エマ   作:篠原えれの

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第三十七話『覚えていない居場所』

 

 

 翌朝。

 

 シュテーは。

 

 妙にすっきりと目を覚ました。

「…………」

 

 天井を見る。

 

「…………朝?」

 

 身体を起こす。

 

 窓の外は明るい。

 

「…………」

 

 時計を見る。

 

 七時。

 

「…………は?」

 

 もう一度見る。

 

 七時。

 

「俺、寝たのか……?」

 

 最後に覚えているのは。

 

 昨夜。

 

 ベッドへ入ったところ。

 

 そこから。

 

 何もない。

 

「…………」

 

 夢も。

 

 ない。

 

 血も。

 

 悲鳴も。

 

 殺した感触も。

 

 何一つ。

 

「…………」

 

 シュテーは。

 

 自分の手を見る。

 

 いつもの癖だった。

 

「…………」

 

 何もついていない。

 

 けれど。

 

 今回は。

 

 それを確認しても。

 

 胸がざわつかなかった。

 

「……寝れたんだな」

 

 久しぶりだった。

 

 こんなに。

 

 普通に。

 

 ◇

 

「おはよう」

 

「…………」

 

 部屋を出ると。

 

 ティオがいた。

 

「……先生」

 

「うん」

 

「…………」

 

 シュテーが止まる。

 

「どうした?」

 

「いや」

 

「?」

 

「…………」

 

 分かる。

 

 この人は。

 

 先生。

 

 ティオ。

 

 自分をここへ迎え入れた人。

 

 自分が一緒に暮らしている人。

 

 それは。

 

 分かる。

 

 なのに。

 

「…………」

 

 どうして。

 

 先生と呼ぶようになった?

 

「シュテー?」

 

「先生」

 

「何?」

 

「俺さ」

 

「うん」

 

「いつからあんたのこと先生って呼んでた?」

 

「…………」

 

 ティオの顔が。

 

 僅かに強張った。

 

「……覚えてない?」

 

「ああ」

 

「…………」

 

「何かきっかけあった?」

 

「…………あったよ」

 

「何?」

 

「それは……」

 

「…………」

 

 ティオが。

 

 少し困った顔をする。

 

「話した方がいい?」

 

「何で俺に聞くんだよ」

 

「だって」

 

「先生の好きにしろよ」

 

「…………」

 

 ティオが黙る。

 

 そして。

 

「今はやめとく」

 

「何で」

 

「シュテーが思い出したいって思ったら話す」

 

「…………」

 

 シュテーが。

 

 少し眉を寄せた。

 

「変な奴」

 

「シュテーに言われたくない」

 

「俺の何が変なんだよ」

 

「いっぱいある」

 

「例えば?」

 

「酒強すぎ」

 

「それはゼウスのせいだろ」

 

「…………」

 

 ティオが。

 

 止まった。

 

「何?」

 

「そこは覚えてる?」

 

「何が」

 

「ゼウスと飲んでたこと」

 

「…………」

 

 シュテーが考える。

 

「……知ってる」

 

「覚えてる?」

 

「…………」

 

 違う。

 

 知っている。

 

 ゼウスとよく酒を飲む。

 

 それは分かる。

 

 でも。

 

「…………何飲んだっけ」

 

「シュテー」

 

「どこで飲んだ?」

 

「…………」

 

「俺、あいつと何の話してた?」

 

「…………」

 

 出てこない。

 

「……気持ち悪ぃな」

 

「…………」

 

 シュテーが頭を掻いた。

 

「知ってるのに覚えてねえ」

 

「うん」

 

「変な感じだ」

 

「…………」

 

 ティオが。

 

 何か言おうとする。

 

「先生」

 

「何?」

 

「そんな顔すんな」

 

「え?」

 

「別にあんたのせいじゃねえだろ」

 

「…………」

 

「トレシィだっけ?」

 

「うん」

 

「あいつが持ってった」

 

「…………」

 

「それで俺が人殺さなくなったなら」

 

「シュテー」

 

「安いもんだろ」

 

「…………」

 

 ティオが。

 

 何も言えなくなる。

 

「何だよ」

 

「安くないよ」

 

「…………」

 

「俺には」

 

「…………」

 

 シュテーが。

 

 少し驚いたように。

 

 先生を見る。

 

「そっか」

 

「うん」

 

「…………悪い」

 

「何でシュテーが謝るの」

 

「知らん」

 

「…………」

 

「何となく」

 

「…………」

 

 ティオが。

 

 少しだけ笑った。

 

「そういうところは変わってない」

 

「俺、前からこんな感じ?」

 

「うん」

 

「面倒くせえ奴だな」

 

「自分で言う?」

 

「記憶ねえから他人みたいなもんだろ」

 

「シュテーはシュテーだよ」

 

「…………」

 

 その言葉に。

 

 何故か。

 

 胸が。

 

 少しだけ。

 

 軽くなった。

 

「……そうかよ」

 

「うん」

 

 ◇

 

「お、起きたか」

 

「…………」

 

 食堂へ入ると。

 

 ゼウスがいた。

 

「おはよう、シュテー君」

 

 広重もいる。

 

「…………」

 

 シュテーは。

 

 二人を見る。

 

「何だよ」

 

「いや」

 

「?」

 

「ゼウス」

 

「おう」

 

「広重」

 

「はい」

 

「…………」

 

 名前は出る。

 

 何者なのかも分かる。

 

 でも。

 

「やっぱ気持ち悪ぃな」

 

「朝一番に人の顔見てそれ?」

 

「違えよ」

 

「じゃあ何だよ」

 

「俺、お前らと何してた?」

 

「酒」

 

 ゼウスが即答する。

 

「それだけ?」

 

「酒」

 

「他は?」

 

「…………酒?」

 

「俺らの関係薄すぎねえ?」

 

「いや結構飲んでたぞ」

 

「そういう意味じゃねえよ!」

 

「ははは!」

 

「笑うな広重!」

 

 思わず。

 

 いつもの調子で。

 

 言葉が出た。

 

「…………」

 

 シュテーが。

 

 自分で止まる。

 

「何?」

 

 広重が聞く。

 

「いや」

 

「…………」

 

「何で俺、今こんな普通に喋ってんだろうと思って」

 

「…………」

 

 ゼウスと広重が。

 

 顔を見合わせた。

 

「身体が覚えてんじゃねえの?」

 

「身体?」

 

「頭で覚えてなくてもな」

 

「…………」

 

「お前が俺様らとどんな距離感で喋ってたかくらいは残ってんだろ」

 

「……そんなもんか?」

 

「知らん」

 

「適当だな!」

 

「俺様、医者じゃねえし」

 

「神だろ」

 

「神だからって何でも知ってると思うな」

 

「開き直んなよ」

 

「元気じゃん」

 

「…………」

 

 広重が笑った。

 

「昨日までよりずっといいよ」

 

「昨日?」

 

「…………」

 

 シュテーの表情が変わる。

 

「俺」

 

「…………」

 

「そんな酷かった?」

 

「……まあ」

 

「どのくらい?」

 

「隈すごかった」

 

「それは知ってる」

 

「全然寝てなかった」

 

「それも知ってる」

 

「夢遊病で人殺しかけた」

 

「それも――」

 

 止まった。

 

「…………」

 

 シュテーが。

 

 ゆっくり。

 

 広重を見る。

 

「俺」

 

「うん」

 

「誰殺そうとした?」

 

「…………」

 

 広重が。

 

 ゼウスを見る。

 

「何でゼウス見るんだよ」

 

「いや」

 

「教えろ」

 

「シュテー」

 

 ゼウスが口を挟む。

 

「知らなくていい」

 

「何で」

 

「未遂だから」

 

「だからって」

 

「相手も無事」

 

「…………」

 

「お前が顔覚えたら、今度はそいつ見る度に気にするだろ」

 

「…………」

 

「必要ねえ」

 

「…………」

 

 シュテーが黙る。

 

「それもトレシィが持ってった?」

 

「いや」

 

「じゃあ何で覚えてねえんだよ」

 

「寝てたからだ」

 

「…………ああ」

 

「夢遊病なんだから」

 

「そりゃそうか」

 

「…………」

 

 シュテーが。

 

 小さく息を吐いた。

 

「……よかった」

 

「何が」

 

「顔覚えてなくて」

 

「…………」

 

「多分」

 

 シュテーが。

 

 少し笑う。

 

「覚えてたら、まともに見れねえから」

 

「…………」

 

 ゼウスは。

 

 何も言わなかった。

 

 やはり。

 

 トレシィの判断は。

 

 間違っていなかった。

 

 ◇

 

 その日の午後。

 

「…………」

 

 シュテーは。

 

 一人で廊下を歩いていた。

 

 特に目的はない。

 

 ただ。

 

 自分が。

 

 どこまで覚えているのか。

 

 確認したかった。

 

「…………ここは分かる」

 

 食堂。

 

「こっちも」

 

 自室。

 

「…………」

 

 曲がる。

 

 階段を上がる。

 

「…………?」

 

 気づけば。

 

 ある部屋の前に立っていた。

 

「…………」

 

 シュテーが。

 

 扉を見る。

 

「何でここ来た?」

 

 ノックする。

 

「はーい」

 

 扉が開く。

 

「シュテー?」

 

「…………」

 

 先生だった。

 

「どうした?」

 

「いや」

 

「?」

 

「…………」

 

 シュテー自身にも。

 

 分からない。

 

「何か用?」

 

「……ない」

 

「え?」

 

「何もない」

 

「じゃあ何で来たの?」

 

「俺が聞きてえよ」

 

「…………」

 

 ティオが。

 

 目を瞬かせる。

 

「気づいたらここにいた」

 

「…………」

 

「何だここ」

 

「俺の部屋」

 

「それは知ってる」

 

「じゃあ」

 

「だから」

 

 シュテーが。

 

 困ったように。

 

 頭を掻いた。

 

「何で用もねえのに先生んとこ来たんだよ」

 

「…………」

 

 ティオが。

 

 しばらく黙る。

 

 そして。

 

「入る?」

 

「…………」

 

「お茶あるよ」

 

「酒は?」

 

「ない」

 

「じゃあいい」

 

「帰るの!?」

 

「冗談だよ」

 

「分かりにくい!」

 

「はは」

 

 自然に。

 

 部屋へ入った。

 

 いつもの椅子へ。

 

 迷わず座った。

 

「…………」

 

 ティオが。

 

 それを見る。

 

「何だよ」

 

「そこ」

 

「何」

 

「シュテーがいつも座ってたところ」

 

「…………」

 

 シュテーが。

 

 椅子を見る。

 

「そうなのか?」

 

「うん」

 

「…………」

 

 覚えていない。

 

 なのに。

 

 身体は。

 

 知っている。

 

「……気味悪いな」

 

「嫌?」

 

「いや」

 

 即答だった。

 

「…………」

 

 自分でも。

 

 少し驚いた。

 

「嫌じゃねえ」

 

「そっか」

 

「ああ」

 

「…………」

 

 先生が。

 

 嬉しそうに笑った。

 

「何笑ってんだよ」

 

「別に」

 

「変な奴」

 

「知ってる」

 

「…………」

 

 しばらく。

 

 何も話さなかった。

 

 それでも。

 

 居心地は。

 

 悪くなかった。

 

 むしろ。

 

「…………」

 

 眠い。

 

「シュテー?」

 

「ん……」

 

「眠い?」

 

「…………ちょっとな」

 

「寝る?」

 

「嫌だ」

 

「夢遊病はもう大丈夫だって」

 

「…………」

 

「トレシィが言ってた」

 

「…………」

 

 シュテーが。

 

 先生を見る。

 

「本当に?」

 

「うん」

 

「…………」

 

「俺いるよ」

 

「…………」

 

 また。

 

 その言葉。

 

「先生」

 

「何?」

 

「俺さ」

 

「うん」

 

「前も」

 

「?」

 

「こうやって寝てた?」

 

「…………」

 

 ティオが。

 

 小さく。

 

 頷いた。

 

「悪夢が酷かった時は」

 

「…………」

 

「一人で寝るの嫌だって」

 

「俺が?」

 

「うん」

 

「…………マジ?」

 

「『先生がいても夢の内容は変わらんだろ』とか文句言いながら」

 

「言いそうだな」

 

「言ってた」

 

「…………」

 

 シュテーが。

 

 少し笑った。

 

「じゃあ」

 

「うん」

 

「今日も頼む」

 

「…………!」

 

「何だよ」

 

「いや」

 

「?」

 

「うん」

 

 ティオが。

 

 笑った。

 

「おやすみ、シュテー」

 

「まだ昼だろ」

 

「じゃあ、お昼寝」

 

「子供扱いすんな」

 

「はいはい」

 

「……先生」

 

「何?」

 

「起きるまでいろよ」

 

「いるよ」

 

「…………」

 

 シュテーは。

 

 目を閉じた。

 

 理由は。

 

 覚えていない。

 

 何故。

 

 この人の隣なら眠れるのか。

 

 知らない。

 

 何故。

 

 困った時。

 

 無意識にここへ来るのか。

 

 知らない。

 

 それでも。

 

「…………」

 

 眠りに落ちる直前。

 

 シュテーは。

 

 何となく思った。

 

 ――まあ。

 

 悪くねえか。

 

 ◇

 

 その様子を。

 

 廊下の向こうから。

 

 ゼウスが見ていた。

 

「…………」

 

 広重が隣から覗く。

 

「入らないの?」

 

「入る必要ねえだろ」

 

「シュテー君、先生のところ来たね」

 

「ああ」

 

「覚えてないのに」

 

「…………」

 

 ゼウスが。

 

 少しだけ笑う。

 

「記憶だけで人間関係作ってるわけじゃねえってことだろ」

 

「いいこと言うじゃん」

 

「だろ?」

 

「酒飲んでないのに」

 

「どういう意味だ!」

 

「ははは」

 

「ったく……」

 

 ゼウスは。

 

 もう一度。

 

 部屋の中を見る。

 

 眠るシュテー。

 

 その傍にいる先生。

 

「…………」

 

 これなら。

 

 大丈夫だ。

 

 失ったものは。

 

 確かに大きい。

 

 けれど。

 

 全部ではない。

 

 なら。

 

「また作りゃいい」

 

「何を?」

 

「別に」

 

「…………」

 

「ほら、酒飲みに行くぞ」

 

「昼だけど」

 

「シュテー起きたら誘う」

 

「先生に怒られるよ」

 

「じゃあ三人で怒られようぜ」

 

「俺まで!?」

 

「連帯責任」

 

「何の!?」

 

 そして数時間後。

 

「お前ら何で昼間から飲もうとしてんの!?」

 

「ほら怒られた」

 

「先生、俺まだ何もしてねえぞ」

 

「シュテーは病み上がり!」

 

「病気だったのか俺」

 

「ゼウス!」

 

「何で俺様!?」

 

「だいたいゼウスのせいだから!」

 

「理不尽だろ!」

 

「広重も!」

 

「俺も!?」

 

「…………」

 

 騒がしい。

 

 覚えていない。

 

 けれど。

 

「……何だこれ」

 

「何が?」

 

「いや」

 

 シュテーが。

 

 小さく笑う。

 

「何となく」

 

「?」

 

「前もこんなんだった気がする」

 

「…………」

 

 先生が。

 

 少しだけ。

 

 目を細めた。

 

「うん」

 

「そうか?」

 

「ずっとこんな感じだったよ」

 

「…………」

 

 思い出せなくても。

 

 それなら。

 

 今は。

 

 十分だった。

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