リリーが生まれてから、しばらく。
エルサイア城では。
妙な光景が、すっかり日常になっていた。
「ライベルト」
「…………」
「ライベルトー」
「聞こえてる」
「リリーが」
「嫌だ」
「まだ何も言ってない!」
「どうせ預かれだろ」
「違うよ」
「じゃあ何だ」
「診て」
「…………」
ライベルトが顔を上げる。
机の向こう。
クイントがリリーを抱いて立っていた。
「何かあった?」
「なんかね」
「うん」
「また玩具壊した」
「…………」
「三個目」
「…………」
ライベルトは無言で立ち上がった。
「貸せ」
「はい」
受け取る。
最近ではもう、この動作にも慣れた。
首を支える。
抱き方を変える。
状態を見る。
「リリー」
「うー」
「お前な」
「きゃっ」
「笑って誤魔化すなよ」
「赤ちゃんに言っても分かんないよ」
「分かってる」
ライベルトはリリーの腕を見る。
異常はない。
指も。
骨も。
筋肉も。
「…………」
「どう?」
「前と同じ」
「やっぱり?」
「ああ。病気じゃない」
ライベルトがリリーの小さな手を握る。
「単純に力が強い」
「やっぱり竜人?」
「可能性は高いな」
「私より?」
「竜人の形質だけ見れば、今のところはな」
「へえ……」
クイントは不思議そうに娘を見る。
「私、全然だったのに」
「全然じゃねぇだろ」
「だって竜になれないよ」
「竜化だけが竜人の特徴じゃないって前にも言っただろ」
「でもメリッサはできたし」
「個体差だ」
「私も一回くらい竜になってみたかった」
「今から練習する?」
「できるかな」
「知らん」
「お医者さん!」
「何でも知ってると思うな!」
その時だった。
「随分と騒がしいな」
聞き覚えのある声。
クイントが振り返った。
「…………」
「何だ、その顔は」
「ミカエル!」
「見れば分かる」
「久しぶり!」
「そうでもないだろう」
「最近来てなかったじゃん」
「私にも都合というものがある」
「ミカエルにも?」
「……貴女は私を何だと思っている」
そこにいたのはミカエルだった。
今日は変身魔法も使っていない。
天城玲司としての黒髪の姿ではなく。
天族ミカエル、そのままの姿。
「一人?」
「そうだが」
「ゼウスは?」
「知らん」
「一緒じゃないんだ」
「私はあれの保護者ではない」
「でもよく一緒にいるじゃん」
「たまたまだ」
「へえ」
「何だ」
「別に」
「その顔をやめろ」
ライベルトが笑う。
「相変わらずだな」
「貴女もな」
「今日は何しに来た?」
「用事があった。それだけだ」
「へえ」
「何だ」
「いや」
「言いたいことがあるなら言え」
「赤ん坊見に来たのかと思った」
「…………」
ミカエルが黙った。
「ミカエル?」
「何だ」
「リリー見に来た?」
「…………」
クイントまで聞く。
二人に見られ。
ミカエルは小さく息を吐いた。
「ついでだ」
「見に来たんじゃん!」
「ついでだと言った」
「はいはい」
「クイント」
「なに?」
「余計なことを言うなら帰るぞ」
「ごめんなさい」
「まったく……」
言いながらも。
帰らない。
クイントが笑った。
◇
「この子」
「うん」
「リリーだったな」
「そう」
「…………」
ライベルトの腕の中。
ミカエルは眠っているリリーを見下ろした。
「…………」
しばらく。
何も言わない。
「ミカエル?」
「何だ」
「どう?」
「何が」
「可愛い?」
「何故私に聞く」
「感想」
「健康そうだ」
「ライベルトと同じこと言う!」
「悪かったな」
「何故、私が赤子の容姿について論評せねばならない」
「可愛いか可愛くないかだけじゃん」
「…………」
ミカエルが再びリリーを見る。
「……悪くはない」
「可愛いって言えばいいのに」
「言っていない」
「ふふっ」
「笑うな」
その時。
リリーが目を開けた。
「…………」
赤子と天族の視線が合う。
「…………」
「…………」
リリーが。
小さな手を伸ばした。
「…………」
ミカエルの指を掴む。
「お」
「…………」
「捕まったね」
「見れば分かる」
「引っ張ってみ」
「何故だ」
「いいから」
「ライベルト」
「結構面白いぞ」
「貴女まで何を言っている」
だが。
ミカエルがほんの少し指を動かした。
ぎゅっ。
「…………」
眉が動く。
「どう?」
「…………」
「強いでしょ?」
「……なるほど」
今度は。
ミカエルの表情が少し変わった。
「クイント」
「なに?」
「この子の竜人形質については調べたのか」
「ライベルトが」
「今見てるところ」
「そうか」
ミカエルはリリーを見る。
「母親より強く出たか」
「やっぱり分かる?」
「少なくとも、ただのエルフではない」
「コウヤがエルフで、私が半分だから」
「ああ」
「でも私、竜化できないよ」
「それは関係ない」
「ライベルトにも言われた」
「当然だ」
「そんなに?」
「血統とは、本人に発現した性質だけが継承されるものではない」
「…………」
「貴女の中に存在していたものが、娘で表へ出ただけだろう」
「じゃあ」
「何だ」
「リリー、竜になれるかな」
「知らん」
「ミカエルでも?」
「私は全知ではない」
「ライベルトと同じこと言ってる」
「だから何故私と医者を比較する」
「いいじゃん」
「よくない」
ライベルトが笑った。
「まあ、そのうち分かるだろ」
「ああ」
ミカエルも頷く。
「無理に引き出す必要もない」
「うん」
「竜化できようができまいが、今は健康ならそれでいい」
「…………」
「何だ」
「ミカエルが普通にいいこと言った」
「帰るぞ」
「ごめん!」
◇
しばらくして。
リリーが眠る。
「…………」
ミカエルはまだ部屋にいた。
クイントが首を傾げる。
「そういえば」
「何だ」
「最近、日本支部行った?」
「いや」
「ティオいるよ」
「知っている」
「シュテーも」
「…………」
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
ミカエルの目が変わった。
「……そうか」
「会ったことあるでしょ?」
「ある」
「また行けばいいのに」
「必要がない」
「そう?」
「ああ」
それだけだった。
ライベルトも。
クイントも。
それ以上は気にしない。
ミカエルは窓の外へ視線を向けた。
日本支部。
シュテー。
願い屋。
「…………」
知らないわけではない。
むしろ。
分かっているから行かない。
願い屋が何を考え。
何を対価に。
何のためにあの者をこの世界へ連れてきたのか。
そこへ天族が不用意に手を伸ばす必要はない。
「ミカエル?」
「何だ」
「難しい顔してる」
「元からだ」
「そうかな」
「放っておけ」
クイントは首を傾げたものの。
すぐにリリーへ意識を戻した。
それでいい。
今は。
◇
一方。
エルサイア王国日本支部。
「おい広重!」
「うおっ!?」
突然の声に。
広重が振り返る。
「……何だゼウスかよ」
「何だとは何だ!」
「いきなり来んな!」
「俺様がいつ来ようが俺様の勝手だろ!」
「ここ一応日本支部!」
「知るか!」
「知れよ!」
ゼウスが。
酒瓶を机へ置いた。
「飲むぞ」
「昼だぞ」
「だから?」
「…………」
「何だ」
「お前ほんと自由だな」
「俺様だからな」
「理由になってねぇよ」
奥から。
ティオが顔を出す。
「何騒いでるの?」
「ゼウス」
「ああ……」
「何だその反応!」
「いや、また来たんだなって」
「悪いか!」
「悪くないけど」
その後ろから。
シュテーも顔を出した。
「…………」
ゼウスと。
シュテーの視線が合う。
「…………」
「…………」
ほんの一瞬。
ゼウスは何も言わなかった。
「誰?」
シュテーがティオへ聞く。
「ゼウス」
「ゼウス?」
「まあ……知り合い」
「俺様をそんな雑に紹介するな!」
「じゃあ自分でして」
「俺様はゼウスだ!」
「それさっき聞いた」
「…………」
「…………」
「ティオ」
「何?」
「こいつ何なんだ」
「シュテー」
「それは知ってる!」
「じゃあ聞かないでよ」
「お前まで広重みたいになってねぇか!?」
「失礼だぞティー坊!」
「何で広重が怒るの?」
シュテーがゼウスを見る。
「お酒飲むの?」
「ああ」
「昼なのに?」
「昼だから飲めねぇなんて法律あるか?」
「仕事中は?」
「俺様は仕事中じゃねぇ」
「広重は?」
「…………」
全員が広重を見る。
「俺を見るな」
「仕事中?」
「…………」
「広重」
「今日は休み!」
「嘘」
「何で分かる!?」
「さっき仕事してた」
「シュテー!」
「嘘つき」
「うるせぇ!」
ゼウスが豪快に笑った。
「面白ぇな、こいつ」
「…………」
シュテーは。
何も知らない。
ゼウスも。
何も言わない。
何故ここにいるのか。
どこから来たのか。
何を失って。
何を代価としてここへ辿り着いたのか。
気づいていることはある。
だが。
「広重」
「何だよ」
「グラス」
「自分で取れ!」
「客だぞ俺様!」
「勝手に来た客だろ!」
ゼウスは。
ただ酒を飲みに来た男として笑った。
それ以上。
踏み込むつもりはなかった。
◇
その夜。
エルサイア城。
「帰らないの?」
「もう帰る」
「泊まってけばいいのに」
「何故だ」
「部屋いっぱいあるよ」
「知っている」
「じゃあ」
「クイント」
「なに?」
「私は自宅のない浮浪者ではない」
「そういう意味じゃない!」
「分かっている」
ミカエルが立ち上がる。
「また来る?」
「必要があれば」
「リリー見に?」
「…………」
「ふふっ」
「クイント」
「はいはい」
眠っているリリーを。
ミカエルが一度だけ見る。
「…………」
エマの面影。
タタンの血。
クイントの娘。
コウヤの娘。
いくつものものを受け継いで。
この子は育っていく。
「ではな」
「うん。またね、ミカエル」
「ああ」
扉へ向かう。
だが。
途中で。
「ミカエル」
「何だ」
「今日は来てくれてありがとう」
「…………」
ミカエルは振り返らなかった。
「礼を言われるほどのことではない」
「でも嬉しかった」
「そうか」
「うん」
「…………」
僅かな沈黙。
「なら」
「ん?」
「また、そのうちな」
それだけ言って。
ミカエルは部屋を出ていった。
今はまだ。
穏やかな日々だった。
小さな王女の成長を。
家族が見守り。
友が見守り。
天族すら。
時折、様子を見に来る。
そんな時間が。
あと何年続くのかを。
まだ。
誰も知らなかった。