世界は、ひとつではない。
宇宙に無数の星が存在するように、その外側には、いくつもの《世界》が存在している。
そして、その中には。
自然に生まれたのではなく、誰かの手によって創られた世界があった。
世界を創る者。
世界と世界の間を渡る者。
それほどの力を持つ種族を――**天族**という。
◇
天族の住まう地。
その名を、**ノヴァ**。
ノヴァは天族たちの故郷であると同時に、天族によって創造された数多の世界を管理する場所でもあった。
天族は、生まれながらに強大な力を持つ。
世界を渡り。
新たな世界を創る。
だが。
その力を持って生まれたからといって、すぐに一人前の天族として扱われるわけではない。
二十歳。
天族にとって。
それは特別な年齢だった。
二十歳を迎え。
天族としての力を正式に認められた者には、新たな名が与えられる。
――**《神名》**。
神名を得た者は、それまでの名前ではなく、基本的には神名を名乗るようになる。
それは単なる称号ではない。
一人前の天族となった証。
そして。
天族にとって最大の天敵と戦えるようになった証でもあった。
神名を持つ天族は。
**《ワールドイーター》を倒すことができる。**
◇
天族が世界を創る。
そこに大地が生まれる。
海が生まれる。
生命が生まれる。
文明が育ち。
国が生まれ。
長い歴史が始まる。
だが。
天族が世界を創れば。
それを喰らうものも現れる。
――**ワールドイーター**。
国を滅ぼす怪物ではない。
星を壊す兵器でもない。
文字通り。
**世界そのものを喰らう存在。**
天族によって創られた世界を見つけ。
そこへ現れ。
世界ごと捕食する。
そこに何人の生命が存在するのか。
どれほど文明が栄えているのか。
何千年の歴史が積み重なっているのか。
そんなことは関係ない。
ワールドイーターにとって。
世界は。
ただの餌だった。
◇
もちろん。
天族も。
黙って世界を喰わせているわけではない。
神名を持つ者なら。
ワールドイーターと戦える。
倒すこともできる。
だから。
天族にとってワールドイーターは、恐ろしい存在ではあっても。
決して未知の存在ではなかった。
世界を創れば。
いつか、あれが来る。
神名を得た者なら戦える。
それは。
天族なら誰でも知っている常識だった。
ただし。
すべての天族が。
ワールドイーターを倒せるわけではない。
一度手にした神名を奪われた者。
そして。
もう一つ。
**《巫女》として選ばれた者。**
◇
天族の故郷であるノヴァも。
ワールドイーターに狙われる。
そのため。
天族たちは遥か昔から、ノヴァを守るための方法を取っていた。
定期的に。
一人の天族を。
ワールドイーターへ差し出す。
その生贄として選ばれる者を。
――**《巫女》**と呼ぶ。
一人を喰わせることで。
ノヴァを喰わせない。
そこに暮らす天族を守り。
天族が創造した数多の世界を守る。
巫女として選ばれた者は。
二十歳になっても。
神名を得ることができない。
ワールドイーターを倒す力も持てない。
戦うためではなく。
喰われるために。
その命は使われる。
それが。
ノヴァが存続するために選んだ方法だった。
◇
そして。
一人の青年がいた。
**加藤義光。**
彼もまた。
天族だった。
二十歳。
本来なら。
神名を手にする年齢。
しかし。
義光に神名が与えられることはなかった。
なぜなら。
加藤義光は。
**次の《巫女》だったからだ。**
◇
もうすぐ。
自分は死ぬ。
それを。
義光は知っていた。
だからなのか。
最後に何かを残したかったのか。
自分が生きた証を。
どこかに刻みたかったのか。
その理由を。
今となっては。
本人に聞くことはできない。
ただ。
生贄として差し出される直前。
義光は。
無茶をした。
神名すら持たない状態で。
自分に残された天族としての力を使い。
一つの世界を。
無理やり創った。
――**《エマ》**。
◇
大地が生まれた。
空が生まれた。
海が生まれた。
生命が芽吹いた。
世界は。
義光の手を離れた後も。
自ら動き始めた。
しかし。
義光には。
その先を見る時間がなかった。
どんな生命が生まれたのか。
どんな文明が育つのか。
どんな国が生まれるのか。
世界が。
どんな歴史を歩み始めるのか。
義光自身。
そのほとんどを理解できないまま。
死んだ。
後に。
数え切れないほどの天族から愛されることになる世界を遺して。
◇
問題は。
その後だった。
「――消滅させるべきだ」
ノヴァで開かれた会議で。
誰かが。
そう言った。
創造者を失った世界。
それも。
神名すら持たない天族が。
死の直前に無理やり創った世界。
創造者本人ですら。
その世界がどのような状態にあるのか。
ほとんど把握していない。
管理者もいない。
今後。
どのような問題が起きるのかも分からない。
ならば。
今のうちに。
世界そのものを消滅させる。
それが。
一番安全なのではないか。
決して。
理屈の通らない意見ではなかった。
世界を管理する側からすれば。
当然。
検討されるべき選択肢だった。
だが。
「ふざけるな」
低い声が。
会議場へ響いた。
◇
**ゼウス**
加藤義光の父だった。
「今、何て言った?」
「ゼウス。感情的になるな」
「もう一度言ってみろ」
空気が変わった。
ゼウスは。
普段のように笑っていなかった。
「エマを消す?」
「創造者が存在しない以上――」
「だから何だ」
「管理上の危険性を考えれば」
「知るか」
ゼウスは。
はっきりと言った。
「俺様は認めない」
「しかし」
「義光はもういない」
その一言で。
会議場が静まり返った。
「俺様の息子は死んだ」
「…………」
「神名も持てず」
ゼウスは拳を握った。
「巫女に選ばれて」
「…………」
「死ぬ直前に」
少しだけ。
声が震えた。
「あいつが残したものなんだぞ」
誰も。
何も言わなかった。
「エマがどういう世界なのかなんて、俺様にも分からない」
「…………」
「義光自身だって、ほとんど分かってなかったんだろう」
「なら、なおさら――」
「だからって消していい理由になるか!」
怒声が響いた。
「義光はもういない!」
ゼウスが机を叩く。
「だったらせめて!」
そして。
絞り出すように言った。
「……あいつがいた証くらい」
「…………」
「残させろよ」
◇
それでも。
反対する者はいた。
一人の父親の感情だけで。
世界一つを残していいのか。
エマが。
将来的にノヴァや他の世界へ危険を及ぼせばどうする。
議論は続いた。
そして。
「ならば」
それまで。
静かに話を聞いていた者が口を開いた。
**デメテル**
天族を統べる王だった。
「私が管理します」
「デメテル様?」
「エマを存続させます」
「しかし――」
「聞こえませんでしたか?」
デメテルが。
静かに相手を見る。
「消滅させません」
その声音には。
ゼウスとは別の種類の怒りが混じっていた。
「ですが、管理者不在の世界を」
「管理者なら私がやると言っています」
「そこまでして残す理由が」
「あります」
即答だった。
「エマには」
デメテルの目が細くなる。
**「キリナがいる」**
◇
――**キリナ・アイテール**。
デメテルの幼馴染。
彼女もまた。
天族だった。
二十歳を迎えたキリナには。
正式に神名が与えられた。
――**《アイテール》**。
神名を得たキリナは。
一人前の天族として。
世界を創ることができた。
世界を渡ることができた。
そして。
ワールドイーターを倒すこともできた。
だから。
キリナは。
ワールドイーターと戦った。
そして。
敗れた。
◇
命は残った。
だが。
ワールドイーターは。
キリナから。
神名を奪った。
――《アイテール》。
それを失ったことで。
キリナは。
天族として持っていた力を失った。
世界を創る力。
世界を渡る力。
ワールドイーターを倒す力。
そして。
そのまま。
キリナは。
世界《エマ》へ落ちた。
ノヴァへ帰ろうにも。
世界を渡る力は。
もう彼女には残されていなかった。
◇
神名を奪われた以上。
本来なら。
もう《アイテール》を名乗ることもできない。
それでも。
キリナは。
その名を捨てなかった。
神名として名乗れないのなら。
自分の名前へ。
無理やりにでも繋げておけばいい。
だから。
彼女は。
**キリナ・アイテール**と名乗った。
奪われた神名を。
それでも。
自分自身へ紐づけ続けるために。
◇
「エマを消滅させるということは」
デメテルは言った。
「そこにいるキリナごと消滅させるという意味ですよね?」
「それは……」
「私の幼馴染を」
声は。
静かだった。
「助ける方法を探すことすらせず」
「…………」
「世界ごと消す?」
デメテルが。
僅かに笑った。
だが。
目は。
全く笑っていない。
「ありえません」
「デメテル様」
「二度と言わせないでください」
天族の王としてではなく。
一人の友人として。
「**キリナごと消滅させるなんて、私は絶対に認めない。**」
◇
こうして。
世界《エマ》の消滅案は。
ゼウスとデメテルによって退けられた。
ゼウスには。
義光がいた証を残したかった。
デメテルには。
エマに取り残されたキリナを救いたかった。
理由は違う。
それでも。
二人の答えは同じだった。
――エマを消させない。
そして。
残すと決めた以上。
誰かが。
責任を持たなければならない。
◇
「俺様が見る」
ゼウスが言った。
「息子が遺した世界だからな」
「私も管理します」
デメテルも答える。
「キリナを連れ戻すまで」
そして。
デメテルの傍らにいた男が。
静かに口を開いた。
「では、私も」
長い青髪。
――**ミカエル**。
彼は。
デメテルの第一側近だった。
天族の王であるデメテルを支え。
その命を受け。
数多の世界を監視し。
必要に応じて報告する。
それが。
彼の役目だった。
「ミカエル」
「はい」
「エマを見ていて」
「承知いたしました」
ミカエルは。
淡々と頭を下げた。
そして。
「ただし」
デメテルが続ける。
「必要以上に手は出さないこと」
「無論です」
ミカエルは。
当然のように答えた。
「私は傍観者としての役目を果たします」
それは。
本人の趣味で傍観者を名乗ったわけではない。
天族の王の第一側近として。
管理対象となる世界へ過剰な干渉を行わず。
観測し。
異常があれば王へ報告する。
**傍観者であることそのものが、ミカエルの職務だった。**
「エマには、エマに生きる者たちの歴史があります」
ミカエルは言う。
「我々が自らの都合で、その歴史を操作するべきではありません」
「その通りね」
「必要最低限の管理に留めます」
「お願い」
「お任せください」
そのやり取りを聞きながら。
ロキが。
少しだけ笑った。
「何です?」
ミカエルが睨む。
「いや」
「何でしょう」
「覚えとこうと思って」
「何をです」
「お前が『必要最低限しか手を出さない』って言ったこと」
「当然でしょう」
「そうだな」
「…………」
ミカエルには。
ロキが何を面白がっているのか分からなかった。
◇
そして。
**アルテミス**。
**ロキ**。
二人も。
デメテルとミカエルを補助する形で、エマの管理へ加わることになった。
こうして。
創造者を失った世界《エマ》は。
義光の父――**ゼウス**。
天族の王――**デメテル**。
その第一側近――**ミカエル**。
そして。
**アルテミス**
**ロキ**
彼らによって管理されることになった。
◇
最初は。
本当に。
それだけだった。
ゼウスは。
義光が生きた証を残すため。
デメテルは。
キリナを助けるため。
アルテミスとロキは。
世界管理を補助するため。
そして。
ミカエルは。
デメテルの第一側近として。
**傍観者という役目を果たすため。**
誰も。
エマを愛していたわけではない。
まだ。
◇
ある日。
「ミカエル」
「何でしょう」
デメテルが。
報告書を見ながら尋ねた。
「昨日、エマの住民を助けた?」
「…………」
沈黙。
「ミカエル?」
「必要な介入でした」
「貴方」
デメテルが顔を上げる。
「傍観者ですよね?」
「承知しております」
「では何故?」
「目の前で死にかけておりましたので」
「…………」
「放置した場合、周囲への被害拡大も考えられました」
「本当に?」
「もちろんです」
「…………」
デメテルは。
じっと。
ミカエルを見る。
「何でしょう」
「別に」
「疑っておられます?」
「少し」
「心外ですね」
◇
数日後。
「ミカエル」
「何でしょう」
「また助けました?」
「…………」
「今度は何です?」
「必要な介入です」
「その言葉便利ですね」
「事実です」
◇
さらに。
数日後。
「ミカエル」
「今回は本当に必要でした」
「まだ何も聞いてないです」
「…………」
「何したの?」
「…………」
「ミカエル?」
「住民を一名」
「助けたんですね」
「……はい」
◇
ミカエルは。
最初。
本当に。
傍観者でいるつもりだった。
デメテルの第一側近として。
それが職務だった。
誰か一人を好きになってはいけない。
一つの国へ肩入れしてはいけない。
一つの世界だけを。
特別扱いしてはいけない。
分かっていた。
だから。
見るだけにするつもりだった。
なのに。
見てしまった。
◇
誰かが泣いていた。
誰かが笑っていた。
誰かが。
大切な者を守ろうとしていた。
誰かが。
王になった。
誰かが。
恋をした。
誰かが。
子供を産んだ。
そして。
誰かが。
死んだ。
最初は。
名前すら知らなかった。
ただの管理対象。
それだけだった。
いつの間にか。
名前を覚えていた。
家族を覚えていた。
その人が。
昨日何をしていたのかまで。
覚えるようになった。
◇
「ミカエル」
「何でしょう」
「最近エマばかり見てません?」
「管理です」
「本当に?」
「私が第一側近として」
「分かった分かった」
デメテルが。
少し笑う。
「何でしょう」
「別に」
◇
ミカエルだけではなかった。
「ゼウス」
「なんだ」
「何してるんですか?」
「管理」
「三時間くらい同じ家族見てますけど」
「管理だ」
「さっき子供が転んだ時笑ってましたよね」
「笑ってない」
「笑ってました」
「管理だ」
◇
「アルテミス」
「なんでしょう」
「その人誰です?」
「エマの住民です」
「名前覚えたんですか?」
「管理対象ですから」
「家族構成も?」
「管理上必要です」
「誕生日も?」
「…………」
「アルテミス?」
「必要でした」
◇
「ロキ」
「私は何もしてないよ!」
「まだ何も聞いてません」
「…………」
「何をしたんです?」
「何も」
「こちらを見てください」
「嫌だ」
◇
いつからだったのか。
誰にも分からない。
ただ。
世界を管理していた者たちは。
少しずつ。
エマに詳しくなった。
国の名前を覚えた。
種族を覚えた。
そこに暮らす者たちの名前を覚えた。
誰かが生まれれば。
喜んだ。
誰かが王になれば。
見守った。
誰かが恋をすれば。
少し面白がった。
誰かが死ねば。
悲しんだ。
それは。
もう。
ただの管理ではなかった。
◇
そして。
管理者たちは。
ノヴァへ帰るたび。
エマの話をするようになった。
「エマって知ってる?」
「義光が創った世界だろ?」
「そう」
「一度消すとか言って揉めてたところ?」
「そこ」
「どうなったの?」
「残った」
「今は?」
「凄いぞ」
「何が?」
「……説明が難しい」
「なんだそれ」
「一回見てこい」
◇
別の日には。
「エマでまた何かあったらしい」
「また?」
「また」
「管理者は?」
「ミカエルが行った」
「あいつ第一側近だろ?」
「そう」
「傍観者じゃなかった?」
「そう」
「じゃあなんで毎回現地にいるんだ?」
「本人に聞け」
◇
一人が話した。
それを聞いた天族が。
エマを見に行った。
その天族が。
また別の天族へ話した。
そして。
管理者たち自身が。
「エマは凄いぞ」
と。
あちらこちらで話した。
そうして。
少しずつ。
世界《エマ》の名前は。
ノヴァ中へ広がっていった。
◇
かつて。
消滅させるべきだと言われた世界。
神名すら持たない一人の青年が。
死の直前に無理やり創った世界。
創造者本人ですら。
その後どうなったのか知らない世界。
父親が。
息子のいた証として守った。
天族の王が。
幼馴染を救うために残した。
その第一側近が。
傍観者として見守り始めた。
そして。
気が付けば。
その傍観者が。
誰より。
エマを気にするようになっていた。
◇
エマは。
いつしか。
**天族たちから愛される世界になった。**
◇
それは。
きっと。
悪いことではなかった。
ただ。
一つだけ。
大きな問題があった。
エマは。
**あまりにも複雑になりすぎた。**
一人を救う。
その一人が。
本来なら出会わなかった誰かと出会う。
生きるはずのなかった者が生きる。
生まれなかったはずの命が生まれる。
国が変わる。
歴史が変わる。
その歴史を見て。
また誰かが。
手を伸ばす。
ゼウスが。
デメテルが。
ミカエルが。
アルテミスが。
ロキが。
そして。
神名《アイテール》を奪われ。
ノヴァへ帰ることのできなくなったキリナも。
それぞれの理由で。
エマへ関わっていく。
誰も。
エマを壊したかったわけではない。
誰も。
不幸にしたかったわけではない。
むしろ。
逆だった。
**みんな、エマを救いたかった。**
だから。
手を伸ばした。
助けた。
守った。
そして。
間違えた。
その間違いを。
また別の誰かが。
救おうとした。
救われた歴史が。
また別の歴史を生んだ。
その繰り返しで。
世界は。
少しずつ。
誰にも解けないほど。
複雑に絡まり始めていった。
◇
加藤義光が創った世界。
――**《エマ》**。
最初は。
消滅させられるはずだった。
だが。
父親は。
息子が生きた証を消すことを拒んだ。
王は。
そこに取り残された幼馴染を消すことを拒んだ。
第一側近は。
傍観者として世界を見るはずだった。
けれど。
見ているうちに。
好きになった。
救いたくなった。
そして。
その話を聞いた者たちまで。
エマを好きになった。
これは。
世界を創る者たちが。
一つの世界を愛しすぎたことで。
何度も救い。
何度も歪ませ。
それでも。
最後まで見捨てることのできなかった――
**世界《エマ》の、長い長い物語である。**