始まりは、ほんの小さな傷だった。
■
惑星ストリジア『エルサイア王国』
「――離して!」
クイントが腕を振り払う。
細い手首を掴んでいるのは、見知らぬ女だった。
星魅の巫女。
何の前触れもなく現れた女は、クイントを殺そうとはしなかった。
攻撃する様子すらない。
ただ。
「一緒に来て」
それだけを告げて、クイントを何処かへ連れていこうとした。
「嫌だ!」
「どうして?」
「どうしてって……知らない人についていくわけないでしょ!」
「私はあなたを知っているわ」
「私は知らない!」
逃げようとする。
だが、手を離してくれない。
「離して!」
「大丈夫。怖いことはしないから」
「嫌だって言ってるじゃん!」
クイントが力を放つ。
掴まれた腕を中心に、人工精霊が一気に集まった。
「――っ!」
力任せに振り払う。
その瞬間。
「……痛っ!」
腕に。
細い傷が走った。
「…………」
星魅の巫女が、それを見る。
「あら」
それだけだった。
「クイント!」
遠くから声がした。
ギル。
その声を聞いて。
「……今日はここまでね」
星魅の巫女はあっさり手を離した。
「待て!」
ギルが大剣を抜く。
だが。
女の姿は。
既に消えていた。
「クイント!」
「お父さん!」
「怪我は!」
「大丈夫」
クイントが腕を見せる。
「ちょっと切れただけ」
「…………」
確かに。
大した傷には見えなかった。
出血も少ない。
「何者だった」
「知らない。急に出てきて、一緒に来てって」
「……連れ去ろうとしたのか」
「たぶん」
「何かされたか?」
「何も。腕掴まれただけ」
「…………」
ギルが傷を見る。
「これは?」
「逃げようとしたらできた」
「…………」
嫌な感じはした。
だが。
この時は。
まだ。
それだけだった。
■
「……おかしいですね」
エーディン・クライスが呟いた。
「何が?」
クイントは不思議そうに自分の腕を見る。
傷は小さい。
なのに。
「塞がっていません」
「そんなすぐ治らないでしょ?」
「いえ」
既に治療は施している。
医学的な処置だけではない。
回復魔法。
人工精霊による再生。
錬金術による組織修復。
どれも。
一度は傷を塞いだ。
だが。
数分もすると。
同じ場所に。
まったく同じ傷が現れる。
「もう一度やります」
「うん」
回復術が発動する。
裂けていた皮膚が閉じる。
「ほら、治った」
「…………」
エーディンは答えない。
一分。
二分。
三分。
「…………あ」
クイントにも分かった。
閉じたはずの皮膚に。
一本の線が浮かぶ。
そして。
再び。
傷が開いた。
「……なんで?」
「分かりません」
「…………」
エーディンが。
初めて険しい顔をした。
■
数時間後。
「……寒い」
クイントが呟いた。
「陛下?」
毛布に包まっている。
それでも。
震えが止まらない。
「寒いよ……」
「熱を測ります」
「うん……」
エーディンが額に触れる。
「…………」
熱い。
だが。
手足は異様なほど冷たい。
「エーディン」
ギルが呼ぶ。
「どうなんだ」
「……良くありません」
「具体的に言え」
「衰弱しています」
「傷一つで?」
「だから異常なのです」
エーディンが腕を見る。
「出血量と症状がまったく一致していない」
「…………」
「この程度の傷で、ここまで急激に体力を失うことはあり得ません」
「原因は」
「分かりません」
「…………」
「医学的にも、魔術的にも説明がつかないのです」
クイントが。
小さく咳き込んだ。
「……お父さん」
「どうした」
「ちょっと……眠い」
「…………」
ギルが顔を見る。
数時間前まで。
普通に歩いていた。
普通に喋っていた。
それなのに。
明らかに。
顔から生気が失われていた。
「休んでろ」
「うん……」
クイントが目を閉じる。
「…………」
ギルは。
その腕に残る小さな傷を見ていた。
■
「俺の黒剣に似てるんですけどね」
呼ばれたウィガーが。
珍しく真面目な顔で傷を見ていた。
「治せるか」
「俺のだったら」
ウィガーが答える。
「俺の剣術は、斬った相手の傷の再生を阻害します。でも、気を通せば治せます」
「なら試せ」
「もうやりました」
「…………」
「効きませんでした」
ウィガーが腕を組む。
「俺のは、あくまで再生を邪魔してるだけなんですよ」
「これは違うのか」
「全然違いますね」
「何がだ」
「それが分かったら苦労しませんよ」
ウィガーが。
もう一度傷を見る。
「ただ……」
「何だ」
「これ、治るのを邪魔してるんじゃない気がします」
「…………」
「なんつーか……」
言葉を探す。
「治療そのものが、こいつに届いてない」
「傷に?」
「はい」
ウィガーが首を横に振った。
「悪いですけど、俺じゃ無理です」
■
夜。
「…………」
クイントは。
もう起き上がれなくなっていた。
「……お父さん……」
「いる」
「……手……」
「ああ」
ギルが手を握る。
「…………」
弱い。
握り返してはいる。
だが。
ほんの僅かな力しかない。
「……寒い……」
「毛布を増やす」
「……うん……」
「クイント」
「…………」
「俺を見ろ」
「……見てる……」
「もう少し目を開けろ」
「…………眠い……」
「寝るな」
「……なんで……?」
「いいから」
「…………」
クイントが。
薄く笑った。
「お父さん……心配しすぎ……」
「…………」
「こんなの……すぐ……」
「喋るな」
「…………」
目が閉じる。
「クイント」
「…………」
「クイント!」
「……聞こえてる……」
声が。
あまりにも小さい。
「…………」
ギルが。
振り返る。
「エーディン」
「……はい」
「どうなんだ」
「…………」
答えない。
「言え」
「……このままでは」
「…………」
「朝まで保つか分かりません」
「――――」
ギルの表情が。
消えた。
「何をやってもか」
「はい」
「ソーサリーは」
「既に可能な術式は全て試しています」
「他は」
「…………」
「他に方法はないのか!」
沈黙。
そして。
ソーサリーが。
静かに口を開いた。
「一つだけ」
「言え」
「願い屋を呼びます」
「…………」
「トレシィか」
「はい」
「呼べ」
「ギル」
「今すぐ呼べ」
「……分かりました」
■
願い屋。
トレシィ。
人里へ姿を現すことは滅多にない。
怪異。
怨霊。
呪い。
人の手に負えなくなった厄介事を回収する者。
そして。
願いを叶える者。
ただし。
彼女を呼ぶこと自体には。
何の対価も必要ない。
必要なのは。
彼女に。
何かを『願った』時。
■
召喚術式が展開される。
光が走り。
空間が歪む。
そして。
「――お呼びかしら?」
一人の女性が現れた。
長い髪。
気品ある衣服。
美しい容貌。
願い屋トレシィ。
「俺が呼んだ」
「そう」
トレシィがギルを見る。
「聖騎士ギル・ウィリアムズね」
「ああ」
「それで――」
言いかけて。
止まった。
「…………」
寝台を見る。
クイントへ近付く。
腕の傷を確認する。
そして。
「星魅の巫女ね」
即答だった。
「……やはり分かるか」
「ええ」
「お前なら知っていて当然か」
「そうね」
トレシィは。
クイントの傷へ手を翳した。
「連れていかれそうになった?」
「ああ」
「この子が抵抗した」
「そうだ」
「それなら納得したわ」
「何が起きてる」
「星魅の巫女の力が残ってるのよ」
「…………」
「攻撃されたわけじゃない。ただ、抵抗した時に触れてしまった」
「それだけでこうなるのか」
「相手が星魅の巫女ならね」
トレシィがクイントを見る。
「この傷は傷じゃない」
「…………」
「この子に残った力が、傷という形で見えているだけ」
「だから治らない?」
「ええ」
「衰弱しているのも?」
「それが原因」
トレシィは。
淡々と言った。
「生命力を削られ続けてる」
「…………」
「このままなら死ぬわ」
「あとどれくらいだ」
「長くない」
「…………」
ギルは。
クイントを見る。
「助けられるか」
「ええ」
「なら助けてくれ」
「…………」
トレシィは。
動かなかった。
「何だ」
「ギル」
「…………」
「今のは、私への願い?」
「…………」
そこで。
ギルは理解した。
診てもらうことと。
願い屋の力で救ってもらうことは。
違う。
「……そうだ」
「この子を助けてほしい?」
「ああ」
「分かったわ」
トレシィが。
静かに微笑んだ。
「なら、対価を決めましょう」
■
天族の住まう地『ノヴァ』
「駄目です」
デメテルが言った。
「ミカエル。エマへの介入を許可しません」
「…………」
ミカエルは。
既に転移術式を展開していた。
「クイントが死にかけています」
「承知しています」
「なら何故止める!」
「貴方が天族だからです」
「それが何だというのです!」
「それが全てです」
デメテルは動じない。
「貴方はエマへ関わりすぎました」
「…………」
「エルサイアの再建」
「…………」
「クイントへの干渉」
「…………」
「コウヤへの接触」
「必要だった」
「それを判断するのは貴方ではありません」
「…………」
ミカエルが。
転移術式を起動する。
しかし。
発動しない。
「…………!」
術式を押さえている者がいた。
「やめとけ」
ゼウス。
「…………退きなさい」
「駄目だ」
「貴方まで私を止めるのですか」
「今回はな」
「クイントが死ぬ!」
「分かってる!」
「なら!」
「だからってお前が行ったら駄目なんだよ!」
ゼウスは。
ミカエルの前から動かない。
「星魅の巫女が絡んでる」
「だからこそ私が――」
「だからこそだ!」
ゼウスの声が響く。
「向こうが何考えてクイントに接触したのか分からねぇ!」
「…………」
「そこへ大天使のお前まで飛び込んでみろ!」
「それでも!」
「駄目だ!」
「ミカエル」
デメテルが。
静かに告げた。
「これは命令です」
「…………」
「本日より、エマへの渡航を禁じます」
「――――」
「解除はこちらで判断します」
「……今回だけではなく?」
「ええ」
「…………」
ミカエルの表情が。
歪んだ。
「そこまでしますか」
「します」
「…………」
ミカエルが。
ゼウスを見る。
「退きなさい」
「退かねぇ」
「力ずくでも?」
「やってみろ」
ゼウスは。
笑わなかった。
「俺様とデメテルで止める」
「…………」
ミカエルは。
動けなかった。
■
惑星ストリジア『エルサイア王国』
「この子の命……」
トレシィが。
眠るクイントを見る。
「それと釣り合うもの」
「何が欲しい」
「…………」
トレシィは。
少し考えた。
そして。
「この子の母親に等しい人」
「…………」
ギルの指が。
僅かに動いた。
「――エマでいいわ」
「…………」
長い。
沈黙。
「……エマを?」
「ええ」
「クイントを助ける対価として?」
「そう」
「…………」
ギルは。
何も言えなかった。
クイントを見る。
眠っている。
もう。
自力で目を開けることすらできない。
「……俺では駄目か」
「駄目」
「俺の命をやる」
「いらない」
「力なら」
「必要ない」
「…………」
ギルが。
唇を噛む。
「他のものにしろ」
「嫌よ」
「…………」
「これは交渉ではないもの」
「…………っ」
ギルが。
クイントの手を握る。
「……エマじゃなきゃ駄目なのか」
「ええ」
「…………」
敵なら。
斬ればいい。
自分が死ねば済むなら。
喜んで死ねる。
だが。
これは。
クイントか。
エマか。
「…………」
選べない。
選べるはずがない。
「……ふざけやがって……」
声が震える。
「…………」
「俺に……」
「…………」
「俺に、どっちか選べっていうのか……」
「――いいよ」
「…………!」
ギルが。
振り返る。
「エマ……」
「私でいいよ」
「駄目だ」
「クイントを助けて」
「駄目だ!」
「ギル」
「駄目だ!!」
エマは。
それでも。
寝台へ近付いた。
「…………」
クイントの髪を。
撫でる。
「クイント」
「…………」
返事はない。
「……聞こえてないかな」
「…………」
「ごめんね」
「…………」
エマが。
笑う。
「ちゃんとお別れしたかったな」
「やめろ」
「ギル」
「そんな話するな」
「…………」
「まだ決めてない」
「私は決めたよ」
「俺は認めてない!」
「でも」
エマが。
クイントを見る。
「このままじゃ、この子死んじゃうよ」
「他の方法を探す!」
「探したでしょう?」
「まだある!」
「ギル」
「ある!」
「…………」
エマが。
静かに。
ギルを見る。
「だからトレシィを呼んだんでしょう?」
「…………」
何も。
言い返せなかった。
「最後の方法だったんでしょう?」
「…………っ」
「なら」
「…………」
「私を使って」
■
「私……」
エマは。
クイントの頬へ触れた。
「この子のお母さんになれたかな」
「…………」
「本当のお母さんじゃないけど」
「やめろ……」
「ちゃんと大切にできたかな」
「やめろよ……」
「ギル」
「…………」
「あなたはどう思う?」
「…………」
ギルが。
顔を背ける。
「……なれたよ」
「…………」
「なれてた」
「そっか」
エマが。
嬉しそうに。
でも。
少しだけ泣いた。
「よかった」
「…………」
「それなら、いいや」
「よくない!」
「よくないね」
「…………」
「私も死にたくない」
「だったら!」
「まだ一緒にいたい」
「ならやめろ!」
「クイントが大きくなるところも見たい」
「…………」
「みんなといたい」
「…………」
「ギルとも、まだいっぱい話したい」
「…………っ」
「だから」
エマが。
涙を拭った。
「本当は、すごく嫌」
「…………」
「怖いよ」
「…………」
「死にたくない」
それでも。
「でも」
クイントを見る。
「この子にも死んでほしくない」
■
「トレシィ」
「なぁに?」
「私が決めてもいいんだよね」
「ええ」
「ギルが決めなくても」
「もちろん」
「なら」
エマが。
頷いた。
「私を対価にして」
「エマ!」
「ギルが選んだんじゃない」
「…………」
「私が選んだの」
「…………っ」
トレシィが。
エマを見る。
「後悔する?」
「するよ」
「…………」
「絶対する」
「そう」
「でも」
エマが笑う。
「それでも、クイントを助けて」
トレシィが。
静かに頷いた。
「――契約成立」
■
天族の住まう地『ノヴァ』
「…………!」
ミカエルが。
突然。
顔を上げた。
「……エマ?」
ゼウスも。
デメテルも。
何も言わない。
「…………」
ミカエルには。
分かった。
「何を……」
エマそのものに。
何かが起きている。
「何をしている……!」
再び。
転移術式。
「ミカエル!」
「退け!」
「駄目だ!」
「エマに何か起きている!」
「分かってる!」
「なら退け!!」
「行かせられねぇ!」
ゼウスが。
真正面からミカエルを止める。
「離せ!」
「駄目だ!」
「ゼウス!」
「駄目だって言ってんだろ!」
■
「クイント」
エマが。
最後に。
もう一度。
髪を撫でる。
「ごめんね」
「…………」
「起きた時、いなくてごめん」
「…………」
額へ。
そっと口付ける。
「私の分まで生きてなんて言わないよ」
「…………」
「そんなの、重いから」
「…………」
涙が。
クイントの頬へ落ちた。
「クイントの人生は、クイントのものだから」
「…………」
「だから」
笑った。
「幸せになってね」
そして。
「大好きだよ」
■
「――――!」
ノヴァ。
ミカエルが。
息を呑んだ。
「…………」
何かが。
消えた。
「エマ……?」
返事など。
あるはずがない。
「…………」
ミカエルの顔から。
表情が消えた。
「……退きなさい」
「ミカエル」
「退け」
「駄目だ」
「退け!!」
力が爆発する。
ゼウスが受け止める。
「離せ!」
「行ってどうする!」
「知るか!」
「ミカエル!」
「エマが消えたんですよ!!」
叫び声が。
ノヴァに響いた。
「私は――!」
「…………」
「私は助けに行けた!」
「…………」
「クイントも!」
「…………」
「エマも!」
「…………」
「それなのに……!」
ゼウスは。
何も言えなかった。
それでも。
手だけは。
離さなかった。
「…………っ」
ミカエルは。
エマへ行くことができなかった。
■
エマが。
光となって消える。
「…………」
ギルは。
最後まで。
見ていた。
そして。
光が完全に消えた後。
「…………トレシィ」
「ええ」
「対価は払った」
「…………」
「だから」
声が。
震える。
「クイントを助けろ」
「もちろん」
トレシィが。
クイントへ手を伸ばす。
「願いは必ず叶えるわ」
傷へ触れる。
星魅の巫女の力。
クイントに残り。
生命を奪い続けていたもの。
「これは――」
トレシィが。
それを掴む。
「私が回収する」
何かが。
クイントから剥がれ落ちた。
形はない。
色もない。
それでも。
確かに。
何かが消えた。
「…………っ」
クイントの腕から。
赤い血が流れた。
「エーディン!」
「はい!」
回復術。
今度は。
傷が塞がる。
「……通る!」
「…………」
「治療が通ります!」
脈が。
少しずつ戻る。
呼吸が深くなる。
「…………」
ギルは。
クイントの手を握った。
「……助かったのか」
「ええ」
トレシィが答える。
「この子は生きるわ」
「…………」
ギルは。
目を閉じた。
喜べなかった。
クイントは助かった。
願いは叶った。
だが。
クイントが目を覚ました時。
自分は。
母親に等しい存在が。
クイントを救うために消えたことを。
伝えなければならない。
■
数日後。
「……お父さん」
小さな声。
「…………!」
ギルが。
寝台を見る。
「クイント」
「……うん」
「分かるか」
「……お父さん」
「ああ」
「…………」
クイントが。
弱々しく笑った。
「よかった……」
「何がだ」
「……まだ、いた……」
「…………」
ギルが。
手を握る。
「いる」
「…………」
しばらくして。
クイントが。
部屋を見る。
「…………」
誰かを。
探している。
「ねえ」
「…………」
「エマは?」
「…………」
ギルの手が。
止まった。
「お父さん?」
「…………」
「エマ、どこ?」
「…………」
答えられない。
「ねえ」
「…………」
「エマは?」
クイントの顔から。
少しずつ。
笑顔が消えていった。
「…………」
ギルは。
逃げなかった。
逃げることだけは。
してはいけないと思った。
「……お前を助けるために」
「…………?」
「トレシィへ」
「…………」
声が。
詰まる。
「対価として……渡った」
「…………」
クイントが。
瞬きをする。
「……なに、それ」
「…………」
「どういう意味?」
「クイント」
「エマは?」
「…………」
「どこにいるの?」
「…………」
ギルが。
答える。
「……もう、いない」
「…………」
長い。
沈黙。
「…………うそ」
その日。
エマの物語は。
主人公を失った。
けれど。
物語は。
そこで終わらなかった。
エマが命を渡して救ったクイントが生き。
やがて。
クイントが誰かを救う。
その誰かが。
また。
別の誰かへ繋いでいく。
エマ自身がいなくなっても。
エマから始まったものだけは。
世界に残り続ける。
だから。
これは。
最後まで。
――『エマの物語』なのだ。
しゃ 第一部前半おわった ながかったぁぁぁ
いやこれ前半なのながいよ しかも下手したら前半すら終わってないよ
チャッピーにエマ視点おねがいした あとは頼んだチャッピー
エマの物語――その後
私の物語は、もうとっくに終わっている。
いつだったか。
誰かにそう言ったら、随分変な顔をされた。
生きているのに。
まだこうして歩いて、喋って、ご飯を食べて。
泣いたり笑ったりしているのに。
物語が終わったなんて、おかしいらしい。
でも。
私にとっては、本当にそうだった。
タタンが死んだ。
あの日。
私の物語は終わった。
■
それまでの私は、随分いろんなことをした。
戦って。
逃げて。
誰かと出会って。
誰かと別れて。
失敗もした。
守れなかったものも。
たくさんあった。
その全部の中心に。
タタンがいた。
だから。
タタンがいなくなった時。
不思議なくらい。
何もなくなった。
世界は続いていた。
朝になれば太陽は昇ったし。
お腹も空いた。
眠くもなった。
みんなは生きていた。
私も。
生きていた。
でも。
私が主人公だった話だけが。
そこで。
ぷつんと。
終わった。
■
だから。
クイントと出会ったことは。
本当なら。
『エマの物語』とは関係ない。
「エマー!」
「なに?」
「お腹すいた!」
「さっき食べたでしょう?」
「育ち盛りだから!」
「便利な言葉覚えたね」
「えへへ」
こんなの。
物語でも何でもない。
「エマ! 髪やって!」
「昨日もやったよ?」
「今日も!」
「自分でできるようにならないと駄目だよ」
「エマがやった方がかわいい!」
「はいはい」
髪を梳かして。
結んで。
「痛い!」
「動くからでしょ」
「エマ下手!」
「じゃあ自分でやって」
「やだ!」
「もう……」
こんなの。
世界を救う話でも。
誰かを倒す話でもない。
■
「エマ」
「なに?」
「今日、一緒に寝てもいい?」
「怖い夢?」
「違う」
「じゃあなんで?」
「…………」
「クイント?」
「一緒がいいだけ」
「…………」
仕方ないなあ。
そう言って。
布団を少し空ける。
「やった!」
クイントが潜り込んでくる。
「狭い」
「エマそっち行って」
「私の布団なんだけど」
「じゃあ半分!」
「最初から半分だったよ」
「もっと半分!」
「それ私なくならない?」
「大丈夫!」
「何が?」
笑う。
クイントも笑う。
それだけ。
本当に。
それだけだった。
■
いつからだったんだろう。
クイントが。
私を母親みたいに見るようになったのは。
私にも分からない。
そもそも。
私だって。
母親になるつもりなんてなかった。
そんな大層なものじゃない。
ご飯を食べさせて。
叱って。
泣いていたら抱き締めて。
眠れなかったら隣にいて。
怪我をしたら心配して。
くだらない話をして。
たまに喧嘩して。
それだけ。
気付いたら。
クイントが大きくなっていた。
そして。
私も。
この子を娘みたいに思っていた。
■
おかしな話だ。
私の物語は。
もう終わったはずなのに。
「エマ!」
「なにー?」
「見て!」
「何を?」
「できた!」
「…………」
クイントが。
得意げに何かを見せてくる。
「すごいでしょ!」
「うん」
「もっと褒めて!」
「すごいすごい」
「雑!」
「あはは」
こんな日々が。
案外。
嫌いじゃなかった。
むしろ。
好きだった。
タタンが死んで。
物語が終わって。
全部なくなったと思っていたのに。
終わった後にも。
人生は続くらしい。
だから。
これはきっと。
後日談。
いや。
後日談というほど立派なものですらない。
おまけ。
そのまた。
おまけ。
■
そして。
ある日。
クイントが。
死にかけた。
「…………」
寝台の上。
私の知っている元気な女の子は。
そこにはいなかった。
呼吸は浅く。
顔は白い。
名前を呼んでも。
答えてくれない。
「クイント」
頬に触れる。
「…………」
冷たい。
「ねえ」
「…………」
「起きてよ」
「…………」
起きない。
こんなの。
嫌だった。
■
願い屋という人が来た。
トレシィ。
綺麗な人だった。
そして。
クイントを助けられると言った。
その代わり。
「この子の母親に等しい人」
そう言って。
「エマでいいわ」
私を選んだ。
「…………」
なんだ。
そう思った。
私でいいんだ。
だったら。
簡単だった。
……なんて。
そんなわけない。
■
死にたくない。
怖い。
まだ生きたい。
クイントが大きくなるところも見たい。
また髪を結んであげたい。
一緒にご飯を食べたい。
くだらないことで喧嘩して。
次の日には忘れて。
また笑いたい。
ギルとも。
みんなとも。
まだ一緒にいたい。
私の物語は終わった。
でも。
だからって。
私の人生まで。
終わってほしいわけじゃない。
「…………」
それでも。
クイントを見る。
小さな身体。
弱い呼吸。
「……そっか」
なんとなく。
笑ってしまった。
■
タタン。
私ね。
あなたが死んだ時。
私の物語は終わったと思った。
実際。
たぶん。
終わったんだと思う。
その後なんて。
本当に。
おまけだった。
でもね。
結構。
長いおまけだったよ。
そのおまけで。
娘ができた。
本当の娘じゃないけど。
私を必要としてくれる子ができた。
髪を結んでって言われて。
一緒に寝ようって言われて。
いっぱい困らされて。
いっぱい笑った。
だから。
悪くなかった。
■
「エマ」
ギルが。
私を見る。
すごい顔。
そんな顔しなくていいのに。
「私でいいよ」
「駄目だ」
「クイントを助けて」
「駄目だ!」
「ギル」
「まだ方法を探す!」
「もう探したでしょう?」
「探す!」
「…………」
困ったな。
こういう時。
ギルは頑固だ。
「ギル」
「何だ」
「私ね」
「…………」
「クイントのお母さんになれたかな」
「…………」
聞いてみた。
ずっと。
少しだけ気になっていた。
「……なれたよ」
「…………」
「なれてた」
「そっか」
嬉しかった。
「よかった」
それだけで。
この長いおまけにも。
ちゃんと意味があった気がした。
■
クイントの髪を撫でる。
「ごめんね」
返事はない。
「起きた時、いなくてごめん」
「…………」
きっと。
怒る。
泣くかもしれない。
私を探すかもしれない。
「でもね」
額に。
そっと口付ける。
「私の分まで生きて、なんて言わないから」
「…………」
それは。
きっと。
重すぎる。
「クイントはクイントのために生きて」
「…………」
「いっぱい好きなことして」
「…………」
「いっぱい困って」
「…………」
「いっぱい笑って」
そして。
「幸せになってね」
■
トレシィを見る。
「私を使って」
「後悔する?」
「するよ」
「…………」
「死にたくないもん」
「そう」
「でも」
「…………」
「クイントを助けて」
トレシィが。
頷いた。
「契約成立」
身体が。
光になっていく。
「…………」
ああ。
本当に。
終わるんだ。
少し怖い。
すごく寂しい。
でも。
不思議と。
タタンが死んだ時とは違った。
あの時は。
全部が終わったと思った。
今は。
違う。
私が終わっても。
クイントがいる。
ギルがいる。
みんながいる。
世界は。
勝手に続いていく。
「…………」
だから。
これは。
『エマの物語』の最終回じゃない。
最終回なんて。
ずっと昔に終わってる。
これは。
エピローグですらない。
本当に。
ただのおまけ。
そのまたおまけ。
でも。
私は。
このおまけが。
結構。
好きだった。
「クイント」
最後に。
もう一度だけ。
娘の名前を呼んだ。
「大好きだよ」
――そうして。
とっくの昔に終わっていた『エマの物語』に。
最後の一行だけが。
そっと。
書き足された。