エマ   作:篠原えれの

28 / 29
第二十五話『守るもの』

 

 

 クイントの妊娠が分かってから。

 

 変わったことが、一つある。

 

「クイント」

 

「ん?」

 

「それ俺が持つ」

 

「…………」

 

 クイントは、自分の手に持っていた書類を見る。

 

 十枚ほど。

 

 重くもなんともない。

 

「これ?」

 

「ああ」

 

「なんで?」

 

「俺が持つから」

 

「だからなんで?」

 

「いいから貸せ」

 

「…………」

 

 コウヤに書類を奪われた。

 

「…………」

 

 クイントはしばらく、その背中を見つめた。

 

 そして翌日。

 

「クイント」

 

「何?」

 

「階段気をつけろよ」

 

「うん」

 

「ゆっくりな」

 

「うん」

 

「手摺り持てよ」

 

「持ってる」

 

「俺につかまってもいいから」

 

「…………」

 

 クイントが足を止める。

 

「コウヤ」

 

「何?」

 

「私、妊娠したんだよね?」

 

「そうだな」

 

「足折れてないよね?」

 

「知ってる」

 

「病気でもないよね?」

 

「知ってる」

 

「じゃあ普通に歩かせて」

 

「普通に歩いていいよ」

 

「さっきから普通に歩かせてくれないじゃん!」

 

「転んだらどうすんだよ!」

 

「今までここで転んだことない!」

 

「今までと今は違うだろ!」

 

「何が!?」

 

「子供いるだろ!」

 

「…………」

 

 クイントは自分の腹を見る。

 

 まだ、見た目にはほとんど分からない。

 

 それからコウヤを見る。

 

「……コウヤ」

 

「何だよ」

 

「もしかして」

 

「何」

 

「すっごい心配してる?」

 

「してねぇ」

 

「してるじゃん」

 

「普通だろ!」

 

「お父さんより酷いよ」

 

「父さんと比べんな!」

 

「ふふっ」

 

「笑うな!」

 

 笑いながら階段を下りようとして。

 

「だから走るな!」

 

「走ってないって!」

 

「今二段飛ばそうとしただろ!」

 

「癖!」

 

「直せ!」

 

「うるさいなぁ!」

 

 廊下の向こうから歩いてきたギルが、二人を見た。

 

「何を騒いでいる」

 

「お父さん聞いて!」

 

「父さん聞いてくれ!」

 

「一人ずつ話せ」

 

 二人が同時に黙る。

 

「コウヤが過保護」

 

「クイントが危なっかしい」

 

「…………」

 

 ギルはクイントを見る。

 

 次にコウヤを見る。

 

「コウヤ」

 

「ほら!」

 

「少し落ち着け」

 

「父さん!?」

 

「ふふっ」

 

「クイントも」

 

「何?」

 

「階段を二段飛ばしするな」

 

「…………」

 

「ほら!」

 

「お父さんまで!」

 

「妊娠していなくても危ない」

 

「そこ!?」

 

 ギルは呆れたように息を吐いた。

 

「まったく……」

 

 そう言いながら。

 

 ギル自身、クイントが階段を下りきるまでその場を動かなかった。

 

「…………」

 

 クイントが気づく。

 

「お父さん」

 

「何だ」

 

「もしかしてお父さんも心配?」

 

「していない」

 

「嘘」

 

「していない」

 

「じゃあ先行っていいよ」

 

「…………」

 

「…………」

 

「急いでいない」

 

「ふふっ」

 

「笑うな」

 

「親子だね」

 

「一緒にすんなよ!」

 

「お前も私と一緒にするな」

 

「父さん!?」

 

 クイントはとうとう声を上げて笑った。

 

 ◇

 

 とはいえ。

 

 コウヤが四六時中クイントについて回れるわけではない。

 

 二人には二人の仕事がある。

 

 クイントは国王だ。

 

 妊娠したからといって、王でなくなるわけではない。

 

「こちらについては、次回の会議までに――」

 

「クイント」

 

「何?」

 

「座ってろ」

 

「…………」

 

 会議室。

 

 資料を取りに立とうとしただけだった。

 

「コウヤ」

 

「俺取る」

 

「そこにあるよ?」

 

「だから俺が取る」

 

「三歩だよ?」

 

「三歩でも」

 

「…………」

 

 周囲が静かになった。

 

 ルークが面白そうに二人を見ている。

 

 ライベルトは露骨に笑いを堪えている。

 

 ミリィは何も言わない。

 

 ミカエルに至っては、書類から顔すら上げなかった。

 

「……コウヤ」

 

「何」

 

「みんな見てる」

 

「だから?」

 

「恥ずかしい」

 

「じゃあ座ってろ」

 

「何でそうなるの!?」

 

 ライベルトが耐えきれずに吹き出した。

 

「っ、はは!」

 

「ライベルト!」

 

「悪い悪い。いや、無理だわ」

 

「笑わないでよ!」

 

「コウヤ、お前それ出産まで続けんの?」

 

「何が?」

 

「それ」

 

「普通だろ」

 

「普通じゃねぇよ」

 

「クイントに何かあったらどうすんだよ」

 

「三歩歩いたくらいで何かあったら、国王なんてやってらんねぇだろ」

 

「それとこれとは別だ」

 

「別じゃねぇよ」

 

「別だ」

 

「…………」

 

 ライベルトがクイントを見る。

 

「大変だな」

 

「助けて」

 

「無理」

 

「なんで!?」

 

「こいつ止める方が面倒だから」

 

「ライベルト!」

 

 ルークが笑った。

 

「いいじゃない。大事にされてるんだから」

 

「限度があるよ!」

 

「コウヤらしいと思うけど」

 

「ルークまで!」

 

「クイント」

 

 ミリィが穏やかに口を挟む。

 

「はい」

 

「コウヤの心配も分かります」

 

「ミリィ!」

 

「ただし」

 

 ミリィがコウヤを見る。

 

「クイントは妊婦であって病人ではありません」

 

「…………」

 

「必要以上に行動を制限するのもよくありませんよ」

 

「……分かった」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

「よかった」

 

 クイントが安心して立ち上がる。

 

「どこ行く?」

 

「資料取るだけ!」

 

「俺が――」

 

「コウヤ」

 

「…………」

 

 ミリィに名前を呼ばれ。

 

 コウヤは渋々座った。

 

「…………」

 

「…………」

 

 クイントが三歩歩く。

 

 資料を取る。

 

 三歩戻る。

 

 座る。

 

「…………」

 

「何?」

 

「いや」

 

「ずっと見てたでしょ」

 

「見てねぇ」

 

「見てた」

 

「見てない」

 

「見てたよね、ライベルト」

 

「ずっと見てた」

 

「ライベルト!」

 

「私に振るなよ!」

 

 笑い声が上がった。

 

 ミカエルだけは。

 

 相変わらず書類を読んでいた。

 

「……くだらん」

 

「ミカエル」

 

「何だ」

 

「絶対ちょっと笑ってたよね」

 

「気のせいだ」

 

「口元」

 

「気のせいだ」

 

「ねえゼウス――」

 

「俺様を巻き込むな」

 

「まだ何も聞いてない!」

 

「面倒な予感しかしねぇ」

 

 ◇

 

 そんなエルサイアから遠く離れた。

 

 エルサイア王国日本支部。

 

「先生」

 

「何?」

 

「これ何?」

 

「携帯電話」

 

「何するやつ?」

 

「離れた人と話したり、文章送ったり」

 

「へえ」

 

 シュテーがティオの携帯をひっくり返す。

 

「これで先生と話せる?」

 

「使い方覚えればね」

 

「じゃあ欲しい」

 

「…………」

 

「駄目?」

 

「駄目じゃないけど」

 

「買って」

 

「何で俺が!?」

 

「俺、金ない」

 

「堂々と言うな」

 

「仕事もない」

 

「それもこれから考えるんだよ」

 

「先生が養って」

 

「お前いつまで俺に養われるつもりだよ!」

 

「ずっと?」

 

「疑問形でも駄目!」

 

「ケチ」

 

「ケチじゃない!」

 

 ソファに寝転がっていた広重が笑った。

 

「買ってやれよ、ティー坊」

 

「簡単に言うな」

 

「連絡取れた方が便利だろ」

 

「それはそうだけど」

 

「先生」

 

「何?」

 

「先生の番号だけ入れて」

 

「…………」

 

「他に連絡する人いないし」

 

「…………」

 

 ティオが黙る。

 

「先生?」

 

「……分かったよ」

 

「買ってくれる?」

 

「安いやつな」

 

「やった」

 

「ただし」

 

「何?」

 

「使い方覚えること。勝手に変なところ電話しない。変なもの買わない」

 

「分かった」

 

「あと――」

 

「先生」

 

「何」

 

「お母さんみたい」

 

「…………」

 

 広重が吹き出した。

 

「ぶっ!」

 

「広重!」

 

「いや、無理! 今のは無理だって!」

 

「笑うな!」

 

「ティー坊母ちゃん!」

 

「お前まで言うな!」

 

「先生、お母さんなの?」

 

「違う!」

 

「じゃあお父さん?」

 

「どっちでもない!」

 

「先生?」

 

「それでいい!」

 

「分かった、先生」

 

「…………」

 

 ティオが頭を抱える。

 

「何で俺こんなことになってんだ……」

 

「嫌?」

 

「…………」

 

 シュテーが何気なく聞いた。

 

 ティオが顔を上げる。

 

「俺がここにいるの」

 

「…………」

 

 さっきまでの軽い空気が。

 

 ほんの少しだけ変わった。

 

「何でそうなるんだよ」

 

「先生、いつも大変そうだから」

 

「それはお前が余計なことするから」

 

「じゃあやっぱ――」

 

「でも」

 

 ティオが遮った。

 

「嫌なら、とっくに追い出してるよ」

 

「…………」

 

「ここにいていい」

 

「…………」

 

「ただし勉強はしろ」

 

「それは嫌」

 

「シュテー!」

 

「ははっ!」

 

 また。

 

 いつものシュテーに戻った。

 

 広重が笑う。

 

「いい親子じゃねぇか」

 

「親子じゃない!」

 

「先生と生徒」

 

「生徒とも言ってない!」

 

「じゃあ何?」

 

「…………」

 

 ティオが詰まった。

 

「何だろうな」

 

「先生でいいじゃん」

 

「……まあ、それでいいか」

 

「うん」

 

 シュテーは笑った。

 

 そして。

 

「俺、先生みたいに喋ろうかな」

 

「何で?」

 

「なんとなく」

 

「今まで『僕』だっただろ」

 

「俺の方がいい」

 

「好きにすれば?」

 

「じゃあ俺」

 

「急だな」

 

「俺」

 

「分かったって」

 

「俺、腹減った」

 

「それ言いたかっただけだろ!」

 

「はははっ!」

 

 広重がまた笑った。

 

 その日から。

 

 シュテーは少しずつ。

 

 自分を「俺」と呼ぶようになった。

 

 失った過去から取り戻したものではない。

 

 この世界で。

 

 自分で選んだものだった。

 

 ◇

 

 数か月が過ぎた。

 

「コウヤ」

 

「何?」

 

「見て」

 

「…………」

 

 クイントが横を向く。

 

 以前とは違う。

 

 衣服の上からでも、腹の膨らみが分かるようになっていた。

 

「大きくなった」

 

「そうだな」

 

「触る?」

 

「いいの?」

 

「今さら何聞いてるの」

 

 コウヤがそっと手を置く。

 

「…………」

 

 温かい。

 

「動くかな」

 

「この前は動いてたよ」

 

「俺いなかったじゃん」

 

「会議行ってたからね」

 

「ずるい」

 

「赤ちゃんに言って」

 

「聞こえてんのかな」

 

「そろそろ聞こえるんじゃない?」

 

 コウヤが腹へ顔を近づける。

 

「おーい」

 

「何してるの」

 

「聞こえるんだろ?」

 

「たぶん」

 

「…………」

 

 少し考えて。

 

「俺、お前の父さんだからな」

 

「ふふっ」

 

「笑うなよ」

 

「だって急に自己紹介するから」

 

「初対面みたいなもんだろ」

 

「まだ会ってないよ」

 

「じゃあ先に言っとく」

 

「何を?」

 

「…………」

 

 コウヤは腹へ触れたまま。

 

 静かに言った。

 

「ちゃんと守るから」

 

「…………」

 

 クイントの笑顔が止まった。

 

「お前も」

 

「私?」

 

「ああ」

 

「…………」

 

「二人とも俺が守る」

 

「コウヤ」

 

「何だよ」

 

「重い」

 

「は?」

 

「愛が重い」

 

「お前な!」

 

「ふふっ」

 

「真面目に言ってんだぞ!」

 

「分かってるよ」

 

 クイントは笑って。

 

 コウヤの手に、自分の手を重ねた。

 

「じゃあ私も守る」

 

「何を?」

 

「コウヤと、この子」

 

「俺はいい」

 

「何で?」

 

「俺がお前ら守るんだから」

 

「そういうところだよ」

 

「何が」

 

「重い」

 

「だから!」

 

 その瞬間。

 

「…………!」

 

 二人とも止まった。

 

 コウヤの掌の下。

 

 確かに。

 

 小さな命が動いた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 クイントが笑う。

 

「返事した」

 

「…………マジ?」

 

「たぶん」

 

「もう一回」

 

「赤ちゃんに言ってよ」

 

「おい」

 

「その呼び方やめて」

 

「じゃあ何て呼べばいいんだよ」

 

「まだ名前ないもん」

 

「…………」

 

 コウヤは少し考えて。

 

 また腹へ顔を近づけた。

 

「聞こえてるか?」

 

 返事はない。

 

「……俺が守るから」

 

「またそれ?」

 

「いいだろ」

 

「ふふっ」

 

 今度は動かなかった。

 

「無視された」

 

「うるさいって」

 

「まだ生まれてないのに!?」

 

「コウヤの子だもん」

 

「お前の子でもあるだろ!」

 

「じゃあ絶対うるさいね」

 

「何でそうなるんだよ!」

 

 クイントが声を上げて笑う。

 

 その笑い声を聞きながら。

 

 コウヤはまだ、クイントの腹へ手を置いていた。

 

 守る。

 

 クイントを。

 

 この子を。

 

 これから増えていくかもしれない、自分の家族を。

 

 それは。

 

 コウヤにとってあまりにも単純で。

 

 疑う必要さえない未来だった。

 

 この時はまだ。

 

 それを叶えられない日が来るなど。

 

 誰一人として。

 

 考えてもいなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。