エマがいなくなってから、十年。
ミカエルはようやく、惑星ストリジア――エルサイア王国へ足を踏み入れることを許された。
「……で、なんでその姿なんだよ」
城へ向かう道すがら。
隣を歩く秋人が、呆れたようにこちらを見る。
「何か問題でも?」
「いや、問題はねぇけどよ」
今のミカエルは、普段の姿ではない。
長い年月を生きる天族としての姿を変身魔法で隠し、黒髪の日本人男性へと姿を変えている。
名は――天城怜司。
人として行動する時に使う名前だった。
「十年ぶりの再会なんだろ? 普通そのまま行かねぇ?」
「嫌です」
「即答かよ」
「この姿の方が都合がいいんですよ。大天使ミカエルが堂々とエルサイアを歩いていたら、余計な騒ぎになります」
「お前、昔からそういうとこだけ妙に気にするよな」
「貴方が気にしなさすぎるのです」
「俺様は加藤秋人として普通に来てるだけだろ」
「一人称をどうにかしてください」
「嫌だね」
秋人が笑う。
「で?」
「何です?」
「緊張してんの?」
「していません」
「十年ぶりだぞ?」
「知っています」
「クイントも大人になった」
「知っています」
「コウヤも」
「知っています」
「二人とも未だに仲悪い」
「…………知っています」
「そこだけ間があったな」
「うるさいですね」
十年間。
エマを見ることは禁止されていなかった。
だから、知っている。
クイントが成長していく姿も。
コウヤが錬金術師として力をつけていく姿も。
ライベルトが少しずつ言葉を覚え、酒と煙草を覚え、やがて生命についての研究へ没頭していったことも。
そして。
クイントとコウヤが、十年間まともに口を利かなくなったことも。
全部。
見ていた。
ただ。
触れることだけができなかった。
「…………」
「ミカエル」
「何です?」
「やっぱ緊張してんじゃねぇか」
「していません」
「さっきから城見すぎ」
「…………」
「帰る?」
「殺しますよ」
「怖ぇよ!」
秋人が笑う。
十年。
長かった。
ようやく。
帰ってきた。
■
「客人?」
エルサイア城。
執務室で書類に目を通していたクイントが顔を上げた。
「はい。加藤秋人殿と、もう一名」
「秋人は分かるけど、もう一人は?」
「天城怜司と名乗っています」
「…………誰?」
知らない。
少なくとも、クイントの記憶にはない名前だった。
「通して」
「はい」
しばらくして。
扉が開いた。
「よう」
「秋人」
最初に入ってきたのは、よく知っている男。
「久しぶりだな」
「この前も来たじゃん」
「細けぇこと言うなよ」
「数ヶ月しか経ってないでしょ」
「俺様にとって数ヶ月なんて誤差だ」
「はいはい」
クイントが苦笑する。
そして。
秋人の後ろから。
「失礼します」
もう一人。
黒髪の男が入ってきた。
「…………」
知らない。
見覚えのない男。
「初めまして」
「……どうも」
「天城怜司です」
「日本人?」
「そう思っていただいて構いません」
「何その言い方」
「事実ですから」
「…………」
クイントが。
じっと男を見る。
「何でしょう」
「…………」
「クイント?」
「いや……」
何か。
変だった。
知らない顔。
知らない声。
知らない名前。
なのに。
妙に。
知っている気がする。
「秋人」
「ん?」
「この人、誰?」
「本人が名乗っただろ。天城怜司」
「そういう意味じゃなくて」
「じゃあどういう意味だ」
「…………」
クイントが。
怜司を見る。
「なんか……」
「?」
「変」
「初対面の人間に対して随分ですね」
「ほら」
「何がです?」
「そういう言い方」
「…………」
「なんか知ってる」
「気のせいでしょう」
「…………」
クイントが。
さらにじっと見る。
「…………」
「…………」
「…………」
「……いつまで見るのです?」
「それ」
「何が」
「それ!」
クイントが立ち上がった。
「その喋り方!」
「…………」
「なんかミカエルみたい!」
「…………」
「…………」
秋人が。
横を向いた。
「ぶっ」
「秋人?」
「いや、なんでもねぇ」
「今笑ったよね?」
「笑ってねぇ」
「笑った!」
「気のせいだ」
「…………」
怪しい。
クイントが。
もう一度、怜司を見る。
「…………ミカエル?」
「…………」
怜司が。
深くため息をついた。
「まったく……」
「…………!」
「十年経っても、その妙なところで勘がいいのは変わりませんね」
「…………え」
「久しぶりですね、クイント」
数秒。
クイントが固まった。
「…………」
「…………」
「…………えええええ!?」
「声が大きい!」
「ミカエル!?」
「ええ」
「何その姿!?」
「変身魔法です」
「なんで!?」
「目立つでしょう」
「知らない人だと思ったじゃん!」
「そのための変身ですから」
「十年ぶりなのに!?」
「十年ぶりだからです」
「意味分かんない!」
「落ち着きなさい」
「落ち着けるか!」
クイントが。
怜司の周りを一周する。
「本当にミカエル?」
「疑うなら解除しましょうか?」
「いや、いい!」
「どちらなのです」
「だって絶対騒ぎになるじゃん」
「だから変身しているのです」
「……あ、そっか」
「今理解したのですか?」
「うるさい!」
秋人が。
その様子を見ながら笑っていた。
「変わんねぇなぁ、お前ら」
「何が」
「十年前と」
「…………」
その一言で。
クイントが。
少しだけ静かになった。
「……十年か」
「ええ」
「長かった?」
「…………」
怜司が。
少し考える。
「非常に」
「…………」
クイントが。
小さく笑った。
「おかえり」
「…………」
その言葉に。
ミカエルは一瞬だけ目を見開いた。
「……はい」
笑う。
「ただいま戻りました」
■
「で」
少しして。
怜司が尋ねた。
「コウヤは?」
「…………」
クイントの顔が。
分かりやすく変わった。
「錬金術棟」
「まだ話していないのですか」
「…………」
「クイント」
「必要なことは話すよ」
「必要なことだけでしょう」
「…………」
「十年ですよ?」
「ミカエル」
「何です」
「帰ってきて早々それ?」
「…………」
秋人が。
怜司の肩を叩いた。
「やめとけ」
「何故です」
「俺様も何回か失敗してる」
「貴方と一緒にしないでください」
「お前、一回痛い目見た方がいいぞ」
「意味が分かりません」
「…………」
クイントが。
小さくため息をついた。
「呼ぶ?」
「お願いします」
「分かった」
■
「何だよ、急に」
しばらくして。
扉が開いた。
コウヤが入ってくる。
「秋人?」
「よう」
「また来たのか」
「なんだよその言い方」
「だってよく来るじゃん」
「俺様は歓迎されてねぇのか?」
「別に」
「お前ら親子揃って冷たくね?」
「誰と親子だよ」
「ギルとだよ!」
「……ああ」
そして。
コウヤが。
怜司を見る。
「…………誰?」
「…………」
怜司の眉が僅かに動いた。
「初めまして」
「…………」
「天城怜司です」
「日本人?」
「その質問、先ほどもされました」
「は?」
「いえ。こちらの話です」
「…………」
コウヤが。
じっと見る。
「何」
「いえ」
「なんだよ」
「十年経っても愛想がありませんね」
「…………」
止まった。
「…………」
コウヤが。
もう一度。
怜司を見る。
「……お前」
「何でしょう」
「…………」
眉を寄せる。
「ミカエル?」
「…………」
秋人が。
また吹き出した。
「なんで二人とも分かるんだよ!」
「貴方は黙っていてください」
「その喋り方で分かるわ!」
コウヤが。
怜司を見る。
「……マジで?」
「ええ」
「…………」
「久しぶりですね、コウヤ」
「…………」
笑う。
つもりだった。
ミカエルは。
十年間。
何度も想像していた。
再会したら。
何を話そう。
成長したこと。
錬金術のこと。
クイントとのこと。
エマのこと。
ライベルトのこと。
話したいことは。
いくらでもあった。
けれど。
コウヤから返ってきたのは。
「……今さら帰ってくんなよ」
その一言だった。
「…………」
ミカエルが。
止まった。
「コウヤ」
クイントの声が低くなる。
「何」
「それはないでしょ」
「…………」
「ミカエル、私を助けようとしてたじゃん」
「知ってるよ」
「それでエマに来るの禁止されたんでしょ」
「知ってる」
「十年間だよ?」
「知ってるって言ってんだろ!」
「じゃあなんでそんなこと言うの!」
「知ってるからだよ!」
コウヤが。
怜司を見る。
「全部知ってるよ」
「…………」
「来ようとしたことも」
「…………」
「止められたことも」
「…………」
「十年間、俺らを見てたことも」
「……ええ」
「でも」
拳を握る。
「俺らからしたら」
「…………」
「十年間いなかったんだよ」
「…………」
ミカエルは。
何も言えなかった。
「母さんがいなくなって」
「…………」
「クイントともこうなって」
「…………」
「何やっても上手くいかなくて」
「…………」
「秋人はたまに来たけど」
「おい、俺様ちゃんと結構来たぞ」
「今黙ってろよ!」
「はい」
「…………」
コウヤが。
再びミカエルを見る。
「なのに」
「…………」
「十年経って」
「…………」
「急に帰ってきて」
「…………」
「久しぶりですね、って」
「…………」
吐き捨てるように。
「今さらなんだよ」
「…………」
静かになった。
「……そうですね」
ミカエルが。
ようやく。
答えた。
「貴方からすれば」
「…………」
「そうでしょうね」
「…………」
「でもコウヤ」
クイントが。
また口を挟んだ。
「それ、ミカエルに言うことじゃない」
「…………」
「来なかったんじゃない」
「…………」
「来られなかったんでしょ」
「分かってる」
「だったら――」
「分かっててもムカつくんだよ!」
「何それ!」
「感情に理屈なんかあるかよ!」
「開き直るな!」
「お前に言われたくねぇ!」
「はぁ!?」
「お前だって十年間――」
「やめなさい!」
ミカエルが。
声を上げる。
「…………」
「…………」
二人が。
同時にこちらを見る。
「十年経っても」
「…………」
「貴方達はまだ同じことで――」
「ミカエルに言われたくない」
「…………」
今度は。
クイントだった。
「…………はい?」
「だって十年間いなかったじゃん」
「クイント?」
「ミカエルが悪くないのは分かってるよ」
「…………」
「分かってるけど」
「…………」
「十年間いなかった人に帰ってきて早々説教されたら、それはそれでムカつく」
「…………」
ミカエルが。
固まった。
「ほら」
コウヤが言う。
「クイントも言ってんじゃん」
「コウヤと同じ意味じゃない!」
「似たようなもんだろ」
「違う!」
「何が違うんだよ!」
「全然違う!」
「…………」
ミカエルが。
ゆっくり。
秋人を見る。
「…………」
秋人が。
口元を押さえていた。
「ゼウス」
「ぶっ」
「笑っていますね」
「笑ってねぇ」
「目を見なさい」
「無理」
「何故です」
「だってお前……」
肩を震わせる。
「十年待って帰ってきた初日に二人から刺されてんじゃねぇか」
「…………」
「ぶはっ!」
「殺しますよ」
「ははははは!!」
「秋人うるさい!」
「笑ってる場合じゃねぇだろ!」
「なんで俺様まで怒られんだよ!!」
こうして。
ミカエルの。
待ちに待った十年ぶりの再会は。
想像していたより。
遥かに。
ギスギスしたものとなった。
■
その夜。
城下町。
変身魔法を解くこともなく。
天城怜司の姿のまま。
ミカエルは酒場にいた。
「もう一杯」
「お前、今日何杯目?」
「知りません」
「数えろよ」
「貴方が数えてください」
「俺様も飲んでるんだけど」
「では黙って飲んでください」
「完全にヤケ酒じゃねぇか」
「違います」
「じゃあ何酒だよ」
「普通の酒です」
「普通の奴はそんな勢いで飲まねぇ」
秋人が。
横で笑う。
「…………」
怜司は。
酒を飲む。
「今さら帰ってくるな」
「お」
「十年間いなかった人に説教されたらムカつく」
「おい」
「…………」
もう一杯。
「効いてんなぁ」
「うるさい」
「珍しく口調崩れてんぞ」
「…………うるさいです」
「ははは!」
秋人が。
自分のグラスへ酒を注ぐ。
「まあ飲め」
「言われなくても飲んでいます」
「十年間頑張ったんだ。今日はいいだろ」
「…………」
怜司が。
グラスを見る。
「私の中では」
「ん?」
「十年間、離れていた感覚があまりないのです」
「そりゃ毎日みたいに見てたからな」
「ええ」
「…………」
「クイントが大きくなったことも」
「…………」
「コウヤが錬金術を続けていたことも」
「…………」
「二人が喧嘩していることも」
「…………」
「全部知っていました」
「ああ」
「だから」
「…………」
少し。
笑う。
「帰れば、すぐ元に戻れると思っていたのかもしれません」
「…………」
「馬鹿ですね」
「まあな」
「否定してください」
「めんどくせぇな!」
「今くらい否定しなさい!」
「はいはい、お前は悪くねぇよ」
「雑ですね」
「注文多すぎだろ!」
二人で。
酒を飲む。
「でもよ」
「何です」
「コウヤも」
「…………」
「お前が帰ってきたこと自体が嫌なわけじゃねぇと思うぞ」
「分かっています」
「クイントも」
「分かっています」
「なら」
「分かっていても傷付くものは傷付くのです」
「…………」
秋人が。
少し驚いた顔をした。
「何です」
「いや」
「…………」
「お前、ちゃんとそういうのあるんだな」
「ありますよ」
「大天使様なのに?」
「殺します」
「はははは!」
グラスが。
軽くぶつかる。
「十年か」
「ええ」
「長かったな」
「……本当に」
その夜。
二人は。
久しぶりに。
かなり遅くまで飲んだ。
■
翌日。
「ミカエル」
廊下。
怜司が振り返る。
「……クイント」
「昨日」
「…………」
「ごめん」
「何がです」
「言いすぎた」
「事実でしょう」
「でも」
「気にしていません」
「嘘」
「何故です?」
「秋人から聞いた」
「…………」
嫌な予感。
「昨日、めちゃくちゃ飲んでたって」
「…………」
ミカエルの顔から。
表情が消えた。
「ゼウス……」
「ヤケ酒してたんでしょ?」
「違います」
「本当に?」
「違います」
「じゃあ何酒?」
「…………」
昨日。
同じ質問をされた。
「普通の酒です」
「ふふっ」
「何故笑うのです」
「だって」
「?」
「ミカエルも変わってないなって」
「…………」
クイントが。
少しだけ。
昔と同じ顔で笑う。
「なんか安心した」
「…………」
怜司も。
小さく。
笑った。
「貴女もですよ」
「何が?」
「相変わらずです」
「何それ」
「褒めています」
「絶対嘘」
「本当です」
「怪しいなぁ」
■
それから。
数日。
特別なことは。
何も起きなかった。
ミカエルは。
ただ。
昔と同じように。
そこにいた。
「コウヤ」
「何」
「第三式が間違っています」
「合ってる」
「間違っています」
「合ってるって」
「貸しなさい」
「自分でやる」
「十年前も同じ間違いをしていましたよ」
「覚えてんのかよ!」
「当然でしょう」
「気持ち悪っ」
「…………」
「あ」
「…………」
「今のなし」
「遅いです」
「待てって!」
「クイント」
「何?」
「コウヤが私に暴言を」
「知らないよ」
「何故です!」
「自分達で解決して」
「お前王様だろ!」
「こういう時だけ王様扱いするな!」
「…………」
三人が。
止まる。
「…………」
クイントが。
先に笑った。
「なんか」
「?」
「昔みたい」
「…………」
コウヤも。
黙る。
「……そうだな」
「…………!」
クイントが。
コウヤを見る。
「…………」
コウヤも。
気まずそうに。
目を逸らす。
それだけだった。
でも。
十年間。
まともに話せなかった二人が。
同じ会話の中に。
自然にいた。
■
それから。
少しずつ。
「コウヤ」
「何」
「これ確認して」
「どれ」
「ここ」
「……ああ。これなら今日中にできる」
「お願い」
「分かった」
■
「クイント」
「何?」
「これ食う?」
「食べる」
「半分な」
「全部」
「なんでだよ!」
「王様だから」
「関係ねぇだろ!」
「じゃあ三分の二」
「増えてんじゃねぇか!」
「細かいなぁ」
「お前が雑なんだよ!」
■
「…………」
秋人が。
少し離れた場所から。
二人を眺める。
「直ったな」
「まだですよ」
隣には。
黒髪の怜司。
「でも喋ってる」
「ええ」
「笑ってる」
「ええ」
「お前が帰ってきてからだぞ」
「…………」
怜司は。
二人を見る。
「私は何もしていません」
「そうか?」
「説教は失敗しました」
「したな」
「仲裁もしていません」
「ヤケ酒はした」
「それは忘れなさい」
「無理」
「ゼウス」
「ははは!」
秋人が。
笑いながら。
もう一度。
クイントとコウヤを見る。
「お前が帰ってきたから」
「…………」
「二人とも昔を思い出したんじゃねぇの」
「…………」
「喧嘩する前の自分達を」
「…………」
ミカエルは。
しばらく。
何も言わなかった。
「……だとしても」
「ん?」
「仲直りしたのは」
「…………」
小さく笑う。
「あの二人ですよ」
「そうか」
「ええ」
■
「ミカエル!」
「何です!」
「コウヤが私のお菓子食べた!」
「お前昨日俺の飲み物取っただろ!」
「一口!」
「俺も一個!」
「最後の一個だった!」
「知らねぇよ!」
「ミカエル、どっちが悪い!?」
「私を巻き込まないでください!」
「公平に決めて!」
「嫌です!」
「ミカエル!」
「うるさいですね!」
「…………」
秋人が。
その光景を見ながら。
酒瓶を片手に笑った。
「戻ったじゃねぇか」
「何がです」
怜司が振り返る。
「昔みたいに」
「…………」
エマはいない。
あの頃と。
まったく同じには。
もう二度と戻れない。
十年間という時間も。
言ってしまった言葉も。
失ったものも。
なかったことにはできない。
それでも。
クイントが笑って。
コウヤが言い返して。
ミカエルが巻き込まれて。
ゼウスがそれを見ながら笑っている。
「…………」
怜司も。
ほんの少しだけ。
笑った。
「そうですね」
失ったものを取り戻すことはできなくても。
残された者達が。
もう一度。
一緒に笑うことくらいは。
できるようになっていた。