「彩葉!当選した!SAOのβテストっ!!」「………は?」 作:未完成な人
「…ん……」
重い瞼を開くと、目に入ってきたのは見慣れない木目の天井だった。
ほんのりと漂う、乾燥した木と古い羊皮紙の匂い。硬いマットレスの感触。
(……ここ、は……?)
ぼんやりとした頭で体を起こしかけた瞬間、昨日の出来事が津波のように脳裏へと押し寄せてきた。
茅場晶彦の冷酷なデスゲーム宣告。消えたログアウトボタン。広場を包んだ阿鼻叫喚の悲鳴。かぐやの消え入りそうな声。
「……あ、彩葉……!?」
ベッドの脇で膝を抱えて丸くなっていたかぐやが、跳ね起きるように顔を上げた。その目は真っ赤に腫れ上がり、ツインテールも少しボサボサになっている。
「よかった……! 目、覚ました……! 彩葉が急に倒れちゃうから、かぐや、どうしたらいいか分かんなくて……!」
「かぐや……」
彩葉は自分の手を見つめた。視界の端には、相変わらず緑色のHPバーと見慣れたプレイヤーネームが表示されている。
違うのは見た目。ベッドの脇の鏡を見るとはっきり自分の顔が映る。アバターではない現実の顔が。
アレは夢ではなかったのだ。自分たちは今も、あの悪夢のようなゲームの中に閉じ込められている。
「……ここ、宿屋?」
「うん……広場で彩葉が倒れちゃったから、かぐや、必死でおんぶしてここまで運んできたの……」
そう言って、かぐやは申し訳なさそうに視線を落とした。
彩葉は深呼吸をし、震える手でベッドのシーツを固く握りしめた。頭の中を急速に冷やしながら、現状とこれからの行動について必死に思考を巡らせる。
「……かぐや。これからどうするか、話し合いましょう」
「う、うん……!」
「私は……しばらく、この『はじまりの街』から出ない方がいいと思う」
「圏内から……出ないってこと?」
「そう。これだけの大人数が巻き込まれた大事件なんだから、現実世界の警察や政府だって絶対に動いてるはず…。ナーブギアの安全な解体方法やログアウト方法だって、きっとすぐに見つけられる。茅場晶彦に言われるがままに無理に危険な外に出て戦う必要なんて絶対ない。外部から安全に救出されるまで、街の中でじっと待つのが一番安全だと思う。」
彩葉の真剣な言葉に、かぐやも大きく頷いた。
「うん……。彩葉がそう言うなら、かぐやもそうする! 街の中でじっと救助を待つ!」
——そうして方針を決め、安全圏である『はじまりの街』に留まることにした二人だったが、事態は彩葉の思惑通りには進まなかった。
それからの数日間、彩葉は宿屋の狭い一室から一歩も外に出ることができなくなってしまったのだ。園内で安全だということは分かっているはずなのに足が竦んで動かなくなってしまうのだ。
そのため食料などの買い出しは基本的にかぐやが担当した。SAOでは食べなくても死ぬことはないが、空腹感は感じてしまう。始まりの街で買える食品は少ないためどうして味気ないがこればかりは我慢するしかなかった。
広場に設置された巨大なシステム・ウィンドウには、毎日毎時間のように「死亡したプレイヤーのリスト」と「現実世界でのニュース」が淡々と流されているという。
街のあちこちから聞こえてくる絶望の叫びや狂乱の声。
宿屋でふさぎ込む彩葉のために、かぐやは毎日街へ出ては、外の様子や明るい話題を聞いては宿屋にいる彩葉に伝えていた。
「彩葉ー! 今日のヤチヨの配信の話、聞いた〜? 『一階の露店で売ってる黒パンは、スープに浸して食べると美味だよ〜。試してみてねー!』って言ってたから今日はスープも買ってきてみたよ!」
ヤチヨ——βテスト時代、システム案内人としてアバター作成時やリスポーン時のアドバイス担当をしていたヤチヨは、デスゲームと化した今、そのノウハウを活かして低層のプレイヤーに向けた攻略情報発信活動を始めていた。
相変わらずの軽妙な語り口に救われているプレイヤーも多かったが、βテストでは運営側だったということもあり、心無い言葉ぶつけるプレイヤーも少なくはなかった。
——そして、デスゲームが始まって一週間が経過した、ある日の夕方。
「…もう、無理だよ……」
買い出しから戻ってきたかぐやが置いた黒パンを前に、彩葉はぽつりと呟いた。
顔色は蒼白で、目元には濃い隈が落ちている。
「彩葉……?」
「一週間よ……? 一週間も経つのに、誰一人救出されてない……! 死亡者はもう五百人を超えてる……! 茅場晶彦も捕まらない!外部からの強制解除なんて、最初から不可能なのよ……っ!」
彩葉の声が、静かな夕方の宿屋の部屋に鋭い響いた。
毎日、宿屋の窓から見える外周の空を見上げては、救助の光を待っていた。だが、聞こえてくるのは絶望の声と増え続ける死亡者の数だけ。
「私……ここでずっと、死を待つの……?」
ぽろぽろと涙をこぼし、頭を抱えて蹲る彩葉。
そんな彩葉の姿を、かぐやは痛む胸をギュッと締め付けられる思いで見つめていた。
ただ、静寂が部屋を支配する中、かぐやは静かに口を開いた。
「……彩葉。かぐやね、外に行ってくる」
「……え?」
「この街の外に出て、モンスターたくさん倒して、ダンジョン攻略してくる。」
彩葉は弾かれたように顔を上げた。
「な、何言ってんのあんた!? 圏外に出て、死んだら本当に死ぬのよ!? 攻略なんて、この1週間で迷宮区にすら行った情報すら流れてないのに!」
「分かってる! 分かってるけど……!」
かぐやは叫び返すと、悔しそうに拳を握りしめた。
「かぐやだけでも行くよ! 待ってるだけじゃダメ! かぐやが強くなって、ボス倒して、この世界をクリアする!」
「なんでよ!? なんであんたがそんな無茶しなきゃいけないのよ! そんなの、他のベータテスターとか英雄志望のバカにでも任せておけばいいじゃない!!」
激昂する彩葉に対し、かぐやはまっすぐな、どこか泣きそうな瞳で彩葉を見つめ返した。
「だって……約束したから」
「……え?」
「『一緒にハッピーエンドに行こう』って……約束したから! それに……それにさ……!」
かぐやは無理に口角を上げて、ヘラヘラとした笑顔を作ってみせた。
「約束破ったら……ほら!彩葉、ず〜とグチグチ言ってきそうだしさっ! かぐや、そんなの聞きたくないしさぁ……! 」
お道化た口調。だが、その声は今にも破裂しそうに震えていた。
彩葉の息が止まる。
(あぁ……そうだったんだ……)
彩葉は悟った。
かぐやはずっと、罪悪感に押し潰されそうになっていたのだ。
自分が強引にSAOへ誘わなければ、彩葉をこんな絶望的な死のゲームに巻き込むことはなかったのだと。
だから、彼女は自分一人でリスクを背負い、罪滅ぼしとして動こうとしている。
「かぐや失敗したっちゃったからさ……だから、かぐやが全部なんとかしなきゃ——」
宿屋のドアに手をかけ、出て行こうとするかぐやの背中。
その小さな肩が必死に恐怖に耐えるように震えているのを見て、彩葉の胸の奥で、カチリと何かが弾けた。
「……待ちなさいよ」
「え……?」
振り返るかぐやに向かって、彩葉はベッドから立ち上がった。
足はまだ少し震えていた。恐怖が消えたわけじゃない。死ぬのは恐ろしい。
だけど——。
「……私も行く」
「ダメだよ彩葉! 彩葉はここに——」
「あんた一人に行かせるわけないでしょバカ!!」
大声でかぐやの言葉を遮った。
「こんなところで救出待ってる間にリアルの時間潰されるなんて真っ平御免よ! 人任せにして、あんたが一人で危険な目に向かうのをただ待ってるなんて……もっと嫌!!」
必死の強がりだった。涙目で顔を真っ赤にしながら、彩葉は腰のレイピアをぎゅっと握りしめた。
「二人でハッピーエンドに行くって言ったんでしょ!? だったら、最初から最後まで一緒に私も連れてきなさいよ!」
目を見開くかぐや。
次の瞬間、その大きな瞳からボロボロと溢れ出た涙を袖でゴシゴシと拭うと、かぐやはいつもの太陽のような"らしい"笑顔を見せた。
「……うん! うんっ!! 行こう、彩葉!!」
自分が死ぬことは怖い。それで行動しなかったことでかぐやが死んでしまうことのほうがよっぽど恐ろしかった。
絶望だけの時間は終わる。次からは絶望しながらも足掻く時間だ。
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