リリーが三歳になった。
赤ん坊だった頃から茶色かった髪は、肩に触れるほどまで伸びた。
顔立ちもずいぶんとはっきりしてきた。
そして。
成長すればするほど。
ギルには、一つ。
困ったことがあった。
「おじいちゃーん!」
「走るな」
「おじいちゃん!」
「聞こえている。だから走るなと言っている」
「わーっ!」
聞いていない。
廊下の向こうから全速力で走ってきたリリーを、ギルは仕方なく受け止めた。
「わっ!」
「ほら見ろ」
「つかまった!」
「捕まえたんだ」
「えへへ」
腕の中で。
リリーが笑った。
「…………」
ギルは。
その顔を見つめる。
「おじいちゃん?」
「…………」
「どうしたの?」
「いや」
「また見てる」
「何をだ」
「リリーのお顔」
「……そうか?」
「うん」
「気のせいだ」
「うそ」
「嘘ではない」
「ずーっと見てた」
「…………」
妙なところだけよく見ている。
「リリーのお顔、へん?」
「そんなわけないだろう」
「じゃあなんで見るの?」
「…………」
答えに困った。
理由は。
はっきりしている。
似ている。
あまりにも。
茶色い髪。
顔立ち。
笑った時の目元。
ふとした瞬間に見せる表情まで。
「…………」
血が繋がっているのだから。
何もおかしくはない。
この子の父親はコウヤ。
コウヤは。
自分とエマの息子なのだから。
それでも。
「……似すぎだろう」
「なに?」
「何でもない」
「またそれ!」
「気にするな」
「むー」
頬を膨らませる。
「…………」
それすら。
昔見た顔に似ている気がした。
「父さん」
後ろから。
声がする。
「何だ」
「またリリー見てたのか?」
「…………」
コウヤだった。
「パパ!」
「おう」
コウヤが近づいてきて。
娘の頭を撫でる。
「おじいちゃん、リリーのお顔ずっと見る」
「ああ」
「なんで?」
「母さんに似てるからだろ」
「…………」
ギルが。
コウヤを見る。
「お前もそう思うか」
「そりゃ思うよ」
コウヤは。
当たり前のように言った。
「リリー」
「なあに?」
「お前、俺の母さんに似てるんだぞ」
「パパのママ?」
「ああ」
「おばあちゃん?」
「そう」
「リリー、おばあちゃんに似てる?」
「似てるぞ」
「いっぱい?」
「すげぇ似てる」
「へえー!」
リリーの目が輝く。
「髪も?」
「母さんも茶色かったからな」
「おんなじ!」
「顔も似てる」
「おんなじ!」
「笑った顔なんか特にな」
「じゃあリリー、おばあちゃん!」
「おばあちゃんにはなるな」
「なんで?」
「ややこしいから」
「?」
「おばあちゃんに似たんだぞってこと」
「そっか!」
「そうそう」
コウヤが笑う。
「パパには?」
「…………」
「…………」
コウヤが止まった。
「リリー、パパにも似てる?」
「そりゃ似てるだろ」
「どこ?」
「…………」
コウヤが娘を見る。
「…………」
「…………」
ギルが視線を逸らした。
「父さん」
「何だ」
「何で目逸らした」
「別に」
「何か探してくれよ!」
「何故私が」
「俺の娘だぞ!」
「分かっている」
「パパに似てない?」
「似てるぞ!」
「どこ?」
「…………元気なところ」
「それクイントじゃねぇか?」
「父さん!」
「ふふっ」
◇
「何してるの?」
そこへ。
金色の髪を揺らしながら。
クイントがやってきた。
「ママ!」
「リリー」
「ママ、聞いて!」
「なに?」
「リリーね、おばあちゃんに似てるんだって!」
「ああ」
クイントが笑った。
「似てるよ」
「リリー、ちゃいろ!」
「うん」
「パパは?」
「…………」
「おいクイント」
「茶色……ではないね」
「そこじゃねぇよ!」
「ふふっ」
クイントがリリーを抱き上げる。
「でも、本当にエマさんに似てきたよね」
「……ああ」
「お父さん、最近リリーの顔よく見てるもん」
「…………」
「困る?」
「何故だ」
「だって、似すぎてるから」
「…………」
ギルは。
しばらく黙った。
「困るというより」
「うん」
「驚く」
「驚く?」
「ああ」
ギルが。
リリーを見る。
「昔のエマを見ているようでな」
「…………」
クイントが。
少しだけ笑った。
「そっか」
「おじいちゃん」
「何だ」
「リリー、おばあちゃんに似てるの、いや?」
「嫌なわけがない」
そこだけは。
即答した。
「ほんと?」
「ああ」
「よかった!」
「…………」
また。
エマによく似た顔で笑う。
「……本当に困った孫だ」
「なんでー!」
「何でもない」
「おじいちゃん!」
「はいはい」
◇
その日の午後。
「リリー」
「やだ」
「まだ何も言ってないよ」
「おひるね、やだ」
「分かってるじゃん」
「ねむくない!」
「さっき欠伸してたよ」
「してない!」
「してた」
「してないもん!」
「リリー」
「やーだー!」
クイントが。
腰へ手を当てる。
「リリー」
「…………」
声が。
少し低くなる。
「お昼寝」
「…………」
リリーが止まった。
そして。
「…………」
なぜか。
コウヤまで止まった。
「コウヤ?」
「何?」
「なんでコウヤまで固まるの?」
「いや……」
「何」
「昔思い出して」
「何の?」
「お前が怒った時」
「…………」
「その感じ」
「普通でしょ!」
「普通じゃねぇよ!」
「パパ」
「ん?」
「ママこわい」
「ほら!」
「リリーまで!?」
「クイント」
ギルまで口を挟む。
「少し落ち着け」
「お父さんまで!」
「圧が出ている」
「出してない!」
「お前それ昔から自覚ねぇんだよ!」
「コウヤ!」
「ほらそれ!」
「もう!」
その隙に。
「いまだー!」
リリーが逃げた。
「あ!」
「わー!」
「リリー!」
「おひるねしなーい!」
「待ちなさい!」
「きゃはは!」
廊下を走る。
「走るな!」
「パパおそーい!」
「待てって!」
そして。
「あっ」
リリーの足が。
絨毯の端へ引っ掛かった。
「リリー!」
コウヤが手を伸ばす。
クイントも。
ギルも動いた。
その瞬間。
「――きゅっ」
「…………」
妙な声。
「…………」
「…………」
「…………」
三人とも。
止まった。
「……え?」
リリーがいない。
代わりに。
さっきまで少女がいた場所に。
「…………きゅ?」
小さな竜がいた。
「…………」
「…………」
「…………」
クイントが。
恐る恐る。
「……リリー?」
「きゅ!」
「…………」
小さな尻尾が。
ぱたぱたと揺れた。
「リリーが竜になったあああああ!?」
「クイントうるせぇ!」
「だって!」
「俺も見えてる!」
「どうしよう!?」
「俺に聞くな!」
「お父さん!」
「…………」
ギルだけが。
小さな竜を凝視していた。
「お父さん?」
「……リリー」
「きゅ?」
「こちらへ来い」
「きゅー」
てち。
てち。
小さな足で。
リリーが近づいてくる。
ギルがしゃがみ。
両手を差し出す。
「きゅっ」
リリーは。
何の警戒もなく。
その腕へ収まった。
「…………」
温かい。
間違いなく。
リリーだ。
「……竜化か」
「やっぱり?」
「ああ」
「でも」
クイントが。
チビ竜になった娘を見る。
「私、できないよ?」
「…………」
「タタンお父さんは竜人だったけど、私はどれだけ頑張っても竜化できなかった」
「そうだったな」
「メリッサはできたのに」
「それでも、お前がタタンとサクラ王妃の娘であることは変わらん」
「…………」
「お前に現れなかった形質が、リリーに強く出たのだろう」
「……そっか」
クイントが。
しばらく娘を見る。
「…………いいなぁ」
「おい」
「だって!」
「娘がいきなり竜になったんだぞ!?」
「私も竜になりたかった!」
「今そこ!?」
「子供の頃すっごい練習したんだから!」
「知ってるけど!」
「全然できなかった!」
「娘と張り合うな!」
「張り合ってないよ!」
「きゅー!」
リリーだけが。
楽しそうだった。
そして。
「…………」
ギルは。
腕の中のリリーを見つめる。
人の姿なら。
エマによく似ている。
それは。
コウヤから受け継いだ血。
自分とエマの息子。
そのコウヤの娘なのだから。
けれど。
この竜の姿は。
「……タタンか」
「お父さん?」
「いや」
「…………」
タタン。
クイントの実父。
そして。
かつて。
エマが初めて想いを寄せた男。
「…………」
ギルは。
何とも言えない顔になった。
「お父さん?」
「…………」
「もしかして複雑?」
「……少しな」
「やっぱり」
「勘違いするな」
「え?」
「リリーが悪いわけではない」
「うん」
「タタンが悪いわけでもない」
「…………」
「エマが悪いわけでもない」
「うん」
ただ。
目の前の孫娘に。
自分が愛した妻の面影と。
その妻がかつて愛した男の血が。
こんなにも分かりやすく。
同居している。
「……何という巡り合わせだ」
「きゅ?」
「お前には分からんだろうな」
「きゅ!」
「そうだな」
ギルが。
苦笑する。
「お前はリリーだ」
「きゅー!」
◇
しばらくして。
ぽん。
「…………」
ギルの腕の中で。
小さな竜が消えた。
代わりに。
「……おじいちゃん?」
三歳のリリーがいた。
「…………」
「…………」
「…………」
「戻った!」
「ママ?」
「リリー!」
クイントが飛んでくる。
「大丈夫!?」
「うん」
「痛くない?」
「いたくない」
「苦しくない?」
「ううん」
「気持ち悪くない?」
「ママ、くすぐったい!」
「よかったぁ……」
クイントが。
ぎゅっと娘を抱き締める。
「ママ」
「なに?」
「リリーね」
「うん」
「りゅうになった!」
「覚えてるの?」
「うん!」
「怖くなかった?」
「たのしかった!」
「…………」
リリーの目が。
輝く。
「リリー、ドラゴン!」
「そうだね」
「すごい!?」
「すごいすごい」
「ママも!」
「…………」
「ママもドラゴン!」
「…………」
クイントが。
静かに目を逸らした。
「ママ?」
「……ママはなれない」
「なんで?」
「私が聞きたい!」
「ははっ!」
「コウヤ笑わないで!」
「悪い悪い」
「パパは?」
「俺はエルフだから無理だな」
「おじいちゃんは?」
「私も無理だ」
「じゃあリリーだけ!?」
「今のところはな」
「すごーい!」
本人は。
完全に気に入っていた。
「もういっかい!」
「え?」
「りゅう!」
「待ってリリー」
「んんんーっ!」
リリーが力む。
「…………」
「…………」
「…………」
何も起こらない。
「んんんんー!」
「リリー」
「りゅうー!」
「多分そうやってなるんじゃないよ」
「ママも!」
「え?」
「ママも、んーって!」
「私?」
「うん!」
「…………」
クイントが。
少し考える。
「やってみる」
「やるのかよ!」
「だって今ならできるかもしれないじゃん!」
「何でそうなるんだよ!」
「リリーができたから!」
「遺伝はそういうもんじゃねぇだろ!」
「やってみなきゃ分からないよ!」
「ママがんばれー!」
「よーし!」
クイントが。
目を閉じる。
「んー……」
「…………」
何も起きない。
「んんー……」
その時。
空気が。
僅かに震えた。
「…………」
ギルが。
顔を上げる。
「クイント」
「んー……」
「やめろ」
「…………え?」
クイントが目を開けた。
気配が消える。
「どうしたの?」
「…………」
「お父さん?」
「……いや」
「何?」
「何でもない」
「またそれ?」
ギルは答えなかった。
ただ。
確かに。
感じた。
今。
何かが。
クイントの身体の奥から。
出ようとした。
それも。
リリーとは。
比べ物にならない何かが。
◇
「――城の中で試した?」
夕方。
話を聞いたライベルトは。
開口一番そう言った。
「うん」
「馬鹿か」
「なんで!?」
「お前な……」
「リリーはできたよ?」
「リリーは三歳だろ!」
「関係ある?」
「あるかもしれねぇから言ってんだよ!」
ライベルトは。
リリーの身体を診察する。
「リリー」
「なあに?」
「痛いところは?」
「ない!」
「気持ち悪い?」
「ない!」
「変な感じは?」
「ドラゴン!」
「それは聞いた」
「きゅってなった!」
「それも聞いた」
「ライベルトもなって!」
「嫌だ」
「なんで?」
「城が壊れる」
「…………」
リリーが。
目を丸くする。
「おしろ、こわれる?」
「私がここで獣化したらな」
「ライベルト、そんなにおっきい?」
「でかい」
「みたい!」
「駄目」
「みたいー!」
「絶対駄目」
「おそと!」
「そういう問題じゃねぇ!」
「けち!」
「何とでも言え!」
クイントが笑っていたが。
「クイント」
「何?」
「お前もだ」
「え?」
「もう城内で試すな」
「なんで?」
「分からねぇから」
「何が?」
「お前が何になるか」
「…………」
ライベルトが。
真面目な顔になる。
「お前、自分は竜化できないって言ってたよな」
「うん」
「本当に?」
「…………?」
「今まで一度も、何も起きなかった?」
「何もって」
「竜化しようとした時。身体が止めるような感覚とか」
「…………」
クイントが。
考える。
「……あったかも」
「どんな」
「分かんない」
「思い出せ」
「…………」
昔。
メリッサが竜化できた。
自分もやりたくて。
何度も。
何度も試した。
けれど。
「……怖かった」
「何が?」
「分かんない」
「…………」
「竜になるのが怖かったんじゃなくて」
「うん」
「その先に行っちゃ駄目な気がした」
「…………」
ライベルトの表情が変わる。
「それ」
「なに?」
「できなかったんじゃなくて」
「…………」
「自分で止めてたんじゃねぇのか」
「…………え?」
クイントが。
瞬きをする。
「無意識にな」
「私が?」
「ああ」
「なんで?」
「知らん」
「…………」
「だから調べる」
「…………」
クイントの目が。
じわじわと輝いていく。
「じゃあ」
「待て」
「私」
「待てって」
「竜になれる!?」
「まだ分からん!」
「やった!」
「話聞け!」
「ママ、ドラゴン!」
「リリーも喜んでる!」
「煽るな!」
「お父さん!」
「私に振るな」
「コウヤ!」
「俺も知らねぇよ!」
「じゃあミカエル!」
「ここにいねぇだろ!」
ライベルトの怒鳴り声が。
部屋に響いた。
◇
その夜。
ギルは。
一人で窓の外を見ていた。
「…………」
タタン。
サクラ王妃。
二人の娘。
クイント。
そして。
エマ。
自分。
二人の息子。
コウヤ。
その二つの血が。
リリーで一つになった。
エマによく似た顔。
タタンから受け継いだ竜。
「…………」
そして。
もしかすると。
クイント自身にも。
まだ誰も知らない竜がいる。
「……タタン」
ギルが。
小さく呟く。
「お前の娘は」
少し考えて。
「……どうやら、お前が思っていた以上に厄介らしいぞ」
もちろん。
返事はない。
けれど。
ギルは少しだけ笑った。
翌日から。
ライベルトによる。
『クイントを絶対に城内で竜化させるな』
という。
妙に物々しい検査計画が始まることになる。