エマ   作:篠原えれの

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第二十七話『王女リリー』

 

 リリーが生まれて、三日。

 

 エルサイア王宮では。

 

 早くも一つの問題が発生していた。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 クイントはベッドの上から、目の前の男を見ていた。

 

 コウヤである。

 

 その腕にはリリーがいる。

 

 そこまではいい。

 

「コウヤ」

 

「何?」

 

「返して」

 

「何で?」

 

「そろそろ私が抱きたい」

 

「さっき抱いてただろ」

 

「それ一時間くらい前!」

 

「寝てるからいいだろ」

 

「よくない!」

 

「起こしたら可哀想じゃねぇか」

 

「私の子なんだけど!」

 

「俺の子でもある!」

 

「だからってずっと抱いてていいことにはならないでしょ!」

 

「…………」

 

 コウヤが腕の中を見る。

 

 リリーはすやすやと眠っていた。

 

「……可愛い」

 

「知ってるよ!」

 

「ちっさい」

 

「それも知ってる!」

 

「クイント」

 

「なに?」

 

「こいつ、本当に俺たちの子なんだよな」

 

「三日経ってまだ言ってるの?」

 

「だって」

 

「だって?」

 

「……すげぇなと思って」

 

「…………」

 

 クイントの怒りが少しだけ萎んだ。

 

「…………まあ」

 

「うん」

 

「私もまだ変な感じする」

 

「だろ?」

 

「お腹にいないのに、ここにいる」

 

「…………」

 

「私たちの子」

 

「ああ」

 

「リリー」

 

「うん」

 

 二人揃って娘を見る。

 

 そして。

 

「だから返して」

 

「嫌だ」

 

「コウヤ!」

 

「起きるだろ!」

 

「誰のせい!?」

 

 ◇

 

「何を騒いでいる」

 

 ギルが部屋へ入ってきた。

 

「お父さん!」

 

「父さん」

 

「リリーが起きる。静かにしろ」

 

「ほら!」

 

「コウヤのせいでしょ!」

 

「何があった」

 

「コウヤがリリー返してくれない」

 

「…………」

 

「父さん、何とか言ってくれ」

 

「返してやれ」

 

「何でだよ!」

 

「母親が抱きたいと言っている」

 

「俺だって父親だぞ」

 

「なら後で抱けばいい」

 

「…………」

 

 コウヤは不満そうだったが。

 

 ようやくリリーをクイントへ返した。

 

「よしよし」

 

「…………」

 

「リリー、お父さん酷いね」

 

「おい」

 

「ずっと独占してたんだよ」

 

「クイント」

 

「ねー?」

 

「赤ん坊に変なこと吹き込むな!」

 

「ふふっ」

 

 ギルはそんな二人を眺め。

 

 そして。

 

 クイントの腕の中へ目を向けた。

 

「…………」

 

 茶色い髪。

 

 まだ。

 

 ほんの僅かしか生えていない。

 

 それでも。

 

 見るたびに思う。

 

「お父さん?」

 

「何だ」

 

「抱く?」

 

「…………」

 

「抱きたいんでしょ?」

 

「別に」

 

「じゃあいいや」

 

「待て」

 

「…………」

 

「…………」

 

「抱きたいんじゃん」

 

「…………少しだけだ」

 

「ふふっ」

 

 クイントがリリーを差し出す。

 

 ギルは、コウヤ以上に慎重に受け取った。

 

「…………」

 

 リリーが。

 

 僅かに目を開ける。

 

「…………」

 

「お父さん」

 

「何だ」

 

「顔」

 

「何だ」

 

「すごい優しい」

 

「普通だ」

 

「全然普通じゃない」

 

「うるさい」

 

「おじいちゃんだね」

 

「…………」

 

「おじいちゃん」

 

「何度も言うな」

 

「ふふっ」

 

 ギルは答えながらも。

 

 リリーから目を離さない。

 

「……エマ」

 

「やっぱり似てる?」

 

「ああ」

 

「そんなに?」

 

「まだ分からんがな」

 

「どっち?」

 

「…………」

 

 ギルが少しだけ笑う。

 

「似てほしいと思っているだけかもしれん」

 

「お母さんに?」

 

「ああ」

 

 クイントも。

 

 娘を見る。

 

「じゃあ、似るといいね」

 

「…………そうだな」

 

 ◇

 

「おー、生きてるな」

 

「第一声それ!?」

 

 昼過ぎ。

 

 診察に来たライベルトは、クイントに怒られた。

 

「医者なんだから重要だろ」

 

「もっとあるじゃん」

 

「飯食ってる?」

 

「食べてる」

 

「寝てる?」

 

「まあまあ」

 

「熱は?」

 

「ない」

 

「痛みは?」

 

「大丈夫」

 

「じゃあ問題なし」

 

「雑!」

 

「必要なところはちゃんと診るよ」

 

 ライベルトは慣れた様子でクイントの状態を確認した。

 

 それが終わると。

 

 今度はリリー。

 

「…………」

 

 クイントがじっと見る。

 

「何だよ」

 

「いや」

 

「言えよ」

 

「ライベルトが赤ちゃん診てる」

 

「医者だからな」

 

「昔は私がご飯食べさせてたのに」

 

「まだ言うか」

 

「だって面白い」

 

「面白くねぇよ」

 

「ふふっ」

 

 ライベルトがリリーを見る。

 

 呼吸。

 

 心音。

 

 身体の状態。

 

 そして。

 

 透視能力で内部まで確認する。

 

「…………」

 

 一瞬。

 

 ライベルトの目が止まった。

 

「ライベルト?」

 

「…………」

 

「どうしたの?」

 

「いや」

 

 もう一度見る。

 

「…………」

 

 何か。

 

 妙なものを感じた。

 

 異常ではない。

 

 少なくとも。

 

 病気でも。

 

 生命に関わるものでもない。

 

「……問題ない」

 

「本当?」

 

「ああ」

 

「今ちょっと止まったじゃん」

 

「気のせい」

 

「怪しい」

 

「医者を信用しろ」

 

「ライベルトだから怪しい」

 

「昨日まで散々私頼ってた奴が言うな」

 

「ふふっ」

 

 ライベルトはリリーから視線を外した。

 

「…………」

 

 今は。

 

 まだ分からない。

 

 なら。

 

 余計なことを言う必要もない。

 

「元気だよ」

 

「そっか」

 

「ああ」

 

 ライベルトがリリーの頬へ指を近づける。

 

 小さな手が。

 

 その指を掴んだ。

 

「…………」

 

「ライベルト」

 

「何?」

 

「捕まった」

 

「見りゃ分かる」

 

「ふふっ」

 

「…………」

 

 ライベルトは。

 

 しばらく指を抜かなかった。

 

「……お前の母親な」

 

「ん?」

 

 ライベルトがリリーへ話しかける。

 

「十歳の頃から、やたら世話焼きだったんだぞ」

 

「ちょっと!」

 

「飯食えだの、こっち来いだの、大丈夫だの」

 

「ライベルト!」

 

「うるせぇ奴だった」

 

「リリーに変なこと教えないで!」

 

「事実だろ」

 

「いいことも言って!」

 

「…………」

 

 ライベルトが考える。

 

「私を見つけた」

 

「…………」

 

「それで十分だろ」

 

「…………」

 

 クイントが黙った。

 

「……ずるい」

 

「何が?」

 

「急にそういうこと言う」

 

「知らねぇよ」

 

 ライベルトはリリーを見る。

 

「だからお前も」

 

「…………」

 

「母親に似るなら、面倒見のいい奴になれよ」

 

「そこ!?」

 

「いいだろ」

 

「もっと王様らしいところとか!」

 

「それは後からでいい」

 

「後からって何!?」

 

 ◇

 

 その夜。

 

 ようやく。

 

 王宮が静かになった。

 

「…………」

 

 クイントは。

 

 眠っているリリーを見つめていた。

 

「寝ないの?」

 

「コウヤ」

 

「もう夜だぞ」

 

「分かってる」

 

「ライベルトに寝ろって言われただろ」

 

「分かってるって」

 

「じゃあ寝ろよ」

 

「…………」

 

 クイントは。

 

 小さな娘の頬へ触れる。

 

「ねえ」

 

「何?」

 

「私、お母さんできるかな」

 

「…………」

 

 コウヤは。

 

 少しだけ驚いた顔をした。

 

「急にどうした」

 

「なんとなく」

 

「…………」

 

「王様になった時も分かんないことだらけだったけど」

 

「うん」

 

「これはもっと分かんない」

 

「…………」

 

「リリーが何考えてるのかも分かんないし」

 

「赤ん坊だからな」

 

「泣いても何で泣いてるのか分かんない時あるし」

 

「俺も分かんねぇよ」

 

「……だよね」

 

「ああ」

 

 コウヤが。

 

 クイントの隣へ座る。

 

「じゃあ一緒に分かんなきゃいいだろ」

 

「何それ」

 

「俺も分かんねぇ。お前も分かんねぇ」

 

「うん」

 

「だったら二人で覚えりゃいい」

 

「…………」

 

「ライベルトもいる。父さんもいる」

 

「うん」

 

「ルークもいるし、ミリィもいる」

 

「…………」

 

「一人で育てるわけじゃねぇだろ」

 

「…………」

 

 クイントが。

 

 少しだけ笑った。

 

「コウヤ」

 

「何?」

 

「たまにいいこと言うね」

 

「たまにって何だよ」

 

「ふふっ」

 

「俺はいつも――」

 

「しっ」

 

「…………」

 

 リリーが動いた。

 

 二人揃って固まる。

 

「起きる?」

 

「分かんねぇ」

 

「静かにして」

 

「お前が笑ったんだろ」

 

「コウヤが変なこと言うから」

 

「俺のせい!?」

 

「しーっ!」

 

 しばらくして。

 

 リリーは再び眠った。

 

「…………」

 

 二人が同時に息を吐く。

 

「……大変だな」

 

「ね」

 

「でも」

 

「うん?」

 

「悪くねぇ」

 

「…………」

 

 クイントが笑う。

 

「私も」

 

 小さな手を。

 

 そっと握った。

 

「よろしくね、リリー」

 

 まだ。

 

 この子は何者でもない。

 

 エマに似た茶色い髪も。

 

 身体の奥に眠る竜人の血も。

 

 これから起こることも。

 

 何一つ。

 

 本人は知らない。

 

 ただ。

 

 クイントとコウヤの間で眠る。

 

 一人の小さな娘だった。

 

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