エマ   作:篠原えれの

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第十四話『エマがいなくなってから』

 

 

 エマがいなくなった。

 

 願い屋トレシィとの契約。

 

 クイントを救うための対価として。

 

 エマは、自らその身を差し出した。

 

 そして。

 

 クイントは生き残った。

 

 ■

 

 数日後。

 

「……お父さん」

 

 小さな声。

 

 ギルは、ずっと握っていた手に僅かな力が戻ったことに気付いた。

 

「クイント」

 

「……うん」

 

「分かるか」

 

「……お父さん」

 

「ああ」

 

「…………」

 

 クイントが弱々しく笑った。

 

「よかった……」

 

「何がだ」

 

「……まだ、いた……」

 

「…………」

 

 ギルは何も言えなかった。

 

「いる」

 

「…………うん」

 

 まだ身体は重い。

 

 傷そのものは治ったが、星魅の巫女によって削られた生命力まですぐに戻るわけではない。

 

 クイントは、しばらく天井を見ていた。

 

 そして。

 

「…………」

 

 部屋の中を見る。

 

 何かを探すように。

 

「ねえ」

 

「…………」

 

「エマは?」

 

「…………」

 

 ギルの手が止まった。

 

「お父さん?」

 

「…………」

 

「エマ、どこ?」

 

「…………」

 

 クイントがギルを見る。

 

「ねえ」

 

「…………」

 

「エマは?」

 

 答えない。

 

 その沈黙だけで。

 

 クイントの顔から、少しずつ笑顔が消えていった。

 

「……お前を助けるために」

 

「…………?」

 

「トレシィへ」

 

「…………」

 

 ギルの声が詰まる。

 

「対価として……渡った」

 

「…………」

 

 クイントは瞬きをした。

 

「……なに、それ」

 

「…………」

 

「どういう意味?」

 

「クイント」

 

「エマは?」

 

「…………」

 

「どこにいるの?」

 

「…………」

 

 ギルは逃げなかった。

 

「……もう、いない」

 

「…………」

 

 長い沈黙。

 

「……うそ」

 

「…………」

 

「嘘だよ」

 

「…………」

 

「だって……」

 

 クイントが起き上がろうとする。

 

「まだ無理だ!」

 

「エマ!」

 

「クイント!」

 

「エマ!」

 

 身体に力が入らない。

 

 それでも。

 

 寝台から降りようとする。

 

「離して!」

 

「駄目だ!」

 

「エマどこ!?」

 

「クイント!」

 

「私、何も頼んでない!」

 

「…………」

 

「助けてなんて言ってない!」

 

「…………」

 

「エマに死んでなんて言ってない!!」

 

 泣きながら。

 

 クイントはギルの服を掴んだ。

 

「なんで……」

 

「…………」

 

「なんで助けたの……」

 

「…………」

 

「私が死ねばよかったじゃん……」

 

「それだけは言うな」

 

「だって!」

 

「言うな!」

 

「私が死んでたらエマはいたんでしょ!?」

 

「…………」

 

「だったら……」

 

「…………」

 

「私なんか助けなきゃよかったのに……」

 

 ギルには。

 

 その言葉を否定することしかできなかった。

 

 けれど。

 

 どんな言葉を使っても。

 

 クイントの中にできた傷だけは。

 

 治すことができなかった。

 

 ■

 

 その頃。

 

 コウヤにも。

 

 エマの死が伝えられた。

 

「…………」

 

 最初は。

 

 何を言われたのか分からなかった。

 

「……もう一回言って」

 

「コウヤ」

 

「母さんが、どうしたって?」

 

「…………」

 

 ギルが答える。

 

「クイントを救うために、トレシィとの契約の対価になった」

 

「…………」

 

「エマ自身が決めたことだ」

 

「……なんで」

 

「…………」

 

「なんで母さんなんだよ」

 

「トレシィが指定した」

 

「なんで母さんなんだよ!」

 

 コウヤが叫ぶ。

 

「他にいただろ!」

 

「…………」

 

「俺でも!」

 

「…………」

 

「お前でも!」

 

「…………」

 

「他にいくらでもいたじゃねぇか!」

 

「トレシィが求めたのは、クイントにとって母親に等しい存在だ」

 

「…………」

 

「だからエマが――」

 

「だからって!」

 

 拳が震える。

 

「母さんが死んでいい理由になるかよ!!」

 

 ならない。

 

 そんなことは。

 

 ギルだって分かっていた。

 

 ■

 

 数日後。

 

 クイントは、ようやく一人で歩けるようになっていた。

 

 まだ長く歩けば息が切れる。

 

 それでも。

 

 ずっと部屋にいることには耐えられなかった。

 

「…………」

 

 廊下。

 

 向こうから。

 

 コウヤが歩いてくる。

 

「…………」

 

 二人とも。

 

 足を止めた。

 

「……コウヤ」

 

「…………」

 

「何?」

 

「……身体」

 

「…………」

 

「もう大丈夫なのか」

 

「……うん」

 

「…………」

 

「…………」

 

 それだけで。

 

 終わればよかった。

 

「……そうか」

 

 コウヤが俯く。

 

「よかったな」

 

「…………」

 

「助かって」

 

「……何それ」

 

「そのままだよ」

 

「…………」

 

「お前は生きてる」

 

「…………」

 

「母さんは死んだけど」

 

「やめて」

 

「…………」

 

「それ以上言わないで」

 

「なんで」

 

「コウヤ」

 

「なんで母さんだったんだよ」

 

「…………」

 

 クイントの顔が歪んだ。

 

「知らないよ」

 

「お前を助けるためだったんだろ」

 

「知ってる」

 

「母さんがお前の代わりに――」

 

「知ってるって言ってるじゃん!」

 

「だったら!」

 

「私だって嫌だったよ!」

 

 クイントが叫んだ。

 

「起きたらいなかったんだよ!」

 

「…………」

 

「何も知らなかった!」

 

「…………」

 

「助けてなんて頼んでない!」

 

「…………」

 

「エマに死んでなんて言ってない!」

 

「母さんだって死にたくなかった!」

 

「分かってるよ!!」

 

 クイントの目から涙が落ちる。

 

「分かってる!」

 

「…………」

 

「だからずっと思ってるよ!」

 

「…………」

 

「私なんか助けなきゃよかったって!」

 

「…………」

 

「エマじゃなくて!」

 

 声が震えた。

 

「私が死ねばよかったんでしょ!」

 

「…………」

 

 コウヤは。

 

 何も言えなかった。

 

 本当なら。

 

 否定すればよかった。

 

 母さんが選んだことだ。

 

 お前のせいじゃない。

 

 そう言えばよかった。

 

 けれど。

 

 コウヤの頭に浮かんだのは。

 

 エマだった。

 

 母さんだった。

 

 もう。

 

 どこにもいない。

 

「……そうだよ」

 

「…………」

 

 言った瞬間。

 

 自分でも。

 

 間違えたと分かった。

 

 それでも。

 

 止められなかった。

 

「だったら……」

 

「…………」

 

「お前が死ねばよかったんだよ」

 

「――――」

 

 クイントの顔から。

 

 表情が消えた。

 

「……クイント」

 

「…………」

 

「今のは」

 

「……そっか」

 

「違う」

 

「そう思ってたんだ」

 

「違う!」

 

「何が違うの?」

 

「俺は……」

 

「いいよ」

 

「クイント」

 

「もういい」

 

 クイントが涙を拭う。

 

「私もそう思ってるから」

 

「…………」

 

「私が死ねばよかったって」

 

「違う、俺は――」

 

「でも」

 

 クイントが。

 

 初めて。

 

 コウヤを睨んだ。

 

「それをコウヤに言われたくなかった」

 

「…………」

 

 コウヤは。

 

 何も言えなくなった。

 

「もう話しかけないで」

 

「待て」

 

「嫌」

 

「クイント!」

 

「顔も見たくない!」

 

 走っていく。

 

 コウヤは追えなかった。

 

 追いかけて。

 

 謝ればよかった。

 

 今のは違う。

 

 本当はそんなこと思っていない。

 

 そう言えばよかった。

 

 けれど。

 

 その時のコウヤには。

 

 まだ。

 

 エマを失った悲しみの方が。

 

 何よりも大きかった。

 

 だから。

 

 追いかけなかった。

 

 その一度の選択が。

 

 一年になった。

 

 三年になった。

 

 五年になった。

 

 そして。

 

 十年近い時間になった。

 

 ■

 

 一年後。

 

「…………」

 

 食堂。

 

 クイントが朝食を取っている。

 

 少し離れた席にはコウヤ。

 

 以前なら。

 

 同じ場所にいれば。

 

 どちらかが何かしら話していた。

 

 今は。

 

「…………」

 

 クイントが立ち上がる。

 

「ごちそうさま」

 

「ああ」

 

 ギルにだけ声をかける。

 

 コウヤの横を通り過ぎても。

 

 見もしなかった。

 

「…………」

 

 コウヤも。

 

 顔を上げない。

 

「おい」

 

「何」

 

「いつまで続ける気だ」

 

「何が」

 

「分かってるだろ」

 

「…………」

 

 コウヤがパンをちぎる。

 

「別に」

 

「別にじゃない」

 

「向こうが話しかけるなって言ったんだ」

 

「だから十年でも二十年でも、そのままでいる気か」

 

「…………」

 

 答えない。

 

「謝れ」

 

「…………」

 

「お前が悪い」

 

「分かってるよ」

 

「なら――」

 

「分かってるって言ってんだろ!」

 

 声を荒らげる。

 

「…………」

 

 すぐに。

 

 コウヤ自身が黙った。

 

「……分かってるよ」

 

「…………」

 

「俺が悪い」

 

「なら話せ」

 

「…………」

 

 コウヤが。

 

 クイントの消えた扉を見る。

 

「何て言うんだよ」

 

「…………」

 

「今さら」

 

 ■

 

 そして。

 

 そんな二人を。

 

 どうにかしようとする者もいた。

 

「――で?」

 

 ある日。

 

 ゼウスがエルサイアへやって来た。

 

 普段は加藤秋人として行動している男だが。

 

 今は。

 

 完全にゼウスの顔だった。

 

「お前ら」

 

「…………」

 

「…………」

 

「いつまで喧嘩してんだ」

 

「…………」

 

「…………」

 

 クイントとコウヤを。

 

 わざわざ同じ部屋へ呼び出した。

 

「俺様、忙しいんだけど」

 

「じゃあ帰れば?」

 

「クイント」

 

「何」

 

「そういうとこだぞ」

 

「何が?」

 

「そういうとこ」

 

「意味分かんない」

 

「…………」

 

 ゼウスが。

 

 今度はコウヤを見る。

 

「お前も」

 

「…………」

 

「謝れ」

 

「……なんで俺だけ」

 

「お前が『死ねばよかった』っつったからだろ」

 

「…………」

 

 クイントの顔が。

 

 露骨に強張る。

 

「ほら。謝れ」

 

「…………ごめん」

 

「…………」

 

 クイントは何も言わない。

 

「クイント」

 

「何」

 

「コウヤ謝ったぞ」

 

「聞こえた」

 

「なら――」

 

「だから何?」

 

「…………」

 

 ゼウスが止まる。

 

「十年近く前のことを今さら『ごめん』って言われて、じゃあ仲直りねってなると思う?」

 

「…………」

 

「私、ずっと覚えてるよ」

 

「クイント」

 

「エマがいなくなったことも」

 

「…………」

 

「私が死ねばよかったって言われたことも」

 

「…………」

 

 コウヤが俯く。

 

「……だから謝ってるだろ」

 

「ほら」

 

「何が」

 

「そういうところが嫌い」

 

「は?」

 

「謝れば全部終わると思ってるところ」

 

「思ってねぇよ!」

 

「じゃあ何なの!」

 

「俺だってどうすればいいか分かんねぇんだよ!」

 

「知らないよ!」

 

「俺だって母さんが――」

 

「その話やめて!」

 

「なんでだよ!」

 

「やめてって言ってるでしょ!」

 

「――お前ら!!」

 

 ゼウスが二人の間へ入る。

 

「喧嘩止めるために呼んだのに悪化してんじゃねぇか!!」

 

「ゼウスが余計なことするからでしょ!」

 

「俺様!?」

 

「俺は何もしたくなかった!」

 

「コウヤまで!?」

 

 結局。

 

 クイントは部屋を出ていった。

 

「…………」

 

 扉が閉まる。

 

「…………」

 

 ゼウスが。

 

 残されたコウヤを見る。

 

「……俺様、こういうの向いてねぇわ」

 

「知ってる」

 

「お前に言われたくねぇ」

 

 ■

 

 ノヴァへ戻ると。

 

 当然のように。

 

 ミカエルが待っていた。

 

「どうでした?」

 

「…………」

 

 ゼウスは。

 

 酒を取り出した。

 

「飲む?」

 

「どうでした?」

 

「まあ飲めって」

 

「ゼウス」

 

「…………」

 

 ゼウスが。

 

 仕方なく答える。

 

「悪化した」

 

「何をしてきたんですか!!」

 

「俺様なりに頑張ったんだよ!」

 

「どうすれば仲直りさせようとして悪化するんです!」

 

「じゃあお前がやってみろ!」

 

「行けないんですよ!!」

 

「あ」

 

「『あ』ではありません!」

 

 ミカエルが。

 

 頭を抱える。

 

「……もう一度行ってきてください」

 

「嫌だ」

 

「ゼウス」

 

「絶対嫌だ」

 

「お願いします」

 

「お前がデメテル説得しろよ!」

 

「ずっと説得しています!」

 

「まだ駄目なのかよ」

 

「駄目です!」

 

 二人で。

 

 ため息をついた。

 

 ミカエルは。

 

 エマを見ることは許されている。

 

 観測することも。

 

 そこで何が起きているのか知ることも。

 

 禁じられてはいない。

 

 ただ。

 

 エマへ行くことだけが。

 

 許されていなかった。

 

 だから。

 

 クイントとコウヤが拗れていくのを。

 

 何年も。

 

 見ていることしかできなかった。

 

 ■

 

 その頃。

 

 エルサイアでは。

 

 もう一つ。

 

 大きな変化が起きていた。

 

「…………」

 

 ライベルトが。

 

 本を読んでいる。

 

 人体。

 

 解剖学。

 

 魔術による再生。

 

 人工精霊による生体への干渉。

 

 錬金術。

 

 記憶。

 

 魂。

 

 生命。

 

 以前から本を読むことはあった。

 

 だが。

 

 エマが死んでから。

 

 その量は。

 

 明らかに増えていた。

 

「…………」

 

 煙草を咥える。

 

「ライベルト」

 

「…………」

 

 ギルが。

 

 部屋へ入ってきた。

 

「また煙草か」

 

「……うん」

 

「酒もあるな」

 

「うん」

 

「朝だぞ」

 

「知ってる」

 

「…………」

 

 ギルが。

 

 少し止まる。

 

「お前」

 

「何」

 

「随分喋るようになったな」

 

「…………」

 

 ライベルトが。

 

 少し考える。

 

「前から喋れる」

 

「嘘つけ」

 

「…………」

 

「最初なんてほとんど単語だっただろ」

 

「……面倒だった」

 

「喋るのが?」

 

「うん」

 

「…………」

 

 ギルが。

 

 机を見る。

 

「何を調べてる」

 

「生命」

 

「それは見れば分かる」

 

「じゃあ聞かないで」

 

「お前な……」

 

 ライベルトが。

 

 煙を吐く。

 

 そして。

 

 また本へ目を落とした。

 

「……エマ」

 

「…………」

 

 ギルの顔が。

 

 僅かに変わる。

 

「生き返らないかな」

 

「…………」

 

「ずっと考えてる」

 

「ライベルト」

 

「身体を作って」

 

「…………」

 

「記憶を戻して」

 

「…………」

 

「魂も同じなら」

 

 ページをめくる。

 

「エマになる?」

 

「…………」

 

 ギルには。

 

 答えられなかった。

 

「分からない」

 

「……そうだな」

 

「だから調べてる」

 

 ■

 

 それから。

 

 ライベルトは。

 

 本当に。

 

 ずっと研究を続けた。

 

 一年。

 

 人体構造。

 

 三年。

 

 人工精霊と生体の関係。

 

 五年。

 

 錬金術による人工臓器。

 

 七年。

 

 記憶と脳。

 

 魂と人格。

 

 九年。

 

 人工生命。

 

 そして。

 

 十年。

 

「…………」

 

 机の上には。

 

 酒。

 

 灰皿。

 

 煙草。

 

 大量の紙。

 

 そして。

 

 何百冊という本。

 

 その頃には。

 

 ライベルトも。

 

 随分流暢に話せるようになっていた。

 

「無理だな」

 

「何がだ」

 

 ギルが尋ねる。

 

「人造人間」

 

「…………」

 

「十年程度じゃ全然足りない」

 

「当たり前だ」

 

「分かってる」

 

「なら少し休め」

 

「嫌」

 

「お前、昨日もほとんど寝てないだろ」

 

「寝た」

 

「何時間」

 

「二時間」

 

「それを寝たとは言わん」

 

「私は言う」

 

 煙草へ手を伸ばす。

 

 ギルが取り上げた。

 

「返して」

 

「寝ろ」

 

「返して」

 

「駄目だ」

 

「ギル」

 

「駄目だ」

 

「……けち」

 

「何とでも言え」

 

 ライベルトは。

 

 仕方なく。

 

 椅子へ身体を預けた。

 

「…………」

 

 天井を見る。

 

「エマ」

 

「…………」

 

「作れると思ったんだけどな」

 

「十年でか?」

 

「最初は」

 

「随分自信家だったんだな」

 

「うん」

 

 少しの沈黙。

 

「でも」

 

「ん?」

 

「身体を作れても」

 

「…………」

 

「それはエマなのかな」

 

「…………」

 

「同じ顔」

 

「…………」

 

「同じ身体」

 

「…………」

 

「同じ記憶」

 

「…………」

 

「全部作れたとして」

 

 ライベルトが。

 

 ギルを見る。

 

「それ、エマ?」

 

「…………」

 

 ギルは。

 

 長く黙った。

 

「……俺には分からん」

 

「私も」

 

「…………」

 

「だから困ってる」

 

「そうか」

 

「うん」

 

 それでも。

 

 ライベルトは。

 

 本を閉じなかった。

 

 ■

 

 ノヴァ。

 

 ミカエルは。

 

 その様子も。

 

 十年間。

 

 ずっと見ていた。

 

「またライベルトか」

 

 ゼウスが。

 

 隣へ来る。

 

「ええ」

 

「よく続くな」

 

「…………」

 

 観測の向こう。

 

 ライベルトが。

 

 また新しい本を開く。

 

「彼女は諦めないのでしょうね」

 

「エマを生き返らせること?」

 

「それもありますが」

 

「ん?」

 

「知ることを」

 

「…………」

 

 ミカエルが。

 

 少し笑う。

 

「分からないから調べる」

 

「…………」

 

「できないから学ぶ」

 

「…………」

 

「十年で無理なら、さらに続ける」

 

「お前、好きそうだもんな。そういう奴」

 

「ええ」

 

 そして。

 

 観測の景色が変わる。

 

 クイント。

 

 王として。

 

 仕事をしている。

 

 そこへ。

 

 コウヤが入ってくる。

 

「…………」

 

 ミカエルが。

 

 身を乗り出す。

 

「お」

 

「…………」

 

 ゼウスも見る。

 

 コウヤが。

 

 書類を置く。

 

「……陛下」

 

「何」

 

「錬金術師側から」

 

「そこ置いて」

 

「…………」

 

「…………」

 

 それだけ。

 

 コウヤは。

 

 部屋を出ていった。

 

「…………」

 

 ミカエルが。

 

 頭を抱える。

 

「十年ですよ」

 

「ああ」

 

「十年!」

 

「知ってる」

 

「何故まだこうなのです!」

 

「俺様に聞くな!」

 

「何度もエマへ行ったでしょう!」

 

「行ったよ!」

 

「成果は!」

 

「ない!」

 

「堂々と言わないでください!!」

 

 ゼウスも。

 

 酒を飲む。

 

「……難しいんだよ」

 

「何がです」

 

「二人とも、もう分かってんだよ」

 

「…………」

 

 ミカエルが。

 

 ゼウスを見る。

 

「コウヤは自分が悪いって分かってる」

 

「…………」

 

「クイントも、コウヤが本気で自分に死んでほしいわけじゃないって、多分もう分かってる」

 

「なら何故」

 

「十年だからだよ」

 

「…………」

 

 ゼウスが。

 

 観測の向こうを見る。

 

「今さらなんだ」

 

「…………」

 

「今さら何て話しかければいいか分からねぇ」

 

「…………」

 

「謝って終わるには長すぎた」

 

「…………」

 

「だから今日も喋らねぇ」

 

「…………」

 

 ミカエルは。

 

 黙った。

 

 やがて。

 

「……やはり私が行くしかありません」

 

「なんでそうなる」

 

「私なら――」

 

「お前でも無理だと思うぞ」

 

「やってみなければ分からないでしょう」

 

「だから行けねぇだろ」

 

「…………」

 

 痛いところを突かれた。

 

 ■

 

「駄目です」

 

「まだ何も言っていません」

 

「エマへ行きたいのでしょう」

 

「…………」

 

 デメテルは。

 

 書類から顔すら上げなかった。

 

「十年です」

 

「知っています」

 

「クイントとコウヤは未だに口を利きません」

 

「知っています」

 

「ライベルトは十年間、生命に関する研究を続けています」

 

「知っています」

 

「ゼウスでは無理でした」

 

「おい」

 

 後ろから。

 

 ゼウスの声。

 

「最後の一言いる?」

 

「事実でしょう」

 

「俺様だって頑張ったんだけど」

 

「結果は?」

 

「…………」

 

「ありませんね」

 

「こいつムカつくな」

 

「ゼウス、静かに」

 

「お前が言うな」

 

 デメテルが。

 

 ようやく。

 

 顔を上げた。

 

「ミカエル」

 

「はい」

 

「貴方は十年間、ずっとエマを見ていたのですか」

 

「毎日ではありません」

 

「…………」

 

「仕事のある日は仕事をしていました」

 

「それ以外は?」

 

「…………」

 

「ミカエル」

 

「……概ね」

 

「毎日ではありませんか」

 

「…………」

 

 デメテルが。

 

 深く。

 

 ため息をついた。

 

 エマへ行くことは許されない。

 

 だから。

 

 ただ見ていた。

 

 クイントが大人になっていくところを。

 

 コウヤが謝れないまま年月を重ねていくところを。

 

 ライベルトが。

 

 一本。

 

 また一本と煙草を灰皿へ押し付け。

 

 酒を飲み。

 

 本を開き。

 

 エマを生き返らせる方法を探しているところを。

 

 十年間。

 

 ずっと。

 

「…………」

 

 デメテルは。

 

 目を閉じた。

 

 そして。

 

「……仕方ないわね」

 

「…………!」

 

 ミカエルが。

 

 顔を上げた。

 

「デメテル?」

 

「十年です」

 

「はい」

 

「十分でしょう」

 

「それは――」

 

「エマへの渡航禁止を、条件付きで解除します」

 

「…………」

 

 ミカエルが。

 

 完全に固まった。

 

「ただし」

 

「はい」

 

「勝手な介入は禁止」

 

「はい」

 

「星魅の巫女に関する異常を発見した場合は、即座に報告」

 

「はい」

 

「力を用いて歴史へ干渉することも原則禁止」

 

「はい」

 

「クイントとコウヤを魔法で仲直りさせることも禁止」

 

「しませんよ!?」

 

「念のためです」

 

「私を何だと思っているのです!」

 

「十年前、力ずくでエマへ転移しようとして、ゼウスと私に止められた大天使」

 

「…………」

 

「反論は?」

 

「ありません……」

 

 ゼウスが。

 

 堪えきれず。

 

 吹き出した。

 

「お前、信用なさすぎだろ」

 

「誰のせいで十年間クイント達が拗れていると思っているんです?」

 

「俺様のせいじゃねぇだろ!」

 

「少なくとも改善はしませんでした」

 

「お前ほんっと一言多いな!」

 

 デメテルが。

 

 もう一度。

 

 ため息をつく。

 

「行ってきなさい、ミカエル」

 

「…………」

 

 ミカエルは。

 

 十年間。

 

 見ることしかできなかった世界を。

 

 もう一度。

 

 見た。

 

 クイント。

 

 コウヤ。

 

 ギル。

 

 そして。

 

 酒と煙草と本に囲まれ。

 

 未だ存在しない『人造人間』を作ろうと。

 

 研究を続けるライベルト。

 

「――はい」

 

 十年ぶりに。

 

 大天使ミカエルは。

 

 自分の足で。

 

 エマの地を踏むことを許された。

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