神系宇宙『ラ』所属、惑星ストリジア『エルサイア王国』
SH.2010年4月――エルサイア城
エルサイア王国が復活してから、数日。
城も街も、驚くほどの速度で元の形を取り戻していた。
ソーサリー・アルケミストとその部下達による錬金術。
アルファルドの重力操作。
各地から帰還した技術者達。
それらが組み合わされば、復興そのものに長い時間は必要なかった。
だが。
建物を元通りにすることと。
人を元通りにすることは。
まったく別の話だった。
「ライベルト。朝だよー」
「…………」
「起きてるの知ってるからね」
「…………」
クイントがベッド脇で腕を組む。
布団から僅かに赤い髪――ではなく、乱れた髪だけが覗いている。
「ご飯食べようよ」
「…………」
「今日パンじゃないよ。エマお母さんが作ってくれたやつ」
「…………」
反応なし。
「ライベルトー」
「…………」
「起きないと布団剥ぐよ」
「…………」
クイントが布団へ手を伸ばす。
その瞬間。
「…………っ」
中から手が伸びてきて、布団を強く掴んだ。
「あ、やっぱり起きてる!」
「…………」
「もう!」
クイントは頬を膨らませる。
「別に怒らないってば」
「…………」
「ご飯食べたくない?」
「…………」
布団の中から。
ほんの少しだけ顔が出る。
「食べる?」
「…………」
小さく頷いた。
「じゃあ起きよう」
「…………」
クイントが手を差し出す。
ライベルトは。
その手をじっと見る。
何日経っても。
まだ。
誰かに触れるという行為には慣れない。
「大丈夫」
クイントが笑う。
「昨日もやったでしょ」
「…………」
ゆっくり。
ライベルトが手を伸ばす。
クイントの手を握る。
「よし!」
そのまま引っ張り起こす。
「今日は自分で歩けそう?」
「…………」
ライベルトが床へ足を下ろす。
一歩。
ふらつく。
「おっと!」
クイントが支える。
「まだ無理だった!」
「…………」
「ごめんごめん。ゆっくりでいいよ」
ライベルトは。
恥ずかしそうに俯いた。
「気にしなくていいって」
クイントは笑う。
「私だって昔、歩けなかったらしいし」
「…………?」
「えっとね」
クイントは少し考える。
「私、五年前にお父さんに拾われた時、赤ちゃんみたいだったんだって」
「…………」
「全然喋れないし、一人じゃ何にもできないし」
「…………」
「だから」
クイントはライベルトの腕を自分の肩へ回す。
「今度は私がやる番」
「…………」
「ね?」
ライベルトは。
しばらくクイントを見て。
小さく頷いた。
■
「はい、あーん」
「…………」
食堂。
ライベルトは椅子に座っていた。
目の前には。
温かいスープ。
柔らかいパン。
果物。
だが。
「…………」
「ライベルト」
クイントがスプーンを差し出す。
「冷めちゃうよ」
「…………」
ライベルトはスプーンを見る。
「自分で食べる?」
「…………」
首を横に振る。
「じゃあ、あーん」
「…………」
口を開く。
「よし」
クイントが嬉しそうにスープを運ぶ。
「どう?」
「…………」
ライベルトの表情が。
少しだけ緩む。
「おいしい?」
「…………」
頷く。
「よかった!」
「…………何してんだよ」
後ろから声。
「あ、コウヤ」
「いや、あじゃなくて」
コウヤが食堂へ入ってくる。
「完全に赤ちゃんの世話じゃん」
「しょうがないでしょ。ライベルトまだ上手くできないんだから」
「スプーンくらい持てるだろ」
「持てるけど、途中で食べるのやめちゃうの」
「なんで?」
「分かんない」
クイントがライベルトを見る。
「お腹いっぱいなのかなって思ったけど、あとで夜中にパン探してたりするし」
「…………」
「それ、飯がなくなると思ってるんじゃないの?」
クイントが止まる。
「え?」
「だってさ」
コウヤが椅子へ座る。
「今までずっと一人だったんだろ?」
「……うん」
「次いつ食えるか分かんない生活だったなら、目の前にあっても『今食っていいのか』分かんないんじゃね?」
「…………」
クイントはライベルトを見る。
ライベルトが。
僅かに目を逸らした。
「あ」
当たっていた。
「ライベルト」
クイントがスプーンを置く。
「ご飯、なくならないよ」
「…………」
「今日食べても、夜もある」
「…………」
「明日の朝もある」
「…………」
「明日の昼もあるし、夜もある」
「…………」
「だから」
クイントは笑う。
「隠さなくていいし、残してもいいよ」
「…………」
ライベルトの目が。
少しずつ潤んでいく。
「えっ!? また泣く!?」
「クイント」
コウヤが呆れる。
「泣かせとけよ」
「でも!」
「泣きたい時くらい泣いていいだろ」
「…………」
クイントは少し考えて。
「そっか」
また。
ライベルトの隣へ座る。
「じゃあ泣いていいよ」
「…………」
ライベルトが。
クイントの服の袖を掴む。
「うん」
クイントは。
何も言わず。
そのままにしていた。
■
「――甘やかしすぎですね」
「うわ!」
突然後ろから声がして。
クイントが振り返る。
「ミカエル!」
「何です」
「いつからいたの!?」
「少し前から」
「盗み聞き!」
「聞こえていただけです」
「同じ!」
「違います」
ミカエルは。
ライベルトを見る。
「しかし」
僅かに目を細める。
「回復は順調なようですね」
「うん!」
「言語能力は?」
「まだあんまり」
「文字は書けるのでしょう」
「名前だけは書けたよ」
「なら、言語そのものを失っているわけではない」
ミカエルが少し近付く。
その瞬間。
「…………!」
ライベルトが。
クイントの後ろへ隠れた。
「…………」
ミカエルが止まる。
「嫌われてる」
「コウヤ」
「事実じゃん」
「君も随分口が悪くなりましたね」
「ミカエル相手だけだよ」
「光栄です」
コウヤが露骨に嫌そうな顔をする。
「ライベルト、怖くないよ」
クイントが振り返る。
「この人、喋り方と顔が怖いだけだから」
「クイント」
「なに?」
「私の評価について、後ほど話し合いましょう」
「やだ」
「拒否権はありません」
「王様なんだけど!」
「それが?」
「それが!?」
コウヤが笑う。
「クイント、王様になっても全然威厳ないな」
「コウヤまで!」
「事実でしょう」
「ミカエルは黙って!」
ライベルトは。
クイントの後ろから。
そのやり取りを見ていた。
「…………」
騒がしい。
でも。
怖くない。
その違いが。
少しずつ。
分かるようになってきていた。
■
その日の午後。
「コウヤ」
「なんだよ」
「これを」
ミカエルが。
一枚の術式を渡した。
「何これ」
「昨日、君が使用していた錬金術の改善案です」
「…………」
コウヤが紙を見る。
「昨日?」
「城壁補修の際に使用していたものです」
「まだ覚えてたの?」
「当然でしょう」
「…………暇なの?」
「殺されたいのですか」
「怖っ!」
それでも。
コウヤは術式を見る。
「……ここ」
「はい」
「第五節消してる」
「不要です」
「でも、それだと負荷が」
「第三節と統合すればいい」
「…………」
コウヤが考える。
「あ」
理解した。
「これ、人工精霊の消費めっちゃ減るじゃん」
「今頃気付きましたか」
「だから一言多いって!」
「褒めてほしいのですか?」
「そういうことじゃねぇ!」
ミカエルは。
少しだけ口元を緩める。
「ですが」
「何」
「理解は早い」
「…………」
コウヤが止まる。
「今、褒めた?」
「聞こえませんでしたか」
「もう一回言って」
「嫌です」
「なんでだよ!」
「一度で十分でしょう」
「ケチ!」
「意味が分かりません」
少し離れた場所から。
クイントが。
ライベルトと一緒にその様子を見ていた。
「ほら」
「…………?」
「仲いいでしょ」
「…………」
ライベルトが。
ほんの少し。
頷いた。
「だよね!」
「誰が仲良いんだよ!!」
「誰がですか!」
向こうから同時に怒鳴られた。
「ほら!」
クイントが笑った。
ライベルトも。
「…………」
僅かに。
笑った。
■
数日後。
ミカエルは。
一度。
ノヴァへ帰還した。
理由は単純だった。
帰れと言われたからである。
■
天族の住まう地『ノヴァ』
「ミカエル」
「…………」
帰還して早々。
デメテルが待っていた。
しかも。
機嫌が悪い。
「何でしょう」
「何でしょう、ではありません」
「では具体的に」
「貴方ねぇ……!」
デメテルが額を押さえる。
「何日エマにいるつもりなの」
「数日ですが」
「そういう意味じゃない!」
「ではどういう意味でしょう」
「貴方は本来、傍観者でしょう!?」
ミカエルが黙る。
「エマへ必要以上に干渉しない。それが貴方の役割だったはずよ」
「承知しています」
「承知している人が、どうしてエルサイア王国の再建にまで首を突っ込んでるの!」
「私が再建したわけではありません」
「屁理屈!」
「事実です」
「ミカエル!」
「聞こえています」
デメテルが深く息を吐く。
「アルテミスのこともある」
「…………」
「今、天族が無闇にエマへ干渉するのは危険なの」
「承知しています」
「ワールドイーターに見つかれば――」
「だからこそ」
ミカエルが遮る。
「アルテミスがいない今、完全に放置するわけにもいかない」
「それとこれとは別です」
「そうでしょうか」
「そうです」
デメテルは。
ミカエルをじっと見る。
「それに」
「何です」
「最近の貴方」
少し間を置く。
「楽しんでない?」
「…………」
「エマにいること」
「何を馬鹿な」
「そう?」
デメテルは。
少し疑うように見る。
「クイントという子」
「…………」
「それから」
「…………」
「コウヤ」
ミカエルの眉が。
僅かに動いた。
「あら」
「何です」
「今、反応した」
「していません」
「した」
「気のせいです」
「へぇ」
デメテルが少し笑う。
「子供相手に随分楽しそうじゃない」
「錬金術の構築が粗雑なので指摘しているだけです」
「そこまで細かく見てるの?」
「目につくだけです」
「ふーん」
「何です、その顔は」
「別に」
デメテルは。
少しだけ。
昔のミカエルを見るような目をした。
「まあ」
表情が戻る。
「遊びに行くなとは言わない」
「遊んでいません」
「でも」
今度は。
真剣だった。
「深入りしすぎないで」
「…………」
「エマは、義光の世界だから」
「承知しています」
「私達が好きだからって」
デメテルは。
静かに言う。
「私達の世界にしてはいけない」
「…………」
ミカエルは。
しばらく答えなかった。
「……分かっていますよ」
それだけ言って。
背を向ける。
「どこへ?」
「戻ります」
「今!?」
「はい」
「話聞いてた!?」
「聞いていました」
「なら少しはノヴァにいなさい!」
「嫌です」
「ミカエル!!」
デメテルの声が。
ノヴァに響いた。
■
翌日。
「――ここです」
エルサイア城。
コウヤが。
昨日の術式を展開していた。
「第三節と第五節を統合して……」
「…………」
その後ろから。
「遅いですね」
「うわぁ!?」
コウヤが飛び上がった。
「ミカエル!?」
「何です」
「いつ戻ったんだよ!」
「今ですが」
「ノヴァ行ったんじゃなかったの!?」
「帰ってきました」
「早すぎるだろ!」
「何か問題でも?」
「いや……」
コウヤが。
なんとも言えない顔をする。
「またデメテルに怒られた?」
「…………」
「図星?」
「コウヤ」
「はい」
「そこへ直りなさい」
「なんでだよ!!」
少し離れた場所では。
クイントが。
ライベルトの髪を櫛で梳かしていた。
「ほら、ライベルト」
「…………」
「また始まったよ」
「…………」
「ミカエルとコウヤ」
ライベルトが二人を見る。
そして。
少しだけ。
笑った。
「でしょ?」
クイントも笑う。
「面白いよね」
「…………」
ライベルトは。
今度は。
はっきりと。
頷いた。
まだ。
言葉は戻っていない。
それでも。
この場所で。
笑うことだけは。
少しずつ。
思い出し始めていた。