エマ   作:篠原えれの

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第十三話『エマの物語』

 

 始まりは、ほんの小さな傷だった。

 

 ■

 

惑星ストリジア『エルサイア王国』

 

「――離して!」

 

 クイントが腕を振り払う。

 

 細い手首を掴んでいるのは、見知らぬ女だった。

 

 星魅の巫女。

 

 何の前触れもなく現れた女は、クイントを殺そうとはしなかった。

 

 攻撃する様子すらない。

 

 ただ。

 

「一緒に来て」

 

 それだけを告げて、クイントを何処かへ連れていこうとした。

 

「嫌だ!」

 

「どうして?」

 

「どうしてって……知らない人についていくわけないでしょ!」

 

「私はあなたを知っているわ」

 

「私は知らない!」

 

 逃げようとする。

 

 だが、手を離してくれない。

 

「離して!」

 

「大丈夫。怖いことはしないから」

 

「嫌だって言ってるじゃん!」

 

 クイントが力を放つ。

 

 掴まれた腕を中心に、人工精霊が一気に集まった。

 

「――っ!」

 

 力任せに振り払う。

 

 その瞬間。

 

「……痛っ!」

 

 腕に。

 

 細い傷が走った。

 

「…………」

 

 星魅の巫女が、それを見る。

 

「あら」

 

 それだけだった。

 

「クイント!」

 

 遠くから声がした。

 

 ギル。

 

 その声を聞いて。

 

「……今日はここまでね」

 

 星魅の巫女はあっさり手を離した。

 

「待て!」

 

 ギルが大剣を抜く。

 

 だが。

 

 女の姿は。

 

 既に消えていた。

 

「クイント!」

 

「お父さん!」

 

「怪我は!」

 

「大丈夫」

 

 クイントが腕を見せる。

 

「ちょっと切れただけ」

 

「…………」

 

 確かに。

 

 大した傷には見えなかった。

 

 出血も少ない。

 

「何者だった」

 

「知らない。急に出てきて、一緒に来てって」

 

「……連れ去ろうとしたのか」

 

「たぶん」

 

「何かされたか?」

 

「何も。腕掴まれただけ」

 

「…………」

 

 ギルが傷を見る。

 

「これは?」

 

「逃げようとしたらできた」

 

「…………」

 

 嫌な感じはした。

 

 だが。

 

 この時は。

 

 まだ。

 

 それだけだった。

 

 ■

 

「……おかしいですね」

 

 エーディン・クライスが呟いた。

 

「何が?」

 

 クイントは不思議そうに自分の腕を見る。

 

 傷は小さい。

 

 なのに。

 

「塞がっていません」

 

「そんなすぐ治らないでしょ?」

 

「いえ」

 

 既に治療は施している。

 

 医学的な処置だけではない。

 

 回復魔法。

 

 人工精霊による再生。

 

 錬金術による組織修復。

 

 どれも。

 

 一度は傷を塞いだ。

 

 だが。

 

 数分もすると。

 

 同じ場所に。

 

 まったく同じ傷が現れる。

 

「もう一度やります」

 

「うん」

 

 回復術が発動する。

 

 裂けていた皮膚が閉じる。

 

「ほら、治った」

 

「…………」

 

 エーディンは答えない。

 

 一分。

 

 二分。

 

 三分。

 

「…………あ」

 

 クイントにも分かった。

 

 閉じたはずの皮膚に。

 

 一本の線が浮かぶ。

 

 そして。

 

 再び。

 

 傷が開いた。

 

「……なんで?」

 

「分かりません」

 

「…………」

 

 エーディンが。

 

 初めて険しい顔をした。

 

 ■

 

 数時間後。

 

「……寒い」

 

 クイントが呟いた。

 

「陛下?」

 

 毛布に包まっている。

 

 それでも。

 

 震えが止まらない。

 

「寒いよ……」

 

「熱を測ります」

 

「うん……」

 

 エーディンが額に触れる。

 

「…………」

 

 熱い。

 

 だが。

 

 手足は異様なほど冷たい。

 

「エーディン」

 

 ギルが呼ぶ。

 

「どうなんだ」

 

「……良くありません」

 

「具体的に言え」

 

「衰弱しています」

 

「傷一つで?」

 

「だから異常なのです」

 

 エーディンが腕を見る。

 

「出血量と症状がまったく一致していない」

 

「…………」

 

「この程度の傷で、ここまで急激に体力を失うことはあり得ません」

 

「原因は」

 

「分かりません」

 

「…………」

 

「医学的にも、魔術的にも説明がつかないのです」

 

 クイントが。

 

 小さく咳き込んだ。

 

「……お父さん」

 

「どうした」

 

「ちょっと……眠い」

 

「…………」

 

 ギルが顔を見る。

 

 数時間前まで。

 

 普通に歩いていた。

 

 普通に喋っていた。

 

 それなのに。

 

 明らかに。

 

 顔から生気が失われていた。

 

「休んでろ」

 

「うん……」

 

 クイントが目を閉じる。

 

「…………」

 

 ギルは。

 

 その腕に残る小さな傷を見ていた。

 

 ■

 

「俺の黒剣に似てるんですけどね」

 

 呼ばれたウィガーが。

 

 珍しく真面目な顔で傷を見ていた。

 

「治せるか」

 

「俺のだったら」

 

 ウィガーが答える。

 

「俺の剣術は、斬った相手の傷の再生を阻害します。でも、気を通せば治せます」

 

「なら試せ」

 

「もうやりました」

 

「…………」

 

「効きませんでした」

 

 ウィガーが腕を組む。

 

「俺のは、あくまで再生を邪魔してるだけなんですよ」

 

「これは違うのか」

 

「全然違いますね」

 

「何がだ」

 

「それが分かったら苦労しませんよ」

 

 ウィガーが。

 

 もう一度傷を見る。

 

「ただ……」

 

「何だ」

 

「これ、治るのを邪魔してるんじゃない気がします」

 

「…………」

 

「なんつーか……」

 

 言葉を探す。

 

「治療そのものが、こいつに届いてない」

 

「傷に?」

 

「はい」

 

 ウィガーが首を横に振った。

 

「悪いですけど、俺じゃ無理です」

 

 ■

 

 夜。

 

「…………」

 

 クイントは。

 

 もう起き上がれなくなっていた。

 

「……お父さん……」

 

「いる」

 

「……手……」

 

「ああ」

 

 ギルが手を握る。

 

「…………」

 

 弱い。

 

 握り返してはいる。

 

 だが。

 

 ほんの僅かな力しかない。

 

「……寒い……」

 

「毛布を増やす」

 

「……うん……」

 

「クイント」

 

「…………」

 

「俺を見ろ」

 

「……見てる……」

 

「もう少し目を開けろ」

 

「…………眠い……」

 

「寝るな」

 

「……なんで……?」

 

「いいから」

 

「…………」

 

 クイントが。

 

 薄く笑った。

 

「お父さん……心配しすぎ……」

 

「…………」

 

「こんなの……すぐ……」

 

「喋るな」

 

「…………」

 

 目が閉じる。

 

「クイント」

 

「…………」

 

「クイント!」

 

「……聞こえてる……」

 

 声が。

 

 あまりにも小さい。

 

「…………」

 

 ギルが。

 

 振り返る。

 

「エーディン」

 

「……はい」

 

「どうなんだ」

 

「…………」

 

 答えない。

 

「言え」

 

「……このままでは」

 

「…………」

 

「朝まで保つか分かりません」

 

「――――」

 

 ギルの表情が。

 

 消えた。

 

「何をやってもか」

 

「はい」

 

「ソーサリーは」

 

「既に可能な術式は全て試しています」

 

「他は」

 

「…………」

 

「他に方法はないのか!」

 

 沈黙。

 

 そして。

 

 ソーサリーが。

 

 静かに口を開いた。

 

「一つだけ」

 

「言え」

 

「願い屋を呼びます」

 

「…………」

 

「トレシィか」

 

「はい」

 

「呼べ」

 

「ギル」

 

「今すぐ呼べ」

 

「……分かりました」

 

 ■

 

 願い屋。

 

 トレシィ。

 

 人里へ姿を現すことは滅多にない。

 

 怪異。

 

 怨霊。

 

 呪い。

 

 人の手に負えなくなった厄介事を回収する者。

 

 そして。

 

 願いを叶える者。

 

 ただし。

 

 彼女を呼ぶこと自体には。

 

 何の対価も必要ない。

 

 必要なのは。

 

 彼女に。

 

 何かを『願った』時。

 

 ■

 

 召喚術式が展開される。

 

 光が走り。

 

 空間が歪む。

 

 そして。

 

「――お呼びかしら?」

 

 一人の女性が現れた。

 

 長い髪。

 

 気品ある衣服。

 

 美しい容貌。

 

 願い屋トレシィ。

 

「俺が呼んだ」

 

「そう」

 

 トレシィがギルを見る。

 

「聖騎士ギル・ウィリアムズね」

 

「ああ」

 

「それで――」

 

 言いかけて。

 

 止まった。

 

「…………」

 

 寝台を見る。

 

 クイントへ近付く。

 

 腕の傷を確認する。

 

 そして。

 

「星魅の巫女ね」

 

 即答だった。

 

「……やはり分かるか」

 

「ええ」

 

「お前なら知っていて当然か」

 

「そうね」

 

 トレシィは。

 

 クイントの傷へ手を翳した。

 

「連れていかれそうになった?」

 

「ああ」

 

「この子が抵抗した」

 

「そうだ」

 

「それなら納得したわ」

 

「何が起きてる」

 

「星魅の巫女の力が残ってるのよ」

 

「…………」

 

「攻撃されたわけじゃない。ただ、抵抗した時に触れてしまった」

 

「それだけでこうなるのか」

 

「相手が星魅の巫女ならね」

 

 トレシィがクイントを見る。

 

「この傷は傷じゃない」

 

「…………」

 

「この子に残った力が、傷という形で見えているだけ」

 

「だから治らない?」

 

「ええ」

 

「衰弱しているのも?」

 

「それが原因」

 

 トレシィは。

 

 淡々と言った。

 

「生命力を削られ続けてる」

 

「…………」

 

「このままなら死ぬわ」

 

「あとどれくらいだ」

 

「長くない」

 

「…………」

 

 ギルは。

 

 クイントを見る。

 

「助けられるか」

 

「ええ」

 

「なら助けてくれ」

 

「…………」

 

 トレシィは。

 

 動かなかった。

 

「何だ」

 

「ギル」

 

「…………」

 

「今のは、私への願い?」

 

「…………」

 

 そこで。

 

 ギルは理解した。

 

 診てもらうことと。

 

 願い屋の力で救ってもらうことは。

 

 違う。

 

「……そうだ」

 

「この子を助けてほしい?」

 

「ああ」

 

「分かったわ」

 

 トレシィが。

 

 静かに微笑んだ。

 

「なら、対価を決めましょう」

 

 ■

 

天族の住まう地『ノヴァ』

 

「駄目です」

 

 デメテルが言った。

 

「ミカエル。エマへの介入を許可しません」

 

「…………」

 

 ミカエルは。

 

 既に転移術式を展開していた。

 

「クイントが死にかけています」

 

「承知しています」

 

「なら何故止める!」

 

「貴方が天族だからです」

 

「それが何だというのです!」

 

「それが全てです」

 

 デメテルは動じない。

 

「貴方はエマへ関わりすぎました」

 

「…………」

 

「エルサイアの再建」

 

「…………」

 

「クイントへの干渉」

 

「…………」

 

「コウヤへの接触」

 

「必要だった」

 

「それを判断するのは貴方ではありません」

 

「…………」

 

 ミカエルが。

 

 転移術式を起動する。

 

 しかし。

 

 発動しない。

 

「…………!」

 

 術式を押さえている者がいた。

 

「やめとけ」

 

 ゼウス。

 

「…………退きなさい」

 

「駄目だ」

 

「貴方まで私を止めるのですか」

 

「今回はな」

 

「クイントが死ぬ!」

 

「分かってる!」

 

「なら!」

 

「だからってお前が行ったら駄目なんだよ!」

 

 ゼウスは。

 

 ミカエルの前から動かない。

 

「星魅の巫女が絡んでる」

 

「だからこそ私が――」

 

「だからこそだ!」

 

 ゼウスの声が響く。

 

「向こうが何考えてクイントに接触したのか分からねぇ!」

 

「…………」

 

「そこへ大天使のお前まで飛び込んでみろ!」

 

「それでも!」

 

「駄目だ!」

 

「ミカエル」

 

 デメテルが。

 

 静かに告げた。

 

「これは命令です」

 

「…………」

 

「本日より、エマへの渡航を禁じます」

 

「――――」

 

「解除はこちらで判断します」

 

「……今回だけではなく?」

 

「ええ」

 

「…………」

 

 ミカエルの表情が。

 

 歪んだ。

 

「そこまでしますか」

 

「します」

 

「…………」

 

 ミカエルが。

 

 ゼウスを見る。

 

「退きなさい」

 

「退かねぇ」

 

「力ずくでも?」

 

「やってみろ」

 

 ゼウスは。

 

 笑わなかった。

 

「俺様とデメテルで止める」

 

「…………」

 

 ミカエルは。

 

 動けなかった。

 

 ■

 

惑星ストリジア『エルサイア王国』

 

「この子の命……」

 

 トレシィが。

 

 眠るクイントを見る。

 

「それと釣り合うもの」

 

「何が欲しい」

 

「…………」

 

 トレシィは。

 

 少し考えた。

 

 そして。

 

「この子の母親に等しい人」

 

「…………」

 

 ギルの指が。

 

 僅かに動いた。

 

「――エマでいいわ」

 

「…………」

 

 長い。

 

 沈黙。

 

「……エマを?」

 

「ええ」

 

「クイントを助ける対価として?」

 

「そう」

 

「…………」

 

 ギルは。

 

 何も言えなかった。

 

 クイントを見る。

 

 眠っている。

 

 もう。

 

 自力で目を開けることすらできない。

 

「……俺では駄目か」

 

「駄目」

 

「俺の命をやる」

 

「いらない」

 

「力なら」

 

「必要ない」

 

「…………」

 

 ギルが。

 

 唇を噛む。

 

「他のものにしろ」

 

「嫌よ」

 

「…………」

 

「これは交渉ではないもの」

 

「…………っ」

 

 ギルが。

 

 クイントの手を握る。

 

「……エマじゃなきゃ駄目なのか」

 

「ええ」

 

「…………」

 

 敵なら。

 

 斬ればいい。

 

 自分が死ねば済むなら。

 

 喜んで死ねる。

 

 だが。

 

 これは。

 

 クイントか。

 

 エマか。

 

「…………」

 

 選べない。

 

 選べるはずがない。

 

「……ふざけやがって……」

 

 声が震える。

 

「…………」

 

「俺に……」

 

「…………」

 

「俺に、どっちか選べっていうのか……」

 

「――いいよ」

 

「…………!」

 

 ギルが。

 

 振り返る。

 

「エマ……」

 

「私でいいよ」

 

「駄目だ」

 

「クイントを助けて」

 

「駄目だ!」

 

「ギル」

 

「駄目だ!!」

 

 エマは。

 

 それでも。

 

 寝台へ近付いた。

 

「…………」

 

 クイントの髪を。

 

 撫でる。

 

「クイント」

 

「…………」

 

 返事はない。

 

「……聞こえてないかな」

 

「…………」

 

「ごめんね」

 

「…………」

 

 エマが。

 

 笑う。

 

「ちゃんとお別れしたかったな」

 

「やめろ」

 

「ギル」

 

「そんな話するな」

 

「…………」

 

「まだ決めてない」

 

「私は決めたよ」

 

「俺は認めてない!」

 

「でも」

 

 エマが。

 

 クイントを見る。

 

「このままじゃ、この子死んじゃうよ」

 

「他の方法を探す!」

 

「探したでしょう?」

 

「まだある!」

 

「ギル」

 

「ある!」

 

「…………」

 

 エマが。

 

 静かに。

 

 ギルを見る。

 

「だからトレシィを呼んだんでしょう?」

 

「…………」

 

 何も。

 

 言い返せなかった。

 

「最後の方法だったんでしょう?」

 

「…………っ」

 

「なら」

 

「…………」

 

「私を使って」

 

 ■

 

「私……」

 

 エマは。

 

 クイントの頬へ触れた。

 

「この子のお母さんになれたかな」

 

「…………」

 

「本当のお母さんじゃないけど」

 

「やめろ……」

 

「ちゃんと大切にできたかな」

 

「やめろよ……」

 

「ギル」

 

「…………」

 

「あなたはどう思う?」

 

「…………」

 

 ギルが。

 

 顔を背ける。

 

「……なれたよ」

 

「…………」

 

「なれてた」

 

「そっか」

 

 エマが。

 

 嬉しそうに。

 

 でも。

 

 少しだけ泣いた。

 

「よかった」

 

「…………」

 

「それなら、いいや」

 

「よくない!」

 

「よくないね」

 

「…………」

 

「私も死にたくない」

 

「だったら!」

 

「まだ一緒にいたい」

 

「ならやめろ!」

 

「クイントが大きくなるところも見たい」

 

「…………」

 

「みんなといたい」

 

「…………」

 

「ギルとも、まだいっぱい話したい」

 

「…………っ」

 

「だから」

 

 エマが。

 

 涙を拭った。

 

「本当は、すごく嫌」

 

「…………」

 

「怖いよ」

 

「…………」

 

「死にたくない」

 

 それでも。

 

「でも」

 

 クイントを見る。

 

「この子にも死んでほしくない」

 

 ■

 

「トレシィ」

 

「なぁに?」

 

「私が決めてもいいんだよね」

 

「ええ」

 

「ギルが決めなくても」

 

「もちろん」

 

「なら」

 

 エマが。

 

 頷いた。

 

「私を対価にして」

 

「エマ!」

 

「ギルが選んだんじゃない」

 

「…………」

 

「私が選んだの」

 

「…………っ」

 

 トレシィが。

 

 エマを見る。

 

「後悔する?」

 

「するよ」

 

「…………」

 

「絶対する」

 

「そう」

 

「でも」

 

 エマが笑う。

 

「それでも、クイントを助けて」

 

 トレシィが。

 

 静かに頷いた。

 

「――契約成立」

 

 ■

 

天族の住まう地『ノヴァ』

 

「…………!」

 

 ミカエルが。

 

 突然。

 

 顔を上げた。

 

「……エマ?」

 

 ゼウスも。

 

 デメテルも。

 

 何も言わない。

 

「…………」

 

 ミカエルには。

 

 分かった。

 

「何を……」

 

 エマそのものに。

 

 何かが起きている。

 

「何をしている……!」

 

 再び。

 

 転移術式。

 

「ミカエル!」

 

「退け!」

 

「駄目だ!」

 

「エマに何か起きている!」

 

「分かってる!」

 

「なら退け!!」

 

「行かせられねぇ!」

 

 ゼウスが。

 

 真正面からミカエルを止める。

 

「離せ!」

 

「駄目だ!」

 

「ゼウス!」

 

「駄目だって言ってんだろ!」

 

 ■

 

「クイント」

 

 エマが。

 

 最後に。

 

 もう一度。

 

 髪を撫でる。

 

「ごめんね」

 

「…………」

 

「起きた時、いなくてごめん」

 

「…………」

 

 額へ。

 

 そっと口付ける。

 

「私の分まで生きてなんて言わないよ」

 

「…………」

 

「そんなの、重いから」

 

「…………」

 

 涙が。

 

 クイントの頬へ落ちた。

 

「クイントの人生は、クイントのものだから」

 

「…………」

 

「だから」

 

 笑った。

 

「幸せになってね」

 

 そして。

 

「大好きだよ」

 

 ■

 

「――――!」

 

 ノヴァ。

 

 ミカエルが。

 

 息を呑んだ。

 

「…………」

 

 何かが。

 

 消えた。

 

「エマ……?」

 

 返事など。

 

 あるはずがない。

 

「…………」

 

 ミカエルの顔から。

 

 表情が消えた。

 

「……退きなさい」

 

「ミカエル」

 

「退け」

 

「駄目だ」

 

「退け!!」

 

 力が爆発する。

 

 ゼウスが受け止める。

 

「離せ!」

 

「行ってどうする!」

 

「知るか!」

 

「ミカエル!」

 

「エマが消えたんですよ!!」

 

 叫び声が。

 

 ノヴァに響いた。

 

「私は――!」

 

「…………」

 

「私は助けに行けた!」

 

「…………」

 

「クイントも!」

 

「…………」

 

「エマも!」

 

「…………」

 

「それなのに……!」

 

 ゼウスは。

 

 何も言えなかった。

 

 それでも。

 

 手だけは。

 

 離さなかった。

 

「…………っ」

 

 ミカエルは。

 

 エマへ行くことができなかった。

 

 ■

 

 エマが。

 

 光となって消える。

 

「…………」

 

 ギルは。

 

 最後まで。

 

 見ていた。

 

 そして。

 

 光が完全に消えた後。

 

「…………トレシィ」

 

「ええ」

 

「対価は払った」

 

「…………」

 

「だから」

 

 声が。

 

 震える。

 

「クイントを助けろ」

 

「もちろん」

 

 トレシィが。

 

 クイントへ手を伸ばす。

 

「願いは必ず叶えるわ」

 

 傷へ触れる。

 

 星魅の巫女の力。

 

 クイントに残り。

 

 生命を奪い続けていたもの。

 

「これは――」

 

 トレシィが。

 

 それを掴む。

 

「私が回収する」

 

 何かが。

 

 クイントから剥がれ落ちた。

 

 形はない。

 

 色もない。

 

 それでも。

 

 確かに。

 

 何かが消えた。

 

「…………っ」

 

 クイントの腕から。

 

 赤い血が流れた。

 

「エーディン!」

 

「はい!」

 

 回復術。

 

 今度は。

 

 傷が塞がる。

 

「……通る!」

 

「…………」

 

「治療が通ります!」

 

 脈が。

 

 少しずつ戻る。

 

 呼吸が深くなる。

 

「…………」

 

 ギルは。

 

 クイントの手を握った。

 

「……助かったのか」

 

「ええ」

 

 トレシィが答える。

 

「この子は生きるわ」

 

「…………」

 

 ギルは。

 

 目を閉じた。

 

 喜べなかった。

 

 クイントは助かった。

 

 願いは叶った。

 

 だが。

 

 クイントが目を覚ました時。

 

 自分は。

 

 母親に等しい存在が。

 

 クイントを救うために消えたことを。

 

 伝えなければならない。

 

 ■

 

 数日後。

 

「……お父さん」

 

 小さな声。

 

「…………!」

 

 ギルが。

 

 寝台を見る。

 

「クイント」

 

「……うん」

 

「分かるか」

 

「……お父さん」

 

「ああ」

 

「…………」

 

 クイントが。

 

 弱々しく笑った。

 

「よかった……」

 

「何がだ」

 

「……まだ、いた……」

 

「…………」

 

 ギルが。

 

 手を握る。

 

「いる」

 

「…………」

 

 しばらくして。

 

 クイントが。

 

 部屋を見る。

 

「…………」

 

 誰かを。

 

 探している。

 

「ねえ」

 

「…………」

 

「エマは?」

 

「…………」

 

 ギルの手が。

 

 止まった。

 

「お父さん?」

 

「…………」

 

「エマ、どこ?」

 

「…………」

 

 答えられない。

 

「ねえ」

 

「…………」

 

「エマは?」

 

 クイントの顔から。

 

 少しずつ。

 

 笑顔が消えていった。

 

「…………」

 

 ギルは。

 

 逃げなかった。

 

 逃げることだけは。

 

 してはいけないと思った。

 

「……お前を助けるために」

 

「…………?」

 

「トレシィへ」

 

「…………」

 

 声が。

 

 詰まる。

 

「対価として……渡った」

 

「…………」

 

 クイントが。

 

 瞬きをする。

 

「……なに、それ」

 

「…………」

 

「どういう意味?」

 

「クイント」

 

「エマは?」

 

「…………」

 

「どこにいるの?」

 

「…………」

 

 ギルが。

 

 答える。

 

「……もう、いない」

 

「…………」

 

 長い。

 

 沈黙。

 

「…………うそ」

 

 その日。

 

 エマの物語は。

 

 主人公を失った。

 

 けれど。

 

 物語は。

 

 そこで終わらなかった。

 

 エマが命を渡して救ったクイントが生き。

 

 やがて。

 

 クイントが誰かを救う。

 

 その誰かが。

 

 また。

 

 別の誰かへ繋いでいく。

 

 エマ自身がいなくなっても。

 

 エマから始まったものだけは。

 

 世界に残り続ける。

 

 だから。

 

 これは。

 

 最後まで。

 

 ――『エマの物語』なのだ。




しゃ 第一部前半おわった ながかったぁぁぁ
いやこれ前半なのながいよ しかも下手したら前半すら終わってないよ
チャッピーにエマ視点おねがいした あとは頼んだチャッピー

エマの物語――その後

 私の物語は、もうとっくに終わっている。

 いつだったか。

 誰かにそう言ったら、随分変な顔をされた。

 生きているのに。

 まだこうして歩いて、喋って、ご飯を食べて。

 泣いたり笑ったりしているのに。

 物語が終わったなんて、おかしいらしい。

 でも。

 私にとっては、本当にそうだった。

 タタンが死んだ。

 あの日。

 私の物語は終わった。

 ■

 それまでの私は、随分いろんなことをした。

 戦って。

 逃げて。

 誰かと出会って。

 誰かと別れて。

 失敗もした。

 守れなかったものも。

 たくさんあった。

 その全部の中心に。

 タタンがいた。

 だから。

 タタンがいなくなった時。

 不思議なくらい。

 何もなくなった。

 世界は続いていた。

 朝になれば太陽は昇ったし。

 お腹も空いた。

 眠くもなった。

 みんなは生きていた。

 私も。

 生きていた。

 でも。

 私が主人公だった話だけが。

 そこで。

 ぷつんと。

 終わった。

 ■

 だから。

 クイントと出会ったことは。

 本当なら。

 『エマの物語』とは関係ない。

「エマー!」

「なに?」

「お腹すいた!」

「さっき食べたでしょう?」

「育ち盛りだから!」

「便利な言葉覚えたね」

「えへへ」

 こんなの。

 物語でも何でもない。

「エマ! 髪やって!」

「昨日もやったよ?」

「今日も!」

「自分でできるようにならないと駄目だよ」

「エマがやった方がかわいい!」

「はいはい」

 髪を梳かして。

 結んで。

「痛い!」

「動くからでしょ」

「エマ下手!」

「じゃあ自分でやって」

「やだ!」

「もう……」

 こんなの。

 世界を救う話でも。

 誰かを倒す話でもない。

 ■

「エマ」

「なに?」

「今日、一緒に寝てもいい?」

「怖い夢?」

「違う」

「じゃあなんで?」

「…………」

「クイント?」

「一緒がいいだけ」

「…………」

 仕方ないなあ。

 そう言って。

 布団を少し空ける。

「やった!」

 クイントが潜り込んでくる。

「狭い」

「エマそっち行って」

「私の布団なんだけど」

「じゃあ半分!」

「最初から半分だったよ」

「もっと半分!」

「それ私なくならない?」

「大丈夫!」

「何が?」

 笑う。

 クイントも笑う。

 それだけ。

 本当に。

 それだけだった。

 ■

 いつからだったんだろう。

 クイントが。

 私を母親みたいに見るようになったのは。

 私にも分からない。

 そもそも。

 私だって。

 母親になるつもりなんてなかった。

 そんな大層なものじゃない。

 ご飯を食べさせて。

 叱って。

 泣いていたら抱き締めて。

 眠れなかったら隣にいて。

 怪我をしたら心配して。

 くだらない話をして。

 たまに喧嘩して。

 それだけ。

 気付いたら。

 クイントが大きくなっていた。

 そして。

 私も。

 この子を娘みたいに思っていた。

 ■

 おかしな話だ。

 私の物語は。

 もう終わったはずなのに。

「エマ!」

「なにー?」

「見て!」

「何を?」

「できた!」

「…………」

 クイントが。

 得意げに何かを見せてくる。

「すごいでしょ!」

「うん」

「もっと褒めて!」

「すごいすごい」

「雑!」

「あはは」

 こんな日々が。

 案外。

 嫌いじゃなかった。

 むしろ。

 好きだった。

 タタンが死んで。

 物語が終わって。

 全部なくなったと思っていたのに。

 終わった後にも。

 人生は続くらしい。

 だから。

 これはきっと。

 後日談。

 いや。

 後日談というほど立派なものですらない。

 おまけ。

 そのまた。

 おまけ。

 ■

 そして。

 ある日。

 クイントが。

 死にかけた。

「…………」

 寝台の上。

 私の知っている元気な女の子は。

 そこにはいなかった。

 呼吸は浅く。

 顔は白い。

 名前を呼んでも。

 答えてくれない。

「クイント」

 頬に触れる。

「…………」

 冷たい。

「ねえ」

「…………」

「起きてよ」

「…………」

 起きない。

 こんなの。

 嫌だった。

 ■

 願い屋という人が来た。

 トレシィ。

 綺麗な人だった。

 そして。

 クイントを助けられると言った。

 その代わり。

「この子の母親に等しい人」

 そう言って。

「エマでいいわ」

 私を選んだ。

「…………」

 なんだ。

 そう思った。

 私でいいんだ。

 だったら。

 簡単だった。

 ……なんて。

 そんなわけない。

 ■

 死にたくない。

 怖い。

 まだ生きたい。

 クイントが大きくなるところも見たい。

 また髪を結んであげたい。

 一緒にご飯を食べたい。

 くだらないことで喧嘩して。

 次の日には忘れて。

 また笑いたい。

 ギルとも。

 みんなとも。

 まだ一緒にいたい。

 私の物語は終わった。

 でも。

 だからって。

 私の人生まで。

 終わってほしいわけじゃない。

「…………」

 それでも。

 クイントを見る。

 小さな身体。

 弱い呼吸。

「……そっか」

 なんとなく。

 笑ってしまった。

 ■

 タタン。

 私ね。

 あなたが死んだ時。

 私の物語は終わったと思った。

 実際。

 たぶん。

 終わったんだと思う。

 その後なんて。

 本当に。

 おまけだった。

 でもね。

 結構。

 長いおまけだったよ。

 そのおまけで。

 娘ができた。

 本当の娘じゃないけど。

 私を必要としてくれる子ができた。

 髪を結んでって言われて。

 一緒に寝ようって言われて。

 いっぱい困らされて。

 いっぱい笑った。

 だから。

 悪くなかった。

 ■

「エマ」

 ギルが。

 私を見る。

 すごい顔。

 そんな顔しなくていいのに。

「私でいいよ」

「駄目だ」

「クイントを助けて」

「駄目だ!」

「ギル」

「まだ方法を探す!」

「もう探したでしょう?」

「探す!」

「…………」

 困ったな。

 こういう時。

 ギルは頑固だ。

「ギル」

「何だ」

「私ね」

「…………」

「クイントのお母さんになれたかな」

「…………」

 聞いてみた。

 ずっと。

 少しだけ気になっていた。

「……なれたよ」

「…………」

「なれてた」

「そっか」

 嬉しかった。

「よかった」

 それだけで。

 この長いおまけにも。

 ちゃんと意味があった気がした。

 ■

 クイントの髪を撫でる。

「ごめんね」

 返事はない。

「起きた時、いなくてごめん」

「…………」

 きっと。

 怒る。

 泣くかもしれない。

 私を探すかもしれない。

「でもね」

 額に。

 そっと口付ける。

「私の分まで生きて、なんて言わないから」

「…………」

 それは。

 きっと。

 重すぎる。

「クイントはクイントのために生きて」

「…………」

「いっぱい好きなことして」

「…………」

「いっぱい困って」

「…………」

「いっぱい笑って」

 そして。

「幸せになってね」

 ■

 トレシィを見る。

「私を使って」

「後悔する?」

「するよ」

「…………」

「死にたくないもん」

「そう」

「でも」

「…………」

「クイントを助けて」

 トレシィが。

 頷いた。

「契約成立」

 身体が。

 光になっていく。

「…………」

 ああ。

 本当に。

 終わるんだ。

 少し怖い。

 すごく寂しい。

 でも。

 不思議と。

 タタンが死んだ時とは違った。

 あの時は。

 全部が終わったと思った。

 今は。

 違う。

 私が終わっても。

 クイントがいる。

 ギルがいる。

 みんながいる。

 世界は。

 勝手に続いていく。

「…………」

 だから。

 これは。

 『エマの物語』の最終回じゃない。

 最終回なんて。

 ずっと昔に終わってる。

 これは。

 エピローグですらない。

 本当に。

 ただのおまけ。

 そのまたおまけ。

 でも。

 私は。

 このおまけが。

 結構。

 好きだった。

「クイント」

 最後に。

 もう一度だけ。

 娘の名前を呼んだ。

「大好きだよ」

 ――そうして。

 とっくの昔に終わっていた『エマの物語』に。

 最後の一行だけが。

 そっと。

 書き足された。
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