**神系宇宙『ラ』所属 惑星ストリジア『ラウル王国』**
**希望の協会管理地『南の森』**
**8:00 天候:晴**
ギル・ウィリアムズがクイントを保護してから、五年の月日が流れた。
エルサイア王国の消滅後。
ギルは家族とクイントを連れ、故郷を離れた。
現在暮らしているのは、隣国であるラウル王国の郊外。
そこに存在する小さなギルド――**『希望の協会』**に所属しながら、妻のエマ、息子のコウヤ、そしてクイントと共に生活している。
旧エルサイア王国の聖騎士であるギルと、エルサイア第一王女メリッサと同一人物であるクイント。
二人を受け入れる以上、当然ながらラウル王国から監視役も派遣されている。
それでも。
戦争の傷跡が色濃く残る首都に比べれば、郊外の人々は穏やかだった。
旧エルサイアの人間だからというだけで、露骨な敵意を向けてくる者も少ない。
ギルたちにとって。
ここはようやく手に入れた、新しい故郷だった。
◇
「父さん。今日の狩りはどうするの?」
「鹿を狙うぞ。奴らに気をつけながらな」
「はーい!」
十歳になったクイントは、ギルと共に森を進んでいた。
二人が跨がっているのは馬ではない。
巨大な狼だ。
クイントを乗せている狼の名は、テテ。
ギルの狼は、エウウ。
二頭とも、人工精霊を使役することで召喚された使い魔である。
科学技術が発達したラウル王国では、自動車やバイクが一般的な移動手段となっている。
だが、首都を離れれば事情は変わる。
険しい山。
深い森。
整備されていない獣道。
大型車両や人型機動兵器《アージェリカ》では、小回りが利かない。
結局、郊外の地上探索では馬やラバが重宝されている。
しかし。
ギルとクイントは、旧エルサイアの人間だ。
人工精霊を生まれながらに使役できる。
だから二人は、複雑な地形でも高速で移動でき、なおかつ気配を消すことのできる狼を使っていた。
特に。
狩りには都合がいい。
「…………」
ギルが片手を上げる。
クイントも黙った。
「右前方」
小声。
クイントが目を凝らす。
木々の隙間。
鹿が一頭、草を食べていた。
「いた」
「まだ撃つな」
「分かってるって」
だが。
「きゅーーい! きゅい!」
鹿が突然、顔を上げた。
「あっ!」
走り出す。
「テテ!」
「承知した」
狼が地面を蹴った。
木々の間を縫うように加速する。
「父さん! 今日、私にやらせてよね!」
「構わんが、やりすぎるなよ」
「分かってる!」
クイントは背中から、スナイパーライフル型の魔道具を取り出した。
内部にはスフロン水晶が組み込まれている。
銃口を鹿へ向ける。
環状の魔法陣が展開され。
周囲の人工精霊が、銃口へ集まり始めた。
「――《ロング・ショット・ファイア!》」
炎属性。
砲撃系魔法。
轟音と共に。
極太の光が森を走った。
「――!」
逃げていた鹿へ命中する。
鹿が倒れた。
「やった!」
クイントはすぐにテテから降りる。
鹿は黒焦げになっていない。
食料として使えるよう、クイントが魔法へ保護術式を組み込んでいたからだ。
収納魔法へ鹿をしまう。
「よし!」
クイントが胸を張る。
「これなら父さんがいなくても食料調達くらい余裕――いたっ!」
額へ衝撃。
「痛ぁっ!」
「クイント」
「何するの!」
「やりすぎだ」
ギルのデコピンだった。
「ちゃんと鹿残ってるじゃん!」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ何!」
「鹿一頭に砲撃魔法を使う必要がどこにある」
「…………」
「普通の精霊弾で十分だ」
「久しぶりに魔法使えたから……ちょっと撃ってみたくて」
「その『ちょっと』で周囲の人工精霊をどれだけ消費したと思ってる」
「う」
「いざという時に精霊切れを起こして困るのはお前だ」
「……ごめんなさい」
「それから」
ギルがクイントの額を軽く叩く。
「慢心するな」
「してないもん」
「『父さんがいなくても余裕』と言った直後だろう」
「…………」
「ギルドへ無事に帰るところまでが狩りだ」
「……はい」
「首都の訓練施設ならともかく、郊外では必要以上に人工精霊を使うな。特に――」
ギルの言葉が。
止まった。
ゴロゴロ――。
遠くから。
雷鳴が聞こえた。
◇
「……雷?」
クイントが空を見上げる。
つい先ほどまで。
晴れていたはずだった。
しかし。
遠くの空が。
黒い。
巨大な雨雲が森を覆おうとしていた。
雲の内部では。
何度も雷が走っている。
ギルの表情が変わった。
「近いな」
「あれって……」
クイントも。
笑顔を消した。
「《青い雨》?」
「今日の予知では降らないはずだった」
「キリナの予知って外れることあるの?」
「無いわけじゃない。だが、珍しい」
「じゃあ普通の雨かな」
「…………」
ギルは答えなかった。
ぽつり。
クイントの頬に。
雨粒が落ちる。
「…………」
指で拭う。
青い。
「父さん」
「ああ」
ギルが即座にエウウへ跨がった。
「湖へ戻るぞ」
◇
「そういえばさ」
テテを走らせながら、クイントが言う。
「キリナ、今日の予知外したって知ったら落ち込むかな」
「クイント」
「何?」
「外では、なるべく《アイテール様》と呼べ」
「またそれ?」
クイントが頬を膨らませる。
「本人がキリナでいいって言ってるじゃん」
「本人の前では好きにしろ」
「友達なんだから、キリナでいいでしょ」
「……お前はそうだろうな」
「何その言い方」
ギルは。
少しだけ考えてから答えた。
「神々が地上へ降りてくること自体は珍しくない」
「知ってるよ」
「なら、理由も知ってるな」
「世界の管理とか、災害の監視とかでしょ?」
「ああ」
神々。
正確には。
エマとは異なる世界に住む**天族**。
彼らが地上へ現れる理由について。
一般には。
そう説明されている。
世界の観測。
天災の監視。
世界間で発生した問題の仲裁。
必要と判断された場合には。
現地の組織へ所属し、活動することも認められている。
だから。
希望の協会に一人の神が所属していること自体は。
それほど不自然ではない。
問題は。
その神が。
**キリナ・アイテール**であることだった。
「でもさ」
クイントが言う。
「キリナって、世界を管理しに来たんじゃないんでしょ?」
「…………」
「前に本人が言ってたよ」
「何をだ」
「帰れないって」
ギルの眉が僅かに動いた。
「それ以上は?」
「知らない」
「聞かなかったのか」
「聞いたよ」
「何と言っていた」
「『昔、少し無茶をしました』って」
「……それだけか」
「あと『秘密の一つくらいあった方が神らしいでしょう』って」
「…………」
「だから教えてくれなかった」
「そうか」
クイントは知らない。
世間も。
詳しくは知らない。
ただ。
ギルは。
少しだけ事情を聞いていた。
キリナは。
かつて。
**《アイテール》という神名を持っていた。**
だが。
何らかの戦いによって。
その神名を失った。
そして。
自らの世界へ帰るための力さえ失った。
それ以上について。
ギルは知らない。
誰と戦ったのか。
何故エマへ来たのか。
何を失ったのか。
そして。
何故。
今も《アイテール》を名乗っているのか。
「父さん?」
「……いや」
ギルは前を見る。
「本人が《キリナ・アイテール》と名乗っている以上、外ではその名を尊重してやれ」
「でも《アイテール》って、もう神名じゃないんでしょ?」
「ああ」
「じゃあキリナでいいじゃん」
「そういう問題ではない」
「難しいなあ」
「それに」
ギルが周囲へ視線を向ける。
「《アイテール》と呼ぶと、人工精霊の収束率が僅かに上昇する」
「え?」
「神名を失ったはずなのにな」
「…………」
「この郊外では、その僅かな差が命を救うこともある」
クイントが考える。
「じゃあ」
「何だ」
「やっぱりキリナ、まだ神様なんじゃない?」
「分からん」
「父さんでも?」
「分からないものは分からん」
「ふうん」
クイントは。
少し笑った。
「私はキリナって呼ぶけどね」
「本人の前なら好きにしろ」
「友達だもん」
「…………」
友達。
その言葉に。
ギルは。
ほんの少しだけ。
表情を曇らせた。
◇
キリナ・アイテール。
女性。
希望の協会に所属するシスター。
予知能力を保有している。
ただし。
現在の彼女は。
一人で歩くことすら難しい。
普段は車椅子で生活している。
それでも。
希望の協会が設立された当初から。
彼女はずっと。
この場所にいる。
周辺住民からの信頼も厚い。
クイントとも。
いつの間にか仲良くなっていた。
人柄に問題があるわけでもない。
それでも。
ギルには。
一つだけ。
気になることがあった。
「(何故、ここなんだ)」
予知能力者は。
ラウル王国にも存在する。
わざわざ。
首都から遠く。
設備も満足に揃っていない。
こんな郊外で。
歩くことさえ困難な天族が。
協会設立当初から活動し続ける理由。
世界管理。
災害監視。
公的な説明なら。
いくらでもつく。
だが。
「(あの目は――)」
ギルは。
キリナの目を思い出す。
穏やかで。
優しく。
いつも笑っている。
なのに。
時折。
酷く遠い場所を見ている。
**まだ何も諦めていない者の目。**
「(クイントと仲良くしているのも……)」
ギルが。
前を走る少女を見る。
金髪。
十歳。
今では。
すっかり自分の娘のようになった。
だが。
その魂と肉体は。
かつてのエルサイア第一王女。
メリッサ。
「(この子がメリッサ様だからなのかもしれない)」
証拠はない。
ただの勘だ。
だから。
疑うだけならともかく。
キリナを責める理由にはならない。
そして。
今は。
それどころではなかった。
◇
雨脚が。
強くなる。
青い雨。
森の空気が。
変わった。
そして。
遠くから。
獣のような咆哮が響いた。
「――――!」
ギルが武器を抜く。
「クイント!」
「うん!」
ここからは。
いつもの手順。
二人は。
人工精霊を介した念話へ切り替えた。
『大型は俺が片付ける』
『小型は私ね!』
『戦うことを優先するな。湖まで撤退する』
『分かってる! 追いついてくる奴と遠距離型だけ倒す!』
『それでいい』
直後。
「――ガァァァァッ!」
木々が。
薙ぎ倒された。
「うわ……!」
現れたのは。
巨大なゴリラ型の《屍》。
全長。
およそ五メートル。
黒い体毛。
血の気を失った青白い皮膚。
腐敗臭に混じって。
強烈な血の臭いがする。
青い雨によって。
完全に狂暴化していた。
「――ガァッ!」
巨体が。
ギルへ突進する。
だが。
ギルは動じない。
ショットガン型魔道具を構える。
ゼロ距離。
引き金。
――ドンッ!
高出力の精霊弾が。
巨体を撃ち抜いた。
「ギャァッ!」
屍が吹き飛ぶ。
その身体が。
四散した。
「図体がでかいだけだな」
だが。
一体ではない。
次々と。
屍が現れる。
「エウウ!」
狼が駆ける。
包囲を抜けながら。
ギルは武器を交換する。
グレネードランチャー型。
ギルには。
詠唱など必要ない。
精霊弾。
発射。
爆発。
屍の群れが。
まとめて吹き飛ぶ。
「(この程度なら――)」
ギルが。
森の奥を見る。
「…………」
さらに。
巨大な影。
木々より。
遥かに大きい。
二十メートル級。
まだ。
こちらには気付いていない。
「(あれは相手にする必要はないな)」
見つかれば。
何を撃ってくるか分からない。
巨大な火球。
砲撃。
あるいは。
それ以上。
「(撤退だ)」
ギルは。
クイントを追った。
◇
『なんなのよ、あいつら!』
クイントは。
テテに乗りながら。
森を全力で駆けていた。
『私、車とかバイクより速いテテに乗ってるんだよ!? なんで追いついてくるの!』
『クイント』
『何!』
『喋るな』
『念話じゃん!』
『ならいい』
『でしょ!?』
『前』
『見てる!』
『右』
『分かってる!』
『上』
『それも――』
木の上。
屍が。
飛びかかる。
『分かってるってば!』
クイントが。
ハンドガン型魔道具を抜いた。
「――拡散型精霊弾魔法《舞姫》!」
周囲へ。
無数の精霊弾。
クイントを中心に。
円を描く。
「行け!」
前。
右。
左。
後ろ。
そして。
上。
クイントが。
すべてを操作する。
精霊弾が。
屍たちを次々と撃ち抜いた。
『ほら!』
『何が、ほら、だ』
『ちゃんと上も見てた!』
『俺が言ったからだ』
『細かい!』
『最大加速する』
『お願い、テテ!』
狼が。
地面を蹴る。
◇
そして。
木々が。
途切れた。
「抜けた!」
森の外。
巨大な湖。
その周辺だけ。
雨が。
降っていない。
まるで。
何かに遮られているように。
青い雨が。
湖の手前で途切れていた。
クイントとテテが。
湖の領域へ飛び込む。
「やった!」
振り返る。
追ってきた屍たちが。
突然。
止まった。
「…………」
一歩。
後退する。
また。
一歩。
そして。
逃げるように。
森へ戻っていく。
「ざまぁないわ!」
クイントが。
胸を張った。
「キリナの加護に怯えて逃げたのね!」
『違う』
テテが即答する。
「え?」
『ギルも言っていただろう。これはアイテールの加護ではない』
「じゃあ何?」
『湖だ』
テテが。
静かな水面を見る。
『昔から、この周辺には屍が近づかない』
「なんで?」
『分からない』
「テテでも?」
『分からないものは分からない』
「父さんと同じこと言ってる」
『事実だからな』
クイントも。
湖を見る。
屍たちは。
単純に。
恐れているようには見えなかった。
むしろ。
**触れてはいけない場所へ、誤って踏み込みそうになった。**
そんな反応。
『アイテール本人も言っていただろう』
「何を?」
『ここは神聖な場所だから、自分も身を置きやすいと』
「あー……言ってたかも」
『だから、アイテールがここを守っているわけではない』
「ふうん」
クイントは。
しばらく湖を眺める。
だが。
すぐに。
「まあ、安全ならいいや!」
『お前は本当に』
「何?」
『いや』
◇
『エマのところへ行こう』
「母さん?」
『ああ。鹿も狩れた』
「父さんは?」
『すぐ戻る』
「じゃあ行こ!」
エマ。
ギルの妻。
クイントとは。
血の繋がりはない。
それは。
クイント自身も知っている。
ギルとエマには。
実の息子であるコウヤがいる。
それでも。
二人は。
クイントとコウヤを。
分け隔てなく育ててくれた。
五年前。
名前すらなく。
赤ん坊のような状態だった自分を。
ギルは拾った。
そして。
――クイント。
そう。
名前をくれた。
「テテ」
『何だ』
「鹿、母さん喜ぶかな」
『喜ぶだろう』
「コウヤも?」
『食べるだろうな』
「いっぱい?」
『お前と取り合いになる程度には』
「じゃあ負けない!」
『争うな』
「早い者勝ち!」
『クイント』
「冗談だって!」
クイントが。
笑う。
遠くでは。
今も。
青い雨が降っている。
屍の咆哮が。
微かに聞こえる。
それでも。
湖の周辺だけは。
いつも通り。
静かだった。
父さんがいる。
母さんがいる。
コウヤがいる。
テテがいる。
エウウがいる。
キリナがいる。
狩りへ行って。
皆で。
ご飯を食べる。
そんな。
何でもない毎日。
クイントは。
この日常が。
好きだった。
だから。
十歳の少女は。
何の疑いもなく。
願った。
――**この日常が、ずっと続けばいいのに。**
この時のクイントは。
まだ知らなかった。
自分が暮らしているこの湖が。
なぜ。
《青い雨》さえ寄せ付けないのか。
キリナ・アイテールが。
なぜ。
帰ることのできない世界で。
この場所を選んだのか。
そして。
かつて《メリッサ》だった自分自身が。
この世界で。
もう一度。
**《王》として選ばれることになることも。**