エレノア・アタンチェルトがエルサイアへやって来て、数日が経った。
彼女が最初に驚いたものは。
城でも。
スフロン水晶でも。
ましてや王族でもなかった。
「もう一度お願いします」
「はい!」
四歳の少女だった。
エルサイア城、中庭。
レア・R・エルネアが小さな木剣を握っている。
その正面にはギル。
少し離れてミカエル。
そして今日は、見学者としてエレノアまでいた。
「レア」
「はい」
「昨日教えたことは覚えているな?」
「人工精霊には最初の一歩だけを手伝ってもらいます」
「そうだ」
ミカエルが頷く。
「ずっと押してもらおうとするから植え込みに突っ込む」
「……はい」
「まだ気にしてるのか?」
「少し恥ずかしいです」
「気にするな。誰でも最初は失敗する」
「ミカエル」
ギルが睨む。
「お前が加減を教えなかったせいでもあるんだぞ」
「だから今日は教えている」
「最初からやれ」
「…………」
「何故黙る」
「レア、始めていいぞ」
「誤魔化すな」
レアは。
小さく笑って。
木剣を構えた。
「行きます」
「ああ」
足元。
人工精霊が集まる。
風。
ほんの一瞬だけ。
地面を蹴る瞬間に合わせて。
――弾けた。
「っ!」
加速。
昨日のように身体そのものを吹き飛ばされるのではない。
一歩だけ。
レア自身の踏み込みを。
人工精霊が押す。
「!」
ギルの目の前まで。
一瞬。
木剣を振る。
ぱんっ!
ギルが受け止めた。
「止まれ!」
「はい!」
人工精霊を切る。
今度は。
止まった。
「…………!」
レア自身が。
一番驚いている。
「できました!」
「ああ」
「止まれました!」
「そっちか」
「はい!」
「昨日よほど怖かったんだな」
「…………はい」
少し離れたところで。
エレノアが端末を見ていた。
「…………面白い」
「だろ?」
隣にいたルークが言う。
「はい」
「ラウルじゃ見ない技術だ」
「当然です。私たちには使えませんから」
「そうだな」
エレノアは。
人工精霊を使えない。
ルークも。
そして。
ラウル王国から来た技術者たちも。
人工精霊を自在に扱うことはできない。
それは。
エルサイアの技術だ。
「もう一度お願いします!」
「待ってください」
エレノアが。
レアを止めた。
「?」
「今度はこれを付けてもらえませんか?」
「これは?」
「測定器です」
「測定?」
「はい」
エレノアが。
小さな装置を見せる。
「私は人工精霊を使えません」
「はい」
「ですから、あなたが今何をしたのか。私には感覚では分かりません」
「…………」
「ですが」
装置を。
軽く叩く。
「人工精霊によって起きた現象なら測れます」
「!」
「風圧、速度、加速度。それから可能なら、人工精霊を使用する前後での差も取りたいですね」
「…………」
レアの目が。
輝いた。
「分かるのですか?」
「分かるようにするのが私の仕事です」
「やりたいです!」
「では付けましょう」
「はい!」
「エレノアー!」
遠くから。
声。
「…………」
エレノアが。
止まった。
ルークが。
笑った。
「来たぞ」
「何がです?」
「お前の天敵」
「?」
「エレノアー!!」
ばたばたばたばた。
茶色の髪。
七歳。
第一王女リリー。
「これなに!?」
「まだ何も説明していませんが」
「それ!」
測定器を指す。
「リリーもつけたい!」
「駄目です」
「なんで!?」
「今からレア様の測定をします」
「じゃあリリーも測って!」
「何を?」
「…………」
考える。
「雷剣!」
「駄目です」
「なんで!?」
「お姉様」
レアが。
真顔で言った。
「もう勝手に出してはいけないと言われたでしょう」
「勝手にじゃないもん! 今は出すって言ってから出す!」
「そういう意味ではありません」
「えー!」
エレノアが。
ルークを見る。
「雷剣とは?」
「俺に聞くな」
「昨日、出たらしい」
「七歳で?」
「詠唱したら出たらしい」
「…………」
エレノアが。
リリーを見る。
「何と言ったのです?」
「えっとね!」
リリーが。
嬉しそうに息を吸う。
「カーヴァル・ギ・タ――」
「お姉様!!」
「リリー!!」
「唱えるな!」
三人。
同時だった。
「…………」
リリーが。
口を閉じる。
「…………まだ全部言ってない」
「言わなくていいです!」
「むぅ……」
◇
「もう一度」
測定開始。
レアが。
構える。
木剣。
足元。
人工精霊。
「…………」
エレノアには。
それが見えても。
扱えない。
だから。
機械を見る。
「今です」
「はい!」
踏み込み。
風。
加速。
「――!」
数メートル。
一瞬。
「止まって!」
「はい!」
停止。
エレノアが。
すぐに数値を見る。
「なるほど……」
「どうでしたか?」
「もう一度」
「はい!」
「今度は人工精霊を使わずに同じ距離を走ってください」
「分かりました」
二度目。
普通に走る。
測定。
「…………」
「どうですか?」
「かなり違いますね」
「やっぱり速いですか?」
「はい。ただ……」
「?」
「速さそのものより、加速までの時間が違います」
「加速?」
「最初の一歩です」
エレノアが。
画面をレアに見せる。
「ここ」
「…………?」
「通常なら身体を前へ動かすまでに時間が必要です。ですが人工精霊を使った場合、それが極端に短い」
「…………」
「ミカエル様の言っていたことが、数値でも確認できました」
「最初の一歩だけ借りる」
「そういうことですね」
レアが。
嬉しそうに。
ミカエルを見る。
「合っていました!」
「だから教えたんだ」
「はい!」
「私を何だと思っていた」
「植え込みに突っ込ませた人です」
「…………」
「ぶっ」
ルークが吹き出した。
「レア、それは俺が言おうと思ってた」
「事実です」
「四歳児に正論で刺されてるぞ、ミカエル」
「うるさい」
◇
「でも不思議ですね」
レアが。
測定器を見る。
「何がです?」
「エレノア様は人工精霊を使えないのに」
「はい」
「人工精霊のことが分かります」
「少し違います」
エレノアは。
しゃがんで。
レアと目線を合わせた。
「私は人工精霊そのものを理解しているわけではありません」
「…………」
「レア様が人工精霊を使った」
「はい」
「その結果、風が起きた」
「はい」
「レア様が速くなった」
「はい」
「なら、その風と速度を調べます」
「…………」
「私たちラウルの人間は、あなたたちと同じことはできません」
「…………」
「だから」
エレノアが。
測定器を見せる。
「違う方法を探すんです」
「…………!」
レアは。
しばらく。
その言葉を考えていた。
「できないから?」
「はい」
「別の方法を?」
「そうです」
「…………」
そして。
笑った。
「面白いです」
「そうでしょう?」
「はい!」
その横。
リリーが。
手を上げた。
「エレノア!」
「はい?」
「リリーも分かった!」
「何がでしょう?」
「人工精霊使えなくても機械使えばいい!」
「だいたい合っています」
「やった!」
「ですが」
「?」
「機械で何でもできるわけではありません」
「…………」
「人工精霊にしかできないこともあるでしょう」
「じゃあどっちが強いの?」
「お姉様……」
「だって気になる!」
「そうですね……」
エレノアは。
少し考えて。
「違うものを比べても仕方ないと思います」
「?」
「剣と盾なら、どちらが強いと思います?」
「剣!」
「即答ですね」
「だって攻撃できる!」
「では、その剣を盾で防がれたら?」
「…………」
「それと同じです」
「…………むずかしい」
「そのうち分かります」
「うん!」
◇
その日の夕方。
エレノアは。
エルサイア側の技術者たちと。
机を囲んでいた。
中央にあるのは。
ラウルから持ち込まれた装置。
その横。
エルサイア側が用意したスフロン水晶。
「接続自体は可能です」
「しかし、人工精霊による直接制御は?」
「私たちにはできません」
エレノアが。
はっきり答える。
「そこはエルサイア側にお願いします」
「では制御はこちらで」
「はい。私たちは機械側を担当します」
「出力調整は?」
「こちらで受け取った数値を基準に機械側で制御します」
「なるほど……」
一人では。
できない。
エルサイアだけでも。
ラウルだけでも。
できない。
だから。
二つに分けた。
人工精霊を扱うのは。
エルサイア。
機械を作るのは。
ラウル。
「これなら」
エレノアが。
設計図へ。
一本。
線を引く。
「アージェリカ側にも、エルサイアの技術を応用できる可能性があります」
「人工精霊を搭載する?」
「いいえ」
そこは。
即答だった。
「私たちは使えませんから」
「では?」
「スフロン水晶です」
エレノアが。
設計図の中央を指す。
「人工精霊を真似する必要はありません」
「…………」
「ラウルにはラウルの技術があります」
「アージェリカ……」
「はい」
エレノアが。
僅かに笑った。
「私たちは、私たちのやり方で強くなればいい」
◇
「…………」
廊下から。
ルークは。
その様子を眺めていた。
「どう?」
隣。
クイント。
「上手くいきそう?」
「多分な」
「そっか」
「…………」
「よかったじゃん」
「ああ」
ラウルは。
科学の国。
エルサイアは。
魔法の国。
かつて。
その違いは。
二つの国が争う理由になった。
ラウルが求めたスフロン水晶。
それを人型機動兵器《アージェリカ》のエネルギー源にされることを恐れたエルサイア。
そこから不平等な条約と戦争にまで至り、ラウルの人々はアージェリカによる反撃すら封じられ、一方的な被害を受けた。
それから。
長い時間が経った。
今は。
「人工精霊の出力、もう一度お願いします!」
「こちらも測定を取り直します!」
「スフロン水晶の方は?」
「準備できています!」
違うから。
争うのではなく。
違うから。
一緒に作れるものを探している。
「…………なあ、クイント」
「ん?」
「これ」
「なに?」
「ちゃんと残そう」
「…………」
「技術だけじゃない」
「…………」
「設計図も。研究記録も。失敗した記録も」
「うん」
「ラウルとエルサイア」
「…………」
「両方に同じものを残す」
「分かった」
クイントは。
理由を聞かなかった。
「そうしよう」
「ああ」
ルークは。
それだけで。
少し安心した。
何故。
そこまでしなければならないと思うのか。
まだ。
自分でも。
説明できない。
けれど。
何かを。
一つの国だけに置いておくことが。
酷く。
怖かった。
◇
「レア!」
「何ですか?」
「見て!」
「…………」
帰り道。
リリーが。
木の枝を持っている。
「雷剣!」
「お姉様」
「言ってないよ!」
「?」
「スフロン語言ってない!」
「……偉いです」
「でしょ!」
ただの。
木の枝。
「えい!」
「危ないですよ」
「レアも!」
「私はいいです」
「なんでー!」
「今日はいっぱい走りました」
「じゃあ明日!」
「明日はキリナ先生の授業です」
「じゃあリリーも行く!」
「またですか?」
「スフロン語おもしろい!」
「…………」
レアが。
笑う。
「では」
「うん!」
「今度は勝手に発音しないでくださいね」
「わかってる!」
「絶対ですよ」
「わかってるって!」
「本当に?」
「ほんと!」
七歳と。
四歳。
二人の王女が。
並んで。
城へ帰っていく。
その後ろでは。
エルサイアとラウル。
二つの国の技術者が。
まだ。
話し合っていた。
今は。
ただの。
技術交流だった。
ルークの嫌な予感など。
杞憂で終わればよかった。
そうなれば。
数年後。
この場所に残された。
ラウル王国の技術者たちも。
アージェリカの設計図も。
その研究記録も。
滅びた国が確かに存在した証になることなど、なかったのだから。