リリーが初めて竜になってから。
数日後。
「本当にやるのか?」
「やる!」
クイントは即答した。
「即答かよ……」
「だって気になるじゃん!」
「俺は気にならねぇ」
「嘘」
「……ちょっとは気になる」
「ほら!」
「でも怖ぇんだよ!」
コウヤの言葉に、クイントは頬を膨らませた。
「なんで?」
「お前、自分がどんな竜になるか分かってねぇだろ」
「金色!」
「色の話じゃねぇよ」
「じゃあ何?」
「大きさとか!」
「それは……」
クイントが少し考えて。
「やってみないと分かんない!」
「だから怖ぇんだよ!」
少し離れた場所で。
ライベルトが深々とため息をついた。
「城でやらせなくて正解だったな」
「まだ何もしてないよ!?」
「お前がその調子だからだ」
場所は、エルサイア城からかなり離れた平原だった。
周囲に建物はない。
人もいない。
万が一、クイントの竜化が予想以上の規模になったとしても。
ここなら、被害は最小限に抑えられる。
「ママ、ドラゴン!」
そして。
一番楽しみにしているのは。
当然。
「リリーも!」
三歳のリリーだった。
「リリーは今日はやらなくていいからね」
「なんで?」
「今日はママの日だから」
「ママのドラゴン!」
「そう!」
「おっきい?」
「多分!」
「きんいろ?」
「多分!」
「つよい?」
「多分!」
「全部多分じゃねぇか」
コウヤが突っ込む。
「だって私も知らないもん」
「そもそも本当にできるのか?」
「…………」
そこで。
クイントの表情が少しだけ変わった。
「……分かんない」
「…………」
「昔はできなかったから」
タタンの娘でありながら。
クイントは一度も竜化できなかった。
何度も試した。
メリッサが竜化できるのを見て。
自分にも同じ血が流れているのだから。
きっとできると思っていた。
けれど。
いつも。
「…………」
途中で。
止まった。
「クイント」
ギルが呼ぶ。
「無理をする必要はない」
「うん」
「できなければ、それでいい」
「……分かってる」
クイントは笑った。
「でも、一回だけやってみたい」
「…………」
「リリーができたからっていうのもあるけど」
「ママ!」
「うん」
リリーを見る。
「私、本当はずっと気になってたから」
「…………」
「なんで私はできないんだろうって」
「そうか」
「だから」
クイントは。
少しだけ息を吐いた。
「やってみる」
◇
目を閉じる。
昔と同じように。
身体の奥にあるものを探す。
「…………」
あった。
すぐに分かった。
昔より。
ずっと。
近い。
「…………っ」
けれど。
同時に。
来た。
「…………」
嫌だ。
身体が。
そう言っている。
違う。
怖いわけではない。
痛いわけでもない。
ただ。
――ここから先へ行くな。
身体の奥から。
そんな命令が響く。
「…………」
クイントが目を開けた。
「どうした?」
コウヤが聞いた。
「……やっぱり」
「駄目か?」
「昔と同じ」
「…………」
「ここから先に行っちゃ駄目って感じがする」
「ならやめろ」
コウヤは即答した。
「無理してまでやる必要ねぇだろ」
「…………」
「クイント?」
「うん」
そうだ。
別に。
竜になれなくても困らない。
今までだって。
何も問題はなかった。
「ママ」
小さな声。
「ん?」
リリーだった。
「こわい?」
「…………」
クイントが少し驚く。
「ママ、ドラゴンこわい?」
「……ううん」
「じゃあ、だいじょうぶ!」
「…………」
「リリーもできた!」
「そうだね」
「ママもできるよ!」
「…………」
根拠なんて。
何もない。
でも。
「……そっか」
「うん!」
「じゃあ」
クイントが笑った。
「もう一回だけ」
「クイント」
「本当に無理ならやめるよ」
「…………」
コウヤが。
しばらく妻を見る。
「絶対だぞ」
「うん」
もう一度。
目を閉じた。
◇
ここから先へ行くな。
また。
身体が拒絶する。
けれど。
今度は。
その感覚を。
よく見た。
「…………」
怖い。
何が?
竜になることが?
違う。
もっと。
本能的なもの。
自分ではない何かになる。
そんな恐怖。
「…………」
それでも。
クイントは。
一歩だけ。
その先へ踏み込んだ。
「――クイント?」
コウヤが。
異変に気づいた。
風が止まった。
「…………」
ライベルトが顔を上げる。
「全員、下がれ」
「え?」
「下がれ!」
「リリー」
ギルがすぐにリリーを抱き上げる。
「おじいちゃん?」
「大丈夫だ」
「ママは?」
「…………」
クイントの周囲に。
金色の光が集まっていた。
「…………っ」
クイント自身も。
驚いていた。
今まで。
絶対に開かなかった何かが。
開く。
身体が。
変わる。
視界が高くなる。
手足の感覚が消えて。
代わりに。
もっと大きな身体の感覚が。
自分のものになる。
◇
金色の光が消えた。
「…………」
「…………」
「…………」
誰も。
すぐには言葉を発しなかった。
そこにいたのは。
一頭の竜だった。
金色。
陽光を受けた鱗が。
静かに輝いている。
巨大――ではある。
けれど。
山のような化け物ではない。
人の姿だったクイントとは比べるまでもなく大きく。
広げれば翼だけでも相当な幅になる。
それでも。
何より目を引いたのは。
「…………綺麗だな」
コウヤが。
思わず呟いた。
恐ろしいというより。
神聖だった。
金色の竜は。
何もせず。
ただ。
静かに立っている。
「ママ……?」
リリーが。
ギルの腕の中から呼んだ。
「…………」
竜の頭が動いた。
ゆっくりと。
リリーを見る。
「ママ!」
金色の竜が。
一歩。
こちらへ近づく。
「待て」
ライベルトが警戒する。
「クイント。意識はあるか?」
「…………」
返事はない。
「クイント?」
「…………」
もう一度。
竜が。
ゆっくりと頭を動かした。
「……あるのか?」
ライベルトが聞く。
「…………」
こくり。
頷いた。
「…………」
「…………」
「…………」
コウヤが目を丸くする。
「お前、喋れねぇの?」
「…………」
金色の竜が。
口を開いた。
「…………」
何も。
言葉にはならない。
「…………」
もう一度。
口を開く。
けれど。
人の言葉は出なかった。
「クイント」
「…………」
コウヤが。
少しだけ近づく。
「俺、分かるか?」
「…………」
竜が。
じっとコウヤを見る。
そして。
鼻先を。
ゆっくり近づけた。
「うおっ……」
コウヤの胸元へ。
軽く触れる。
「…………」
離れる。
「……分かってんだな」
「…………」
竜が。
頷いた。
「ママ!」
今度はリリー。
「リリーも!」
「…………」
金色の竜が。
リリーを見る。
ゆっくり。
頭を下げる。
「わあ……!」
目の前まで。
巨大な金色の顔が降りてくる。
「ママ、きれい!」
「…………」
竜が。
目を細めた。
「ママ!」
リリーが。
小さな手で鼻先へ触れる。
「つるつる!」
「リリー、あまり触るな」
「だいじょうぶ!」
「そういう問題ではない」
「ママだもん!」
「…………」
ギルが黙った。
確かに。
クイントだ。
だが。
「……随分と変わるものだな」
「何が?」
コウヤが聞く。
「雰囲気だ」
「…………」
コウヤも。
金色の竜を見る。
「……確かに」
普段のクイントなら。
成功した時点で。
『できた!』
と。
誰よりも騒いでいたはずだ。
けれど。
今のクイントは。
静かだった。
穏やかに。
周囲を見ている。
「竜化すると性格まで変わるのか?」
コウヤが聞く。
「分からん」
ライベルトが答える。
「意識はある。こっちの言葉も理解してる」
「うん」
「ただ、発話機能が人型とは違うんだろ」
「…………」
ライベルトが。
金色の竜を見上げる。
「それ以外にも」
「何?」
「人間としての感覚より、竜としての本能が強く出てる可能性はある」
「…………」
その言葉に。
竜の瞳が。
僅かに動いた。
「……聞いてるな」
「…………」
頷く。
「なら」
ライベルトは言った。
「一度戻れ」
「…………」
金色の竜が。
少し困ったように首を傾げた。
「…………」
「…………」
「…………」
「戻り方分かんねぇの?」
「…………」
こくり。
「クイントォ!」
「ママもどれない?」
「…………」
リリーを見る。
また。
こくり。
「かわいい!」
「かわいいで済ませるな!」
◇
結局。
しばらくすると。
竜化は自然に解除された。
金色の光に包まれ。
身体が小さくなって。
「…………っ」
クイントが。
草の上へ座り込んだ。
「クイント!」
「ママ!」
コウヤとリリーが駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「…………」
クイントが。
顔を上げる。
「…………」
そして。
「できたああああああ!!」
「うるせぇ!!」
「私、竜になった!!」
「知ってるよ!」
「見た!?」
「ずっと見てた!」
「金色だった!?」
「金色だった!」
「大きかった!?」
「でかかった!」
「やったあああ!」
「静かだったお前どこ行ったんだよ!」
「え?」
「竜の時だよ!」
「…………」
クイントが。
目を瞬かせる。
「私、喋ってたよ?」
「は?」
「コウヤに返事した」
「してねぇよ」
「したよ!」
「口開けてただけだ!」
「ええ!?」
クイントが。
自分の口を押さえる。
「私、『うん、私だよ』って言ったよ?」
「一文字も聞こえてねぇ」
「嘘!?」
「本当だ」
ライベルトが言った。
「人の言葉は出てなかった」
「…………」
クイントが。
固まる。
「じゃあ」
「何?」
「リリーが『ママ、綺麗』って言った時も」
「うん」
「『ありがとう』って言ったのに」
「無音」
「…………」
「鼻息は出てた」
「鼻息!?」
「ママ、ふーってした!」
「やだぁ!!」
「何が嫌なんだよ!」
リリーが。
楽しそうにクイントへ抱きつく。
「ママ、ドラゴン!」
「なったね!」
「リリーも!」
「今はならなくていい!」
「なんでー!」
「二人同時に竜になったらライベルト怒るから!」
「私のせいにするな」
◇
「でも」
少しして。
コウヤが言った。
「なんで今までできなかったんだ?」
「…………」
クイントが。
黙る。
「分かった気がする」
「何が?」
「怖かった」
「竜になるのが?」
「ちょっと違う」
クイントは。
自分の胸へ手を当てた。
「竜になったらね」
「うん」
「ちゃんと私なんだけど」
「…………」
「いつもの私と、ちょっと違った」
「…………」
静かだった。
言葉を話したいのに。
声にならない。
身体の動かし方も違う。
匂いも。
音も。
風も。
人の姿とは。
まるで違う感覚で世界が入ってくる。
「人間の私が消えるわけじゃないんだけど」
「うん」
「竜の方が前に出てくる感じ」
「…………」
「だから昔の私は」
クイントが。
少し考える。
「それが怖かったのかも」
「身体が勝手に止めてた?」
「多分」
「…………」
ライベルトが頷く。
「あり得るな」
「やっぱり?」
「ああ。特に子供なら、自分という感覚が大きく変わることを本能的に拒絶してもおかしくない」
「そっか……」
クイントが。
自分の手を見る。
「できなかったんじゃなかったんだ」
「そうみたいだな」
「…………」
嬉しそうに。
笑った。
「私もちゃんと、タタンお父さんの娘だったんだね」
「…………」
ギルが。
その言葉を聞いて。
僅かに目を細めた。
「ああ」
「お父さん?」
「お前は最初からそうだ」
「…………」
「竜になれようが、なれまいがな」
「……うん」
クイントが笑った。
「ありがとう」
◇
「もう一回!」
「やらない」
「なんで!?」
「疲れた」
「ママ、ドラゴン!」
「今日は終わり!」
「えー!」
「リリーも帰ったらお昼寝ね」
「やーだー!」
「駄目」
「パパ!」
「俺に振るな」
「おじいちゃん!」
「クイントの言うことを聞け」
「ライベルト!」
「寝ろ」
「みんなきらい!」
「はいはい」
三歳児が。
ぷくっと頬を膨らませる。
その横で。
クイントは。
もう一度。
自分の手を見た。
金色の竜。
自分の中に。
確かにいた。
「…………」
でも。
「もうしばらくいいかな」
「は?」
コウヤが振り返る。
「お前あんなに竜になりたがってたじゃねぇか」
「なれたから満足した」
「軽っ!」
「だって喋れないんだもん」
「そこ!?」
「私、喋れないの無理」
「…………」
コウヤが。
しばらく黙って。
「……確かにお前には無理だな」
「どういう意味!?」
「そのままの意味だよ!」
「コウヤ!」
「ほら! もううるせぇ!」
「何よー!」
「ママおこった!」
「怒ってない!」
「圧出てるぞ」
「出してない!」
「クイント」
「お父さんまで!?」
いつものクイントだった。
その日以来。
エルサイア城には。
もう一つ。
暗黙の了解が増えた。
リリーだけではなく。
クイントも、城内では絶対に竜化させないこと。
もっとも。
本人が再び竜になるのは。
ずっと先のことになるのだが。
――そして。
この頃のクイントはまだ知らない。
自分の身体に受け継がれたものが。
タタンの竜人の血だけではないことを。
かつて。
星魅の巫女パヌトによって。
自分の中へ残されたもの。
それが。
次に生まれる子供へ。
受け継がれようとしていることを。