エマ   作:篠原えれの

32 / 54
第二十九話『天族と王女』

 

 

 

 リリーが生まれてから、しばらく。

 

 エルサイア城では。

 

 妙な光景が、すっかり日常になっていた。

 

「ライベルト」

 

「…………」

 

「ライベルトー」

 

「聞こえてる」

 

「リリーが」

 

「嫌だ」

 

「まだ何も言ってない!」

 

「どうせ預かれだろ」

 

「違うよ」

 

「じゃあ何だ」

 

「診て」

 

「…………」

 

 ライベルトが顔を上げる。

 

 机の向こう。

 

 クイントがリリーを抱いて立っていた。

 

「何かあった?」

 

「なんかね」

 

「うん」

 

「また玩具壊した」

 

「…………」

 

「三個目」

 

「…………」

 

 ライベルトは無言で立ち上がった。

 

「貸せ」

 

「はい」

 

 受け取る。

 

 最近ではもう、この動作にも慣れた。

 

 首を支える。

 

 抱き方を変える。

 

 状態を見る。

 

「リリー」

 

「うー」

 

「お前な」

 

「きゃっ」

 

「笑って誤魔化すなよ」

 

「赤ちゃんに言っても分かんないよ」

 

「分かってる」

 

 ライベルトはリリーの腕を見る。

 

 異常はない。

 

 指も。

 

 骨も。

 

 筋肉も。

 

「…………」

 

「どう?」

 

「前と同じ」

 

「やっぱり?」

 

「ああ。病気じゃない」

 

 ライベルトがリリーの小さな手を握る。

 

「単純に力が強い」

 

「やっぱり竜人?」

 

「可能性は高いな」

 

「私より?」

 

「竜人の形質だけ見れば、今のところはな」

 

「へえ……」

 

 クイントは不思議そうに娘を見る。

 

「私、全然だったのに」

 

「全然じゃねぇだろ」

 

「だって竜になれないよ」

 

「竜化だけが竜人の特徴じゃないって前にも言っただろ」

 

「でもメリッサはできたし」

 

「個体差だ」

 

「私も一回くらい竜になってみたかった」

 

「今から練習する?」

 

「できるかな」

 

「知らん」

 

「お医者さん!」

 

「何でも知ってると思うな!」

 

 その時だった。

 

「随分と騒がしいな」

 

 聞き覚えのある声。

 

 クイントが振り返った。

 

「…………」

 

「何だ、その顔は」

 

「ミカエル!」

 

「見れば分かる」

 

「久しぶり!」

 

「そうでもないだろう」

 

「最近来てなかったじゃん」

 

「私にも都合というものがある」

 

「ミカエルにも?」

 

「……貴女は私を何だと思っている」

 

 そこにいたのはミカエルだった。

 

 今日は変身魔法も使っていない。

 

 天城玲司としての黒髪の姿ではなく。

 

 天族ミカエル、そのままの姿。

 

「一人?」

 

「そうだが」

 

「ゼウスは?」

 

「知らん」

 

「一緒じゃないんだ」

 

「私はあれの保護者ではない」

 

「でもよく一緒にいるじゃん」

 

「たまたまだ」

 

「へえ」

 

「何だ」

 

「別に」

 

「その顔をやめろ」

 

 ライベルトが笑う。

 

「相変わらずだな」

 

「貴女もな」

 

「今日は何しに来た?」

 

「用事があった。それだけだ」

 

「へえ」

 

「何だ」

 

「いや」

 

「言いたいことがあるなら言え」

 

「赤ん坊見に来たのかと思った」

 

「…………」

 

 ミカエルが黙った。

 

「ミカエル?」

 

「何だ」

 

「リリー見に来た?」

 

「…………」

 

 クイントまで聞く。

 

 二人に見られ。

 

 ミカエルは小さく息を吐いた。

 

「ついでだ」

 

「見に来たんじゃん!」

 

「ついでだと言った」

 

「はいはい」

 

「クイント」

 

「なに?」

 

「余計なことを言うなら帰るぞ」

 

「ごめんなさい」

 

「まったく……」

 

 言いながらも。

 

 帰らない。

 

 クイントが笑った。

 

 ◇

 

「この子」

 

「うん」

 

「リリーだったな」

 

「そう」

 

「…………」

 

 ライベルトの腕の中。

 

 ミカエルは眠っているリリーを見下ろした。

 

「…………」

 

 しばらく。

 

 何も言わない。

 

「ミカエル?」

 

「何だ」

 

「どう?」

 

「何が」

 

「可愛い?」

 

「何故私に聞く」

 

「感想」

 

「健康そうだ」

 

「ライベルトと同じこと言う!」

 

「悪かったな」

 

「何故、私が赤子の容姿について論評せねばならない」

 

「可愛いか可愛くないかだけじゃん」

 

「…………」

 

 ミカエルが再びリリーを見る。

 

「……悪くはない」

 

「可愛いって言えばいいのに」

 

「言っていない」

 

「ふふっ」

 

「笑うな」

 

 その時。

 

 リリーが目を開けた。

 

「…………」

 

 赤子と天族の視線が合う。

 

「…………」

 

「…………」

 

 リリーが。

 

 小さな手を伸ばした。

 

「…………」

 

 ミカエルの指を掴む。

 

「お」

 

「…………」

 

「捕まったね」

 

「見れば分かる」

 

「引っ張ってみ」

 

「何故だ」

 

「いいから」

 

「ライベルト」

 

「結構面白いぞ」

 

「貴女まで何を言っている」

 

 だが。

 

 ミカエルがほんの少し指を動かした。

 

 ぎゅっ。

 

「…………」

 

 眉が動く。

 

「どう?」

 

「…………」

 

「強いでしょ?」

 

「……なるほど」

 

 今度は。

 

 ミカエルの表情が少し変わった。

 

「クイント」

 

「なに?」

 

「この子の竜人形質については調べたのか」

 

「ライベルトが」

 

「今見てるところ」

 

「そうか」

 

 ミカエルはリリーを見る。

 

「母親より強く出たか」

 

「やっぱり分かる?」

 

「少なくとも、ただのエルフではない」

 

「コウヤがエルフで、私が半分だから」

 

「ああ」

 

「でも私、竜化できないよ」

 

「それは関係ない」

 

「ライベルトにも言われた」

 

「当然だ」

 

「そんなに?」

 

「血統とは、本人に発現した性質だけが継承されるものではない」

 

「…………」

 

「貴女の中に存在していたものが、娘で表へ出ただけだろう」

 

「じゃあ」

 

「何だ」

 

「リリー、竜になれるかな」

 

「知らん」

 

「ミカエルでも?」

 

「私は全知ではない」

 

「ライベルトと同じこと言ってる」

 

「だから何故私と医者を比較する」

 

「いいじゃん」

 

「よくない」

 

 ライベルトが笑った。

 

「まあ、そのうち分かるだろ」

 

「ああ」

 

 ミカエルも頷く。

 

「無理に引き出す必要もない」

 

「うん」

 

「竜化できようができまいが、今は健康ならそれでいい」

 

「…………」

 

「何だ」

 

「ミカエルが普通にいいこと言った」

 

「帰るぞ」

 

「ごめん!」

 

 ◇

 

 しばらくして。

 

 リリーが眠る。

 

「…………」

 

 ミカエルはまだ部屋にいた。

 

 クイントが首を傾げる。

 

「そういえば」

 

「何だ」

 

「最近、日本支部行った?」

 

「いや」

 

「ティオいるよ」

 

「知っている」

 

「シュテーも」

 

「…………」

 

 一瞬。

 

 ほんの一瞬だけ。

 

 ミカエルの目が変わった。

 

「……そうか」

 

「会ったことあるでしょ?」

 

「ある」

 

「また行けばいいのに」

 

「必要がない」

 

「そう?」

 

「ああ」

 

 それだけだった。

 

 ライベルトも。

 

 クイントも。

 

 それ以上は気にしない。

 

 ミカエルは窓の外へ視線を向けた。

 

 日本支部。

 

 シュテー。

 

 願い屋。

 

「…………」

 

 知らないわけではない。

 

 むしろ。

 

 分かっているから行かない。

 

 願い屋が何を考え。

 

 何を対価に。

 

 何のためにあの者をこの世界へ連れてきたのか。

 

 そこへ天族が不用意に手を伸ばす必要はない。

 

「ミカエル?」

 

「何だ」

 

「難しい顔してる」

 

「元からだ」

 

「そうかな」

 

「放っておけ」

 

 クイントは首を傾げたものの。

 

 すぐにリリーへ意識を戻した。

 

 それでいい。

 

 今は。

 

 ◇

 

 一方。

 

 エルサイア王国日本支部。

 

「おい広重!」

 

「うおっ!?」

 

 突然の声に。

 

 広重が振り返る。

 

「……何だゼウスかよ」

 

「何だとは何だ!」

 

「いきなり来んな!」

 

「俺様がいつ来ようが俺様の勝手だろ!」

 

「ここ一応日本支部!」

 

「知るか!」

 

「知れよ!」

 

 ゼウスが。

 

 酒瓶を机へ置いた。

 

「飲むぞ」

 

「昼だぞ」

 

「だから?」

 

「…………」

 

「何だ」

 

「お前ほんと自由だな」

 

「俺様だからな」

 

「理由になってねぇよ」

 

 奥から。

 

 ティオが顔を出す。

 

「何騒いでるの?」

 

「ゼウス」

 

「ああ……」

 

「何だその反応!」

 

「いや、また来たんだなって」

 

「悪いか!」

 

「悪くないけど」

 

 その後ろから。

 

 シュテーも顔を出した。

 

「…………」

 

 ゼウスと。

 

 シュテーの視線が合う。

 

「…………」

 

「…………」

 

 ほんの一瞬。

 

 ゼウスは何も言わなかった。

 

「誰?」

 

 シュテーがティオへ聞く。

 

「ゼウス」

 

「ゼウス?」

 

「まあ……知り合い」

 

「俺様をそんな雑に紹介するな!」

 

「じゃあ自分でして」

 

「俺様はゼウスだ!」

 

「それさっき聞いた」

 

「…………」

 

「…………」

 

「ティオ」

 

「何?」

 

「こいつ何なんだ」

 

「シュテー」

 

「それは知ってる!」

 

「じゃあ聞かないでよ」

 

「お前まで広重みたいになってねぇか!?」

 

「失礼だぞティー坊!」

 

「何で広重が怒るの?」

 

 シュテーがゼウスを見る。

 

「お酒飲むの?」

 

「ああ」

 

「昼なのに?」

 

「昼だから飲めねぇなんて法律あるか?」

 

「仕事中は?」

 

「俺様は仕事中じゃねぇ」

 

「広重は?」

 

「…………」

 

 全員が広重を見る。

 

「俺を見るな」

 

「仕事中?」

 

「…………」

 

「広重」

 

「今日は休み!」

 

「嘘」

 

「何で分かる!?」

 

「さっき仕事してた」

 

「シュテー!」

 

「嘘つき」

 

「うるせぇ!」

 

 ゼウスが豪快に笑った。

 

「面白ぇな、こいつ」

 

「…………」

 

 シュテーは。

 

 何も知らない。

 

 ゼウスも。

 

 何も言わない。

 

 何故ここにいるのか。

 

 どこから来たのか。

 

 何を失って。

 

 何を代価としてここへ辿り着いたのか。

 

 気づいていることはある。

 

 だが。

 

「広重」

 

「何だよ」

 

「グラス」

 

「自分で取れ!」

 

「客だぞ俺様!」

 

「勝手に来た客だろ!」

 

 ゼウスは。

 

 ただ酒を飲みに来た男として笑った。

 

 それ以上。

 

 踏み込むつもりはなかった。

 

 ◇

 

 その夜。

 

 エルサイア城。

 

「帰らないの?」

 

「もう帰る」

 

「泊まってけばいいのに」

 

「何故だ」

 

「部屋いっぱいあるよ」

 

「知っている」

 

「じゃあ」

 

「クイント」

 

「なに?」

 

「私は自宅のない浮浪者ではない」

 

「そういう意味じゃない!」

 

「分かっている」

 

 ミカエルが立ち上がる。

 

「また来る?」

 

「必要があれば」

 

「リリー見に?」

 

「…………」

 

「ふふっ」

 

「クイント」

 

「はいはい」

 

 眠っているリリーを。

 

 ミカエルが一度だけ見る。

 

「…………」

 

 エマの面影。

 

 タタンの血。

 

 クイントの娘。

 

 コウヤの娘。

 

 いくつものものを受け継いで。

 

 この子は育っていく。

 

「ではな」

 

「うん。またね、ミカエル」

 

「ああ」

 

 扉へ向かう。

 

 だが。

 

 途中で。

 

「ミカエル」

 

「何だ」

 

「今日は来てくれてありがとう」

 

「…………」

 

 ミカエルは振り返らなかった。

 

「礼を言われるほどのことではない」

 

「でも嬉しかった」

 

「そうか」

 

「うん」

 

「…………」

 

 僅かな沈黙。

 

「なら」

 

「ん?」

 

「また、そのうちな」

 

 それだけ言って。

 

 ミカエルは部屋を出ていった。

 

 今はまだ。

 

 穏やかな日々だった。

 

 小さな王女の成長を。

 

 家族が見守り。

 

 友が見守り。

 

 天族すら。

 

 時折、様子を見に来る。

 

 そんな時間が。

 

 あと何年続くのかを。

 

 まだ。

 

 誰も知らなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。