転生者たちは今日も新エリー都を駆け回る 作:『 』を応援するテト
ユウトが例の企業へ潜入し、持ち帰った内部資料をヴァレリアへ渡してから1週間。
クランプスの黒枝による裁定が始まったことで、TOPS財政ユニオンに属する企業の間でも状況が動き始めていた。
まだ正式な結論は出ていない。しかし、こういう時に結論が出るまで大人しく待っているほど、TOPSに集う企業は呑気ではない。
問題を起こした企業がどうなるのか。その結果として、どの市場が空き、どの取引先が動き、どんな人材が流出するのか。
嗅覚の鋭い企業は、すでにその先を見始めている。
当然、アークライト社も例外ではなかった。
いや――正確には、他社がようやく動き始めた頃には、ヴァレリアはすでに次の段階へ進んでいた。
アークライト社本社。
その最上階にあるCEO執務室で、ヴァレリア・アークライトは机上の資料へ目を通していた。
腰近くまで伸びた髪は、一見すれば黒にも見えるほど深い濃紺。そこから覗く青い瞳は鋭く、書類に並ぶ数字を追う視線にも隙がない。
白を基調としたロングジャケットの下には黒いインナーを合わせ、細身のパンツとヒールブーツが長身をさらに際立たせている。華美な装飾に頼らずとも、その姿には大企業の頂点に立つ者らしい強烈な存在感があった。
「人事部から、追加調査を終えた候補者の一覧が上がっております」
声をかけたのは、彼女の傍らに控えていた黒いスーツ姿のドーベルマンのシリオンだった。
黒髪を後ろへ撫でつけ、目元をサングラスで覆った男――磯野。
アークライト本家に代々仕えてきた家系の出身であり、現在はヴァレリアの第一秘書を務めている。
「見せろ」
「こちらです」
差し出されたタブレットを受け取り、ヴァレリアは候補者を上から確認していく。
「技術部門から12人、企画から5人、物流が8人、営業が6人、現場管理から4人か」
「はい。いずれも今回の件への関与が確認されておらず、過去の勤務記録や実績についても大きな問題は見つかっておりません。ただし、現時点で確認できる範囲ですが」
「十分だ。こちらが捜査機関の真似事をする必要はない」
今回、ヴァレリアが見ているのは企業そのものではない。
そこで働いている人間だった。
会社が問題を起こしたからといって、所属する人間全員が腐っているわけではない。上層部の不正に振り回され、能力を持ちながら正当に評価されていない者もいる。
経歴、実績、担当した案件、現在の待遇。
ヴァレリアは資料を読み進め、その途中で指を止めた。
「……安いな」
「こちらの技術者ですか?」
「ああ。過去3年で主力製品を2つ改良し、製造工程の効率化にも関わっている。それでこの待遇か?」
「年功を重視した給与体系だったようです。本人の役職も実績に比べれば低いですね」
「フン。優秀な人間を安く使い、人件費を削った数字を利益と呼ぶ。三流の発想だ」
ヴァレリアは別の候補者へ目を移す。
似たような例は1人だけではなかった。
「磯野」
「はい」
「接触する価値がある者をさらに絞れ。提示額は現在の待遇を基準に1.5倍。特に欲しい人材なら2倍まで許可する」
「かなり強気に出ますね」
「価値のある人間に相応の金を払うだけだ。ただし、札束で頬を叩いて連れてくるような真似はするな。本人が何をしたいのか確認しろ。その能力を活かせる部署までこちらから提示する」
「承知しました。ですが、今の段階で露骨に動けば、余計な憶測を招く可能性があります」
「分かっている。接触は慎重に行え。正式に身動きが取れるようになった時、こちらの条件を提示できる程度でいい」
「では、人事部と法務部に――」
「待て」
端末を操作しかけた磯野をヴァレリアが止める。
「全員に同じ条件を提示するな。金を求める者もいれば、研究環境を求める者もいる。自分の企画を通せる場所を探している者もいるだろう。まず本人を調べろ。その後で条件を組め」
「……承知しました。追加調査を指示します」
磯野は淡々と返しながら、増えた仕事を端末へ入力していく。
ヴァレリアは気にも留めず、次の資料へ目を移した。
こうした企業を見るのは初めてではない。
旧都陥落によって数多くの企業が存続の危機へ追い込まれた時も、ヴァレリアは会社の看板だけを見て判断しなかった。
工場を失っても技術は残る。物流網を失っても、それを構築した人材は残る。資金を失っても、価値のある事業まで消えるわけではない。
兵器とエーテルエネルギー産業を主力としていたアークライト社が、現在のような総合企業へ成長した背景にも、そうして守り、取り込んできた企業や人材が存在している。
会社が傾いたからといって、そこで働く人間や積み上げられた技術まで無価値になるわけではない。
「次だ。被害を受けた取引先は?」
「こちらにまとめてあります」
磯野が別の資料を表示する。
契約を一方的に変更された会社。必要な資材を確保できなくなった会社。不利な支払い条件を押し付けられた会社。
中には十分な技術力を持ちながら、今回の一件で経営状態を悪化させている中小企業もあった。
「経営企画部からは、一部の企業について支援制度を利用できないかという意見が出ています」
「支援?」
「今回の件で被害を受けた企業への救済措置として――」
「却下だ」
即答だった。
磯野が口を閉じる。
「こちらには仕事がある。向こうには技術がある。条件が合えば契約する。それで十分だ」
「救済という形を取る必要はない、と」
「必要なら前払いでも融資でも資本参加でもやればいい。それも含めて商売だ。『困っているから助けてやった』などと恩を着せる必要がどこにある」
ヴァレリアは一覧を指で送る。
「それに、使える取引先を他のTOPSへ渡してやるほど私は親切ではない」
「すでに数社が接触を始めているようですが」
「どこだ?」
表示された企業名を見ても、ヴァレリアは驚かなかった。
むしろ当然だというように鼻を鳴らす。
「フン。さすがに連中も商機くらいは嗅ぎつけたか」
「条件次第では競合する可能性があります」
「構わん。商売で競うというなら歓迎してやる」
ヴァレリアの口元に自信に満ちた笑みが浮かぶ。
「商品でも価格でも待遇でも、好きなものを持ってこい。その上でこちらが勝てばいいだけだ」
市政との協調を重視し、市民向けの事業も多いアークライト社だが、だからといって競争を避けるわけではない。
利益を得られる市場ならば参入する。競合がいるなら勝つ。
その点において、ヴァレリアもまた紛れもなくTOPSの経営者だった。
「向こうが動き始めたのは?」
「早いところで昨日です」
「こちらが候補の選定を始めたのは6日前だ。なら先に進め。相応の価値を提示した上で、最終的にどこを選ぶかは本人たちの自由だ」
「承知しました」
磯野が資料を閉じようとした、その時だった。
「……待て」
「はい?」
ヴァレリアの視線が、画面の隅で止まっていた。
そこにあったのは、今回の案件とは直接関係のない過去の事業計画だった。
採算性や将来性は認められながら、外部環境や権利関係を理由に凍結された企画。
その1つをヴァレリアが開く。
《移動式テーマパーク事業計画》
「磯野」
「はい」
「これを凍結した当時と現在で、必要条件を比較しろ」
「こちらを、ですか?」
「ああ。人材、技術、特殊輸送設備、外注先、権利関係。全部だ。今回の件で状況がどこまで変わるか洗い直せ」
磯野が一瞬だけ企画書へ目を落とした。
つい先ほどまで人材と取引先について話していたはずである。
「期限はいつまででしょうか」
「今日中だ」
「……今日中ですか」
「商機がこちらの都合に合わせて待ってくれると思うか?」
「いいえ。では関係部署へ連絡いたします」
「企画部長も呼べ。現在の市場環境で採算を再計算する」
「少々お待ちください、社長」
「なんだ?」
「再計算ということは、この計画を再始動させるおつもりで?」
「他に何がある」
ヴァレリアは当然のように言い切った。
「止まっていた条件のいくつかが動く可能性が出た。なら確認する価値はある。採算が合うなら即座に再始動だ」
「……承知しました」
磯野が端末を操作する。
「企画部、技術部、物流部、法務部へ連絡を。午後に会議を設定いたします」
「午後?」
「はい。社長、本日はすでに別件の会議が――」
「後ろへずらせ」
「その後には会長との会食もございます」
「お父様には私から連絡するわ」
「技術部長は現在、第3工場の視察中です」
「呼び戻せ」
「移動だけでも時間がかかりますが」
「ならオンラインで繋げ!」
「……承知しました」
磯野は一礼すると、黙々と予定を組み替え始めた。
長年ヴァレリアに仕えているだけあって、その指示を実行する能力は一流である。しかし、ヴァレリアの思いつくことまで何もかも先回りできるわけではない。
むしろ長く仕えているからこそ、磯野はよく知っていた。
ヴァレリア・アークライトは商機を見つければ、それまで組まれていた予定を平然とひっくり返して走り始める。
そして、それに付き合わされるのは大抵自分である。
磯野が関係部署への連絡に追われる横で、ヴァレリアは改めて企画書へ目を通していた。
巨大な娯楽施設。
ただし、特定の土地へ恒久的に固定することを前提としていない。
複数の大型ユニットから施設を構成し、一定期間ごとに展開地域を変更する。娯楽施設の少ない地域へ施設そのものを運び、市民へ娯楽を提供する。
そしてホロウ災害の危険が高まれば、客と従業員を避難させるだけではなく、施設そのものも段階的に撤収できる構造を目指す。
ヴァレリア自身が以前から進めていた企画だった。
前世でゲームデザイナーだった頃から、人を楽しませるものを作ることが好きだった。その嗜好は、この世界へ生まれ直してからも変わっていない。
むしろホロウという災害が日常のすぐ隣に存在する世界だからこそ、娯楽を簡単に奪われない仕組みが必要だと考えていた。
そして彼女には、もう1つ理由がある。
いずれ建設される、ボンプたちのための夢の施設――ブートピア。
それがホロウ災害によって大きな被害を受け、長期にわたって営業を停止する未来を、ヴァレリアは知っている。
だから、この計画を立ち上げた時から発想は単純だった。
ホロウが来るなら、逃げられる遊園地を作ればいい。
しかし、構想を形にするには障害が多かった。
特殊輸送設備、大型ユニットの製造技術、展開地域ごとの権利調整。そして必要な契約の一部を競合企業に押さえられていたこと。
技術的には実現可能で、採算の見込みもあった。それでも外部へ依存する部分が多すぎたため、計画は凍結されていた。
だが今、その前提が崩れようとしている。
人材が動く。技術が動く。取引先が動く。
以前は手が届かなかったものを、今なら確保できるかもしれない。
「……今度こそ、いけるかもしれないわね」
やがて磯野が連絡のため社長室を出ると、ヴァレリアは背もたれへ身体を預けながら小さく呟いた。
そして、脳内の転生者掲示板へ意識を向け――。
その少し後。
【転生者掲示板】
「ちびリス博士」
みんな!!!!!!
テーマパーク作るって!!!!!!
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
ちょっと待って
まだ私が説明してないんだけど!?
ーーーーーーーーーー
「ちびリス博士」
だって技術協力の資料きた!!!
ーーーーーーーーーー
「ビデオ屋副店長(仮)」
情報回るの早すぎない?
ーーーーーーーーーー
「機械執事」
資料送った時点で
こうなると思わなかったの?
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
思ってたけど!!
せめて私に説明させてよ!!
ーーーーーーーーーー
「ビデオ屋副店長(仮)」
思ってたんじゃん
ーーーーーーーーーー
「半々医者」
それで、テーマパークってのは
また随分と大きな話だな
ーーーーーーーーーー
「おっとり師範」
まあまあ
楽しそうですねぇ
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
もういい!!
私が説明する!!
前に話したブートピア覚えてる?
ーーーーーーーーーー
「ビデオ屋副店長(仮)」
ボンプのリゾート施設の方?
ーーーーーーーーーー
「機械執事」
ああ
将来ホロウ災害に巻き込まれるところね
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
それ!!
何年もかけて作った夢の施設が
ホロウ1個で長期営業停止とか絶対嫌じゃん!!
ーーーーーーーーーー
「ちびリス博士」
かなしい!!!
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
でしょ!?
だから前から考えてたの
ホロウが来たら逃げればいいじゃんって
ーーーーーーーーーー
「ビデオ屋副店長(仮)」
客が?
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
テーマパークが
ーーーーーーーーーー
「ビデオ屋副店長(仮)」
……テーマパークが?
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
テーマパークが!!
ーーーーーーーーーー
「半々医者」
なるほど
施設そのものを動かすのか
ーーーーーーーーーー
「機械執事」
あー
だから移動式なのね
最初に聞いた時は
また変なこと考え始めたと思ったけど
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
ちょっと!?
ーーーーーーーーーー
「機械執事」
褒めてる褒めてる
ホロウが来たら施設ごと逃げるって発想
この世界だと割と理にかなってるし
ーーーーーーーーーー
「ビデオ屋副店長(仮)」
原作イベントを
経営の反面教師にしてる……
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
するでしょ普通!!
知ってる未来にでかい失敗例があるのに
同じことする経営者がどこにいるのよ!!
ーーーーーーーーーー
「機械執事」
まあ正論
運営とか避難計画なら
こっちでも手伝えるよ
施設まで逃がすなら
撤収する順番もかなり重要でしょ?
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
そうそう!!
そこお願いしたかった!!
ーーーーーーーーーー
「半々医者」
医療と安全面なら俺も見る
大勢の客を入れるなら
救護設備は最初から計画に入れた方がいい
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
お願い!!
ーーーーーーーーーー
「ちびリス博士」
アトラクションは!?
あかり作っていい!?
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
むしろ作って!!
そのために資料送ったんだから!!
ーーーーーーーーーー
「ちびリス博士」
やったーーーー!!!!
ーーーーーーーーーー
「おっとり師範」
ふふ
完成したら私も遊びに行きたいですねぇ
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
もちろん!!
みんな招待する!!
ーーーーーーーーーー
「ビデオ屋副店長(仮)」
で
俺は何すればいい?
遊園地なんて作れないぞ
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
現地調査の護衛
ーーーーーーーーーー
「ビデオ屋副店長(仮)」
仕事増えた
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
報酬出すわよ
ーーーーーーーーーー
「ビデオ屋副店長(仮)」
いつから?
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
切り替え早くない!?
ーーーーーーーーーー
「機械執事」
報酬って聞いた瞬間これだよ
ーーーーーーーーーー
「ビデオ屋副店長(仮)」
仕事なら条件確認は大事だろ
ーーーーーーーーーー
「半々医者」
そこだけは妙にしっかりしてるな
ーーーーーーーーーー
「ビデオ屋副店長(仮)」
そこだけってなんだよ
ーーーーーーーーーー
「ちびリス博士」
護衛つき!!
やったー!!
ーーーーーーーーーー
「ビデオ屋副店長(仮)」
はいはい
護衛しますよ
ーーーーーーーーーー
「シーホースCEO」
よろしい!
ーーーーーーーーーー
その日の午後。
アークライト社の会議室には、企画、技術、物流、法務をはじめとする各部門の責任者が集められていた。
大型モニターに表示されているのは、《移動式テーマパーク事業計画》。
朝の一言から始まった突然の予定変更に各部署が対応し、必要な資料もどうにか会議開始までに揃えられている。
「まず前提を確認する」
ヴァレリアは席に座ったまま、集まった責任者たちを見渡した。
「これは通常の遊園地ではない。最初からホロウ災害が発生することを前提に設計する」
技術部門の責任者が資料へ目を落とした。
「以前の案でも避難設備にはかなりの比重を置いていますが、基本方針は変更しないということでしょうか」
「ああ。ただし、現在の技術でどこまで撤収時間を縮められるかは再検討しろ。客だけ逃がして施設を丸ごと失えば、その地域での事業はそこで終わりだ」
ヴァレリアがモニターへ視線を向ける。
「この街に永久に安全な土地など存在しない。なら土地が危険になった時、こちらが退けばいい」
「施設そのものを、ですね」
「そのための移動式だ」
言葉を区切り、続ける。
「ホロウ発生の前兆、エーテル環境の変化、周辺交通網。それらを常時監視し、危険度に応じて客の避難、従業員の撤収、設備の収納を段階的に始める。最悪の場合でも主要ユニットだけは安全圏へ退避できる構造にしろ」
「そこまでの冗長性を持たせれば、以前の試算以上にコストが増大する可能性があります」
「分かっている。だから採算を再計算させている」
即答だった。
「安全性を削って帳尻を合わせるな。必要なら入場料以外の収益構造を増やせ。物販、ゲーム、映像、スポンサー、地域企業との共同企画――使えるものはいくらでもある」
アークライト社は、もはや兵器とエーテルエネルギーだけを扱う会社ではない。
旧都陥落から今日までに築いてきた事業の広さそのものが、この計画では武器になる。
「人材が足りなければ集めろ。技術が足りなければ開発する。外部企業の力が必要なら候補を出せ。今動き始めている人材や取引先も含め、使える選択肢をすべて洗い出せ」
「承知しました」
「それと、展開先の選定は市政側とも早い段階から調整しろ」
今度は企画部門の責任者が顔を上げた。
「市政との共同事業にするのでしょうか?」
「決まっていない。だが、大規模施設を移動させる以上、交通、避難経路、インフラ、地域のホロウ対策と無関係ではいられん。完成してから許可を取りに行くような間抜けな真似はするなということだ」
市政に協力するからといって、利益を捨てるわけではない。
市政が必要としているもの、市民が求めているものを理解し、そこへ成立する商売を作る。
それがヴァレリアのやり方だった。
「社長。仮に採算性が以前の基準を下回った場合は?」
問いかけに、ヴァレリアは少しだけ考えた。
「下回った理由を持ってこい。解決不能なら凍結を続ける。解決できるなら解決する。それだけだ」
勢いだけで事業化するつもりはない。
作りたいから作る。
だが、企業の事業として動かす以上、それだけでは足りない。
前世でゲームを作っていた頃に培った感覚。
この世界で祖父から徹底的に叩き込まれた経営。
そして、旧都陥落を経てアークライト社を拡大させてきた経験。
使えるものは全部使う。
「娯楽は生きるために絶対必要なものではない」
ヴァレリアが静かに言った。
会議室にいる者たちが彼女を見る。
「災害が起これば、食料、医療、住居、安全の確保が先だ。娯楽は後回しになる。当然のことだろう」
旧都陥落を知っているからこそ、それを否定するつもりはなかった。
「だが、危機を乗り越えた後まで、ただ生き延びるだけの生活を市民にさせる必要はない」
ゲームも、玩具も、映画も、遊園地も。
命を直接救うものではないかもしれない。
それでも、人が日常へ戻るために必要なものだとヴァレリアは考えている。
「ホロウがあるから作れない。災害が怖いから諦める。そんな理由で市場を明け渡してたまるか」
その口元に挑戦的な笑みが浮かんだ。
「作るぞ」
声を荒らげる必要などなかった。
ヴァレリアがそう言った時点で、それは単なる希望ではなく経営判断だった。
「ホロウが現れれば客も従業員も逃がす。必要なら施設まで逃がす。それでもまた別の場所で営業を始める」
一度、言葉を切る。
「ホロウ災害程度で市民から娯楽を奪われ続けるような代物を、アークライトの名で世に出せると思うな」
その日。
長く凍結されていた《移動式テーマパーク事業計画》は、再び動き始めた。
まだ正式な事業化が決まったわけではない。再試算の結果次第では、さらに計画を修正する必要もある。
それでも、以前とは状況が違う。
市場ではすでに人材も技術も取引関係も動き始めている。
当然、それを狙うTOPSはアークライト社だけではない。
だからこそ、ヴァレリアは誰より早く動く。
先に情報を得たなら、その時間を使い切る。
競争相手が同じ市場へ来るというなら、正面から勝てばいい。
かつてゲームを作っていた1人のオタクが夢見て。
アークライト家の後継者として鍛え上げられた経営者が計算し。
旧都陥落を経験した企業人が、その必要性を知った。
ホロウが人々の日常を奪う世界なら。
奪われるたびに諦めるのではなく、奪われにくい日常を作ればいい。
それが、ヴァレリア・アークライトの出した答えだった。