エマ   作:篠原えれの

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第八話『ライベルト』

 少女が目を開けた時。

 

 最初に見えたのは。

 

 金色だった。

 

「……?」

 

 長い金髪。

 

 赤い瞳。

 

 見慣れない少女が、自分のすぐ近くでしゃがみ込んでいる。

 

「起きた?」

 

「…………」

 

 意味は分かる。

 

 けれど。

 

 口が動かない。

 

「お父さん! 起きた!」

 

「分かった。だから近付きすぎるな」

 

 少し後ろから。

 

 低い男の声がする。

 

 少女は反射的に身体を強張らせた。

 

「大丈夫だって!」

 

「何を根拠に言ってるんだ」

 

「なんとなく!」

 

「一番信用できない根拠だぞ、それは」

 

 金髪の少女――クイントは、後ろにいるギルへ不満そうに頬を膨らませる。

 

「でもさ」

 

「なんだ」

 

「この子、ずっとここにいたんでしょ?」

 

「恐らくな」

 

「じゃあ、この国の人じゃん」

 

「…………」

 

 ギルが黙る。

 

「私、王様になったんだよね?」

 

「あぁ」

 

「だったら助けなきゃ駄目じゃん」

 

「王になって十分も経ってない奴が、随分それらしいこと言うようになったな」

 

「褒めた?」

 

「半分な」

 

「半分かぁ」

 

 クイントは再び少女を見る。

 

「聞こえる?」

 

「…………」

 

 少女は僅かに頷いた。

 

「あ、分かるんだ!」

 

 クイントの表情が明るくなる。

 

「じゃあさ。私、クイント」

 

 自分の胸を指差す。

 

「ク・イ・ン・ト」

 

「…………」

 

「あなたは?」

 

「…………」

 

 少女の唇が動く。

 

「……ら」

 

「え?」

 

「……ぃ……」

 

「ゆっくりでいいよ」

 

「…………ら……い……」

 

 それ以上が出なかった。

 

「ライ?」

 

「…………」

 

 少女は困ったように眉を寄せる。

 

「名前、思い出せない?」

 

「…………」

 

 沈黙。

 

 クイントは少し考える。

 

「じゃあ、無理に言わなくていいよ」

 

「…………」

 

「あとで思い出せばいいし」

 

「お前、意外とそういうところは適当だな」

 

「いいじゃん!」

 

「悪いとは言ってない」

 

 その様子を少し離れたところから。

 

 ミカエルとキリナが見ていた。

 

「どう思います」

 

「少なくとも、通常の感染者ではありませんね」

 

 キリナが少女を観察する。

 

「青の雨による肉体の変質がない」

 

「精神状態も、完全に崩壊しているようには見えない」

 

「ただし、言語能力はかなり低下している」

 

「長期間会話していなかった可能性もありますね」

 

「ええ」

 

 ミカエルが少しだけ目を細める。

 

「太陽属性の反応があります」

 

「……やっぱり」

 

「知っているのですか」

 

「太陽の民でしょう」

 

「私もそう考えています」

 

 キリナが少女を見る。

 

「生き残りがいたんですね」

 

「一人だけ」

 

 ミカエルは静かに答えた。

 

「興味深い」

 

「その言い方」

 

「何です」

 

「さっきも言いましたよね」

 

「では訂正しましょう」

 

 少し考える。

 

「非常に珍しい」

 

「そういう問題じゃないんです」

 

「面倒ですね、君は」

 

「貴方にだけは言われたくありません」

 

 その会話をよそに。

 

 クイントは少女へ手を差し出していた。

 

「立てる?」

 

「…………」

 

 少女は手を見る。

 

 差し出された手。

 

 何のためか。

 

 一瞬。

 

 分からなかった。

 

 死肉を掴む手。

 

 逃げるための手。

 

 自分の身体を守るための手。

 

 それ以外に。

 

 他人の手を取るという行為を。

 

 もう長い間していなかった。

 

「ほら」

 

 クイントが笑う。

 

「一緒に帰ろ」

 

「…………」

 

 帰る。

 

 その言葉も。

 

 少女には不思議だった。

 

 帰る場所なんて。

 

 なかった。

 

「……かえ……」

 

「うん」

 

「…………」

 

「今から作ればいいじゃん」

 

 少女が目を見開く。

 

「私もさっき王様になったばっかりだから、まだ何にもないんだよね」

 

「クイント、それ堂々と言うことか?」

 

「本当じゃん!」

 

「本当だが!」

 

「だからさ」

 

 クイントは少女を見る。

 

「一緒に帰ろ」

 

「…………」

 

「この国、これから作り直すんだって」

 

「…………」

 

「あなたも手伝ってよ」

 

 少女は。

 

 ゆっくりと。

 

 手を伸ばした。

 

 クイントの手に触れる。

 

「…………っ」

 

 温かい。

 

 生きている。

 

 青くない。

 

 腐っていない。

 

 食べるための肉でもない。

 

「…………ぁ」

 

「ん?」

 

「……ぁ……り……」

 

「え?」

 

「……あり……」

 

 その先が。

 

 どうしても出てこない。

 

 けれど。

 

 クイントは笑った。

 

「うん」

 

 意味なんて。

 

 なんとなく分かった。

 

「どういたしまして」

 

「…………」

 

 少女の目から。

 

 涙が落ちた。

 

「えっ!? なんで泣くの!?」

 

「クイント」

 

「だってお父さん!」

 

「泣くことくらいある」

 

「でも私なんかした!?」

 

「してるだろ」

 

 ギルが小さく笑う。

 

「助けたんだ」

 

「…………」

 

 クイントは少女を見る。

 

「……そっか」

 

 今度は少し照れたように笑った。

 

「じゃあ、ちゃんと助ける」

 

 そして。

 

「お父さん。この子、連れて帰っていい?」

 

「まず検査だ」

 

「えー」

 

「当然だ」

 

「じゃあ検査して大丈夫だったら?」

 

「……その時は考える」

 

「それ絶対いいって意味じゃん」

 

「勝手に解釈するな」

 

「やった!」

 

「だからまだ何も言ってない!」

 

 クイントが喜び。

 

 少女は。

 

 そのやり取りをただ見ていた。

 

 意味は。

 

 全部は分からない。

 

 でも。

 

 怖くなかった。

 

 それだけで。

 

 十分だった。

 

 ■

 

 その日の夕方。

 

 エルサイア城跡地。

 

「結果が出ました」

 

 キリナが簡易検査用の魔道具から目を離す。

 

「PNTウイルス感染反応なし」

 

「ほんと!?」

 

 クイントが身を乗り出す。

 

「はい。ただし――」

 

「ただし?」

 

「身体に特殊な自己再生能力があります」

 

「それって?」

 

「恐らく、彼女は太陽の民です」

 

「太陽の民……?」

 

 クイントが首を傾げる。

 

「聞いたことない」

 

「滅んだ種族です」

 

 ミカエルが答えた。

 

「少なくとも、一般的にはそう認識されています」

 

「じゃあ、この子が?」

 

「最後の一人である可能性はあります」

 

「…………」

 

 クイントは少女を見る。

 

 少女は食事として渡されたパンを。

 

 どう扱えばいいのか分からないように見つめていた。

 

「……食べ方分かんないのかな」

 

「まさか」

 

 コウヤが言う。

 

「パンだぞ?」

 

「長い間普通の食事をしていなければ、それもあり得ます」

 

 キリナの声が。

 

 少しだけ低くなる。

 

「何を食べていたのでしょうね」

 

「…………」

 

 ギルは答えなかった。

 

 森で見つかった骨。

 

 少女の身体に残っていた。

 

 微かな血肉の臭い。

 

 そして。

 

 青の雨によって滅びた太陽の民。

 

 答えは。

 

 想像できた。

 

「クイント」

 

「なに?」

 

「この子の前で、食事のことは聞くな」

 

「……分かった」

 

 クイントも。

 

 何となく察したらしい。

 

「ほら」

 

 クイントはパンを半分に割った。

 

「こうやって食べるの」

 

「…………」

 

 一口。

 

 自分が食べる。

 

「大丈夫。毒とかないよ」

 

「毒がある前提で食べ物を渡すな」

 

「お父さんは黙ってて!」

 

 少女は。

 

 クイントの真似をする。

 

 パンを口へ入れた。

 

「…………」

 

 噛む。

 

 柔らかい。

 

 少し甘い。

 

 温かい。

 

「…………っ」

 

 少女の手が震えた。

 

「おいしい?」

 

 クイントが聞く。

 

「…………」

 

 何度も。

 

 頷いた。

 

「よかった!」

 

 少女は。

 

 また一口食べた。

 

 そして。

 

 泣いた。

 

「また泣いた!?」

 

「クイント、もう好きに泣かせてやれ」

 

「えぇ……」

 

「お前はちょっと静かにしてろ」

 

「はーい……」

 

 クイントは。

 

 今度は何も言わず。

 

 ただ隣に座った。

 

 少女が食べ終えるまで。

 

 ずっと。

 

 ■

 

「それで」

 

 コウヤが小声でクイントに聞いた。

 

「こいつ、名前どうすんの?」

 

「名前?」

 

「喋れないじゃん」

 

「うーん……」

 

 クイントが少女を見る。

 

「さっき『ライ』って言ってたよね」

 

「言ってた」

 

「じゃあライ?」

 

「適当すぎるだろ」

 

「でも本人の名前っぽいじゃん!」

 

「本人に聞けよ」

 

「喋れないってば!」

 

「だからって勝手につけるのも……」

 

「別に今だけならいいじゃん」

 

 クイントが少女へ聞く。

 

「ライって呼んでいい?」

 

「…………」

 

 少女は。

 

 少し考えて。

 

 首を横に振った。

 

「あ、違うんだ」

 

「…………」

 

 そして。

 

 必死に口を動かす。

 

「……らい……べ……」

 

「ライベ?」

 

「……る……と……」

 

「…………」

 

 全員が黙った。

 

「ライベルト?」

 

 クイントが聞く。

 

「…………」

 

 少女が。

 

 ゆっくり頷いた。

 

「ライベルト」

 

 クイントは。

 

 もう一度その名を呼ぶ。

 

「いい名前じゃん!」

 

「…………」

 

 ライベルト。

 

 その名前を。

 

 誰かに呼ばれた。

 

 何年ぶりだろう。

 

「ライベルト」

 

 クイントが笑う。

 

「これからよろしくね!」

 

「…………」

 

 ライベルトは。

 

 小さく。

 

 ほんの僅かに。

 

 笑った。

 

 それが。

 

 クイントとライベルトの。

 

 最初の出会いだった。

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