翌朝。
シュテーは。
妙にすっきりと目を覚ました。
「…………」
天井を見る。
「…………朝?」
身体を起こす。
窓の外は明るい。
「…………」
時計を見る。
七時。
「…………は?」
もう一度見る。
七時。
「俺、寝たのか……?」
最後に覚えているのは。
昨夜。
ベッドへ入ったところ。
そこから。
何もない。
「…………」
夢も。
ない。
血も。
悲鳴も。
殺した感触も。
何一つ。
「…………」
シュテーは。
自分の手を見る。
いつもの癖だった。
「…………」
何もついていない。
けれど。
今回は。
それを確認しても。
胸がざわつかなかった。
「……寝れたんだな」
久しぶりだった。
こんなに。
普通に。
◇
「おはよう」
「…………」
部屋を出ると。
ティオがいた。
「……先生」
「うん」
「…………」
シュテーが止まる。
「どうした?」
「いや」
「?」
「…………」
分かる。
この人は。
先生。
ティオ。
自分をここへ迎え入れた人。
自分が一緒に暮らしている人。
それは。
分かる。
なのに。
「…………」
どうして。
先生と呼ぶようになった?
「シュテー?」
「先生」
「何?」
「俺さ」
「うん」
「いつからあんたのこと先生って呼んでた?」
「…………」
ティオの顔が。
僅かに強張った。
「……覚えてない?」
「ああ」
「…………」
「何かきっかけあった?」
「…………あったよ」
「何?」
「それは……」
「…………」
ティオが。
少し困った顔をする。
「話した方がいい?」
「何で俺に聞くんだよ」
「だって」
「先生の好きにしろよ」
「…………」
ティオが黙る。
そして。
「今はやめとく」
「何で」
「シュテーが思い出したいって思ったら話す」
「…………」
シュテーが。
少し眉を寄せた。
「変な奴」
「シュテーに言われたくない」
「俺の何が変なんだよ」
「いっぱいある」
「例えば?」
「酒強すぎ」
「それはゼウスのせいだろ」
「…………」
ティオが。
止まった。
「何?」
「そこは覚えてる?」
「何が」
「ゼウスと飲んでたこと」
「…………」
シュテーが考える。
「……知ってる」
「覚えてる?」
「…………」
違う。
知っている。
ゼウスとよく酒を飲む。
それは分かる。
でも。
「…………何飲んだっけ」
「シュテー」
「どこで飲んだ?」
「…………」
「俺、あいつと何の話してた?」
「…………」
出てこない。
「……気持ち悪ぃな」
「…………」
シュテーが頭を掻いた。
「知ってるのに覚えてねえ」
「うん」
「変な感じだ」
「…………」
ティオが。
何か言おうとする。
「先生」
「何?」
「そんな顔すんな」
「え?」
「別にあんたのせいじゃねえだろ」
「…………」
「トレシィだっけ?」
「うん」
「あいつが持ってった」
「…………」
「それで俺が人殺さなくなったなら」
「シュテー」
「安いもんだろ」
「…………」
ティオが。
何も言えなくなる。
「何だよ」
「安くないよ」
「…………」
「俺には」
「…………」
シュテーが。
少し驚いたように。
先生を見る。
「そっか」
「うん」
「…………悪い」
「何でシュテーが謝るの」
「知らん」
「…………」
「何となく」
「…………」
ティオが。
少しだけ笑った。
「そういうところは変わってない」
「俺、前からこんな感じ?」
「うん」
「面倒くせえ奴だな」
「自分で言う?」
「記憶ねえから他人みたいなもんだろ」
「シュテーはシュテーだよ」
「…………」
その言葉に。
何故か。
胸が。
少しだけ。
軽くなった。
「……そうかよ」
「うん」
◇
「お、起きたか」
「…………」
食堂へ入ると。
ゼウスがいた。
「おはよう、シュテー君」
広重もいる。
「…………」
シュテーは。
二人を見る。
「何だよ」
「いや」
「?」
「ゼウス」
「おう」
「広重」
「はい」
「…………」
名前は出る。
何者なのかも分かる。
でも。
「やっぱ気持ち悪ぃな」
「朝一番に人の顔見てそれ?」
「違えよ」
「じゃあ何だよ」
「俺、お前らと何してた?」
「酒」
ゼウスが即答する。
「それだけ?」
「酒」
「他は?」
「…………酒?」
「俺らの関係薄すぎねえ?」
「いや結構飲んでたぞ」
「そういう意味じゃねえよ!」
「ははは!」
「笑うな広重!」
思わず。
いつもの調子で。
言葉が出た。
「…………」
シュテーが。
自分で止まる。
「何?」
広重が聞く。
「いや」
「…………」
「何で俺、今こんな普通に喋ってんだろうと思って」
「…………」
ゼウスと広重が。
顔を見合わせた。
「身体が覚えてんじゃねえの?」
「身体?」
「頭で覚えてなくてもな」
「…………」
「お前が俺様らとどんな距離感で喋ってたかくらいは残ってんだろ」
「……そんなもんか?」
「知らん」
「適当だな!」
「俺様、医者じゃねえし」
「神だろ」
「神だからって何でも知ってると思うな」
「開き直んなよ」
「元気じゃん」
「…………」
広重が笑った。
「昨日までよりずっといいよ」
「昨日?」
「…………」
シュテーの表情が変わる。
「俺」
「…………」
「そんな酷かった?」
「……まあ」
「どのくらい?」
「隈すごかった」
「それは知ってる」
「全然寝てなかった」
「それも知ってる」
「夢遊病で人殺しかけた」
「それも――」
止まった。
「…………」
シュテーが。
ゆっくり。
広重を見る。
「俺」
「うん」
「誰殺そうとした?」
「…………」
広重が。
ゼウスを見る。
「何でゼウス見るんだよ」
「いや」
「教えろ」
「シュテー」
ゼウスが口を挟む。
「知らなくていい」
「何で」
「未遂だから」
「だからって」
「相手も無事」
「…………」
「お前が顔覚えたら、今度はそいつ見る度に気にするだろ」
「…………」
「必要ねえ」
「…………」
シュテーが黙る。
「それもトレシィが持ってった?」
「いや」
「じゃあ何で覚えてねえんだよ」
「寝てたからだ」
「…………ああ」
「夢遊病なんだから」
「そりゃそうか」
「…………」
シュテーが。
小さく息を吐いた。
「……よかった」
「何が」
「顔覚えてなくて」
「…………」
「多分」
シュテーが。
少し笑う。
「覚えてたら、まともに見れねえから」
「…………」
ゼウスは。
何も言わなかった。
やはり。
トレシィの判断は。
間違っていなかった。
◇
その日の午後。
「…………」
シュテーは。
一人で廊下を歩いていた。
特に目的はない。
ただ。
自分が。
どこまで覚えているのか。
確認したかった。
「…………ここは分かる」
食堂。
「こっちも」
自室。
「…………」
曲がる。
階段を上がる。
「…………?」
気づけば。
ある部屋の前に立っていた。
「…………」
シュテーが。
扉を見る。
「何でここ来た?」
ノックする。
「はーい」
扉が開く。
「シュテー?」
「…………」
先生だった。
「どうした?」
「いや」
「?」
「…………」
シュテー自身にも。
分からない。
「何か用?」
「……ない」
「え?」
「何もない」
「じゃあ何で来たの?」
「俺が聞きてえよ」
「…………」
ティオが。
目を瞬かせる。
「気づいたらここにいた」
「…………」
「何だここ」
「俺の部屋」
「それは知ってる」
「じゃあ」
「だから」
シュテーが。
困ったように。
頭を掻いた。
「何で用もねえのに先生んとこ来たんだよ」
「…………」
ティオが。
しばらく黙る。
そして。
「入る?」
「…………」
「お茶あるよ」
「酒は?」
「ない」
「じゃあいい」
「帰るの!?」
「冗談だよ」
「分かりにくい!」
「はは」
自然に。
部屋へ入った。
いつもの椅子へ。
迷わず座った。
「…………」
ティオが。
それを見る。
「何だよ」
「そこ」
「何」
「シュテーがいつも座ってたところ」
「…………」
シュテーが。
椅子を見る。
「そうなのか?」
「うん」
「…………」
覚えていない。
なのに。
身体は。
知っている。
「……気味悪いな」
「嫌?」
「いや」
即答だった。
「…………」
自分でも。
少し驚いた。
「嫌じゃねえ」
「そっか」
「ああ」
「…………」
先生が。
嬉しそうに笑った。
「何笑ってんだよ」
「別に」
「変な奴」
「知ってる」
「…………」
しばらく。
何も話さなかった。
それでも。
居心地は。
悪くなかった。
むしろ。
「…………」
眠い。
「シュテー?」
「ん……」
「眠い?」
「…………ちょっとな」
「寝る?」
「嫌だ」
「夢遊病はもう大丈夫だって」
「…………」
「トレシィが言ってた」
「…………」
シュテーが。
先生を見る。
「本当に?」
「うん」
「…………」
「俺いるよ」
「…………」
また。
その言葉。
「先生」
「何?」
「俺さ」
「うん」
「前も」
「?」
「こうやって寝てた?」
「…………」
ティオが。
小さく。
頷いた。
「悪夢が酷かった時は」
「…………」
「一人で寝るの嫌だって」
「俺が?」
「うん」
「…………マジ?」
「『先生がいても夢の内容は変わらんだろ』とか文句言いながら」
「言いそうだな」
「言ってた」
「…………」
シュテーが。
少し笑った。
「じゃあ」
「うん」
「今日も頼む」
「…………!」
「何だよ」
「いや」
「?」
「うん」
ティオが。
笑った。
「おやすみ、シュテー」
「まだ昼だろ」
「じゃあ、お昼寝」
「子供扱いすんな」
「はいはい」
「……先生」
「何?」
「起きるまでいろよ」
「いるよ」
「…………」
シュテーは。
目を閉じた。
理由は。
覚えていない。
何故。
この人の隣なら眠れるのか。
知らない。
何故。
困った時。
無意識にここへ来るのか。
知らない。
それでも。
「…………」
眠りに落ちる直前。
シュテーは。
何となく思った。
――まあ。
悪くねえか。
◇
その様子を。
廊下の向こうから。
ゼウスが見ていた。
「…………」
広重が隣から覗く。
「入らないの?」
「入る必要ねえだろ」
「シュテー君、先生のところ来たね」
「ああ」
「覚えてないのに」
「…………」
ゼウスが。
少しだけ笑う。
「記憶だけで人間関係作ってるわけじゃねえってことだろ」
「いいこと言うじゃん」
「だろ?」
「酒飲んでないのに」
「どういう意味だ!」
「ははは」
「ったく……」
ゼウスは。
もう一度。
部屋の中を見る。
眠るシュテー。
その傍にいる先生。
「…………」
これなら。
大丈夫だ。
失ったものは。
確かに大きい。
けれど。
全部ではない。
なら。
「また作りゃいい」
「何を?」
「別に」
「…………」
「ほら、酒飲みに行くぞ」
「昼だけど」
「シュテー起きたら誘う」
「先生に怒られるよ」
「じゃあ三人で怒られようぜ」
「俺まで!?」
「連帯責任」
「何の!?」
そして数時間後。
「お前ら何で昼間から飲もうとしてんの!?」
「ほら怒られた」
「先生、俺まだ何もしてねえぞ」
「シュテーは病み上がり!」
「病気だったのか俺」
「ゼウス!」
「何で俺様!?」
「だいたいゼウスのせいだから!」
「理不尽だろ!」
「広重も!」
「俺も!?」
「…………」
騒がしい。
覚えていない。
けれど。
「……何だこれ」
「何が?」
「いや」
シュテーが。
小さく笑う。
「何となく」
「?」
「前もこんなんだった気がする」
「…………」
先生が。
少しだけ。
目を細めた。
「うん」
「そうか?」
「ずっとこんな感じだったよ」
「…………」
思い出せなくても。
それなら。
今は。
十分だった。