エマ   作:篠原えれの

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第四十三話『小さな違和感』

 

 

「もう一度お願いします!」

 

「いいだろう」

 

 乾いた音が、エルサイア城の中庭に響いた。

 

 四歳になったレアは、小さな身体には少し長い木剣を両手で握っていた。

 

 向かいに立つのはギル。

 

 少し離れたところにはミカエルもいる。

 

「レア。剣先ばかり見るな」

 

「はい!」

 

「俺を見ろ。剣はその後だ」

 

「はい!」

 

 ギルが踏み込む。

 

「――っ!」

 

 レアも動く。

 

 木剣を受け――

 

「遅い」

 

「……っ」

 

 軽く弾かれた。

 

 木剣が地面へ落ちる。

 

「もう一度!」

 

「その前に拾え」

 

「はい」

 

 慌てて拾う。

 

「ミカエル様」

 

「何だ」

 

「今のは、どこを見ればよかったのでしょうか」

 

「ギルの肩だ」

 

「肩?」

 

「ああ。剣が動くより先に、肩が動いている」

 

「…………」

 

「足でもいい。重心でもいい。剣が動いてから考えていたら遅い」

 

「なるほど……」

 

 レアが。

 

 じっとギルを見る。

 

「では、もう一度お願いします」

 

「来い」

 

 構える。

 

 今度は。

 

 剣ではなく。

 

 肩。

 

 腰。

 

 足。

 

「――!」

 

 ギルが動く。

 

 その瞬間。

 

 レアの足元へ、人工精霊が集まった。

 

「レア?」

 

 ミカエルが気付いた時には。

 

 ぶわっ!

 

「きゃっ――!?」

 

 風。

 

 レアの小さな身体が、一気に前へ押し出された。

 

「――速っ」

 

 ギルの横を。

 

 通過。

 

 そのまま。

 

 一直線。

 

「レア、止まれ!」

 

「止まりませんっ!」

 

 がさあっ!

 

「…………」

 

「…………」

 

 植え込み。

 

 青い髪だけが。

 

 ぴょこん。

 

 と出ていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………いたいです」

 

 ギルが額を押さえた。

 

「ミカエル」

 

「何だ」

 

「お前、何教えた」

 

「高速移動」

 

「止まり方から教えろ!」

 

「今、必要だと分かった」

 

「身体で覚えさせるな!」

 

「私も、もう少し弱くするべきだったと思います……」

 

 がさがさ。

 

 レアが。

 

 自力で植え込みから出てくる。

 

「でも」

 

「?」

 

「速かったです」

 

「そこ喜ぶところか?」

 

「はい!」

 

「…………」

 

 ミカエルが。

 

 少し笑った。

 

「なら次は、最初の一歩だけ使え」

 

「最初だけ?」

 

「ああ。ずっと人工精霊に身体を押させる必要はない」

 

「一瞬だけ借りる?」

 

「そうだ」

 

「分かりました!」

 

「レアー!」

 

 聞き慣れた声。

 

「お姉様?」

 

「リリーもやるー!」

 

 茶色の髪を揺らして。

 

 七歳になったリリーが走ってくる。

 

「リリー」

 

「なに!?」

 

「走るな」

 

「走ってない!」

 

「今、走っていただろう」

 

「急いでただけ!」

 

「同じだ」

 

「ちがうもん!」

 

 そして。

 

 リリーが。

 

 レアを見る。

 

「レア、なにしてたの?」

 

「高速移動です」

 

「こうそくいどう?」

 

「人工精霊で、速く動きます」

 

「リリーもやる!」

 

「駄目だ」

 

「なんで!?」

 

「昨日、雷剣を出したばかりだろう」

 

「…………」

 

 リリーが。

 

 止まった。

 

「もう出さないもん」

 

「信用できん」

 

「ほんとだって!」

 

「お前はまず、詠唱と発動の区別を覚えろ」

 

「むぅー!」

 

 そこへ。

 

「相変わらず賑やかだな」

 

 聞き慣れない声。

 

 四人が。

 

 振り返る。

 

「…………!」

 

 リリーが。

 

 ぱっと笑った。

 

「ルーク!」

 

「おい、リリー!」

 

 ギルが止めるより早く。

 

「ルークー!」

 

 駆けていく。

 

「久しぶりだな」

 

 ルーク王子は。

 

 飛び込んできたリリーを普通に受け止めた。

 

「いつ来たの!?」

 

「今だ」

 

「おみやげある!?」

 

「第一声がそれか?」

 

「ある?」

 

「ある」

 

「やった!」

 

「現金な王女だな」

 

「おうじょだもん!」

 

「そういう意味じゃない」

 

 その後ろから。

 

 レアも歩いてくる。

 

「お久しぶりです、ルーク様」

 

「…………」

 

 ルークが。

 

 リリーを見る。

 

 レアを見る。

 

「姉妹でずいぶん違うな」

 

「なにが?」

 

「何でもない」

 

「?」

 

 そして。

 

 ルークの後ろには。

 

 見慣れない女性が立っていた。

 

 若い。

 

 旅装の上からでも分かるほど、多くの工具や小型端末を腰に下げている。

 

 騎士には見えない。

 

「その人だれ?」

 

 当然。

 

 リリーが最初に聞いた。

 

「ああ」

 

 ルークが。

 

 少し横へ退く。

 

「紹介しておこう。エレノア・アタンチェルトだ」

 

「アタンチェルト……」

 

 ギルが反応した。

 

「まさか」

 

「ええ」

 

 女性が。

 

 軽く頭を下げる。

 

「初めまして。エレノア・アタンチェルトと申します」

 

「ギルバートの?」

 

「娘です」

 

「…………」

 

 ギルが。

 

 エレノアを上から下まで見る。

 

「似てないな」

 

「よく言われます」

 

「親父は親衛隊だろ」

 

「私は技術開発です」

 

「そっちはもっと似てないな」

 

「父にも言われました」

 

「言われたのか……」

 

 リリーが。

 

 エレノアの腰から下がった端末を見ている。

 

「これなに?」

 

「リリー、勝手に触るな」

 

「触ってないよ!」

 

「触ろうとしていただろう」

 

「見てただけ!」

 

「手が伸びていたぞ」

 

「…………」

 

 引っ込めた。

 

 エレノアが。

 

 少し笑う。

 

「後で安全なものをお見せしますよ」

 

「ほんと!?」

 

「はい」

 

「エレノア好き!」

 

「早いな」

 

 ルークが呆れた。

 

 ◇

 

 その日の午後。

 

 クイントの執務室には。

 

 いつもより多くの人間が集まっていた。

 

 クイント。

 

 コウヤ。

 

 ギル。

 

 ミカエル。

 

 ライベルト。

 

 そして。

 

 ラウル王国から来たルークとエレノア。

 

「それで?」

 

 クイントが。

 

 ルークを見る。

 

「遊びに来ただけじゃないんでしょ?」

 

「ああ」

 

「エレノアまで連れてきてるし」

 

「話が早くて助かる」

 

 ルークが。

 

 机の上へ資料を置いた。

 

「ラウルから、技術提供をしたい」

 

「…………」

 

 クイントが。

 

 少し目を見開く。

 

「エルサイアに?」

 

「ああ」

 

「どうして?」

 

「…………」

 

 ルークは。

 

 すぐには答えなかった。

 

「ルーク?」

 

「嫌な予感がする」

 

「…………」

 

 コウヤが。

 

 表情を変える。

 

「エルサイアで?」

 

「それもある」

 

 ルークが。

 

 首を振った。

 

「でも、それだけじゃない」

 

「…………」

 

「ラウルもだ」

 

「ラウル王国に何か?」

 

「まだ何もない」

 

「じゃあ――」

 

「何もないから困ってる」

 

 クイントが。

 

 黙った。

 

「証拠がない。敵がいるわけでもない。国境で妙な軍が動いてるわけでもない」

 

「…………」

 

「でも、何かがおかしい」

 

「アイザック王は?」

 

「父上にも話した」

 

「なんて?」

 

「俺と似たようなことを考えてたよ」

 

「…………」

 

 ライベルトが。

 

 腕を組む。

 

「二人とも同じ違和感を?」

 

「ああ」

 

「具体的には」

 

「それが分からない」

 

「……厄介だな」

 

「だから来た」

 

 ルークが。

 

 エレノアを見る。

 

「何かが起きてからじゃ遅い」

 

「…………」

 

「ラウルにしかない技術を、ラウルだけに置いておく必要もない」

 

「ルーク、それって」

 

「ああ」

 

 ルークは。

 

 クイントを見る。

 

「アージェリカの技術を、エルサイアへ提供する」

 

「…………」

 

 部屋が。

 

 静かになった。

 

「もちろん、国家機密を全部渡すなんて話じゃない」

 

「でしょうね」

 

「まずは防衛、通信、観測。それから生活基盤に転用できるもの」

 

「随分広いな」

 

 ライベルトが言う。

 

「最終的にはもっと広げる」

 

「…………」

 

「技術者も送る」

 

「それでエレノア?」

 

「ああ」

 

 エレノアが。

 

 一歩前へ出た。

 

「私だけではありません。必要に応じてラウルから技術開発者を呼ぶ予定です」

 

「でも」

 

 クイントが。

 

 少し困った顔をする。

 

「そこまでしてもらっていいの?」

 

「一方的に渡すつもりはない」

 

 ルークが答える。

 

「エルサイアにはエルサイアの技術がある」

 

「人工精霊?」

 

「それも含めてな」

 

「…………」

 

「互いに残しておけばいい」

 

「残す?」

 

「ああ」

 

 ルークが。

 

 少しだけ。

 

 言葉を選んだ。

 

「もし」

 

「…………」

 

「どちらかの国に何かあっても」

 

「…………」

 

「もう片方に、技術が残る」

 

 クイントの顔から。

 

 笑みが消えた。

 

「……そこまで?」

 

「だから言っただろ」

 

「…………」

 

「嫌な予感がするんだ」

 

 ルーク自身も。

 

 何が起きるのか。

 

 分かってはいなかった。

 

 ただ。

 

 エルサイアで起きた。

 

 いくつもの異変。

 

 そして。

 

 ラウル王国で感じ始めた。

 

 説明のできない。

 

 僅かな兆候。

 

 別々のものとして。

 

 見てはいけない気がした。

 

「それに」

 

 ルークが。

 

 少し笑う。

 

「俺の予感が外れたら、それが一番いい」

 

「…………」

 

「何も起きなかった。技術交流だけ進んだ。めでたしめでたしだ」

 

「それはそうだけど」

 

「だったら損はないだろ?」

 

「…………」

 

 クイントも。

 

 ようやく。

 

 少し笑った。

 

「分かった」

 

「決まりだな」

 

「ただし」

 

「?」

 

「エルサイアからも出すよ」

 

「もちろん」

 

「一方的に守られるつもりはないから」

 

「知ってるよ」

 

 ◇

 

 こうして。

 

 ラウル王国からエルサイア王国への。

 

 本格的な技術提供が始まった。

 

 最初に来たのは。

 

 エレノア・アタンチェルト。

 

 そして。

 

 一人。

 

 また一人。

 

 ラウルから技術開発者たちが渡ってくることになる。

 

 この時。

 

 誰も。

 

 その意味を知らなかった。

 

 ◇

 

「エレノアー!」

 

「はい?」

 

 翌日。

 

 エレノアは。

 

 さっそくリリーに捕まっていた。

 

「きのうの見せて!」

 

「昨日の?」

 

「腰についてたやつ!」

 

「ああ、これですか」

 

「それ!」

 

「見るだけですよ」

 

「うん!」

 

「絶対に起動しないでくださいね」

 

「うん!」

 

「…………」

 

 レアが。

 

 隣から。

 

「エレノア様」

 

「はい?」

 

「お姉様に渡さない方がいいと思います」

 

「レア!?」

 

「昨日、雷剣を出しました」

 

「言わないでよ!」

 

「雷剣?」

 

 エレノアが瞬いた。

 

「スフロン語を読んだだけです」

 

「読んだだけで?」

 

「出ました」

 

「…………」

 

 エレノアが。

 

 持っていた端末を。

 

 そっと。

 

 リリーから遠ざけた。

 

「なんで!?」

 

「少しだけ、レア様の意見を採用します」

 

「えー!!」

 

「見るだけなら」

 

「さわりたい!」

 

「駄目です」

 

「ちょっと!」

 

「駄目です」

 

「一回!」

 

「駄目です」

 

「エレノアぁ!」

 

「駄目です」

 

 少し離れたところ。

 

 ルークが。

 

 その光景を見て。

 

 笑っていた。

 

「平和だな」

 

「ええ」

 

 隣にいたクイントが答える。

 

「ずっとこんなんならいいんだけどね」

 

「…………」

 

 ルークは。

 

 答えなかった。

 

 空を見る。

 

 青い。

 

 何もない。

 

 いつもと変わらない空。

 

「ルーク?」

 

「いや」

 

 考えすぎなら。

 

 それでいい。

 

 自分も。

 

 アイザックも。

 

 ただ。

 

 神経質になっているだけなら。

 

 それで。

 

 よかった。

 

 だから。

 

 準備だけはしておこう。

 

 何も起きなければ。

 

 全部。

 

 無駄になればいい。

 

 この時。

 

 ルークはまだ知らなかった。

 

 いつか。

 

 ラウル王国の空から。

 

 雨が降る。

 

 青ではない。

 

 紫の雨が。

 

 そして。

 

 この日。

 

 エルサイアへ渡したものが。

 

 滅びゆくラウル王国から外へ残された。

 

 未来への。

 

 小さな欠片になることを。

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