その日は。
朝から。
雨が降っていた。
ただの雨ではない。
空を覆い尽くした黒雲から。
滝のような雨が降り注ぎ。
時折。
――ゴロゴロゴロ……。
低い雷鳴が。
エルサイア城を震わせていた。
「……酷い雨だな」
窓の外を見て。
ライベルトが呟いた。
「よりによって今日かよ」
「ライベルト」
「ん?」
「外見てないで手伝って」
「分かってる」
背後から飛んできた声に。
ライベルトはすぐ窓から離れた。
今日は。
クイントの第二子が生まれる。
◇
「――っ……!」
「クイント、息を吐いて」
「分かっ……てる……!」
「全然分かってる顔じゃない」
「痛いんだから仕方ないでしょ……!」
「はいはい」
城には既に。
エーディンを呼んである。
第一子。
リリーの出産時から。
ライベルトは決めていた。
自分がいる時間なら。
自分も診る。
だが。
出産は何が起こるか分からない。
専門的な判断が必要になればエーディンへ任せる。
そして。
設備のある場所へ移す必要が出たなら。
ライベルト自身が。
瞬間移動で運ぶ。
「今のところ問題ない」
エーディンが言った。
「このままいける」
「分かった」
「ライベルト」
「何」
「医者の顔してる」
「医者だよ」
「少佐だろ?」
「医師免許も持ってる」
「知ってるけど」
「なら言うな」
いつも通りの。
ぶっきらぼうな返事。
それを聞いて。
クイントが少し笑った。
「笑えるならまだ余裕あるな」
「ライベルト……!」
「はいはい。喋らなくていい」
「誰のせい……!」
「私だな」
「認めるんだ……!」
◇
部屋の外では。
「…………」
コウヤが。
落ち着きなく歩き回っていた。
「コウヤ」
「…………」
「座れ」
「無理」
「一人目の時も同じことをしていたぞ」
「父さんは平気なのかよ!」
「私が騒いで何か変わるのか?」
「変わらないけど!」
「なら座れ」
「…………」
座る。
三秒。
立つ。
「コウヤ」
「無理だって!」
「…………」
ギルが。
深くため息を吐いた。
「パパ」
「ん?」
リリーが。
コウヤの服を掴んだ。
「あかちゃん、くる?」
「ああ」
「きょう?」
「今日だ」
「ほんと!?」
「ほんとほんと」
「リリー、おねえちゃん?」
「今日からな」
「…………!」
途端。
リリーの顔が輝いた。
「おじいちゃん!」
「何だ」
「リリー、おねえちゃん!」
「ああ」
「きょうから!」
「そうだな」
「…………」
嬉しそうな孫を見て。
ギルの表情も。
僅かに緩んだ。
そして。
その少し離れた場所に。
「…………」
ミカエルがいた。
窓の外を見る。
雨。
雷。
「…………」
嫌な感じがする。
ずっと。
そうだった。
クイントの第二子がいると知ってから。
どうにも。
胸騒ぎが消えない。
「ミカエル?」
「…………」
「どうした?」
コウヤだった。
「いや」
「…………」
「何でもない」
「そうか」
「ああ」
言わなかった。
今日くらい。
余計な不安を。
増やす必要はない。
◇
雷鳴が。
また。
城を揺らした。
――ドォン!
「――っ!!」
「クイント!」
「大丈夫!」
エーディンが声を上げる。
「もう少しだ!」
「…………っ!」
「クイント、こっち見ろ」
「ライ……ベルト……」
「そう」
「…………」
「大丈夫だから」
「…………っ」
「昔からそうだろ」
「何が……!」
「お前がどうにもならなくなった時は」
ライベルトが。
クイントの手を握った。
「私がいる」
「…………」
一瞬。
クイントの目が。
揺れた。
「……うん」
「だから今は」
「…………」
「産め」
「言い方ぁ……!」
「元気あるじゃん」
「ライベルト……!」
「はいはい」
エーディンが苦笑した。
「次でいけるぞ!」
「…………っ!」
「クイント!」
「――――っ!!」
雷。
雨。
そして。
「――――!」
小さな。
泣き声。
「…………」
部屋の中が。
一瞬だけ。
静かになった。
「…………生まれた」
エーディンが。
笑った。
「女の子だ」
「…………」
クイントの身体から。
一気に力が抜けた。
「……赤ちゃん」
「ああ」
「私の……?」
「お前のだよ」
ライベルトが。
いつもの調子で答える。
だが。
「…………」
その表情が。
止まった。
「ライベルト?」
「…………」
エーディンも。
赤子を見たまま。
黙っている。
「何……?」
「いや」
「何?」
「…………」
ライベルトは。
その子を。
見ていた。
耳は。
エルフ。
それ自体は。
何もおかしくない。
父親のコウヤはエルフ。
母親のクイントにもエルフの血がある。
問題は。
そこではない。
髪。
青。
そして。
ゆっくりと開いた。
瞳。
「…………赤」
「…………」
ライベルトの顔から。
完全に。
笑みが消えた。
「……まさか」
「ライベルト?」
「…………」
知っている。
この特徴を。
知らないはずがない。
かつて。
クイントの身体に。
何をされたのか。
「…………」
星魅の巫女。
パヌト。
「赤ちゃん……見せて」
「…………」
「ライベルト」
「ああ」
今は。
言わない。
ライベルトは。
赤子をクイントへ渡した。
「…………」
クイントが。
初めて。
娘を見る。
「…………かわいい」
「元気だよ」
「青い髪……」
「ああ」
「コウヤでも……私でもないね」
「…………そうだな」
赤い瞳が。
母親を見る。
「…………」
クイントが。
微笑んだ。
「レア」
「…………」
ライベルトが。
顔を上げる。
「レア……?」
「うん」
「それが名前?」
「そう」
「…………」
クイントが。
赤子の頬へ。
そっと触れた。
「レア・R――」
そこで。
止まれば。
何も。
おかしくなかった。
だが。
「――エルネア」
「…………」
ライベルトの目が。
見開かれた。
「クイント」
「…………え?」
「今」
「何?」
「何て言った?」
「レア」
「その後」
「…………」
クイント自身が。
分からない顔をした。
「レア・R・エルネア……」
「…………」
「……あれ?」
「クイント」
「何で……?」
「…………」
「私……」
知らない。
その名前を。
知っているはずがない。
「エルネアって……誰?」
「――私たちの名よ」
「…………!」
誰も。
入ってきていない。
扉も。
開いていない。
なのに。
そこに。
女がいた。
「…………」
青い髪。
赤い瞳。
ライベルトが。
反射的に。
クイントと赤子の前へ出た。
「――パヌト」
「あら」
「…………」
「覚えていてくれたのね」
「忘れるわけねぇだろ」
「嬉しいわ」
「私は嬉しくねぇよ」
その瞬間。
――ドォン!!
雷鳴。
「何しに来た」
「決まっているでしょう?」
パヌトは。
笑った。
そして。
クイントの腕に抱かれた。
赤子を見る。
「その子」
「…………」
「私の後継者なの」
「…………!」
クイントが。
レアを。
強く抱きしめた。
「貰いに来たわ」
「――ふざけんな」
ライベルトだった。
空気が。
変わった。
「誰が渡すかよ」
「貴女に聞いていないわ」
「じゃあ誰に聞いてんだ」
「その子の母親」
「渡さない!」
クイントが。
即答した。
「この子は私の娘だよ!」
「そう」
「貴女の後継者なんかじゃない!」
「でも」
パヌトが。
楽しそうに。
赤い瞳を細める。
「貴女がそうしたのよ」
「…………え?」
「正確には」
「…………」
「貴女の中に残った私が」
「…………」
ライベルトには。
分かった。
「……あの時か」
「ライベルト?」
「クイント」
「何?」
「お前に組み込まれたもの」
「…………」
「残ってたんだ」
「…………!」
そして。
この子に。
受け継がれた。
「だから青髪に赤目……?」
「…………多分な」
その時。
「――そこまでだ」
声が。
響いた。
「…………」
パヌトが。
初めて。
赤子以外へ。
視線を向けた。
ミカエル。
「その子から離れろ」
「…………」
青い髪。
青い瞳。
「…………」
パヌトが。
じっと。
ミカエルを見る。
「何だ」
「…………」
返事がない。
ただ。
見る。
「聞こえなかったか」
「いいえ」
「なら消えろ」
「…………」
パヌトは。
まだ。
ミカエルを見ていた。
奇妙なほど。
長く。
「ミカエル!」
ライベルトが叫ぶ。
「あいつから目離すな!」
「分かっている」
ライベルトが。
赤子の前。
ミカエルが。
そのさらに前へ出る。
「…………」
二人。
ライベルト。
ミカエル。
パヌトの赤い瞳が。
二人を順番に見る。
だが。
最後には。
また。
ミカエルへ戻った。
「…………そう」
「何だ」
「いいえ」
「…………」
パヌトが。
突然。
笑った。
それは。
赤子を見ていた時とは。
違う。
「何がおかしい」
「別に」
「…………」
一歩。
パヌトが。
ミカエルへ近づく。
「止まれ」
空気が。
震えた。
ミカエルの力。
「これ以上来るなら」
「殺す?」
「必要なら」
「…………」
その答えに。
パヌトは。
何故か。
ますます満足そうに笑った。
「……そう」
「…………」
「ああ」
「何だ」
「別にこの子じゃなくてもいいのね」
「…………?」
ミカエルが。
眉を寄せた。
「何の話だ」
「こちらの話よ」
「…………」
ライベルトが。
即座に。
ミカエルを見る。
嫌な。
言葉だった。
「パヌト」
「何?」
「何を見つけた」
「…………」
パヌトが。
笑う。
「秘密」
「…………」
「今日は帰るわ」
「待て」
「どうして?」
「説明しろ」
「嫌よ」
「…………」
ミカエルが。
さらに力を強める。
だが。
パヌトは。
まるで。
恐れていない。
むしろ。
「また会いましょう」
「…………」
「ミカエル」
そして。
消えた。
「――待て!」
ミカエルが手を伸ばす。
何も。
残っていない。
ただ。
窓の外では。
まだ。
激しい雨が降っていた。
◇
「…………」
長い。
沈黙。
「……何だったんだ」
ミカエルが呟く。
「知らん」
ライベルトが答えた。
「でも」
「何だ」
「…………」
ライベルトは。
ミカエルを見る。
「あいつ」
「…………」
「最後、お前しか見てなかったぞ」
「…………」
ミカエルも。
分かっていた。
「何を見つけた……?」
「分からん」
「…………」
「ただ」
ライベルトが。
レアを見る。
「この子を諦めた」
「…………」
「それだけは確かだ」
「…………」
理由が。
分からない。
レアを。
自分の後継者だと言った。
そのためだけに。
ここへ来た。
なのに。
ミカエルを見た瞬間。
あっさり。
捨てた。
「…………」
ミカエルの胸に。
あの。
嫌な予感が。
再び。
湧き上がる。
いや。
違う。
今まで。
感じていたもの。
あれは。
「…………まさか」
レアに。
向けられたものでは。
なかったのか。
「ミカエル?」
「いや」
「…………」
「何でもない」
今は。
まだ。
分からない。
◇
「……レア」
クイントが。
娘を見る。
「…………」
何も知らず。
赤子は。
母親の腕の中にいる。
青い髪。
赤い瞳。
エルフの耳。
「レア・R・エルネア……」
また。
自然に。
その名前が出た。
「…………」
クイントが。
少し怖そうに。
ライベルトを見る。
「私」
「うん」
「何でこの名前知ってるんだろ」
「…………」
ライベルトは。
少しだけ考えた。
そして。
レアを見る。
青い髪。
赤い瞳。
パヌトの後継者。
だが。
もう一つ。
ライベルトには。
分かったことがあった。
「……クイント」
「何?」
「リリーの時も」
「…………?」
「私はずっと不思議だった」
「何が?」
「あの子」
「リリー?」
「ああ」
「…………」
あまりにも。
エマに似ていた。
血筋だけでは。
説明できないほど。
「トレシィだ」
「…………え?」
「あいつが」
「…………」
「対価にエマを選んだから」
「…………!」
あの時。
クイントを。
守ったもの。
「多分」
ライベルトが。
静かに。
笑った。
「エマはお前を守ったんだよ」
「…………」
「リリーも」
「…………」
そして。
今度は。
クイントの中に残った。
星魅の巫女が。
レアへ現れた。
「…………」
クイントが。
二人目の娘を。
そっと抱きしめる。
「この子は」
「ああ」
「渡さない」
「当然だろ」
「…………」
「誰の後継者だろうが」
ライベルトが。
いつものように。
短く言った。
「お前の子だ」
「…………うん」
外では。
雷鳴が。
遠ざかり始めていた。
激しかった雨も。
少しずつ。
弱くなっていく。
その日。
エルサイア王国に。
二人目の王女が生まれた。
レア・R・エルネア。
本来なら。
ただ一人。
星魅の巫女を継ぐことのできた少女。
しかし。
同じ日。
パヌトは。
もっと。
あり得ないものを。
見つけてしまった。
青い髪。
青い瞳。
天族。
神名――ミカエル。
この時。
まだ誰も。
その意味を知らない。
ミカエル自身でさえ。
知らない。
ただ。
星魅の巫女だけが。
満足して。
帰っていった。
これが。
最初の。
間違いだった。