シュテーがエルサイア王国日本支部で新しい生活を始めた頃。
エルサイア城では、別の話が持ち上がっていた。
国家の危機でもなければ、怪異が現れたわけでもない。
けれどクイントにとっては、それなりに頭を悩ませる問題だった。
「結婚?」
クイントは手にしていた書類から顔を上げた。
「はい」
目の前に立つ臣下が頷く。
「陛下もご即位から随分と経ちました。以前の縁談については白紙となりましたが、今後を考えれば、そろそろ正式にお考えいただいた方がよろしいかと」
「待って」
「はい」
「また縁談?」
「いえ。今回は特定のお相手がいるという話ではありません」
「…………」
「ですが、王家の今後を考えれば、いつまでも先延ばしにできることではありませんので」
「…………」
クイントは小さく息を吐いた。
「やっと終わったと思ったのに……」
「陛下?」
「何でもない」
以前持ち上がった、ラウル王国の王子ルークとの縁談。
結局、あの話がまとまることはなかった。
その代わりに。
長い間、曖昧なままだったコウヤとの関係が変わった。
「……結婚か」
口にしてみる。
付き合うことになった時とは、また違う。
妙に現実味のある言葉だった。
◇
「――って言われた」
「…………」
その日の夕方。
クイントの私室で話を聞いたコウヤは、分かりやすく固まっていた。
「何その顔」
「いや……」
「何?」
「また縁談かと思った」
「私も最初そう思った」
「違うんだよな?」
「違う。ただ、そろそろ結婚を考えろって」
「…………」
「コウヤ?」
「……そっか」
「何?」
「いや」
「何かあるでしょ」
「ないって」
「ある」
「ない」
「じゃあこっち見て」
「…………」
「ほら」
「めんどくせぇな」
「今めんどくさいって言った?」
「言ってない」
「言った」
付き合うようになっても、二人の関係は思ったほど変わらなかった。
昔からコウヤはクイントの部屋へ来ていた。
食事をすることもあれば、くだらない話をして一日を終えることもある。
恋人になったからといって、突然別人になるわけではなかった。
「…………」
クイントは、じっとコウヤを見る。
「何だよ」
「結婚したくない?」
「は!?」
「声大きい」
「お前が急に変なこと聞くからだろ!」
「変じゃないでしょ。今その話してたんだから」
「だからって……」
「したくないなら別にいいけど」
「誰がしたくないって言った!?」
「じゃあ、したい?」
「…………」
コウヤが止まった。
「コウヤ?」
「お前さ……」
「うん」
「こういうのって、もうちょっと雰囲気とかあるだろ」
「知らない」
「だろうな!」
「じゃあ、したいの?」
「…………」
コウヤは片手で顔を覆った。
「なんで俺が追い詰められてんだよ……」
「質問に答えないから」
「…………したいよ」
「聞こえない」
「結婚したい!」
「声大きいって」
「お前のせいだろ!」
クイントが笑った。
それを見て、コウヤはますます不満そうな顔をする。
「絶対遊んでるだろ」
「ちょっとだけ」
「最悪」
「でも」
「何だよ」
「私もしたい」
「…………」
今度こそ。
コウヤが完全に黙った。
「……クイント」
「何?」
「それ、本気?」
「本気だけど」
「…………」
「何その顔」
「いや……」
「嬉しくない?」
「嬉しいに決まってんだろ」
コウヤはそう言ったあと、しばらく黙り込んだ。
やがて何かを決めたように立ち上がる。
「……でも、それじゃ駄目だ」
「何が?」
「俺から言う」
「今言ったじゃん」
「そういう意味じゃなくて!」
「?」
「ちょっと待ってろ」
「どこ行くの?」
「いいから!」
「今?」
「今!」
「…………?」
そのままコウヤは部屋を飛び出していった。
「何なの……」
残されたクイントは、不思議そうに首を傾げた。
◇
「父さん」
「どうした」
ギルは、突然やって来た息子を見る。
珍しく落ち着きがない。
「…………」
「コウヤ?」
「その……」
「何だ」
「クイントと結婚したい」
「そうか」
「…………」
「…………」
「それだけ?」
「他に何がある」
「もうちょっと驚けよ!」
「いずれそうなると思っていた」
「みんなそれ言うな!」
ギルは小さく笑った。
「それで、私に何を聞きに来た?」
「…………」
コウヤは少しだけ真面目な顔になった。
「ちゃんと、俺から言いたい」
「ああ」
「さっき話の流れで結婚したいって言っちまったけど」
「それでは不満か?」
「不満っていうか……」
コウヤは頭を掻いた。
「一回くらい、ちゃんとしたいんだよ」
「…………」
「ずっと一緒にいたからさ」
幼い頃から、クイントは近くにいた。
近すぎたからこそ。
それが当たり前になっていた時期もあった。
喧嘩をした。
意地を張った。
十年もの間、まともに言葉を交わさなかった。
それでも結局。
気がつけば、また隣にいた。
「付き合う時だって、ルークに尻叩かれてやっとだったし」
「そうだな」
「知ってたのかよ」
「大体は」
「……恥ずかしいな」
ギルは穏やかに笑った。
「なら、自分で考えればいい」
「え?」
「クイントが何を喜ぶか、一番よく知っているのはお前だろう」
「…………」
「私が教えることではない」
「…………そっか」
「ああ」
「分かった」
コウヤが頷く。
「ありがとう、父さん」
「コウヤ」
「ん?」
「一つだけ」
「何?」
「余計なことを考えすぎるな」
「…………」
「お前たちらしくやればいい」
「……うん」
◇
数日後。
「クイント」
「何?」
「今日、時間ある?」
「あるけど」
「ちょっと来て」
「どこに?」
「いいから」
「最近それ多くない?」
「いいから!」
連れていかれたのは、城の外だった。
豪華な店でもない。
大勢の人間が待っているわけでもない。
何か特別な催しが用意されているわけでもなかった。
ただ。
昔、二人がよく一緒に過ごした場所だった。
「ここ?」
「うん」
「何で?」
「…………」
コウヤが黙る。
「コウヤ?」
「ちょっと待て」
「何を?」
「心の準備」
「…………」
「笑うなよ」
「まだ笑ってない」
「顔が笑ってる!」
「だって緊張しすぎ」
「仕方ないだろ!」
「私相手なのに?」
「お前相手だからだよ!」
思わず声を上げて。
コウヤは深く息を吐いた。
「……クイント」
「うん」
「俺さ」
「うん」
「昔、お前とずっと一緒にいるんだと思ってた」
「…………」
「何となく」
「私も」
「でも、色々あって」
「うん」
「喧嘩して、口も利かなくなって」
「長かったね」
「長かったな」
「コウヤが意地張るから」
「お前もだろ」
「私は悪くない」
「そういうとこだぞ」
「何?」
「……いや」
コウヤが笑う。
クイントもつられて笑った。
「でも」
コウヤは続けた。
「結局、また一緒にいる」
「そうだね」
「だったらさ」
「うん」
今度は逃げなかった。
照れ隠しに視線を逸らすこともせず。
真っ直ぐ、クイントを見る。
「これからも、ずっと一緒にいよう」
「…………」
「俺と結婚してください」
クイントは少しだけ目を見開いた。
数日前。
似たような話はしている。
お互いに結婚したいことだって分かっている。
答えなんて、とっくに決まっていた。
それでも。
改めて言われると、不思議と胸がいっぱいになった。
「…………はい」
クイントが笑う。
「よろしくお願いします」
「…………」
「コウヤ?」
「よかった……」
「断ると思ってたの?」
「思ってないけど!」
「じゃあ何?」
「緊張するだろ、普通!」
「ふふっ」
「笑うなって」
「ごめん」
そう言いながら。
クイントはコウヤの手を取った。
「帰ろうか」
「もう?」
「みんなに報告しないと」
「……父さんにはもう言った」
「え?」
「相談した」
「先に?」
「いいだろ別に!」
「ふうん」
「何だよ」
「何でもない」
クイントが楽しそうに歩き出す。
コウヤも、その隣を歩く。
昔から。
何度もそうしてきたように。
喧嘩をして。
離れて。
十年もの間、まともに言葉すら交わせなくなって。
それでも。
もう一度、隣へ戻ってきた。
だから今度こそ。
この先もずっと、こうして歩いていけるのだと。
二人とも。
当たり前のように、そう思っていた。