エマ   作:篠原えれの

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第五十七話 『次の王』

 

 

 生まれてから、まだ数日。

 

 エルサイア王宮には、これまでなかった小さな泣き声が響くようになった。

 

 その声が聞こえるたび。

 

 誰かが様子を見に来る。

 

 コウヤはもちろん。

 

 ギルも。

 

 何かと理由をつけては顔を覗かせていた。

 

 けれど今は。

 

 珍しく。

 

 部屋の中にはクイントとミリィしかいない。

 

「…………」

 

 ミリィは、揺り籠の中を覗き込んでいた。

 

 赤ん坊は眠っている。

 

 小さな胸が、ゆっくりと上下している。

 

 時々。

 

 握っていた手が開いて。

 

 また。

 

 何かを掴むように閉じる。

 

「よく寝てるね」

 

 クイントの声に。

 

 ミリィは微笑んだ。

 

「そうですね」

 

「さっきまで全然寝なかったのに」

 

「疲れたんでしょうか」

 

「赤ちゃんって何に疲れるんだろ」

 

「泣くのも大変なんじゃないですか?」

 

「そっか」

 

 クイントも。

 

 揺り籠を見る。

 

「じゃあ、ゆっくり寝てもらお」

 

「はい」

 

 ミリィは。

 

 もう一度。

 

 赤ん坊へ視線を戻した。

 

「…………」

 

 先ほどから。

 

 感じているものがある。

 

 最初は。

 

 まだ生まれたばかりだから。

 

 はっきりしないと思っていた。

 

 けれど。

 

 違った。

 

 見れば見るほど。

 

 確信へ変わっていく。

 

「クイント」

 

「何?」

 

「この子なんですけど」

 

「うん」

 

 ミリィは。

 

 眠っている赤ん坊を見ながら。

 

 ごく自然に。

 

 告げた。

 

「次の王になりますよ」

 

「…………」

 

 クイントが。

 

 一度。

 

 娘を見る。

 

 それから。

 

 ミリィを見る。

 

「この子が?」

 

「はい」

 

「私の次?」

 

「そうです」

 

「へえ……」

 

 驚いてはいる。

 

 けれど。

 

 疑ってはいなかった。

 

 どうして分かるのか。

 

 そんなことを。

 

 わざわざ尋ねる必要もない。

 

 ミリィなら。

 

 分かるのだろう。

 

 そういうものだと。

 

 クイントは。

 

 昔から知っている。

 

「そっかぁ」

 

 もう一度。

 

 娘を見る。

 

「この子が次の王か」

 

「はい」

 

「…………」

 

 言われても。

 

 全く。

 

 そうは見えない。

 

 当然だ。

 

 まだ。

 

 生まれたばかりなのだから。

 

「全然想像できない」

 

「今はそれでいいと思いますよ」

 

「だよね」

 

 クイントが。

 

 少し笑う。

 

「だって今、この子ができることって泣くか寝るかくらいだもん」

 

「それも大切なお仕事ですよ」

 

「飲むのもあるか」

 

「ありますね」

 

「じゃあ三つ」

 

「十分じゃないですか?」

 

「王様になるにはちょっと足りないね」

 

「これから増えていきますよ」

 

「そっか」

 

 クイントが笑う。

 

 ミリィも。

 

 穏やかに笑った。

 

 それくらい。

 

 自然な会話だった。

 

 ただ。

 

 しばらくして。

 

 クイントが。

 

 少しだけ考えるように。

 

 娘を見た。

 

「……次の王ってことは」

 

「はい」

 

「いつか私から、この子に王位が移るんだよね」

 

「そうなります」

 

「いつ頃?」

 

「そこまでは分かりません」

 

「そっか」

 

 クイントは。

 

 それ以上。

 

 追及しなかった。

 

 ミリィが分からないと言うなら。

 

 今は分からない。

 

 それだけだ。

 

「…………」

 

 ただ。

 

 クイントには。

 

 一つ。

 

 思うことがあった。

 

「私、十歳だったんだよね」

 

「王になった時ですか?」

 

「うん」

 

 十歳。

 

 今になって考えれば。

 

 幼い。

 

 あまりにも。

 

 幼かった。

 

「その時はさ」

 

 クイントは。

 

 娘を見ながら続ける。

 

「自分が王になるって言われても、よく分かってなかった」

 

「そうでしょうね」

 

「やらなきゃいけないからやってたって感じ」

 

 もちろん。

 

 嫌だったわけではない。

 

 投げ出したかったわけでもない。

 

 けれど。

 

 王という立場の重さを。

 

 十歳の自分が。

 

 本当の意味で理解していたかと聞かれれば。

 

 違う。

 

「だから」

 

 クイントは。

 

 揺り籠へ手を伸ばした。

 

 娘の小さな手へ。

 

 指先を触れさせる。

 

「この子には、ちゃんと教えてあげたいな」

 

「王になるためのことを?」

 

「それもあるけど」

 

 クイントは。

 

 少し考える。

 

「いろいろ」

 

「いろいろ、ですか?」

 

「うん」

 

 王になる方法だけを。

 

 教えたいわけではない。

 

「普通に遊んだり」

 

「はい」

 

「好きなもの見つけたり」

 

「はい」

 

「失敗したり」

 

「それも大切ですね」

 

「でしょ?」

 

「ええ」

 

「王になるからって、それだけになってほしくない」

 

 クイント自身が。

 

 十歳から王だったからこそ。

 

 そう思う。

 

「この子には、この子の人生があるし」

 

「そうですね」

 

「それで大きくなって」

 

 いつか。

 

 本当に。

 

 王位を渡す時が来たら。

 

「その時、ちゃんと渡してあげられたらいいな」

 

「…………」

 

 ミリィは。

 

 そんなクイントを見て。

 

 柔らかく微笑んだ。

 

「クイントなら、大丈夫ですよ」

 

「そう?」

 

「はい」

 

「まだ何にも考えてないよ?」

 

「今から全部考える必要はありません」

 

「それもそうか」

 

「この子は、まだ生まれたばかりですから」

 

「うん」

 

 まだ。

 

 王ではない。

 

 王になるために。

 

 何かをする必要もない。

 

 今は。

 

 ただ。

 

 生まれたばかりの娘。

 

 それだけでいい。

 

「ねえ、ミリィ」

 

「はい」

 

「コウヤにも言った方がいい?」

 

「それは、クイントが決めていいと思いますよ」

 

「うーん」

 

 クイントが。

 

 少し考える。

 

「まだいいかな」

 

「分かりました」

 

「今言ったら絶対いろいろ考え始めるもん」

 

「そうですね」

 

「ただでさえ今、この子のことで頭いっぱいなのに」

 

 ミリィが。

 

 小さく笑った。

 

「コウヤ、ずっと見ていますからね」

 

「そうなの」

 

「昨日もいましたね」

 

「夜中に目覚めたら隣で見てたよ」

 

「ずっとですか?」

 

「分かんない。でも私が起きたらいた」

 

「それは少し驚きますね」

 

「でしょ?」

 

「心配なんでしょうね」

 

「分かるけどさ」

 

 クイントも。

 

 娘を見る。

 

「私だって心配だし」

 

「はい」

 

「でも」

 

 少し笑った。

 

「コウヤには今、王様とかそういうこと考えないで、この子のお父さんしててほしいかな」

 

「いいと思います」

 

「でしょ?」

 

「はい」

 

「じゃあ、まだ内緒」

 

「分かりました」

 

 ミリィは。

 

 それ以上。

 

 何も言わなかった。

 

 ◇◇◇

 

 それから少しして。

 

 扉が。

 

 静かに叩かれた。

 

「クイント?」

 

「起きてるよ」

 

「入っていい?」

 

「いいよ」

 

 扉が開く。

 

 コウヤだった。

 

「どう?」

 

「何が?」

 

「身体」

 

「ああ。だいぶ楽」

 

「ほんと?」

 

「ほんと」

 

「ならよかった」

 

 コウヤは。

 

 それでも。

 

 クイントの顔を。

 

 少しだけ確認するように見る。

 

「無理してない?」

 

「してないって」

 

「何か欲しいものある?」

 

「今は大丈夫」

 

「水は?」

 

「ある」

 

「食べれそう?」

 

「あとで」

 

「分かった」

 

「…………」

 

 クイントが。

 

 笑う。

 

「何?」

 

「いや」

 

「…………?」

 

「ほんと心配性だなって」

 

「仕方ないだろ」

 

「まあね」

 

 そして。

 

 コウヤの視線が。

 

 自然と。

 

 揺り籠へ向かう。

 

「寝てる?」

 

「寝てるよ」

 

「…………」

 

 そっと。

 

 覗き込む。

 

「よく寝てるな」

 

「さっきまで全然寝なかったんだけどね」

 

「泣いてた?」

 

「ちょっと」

 

「大丈夫だった?」

 

「大丈夫」

 

「そっか」

 

 安心したように。

 

 コウヤが笑う。

 

 ミリィは。

 

 そんな二人を見ていた。

 

「…………」

 

 次の王。

 

 それを。

 

 今。

 

 コウヤは知らない。

 

 自分が見ている。

 

 この小さな娘が。

 

 いつか。

 

 エルサイアの玉座に座ることを。

 

「抱いていい?」

 

「起こさないようにね」

 

「分かってる」

 

 慎重に。

 

 コウヤが。

 

 娘を抱き上げる。

 

「…………」

 

「どう?」

 

「寝てる」

 

「よかったね」

 

「うん」

 

 その声まで。

 

 いつもより。

 

 小さい。

 

 クイントが。

 

 その様子を見ながら笑っている。

 

 ミリィも。

 

 自然と笑った。

 

 今は。

 

 これでいい。

 

 未来の国王ではなく。

 

 ただ。

 

 二人の娘として。

 

 愛されていればいい。

 

「…………」

 

 ただ。

 

 ミリィは。

 

 もう一度。

 

 小さな赤ん坊を見る。

 

 間違いない。

 

 この子が。

 

 クイントの次の。

 

 エルサイア国王。

 

 そのことは。

 

 はっきりと分かる。

 

 けれど。

 

 分からないことが。

 

 一つだけあった。

 

 ――いつ。

 

 クイントから。

 

 この子へ。

 

 王位が渡るのか。

 

 何十年も先なのかもしれない。

 

 クイントが。

 

 自ら退位して。

 

 娘へ託すのかもしれない。

 

 それなら。

 

 何も問題はない。

 

 けれど。

 

「…………」

 

「ミリィ?」

 

 クイントに呼ばれ。

 

 ミリィは顔を上げた。

 

「はい?」

 

「どうしたの?」

 

「いえ」

 

 ミリィは。

 

 いつものように。

 

 穏やかに笑った。

 

「何でもありませんよ」

 

 分からない未来を。

 

 今。

 

 心配する必要はない。

 

 ただ。

 

 クイントの次に。

 

 この子が王になる。

 

 それだけ。

 

 それだけのことなのに。

 

 何故か。

 

 ほんの少しだけ。

 

 胸の奥に。

 

 引っかかるものがあった。

 

 それでも。

 

 今はまだ。

 

 誰も知らない。

 

 クイントが。

 

 娘へ王位を譲る日は。

 

 彼女たちが思っているよりも。

 

 ずっと。

 

 早く訪れることを。

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