惑星ストリジア『エルサイア王国』
SH.2010年4月――
「――陛下。こちらに署名を」
「はい」
「次はこちらです」
「はい」
「こちらにも」
「はい」
「それから、日本支部設立に伴う予算案です」
「…………」
「陛下?」
「…………ギル」
「なんだ」
「王様って、もっとこう……格好いい仕事だと思ってた」
「例えば?」
「剣持って、みんなの前で『私についてこーい!』とか」
「それは戦争だ」
「じゃあ、困ってる人を助けたり!」
「今やってるだろ」
「どこが!?」
クイントは机いっぱいに積まれた書類を指差した。
「ずっと名前書いてるだけじゃん!」
「その名前がなければ国の金を動かせない」
「…………」
「この書類に署名しなければ、帰還者向けの住宅支援も始められない」
「…………」
「こっちはエーディンの病院へ追加予算を回すための承認書」
「…………」
「それから日本支部設立のための――」
「分かった! 書く! 書きます!」
クイントは再びペンを握った。
「王様って大変……」
「今頃気付いたか」
「即位する前に教えてよ!」
「説明する暇があったと思うか?」
「なかった!」
「だろうな」
クイントが渋々書類へ署名していく。
十歳。
当然ながら政治や経済に詳しいわけではない。
そのため実際の国政についてはギルを始めとする大人達が補佐し、クイント本人に判断できないものについては一つずつ説明している。
それでも。
最後に決めるのは王だった。
「次」
「まだあるの!?」
「ある」
「どれくらい?」
「今日中に処理してほしいものだけなら――」
「だけなら?」
「あと二十三件」
「やだぁぁぁぁぁ!!」
復活したエルサイア王国は。
本日も平和だった。
■
「ライベルトー!」
「…………」
昼。
ようやく仕事から解放されたクイントは、ライベルトの部屋へ飛び込んだ。
「終わったー!」
「…………」
ライベルトがクイントを見る。
そして。
ぽんぽん。
隣の椅子を叩いた。
「座っていいの?」
「…………」
頷く。
「やった!」
クイントが隣へ座り、そのまま机へ突っ伏した。
「疲れたー!」
「…………」
「王様って大変だよ。ずっと字書くんだよ」
「…………」
「あとね、お金の話ばっかり」
「…………」
「ミリィがいるからエルサイア金貨は作れるけど、いっぱい作っちゃダメなんだって」
「…………」
「いっぱい作ったらみんなお金持ちになるのにね」
「…………」
ライベルトが首を横に振った。
「え?」
「…………」
もう一度。
横に振る。
「ライベルトもダメだと思う?」
「…………」
頷く。
「なんでみんな知ってるの!?」
クイントが頭を抱えた。
「私だけ!?」
「…………」
ライベルトが。
少しだけ笑った。
「あ!」
クイントが勢いよく起き上がる。
「今笑った!」
「…………」
「もう一回!」
「…………」
真顔に戻った。
「なんで!?」
「…………」
「ライベルトー!」
クイントが頬を膨らませる。
すると。
ライベルトが手を伸ばした。
「ん?」
クイントの頭へ触れる。
ぽん。
ぽん。
「…………慰めてくれてる?」
「…………」
頷く。
「えへへ」
今度はクイントが笑った。
「ありがとう」
■
「ティー坊」
「なんだ?」
「これ、どう思う?」
「分からん」
「ちょっとは考えろよ!」
同じ頃。
別室では広重とティオが、日本支部設立の準備に追われていた。
「俺は騎士になったんだぞ」
「俺もだ」
「そうだな」
「ああ」
「じゃあなんで俺達が今、これをやってる?」
「日本支部だからだろう」
「そうなんだけどよ!」
広重が机を叩く。
目の前にあるのは。
日本支部予定地の資料。
人員配置。
予算。
旧エルサイア国民の帰還希望者一覧。
日本側との連絡事項。
そして。
「これ見ろよ」
「為替?」
「そうだよ!」
広重が書類を持ち上げる。
「俺はいつから金融関係者になったんだ!」
「騎士になってから?」
「騎士ってなんだっけ!?」
「国に仕える者」
「間違ってないのが腹立つ!」
ティオは淡々と次の資料を見る。
「広重」
「今度はなんだ」
「日本支部の食堂について書いてある」
「そこ重要か?」
「重要だろう」
「…………」
「日本食は置くのか?」
「置くだろ」
「エルサイア料理は?」
「置けばいいんじゃね?」
「両方か」
「…………」
ティオが真剣に資料へ書き込む。
「ティー坊」
「なんだ?」
「お前、今日一番真剣じゃない?」
「気のせいだ」
「絶対そうだろ!」
■
「違います」
「どこが!?」
「全てです」
「全否定すんなよ!」
城の中庭。
コウヤの声が響いていた。
地面には複雑な錬成陣。
その横にミカエル。
「昨日教えただろ!」
「教えましたね」
「その通りやった!」
「できていません」
「なんで!?」
「術式を簡略化することに意識を向けすぎています」
「だってミカエルが無駄を減らせって!」
「無駄を減らすことと、必要な工程まで消すことは違うでしょう」
「…………」
「…………」
「難しい!」
「でしょうね」
「腹立つ!」
コウヤが地面へ座り込む。
「もう一回!」
「休憩したらどうです」
「嫌だ」
「人工精霊の消費量が増えていますよ」
「まだいける!」
「いけません」
「いける!」
「子供というものは、どうしてこう自分の限界を過大評価するのでしょうね」
「子供扱いすんな!」
「十歳でしょう」
「クイントと同じこと言うな!」
「事実です」
ミカエルが術式を解除した。
「あっ!」
「今日はここまでです」
「勝手に消すなよ!」
「続けても精度が落ちるだけです」
「まだできる!」
「では質問します」
「なんだよ」
「先ほどの術式。第七節に何を組み込みました?」
「…………」
「…………」
「…………なんだっけ」
「休みなさい」
「…………はい」
コウヤが大人しくなった。
「素直ですね」
「うるさい」
ミカエルは僅かに笑った。
■
「ミカエル」
「何です」
「腹減った」
「私に言われても困ります」
「なんか持ってない?」
「何故私が君の食料を持ち歩いていると思うのです」
「だって大人じゃん」
「どういう理屈ですか」
「広重兄ちゃんとか持ってるぞ」
「あれと一緒にしないでください」
「広重兄ちゃんに失礼だろ」
「そうですか?」
「…………たぶん」
コウヤが腹を押さえる。
「腹減ったー」
「…………」
ミカエルが小さく溜息を吐く。
そして。
何もない空間へ手を伸ばした。
「ほら」
「え」
コウヤの手に、小さな包みが落ちる。
「何これ」
「食べ物です」
「持ってんじゃん!」
「私のものです」
「くれるの?」
「既に渡したでしょう」
「…………」
コウヤが包みを開ける。
「なんだこれ」
「ノヴァの菓子です」
「食える?」
「毒を渡す理由がありますか」
「ミカエルならやりそう」
「返しなさい」
「嘘嘘嘘!」
慌てて一口。
「…………」
コウヤの目が見開かれる。
「うまっ」
「そうですか」
「なにこれ!」
「説明しても君には分かりません」
「また子供扱い!」
「では説明しましょうか?」
「して!」
「材料は――」
「やっぱいい!」
「そうでしょうね」
コウヤは嬉しそうに菓子を食べる。
「…………」
ミカエルはそれを横目で見る。
「ミカエル」
「何です」
「また持ってきて」
「嫌です」
「なんで!」
「私は君の菓子係ではありません」
「ケチ!」
「自分で買いなさい」
「ノヴァ行けないもん!」
「なら諦めなさい」
「ミカエルー!」
「うるさいですね」
そう言いながら。
ミカエルは、次にノヴァへ戻った時に同じ菓子をもう少し持ってくることになる。
この時点では。
本人もまだ。
そこまで大事になるとは思っていなかった。
■
夕方。
「お散歩行こう!」
「…………」
クイントはライベルトの手を握って、城下町へ出ていた。
まだ一人で遠くへ行くことを嫌がるライベルトも、クイントと一緒なら外へ出るようになっていた。
「見て!」
クイントが店を指差す。
「新しいお店!」
「…………」
「何屋さんだろ」
覗く。
「パンだ!」
「…………」
ライベルトの反応が変わる。
「食べたい?」
「…………」
少し迷って。
頷いた。
「買お!」
二人で店へ入る。
「いらっしゃいませ――って、陛下!?」
「こんにちは!」
「こ、これは……!」
「普通でいいよ!」
「いやしかし!」
「パン二つください!」
「は、はい!」
店主が慌ててパンを用意する。
「お代は――」
「払うよ?」
「い、いえ! 陛下からお代など!」
「ダメ」
クイントが金貨を出した。
「お店なんだから、お金払わないとダメでしょ?」
「しかし……」
「今日ギルに教えてもらった!」
クイントは胸を張った。
「王様がいっぱい買い物して、お金払わなかったらお店潰れる!」
「…………概ね間違っておりません」
「でしょ!」
「では……ありがたく」
店主が金貨を受け取る。
「はい、ライベルト」
「…………」
パンを渡す。
ライベルトは。
パンと。
店主と。
クイントを順番に見る。
「大丈夫だよ」
「…………」
「明日も買えるから」
その言葉で。
ライベルトは安心したように。
一口。
パンを食べた。
■
帰り道。
「おーい!」
「あ!」
向こうから広重とティオが歩いてくる。
「広重! ティー君!」
「クイント。買い物か?」
「うん!」
「そっちは?」
「日本支部の仕事」
「どうだった?」
「騎士になったはずなのに為替の勉強してた」
「為替?」
「知らなくていい」
「広重」
「ティー坊?」
「王なら知っておいた方がいい」
「お前どっちの味方だよ!」
「エルサイア?」
「そうだった!」
その後ろから。
「騒々しいですね」
「ミカエル!」
ミカエルとコウヤもやってきた。
「あれ?」
クイントがコウヤを見る。
「コウヤなんか食べてる!」
「いいだろ」
「なにそれ!」
「ノヴァのお菓子」
「えっ!」
クイントの目が輝く。
「ミカエルにもらった!」
「コウヤ」
「なんだよ」
「余計なことを」
「私もほしい!」
「ありません」
「コウヤにはあげたのに!」
「これは俺の!」
「ずるい!」
「早い者勝ち!」
「一個ちょうだい!」
「嫌だ!」
「コウヤー!」
「やーだよ!」
クイントが追いかける。
コウヤが逃げる。
「走りながら食べるな!」
「広重兄ちゃんうるさい!」
「喉に詰まらせるぞ!」
「コウヤ! 一個!」
「絶対やだ!」
「半分!」
「減ってるじゃん!」
「…………」
ライベルトは、その様子を見ていた。
ミカエル。
広重。
ティオ。
走り回るクイントとコウヤ。
夕方の街。
帰ってきた人々。
開き始めた店。
食事の匂い。
笑い声。
「…………」
五年前。
ここには。
何もなかった。
青しかなかった。
食べるものも。
話す相手も。
明日が来る保証さえ。
何も。
なかった。
「…………?」
ライベルトの手を。
誰かが握った。
見る。
いつの間に戻ってきたのか。
クイントだった。
「ライベルトも帰ろ!」
「…………」
帰る。
その言葉を。
ライベルトはまだ。
上手く理解できなかった。
けれど。
握られた手を。
握り返す。
「…………」
小さく。
頷いた。
「よし!」
クイントが笑う。
「今日の夜ご飯なんだろ!」
「…………」
二人も歩き出す。
その少し前では。
「だから一個くらいあげればいいでしょう」
「ミカエルが俺にくれたんだろ!」
「私が追加で用意すれば済む話です」
「えっ」
「えっ!?」
クイントが振り返る。
「あるの!?」
「…………」
ミカエルが黙る。
「ミカエル!」
「ありません」
「今、用意するって言った!」
「言っていません」
「言ったよ!」
「ミカエル、諦めろ。俺も聞いた」
「広重。黙りなさい」
「なんで俺が怒られるんだよ!」
「私も聞いた」
「ティー坊まで!?」
「ティオ、余計なことを言わないでください」
「なんでだ?」
「…………」
ミカエルが心底面倒そうに溜息を吐いた。
「分かりました。次にノヴァへ戻った際に用意します」
「やったー!」
「俺の分も!」
「君は既に食べたでしょう」
「なんでだよ!」
「当然です」
「クイントだけずるい!」
「やったー!」
「クイント!」
「コウヤは今日食べたじゃん!」
「明日も食いたい!」
「知りません」
「ミカエルー!」
その声を聞きながら。
ライベルトは。
「…………ふ」
ほんの僅かに。
声を漏らして笑った。
まだ。
言葉にはならなかった。
それでも。
五年間、死んでいた国に。
少しずつ。
日常が戻り始めていた。
■
天族の住まう地『ノヴァ』
同日――
「――ミカエル」
「何でしょう」
「そこに座りなさい」
「嫌です」
「座りなさい」
「…………」
エルサイア王国を離れ。
ノヴァへ帰還した直後。
ミカエルを待っていたのは。
デメテルだった。
ミカエルは少し考えた。
そして。
何事もなかったように踵を返した。
「待ちなさい!」
「何です」
「何ですじゃないわよ! どうして帰ろうとするの!」
「用事が済んだので」
「まだ何も始まっていません!」
デメテルの声が響く。
その少し離れた場所では。
「ぶっ……」
ゼウスが笑いを堪えていた。
「…………」
ミカエルが冷たい視線を向ける。
「何がおかしいのです」
「いや、悪い悪い」
まったく悪いと思っていない顔で、ゼウスが笑う。
「まさか俺様が生きてるうちに、デメテルから説教されるミカエルを見られるとは思わなくてな」
「貴方も頻繁に説教されているでしょう」
「俺様は慣れてる」
「威張ることではありません」
「お前は慣れてないもんな!」
「ゼウス」
「はっはっはっは!」
「ゼウス!!」
「おっと」
デメテルに睨まれて、ゼウスは少しだけ離れた。
「それで、ミカエル」
デメテルが腕を組む。
「最近、随分とエマへ行っているようですね」
「必要があるからです」
「本当に?」
「ええ」
「エルサイア王国の件は分かります」
「なら問題ないでしょう」
「クイントの様子を見ているのも、今はいいでしょう」
「では何が問題なのです」
「コウヤに錬金術を教えているそうですね」
「教えているわけではありません」
「では?」
「術式があまりに粗雑なので、見ていられず助言しているだけです」
「それを教えていると言うのよ!」
「そうですか」
「そうです!」
「ぶはっ」
ゼウスがまた笑った。
「ミカエルが子供に錬金術教えてんのか?」
「教えていません」
「懐かれてんじゃねぇか?」
「違います」
「絶対懐かれてるだろ」
「違うと言っています」
「で?」
ゼウスが面白そうに身を乗り出す。
「他には?」
「ゼウス」
「俺様は聞いてるだけだ」
「余計な口を挟まないでください」
デメテルが溜息を吐く。
「まだあります」
「…………」
「貴方」
「何でしょう」
「エマの子供に、ノヴァのお菓子を渡したそうですね」
「…………」
沈黙。
「…………」
ゼウスがミカエルを見る。
「…………」
そして。
「ぶっ」
吹き出した。
「お前、お菓子まであげてんの!?」
「菓子を渡しただけですが」
「そこじゃねぇよ!」
「では、どこです」
「俺様に聞くな! 余計面白くなる!」
ゼウスが腹を抱える。
「ミカエルがお菓子! 子供に!」
「ゼウス。殺しますよ」
「子供に菓子配ってる奴が言っても怖くねぇ!」
「殺します」
「ほら怖ぇ!」
デメテルが額を押さえる。
「どうしてそんなことになったの」
「コウヤが空腹だと言うので渡しました」
「それだけ?」
「それだけです」
「なら何故、クイントの分まで用意すると約束したの?」
「…………」
「約束したの?」
「…………」
「ミカエル?」
「成り行きです」
「成り行きでノヴァのお菓子をエマに持ち込まないで!」
「待て待て待て」
ゼウスが手を上げる。
「俺様にも聞かせろ」
「嫌です」
「なんでコウヤからクイントまで増えてんだよ」
「その場にいたからです」
「それで?」
「何がです」
「次はいつエマ行くんだ?」
「必要があれば」
「菓子持って?」
「…………」
「持ってくんだろ?」
「…………」
デメテルが目を細める。
「ミカエル」
「……何でしょう」
「本当に持っていくつもりなの?」
「約束しましたから」
「律儀!!」
ゼウスがまた笑い出した。
「お前そこは守るのかよ!」
「約束を反故にする理由がありません」
「子供との菓子の約束だぞ!?」
「約束に大小などありません」
「格好いいこと言ってるけどお菓子だからな!?」
「黙りなさい」
デメテルは深い溜息を吐いた。
「……分かりました」
「何がです」
「持っていくなとは言いません」
「そうですか」
「ただし、ノヴァの物を勝手にエマへ持ち込まないこと。危険性がないことを確認すること。それから、必要以上に向こうへ干渉しないこと」
「承知しました」
「あと」
「まだあるのですか」
「お菓子を口実にエマへ行かない」
「そんなことはしません」
「本当に?」
「当然でしょう」
即答だった。
「ならいいです」
「では、私はこれで」
「はいはい。行きなさい」
「失礼します」
ミカエルは踵を返した。
その背中を見ながら、ゼウスがニヤニヤしている。
「なんです」
「いや?」
「言いたいことがあるなら言いなさい」
「お前、絶対今から買いに行くだろ」
「…………」
「図星か?」
「黙りなさい」
ミカエルはそのまま姿を消した。
■
数時間後。
ノヴァの市街地。
大天使ミカエルは、そこにはいなかった。
少なくとも。
周囲の者達には、そう見えていた。
「…………」
一人の青年が菓子店の前に立っている。
どこにでもいるような容姿。
髪の色も。
瞳の色も。
背格好さえ。
本来のミカエルとはまるで違う。
変身魔法。
姿形だけではない。
魔力の波長まで巧妙に偽装しているため、少々感知能力に優れている程度では、その正体を見抜くことはできない。
「…………」
青年――ミカエルは周囲を確認する。
問題ない。
知り合いはいない。
そもそも。
菓子を購入するだけで、何故ここまでしなければならないのか。
ミカエル自身、少々馬鹿馬鹿しくなってきていた。
しかし。
先程デメテルにあれだけ言われた直後。
堂々と自分の姿で菓子店へ入るのも。
何か。
非常に。
癪だった。
「…………」
ミカエルは店へ入った。
「いらっしゃいませ」
「こちらを」
「はい。おいくつご用意しましょう?」
「…………」
コウヤ。
クイント。
二人には約束してしまった。
なら二つでいい。
そのはずだった。
「…………」
だが。
ふと。
クイントの傍にいたライベルトを思い出した。
自分が近付けば警戒する。
言葉もほとんど発さない。
それでも。
クイントからパンを渡された時は、随分と嬉しそうに食べていた。
「…………」
別に。
彼女にまで渡す必要はない。
「…………」
ないのだが。
「三つ」
「三つですね」
「ええ」
「贈り物ですか?」
「…………」
ミカエルの眉が僅かに動く。
「そのようなものです」
「でしたら、こちらの包みはいかがでしょう。お子様への贈り物でしたら――」
「何故子供だと」
「え?」
「…………」
ミカエルは黙った。
「失礼。何でもありません」
「は、はい……」
余計なことを言った。
早く買って帰ろう。
そう思った時だった。
「――ぶっ」
「…………」
後ろから。
聞き覚えのある声がした。
「くっ……」
「…………」
「くくく……」
「…………」
笑っている。
明らかに。
自分を見て。
「…………ゼウス」
「ぶははははは!!」
店内にゼウスの笑い声が響いた。
「やっぱりお前じゃねぇか!!」
「…………」
ミカエルがゆっくり振り返る。
変身魔法はまだ解除していない。
「人違いでは?」
「その喋り方で誤魔化せると思ってんのか!」
「私は貴方など知りません」
「俺様を見て最初にゼウスって言っただろ!」
「…………」
「もう諦めろ!」
ミカエルは無言で会計を済ませた。
「ありがとうございました」
そして店を出る。
「待てよ!」
当然のようにゼウスもついてくる。
「何故ついてくるのです」
「いやぁ?」
ゼウスはニヤニヤしている。
「誰かなぁと思ってな」
「貴方には関係ありません」
「変身魔法まで使って菓子買ってる奴なんて、ノヴァ広しと言えどなかなかいねぇぞ」
「余計な騒ぎを避けているだけです」
「大天使ミカエル様が!」
「黙りなさい」
「子供に渡すお菓子を!」
「黙れと言っています」
「わざわざ変装して買いに来て――」
「ゼウス」
「なんだ?」
「殺しますよ」
「その格好で言われても怖くねぇな!」
「…………」
ミカエルの姿が一瞬揺らぐ。
変身魔法が解除される。
「お」
本来の姿へ戻ったミカエルが、ゼウスを見る。
「もう一度言いましょう」
笑っている。
だが。
目が笑っていない。
「殺しますよ」
「怖ぇ怖ぇ!」
ゼウスが笑いながら一歩下がる。
「で、三つ?」
「…………」
「三人分?」
「…………」
「コウヤ」
「…………」
「クイント」
「…………」
「あと誰だ?」
「貴方には関係ありません」
「増えてんじゃねぇか!」
「うるさいですね」
「しかもお前、バレないように変身して買いに来たのかよ!」
「余計な騒ぎを避けるためだと言ったでしょう」
「嘘つけ!」
「何がです」
「デメテルに見つかりたくなかっただけだろ!」
「…………」
「図星じゃねぇか!!」
ゼウスが腹を抱える。
「はっはっはっは! お前、さっきあれだけ怒られて――」
「ゼウス」
「なんだよ」
「一つ忠告しておきます」
「おう」
「デメテルへ話せば殺します」
「…………」
「理解しましたか?」
「分かった」
「よろしい」
ミカエルが歩き出す。
ゼウスはその背中を見送った。
「…………」
そして。
にやり。
「デメテルー!!」
「ゼウス!!」
ミカエルが即座に振り返った。
「はっはっはっは!!」
「貴様!!」
「変装までして買いに来てるぞー!!」
「待ちなさい!!」
■
「――ミカエル」
「…………」
数十分後。
ミカエルは。
先程とまったく同じ場所に座っていた。
「私の目を見なさい」
「必要ありません」
「見なさい」
「…………」
ミカエルが渋々顔を上げる。
「何故、変身魔法まで使ったのです」
「騒ぎを避けるためです」
「本当に?」
「当然でしょう」
「私に見つからないためではなく?」
「…………」
「ミカエル?」
「結果として、それも含まれていた可能性は否定しません」
「やっぱり隠してたんじゃない!!」
「ぶはははは!!」
少し離れた場所でゼウスが笑っている。
「変身魔法まで使って! 菓子三つ!」
「ゼウス」
「なんだ?」
「貴方もそこに座りなさい」
「なんで俺様まで!?」
「告げ口したからです!」
「俺様は事実を報告しただけだろ!」
「座れ!」
「はい」
ゼウスがミカエルの隣へ座る。
「…………」
「…………」
ミカエルが横を見る。
「満足ですか」
「俺様は満足だ」
「そうですか」
「お前、今度買いに行く時も変装する?」
「黙りなさい」
「するんだな?」
「黙れ」
「次は俺様も――」
「殺しますよ」
「デメテルー、ミカエルが怖い」
「二人とも黙りなさい!!」
結局。
大天使ミカエルとゼウスは。
仲良く並んでデメテルに説教された。
■
惑星ストリジア『エルサイア王国』
翌日――
「コウヤ」
「ん?」
ミカエルが小さな包みを差し出した。
「ほら」
「…………」
コウヤが目を輝かせる。
「これ!」
「昨日の菓子です」
「マジで持ってきてくれたの!?」
「約束しましたから」
「やった!」
コウヤが包みを受け取る。
「ありがとう、ミカエル!」
「大袈裟ですね。ただの菓子でしょう」
「だってこれノヴァにしかないんだろ?」
「そうですね」
「じゃあ俺、自分じゃ買いに行けないじゃん」
「…………」
「だから嬉しい!」
「……そうですか」
「ミカエルー!」
その声を聞きつけたクイントが走ってくる。
「私のは!?」
「あります」
「やったー!」
もう一つ。
クイントへ渡す。
「ありがとう!」
「どういたしまして」
そして。
「…………」
ミカエルの手元には。
あと一つ。
「?」
クイントが気付く。
「それ誰の?」
「…………」
ミカエルの視線が動く。
少し離れたところ。
ライベルトがいた。
「…………」
ミカエルが近付く。
「…………!」
案の定。
ライベルトが一歩下がった。
「逃げなくても何もしませんよ」
「…………」
「ライベルト、ミカエル怖くないよ!」
クイントが言う。
「顔と喋り方が怖いだけ!」
「クイント」
「なに?」
「後で話があります」
「なんで!?」
ミカエルは溜息を吐き。
ライベルトへ包みを差し出した。
「どうぞ」
「…………」
ライベルトは包みを見る。
次に。
ミカエルを見る。
「…………」
しかし。
手を伸ばさない。
「……仕方ありませんね」
ミカエルはクイントへ包みを渡した。
「貴女から渡しなさい」
「いいの?」
「そのために持ってきたのです」
「ライベルトの分だったんだ!」
「声が大きい」
「ごめん!」
クイントがライベルトのところへ行く。
「ライベルト、はい!」
「…………」
クイントから差し出されると。
ライベルトは素直に受け取った。
「食べてみて!」
「…………」
包みを開く。
一口。
「…………!」
ライベルトの目が僅かに見開かれる。
「おいしい?」
「…………」
頷く。
「よかったね!」
クイントが笑う。
「ミカエルが買ってきてくれたんだよ!」
「…………」
ライベルトがミカエルを見る。
まだ警戒はしている。
けれど。
先程より少しだけ。
その表情は柔らかかった。
「…………」
そして。
ほんの少しだけ。
頭を下げた。
「…………」
ミカエルが一瞬黙る。
「礼には及びません」
それだけ言った。
「ミカエル」
「何です、コウヤ」
「また持ってきて」
「嫌です」
「なんで!?」
「私は君達の菓子係ではありません」
「でも今回持ってきてくれたじゃん!」
「約束したからです」
「じゃあ約束しよう!」
「しません」
「次も!」
「しません」
「ミカエルー!」
「うるさいですね」
クイントも横から割り込む。
「私もまた食べたい!」
「貴女まで何を言っているのです」
「ライベルトも食べたいよね?」
「…………」
ライベルトが。
少し迷って。
小さく頷いた。
「ほら!」
「三対一!」
「多数決!」
「何故、菓子の購入を多数決で決められなければならないのですか!」
騒ぐ三人。
その中心で。
ミカエルは心底面倒そうに溜息を吐いた。
「……分かりましたよ」
「やったー!」
「ただし、次にノヴァへ戻った時です」
「うん!」
「約束な!」
「…………」
ミカエルが止まる。
「約束!」
コウヤが念を押す。
「…………ええ」
答えてしまった。
その瞬間。
ミカエルは理解した。
また買いに行かなければならない。
そして。
ノヴァへ戻れば。
恐らく。
ゼウスがいる。
「…………」
非常に面倒なことになった。
「ミカエル?」
「何です」
「なんか嫌そうな顔してる」
「気のせいです」
「また変な顔してる!」
「コウヤ」
「なんだ?」
「菓子を返しなさい」
「ごめんなさい!」
コウヤは即座に菓子を抱えて逃げた。
「待ちなさい!」
「やだ!」
「コウヤ逃げてー!」
「クイント、貴女まで!」
「…………」
その様子を見ながら。
ライベルトは。
貰った菓子を大事そうに両手で持って。
「…………ふ」
小さく笑った。
五年前には。
青しかなかったこの国で。
王が笑い。
子供が走り回り。
騎士が仕事に追われ。
店には食べ物が並び。
そして。
大天使が子供のために、変身魔法まで使って菓子を買ってくる。
そんな。
どうでもいいことで騒げる日々が。
少しずつ。
エルサイア王国の日常になり始めていた。
なお。
変身魔法の使用だけは。
その後もやめなかった。
AI君があのミカエルさんに菓子を買わせたので面白すぎて採用
わかってるやーん
わかってるやーん
吾輩完全にゼウスポジション