クイントとコウヤが結婚を決めた翌日。
昨日までは、二人だけの約束だった。
けれど、クイントはエルサイアの王である。
結婚ともなれば、二人だけで話を終わらせるわけにもいかない。近しい者への報告はもちろん、式の日取りや形式、招待客についても決めなければならなかった。
そうして朝から城内を歩き回ることになったクイントは、早くも後悔し始めていた。
「……面倒になってきた」
「おい」
隣を歩いていたコウヤが呆れたように振り返る。
「昨日まであんなに嬉しそうだっただろ」
「結婚するのは嬉しいよ」
「じゃあ何だよ」
「報告して回るのが面倒」
「王様が言うなよ」
「コウヤが全部言ってきて」
「俺一人で『クイントと結婚します』って言って回る方がおかしいだろ」
「私はここで待ってるから」
「来い」
「ちょっと」
腕を引かれ、クイントは渋々歩き出した。
「こういう時だけ真面目だよね」
「こういう時くらい真面目にしろよ」
「普段から真面目だよ」
「どこが?」
「王様やってる」
「それは知ってる」
付き合うようになっても。
結婚を決めても。
二人のやり取りは、結局それほど変わらなかった。
◇
最初に向かったのは、ギルのもとだった。
「父さん」
「どうした」
ギルが手元の書類から顔を上げる。
コウヤ一人なら珍しくない。
だが、その隣にはクイントまでいた。
「その……」
いざ父親を前にすると、コウヤは妙に言葉に詰まった。
「何?」
「いや」
「早く言えば?」
「お前も一緒に言えよ」
「二人同時に?」
「そういう意味じゃねぇよ!」
「じゃあコウヤが言って」
「……分かったよ」
コウヤは一度息を吐いた。
「父さん」
「ああ」
「俺たち、結婚することになった」
「ああ」
「…………」
「…………」
コウヤが待つ。
クイントも待つ。
だが、ギルはそれ以上何も言わなかった。
「……それだけ?」
「何がだ」
「反応」
「昨日聞いたからな」
「父さん!」
クイントが吹き出した。
「ふふっ」
「笑うな!」
「だって、あんなに緊張してたのに」
「俺はちゃんと報告しようと思って!」
「報告は聞いた」
「そうだけど!」
ギルはしばらく息子を見ていたが、やがて僅かに表情を緩めた。
「おめでとう」
「…………」
「クイントも」
「ありがとう、ギル」
「ああ」
そして、改めてコウヤを見る。
「幸せになれ」
「……うん」
短い言葉だった。
けれど。
コウヤには、それで十分だった。
「ところで」
クイントが口を開く。
「昨日、ギルに何を相談したの?」
「…………」
「コウヤ?」
「父さん」
「何だ」
「絶対言うなよ」
「何をだ」
「昨日の話!」
「クイントが何を喜ぶか、一番よく知っているのはお前だと――」
「父さん!」
「へえ」
「クイント、その顔やめろ!」
「ちゃんと相談してたんだ」
「悪いかよ!」
「悪くないよ。かわいいなって」
「かわいいって言うな!」
「ふふっ」
「笑うなって!」
ギルは騒がしい二人を見ながら、静かに笑っていた。
◇
次に報告したのは、ルークだった。
「――それで?」
話を聞き終えたルークは、しばらく二人の顔を交互に眺めていた。
そして。
「…………やっと?」
「何だよその反応!」
コウヤが即座に食いついた。
「だって、やっとでしょ」
「普通まず『おめでとう』とかあるだろ!」
「もちろんおめでとう。でも、やっとだよね」
「二回言うな!」
「僕がクイントの縁談相手にならなかったら、コウヤまだ告白してなかったんじゃない?」
「…………」
「ほら」
「うるせぇよ」
「僕、かなり貢献してると思うけど」
「知らねぇよ」
「じゃあ結婚式では僕に感謝してね」
「するか!」
「何で?」
「何で俺がお前に感謝しなきゃならねぇんだよ!」
「僕がいなかったら、二人とも今頃まだ『別にそういうんじゃない』とか言ってそうなのに」
「言ってねぇ!」
「言ってたよね、クイント」
「言ってた」
「クイント!?」
「だって本当でしょ」
「お前は俺の味方しろよ!」
ルークが堪えきれずに笑い出した。
「ははっ、ごめん。もうやめるよ」
「絶対楽しんでただろ」
「ちょっとだけ」
「お前ら似た者同士だな!」
「誰と誰が?」
「お前とクイントだよ!」
「それは光栄だな」
「ルーク」
「何?」
「調子に乗るな」
「はいはい」
笑って。
それからルークは、クイントを見た。
「本当に、おめでとう」
「……うん」
「幸せになってね」
「ありがとう、ルーク」
続いて、コウヤを見る。
「コウヤも」
「俺はついでかよ」
「君にはお願いがあるから」
「何だよ」
「ちゃんとクイントを幸せにしてよ」
「…………」
コウヤは一瞬だけ黙った。
「当たり前だろ」
けれど。
答えに迷いはなかった。
「絶対する」
「なら安心」
ルークが笑う。
「結婚式、呼んでね」
「もちろん」
「一番いい席で」
「調子乗んな」
「僕、功労者なんだけどなあ」
「まだ言うか!」
「ははっ」
かつて。
ルークはクイントの縁談相手だった。
コウヤにとっては気が気ではない存在で。
クイントにとっても、あの縁談は大きな転機になった。
それが今では。
三人で笑っている。
随分と変わったものだった。
◇
そして。
二人はミカエルのもとを訪れた。
「ミカエル」
「……何だ」
呼ばれて、ミカエルが顔を上げる。
クイントだけなら珍しくもない。
しかし今日は、その隣にコウヤまでいる。
「二人揃ってどうした」
「ちょっと報告があって」
「報告?」
ミカエルは二人を見比べた。
「今度は何をした」
「何もしてないよ」
「そうか。それなら聞こう」
「私たち――」
クイントは少し笑った。
「結婚することになった」
「…………」
ミカエルの手が止まった。
「…………」
「ミカエル?」
「聞こえている」
「何か言ってよ」
「今聞いたばかりだ。少しくらい考える時間を寄越せ」
「そんなに驚く?」
「…………まあ、それなりにはな」
ミカエルは椅子へ深く腰掛け直した。
改めて二人を見る。
「そうか」
「うん」
「ようやく、か」
「ルークにも言われた」
「当然だろうな」
「ミカエルまで……」
「事実だろう」
その声音は、いつもと大して変わらない。
けれど。
ミカエルは、二人の昔を知っていた。
エマがいなくなったあと。
クイントとコウヤの関係は壊れた。
顔を合わせようともしない。
同じ場所にいるだけで空気が張り詰める。
どちらかが口を開けば、もう片方が離れていく。
何度も、どうにかならないものかと思った。
ゼウスも間に入った。
ミカエル自身も、できることはした。
それでも。
壊れたものは、簡単には元へ戻らなかった。
その二人が。
今は肩を並べて、自分の前に立っている。
「……おめでとう」
ミカエルが言った。
「クイント。コウヤ」
「…………」
クイントが少しだけ目を見開く。
「ありがとう」
「ああ」
「ミカエル、もしかして嬉しい?」
「何を馬鹿なことを」
「でも」
「結婚すると聞いて、不愉快になる理由もない。それだけだ」
「ふうん」
「何だ、その顔は」
「別に」
「なら笑うな」
「ふふっ」
「まったく……」
ミカエルは小さく息を吐いた。
「コウヤ」
「何?」
「今度は、くだらない意地で何年も口を利かなくなるような真似はするな」
「しねぇよ」
「ならいい」
「ミカエル」
「何だ」
「私は?」
「…………」
ミカエルがクイントを見る。
「お前も同じだ」
「えー」
「何が『えー』だ。自分には何の非もなかったとでも?」
「ちょっとくらいはあったかも」
「ちょっと?」
「……それなりに」
「そうだろう」
隣でコウヤが笑った。
「お前、言われてんじゃん」
「コウヤもでしょ」
「俺はもう終わった」
「終わってない」
「そこで喧嘩を始めるな」
ミカエルが呆れたように二人を見る。
「本当に結婚して大丈夫なのか、お前たちは」
「大丈夫」
「大丈夫だよ」
「…………」
ほとんど同時に返ってきた答えに。
ミカエルはほんの少しだけ笑った。
「そうか」
「うん」
「なら、私から言うことはない」
◇
その日の夜。
城下の酒場には、仕事を終えた者たちの声が満ちていた。
料理の匂い。
酒瓶の触れ合う音。
あちこちから聞こえる笑い声。
その片隅。
二人の男が向かい合って座っていた。
一人はゼウス。
そして、もう一人。
外見だけを見れば、ごく普通の黒髪の日本人男性だった。
ミカエルである。
人目の多い場所で本来の姿を晒す必要もない。
そのため今夜も、変身魔法で人間の姿を取っていた。
もっとも。
向かいに座るゼウスにとっては、姿が変わったところで何の意味もなかった。
「ゼウス」
「あ?」
酒を飲んでいたゼウスが顔を上げる。
「クイントとコウヤが結婚するらしい」
「…………」
ゼウスの手が止まった。
「誰と誰が?」
「クイントとコウヤだ」
「…………マジか?」
「私がこんなことで嘘をついてどうする」
「いや、そうだけどよ」
ゼウスはしばらく黙っていた。
そして。
「ははっ!」
豪快に笑った。
「ようやくか!」
「……お前も同じ反応をするのだな」
「そりゃそうだろ。俺様からしたら遅すぎるくらいだ」
「ルークも同じことを言ったそうだ」
「そりゃ言うだろ」
「何故、誰も彼も同じ反応なんだ」
「逆にお前は違ったのか?」
「…………似たようなものだ」
「ほらな」
ゼウスが楽しそうに酒を煽る。
それから。
向かいに座るミカエルをじっと見た。
「何だ」
「いや」
「言いたいことがあるなら言え」
「お前、今日ちょっと機嫌いいな」
「気のせいだ」
「そうか?」
「そうだ」
「ふーん」
「…………何だ」
「別に?」
にやにやしている。
ミカエルの眉間に皺が寄った。
「気色の悪い顔をするな」
「俺様はいつも通りだ」
「なら余計に質が悪いな」
「ひでぇな」
ゼウスは笑いながら、空になりかけたミカエルのグラスを見る。
「で?」
「何がだ」
「嬉しいんだろ?」
「…………」
ミカエルは答えず、酒を口へ運んだ。
「おい」
「何だ」
「無視すんなよ」
「別に隠すほどのことでもない」
グラスを置く。
「嬉しいさ」
「…………」
今度はゼウスが少し驚いた。
「何だ、その顔は」
「いや。お前が素直に言うと思わなかった」
「なら聞くな」
「ははっ、確かに」
ミカエルは小さく息を吐いた。
「あの二人がどうなっていたか、お前も知っているだろう」
「ああ」
「私たちが何を言っても聞かなかった」
「頑固だったからなぁ」
「特にコウヤは酷かった」
「クイントも大概だったぞ」
「否定はしない」
「だろ?」
ゼウスは自分のグラスを揺らす。
「俺様も途中から、もう勝手にしろって思ってたからな」
「お前は早々に諦めすぎだ」
「無理なもんは無理だろ。顔合わせりゃ空気悪くなるし、話させようとしたらどっちか逃げるし」
「……そうだったな」
「それが結婚か」
「ああ」
「…………」
ゼウスが笑う。
「よかったじゃねぇか」
「……そうだな」
ミカエルもグラスへ視線を落とした。
「本当に」
「…………」
ほんの少しだけ。
声が柔らかくなった。
ゼウスはそれを聞いて。
また、にやりと笑う。
「ミカエル」
「何だ」
「お前、泣いた?」
「…………」
「今日、報告された時」
「泣いていない」
「本当か?」
「何故私が泣く」
「嬉しかったんだろ?」
「嬉しいことと泣くことは別だ」
「目、ちょっと赤くね?」
「酒だ」
「まだそんな飲んでねぇだろ」
「ゼウス」
「何だよ」
「お前は今夜、随分と口数が多いな」
「図星か?」
「…………」
ミカエルは黙ってグラスを差し出した。
「酒を寄越せ」
「結局飲むんじゃねぇか!」
「飲みに来たのだから当然だろう」
「話逸らしたな?」
「逸らしていない」
「絶対泣いたろ」
「黙れ」
「はははっ!」
ゼウスが酒を注ぐ。
ミカエルは面倒そうな顔をしながら、それを受け取った。
「まあ、いいじゃねぇか」
ゼウスも自分のグラスを持ち上げる。
「今日はめでたい日だ」
「まだ結婚したわけではないが」
「細けぇなあ」
「事実だ」
「じゃあ、結婚を決めた二人に」
「…………」
ミカエルもグラスを持ち上げる。
「そうだな」
「俺様が祝ってやるんだ。ありがたく思ってほしいもんだ」
「本人たちのいない場所で随分偉そうだな」
「俺様だからな」
「意味が分からん」
「乾杯」
「ああ」
二つのグラスが触れた。
軽い音が。
酒場の喧騒に紛れて消える。
十年前。
エマがいなくなったあと。
壊れてしまった二人を前に、何もできなかった。
あの頃のミカエルに今のことを話したところで、きっと簡単には信じなかっただろう。
クイントとコウヤは。
もう一度、昔のように笑えるようになった。
そして今度は。
これからも隣にいることを、自分たちで選んだ。
「…………」
ミカエルは静かに酒を飲む。
「ミカエル」
「何だ」
「もう一杯いくか?」
「……そうだな」
「珍しいな。今日は付き合いいいじゃねぇか」
「今日くらいはいいだろう」
「お」
「何だ」
「やっぱ相当嬉しいんじゃねぇか」
「…………」
「はははっ!」
「ゼウス」
「あ?」
「黙って注げ」
「はいはい」
そう言いながら。
ゼウスは楽しそうに酒を注いだ。
黒髪の人間の姿をしたミカエルも。
今度は何も言わず、そのグラスを受け取った。
今夜くらいは。
少しくらい飲み過ぎても構わない。
そんな夜だった。