エマ   作:篠原えれの

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第五十四話『願い屋の縁』

 

 

 願いは叶った。

 

 未来へ消えたアルテミスを探してほしい。

 

 SH.2028年。

 

 ゼウスから受け取ったその願いに対する答えを、トレシィは既に持ち帰っている。

 

 アルテミスは生きている。

 

 SH.2070年代。

 

 地球。

 

 そこにいる。

 

 ゼウスへ伝えるべきことは伝えた。

 

 ならば。

 

 本来なら、これで終わりだった。

 

「…………」

 

 SH.2070年代。

 

 トレシィは再び地球へ戻っていた。

 

 ゼウスのためではない。

 

 アルテミスのためでもない。

 

 今度は――自分のためだった。

 

「困ったわねえ」

 

 人通りの少ない道を歩きながら、トレシィは自分の手を見る。

 

 指先が僅かに透けていた。

 

 向こう側の景色が見えるほどではない。

 

 ほんの一瞬。

 

 輪郭が揺らいだだけ。

 

 瞬きをすれば元に戻る。

 

 けれど。

 

 見間違いではない。

 

「やっぱり、無理をしすぎたかしら」

 

 何度も時間を越えた。

 

 未来へ進み。

 

 過去へ戻り。

 

 世界と世界の境界を渡った。

 

 ゼウスから与えられた力によって、エマとノヴァを行き来することもできるようになった。

 

 できることは増えた。

 

 それ自体は悪くない。

 

 問題は――。

 

「私自身が追いついてないのよね」

 

 願い屋は、願われることで現れる。

 

 誰かが願う。

 

 対価を支払う。

 

 その縁によって、願い屋はそこへ現れる。

 

 ところが今のトレシィは違う。

 

 召喚を待たず、自ら世界を渡っている。

 

 時間さえ越えている。

 

 あまりにも自由になりすぎた。

 

 どこへでも行けるということは。

 

 裏を返せば。

 

 どこにも属していないということだった。

 

「…………」

 

 また。

 

 指先が揺らぐ。

 

 今度は先ほどより長い。

 

「これは……さすがに放っておけないわね」

 

 死ぬ。

 

 そういうものではない。

 

 もっと曖昧だ。

 

 自分という存在が、この世界から少しずつ外れていく。

 

 どこにも繋がらないまま時間を渡り続ければ、いずれトレシィ自身がどの時代にも存在できなくなる。

 

 それでは願い屋として商売にならない。

 

「縁、か」

 

 トレシィは呟いた。

 

 自分を世界へ繋ぐもの。

 

 願い屋を呼び出すだけの一時的な縁ではない。

 

 もっと深いもの。

 

 こちら側へ自分を留めてくれる存在。

 

 ――契約者。

 

「必要みたいね」

 

 認めると、少しだけ面倒だった。

 

 誰でもいいわけではない。

 

 力が強ければいいわけでもない。

 

 魔力が多ければいいわけでもない。

 

 トレシィと契約し。

 

 願い屋という存在そのものを支えられる者。

 

 そんな相手を探す必要がある。

 

「まあ」

 

 トレシィは顔を上げる。

 

「未来まで来たんだもの」

 

 口元に笑みを浮かべた。

 

「ついでに探して帰りましょうか」

 

 ◇

 

 ところが。

 

 見つからなかった。

 

「違う」

 

 一人目。

 

「この人も違う」

 

 二人目。

 

「……惜しいけど、違うわね」

 

 三人目。

 

 強い人間ならいくらでもいた。

 

 珍しい能力を持つ者もいた。

 

 神や精霊との親和性が高い者もいる。

 

 けれど。

 

 違う。

 

 トレシィが求めているのは、そういうものではない。

 

「難しいものねえ」

 

 願いなら簡単なのに。

 

 何を望む。

 

 何を支払う。

 

 それを見ればいい。

 

 ところが縁というものは、値段を付けることができない。

 

 欲しいからといって買えるものでもない。

 

「私が対価を払う側になると、こんなに面倒なのね」

 

 少しだけ可笑しくなった。

 

 願い屋が。

 

 自分のために誰かを探している。

 

 随分と皮肉な話だ。

 

 そして。

 

 未来を進む。

 

 SH.2070年代。

 

 さらに先へ。

 

 時間を渡るたび、街並みは少しずつ変わっていった。

 

 技術も。

 

 人も。

 

 世界を取り巻く情勢も。

 

 その中で。

 

 時折、見覚えのある縁が視界へ入る。

 

「…………」

 

 アルテミスだった。

 

 最初に見つけた頃とは違う。

 

 一人ではない。

 

 誰かと話している。

 

 誰かと行動している。

 

 この時代に、少しずつ自分の居場所を作っていた。

 

「馴染んでるじゃない」

 

 トレシィは遠くから眺めるだけだった。

 

 もう依頼は終わっている。

 

 ゼウスに報告する義務もない。

 

 まして、アルテミスの人生へ介入する理由もない。

 

 だから声は掛けなかった。

 

 ただ。

 

 少し安心した。

 

 SH.2010年へ帰れない事情があるとしても。

 

 アルテミスは未来で孤独ではない。

 

「…………」

 

 トレシィは歩き出す。

 

 また未来へ。

 

 ◇

 

 それから、どれほどの時間を飛び越えただろう。

 

 ある時。

 

 トレシィは足を止めた。

 

「…………?」

 

 何かが違う。

 

 世界そのものではない。

 

 時間でもない。

 

 自分だ。

 

 胸へ手を当てる。

 

 今までとは違う感覚。

 

 何かに引かれている。

 

「……縁?」

 

 細い。

 

 今にも切れてしまいそうなほど細い。

 

 それでも確かに。

 

 自分へ繋がっている何かがある。

 

 トレシィは目を閉じた。

 

 辿る。

 

 しかし。

 

「…………あら」

 

 途中で途切れた。

 

 いや。

 

 違う。

 

 存在しない。

 

「まだ、いない?」

 

 トレシィが目を開ける。

 

 奇妙な感覚だった。

 

 縁はある。

 

 なのに。

 

 その縁の先にいるはずの相手が、この時代には存在していない。

 

 なら。

 

 答えは一つしかない。

 

「……まだ生まれてないのね」

 

 思わず笑った。

 

「随分、気の長い話だこと」

 

 未来へ行けばいい。

 

 それだけのこと。

 

 願い屋にとって時間は、絶対的な壁ではない。

 

 それに。

 

 急ぐ必要もない。

 

 自分はまだ消えてはいない。

 

 ただ。

 

 これで探すべき方向は分かった。

 

「待ってなさい」

 

 誰とも知れない未来の契約者へ向けて。

 

 トレシィは呟いた。

 

「あなたが誰なのか、見に行ってあげる」

 

 ◇

 

 さらに未来へ。

 

 その途中。

 

 再びアルテミスの縁が大きく動いた。

 

「…………」

 

 トレシィは足を止めた。

 

 今度は、以前とは比べものにならない。

 

 アルテミス一人の縁ではない。

 

 複数の人間。

 

 組織。

 

 そして。

 

 一人の男。

 

「……契約したのね」

 

 安藤。

 

 アルテミスが、この時代で選んだ契約者。

 

 トレシィは遠くから二人を見る。

 

「そう」

 

 少しだけ微笑んだ。

 

「あなたも見つけたんだ」

 

 不思議なものだ。

 

 過去へ帰ることのできない神が。

 

 未来で新しい縁を結んだ。

 

 それによって。

 

 アルテミスは、この時代により深く根を下ろしていく。

 

 仲間が増えた。

 

 やがて部隊を持った。

 

 そして――。

 

「…………」

 

 巨大な艦を見上げ。

 

 さすがのトレシィも少しだけ呆れた。

 

「自分の名前を付けたの?」

 

 戦艦《アルテミス》。

 

 神の名を冠した巨大な艦。

 

 アルテミスが未来で得た仲間たちと共に戦うためのもの。

 

「随分と大きな居場所を作ったものね」

 

 最初に見つけた時は。

 

 ただ一人。

 

 未来の地球を歩いていた。

 

 それが今では。

 

 自分の部隊まで持っている。

 

「ゼウスが見たら、何て言うかしら」

 

 少し考えて。

 

「……面倒だから教えなくていいわね」

 

 そもそも頼まれていない。

 

 それに、これも未来の情報だ。

 

 余計なことを過去へ持ち帰る必要はない。

 

 トレシィは再び歩き出そうとした。

 

 その時。

 

 空気が変わった。

 

「…………」

 

 足が止まる。

 

 空を見上げる。

 

 嫌な気配。

 

 一つではない。

 

「これは……」

 

 強大な力が近づいている。

 

 人ではない。

 

 もっと異質なもの。

 

 やがて。

 

 この時代の人々が、その二つを呼ぶ声を聞いた。

 

 ――獅子座。

 

 そして。

 

 ――灰かぶり。

 

「…………」

 

 トレシィは戦艦《アルテミス》を見る。

 

 警報が鳴り響く。

 

 人々が動き出す。

 

 そして。

 

 アルテミスもまた。

 

 戦いへ向かおうとしていた。

 

「SH.2087年」

 

 トレシィは静かに呟いた。

 

「なるほど」

 

 ここにも。

 

 まだ自分の契約者はいない。

 

 けれど。

 

 どうやら。

 

 ただ通り過ぎるには――。

 

「随分と物騒な時代みたいね」

 

 願い屋は空を見上げた。

 

 獅子座。

 

 灰かぶり――シンデレラ。

 

 そして。

 

 戦艦《アルテミス》。

 

 後に大きな戦いとして記録される出来事が。

 

 今。

 

 トレシィの目の前で始まろうとしていた。

 

 そのさらに先。

 

 まだ見えない未来には。

 

 一本の細い縁が続いている。

 

 願い屋トレシィを、この世界へ繋ぎ止める男。

 

 神崎十夜。

 

 その男と出会うまで。

 

 ――もう少し。

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