第二王女レア・R・エルネアは。
どうやら。
勉強そのものが好きらしい。
「では、今日はスフロン語をやりましょう」
「はい、キリナ先生」
午後。
エルサイア城の一室。
机を挟んでレアと向き合ったキリナは、人工精霊で制御された車椅子を僅かに前へ動かした。
手で車輪を回す必要はない。
キリナが意識を向ければ。
人工精霊がそれを読み取り。
静かに動いてくれる。
「まずは基本から。これは?」
「《Once》」
「意味は?」
「私、です」
「正解です」
キリナが。
その隣へ書き加える。
Once = ofen gi ta gaden
「読めますか?」
「はい」
レアが。
ゆっくり。
「オーフェン・ギ・タ・ガーデン」
「よくできました」
「《ofen》が解放。《gi》が強い力。《ta》が数多の。《gaden》が守護」
「予習しましたね?」
「はい」
「やはり」
「駄目でしたか?」
「いいえ。感心しています」
褒められて。
レアの口元が僅かに緩む。
「では、こちらは?」
もう一つ。
Be, Once = karval gi ta doroido eige
「カーヴァル・ギ・タ・ドロイド・エイジ」
「意味は?」
「《karval》が実行。《gi》が強い力。《ta》が数多の……」
そこで。
レアが少し考える。
「《doroido》が雷」
「はい」
「《eige》が剣」
「正解です」
「では、《doroido eige》で雷剣?」
「そうなります」
「…………」
レアの赤い瞳が。
少し輝いた。
「面白いです」
「気に入りましたか?」
「はい」
「スフロン語は、こうして言葉を組み合わせることで術式の性質を細かく指定できます」
「では、炎は?」
「《flaim》」
「フレイム」
「氷なら《aize》」
「アイズ」
「風は《winde》です」
「ウィンデ……」
レアが。
自分の紙へ書いていく。
flaim eige
炎剣。
aize eige
氷剣。
winde eige
風剣。
「…………」
「楽しそうですね」
「楽しいです」
「そうですか」
「もっと教えてください」
「もちろん」
「なにが楽しいのー!?」
ばたばたばたばた。
「…………」
キリナが。
ゆっくり。
扉を見る。
ばーん!
「レアー! なにしてるの!」
「お姉様」
「リリー」
「なに?」
「走りましたね?」
「…………」
リリーが。
固まった。
「走ってないよ?」
「廊下から聞こえていました」
「ちょっとだけ!」
「走ったのですね」
「でも転んでない!」
「そういう問題ではありません」
「むぅ……」
茶色の髪を揺らしながら。
リリーが頬を膨らませる。
だが。
机の上の紙を見つけると。
すぐに機嫌を直した。
「なにこれ?」
「スフロン語です」
「すふろんご?」
「はい」
「リリーもやる!」
「遊びではありませんよ」
「ちゃんとやるもん!」
レアの隣へ。
よいしょ。
と座る。
「これなに?」
「《doroido》です」
「どろいど!」
「雷」
「かみなり!」
「《eige》」
「えいじ!」
「剣です」
「けん!」
リリーの目が。
ぱっと輝いた。
「じゃあ、どろいど・えいじ!」
「雷剣です」
「かっこいい!!」
「お姉様、それだけはすぐ覚えましたね」
「だってかっこいいもん!」
「では、こちらは?」
キリナが《ta》を指す。
「…………た!」
「意味です」
「…………いっぱい!」
「数多の、です」
「いっぱいじゃん!」
「まあ、間違いではありません」
「やった!」
そして。
リリーの視線が。
先ほどの紙へ。
Be, Once = karval gi ta doroido eige
「これ、ぜんぶ言ったら?」
「数多の雷剣を実行する術式ですね」
「いっぱいの雷の剣!?」
「そうです」
「すごい!」
「ただし、これは――」
「リリー言えるよ!」
「え?」
「お姉様?」
「見てて!」
嫌な予感がした。
「リリー、待ってください」
「カーヴァル・ギ・タ・ドロイド・エイジ!」
「…………」
綺麗だった。
困ったことに。
発音だけは。
ものすごく。
綺麗だった。
「言えた!」
「…………」
「お姉様」
「なに?」
「今の――」
ぱちっ。
「…………え?」
小さな音。
次の瞬間。
ばちっ!
「きゃっ!?」
リリーが。
肩をすくめる。
頭上。
人工精霊が。
一斉に集まり始めた。
「…………!」
雷光。
一本。
鋭い光が。
剣の形を作る。
そして。
二本。
三本。
四本。
「わぁ……!」
一瞬。
リリーは喜んだ。
「ほんとに出た!」
しかし。
五本。
六本。
七本。
「…………」
まだ。
増える。
「お姉様」
「なに?」
「《ta》」
「た?」
「数多の、です」
「…………」
リリーが。
上を見る。
ばちばちばちばちばちっ!
「…………いっぱい」
「いっぱいですね」
「…………」
リリーの顔が。
引きつった。
「キリナせんせい」
「動かないで!」
「!!」
今までとは。
明らかに違う。
キリナの声。
「リリー、その場から一歩も動かない!」
「う、うん!」
「レアも!」
「はい!」
雷剣が。
術者の命令を待つように。
宙に浮かんでいる。
だが。
リリーには。
止め方が分からない。
「どうしよう……」
「喋らない!」
「…………!」
キリナが。
右手を上げる。
詠唱はない。
「――……」
人工精霊が。
キリナの周囲へ。
一気に収束した。
そして。
吸収。
雷剣を形作っていた力が。
根元から。
引き剥がされる。
「…………っ」
一本。
消える。
二本。
三本。
ばちっ!
残った雷が。
床へ落ちる寸前。
それすら。
キリナが。
無詠唱で吸収する。
「…………」
最後の一本。
消滅。
静寂。
「…………」
リリーが。
固まっていた。
「…………」
「…………」
キリナも。
しばらく。
何も言わなかった。
「キリナせんせい……」
「…………はい」
「ごめんなさい……」
「…………」
さすがに。
怒鳴れなかった。
リリー本人も。
こんなことになるとは思っていなかったのだから。
「怪我は?」
「ない……」
「レア」
「ありません」
「そうですか……」
キリナが。
大きく。
息を吐いた。
「よかった……」
そして。
リリーを見る。
「リリー」
「はい……」
「スフロン語は」
「…………」
「正しい発音で術式として成立すると、本当に発動することがあります」
「…………うん」
「遊びで詠唱してはいけません」
「…………はい」
「分かりましたね?」
「わかった……」
しょんぼり。
完全に。
反省している。
「雷の剣……」
「はい」
「もう言わない……」
「別に一生言ってはいけないわけではありません」
「…………?」
「きちんと制御できるようになってからです」
「…………」
リリーが。
顔を上げる。
「おぼえたらやっていい?」
「先生と一緒なら」
「ほんと!?」
「はい」
「やる!」
「立ち直るのが早いですね」
「だってかっこよかった!」
「お姉様……」
「レアも見たでしょ!?」
「危なかったです」
「でもかっこよかった!」
「……それは」
「ほら!」
「少しだけです」
「でしょー!」
キリナが。
頭を抱えた。
「反省してください……」
「してるよ!」
「本当に?」
「ちょっと怖かった!」
「それなら結構です」
◇
それから。
授業は再開された。
ただし。
「リリー」
「なに?」
「今日はもう詠唱禁止です」
「はーい」
「絶対ですよ」
「わかってる!」
「返事だけではなく」
「わかってるって!」
リリーは。
今度は。
口を閉じて。
紙を見ていた。
たぶん。
三分くらいは。
◇
「キリナ先生」
「はい?」
「さっきの」
「…………雷剣ですか?」
「違います」
「では?」
「キリナ先生が使った術です」
「吸収術?」
「はい」
「それがどうしました?」
「詠唱していませんでした」
「…………」
キリナが。
レアを見る。
「よく見ていましたね」
「はい」
「無詠唱です」
「無詠唱……」
「術式を声に出さず、直接人工精霊へ伝えます」
「…………」
「ただし、普通の詠唱より難しいですよ」
「私もできます」
「…………」
キリナが。
止まった。
「何がです?」
「無詠唱」
「…………」
隣で。
リリーも。
顔を上げる。
「レアできるの?」
「多分」
「やって!」
「お姉様は静かにしてください」
「はーい」
レアが。
掌を開く。
詠唱はない。
少し。
間があって。
人工精霊が。
ふわりと。
集まる。
小さな風。
青い髪が。
揺れた。
「…………」
キリナが。
黙る。
「こんな感じです」
「……誰に教わりました?」
「誰にも」
「いつから?」
「少し前です」
「…………」
キリナが。
風を見る。
レアを見る。
もう一度。
風を見る。
「私より才能あるんじゃないでしょうか」
「え?」
「いえ……」
苦笑。
「無詠唱なら、私よりミカエルの方が上手です」
「ミカエル様?」
「ええ」
「教えてもらいたいです」
「そう言うと思いました」
「駄目ですか?」
「いいえ」
キリナが。
小さく笑う。
「頼んでみましょう」
「はい!」
「リリーも!」
「お姉様はまず、勝手に雷剣を出さないところからです」
「もう出さないもん!」
「本当に?」
「先生といっしょなら出していいって言った!」
「……そこはしっかり覚えているのですね」
「うん!」
◇
そして。
「なるほど」
ミカエルが。
レアの掌に生まれた。
小さな風を見る。
「これを自分で?」
「はい」
「スフロン語は?」
「声には出していません」
「頭の中では?」
「…………考えています」
「やはりな」
ミカエルが。
レアの前にしゃがむ。
「それでも無詠唱には違いない。だが、もっと速くできる」
「どうすれば?」
「言葉を挟まない」
「…………」
「《Once》も、《ofen》も、《karval》も考えなくていい」
「では、どうやって人工精霊に?」
「結果だけを伝える」
「結果?」
「ああ」
ミカエルが。
片手を上げる。
「風を起こしたいなら」
「はい」
「『風を起こす』と考えるんじゃない」
「…………」
「最初から」
ふわり。
風。
「そこに風がある」
「…………!」
レアの髪が。
揺れる。
「速い……」
「慣れればな」
「やってみても?」
「もちろん」
レアが。
目を閉じる。
頭の中。
いつもの癖で。
Once =
そこまで。
浮かぶ。
「言葉を消せ」
「…………はい」
消す。
スフロン語ではない。
命令でもない。
ただ。
風。
既に。
そこにある。
「…………」
ふわ。
「!」
小さな。
風。
「できました!」
「ああ」
「もう一度やります!」
「いいぞ」
「はい!」
二度目。
少し速い。
「ミカエル様!」
「さっきよりいい」
「もう一度!」
「仕方ないな。付き合うよ」
「はい!」
そして。
その後ろ。
「ミカエルさまー!」
「…………」
ミカエルが。
嫌な予感とともに。
振り返る。
リリー。
「リリーも教えて!」
「何をだ」
「雷の剣!」
「…………」
ミカエルが。
キリナを見る。
「何があった」
「聞かないでください」
「出たの!」
「何が」
「いっぱい雷の剣!」
「…………」
ミカエルが。
今度は。
リリーを見る。
「お前が?」
「うん!」
「どうやって」
「カーヴァ――」
「言わなくていいです!」
キリナの声が。
部屋に響いた。
「…………」
沈黙。
「…………なるほど」
ミカエルが。
すべてを察した。
「リリー」
「なに?」
「しばらく詠唱は禁止だ」
「キリナ先生も言った!」
「なら守れ」
「はーい!」
「……本当に分かっているのか?」
「わかってるよ!」
「怪しいな」
「ほんとだもん!」
その隣。
レアが。
くすくす。
笑っていた。
スフロン語を習った。
雷剣が出た。
怒られた。
無詠唱を覚えた。
今日一日だけで。
ずいぶん。
色々なことがあった。
けれど。
レアにとって。
やっぱり。
スフロン語は。
楽しかった。