆっくりと立ち上がった。
予定通りなら、ここから先はもう資質試験どころではない。
零号ホロウでの最初の調査は、思いもよらない形で大きく流れを変えようとしていた。