エマ   作:篠原えれの

52 / 70
第四十九話『紫の雨が止んだ日』

 

 ラウル王国に紫の雨が降り始めてから、一か月が経った。

 

 最初の数日は、まだ誰も「国が滅びる」とまでは思っていなかった。

 

 猛毒。

 

 確かにそれだけでも十分すぎるほど危険だったが、ラウル王国には対抗するだけの科学技術があった。防護装備を作り、汚染された水源を切り離し、都市ごとに避難区域を作る。紫の雨そのものを防げないなら、雨が人へ届かない環境を作ればいい。

 

 そして、雨とともに現れた敵にも。

 

 ラウルは抗った。

 

 獅子座。

 

 人の姿を残しながら、巨大な獅子の力を持つ獣人。

 

 蠍座。

 

 都市の建造物すら踏み潰すほどの、巨大な蠍型の怪物。

 

 他にも、紫の雨とともに現れた無数の敵。

 

 ラウル王国軍は、そのすべてと戦った。

 

 アイザック王が指揮を執り。

 

 ルーク王子が前線へ立ち。

 

 ギルバート・アタンチェルトをはじめとする親衛隊も、最後まで王家の側から退かなかった。

 

 戦争中の映像は、隠されなかった。

 

 むしろ隠せなかった。

 

 地球。

 

 ストリジア。

 

 複数世界へ繋がる通信網を通じて、戦場の様子は絶えず流れていた。

 

 数十機のアージェリカが蠍座へ集中砲火を浴びせる映像。

 

 雨に打たれながら獅子座と切り結ぶ兵士。

 

 紫色に染まった大地。

 

 防護装備を着た民間人を地下へ誘導する軍人たち。

 

 一つの都市を守るため、別の都市から戦力を送る。

 

 そこが破られれば、さらに後方へ。

 

 一日。

 

 二日。

 

 十日。

 

 二十日。

 

 それでも。

 

 ラウル王国は残っていた。

 

 だから。

 

 まだ、勝てるのかもしれないと。

 

 誰もが思った。

 

 ◇

 

「…………」

 

 エルサイア城。

 

 クイントは、窓の外を見ていた。

 

 こちらの空は青い。

 

 紫ではない。

 

 雨すら降っていない。

 

 それなのに最近は、晴れた空を見るたびに胸がざわついた。

 

「クイント」

 

「……うん?」

 

 呼ばれて振り返る。

 

 コウヤだった。

 

「大丈夫?」

 

「何が?」

 

「顔色」

 

「そんな悪い?」

 

「ちょっと」

 

「……寝不足かな」

 

「最近ずっとじゃん」

 

「うん」

 

 実際。

 

 ここ何日か、妙に身体が重かった。

 

 食欲がないわけではない。

 

 病気らしい症状もない。

 

 ただ、眠い。

 

 少し気持ち悪い時もある。

 

「ライベルト呼ぶ?」

 

「そこまでじゃ――」

 

 言いかけて。

 

 クイントが口元を押さえた。

 

「…………」

 

「クイント?」

 

「……ちょっと待って」

 

「え?」

 

「…………」

 

「まさか」

 

「分かんない」

 

「いやでも」

 

「分かんないって!」

 

 自分でも。

 

 ある可能性が頭をよぎった。

 

 リリーの時。

 

 レアの時。

 

 似たような感覚が、なかったわけではない。

 

「…………」

 

「…………」

 

 二人で顔を見合わせる。

 

「呼ぶ?」

 

「…………呼んで」

 

「分かった」

 

 コウヤが、少しだけ嬉しそうな顔をした。

 

「まだ決まってないからね」

 

「分かってるって」

 

「顔」

 

「何?」

 

「もう決まったみたいな顔してる」

 

「してない!」

 

「してる!」

 

「してないって!」

 

 少し前まで。

 

 二人で話したばかりだった。

 

 もう一人くらい。

 

 家族が増えてもいいかもしれない、と。

 

 もし本当にそうなら。

 

 リリーはどんな顔をするだろう。

 

 レアは。

 

 父さんは。

 

「…………」

 

 クイントも。

 

 少しだけ笑った。

 

 その時だった。

 

 城中の通信魔道具が、一斉に鳴った。

 

 ◇

 

『――緊急通信。ラウル王国戦域より、全世界共通通信』

 

 その声だけで。

 

 空気が変わった。

 

「…………」

 

 コウヤの顔から笑みが消える。

 

 クイントも。

 

 すぐに国王へ戻った。

 

『神精霊ジンの反応消失を確認』

 

「…………え?」

 

 クイントが。

 

 思わず声を漏らした。

 

『再観測を実施。結果変わらず。神精霊ジン――消滅と判断』

 

「…………」

 

 ラウル王国。

 

 その国と深く結びついた存在。

 

 神精霊ジン。

 

 それが。

 

 消えた。

 

『現在、ラウル王国全域において紫色の汚染を確認。主要都市との通信は――』

 

 ノイズ。

 

『――大半が途絶』

 

「……嘘」

 

 クイントが。

 

 立ち上がる。

 

「ルークは?」

 

『王都との通信――』

 

「ルークは!?」

 

「クイント!」

 

『…………アイザック王陛下』

 

 通信の向こう。

 

 僅かな沈黙。

 

『死亡を確認』

 

「…………」

 

『親衛隊隊長ギルバート・アタンチェルト』

 

「…………」

 

『死亡』

 

「…………」

 

『ルーク王子』

 

 クイントが。

 

 息を止める。

 

『――死亡を確認しました』

 

 ◇

 

「…………」

 

 エレノアは。

 

 その報告を。

 

 エルサイアの技術開発区画で聞いていた。

 

 手には。

 

 アージェリカの設計資料。

 

 つい先ほどまで、ソーサリーと話していた。

 

 この部品なら。

 

 エルサイアでも作れる。

 

 ここはラウル式のまま残した方がいい。

 

 次は制御系を――。

 

 そんな。

 

 いつもの話。

 

『ギルバート・アタンチェルト――死亡』

 

「…………」

 

 紙が。

 

 手から落ちた。

 

「エレノア?」

 

 ソーサリーが。

 

 顔を上げる。

 

「…………」

 

「エレノア」

 

「今……」

 

 声が。

 

 上手く出ない。

 

「父の……」

 

「…………」

 

「名前……」

 

 聞き間違いではない。

 

 通信は。

 

 続いている。

 

 死亡。

 

 死亡。

 

 また。

 

 死亡。

 

「…………」

 

 膝から。

 

 力が抜けた。

 

「エレノア!」

 

 ソーサリーが支えるより早く。

 

 エレノアは床へ崩れ落ちた。

 

「…………父さん」

 

 初めて。

 

 エルサイアへ来てから。

 

 誰も聞いたことのない呼び方だった。

 

「父さん……」

 

 親衛隊隊長。

 

 ギルバート・アタンチェルト。

 

 他人へ紹介する時は、いつもそう言った。

 

 父は親衛隊です。

 

 私は技術者です。

 

 まるで正反対で。

 

 似ていないと。

 

 何度も言われた。

 

 本人にも言われた。

 

『お前は俺には似なかったな』

 

『悪かったですね』

 

『悪いとは言ってない』

 

『では何です?』

 

『好きなことをやれ』

 

 それが。

 

 最後に直接交わした言葉だったか。

 

 思い出せない。

 

「…………っ」

 

 涙が。

 

 落ちる。

 

「帰れば……」

 

 帰れば。

 

 また会えると。

 

 思っていた。

 

「技術提供が終わったら……」

 

 報告するつもりだった。

 

 エルサイアの技術者は思った以上に科学に詳しかった。

 

 ソーサリーという錬金術師は、本当にアージェリカを作り始めそうだ。

 

 第一王女は危なっかしい。

 

 第二王女は四歳とは思えない。

 

 話すことなんて。

 

 いくらでもあった。

 

「…………っ、父さん……!」

 

 ソーサリーは。

 

 何も言わなかった。

 

 ただ。

 

 泣き崩れるエレノアの隣に座った。

 

 ◇

 

『――なお』

 

 通信は。

 

 まだ終わっていなかった。

 

『ルーク王子の最終戦闘記録が確認されています』

 

「…………」

 

 クイントが。

 

 顔を上げる。

 

「映像?」

 

『現在、戦時共有映像として配信されています』

 

 画面が。

 

 切り替わった。

 

 ◇

 

 紫。

 

 世界そのものが。

 

 紫色だった。

 

 雨。

 

 毒。

 

 崩壊した王都。

 

 地面には。

 

 既に動かなくなったアージェリカが何機も倒れている。

 

 その中を。

 

 一機だけ。

 

 まだ動く機体があった。

 

『――出力、残り十八』

 

 ノイズ混じりの音声。

 

『右腕部、応答なし』

 

 ルークの声。

 

『推進系統――』

 

 警告音。

 

『分かってる!』

 

 それでも。

 

 機体は進む。

 

 正面。

 

 雨の中。

 

 一人の女が立っていた。

 

 星魅の巫女。

 

 パヌト。

 

『…………』

 

 何かを。

 

 彼女が言った。

 

 音声までは。

 

 拾えていない。

 

『うるせえよ』

 

 ルークが。

 

 笑った。

 

『こっちは一か月、お前の相手してんだ』

 

 アージェリカが。

 

 剣を構える。

 

『いい加減――』

 

 推進器。

 

 最後の出力。

 

『一発くらい!』

 

 加速。

 

『殴らせろ!!』

 

 紫の雨を。

 

 切り裂いて。

 

 機体が。

 

 突っ込んだ。

 

「ルーク……」

 

 クイントが。

 

 画面を見つめる。

 

 パヌトが。

 

 初めて。

 

 僅かに。

 

 身構えた。

 

 遅い。

 

 アージェリカの一撃。

 

 剣が。

 

 振り抜かれる。

 

 光。

 

 爆発。

 

 映像が激しく乱れた。

 

 そして。

 

 一瞬だけ。

 

 映った。

 

 パヌトの身体から。

 

 血が。

 

 飛んだ。

 

「…………!」

 

 ルークの一撃が。

 

 届いた。

 

 倒せない。

 

 それだけでは。

 

 足りない。

 

 けれど。

 

 確かに。

 

 一撃。

 

『…………は』

 

 ルークの。

 

 小さな笑い声。

 

『やっと……当たった』

 

 そして。

 

 映像が。

 

 切れた。

 

 ◇

 

 その映像は。

 

 地球にも。

 

 ストリジアにも。

 

 流れた。

 

 一か月。

 

 ラウル王国が。

 

 どれだけ戦ったのか。

 

 世界中が見ていた。

 

 だから。

 

 最後も。

 

 世界中が見た。

 

 負けた。

 

 ラウル王国は。

 

 負けた。

 

 神精霊ジンは消滅。

 

 アイザック王死亡。

 

 ルーク王子死亡。

 

 ギルバート・アタンチェルト死亡。

 

 国土の大半は。

 

 猛毒の紫に染まった。

 

 それでも。

 

 最後の一瞬まで。

 

 戦っていた。

 

「…………馬鹿」

 

 クイントが。

 

 ぽつりと。

 

 言った。

 

「ルークの馬鹿……」

 

 コウヤは。

 

 何も言えなかった。

 

 クイントの肩へ。

 

 手を置く。

 

「嫌な予感がするって……」

 

「…………」

 

「言ってたくせに」

 

 だから。

 

 技術を渡した。

 

 技術者を送った。

 

 記録を。

 

 設計図を。

 

 ラウルにしかないものを。

 

 エルサイアにも残した。

 

『俺の予感が外れたら、それが一番いい』

 

 あの日。

 

 ルークは。

 

 そう笑っていた。

 

 外れなかった。

 

「…………」

 

 クイントが。

 

 泣いた。

 

 静かに。

 

 声を押し殺して。

 

 コウヤが。

 

 抱き寄せる。

 

 今は。

 

 それしか。

 

 できなかった。

 

 ◇

 

「……クイント」

 

 どれくらい。

 

 経ったのか。

 

 ライベルトが。

 

 部屋へ来た。

 

「…………」

 

「今じゃなくてもいい」

 

「…………ううん」

 

 クイントが。

 

 顔を上げる。

 

「診て」

 

「いいのか?」

 

「うん」

 

 ラウル王国が。

 

 滅んだ日。

 

 友人の死を。

 

 知った日。

 

 本当なら。

 

 後日にしても。

 

 よかった。

 

 それでも。

 

 クイントは。

 

 知りたかった。

 

 ライベルトが。

 

 診察する。

 

「…………」

 

 しばらく。

 

 誰も。

 

 何も言わない。

 

「……クイント」

 

「うん」

 

「コウヤ」

 

「…………うん」

 

 ライベルトが。

 

 二人を見る。

 

「妊娠してる」

 

「…………」

 

 クイントが。

 

 瞬いた。

 

「…………ほんと?」

 

「ああ」

 

「…………」

 

 コウヤも。

 

 何も言えない。

 

 少し前なら。

 

 きっと。

 

 真っ先に喜んでいた。

 

 抱き締めて。

 

 何度も確認して。

 

 リリーとレアにはいつ言おうかと。

 

 そんな話を。

 

 すぐに始めていた。

 

 でも。

 

 今は。

 

「…………そっか」

 

 クイントが。

 

 自分の腹へ。

 

 そっと。

 

 手を置いた。

 

 涙が。

 

 まだ。

 

 頬に残っている。

 

「いるんだ」

 

「ああ」

 

「…………」

 

 悲しい。

 

 嬉しい。

 

 どちらか一つには。

 

 できなかった。

 

 今日。

 

 大切な人たちが。

 

 たくさん。

 

 死んだ。

 

 そして。

 

 今日。

 

 新しい命が。

 

 ここにいると分かった。

 

「コウヤ」

 

「うん」

 

「…………」

 

 クイントが。

 

 手を伸ばす。

 

 コウヤが。

 

 握る。

 

「いるって」

 

「うん」

 

「…………俺たちの?」

 

「そうだよ」

 

「…………そっか」

 

 コウヤが。

 

 少しだけ。

 

 笑った。

 

 泣きそうな。

 

 笑顔だった。

 

「そっか……」

 

 それ以上は。

 

 何も。

 

 言わなかった。

 

 今夜は。

 

 喜ぶだけの日には。

 

 できなかったから。

 

 それでも。

 

 二人は。

 

 手を離さなかった。

 

 外では。

 

 ラウル王国の最後の映像が。

 

 何度も。

 

 世界中へ流れていた。

 

 紫の雨の中。

 

 最後まで戦った。

 

 一人の王子が。

 

 星魅の巫女へ。

 

 確かに。

 

 一撃を届かせた映像が。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。