少女が目を開けた時。
最初に見えたのは。
金色だった。
「……?」
長い金髪。
赤い瞳。
見慣れない少女が、自分のすぐ近くでしゃがみ込んでいる。
「起きた?」
「…………」
意味は分かる。
けれど。
口が動かない。
「お父さん! 起きた!」
「分かった。だから近付きすぎるな」
少し後ろから。
低い男の声がする。
少女は反射的に身体を強張らせた。
「大丈夫だって!」
「何を根拠に言ってるんだ」
「なんとなく!」
「一番信用できない根拠だぞ、それは」
金髪の少女――クイントは、後ろにいるギルへ不満そうに頬を膨らませる。
「でもさ」
「なんだ」
「この子、ずっとここにいたんでしょ?」
「恐らくな」
「じゃあ、この国の人じゃん」
「…………」
ギルが黙る。
「私、王様になったんだよね?」
「あぁ」
「だったら助けなきゃ駄目じゃん」
「王になって十分も経ってない奴が、随分それらしいこと言うようになったな」
「褒めた?」
「半分な」
「半分かぁ」
クイントは再び少女を見る。
「聞こえる?」
「…………」
少女は僅かに頷いた。
「あ、分かるんだ!」
クイントの表情が明るくなる。
「じゃあさ。私、クイント」
自分の胸を指差す。
「ク・イ・ン・ト」
「…………」
「あなたは?」
「…………」
少女の唇が動く。
「……ら」
「え?」
「……ぃ……」
「ゆっくりでいいよ」
「…………ら……い……」
それ以上が出なかった。
「ライ?」
「…………」
少女は困ったように眉を寄せる。
「名前、思い出せない?」
「…………」
沈黙。
クイントは少し考える。
「じゃあ、無理に言わなくていいよ」
「…………」
「あとで思い出せばいいし」
「お前、意外とそういうところは適当だな」
「いいじゃん!」
「悪いとは言ってない」
その様子を少し離れたところから。
ミカエルとキリナが見ていた。
「どう思います」
「少なくとも、通常の感染者ではありませんね」
キリナが少女を観察する。
「青の雨による肉体の変質がない」
「精神状態も、完全に崩壊しているようには見えない」
「ただし、言語能力はかなり低下している」
「長期間会話していなかった可能性もありますね」
「ええ」
ミカエルが少しだけ目を細める。
「太陽属性の反応があります」
「……やっぱり」
「知っているのですか」
「太陽の民でしょう」
「私もそう考えています」
キリナが少女を見る。
「生き残りがいたんですね」
「一人だけ」
ミカエルは静かに答えた。
「興味深い」
「その言い方」
「何です」
「さっきも言いましたよね」
「では訂正しましょう」
少し考える。
「非常に珍しい」
「そういう問題じゃないんです」
「面倒ですね、君は」
「貴方にだけは言われたくありません」
その会話をよそに。
クイントは少女へ手を差し出していた。
「立てる?」
「…………」
少女は手を見る。
差し出された手。
何のためか。
一瞬。
分からなかった。
死肉を掴む手。
逃げるための手。
自分の身体を守るための手。
それ以外に。
他人の手を取るという行為を。
もう長い間していなかった。
「ほら」
クイントが笑う。
「一緒に帰ろ」
「…………」
帰る。
その言葉も。
少女には不思議だった。
帰る場所なんて。
なかった。
「……かえ……」
「うん」
「…………」
「今から作ればいいじゃん」
少女が目を見開く。
「私もさっき王様になったばっかりだから、まだ何にもないんだよね」
「クイント、それ堂々と言うことか?」
「本当じゃん!」
「本当だが!」
「だからさ」
クイントは少女を見る。
「一緒に帰ろ」
「…………」
「この国、これから作り直すんだって」
「…………」
「あなたも手伝ってよ」
少女は。
ゆっくりと。
手を伸ばした。
クイントの手に触れる。
「…………っ」
温かい。
生きている。
青くない。
腐っていない。
食べるための肉でもない。
「…………ぁ」
「ん?」
「……ぁ……り……」
「え?」
「……あり……」
その先が。
どうしても出てこない。
けれど。
クイントは笑った。
「うん」
意味なんて。
なんとなく分かった。
「どういたしまして」
「…………」
少女の目から。
涙が落ちた。
「えっ!? なんで泣くの!?」
「クイント」
「だってお父さん!」
「泣くことくらいある」
「でも私なんかした!?」
「してるだろ」
ギルが小さく笑う。
「助けたんだ」
「…………」
クイントは少女を見る。
「……そっか」
今度は少し照れたように笑った。
「じゃあ、ちゃんと助ける」
そして。
「お父さん。この子、連れて帰っていい?」
「まず検査だ」
「えー」
「当然だ」
「じゃあ検査して大丈夫だったら?」
「……その時は考える」
「それ絶対いいって意味じゃん」
「勝手に解釈するな」
「やった!」
「だからまだ何も言ってない!」
クイントが喜び。
少女は。
そのやり取りをただ見ていた。
意味は。
全部は分からない。
でも。
怖くなかった。
それだけで。
十分だった。
■
その日の夕方。
エルサイア城跡地。
「結果が出ました」
キリナが簡易検査用の魔道具から目を離す。
「PNTウイルス感染反応なし」
「ほんと!?」
クイントが身を乗り出す。
「はい。ただし――」
「ただし?」
「身体に特殊な自己再生能力があります」
「それって?」
「恐らく、彼女は太陽の民です」
「太陽の民……?」
クイントが首を傾げる。
「聞いたことない」
「滅んだ種族です」
ミカエルが答えた。
「少なくとも、一般的にはそう認識されています」
「じゃあ、この子が?」
「最後の一人である可能性はあります」
「…………」
クイントは少女を見る。
少女は食事として渡されたパンを。
どう扱えばいいのか分からないように見つめていた。
「……食べ方分かんないのかな」
「まさか」
コウヤが言う。
「パンだぞ?」
「長い間普通の食事をしていなければ、それもあり得ます」
キリナの声が。
少しだけ低くなる。
「何を食べていたのでしょうね」
「…………」
ギルは答えなかった。
森で見つかった骨。
少女の身体に残っていた。
微かな血肉の臭い。
そして。
青の雨によって滅びた太陽の民。
答えは。
想像できた。
「クイント」
「なに?」
「この子の前で、食事のことは聞くな」
「……分かった」
クイントも。
何となく察したらしい。
「ほら」
クイントはパンを半分に割った。
「こうやって食べるの」
「…………」
一口。
自分が食べる。
「大丈夫。毒とかないよ」
「毒がある前提で食べ物を渡すな」
「お父さんは黙ってて!」
少女は。
クイントの真似をする。
パンを口へ入れた。
「…………」
噛む。
柔らかい。
少し甘い。
温かい。
「…………っ」
少女の手が震えた。
「おいしい?」
クイントが聞く。
「…………」
何度も。
頷いた。
「よかった!」
少女は。
また一口食べた。
そして。
泣いた。
「また泣いた!?」
「クイント、もう好きに泣かせてやれ」
「えぇ……」
「お前はちょっと静かにしてろ」
「はーい……」
クイントは。
今度は何も言わず。
ただ隣に座った。
少女が食べ終えるまで。
ずっと。
■
「それで」
コウヤが小声でクイントに聞いた。
「こいつ、名前どうすんの?」
「名前?」
「喋れないじゃん」
「うーん……」
クイントが少女を見る。
「さっき『ライ』って言ってたよね」
「言ってた」
「じゃあライ?」
「適当すぎるだろ」
「でも本人の名前っぽいじゃん!」
「本人に聞けよ」
「喋れないってば!」
「だからって勝手につけるのも……」
「別に今だけならいいじゃん」
クイントが少女へ聞く。
「ライって呼んでいい?」
「…………」
少女は。
少し考えて。
首を横に振った。
「あ、違うんだ」
「…………」
そして。
必死に口を動かす。
「……らい……べ……」
「ライベ?」
「……る……と……」
「…………」
全員が黙った。
「ライベルト?」
クイントが聞く。
「…………」
少女が。
ゆっくり頷いた。
「ライベルト」
クイントは。
もう一度その名を呼ぶ。
「いい名前じゃん!」
「…………」
ライベルト。
その名前を。
誰かに呼ばれた。
何年ぶりだろう。
「ライベルト」
クイントが笑う。
「これからよろしくね!」
「…………」
ライベルトは。
小さく。
ほんの僅かに。
笑った。
それが。
クイントとライベルトの。
最初の出会いだった。