エマ   作:篠原えれの

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第四十話『キリナ先生』

 

 

 レア・R・エルネアが生まれて。

 

 数日が経った。

 

 あの日。

 

 エルサイア城を覆っていた大雨は、すっかり姿を消していた。

 

 第二王女は健康。

 

 母親であるクイントの体調も順調に回復している。

 

 それだけなら。

 

 何も問題はなかった。

 

 ――星魅の巫女が現れたことを除けば。

 

 ◇

 

「久しぶりですね」

 

 エルサイア城の廊下を。

 

 一台の車椅子が静かに進んでいく。

 

 誰かが押しているわけではない。

 

 キリナの手も。

 

 車輪には触れていない。

 

 周囲を漂う人工精霊が淡く瞬くたび。

 

 まるで本人の意思を読み取っているかのように、車椅子が滑らかに進んでいく。

 

「…………」

 

 久しぶりに訪れた城内を眺めながら。

 

 キリナは一人。

 

 目的の部屋へ向かっていた。

 

 今回。

 

 キリナがエルサイアへ来た理由は。

 

 一つ。

 

 星魅の巫女。

 

 そして。

 

 彼女が後継者と呼んだという。

 

 クイントの第二子。

 

「レア・R・エルネア……ですか」

 

 その名を。

 

 小さく呟く。

 

「…………」

 

 やがて。

 

 目的の部屋が見えてきた。

 

 ――その時。

 

「キリナ!!」

 

「…………」

 

 ものすごい勢いで。

 

 小さな何かが飛び出してきた。

 

「キリナ! キリナきた!」

 

「こんにちは、リリー」

 

「きた!」

 

「ええ。来ましたよ」

 

「ママー! キリナきたー!」

 

「…………」

 

 キリナの車椅子が。

 

 すっと止まった。

 

「リリー」

 

「なあに?」

 

「今、何と?」

 

「キリナきた!」

 

「その前です」

 

「…………?」

 

 分かっていない。

 

 キリナは。

 

 そのまま部屋の中を見る。

 

「…………」

 

 クイントと。

 

 目が合った。

 

「キリナ!」

 

「クイント」

 

「久しぶり!」

 

「お久しぶりです」

 

「来てくれたんだ」

 

「星魅の巫女が現れたと聞けば、さすがに」

 

「そっか」

 

「それより」

 

「?」

 

「クイント」

 

「なに?」

 

「リリーの王女教育は?」

 

「…………」

 

 沈黙。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………これから?」

 

「何故疑問形なのですか」

 

「いや、だってまだ三歳だよ?」

 

「もう三歳ですよ」

 

「まだ三歳!」

 

「もう三歳です」

 

「キリナ厳しい!」

 

「貴女が甘いのでは?」

 

「そんなことないよ!」

 

「ママ!」

 

「ほら」

 

「これは今から直すの!」

 

「今決めましたね?」

 

「…………」

 

「クイント?」

 

「……はい」

 

 ◇

 

「では」

 

「…………」

 

 何故か。

 

 キリナが来て十分もしないうちに。

 

 リリーは。

 

 椅子へ座らされていた。

 

「なにするの?」

 

「お勉強です」

 

「やだ」

 

「即答ですね」

 

「リリーおべんきょうしない」

 

「では、王女様をやめます?」

 

「やだ!」

 

「でしたらお勉強しましょう」

 

「…………」

 

 リリーが。

 

 ものすごく難しい顔をする。

 

「ずるい」

 

「ありがとうございます」

 

「ほめてない!」

 

「知っていますよ」

 

 少し離れたところで。

 

 クイントが笑っていた。

 

「キリナ、リリーの扱いうまいね」

 

「クイントも覚えてください」

 

「私!?」

 

「母親でしょう」

 

「そうだけど……」

 

「それに」

 

「?」

 

「国王です」

 

「…………はい」

 

「返事だけはいいですね」

 

「キリナが怖い」

 

「聞こえていますよ」

 

 ◇

 

「まずは」

 

 キリナが。

 

 リリーを見る。

 

「呼び方からにしましょう」

 

「よびかた?」

 

「はい」

 

「ママ!」

 

「それです」

 

「?」

 

「クイントは、リリーのお母様ですね」

 

「うん!」

 

「ですが同時に国王でもあります」

 

「…………」

 

「ですから、人がいる場所では少しずつ呼び方を変えましょう」

 

「なんて?」

 

「お母様」

 

「おかあさま」

 

「そうです」

 

「…………」

 

 リリーが。

 

 クイントを見る。

 

「おかあさま!」

 

「…………!」

 

 クイントの顔が。

 

 ぱっと明るくなった。

 

「リリー!」

 

「はい、クイント」

 

「だって!」

 

「分かっています」

 

「もう一回言って!」

 

「おかあさま!」

 

「かわいい!」

 

「クイント」

 

「何!?」

 

「教育中です」

 

「ごめんなさい……」

 

 続いて。

 

 コウヤ。

 

「では、お父様」

 

「おとうさま」

 

「そう」

 

「…………」

 

 コウヤを見る。

 

「おとうさま!」

 

「おう」

 

「パパ!」

 

「もう戻ったぞ」

 

「ふふっ」

 

「笑うなよクイント!」

 

「だって早いんだもん」

 

「三歳なんだから仕方ねぇだろ」

 

「私もそう言った!」

 

「親二人で甘やかさないでください」

 

「「はい」」

 

 ◇

 

「では」

 

 キリナが。

 

 今度はギルを見る。

 

「祖父については――」

 

「おじいちゃん!」

 

「…………」

 

 ギルが。

 

 普通に返事をした。

 

「何だ」

 

「おじいちゃん!」

 

「ああ」

 

「…………」

 

 キリナが。

 

 ギルを見る。

 

「いいのですか?」

 

「構わん」

 

「一応、聖騎士で――」

 

「身内でまで聖騎士様などと呼ばれてたまるか」

 

「…………なるほど」

 

「おじいちゃん!」

 

「何だ」

 

「よんだだけ!」

 

「そうか」

 

「…………」

 

 キリナが。

 

 小さく息を吐いた。

 

「では、そこはそのままにしましょう」

 

「やった!」

 

「ただし、公の場ではまた別ですよ」

 

「こうのば?」

 

「それは後で覚えましょう」

 

「うん!」

 

「じゃあライベルト!」

 

「…………」

 

 全員が。

 

 ライベルトを見る。

 

「何で私見るんだよ」

 

「ライベルト!」

 

「何」

 

「…………」

 

 キリナが。

 

 考える。

 

「本来なら、ライベルトにも――」

 

「いいよ」

 

「まだ何も言っていません」

 

「呼び捨てでいい」

 

「しかし」

 

「今更だろ」

 

「…………」

 

「リリー」

 

「なあに?」

 

「好きに呼べ」

 

「ライベルト!」

 

「はいはい」

 

「ライベルト!」

 

「聞こえてるって」

 

「ライベルトー!」

 

「何回呼ぶんだよ」

 

「ふふっ」

 

 クイントが。

 

 笑う。

 

「諦めよ、キリナ」

 

「……そうですね」

 

「諦めるの早くね?」

 

「本人に直す意思がありませんから」

 

「賢いな」

 

「褒めていません」

 

「そうかよ」

 

 ◇

 

「ところで」

 

「?」

 

 リリーが。

 

 今度はキリナを見る。

 

「キリナ」

 

「はい」

 

「なんでひとりでうごくの?」

 

「…………」

 

 リリーの視線は。

 

 キリナではなく。

 

 その下。

 

 車椅子へ向いていた。

 

「これ?」

 

「うん!」

 

「人工精霊ですよ」

 

「じんこうせいれい?」

 

「そうです」

 

「キリナうごかしてないよ?」

 

「手では動かしていません」

 

「じゃあどうやって?」

 

「人工精霊に手伝ってもらっています」

 

「…………」

 

 リリーが。

 

 目を輝かせる。

 

「みたい!」

 

「もう見ているでしょう?」

 

「うごいて!」

 

「…………」

 

 キリナが。

 

 少しだけ笑う。

 

 次の瞬間。

 

 ふわり。

 

 車椅子の周囲に。

 

 人工精霊の光が集まった。

 

「わあ……!」

 

 誰も触れていないのに。

 

 車椅子が。

 

 すーっ。

 

 前へ進む。

 

「すごい!」

 

「そうですか?」

 

「もういっかい!」

 

「一度だけです」

 

「くるってして!」

 

「…………」

 

 キリナが。

 

 小さく息を吐く。

 

 くるり。

 

 その場で。

 

 車椅子が綺麗に方向転換した。

 

「わあああ!!」

 

「キリナ」

 

 クイントが笑う。

 

「普通にやってあげるんだ」

 

「これくらいなら」

 

「キリナせんせい!」

 

「…………」

 

 キリナが。

 

 止まった。

 

「今」

 

「キリナせんせい!」

 

「…………」

 

「だめ?」

 

「いいえ」

 

「じゃあキリナせんせい!」

 

「はい」

 

「もういっかい!」

 

「それは駄目です」

 

「なんでー!」

 

「一度だけと言ったでしょう?」

 

「…………」

 

 リリーが。

 

 車椅子を見る。

 

 そして。

 

 何か。

 

 思いついた。

 

「キリナせんせい」

 

「何です?」

 

「リリーものりたい!」

 

「…………」

 

 キリナが。

 

 リリーを見る。

 

「乗りたいのですか?」

 

「うん!」

 

「…………」

 

「のっていい?」

 

「危ないですよ」

 

「おちない!」

 

「そういう子ほど落ちるのですが」

 

「おちないもん!」

 

「…………」

 

 じーっ。

 

「…………」

 

「キリナせんせい」

 

「…………」

 

「ちょっとだけ!」

 

「…………」

 

 キリナが。

 

 根負けした。

 

「少しだけですよ」

 

「やったー!!」

 

「ちょっとキリナ!?」

 

「クイント」

 

「危なくない!?」

 

「ゆっくり動かします」

 

「でも――」

 

「おかあさま!」

 

「…………!」

 

 クイントが。

 

 止まった。

 

「今、お母様って」

 

「リリーのる!」

 

「うん! 乗っておいで!」

 

「クイント、単純ですね」

 

「だってお母様って呼んだ!」

 

「教育の成果ですね」

 

「まだ十分くらいだよ!?」

 

「優秀なのでしょう」

 

「リリーゆうしゅう!」

 

「自分で言うのですね」

 

 ◇

 

 キリナの膝へ。

 

 リリーが。

 

 ちょこん。

 

 と座った。

 

「いいですか?」

 

「うん!」

 

「動かない」

 

「はい!」

 

「身体を乗り出さない」

 

「はい!」

 

「私の言うことを聞く」

 

「はい!」

 

「……普段のお勉強でもそのくらい良い返事をしてください」

 

「しゅっぱーつ!」

 

「聞いていますか?」

 

「しゅっぱーつ!」

 

「…………」

 

 キリナが。

 

 諦めた。

 

 人工精霊が。

 

 ふわり。

 

 淡く光る。

 

 車椅子が。

 

 ゆっくり。

 

 動き出した。

 

「わあ……!」

 

 リリーが。

 

 目を輝かせる。

 

「うごいた!」

 

「動きましたね」

 

「もっとはやく!」

 

「駄目です」

 

「ちょっと!」

 

「駄目です」

 

「ちょっとだけ!」

 

「…………」

 

「キリナせんせい!」

 

「…………少しだけですよ」

 

「やった!」

 

 人工精霊の光が。

 

 少しだけ。

 

 強くなる。

 

 車椅子の速度が。

 

 ほんの少し上がった。

 

「わああああ!」

 

「リリー、動かない」

 

「はやい!」

 

「これで速いのですか?」

 

「はやい!」

 

「そうですか」

 

「もういっかい!」

 

「一周だけです」

 

「にしゅう!」

 

「一周」

 

「さんしゅう!」

 

「増やさないでください」

 

「じゃあにしゅう!」

 

「交渉になっていません」

 

「キリナせんせーい!」

 

「…………」

 

 キリナが。

 

 僅かに笑う。

 

「二周だけですよ」

 

「やったー!」

 

「キリナ、甘くない!?」

 

 後ろから。

 

 クイントの声。

 

「何のことでしょう」

 

「二周になった!」

 

「教育の一環です」

 

「絶対今考えたでしょ!」

 

「人工精霊について学ぶ良い機会です」

 

「後付けだよね!?」

 

「おかあさま!」

 

「なに!?」

 

「リリーいってくる!」

 

「行ってらっしゃい!」

 

「クイントも甘いじゃないですか」

 

「…………」

 

「…………」

 

「気をつけてねー!」

 

「誤魔化しましたね」

 

「キリナせんせい、はやく!」

 

「はいはい」

 

 ◇

 

 しばらくして。

 

 本来の目的へ。

 

 話は戻った。

 

「…………」

 

 キリナの前には。

 

 眠っている。

 

 レア。

 

「青い髪」

 

「うん」

 

「赤い瞳」

 

「…………」

 

 先ほどまで。

 

 リリーと遊んでいた時とは。

 

 キリナの顔が。

 

 少し違う。

 

「ライベルト」

 

「何」

 

「検査結果を」

 

「健康だよ」

 

「それ以外は?」

 

「…………」

 

 ライベルトが。

 

 レアを見る。

 

「星魅の巫女由来の形質が出てる」

 

「やはり」

 

「クイントに昔組み込まれたものが、この子に遺伝したと考えるのが一番自然だ」

 

「…………」

 

 クイントが。

 

 レアを抱く。

 

「じゃあ」

 

「何?」

 

「やっぱりパヌトが言ってたことは」

 

「後継者?」

 

「うん」

 

「……多分な」

 

「…………」

 

 キリナが。

 

 静かに口を開いた。

 

「ですが」

 

「?」

 

「それだけです」

 

「…………」

 

「この子が星魅の巫女の形質を持っていることと」

 

 レアを見る。

 

「この子自身が星魅の巫女であることは、同じではありません」

 

「…………」

 

「今はただ」

 

「…………」

 

 キリナが。

 

 少し笑った。

 

「クイントの娘でしょう?」

 

「…………うん」

 

 その時。

 

「レアー!」

 

「リリー、走らない!」

 

「!」

 

 キリナの一声で。

 

 ぴたり。

 

 止まる。

 

「…………」

 

 そこから。

 

 そろーり。

 

 そろーり。

 

 歩いてくる。

 

「これならいい?」

 

「ええ」

 

「レア!」

 

「静かに」

 

「……レア」

 

「よくできました」

 

「えへへ」

 

 リリーが。

 

 妹を見る。

 

「キリナせんせい」

 

「何です?」

 

「レアもおべんきょうする?」

 

「大きくなったら」

 

「リリーがおしえる!」

 

「…………」

 

 キリナが。

 

 少し考える。

 

「まずリリーが覚えてください」

 

「できる!」

 

「では明日から増やしましょう」

 

「…………」

 

 リリーが。

 

 固まった。

 

「なにを?」

 

「挨拶」

 

「…………」

 

「食事作法」

 

「…………」

 

「座り方」

 

「…………」

 

「言葉遣い」

 

「…………」

 

 じわじわ。

 

 リリーの顔が。

 

 絶望していく。

 

「キリナせんせい」

 

「はい」

 

「くるまいすのる」

 

「お勉強から逃げない」

 

「のる!」

 

「駄目です」

 

「なんでー!!」

 

 城に。

 

 リリーの声が。

 

 響く。

 

「ふふっ」

 

 クイントが。

 

 笑った。

 

 星魅の巫女が。

 

 何を考えているのか。

 

 レアが。

 

 これから何者になるのか。

 

 まだ。

 

 分からない。

 

 けれど。

 

 今は。

 

 第二王女が生まれ。

 

 第一王女には。

 

 少し厳しく。

 

 時々甘い。

 

 新しい先生ができた。

 

 それだけで。

 

 十分だった。

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