エマ   作:篠原えれの

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第五十二話『願い屋と神様』

 

 

 願い屋という存在がいる。

 

 どこかに店を構えているわけではない。

 

 会いたいと思って探したところで、会えるものでもない。

 

 願いを持つ者が。

 

 その願いに相応しい対価を支払う覚悟を持って、初めて召喚することのできる存在。

 

 ――トレシィ。

 

「……ったく。面倒くせえな」

 

 ゼウスは床に描かれた術式を見下ろし、吐き捨てるように言った。

 

 こんなものを使うことになるとは思っていなかった。

 

 世界を渡る程度なら、自分でできる。

 

 エマからノヴァへ。

 

 ノヴァから別の世界へ。

 

 普通の人間なら一生を費やしても辿り着けない場所へ、ゼウスならば行ける。

 

 だから。

 

 最初は自分で探した。

 

 だが、見つからなかった。

 

 十八年。

 

 SH.2010年から、既にそれだけの時間が経っている。

 

「未来にいるってだけじゃ、探しようがねえだろうが」

 

 アルテミス。

 

 未来へ飛ばされた。

 

 それだけは分かっている。

 

 だが、どの時代へ飛ばされたのかが分からない。

 

 十年後なのか。

 

 五十年後なのか。

 

 百年後なのか。

 

 それより遥か未来なのか。

 

 そして何より――。

 

 未来へ辿り着いたアルテミスが、生きている保証すらなかった。

 

「…………」

 

 ゼウスは目を閉じた。

 

 そして。

 

「――来い」

 

 術式へ力を流し込む。

 

「願い屋、トレシィ」

 

 光が走った。

 

 空間そのものが一瞬だけ歪む。

 

 何もなかったはずの場所へ、一つの影が落ちた。

 

「――はいはい。呼ばれて来ましたよっと」

 

 女だった。

 

 突然召喚されたというのに驚いた様子もない。

 

 むしろ面倒そうに髪を整えながら、トレシィは周囲を見渡した。

 

「それで、今回の――」

 

 ゼウスを見た。

 

「…………」

 

「あ?」

 

「…………あなたなの?」

 

「なんだその顔」

 

「別に」

 

「言いたいことあんなら言え」

 

「神様が願い屋を召喚するのねえ、って」

 

「神に願いがあっちゃ悪いか」

 

「悪くないわよ。むしろ大歓迎」

 

 トレシィは笑った。

 

「神様なら、いい対価を持ってそうだもの」

 

「最初からそれかよ」

 

「願い屋ですから」

 

 悪びれもしない。

 

 ゼウスは小さく鼻を鳴らした。

 

「で?」

 

 トレシィが問う。

 

「何を願うの?」

 

「人を探せ」

 

「人探し?」

 

「ああ」

 

「名前は?」

 

 少しだけ。

 

 ゼウスが黙った。

 

「――アルテミス」

 

 トレシィの目が細くなる。

 

「……未来へ消えた?」

 

「知ってんのか」

 

「そのくらいはね」

 

「なら話が早え」

 

 ゼウスは腕を組んだ。

 

「未来に飛ばされたところまでは俺様も分かってる。問題はその先だ」

 

「年代は?」

 

「不明」

 

「場所」

 

「不明」

 

「生死」

 

「…………不明」

 

「…………」

 

「なんだよ」

 

「あなた、それを人探しって言ってるの?」

 

「人探しだろ」

 

「手掛かりが『未来にいるかもしれない』しかないじゃない」

 

「だからお前を呼んだんだろうが」

 

「なるほどね」

 

 トレシィは顎へ指を当てた。

 

 未来。

 

 その一言で片付けるには、あまりにも広すぎる。

 

 けれど。

 

 不可能ではない。

 

「――いいわよ」

 

「あ?」

 

「探してあげる」

 

 ゼウスの表情が変わった。

 

「本当か?」

 

「願い屋を何だと思ってるの?」

 

「胡散臭い女」

 

「帰っていい?」

 

「悪かった」

 

「早いわね」

 

「俺様は時間を無駄にするのが嫌いなんだよ」

 

「はいはい」

 

 トレシィが笑う。

 

 そして。

 

 その笑みが少しだけ変わった。

 

「だったら――対価の話をしましょうか」

 

「何が欲しい」

 

「そうね」

 

 アルテミスを探す。

 

 未来のどこへ落ちたかも分からない存在を。

 

 時間を越えて追跡する。

 

 簡単な願いではない。

 

 ならば。

 

 簡単な対価では釣り合わない。

 

「…………」

 

 トレシィはしばらくゼウスを見ていた。

 

 やがて。

 

「決めた」

 

「言え」

 

「あなたの――エマへ行く権利」

 

「…………あ?」

 

「SH.2100年まで」

 

 ゼウスが眉を寄せた。

 

「今がSH.2028年だから……そうね。七十二年間」

 

「…………」

 

「七十二年間、あなたはエマへ来られない」

 

「それだけか?」

 

「――それだけ?」

 

 トレシィが呆れたように聞き返した。

 

「七十二年よ?」

 

「聞こえてる」

 

「ノヴァには行ける。他の世界にも行ける。あなたの世界移動能力そのものを奪うつもりはないわ」

 

「じゃあエマだけか」

 

「ええ」

 

「なら別に――」

 

「最後まで聞きなさい」

 

 珍しく強い声で遮られた。

 

 ゼウスが黙る。

 

「七十二年」

 

 トレシィが指を立てる。

 

「その間、エマで何が起きても来られない」

 

「…………」

 

「戦争が起きても」

 

「…………」

 

「あなたを必要とする人が現れても」

 

「…………」

 

「今は存在すら知らない、大切な誰かができても」

 

 ゼウスが僅かに眉を動かした。

 

「それでも来られない」

 

「……随分念押しするじゃねえか」

 

「対価だからよ」

 

 トレシィは笑わなかった。

 

「後から『そんなつもりじゃなかった』は通らない」

 

「分かってる」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

「SH.2100年までよ」

 

「しつけえな」

 

 ゼウスが鼻を鳴らした。

 

「俺様は元々、今のエマに大した未練なんざねえ」

 

「…………」

 

「それよりアルテミスだ」

 

 十八年間。

 

 手掛かりすらなかった。

 

 生きているのか。

 

 死んでいるのか。

 

 それくらいは知りたい。

 

「七十二年程度で分かるなら」

 

 ゼウスが手を差し出した。

 

「――安いもんだ」

 

「…………」

 

「持ってけ」

 

 トレシィは、その手を見た。

 

「後悔するかもしれないわよ」

 

「俺様が決めたことだ」

 

「そう」

 

 トレシィも手を伸ばす。

 

「なら――契約成立」

 

 二人の手が触れた瞬間。

 

 ゼウスの中から、何かが抜け落ちた。

 

 力そのものではない。

 

 もっと曖昧で。

 

 それでいて、確実なもの。

 

 世界へ繋がる無数の道。

 

 その中の一本だけが。

 

 閉ざされた。

 

「…………」

 

 ゼウスが目を細める。

 

「これで?」

 

「ええ」

 

 トレシィが頷く。

 

「SH.2100年まで、あなたはエマへ入れない」

 

「分かった」

 

「……本当に軽いわね、あなた」

 

「うるせえ」

 

 ゼウスはそう言って。

 

 ふと思い出したようにトレシィを見る。

 

「お前」

 

「なに?」

 

「ノヴァには来れんのか?」

 

「私が?」

 

「ああ」

 

「召喚されれば」

 

「そうじゃねえ」

 

 ゼウスが手を伸ばした。

 

 今度は契約ではない。

 

「アルテミスを探してる間、いちいち俺様がお前を召喚すんのも面倒だ」

 

「それはそうね」

 

「なら――やる」

 

「何を?」

 

 ゼウスの指先に光が集まった。

 

「道だ」

 

「…………?」

 

「エマとノヴァを繋ぐ道」

 

 トレシィが目を見開く。

 

「ちょっと待って。それって――」

 

「俺様が使ってる世界移動の一部だ」

 

「そんなもの、簡単に人へ渡していいの?」

 

「全部じゃねえ」

 

 光がトレシィへ触れる。

 

「エマとノヴァだけだ」

 

 トレシィの中へ。

 

 新しい感覚が流れ込んだ。

 

 場所ではない。

 

 距離でもない。

 

 二つの世界を隔てる境界。

 

 その向こう側が。

 

 突然、見えるようになった。

 

「…………すご」

 

 思わず。

 

 そんな言葉が漏れた。

 

「これで俺様がいなくてもノヴァには来れる」

 

「……ずいぶん気前がいいのね」

 

「仕事を頼んだんだ。途中経過くらい報告しろ」

 

「あら」

 

 トレシィが笑う。

 

「心配?」

 

「違えよ」

 

「アルテミスのこと」

 

「…………」

 

「心配なのね」

 

「うるせえ」

 

「はいはい」

 

 トレシィは楽しそうに笑った。

 

「分かった。何か分かったらノヴァへ行くわ」

 

「ああ」

 

「生きてるかどうかだけでも?」

 

「全部だ」

 

「全部?」

 

「どこにいる。いつにいる。何してる」

 

 そして。

 

 一瞬だけ。

 

 声が低くなる。

 

「……生きてるのか」

 

「…………」

 

「分かったこと全部、俺様に持ってこい」

 

 トレシィは。

 

 今度はからかわなかった。

 

「分かった」

 

 願い屋として。

 

 契約を交わした者として。

 

「必ず探してあげる」

 

 ◇

 

 こうして。

 

 願い屋トレシィの、長い人探しが始まった。

 

 SH.2028年。

 

 この時。

 

 二人とも知らない。

 

 アルテミスが辿り着いた先が。

 

 ゼウスが七十二年間、唯一立ち入ることのできなくなった世界――エマであることを。

 

 そして。

 

 トレシィ自身も知らない。

 

 アルテミスを探して未来へ進む旅の途中。

 

 自分自身をエマへ繋ぎ止めるための契約者を、探すことになることを。

 

 その男の名は。

 

 神崎十夜。

 

 まだ。

 

 この時代には――

 

 生まれてすらいなかった。

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