リリーが生まれてから。
ライベルトが王宮へ顔を出す回数は、明らかに増えた。
理由は簡単だった。
医者だから。
――というのは、半分。
もう半分は。
「ライベルト」
「何だよ」
「リリー抱いてて」
「また?」
「ちょっと仕事してくる」
「お前まだ休めよ」
「ちょっとだけ!」
「その『ちょっと』が信用できねぇんだよ」
「お願い!」
「…………」
「ライベルト」
「分かったよ!」
結局。
こうなるからだった。
「一時間」
「うん!」
「一時間経ったら強制的に連れ戻す」
「分かった!」
「本当だな?」
「うん!」
「お前の『分かった』は昔から――って、おい! もう行ってんじゃねぇか!」
扉が閉まる。
「…………」
ライベルトの腕には。
生まれて間もないリリー。
「お前の母親、本当に昔から変わらねぇな」
「…………」
「私にお前押しつけて仕事行きやがった」
「…………」
「まあ」
小さな頬を見る。
「お前に罪はねぇけど」
リリーが欠伸をする。
「…………」
ライベルトの表情が。
ほんの少しだけ緩んだ。
◇
ライベルトがリリーの身体に違和感を覚えたのは。
その数日後だった。
「…………」
定期検査。
心音。
呼吸。
体温。
成長状態。
どれも正常。
むしろ。
正常すぎるくらい健康だった。
「ライベルト?」
「ん?」
「どう?」
「元気」
「よかった」
「ただ」
「…………」
「もう一回見る」
「何かあるの?」
「まだ分からん」
ライベルトの目が細くなる。
透視能力。
皮膚。
筋肉。
骨。
内臓。
通常なら見ることのできない身体の内部まで、順番に確認していく。
「…………」
やはり。
「クイント」
「なに?」
「お前、竜人だったよな」
「…………」
クイントが目を瞬いた。
「急に何?」
「半分」
「ああ……うん」
「父親がタタン」
「そうだけど」
「竜化は?」
「できないよ」
「今も?」
「できない」
クイントが苦笑する。
「昔いっぱい練習したじゃん」
「ああ」
「結局、一回もできなかった」
「そうだったな」
「メリッサは普通にできたのにね」
「…………」
ライベルトは覚えている。
クイントも。
竜人の血を持っている。
だが。
本人が竜へ姿を変えたことは、一度としてなかった。
どれだけ試しても。
どれだけ練習しても。
だから。
いつしか。
誰も言わなくなった。
クイントは竜人だから。
そんな言葉を。
外見はエルフ。
生活もエルフとほとんど変わらない。
本人も。
自分の中に竜人の血があることを、普段から意識しているわけではなかった。
「それがどうしたの?」
「いや……」
ライベルトは。
もう一度リリーを見る。
「この子」
「うん」
「お前より出てるかもしれねぇ」
「何が?」
「竜人の特徴」
「…………」
クイントが固まった。
「え?」
「まだ断定はしねぇよ」
「でも」
「身体の作りにちょっと気になるところがある」
「病気?」
「違う」
ライベルトは即答した。
「そこは安心しろ。異常って意味じゃない」
「……よかった」
「むしろ逆かもな」
「逆?」
「頑丈だ」
「…………」
「普通のエルフの赤ん坊として見ると、ちょっと妙なくらいにな」
クイントがリリーを見る。
「コウヤがエルフで」
「ああ」
「私が半分エルフ、半分竜人だから……」
「竜人の血を引く可能性は当然ある」
「…………」
「ただ、お前自身が竜化できなかったからな」
「うん」
「私もそこまで強く出るとは思ってなかった」
「…………」
リリーは。
何も知らずに眠っている。
「じゃあ」
「ん?」
「リリー、竜になれるの?」
「知らん」
「ライベルトでも?」
「私は医者だぞ。占い師じゃねぇ」
「透視できるじゃん」
「未来までは見えねぇよ」
「過去は見えるのに」
「面倒くせぇな、お前!」
クイントが笑った。
「まあ、成長見ながらだな」
「うん」
「今のところ問題はない」
「分かった」
「ただ――」
「まだあるの?」
「お前も忘れんなよ」
「何を?」
「お前自身も竜人だってこと」
「…………」
クイントが。
少しだけ妙な顔をした。
「私、竜になれないよ」
「竜化できるかどうかだけが血じゃねぇだろ」
「…………」
「お前が本気で怒った時とか」
「私?」
「怖ぇぞ」
「えっ」
「自覚なかったのか?」
「普通に怒ってるだけだけど」
「普通じゃねぇよ」
そこへ。
ちょうど部屋へ入ってきたコウヤが。
ピタリと止まった。
「…………」
「コウヤ?」
「何?」
「私、怒ると怖い?」
「…………」
「ねえ」
「…………まあ」
「何その間」
「怖くはねぇよ」
「じゃあ大丈夫じゃん」
「ただ」
「ただ?」
「……話せなくなる」
「…………」
ライベルトがコウヤを見る。
「ほら」
「いや、違うんだって」
「何が?」
「クイントが怒るだろ」
「うん」
「その時にちゃんと話さなきゃいけねぇことあっても……」
「うん」
「…………」
「何?」
「圧がすげぇんだよ」
「圧?」
「そう!」
「そんなの出してないよ!」
「出てんだよ!」
「いつ!?」
「本気で怒った時!」
「知らない!」
「俺は知ってる!」
コウヤが珍しく勢いよく言い返した。
「お前が本気で怒ると、空気変わるんだよ!」
「大袈裟」
「大袈裟じゃねぇ!」
「コウヤが怒られてるからそう感じるだけじゃない?」
「違う!」
「じゃあ何?」
「……怖ぇんだよ」
「さっき怖くないって言ったじゃん!」
「お前自身が怖いんじゃなくて!」
コウヤは頭を掻く。
「何つーか……話せなくなる」
「…………」
「言わなきゃいけないことがあっても、お前があの状態だと」
「…………」
「今言ったら余計怒らせるとか、黙ってた方がいいとか思って」
「…………」
「それで後回しにして」
「…………」
「またお前が怒って」
「…………」
「また言えなくなって……」
「…………」
ライベルトが。
二人を交互に見た。
「お前ら、それいつの話?」
「…………昔」
「結婚する前とか」
「…………」
ライベルトが額を押さえた。
「それで十年も喧嘩したのか、お前ら」
「それだけじゃねぇよ!」
「原因の一つ!」
「十分馬鹿だろ!」
「うるせぇ!」
クイントがムッとする。
「…………!」
コウヤが一瞬。
反射的に口を閉じた。
「…………」
「…………」
「…………」
ライベルトがクイントを見る。
次に。
完全に黙ったコウヤを見る。
「……今の」
「…………」
「分かった?」
「…………」
クイントの眉が下がった。
「私、今そんな怖かった?」
「…………ちょっと」
「コウヤ」
「ちょっと!」
「…………」
クイントがショックを受ける。
「知らなかった……」
「だから言えなかったんだよ!」
「それ今言う!?」
「ほらまた!」
「…………!」
「…………!」
ライベルトが吹き出した。
「ははっ!」
「ライベルト!」
「笑うなよ!」
「いや、悪い。お前ら本当に面倒くせぇな」
「酷い!」
「十年やってた奴らに言われたくねぇよ」
その時。
リリーが。
「…………ふぇ」
三人が止まる。
「…………」
「…………」
「…………」
「クイント」
「なに?」
「お前のせい」
「何で!?」
「声でけぇから」
「コウヤも大きかった!」
「お前ら二人ともだよ」
ライベルトがリリーを抱き上げる。
「よしよし」
「…………」
慣れた手つきで。
身体を支える。
「お前も大変だな」
「何が?」
「両親がこれだぞ」
「ライベルト!」
「リリーに変なこと吹き込むな!」
「事実だろ」
そして。
泣き止み始めたリリーを見ながら。
ライベルトは少しだけ考える。
クイントは。
竜にはなれなかった。
それでも。
血は消えていなかった。
気質。
身体。
本人すら気づかないところに。
確かに残っている。
「…………」
そして。
その血が。
娘の中では。
母親より強く目を覚まそうとしている。
「……リリー」
「ん?」
クイントが振り返る。
「いや」
ライベルトは首を振った。
「何でもねぇよ」
今はまだ。
健康な赤ん坊だ。
それでいい。
ライベルトはリリーを軽くあやした。
まさか数年後。
この小さな少女を診察するどころか。
王宮中で。
「リリーが竜になった!」
と大騒ぎすることになるとは。
この時は。
まだ誰も知らなかった。