「もう一度お願いします!」
「いいだろう」
乾いた音が、エルサイア城の中庭に響いた。
四歳になったレアは、小さな身体には少し長い木剣を両手で握っていた。
向かいに立つのはギル。
少し離れたところにはミカエルもいる。
「レア。剣先ばかり見るな」
「はい!」
「俺を見ろ。剣はその後だ」
「はい!」
ギルが踏み込む。
「――っ!」
レアも動く。
木剣を受け――
「遅い」
「……っ」
軽く弾かれた。
木剣が地面へ落ちる。
「もう一度!」
「その前に拾え」
「はい」
慌てて拾う。
「ミカエル様」
「何だ」
「今のは、どこを見ればよかったのでしょうか」
「ギルの肩だ」
「肩?」
「ああ。剣が動くより先に、肩が動いている」
「…………」
「足でもいい。重心でもいい。剣が動いてから考えていたら遅い」
「なるほど……」
レアが。
じっとギルを見る。
「では、もう一度お願いします」
「来い」
構える。
今度は。
剣ではなく。
肩。
腰。
足。
「――!」
ギルが動く。
その瞬間。
レアの足元へ、人工精霊が集まった。
「レア?」
ミカエルが気付いた時には。
ぶわっ!
「きゃっ――!?」
風。
レアの小さな身体が、一気に前へ押し出された。
「――速っ」
ギルの横を。
通過。
そのまま。
一直線。
「レア、止まれ!」
「止まりませんっ!」
がさあっ!
「…………」
「…………」
植え込み。
青い髪だけが。
ぴょこん。
と出ていた。
「…………」
「…………」
「…………いたいです」
ギルが額を押さえた。
「ミカエル」
「何だ」
「お前、何教えた」
「高速移動」
「止まり方から教えろ!」
「今、必要だと分かった」
「身体で覚えさせるな!」
「私も、もう少し弱くするべきだったと思います……」
がさがさ。
レアが。
自力で植え込みから出てくる。
「でも」
「?」
「速かったです」
「そこ喜ぶところか?」
「はい!」
「…………」
ミカエルが。
少し笑った。
「なら次は、最初の一歩だけ使え」
「最初だけ?」
「ああ。ずっと人工精霊に身体を押させる必要はない」
「一瞬だけ借りる?」
「そうだ」
「分かりました!」
「レアー!」
聞き慣れた声。
「お姉様?」
「リリーもやるー!」
茶色の髪を揺らして。
七歳になったリリーが走ってくる。
「リリー」
「なに!?」
「走るな」
「走ってない!」
「今、走っていただろう」
「急いでただけ!」
「同じだ」
「ちがうもん!」
そして。
リリーが。
レアを見る。
「レア、なにしてたの?」
「高速移動です」
「こうそくいどう?」
「人工精霊で、速く動きます」
「リリーもやる!」
「駄目だ」
「なんで!?」
「昨日、雷剣を出したばかりだろう」
「…………」
リリーが。
止まった。
「もう出さないもん」
「信用できん」
「ほんとだって!」
「お前はまず、詠唱と発動の区別を覚えろ」
「むぅー!」
そこへ。
「相変わらず賑やかだな」
聞き慣れない声。
四人が。
振り返る。
「…………!」
リリーが。
ぱっと笑った。
「ルーク!」
「おい、リリー!」
ギルが止めるより早く。
「ルークー!」
駆けていく。
「久しぶりだな」
ルーク王子は。
飛び込んできたリリーを普通に受け止めた。
「いつ来たの!?」
「今だ」
「おみやげある!?」
「第一声がそれか?」
「ある?」
「ある」
「やった!」
「現金な王女だな」
「おうじょだもん!」
「そういう意味じゃない」
その後ろから。
レアも歩いてくる。
「お久しぶりです、ルーク様」
「…………」
ルークが。
リリーを見る。
レアを見る。
「姉妹でずいぶん違うな」
「なにが?」
「何でもない」
「?」
そして。
ルークの後ろには。
見慣れない女性が立っていた。
若い。
旅装の上からでも分かるほど、多くの工具や小型端末を腰に下げている。
騎士には見えない。
「その人だれ?」
当然。
リリーが最初に聞いた。
「ああ」
ルークが。
少し横へ退く。
「紹介しておこう。エレノア・アタンチェルトだ」
「アタンチェルト……」
ギルが反応した。
「まさか」
「ええ」
女性が。
軽く頭を下げる。
「初めまして。エレノア・アタンチェルトと申します」
「ギルバートの?」
「娘です」
「…………」
ギルが。
エレノアを上から下まで見る。
「似てないな」
「よく言われます」
「親父は親衛隊だろ」
「私は技術開発です」
「そっちはもっと似てないな」
「父にも言われました」
「言われたのか……」
リリーが。
エレノアの腰から下がった端末を見ている。
「これなに?」
「リリー、勝手に触るな」
「触ってないよ!」
「触ろうとしていただろう」
「見てただけ!」
「手が伸びていたぞ」
「…………」
引っ込めた。
エレノアが。
少し笑う。
「後で安全なものをお見せしますよ」
「ほんと!?」
「はい」
「エレノア好き!」
「早いな」
ルークが呆れた。
◇
その日の午後。
クイントの執務室には。
いつもより多くの人間が集まっていた。
クイント。
コウヤ。
ギル。
ミカエル。
ライベルト。
そして。
ラウル王国から来たルークとエレノア。
「それで?」
クイントが。
ルークを見る。
「遊びに来ただけじゃないんでしょ?」
「ああ」
「エレノアまで連れてきてるし」
「話が早くて助かる」
ルークが。
机の上へ資料を置いた。
「ラウルから、技術提供をしたい」
「…………」
クイントが。
少し目を見開く。
「エルサイアに?」
「ああ」
「どうして?」
「…………」
ルークは。
すぐには答えなかった。
「ルーク?」
「嫌な予感がする」
「…………」
コウヤが。
表情を変える。
「エルサイアで?」
「それもある」
ルークが。
首を振った。
「でも、それだけじゃない」
「…………」
「ラウルもだ」
「ラウル王国に何か?」
「まだ何もない」
「じゃあ――」
「何もないから困ってる」
クイントが。
黙った。
「証拠がない。敵がいるわけでもない。国境で妙な軍が動いてるわけでもない」
「…………」
「でも、何かがおかしい」
「アイザック王は?」
「父上にも話した」
「なんて?」
「俺と似たようなことを考えてたよ」
「…………」
ライベルトが。
腕を組む。
「二人とも同じ違和感を?」
「ああ」
「具体的には」
「それが分からない」
「……厄介だな」
「だから来た」
ルークが。
エレノアを見る。
「何かが起きてからじゃ遅い」
「…………」
「ラウルにしかない技術を、ラウルだけに置いておく必要もない」
「ルーク、それって」
「ああ」
ルークは。
クイントを見る。
「アージェリカの技術を、エルサイアへ提供する」
「…………」
部屋が。
静かになった。
「もちろん、国家機密を全部渡すなんて話じゃない」
「でしょうね」
「まずは防衛、通信、観測。それから生活基盤に転用できるもの」
「随分広いな」
ライベルトが言う。
「最終的にはもっと広げる」
「…………」
「技術者も送る」
「それでエレノア?」
「ああ」
エレノアが。
一歩前へ出た。
「私だけではありません。必要に応じてラウルから技術開発者を呼ぶ予定です」
「でも」
クイントが。
少し困った顔をする。
「そこまでしてもらっていいの?」
「一方的に渡すつもりはない」
ルークが答える。
「エルサイアにはエルサイアの技術がある」
「人工精霊?」
「それも含めてな」
「…………」
「互いに残しておけばいい」
「残す?」
「ああ」
ルークが。
少しだけ。
言葉を選んだ。
「もし」
「…………」
「どちらかの国に何かあっても」
「…………」
「もう片方に、技術が残る」
クイントの顔から。
笑みが消えた。
「……そこまで?」
「だから言っただろ」
「…………」
「嫌な予感がするんだ」
ルーク自身も。
何が起きるのか。
分かってはいなかった。
ただ。
エルサイアで起きた。
いくつもの異変。
そして。
ラウル王国で感じ始めた。
説明のできない。
僅かな兆候。
別々のものとして。
見てはいけない気がした。
「それに」
ルークが。
少し笑う。
「俺の予感が外れたら、それが一番いい」
「…………」
「何も起きなかった。技術交流だけ進んだ。めでたしめでたしだ」
「それはそうだけど」
「だったら損はないだろ?」
「…………」
クイントも。
ようやく。
少し笑った。
「分かった」
「決まりだな」
「ただし」
「?」
「エルサイアからも出すよ」
「もちろん」
「一方的に守られるつもりはないから」
「知ってるよ」
◇
こうして。
ラウル王国からエルサイア王国への。
本格的な技術提供が始まった。
最初に来たのは。
エレノア・アタンチェルト。
そして。
一人。
また一人。
ラウルから技術開発者たちが渡ってくることになる。
この時。
誰も。
その意味を知らなかった。
◇
「エレノアー!」
「はい?」
翌日。
エレノアは。
さっそくリリーに捕まっていた。
「きのうの見せて!」
「昨日の?」
「腰についてたやつ!」
「ああ、これですか」
「それ!」
「見るだけですよ」
「うん!」
「絶対に起動しないでくださいね」
「うん!」
「…………」
レアが。
隣から。
「エレノア様」
「はい?」
「お姉様に渡さない方がいいと思います」
「レア!?」
「昨日、雷剣を出しました」
「言わないでよ!」
「雷剣?」
エレノアが瞬いた。
「スフロン語を読んだだけです」
「読んだだけで?」
「出ました」
「…………」
エレノアが。
持っていた端末を。
そっと。
リリーから遠ざけた。
「なんで!?」
「少しだけ、レア様の意見を採用します」
「えー!!」
「見るだけなら」
「さわりたい!」
「駄目です」
「ちょっと!」
「駄目です」
「一回!」
「駄目です」
「エレノアぁ!」
「駄目です」
少し離れたところ。
ルークが。
その光景を見て。
笑っていた。
「平和だな」
「ええ」
隣にいたクイントが答える。
「ずっとこんなんならいいんだけどね」
「…………」
ルークは。
答えなかった。
空を見る。
青い。
何もない。
いつもと変わらない空。
「ルーク?」
「いや」
考えすぎなら。
それでいい。
自分も。
アイザックも。
ただ。
神経質になっているだけなら。
それで。
よかった。
だから。
準備だけはしておこう。
何も起きなければ。
全部。
無駄になればいい。
この時。
ルークはまだ知らなかった。
いつか。
ラウル王国の空から。
雨が降る。
青ではない。
紫の雨が。
そして。
この日。
エルサイアへ渡したものが。
滅びゆくラウル王国から外へ残された。
未来への。
小さな欠片になることを。