リリーが生まれて、三日。
エルサイア王宮では。
早くも一つの問題が発生していた。
「…………」
「…………」
「…………」
クイントはベッドの上から、目の前の男を見ていた。
コウヤである。
その腕にはリリーがいる。
そこまではいい。
「コウヤ」
「何?」
「返して」
「何で?」
「そろそろ私が抱きたい」
「さっき抱いてただろ」
「それ一時間くらい前!」
「寝てるからいいだろ」
「よくない!」
「起こしたら可哀想じゃねぇか」
「私の子なんだけど!」
「俺の子でもある!」
「だからってずっと抱いてていいことにはならないでしょ!」
「…………」
コウヤが腕の中を見る。
リリーはすやすやと眠っていた。
「……可愛い」
「知ってるよ!」
「ちっさい」
「それも知ってる!」
「クイント」
「なに?」
「こいつ、本当に俺たちの子なんだよな」
「三日経ってまだ言ってるの?」
「だって」
「だって?」
「……すげぇなと思って」
「…………」
クイントの怒りが少しだけ萎んだ。
「…………まあ」
「うん」
「私もまだ変な感じする」
「だろ?」
「お腹にいないのに、ここにいる」
「…………」
「私たちの子」
「ああ」
「リリー」
「うん」
二人揃って娘を見る。
そして。
「だから返して」
「嫌だ」
「コウヤ!」
「起きるだろ!」
「誰のせい!?」
◇
「何を騒いでいる」
ギルが部屋へ入ってきた。
「お父さん!」
「父さん」
「リリーが起きる。静かにしろ」
「ほら!」
「コウヤのせいでしょ!」
「何があった」
「コウヤがリリー返してくれない」
「…………」
「父さん、何とか言ってくれ」
「返してやれ」
「何でだよ!」
「母親が抱きたいと言っている」
「俺だって父親だぞ」
「なら後で抱けばいい」
「…………」
コウヤは不満そうだったが。
ようやくリリーをクイントへ返した。
「よしよし」
「…………」
「リリー、お父さん酷いね」
「おい」
「ずっと独占してたんだよ」
「クイント」
「ねー?」
「赤ん坊に変なこと吹き込むな!」
「ふふっ」
ギルはそんな二人を眺め。
そして。
クイントの腕の中へ目を向けた。
「…………」
茶色い髪。
まだ。
ほんの僅かしか生えていない。
それでも。
見るたびに思う。
「お父さん?」
「何だ」
「抱く?」
「…………」
「抱きたいんでしょ?」
「別に」
「じゃあいいや」
「待て」
「…………」
「…………」
「抱きたいんじゃん」
「…………少しだけだ」
「ふふっ」
クイントがリリーを差し出す。
ギルは、コウヤ以上に慎重に受け取った。
「…………」
リリーが。
僅かに目を開ける。
「…………」
「お父さん」
「何だ」
「顔」
「何だ」
「すごい優しい」
「普通だ」
「全然普通じゃない」
「うるさい」
「おじいちゃんだね」
「…………」
「おじいちゃん」
「何度も言うな」
「ふふっ」
ギルは答えながらも。
リリーから目を離さない。
「……エマ」
「やっぱり似てる?」
「ああ」
「そんなに?」
「まだ分からんがな」
「どっち?」
「…………」
ギルが少しだけ笑う。
「似てほしいと思っているだけかもしれん」
「お母さんに?」
「ああ」
クイントも。
娘を見る。
「じゃあ、似るといいね」
「…………そうだな」
◇
「おー、生きてるな」
「第一声それ!?」
昼過ぎ。
診察に来たライベルトは、クイントに怒られた。
「医者なんだから重要だろ」
「もっとあるじゃん」
「飯食ってる?」
「食べてる」
「寝てる?」
「まあまあ」
「熱は?」
「ない」
「痛みは?」
「大丈夫」
「じゃあ問題なし」
「雑!」
「必要なところはちゃんと診るよ」
ライベルトは慣れた様子でクイントの状態を確認した。
それが終わると。
今度はリリー。
「…………」
クイントがじっと見る。
「何だよ」
「いや」
「言えよ」
「ライベルトが赤ちゃん診てる」
「医者だからな」
「昔は私がご飯食べさせてたのに」
「まだ言うか」
「だって面白い」
「面白くねぇよ」
「ふふっ」
ライベルトがリリーを見る。
呼吸。
心音。
身体の状態。
そして。
透視能力で内部まで確認する。
「…………」
一瞬。
ライベルトの目が止まった。
「ライベルト?」
「…………」
「どうしたの?」
「いや」
もう一度見る。
「…………」
何か。
妙なものを感じた。
異常ではない。
少なくとも。
病気でも。
生命に関わるものでもない。
「……問題ない」
「本当?」
「ああ」
「今ちょっと止まったじゃん」
「気のせい」
「怪しい」
「医者を信用しろ」
「ライベルトだから怪しい」
「昨日まで散々私頼ってた奴が言うな」
「ふふっ」
ライベルトはリリーから視線を外した。
「…………」
今は。
まだ分からない。
なら。
余計なことを言う必要もない。
「元気だよ」
「そっか」
「ああ」
ライベルトがリリーの頬へ指を近づける。
小さな手が。
その指を掴んだ。
「…………」
「ライベルト」
「何?」
「捕まった」
「見りゃ分かる」
「ふふっ」
「…………」
ライベルトは。
しばらく指を抜かなかった。
「……お前の母親な」
「ん?」
ライベルトがリリーへ話しかける。
「十歳の頃から、やたら世話焼きだったんだぞ」
「ちょっと!」
「飯食えだの、こっち来いだの、大丈夫だの」
「ライベルト!」
「うるせぇ奴だった」
「リリーに変なこと教えないで!」
「事実だろ」
「いいことも言って!」
「…………」
ライベルトが考える。
「私を見つけた」
「…………」
「それで十分だろ」
「…………」
クイントが黙った。
「……ずるい」
「何が?」
「急にそういうこと言う」
「知らねぇよ」
ライベルトはリリーを見る。
「だからお前も」
「…………」
「母親に似るなら、面倒見のいい奴になれよ」
「そこ!?」
「いいだろ」
「もっと王様らしいところとか!」
「それは後からでいい」
「後からって何!?」
◇
その夜。
ようやく。
王宮が静かになった。
「…………」
クイントは。
眠っているリリーを見つめていた。
「寝ないの?」
「コウヤ」
「もう夜だぞ」
「分かってる」
「ライベルトに寝ろって言われただろ」
「分かってるって」
「じゃあ寝ろよ」
「…………」
クイントは。
小さな娘の頬へ触れる。
「ねえ」
「何?」
「私、お母さんできるかな」
「…………」
コウヤは。
少しだけ驚いた顔をした。
「急にどうした」
「なんとなく」
「…………」
「王様になった時も分かんないことだらけだったけど」
「うん」
「これはもっと分かんない」
「…………」
「リリーが何考えてるのかも分かんないし」
「赤ん坊だからな」
「泣いても何で泣いてるのか分かんない時あるし」
「俺も分かんねぇよ」
「……だよね」
「ああ」
コウヤが。
クイントの隣へ座る。
「じゃあ一緒に分かんなきゃいいだろ」
「何それ」
「俺も分かんねぇ。お前も分かんねぇ」
「うん」
「だったら二人で覚えりゃいい」
「…………」
「ライベルトもいる。父さんもいる」
「うん」
「ルークもいるし、ミリィもいる」
「…………」
「一人で育てるわけじゃねぇだろ」
「…………」
クイントが。
少しだけ笑った。
「コウヤ」
「何?」
「たまにいいこと言うね」
「たまにって何だよ」
「ふふっ」
「俺はいつも――」
「しっ」
「…………」
リリーが動いた。
二人揃って固まる。
「起きる?」
「分かんねぇ」
「静かにして」
「お前が笑ったんだろ」
「コウヤが変なこと言うから」
「俺のせい!?」
「しーっ!」
しばらくして。
リリーは再び眠った。
「…………」
二人が同時に息を吐く。
「……大変だな」
「ね」
「でも」
「うん?」
「悪くねぇ」
「…………」
クイントが笑う。
「私も」
小さな手を。
そっと握った。
「よろしくね、リリー」
まだ。
この子は何者でもない。
エマに似た茶色い髪も。
身体の奥に眠る竜人の血も。
これから起こることも。
何一つ。
本人は知らない。
ただ。
クイントとコウヤの間で眠る。
一人の小さな娘だった。