エマ   作:篠原えれの

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第二十二話『結婚の報告』

 

 

 クイントとコウヤが結婚を決めた翌日。

 

 昨日までは、二人だけの約束だった。

 

 けれど、クイントはエルサイアの王である。

 

 結婚ともなれば、二人だけで話を終わらせるわけにもいかない。近しい者への報告はもちろん、式の日取りや形式、招待客についても決めなければならなかった。

 

 そうして朝から城内を歩き回ることになったクイントは、早くも後悔し始めていた。

 

「……面倒になってきた」

 

「おい」

 

 隣を歩いていたコウヤが呆れたように振り返る。

 

「昨日まであんなに嬉しそうだっただろ」

 

「結婚するのは嬉しいよ」

 

「じゃあ何だよ」

 

「報告して回るのが面倒」

 

「王様が言うなよ」

 

「コウヤが全部言ってきて」

 

「俺一人で『クイントと結婚します』って言って回る方がおかしいだろ」

 

「私はここで待ってるから」

 

「来い」

 

「ちょっと」

 

 腕を引かれ、クイントは渋々歩き出した。

 

「こういう時だけ真面目だよね」

 

「こういう時くらい真面目にしろよ」

 

「普段から真面目だよ」

 

「どこが?」

 

「王様やってる」

 

「それは知ってる」

 

 付き合うようになっても。

 

 結婚を決めても。

 

 二人のやり取りは、結局それほど変わらなかった。

 

 ◇

 

 最初に向かったのは、ギルのもとだった。

 

「父さん」

 

「どうした」

 

 ギルが手元の書類から顔を上げる。

 

 コウヤ一人なら珍しくない。

 

 だが、その隣にはクイントまでいた。

 

「その……」

 

 いざ父親を前にすると、コウヤは妙に言葉に詰まった。

 

「何?」

 

「いや」

 

「早く言えば?」

 

「お前も一緒に言えよ」

 

「二人同時に?」

 

「そういう意味じゃねぇよ!」

 

「じゃあコウヤが言って」

 

「……分かったよ」

 

 コウヤは一度息を吐いた。

 

「父さん」

 

「ああ」

 

「俺たち、結婚することになった」

 

「ああ」

 

「…………」

 

「…………」

 

 コウヤが待つ。

 

 クイントも待つ。

 

 だが、ギルはそれ以上何も言わなかった。

 

「……それだけ?」

 

「何がだ」

 

「反応」

 

「昨日聞いたからな」

 

「父さん!」

 

 クイントが吹き出した。

 

「ふふっ」

 

「笑うな!」

 

「だって、あんなに緊張してたのに」

 

「俺はちゃんと報告しようと思って!」

 

「報告は聞いた」

 

「そうだけど!」

 

 ギルはしばらく息子を見ていたが、やがて僅かに表情を緩めた。

 

「おめでとう」

 

「…………」

 

「クイントも」

 

「ありがとう、ギル」

 

「ああ」

 

 そして、改めてコウヤを見る。

 

「幸せになれ」

 

「……うん」

 

 短い言葉だった。

 

 けれど。

 

 コウヤには、それで十分だった。

 

「ところで」

 

 クイントが口を開く。

 

「昨日、ギルに何を相談したの?」

 

「…………」

 

「コウヤ?」

 

「父さん」

 

「何だ」

 

「絶対言うなよ」

 

「何をだ」

 

「昨日の話!」

 

「クイントが何を喜ぶか、一番よく知っているのはお前だと――」

 

「父さん!」

 

「へえ」

 

「クイント、その顔やめろ!」

 

「ちゃんと相談してたんだ」

 

「悪いかよ!」

 

「悪くないよ。かわいいなって」

 

「かわいいって言うな!」

 

「ふふっ」

 

「笑うなって!」

 

 ギルは騒がしい二人を見ながら、静かに笑っていた。

 

 ◇

 

 次に報告したのは、ルークだった。

 

「――それで?」

 

 話を聞き終えたルークは、しばらく二人の顔を交互に眺めていた。

 

 そして。

 

「…………やっと?」

 

「何だよその反応!」

 

 コウヤが即座に食いついた。

 

「だって、やっとでしょ」

 

「普通まず『おめでとう』とかあるだろ!」

 

「もちろんおめでとう。でも、やっとだよね」

 

「二回言うな!」

 

「僕がクイントの縁談相手にならなかったら、コウヤまだ告白してなかったんじゃない?」

 

「…………」

 

「ほら」

 

「うるせぇよ」

 

「僕、かなり貢献してると思うけど」

 

「知らねぇよ」

 

「じゃあ結婚式では僕に感謝してね」

 

「するか!」

 

「何で?」

 

「何で俺がお前に感謝しなきゃならねぇんだよ!」

 

「僕がいなかったら、二人とも今頃まだ『別にそういうんじゃない』とか言ってそうなのに」

 

「言ってねぇ!」

 

「言ってたよね、クイント」

 

「言ってた」

 

「クイント!?」

 

「だって本当でしょ」

 

「お前は俺の味方しろよ!」

 

 ルークが堪えきれずに笑い出した。

 

「ははっ、ごめん。もうやめるよ」

 

「絶対楽しんでただろ」

 

「ちょっとだけ」

 

「お前ら似た者同士だな!」

 

「誰と誰が?」

 

「お前とクイントだよ!」

 

「それは光栄だな」

 

「ルーク」

 

「何?」

 

「調子に乗るな」

 

「はいはい」

 

 笑って。

 

 それからルークは、クイントを見た。

 

「本当に、おめでとう」

 

「……うん」

 

「幸せになってね」

 

「ありがとう、ルーク」

 

 続いて、コウヤを見る。

 

「コウヤも」

 

「俺はついでかよ」

 

「君にはお願いがあるから」

 

「何だよ」

 

「ちゃんとクイントを幸せにしてよ」

 

「…………」

 

 コウヤは一瞬だけ黙った。

 

「当たり前だろ」

 

 けれど。

 

 答えに迷いはなかった。

 

「絶対する」

 

「なら安心」

 

 ルークが笑う。

 

「結婚式、呼んでね」

 

「もちろん」

 

「一番いい席で」

 

「調子乗んな」

 

「僕、功労者なんだけどなあ」

 

「まだ言うか!」

 

「ははっ」

 

 かつて。

 

 ルークはクイントの縁談相手だった。

 

 コウヤにとっては気が気ではない存在で。

 

 クイントにとっても、あの縁談は大きな転機になった。

 

 それが今では。

 

 三人で笑っている。

 

 随分と変わったものだった。

 

 ◇

 

 そして。

 

 二人はミカエルのもとを訪れた。

 

「ミカエル」

 

「……何だ」

 

 呼ばれて、ミカエルが顔を上げる。

 

 クイントだけなら珍しくもない。

 

 しかし今日は、その隣にコウヤまでいる。

 

「二人揃ってどうした」

 

「ちょっと報告があって」

 

「報告?」

 

 ミカエルは二人を見比べた。

 

「今度は何をした」

 

「何もしてないよ」

 

「そうか。それなら聞こう」

 

「私たち――」

 

 クイントは少し笑った。

 

「結婚することになった」

 

「…………」

 

 ミカエルの手が止まった。

 

「…………」

 

「ミカエル?」

 

「聞こえている」

 

「何か言ってよ」

 

「今聞いたばかりだ。少しくらい考える時間を寄越せ」

 

「そんなに驚く?」

 

「…………まあ、それなりにはな」

 

 ミカエルは椅子へ深く腰掛け直した。

 

 改めて二人を見る。

 

「そうか」

 

「うん」

 

「ようやく、か」

 

「ルークにも言われた」

 

「当然だろうな」

 

「ミカエルまで……」

 

「事実だろう」

 

 その声音は、いつもと大して変わらない。

 

 けれど。

 

 ミカエルは、二人の昔を知っていた。

 

 エマがいなくなったあと。

 

 クイントとコウヤの関係は壊れた。

 

 顔を合わせようともしない。

 

 同じ場所にいるだけで空気が張り詰める。

 

 どちらかが口を開けば、もう片方が離れていく。

 

 何度も、どうにかならないものかと思った。

 

 ゼウスも間に入った。

 

 ミカエル自身も、できることはした。

 

 それでも。

 

 壊れたものは、簡単には元へ戻らなかった。

 

 その二人が。

 

 今は肩を並べて、自分の前に立っている。

 

「……おめでとう」

 

 ミカエルが言った。

 

「クイント。コウヤ」

 

「…………」

 

 クイントが少しだけ目を見開く。

 

「ありがとう」

 

「ああ」

 

「ミカエル、もしかして嬉しい?」

 

「何を馬鹿なことを」

 

「でも」

 

「結婚すると聞いて、不愉快になる理由もない。それだけだ」

 

「ふうん」

 

「何だ、その顔は」

 

「別に」

 

「なら笑うな」

 

「ふふっ」

 

「まったく……」

 

 ミカエルは小さく息を吐いた。

 

「コウヤ」

 

「何?」

 

「今度は、くだらない意地で何年も口を利かなくなるような真似はするな」

 

「しねぇよ」

 

「ならいい」

 

「ミカエル」

 

「何だ」

 

「私は?」

 

「…………」

 

 ミカエルがクイントを見る。

 

「お前も同じだ」

 

「えー」

 

「何が『えー』だ。自分には何の非もなかったとでも?」

 

「ちょっとくらいはあったかも」

 

「ちょっと?」

 

「……それなりに」

 

「そうだろう」

 

 隣でコウヤが笑った。

 

「お前、言われてんじゃん」

 

「コウヤもでしょ」

 

「俺はもう終わった」

 

「終わってない」

 

「そこで喧嘩を始めるな」

 

 ミカエルが呆れたように二人を見る。

 

「本当に結婚して大丈夫なのか、お前たちは」

 

「大丈夫」

 

「大丈夫だよ」

 

「…………」

 

 ほとんど同時に返ってきた答えに。

 

 ミカエルはほんの少しだけ笑った。

 

「そうか」

 

「うん」

 

「なら、私から言うことはない」

 

 ◇

 

 その日の夜。

 

 城下の酒場には、仕事を終えた者たちの声が満ちていた。

 

 料理の匂い。

 

 酒瓶の触れ合う音。

 

 あちこちから聞こえる笑い声。

 

 その片隅。

 

 二人の男が向かい合って座っていた。

 

 一人はゼウス。

 

 そして、もう一人。

 

 外見だけを見れば、ごく普通の黒髪の日本人男性だった。

 

 ミカエルである。

 

 人目の多い場所で本来の姿を晒す必要もない。

 

 そのため今夜も、変身魔法で人間の姿を取っていた。

 

 もっとも。

 

 向かいに座るゼウスにとっては、姿が変わったところで何の意味もなかった。

 

「ゼウス」

 

「あ?」

 

 酒を飲んでいたゼウスが顔を上げる。

 

「クイントとコウヤが結婚するらしい」

 

「…………」

 

 ゼウスの手が止まった。

 

「誰と誰が?」

 

「クイントとコウヤだ」

 

「…………マジか?」

 

「私がこんなことで嘘をついてどうする」

 

「いや、そうだけどよ」

 

 ゼウスはしばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「ははっ!」

 

 豪快に笑った。

 

「ようやくか!」

 

「……お前も同じ反応をするのだな」

 

「そりゃそうだろ。俺様からしたら遅すぎるくらいだ」

 

「ルークも同じことを言ったそうだ」

 

「そりゃ言うだろ」

 

「何故、誰も彼も同じ反応なんだ」

 

「逆にお前は違ったのか?」

 

「…………似たようなものだ」

 

「ほらな」

 

 ゼウスが楽しそうに酒を煽る。

 

 それから。

 

 向かいに座るミカエルをじっと見た。

 

「何だ」

 

「いや」

 

「言いたいことがあるなら言え」

 

「お前、今日ちょっと機嫌いいな」

 

「気のせいだ」

 

「そうか?」

 

「そうだ」

 

「ふーん」

 

「…………何だ」

 

「別に?」

 

 にやにやしている。

 

 ミカエルの眉間に皺が寄った。

 

「気色の悪い顔をするな」

 

「俺様はいつも通りだ」

 

「なら余計に質が悪いな」

 

「ひでぇな」

 

 ゼウスは笑いながら、空になりかけたミカエルのグラスを見る。

 

「で?」

 

「何がだ」

 

「嬉しいんだろ?」

 

「…………」

 

 ミカエルは答えず、酒を口へ運んだ。

 

「おい」

 

「何だ」

 

「無視すんなよ」

 

「別に隠すほどのことでもない」

 

 グラスを置く。

 

「嬉しいさ」

 

「…………」

 

 今度はゼウスが少し驚いた。

 

「何だ、その顔は」

 

「いや。お前が素直に言うと思わなかった」

 

「なら聞くな」

 

「ははっ、確かに」

 

 ミカエルは小さく息を吐いた。

 

「あの二人がどうなっていたか、お前も知っているだろう」

 

「ああ」

 

「私たちが何を言っても聞かなかった」

 

「頑固だったからなぁ」

 

「特にコウヤは酷かった」

 

「クイントも大概だったぞ」

 

「否定はしない」

 

「だろ?」

 

 ゼウスは自分のグラスを揺らす。

 

「俺様も途中から、もう勝手にしろって思ってたからな」

 

「お前は早々に諦めすぎだ」

 

「無理なもんは無理だろ。顔合わせりゃ空気悪くなるし、話させようとしたらどっちか逃げるし」

 

「……そうだったな」

 

「それが結婚か」

 

「ああ」

 

「…………」

 

 ゼウスが笑う。

 

「よかったじゃねぇか」

 

「……そうだな」

 

 ミカエルもグラスへ視線を落とした。

 

「本当に」

 

「…………」

 

 ほんの少しだけ。

 

 声が柔らかくなった。

 

 ゼウスはそれを聞いて。

 

 また、にやりと笑う。

 

「ミカエル」

 

「何だ」

 

「お前、泣いた?」

 

「…………」

 

「今日、報告された時」

 

「泣いていない」

 

「本当か?」

 

「何故私が泣く」

 

「嬉しかったんだろ?」

 

「嬉しいことと泣くことは別だ」

 

「目、ちょっと赤くね?」

 

「酒だ」

 

「まだそんな飲んでねぇだろ」

 

「ゼウス」

 

「何だよ」

 

「お前は今夜、随分と口数が多いな」

 

「図星か?」

 

「…………」

 

 ミカエルは黙ってグラスを差し出した。

 

「酒を寄越せ」

 

「結局飲むんじゃねぇか!」

 

「飲みに来たのだから当然だろう」

 

「話逸らしたな?」

 

「逸らしていない」

 

「絶対泣いたろ」

 

「黙れ」

 

「はははっ!」

 

 ゼウスが酒を注ぐ。

 

 ミカエルは面倒そうな顔をしながら、それを受け取った。

 

「まあ、いいじゃねぇか」

 

 ゼウスも自分のグラスを持ち上げる。

 

「今日はめでたい日だ」

 

「まだ結婚したわけではないが」

 

「細けぇなあ」

 

「事実だ」

 

「じゃあ、結婚を決めた二人に」

 

「…………」

 

 ミカエルもグラスを持ち上げる。

 

「そうだな」

 

「俺様が祝ってやるんだ。ありがたく思ってほしいもんだ」

 

「本人たちのいない場所で随分偉そうだな」

 

「俺様だからな」

 

「意味が分からん」

 

「乾杯」

 

「ああ」

 

 二つのグラスが触れた。

 

 軽い音が。

 

 酒場の喧騒に紛れて消える。

 

 十年前。

 

 エマがいなくなったあと。

 

 壊れてしまった二人を前に、何もできなかった。

 

 あの頃のミカエルに今のことを話したところで、きっと簡単には信じなかっただろう。

 

 クイントとコウヤは。

 

 もう一度、昔のように笑えるようになった。

 

 そして今度は。

 

 これからも隣にいることを、自分たちで選んだ。

 

「…………」

 

 ミカエルは静かに酒を飲む。

 

「ミカエル」

 

「何だ」

 

「もう一杯いくか?」

 

「……そうだな」

 

「珍しいな。今日は付き合いいいじゃねぇか」

 

「今日くらいはいいだろう」

 

「お」

 

「何だ」

 

「やっぱ相当嬉しいんじゃねぇか」

 

「…………」

 

「はははっ!」

 

「ゼウス」

 

「あ?」

 

「黙って注げ」

 

「はいはい」

 

 そう言いながら。

 

 ゼウスは楽しそうに酒を注いだ。

 

 黒髪の人間の姿をしたミカエルも。

 

 今度は何も言わず、そのグラスを受け取った。

 

 今夜くらいは。

 

 少しくらい飲み過ぎても構わない。

 

 そんな夜だった。

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