エマ   作:篠原えれの

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第六十話『何でもない幸せな日』

 

 

 レオナが生まれてから。

 

 王宮は、以前より少しだけ賑やかになった。

 

 第三王女の誕生。

 

 祝いの品や手紙は連日のように届き、王宮を訪れる者も増えている。

 

 けれど。

 

 王宮の奥――クイントたち家族が暮らす場所まで来れば、そんな喧騒も遠かった。

 

 今日も聞こえてくるのは。

 

 いつもと変わらない。

 

 家族の声だった。

 

     ◇◇◇

 

「お母様」

 

「ん?」

 

「レオナは、いつ頃から私たちのことが分かるようになるのでしょうか」

 

 揺り籠の傍。

 

 レアが眠っている妹を覗き込みながら尋ねる。

 

「もう声くらいは分かってるんじゃないかな」

 

「本当ですか?」

 

「たぶんね」

 

「でしたら、たくさん話しかけた方がよいのでしょうか」

 

「いいんじゃない?」

 

 答えたのはクイントではなかった。

 

 揺り籠の反対側から。

 

 コウヤが顔を出す。

 

「いっぱい喋ってやったら?」

 

「お父様」

 

「ん?」

 

「近いです」

 

「何が?」

 

「お顔です」

 

「俺の?」

 

「はい」

 

 レアは至って真面目だった。

 

「その距離では、レオナが起きてしまいます」

 

「寝てるから大丈夫だって」

 

「大丈夫ではありません」

 

「俺、父親なんだけど」

 

「存じています」

 

「じゃあ、ちょっとくらい――」

 

 コウヤが。

 

 レオナの頬へ。

 

 そっと指を伸ばす。

 

「お父様」

 

「……はい」

 

「今、触ろうとなさいましたね?」

 

「ちょっとだけ」

 

「おやめください」

 

「厳しくない?」

 

 横から。

 

 くすくすと笑う声。

 

 リリーだった。

 

「お父さん、怒られてる」

 

「リリー」

 

「なに?」

 

「お前もさっき触ってただろ」

 

「私はいいの」

 

「何で?」

 

「お姉ちゃんだから」

 

「俺は父親だぞ!?」

 

「お父様」

 

「はい」

 

「声が大きいです」

 

「…………はい」

 

 クイントが。

 

 とうとう吹き出した。

 

「コウヤ、レアに弱いね」

 

「俺が弱いんじゃなくてレアが強いんだよ」

 

「私は普通にお願いしているだけですが」

 

「ほら。こういうところクイントに似てる」

 

「私?」

 

「絶対そう」

 

「コウヤじゃない?」

 

「俺じゃないって」

 

「お父様、お母様」

 

 二人が揃ってレアを見る。

 

「私を挟んで言い争わないでください」

 

「喧嘩じゃないよ」

 

「そうそう」

 

「でしたら」

 

 レアは少し考えて。

 

「仲良くしてください」

 

「はい」

 

「分かった」

 

「二人とも怒られてる!」

 

 リリーが笑う。

 

「お姉様もです」

 

「えっ」

 

「先ほどから声が大きいです」

 

「私も!?」

 

 そして。

 

「ふぇ……」

 

「…………」

 

 全員が止まった。

 

 揺り籠から。

 

 小さな声。

 

「ふぇぇ……」

 

「あ」

 

 リリーが呟く。

 

「起きた」

 

「お父様が大きな声を出すからです」

 

「俺!?」

 

「コウヤだね」

 

「クイントまで!?」

 

「ふぇぇぇぇ……!」

 

「ほら」

 

「分かったって!」

 

 コウヤが慌ててレオナを抱き上げる。

 

「はいはい。ごめんなー」

 

 首を支え。

 

 身体を抱き寄せ。

 

 ゆっくり揺らす。

 

「お父様」

 

「首だろ? 大丈夫」

 

「……はい」

 

「俺、これでも三人の父親なんだけどなあ」

 

「もちろん信用しています」

 

「ほんと?」

 

「はい」

 

 少し。

 

 間を置いて。

 

「ですが、念のためです」

 

「やっぱり信用されてない!」

 

 クイントが。

 

 また笑った。

 

     ◇◇◇

 

 しばらくして。

 

 レオナが落ち着いた頃。

 

 扉が開いた。

 

「失礼する」

 

「あ」

 

 コウヤが振り返る。

 

「父さん」

 

「お祖父様!」

 

 リリーが真っ先に駆け寄る。

 

「走るな」

 

「大丈夫だって」

 

「転んでからでは遅い」

 

「はーい」

 

 返事だけはいい。

 

 少し遅れて。

 

 レアもギルの傍へ向かう。

 

 ここには家族しかいない。

 

 だから。

 

「お祖父様、お疲れ様です」

 

「ああ」

 

「本日のご公務は、もう終わられたのですか?」

 

「一段落した」

 

「そうですか」

 

 ギルが。

 

 レアを見る。

 

「何をしていた」

 

「レオナを見ていました」

 

「見てただけ?」

 

 横から。

 

 すぐコウヤが口を挟んだ。

 

「お父様」

 

「何?」

 

「余計なことを言わなくて結構です」

 

「だって抱きたいって言ってただろ」

 

「それは……」

 

「なら抱けばいい」

 

 ギルが言う。

 

「…………」

 

 レアの表情が。

 

 ほんの少し明るくなる。

 

「よろしいのですか?」

 

「私に聞くことではないだろう」

 

「父さんじゃなくて俺な」

 

「…………」

 

「あれ?」

 

「お前が余計なことを言うからだ」

 

「何で俺が怒られるんだよ」

 

 クイントが笑う。

 

「レア、座って」

 

「はい」

 

 レアがソファへ腰を下ろす。

 

 コウヤが慎重にレオナを預ける。

 

「ここ支えて」

 

「分かっています」

 

「で、頭――」

 

「お父様」

 

「はい」

 

「先ほども伺いました」

 

「…………はい」

 

 そして。

 

 レアがレオナを抱く。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「レア?」

 

「聞こえています」

 

「固まってるぞ」

 

「固まっていません」

 

「めちゃくちゃ緊張してるじゃん」

 

「していません」

 

「父さんと同じこと言ってる」

 

「何?」

 

 ギルが。

 

 コウヤを見る。

 

「父さんもレオナ抱くと固まるだろ」

 

「固まらん」

 

「固まるって」

 

「お祖父様もですか?」

 

「レア」

 

「はい?」

 

「コウヤの言うことを真に受けるな」

 

「父さん!?」

 

「日頃の行いだ」

 

「ひどくない?」

 

「私はお父さんが悪いと思う」

 

 リリー。

 

「私も」

 

 クイント。

 

「全員敵なんだけど」

 

 コウヤがそう言えば。

 

 また。

 

 笑い声が広がった。

 

     ◇◇◇

 

 昼を過ぎた頃。

 

 今度は少し珍しい顔ぶれが揃った。

 

「失礼いたします」

 

 最初に入ってきたのは。

 

 キリナだった。

 

 その後ろから。

 

 ライベルト。

 

 そして。

 

「随分と賑やかだな」

 

 最後に。

 

 ミカエルが入ってくる。

 

「ミカエル!」

 

「…………」

 

 コウヤを見るなり。

 

 ミカエルの目が細くなる。

 

「何だ」

 

「何その顔」

 

「お前が嬉しそうに私を呼ぶ時は、大抵ろくでもない」

 

「失礼だな」

 

「経験則だ」

 

「キリナ、聞いた?」

 

「はい。聞いていましたよ」

 

「ひどくない?」

 

 キリナが。

 

 少し困ったように笑う。

 

「ですが……私も少し、ミカエル様のお気持ちは分かります」

 

「キリナまで!?」

 

「申し訳ありません」

 

「謝られると余計つらい!」

 

「ふふ」

 

「笑ってるじゃん!」

 

「いえ、その……すみません」

 

「また謝った!」

 

 その横。

 

 ライベルトは。

 

 クイントへ挨拶を済ませると。

 

 ふと。

 

 レアの腕の中にいるレオナへ目を向けた。

 

「…………」

 

「少佐」

 

「何だ?」

 

「めっちゃ見てる」

 

「見てないぜ」

 

「いや見てるって」

 

「第三王女の様子を確認してるだけだな」

 

「抱く?」

 

「断る」

 

「早っ」

 

「怖いからな」

 

「もっと早かった!」

 

 ライベルトは真顔だった。

 

「こんなに小さいんだぞ。何かあったらどうする」

 

「赤ちゃんだからな」

 

「分かってるなら簡単に渡そうとするな」

 

「少佐、赤ちゃん苦手?」

 

「苦手じゃないぜ」

 

「じゃあ抱く?」

 

「断る」

 

「苦手じゃん!」

 

「コウヤ」

 

「何?」

 

「お前、さっきから何で私に抱かせたがるんだ?」

 

「見たいから」

 

「それだけか?」

 

「うん」

 

「なら諦めろ」

 

「えー」

 

「いい大人が駄々こねるなよ」

 

「少佐冷たい!」

 

「知らん」

 

 そんな二人を見て。

 

 ミカエルが。

 

 小さく息を吐く。

 

「コウヤ。ライベルトをからかうな」

 

「じゃあミカエル抱く?」

 

「何故そうなる」

 

「嫌なの?」

 

「そうは言っていない」

 

「じゃあ決まり」

 

「待て」

 

「レア」

 

「はい」

 

「レオナちょうだい」

 

「お父様」

 

「大丈夫だって」

 

 レアから。

 

 コウヤがレオナを受け取る。

 

 そして。

 

「はい、ミカエル」

 

「おい」

 

「首支えてな」

 

「コウヤ」

 

「何?」

 

「私はお前より長く生きている」

 

「赤ちゃん抱くのに年齢関係ある?」

 

「…………」

 

「ほら」

 

「何が『ほら』だ」

 

 文句を言いながらも。

 

 ミカエルは。

 

 きちんとレオナを受け取った。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「ミカエル」

 

「何だ」

 

「固い」

 

「黙れ」

 

「父さんと一緒じゃん!」

 

「一緒にするな」

 

「いや全く同じ――」

 

「コウヤ」

 

 ギル。

 

 そして。

 

 ミカエル。

 

 二人から。

 

 ほぼ同時に名前を呼ばれた。

 

「…………はい」

 

「コウヤ様」

 

 キリナが。

 

 少し笑いながら声をかける。

 

「何?」

 

「今日は随分と皆様に怒られていますね」

 

「キリナ助けて」

 

「それは……」

 

「うん」

 

「ご自分で何とかしていただけますか?」

 

「丁寧に見捨てられた!」

 

「申し訳ありません」

 

「だから謝らないで!」

 

 キリナが。

 

 また笑う。

 

     ◇◇◇

 

「…………」

 

 それから。

 

 しばらくして。

 

 ギルが。

 

 ミカエルを見る。

 

「ミカエル」

 

「何だ」

 

「いつまで抱いている」

 

「…………」

 

 ミカエルが。

 

 自分の腕を見る。

 

 レオナは。

 

 いつの間にか。

 

 すっかり眠っていた。

 

「ミカエル」

 

 コウヤが。

 

 また。

 

 にやにやし始める。

 

「何だ」

 

「気に入った?」

 

「違う」

 

「でも返さないじゃん」

 

「起こす必要がないからだ」

 

「可愛い?」

 

「…………」

 

「ミカエル?」

 

「コウヤ」

 

「はい」

 

「少し黙れ」

 

「はい」

 

「ですが」

 

 キリナが。

 

 そっと。

 

 ミカエルの腕の中を覗き込む。

 

「とてもお似合いですよ」

 

「何がだ」

 

「レオナ様を抱いていらっしゃる姿が」

 

「意味が分からん」

 

「そうでしょうか?」

 

「そうだ」

 

「私は素敵だと思いますけれど」

 

「…………」

 

「ミカエル照れてる?」

 

「コウヤ」

 

「はい」

 

「黙れと言ったはずだ」

 

「はい」

 

 今度こそ。

 

 コウヤが口を閉じる。

 

 その横で。

 

 ライベルトが笑った。

 

「珍しく素直だな」

 

「少佐まで!」

 

「黙るんじゃなかったのか?」

 

「…………」

 

「ほら」

 

「ずるい!」

 

「知らんぜ」

 

 ライベルトが。

 

 肩をすくめる。

 

「少佐」

 

「今度は何だ?」

 

「やっぱり抱きたい?」

 

「断る」

 

「まだ聞いただけなのに!」

 

「どうせ同じ質問だろ」

 

「バレた」

 

「諦めろって」

 

 そこへ。

 

 リリーがやって来る。

 

「ライベルト少佐」

 

「ん?」

 

「私が赤ちゃんの時は抱いた?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「覚えてないな」

 

「今、間あった!」

 

「なかったぜ」

 

「あったよ!」

 

「気のせいだ」

 

「お父さん! 少佐が嘘ついた!」

 

「少佐、嘘はよくないな」

 

「お前まで乗るなよ」

 

「でも絶対抱いてるだろ」

 

「さあな」

 

「キリナは?」

 

 リリーが。

 

 今度はキリナを見る。

 

「私ですか?」

 

「私が赤ちゃんの時、抱いた?」

 

「ええ」

 

 キリナは。

 

 あっさり頷いた。

 

「とても可愛らしかったですよ」

 

「ほんと!?」

 

「はい」

 

「やった!」

 

「…………」

 

 リリーが。

 

 勝ち誇ったようにライベルトを見る。

 

「何だ、その顔は」

 

「少佐は覚えてないって」

 

「だから何だ」

 

「キリナは覚えてる」

 

「そうだな」

 

「少佐は?」

 

「覚えてないぜ」

 

「絶対嘘!」

 

「しつこいな!」

 

 また。

 

 笑い声。

 

 部屋いっぱいに。

 

 広がった。

 

     ◇◇◇

 

 午後。

 

 ミリィも。

 

 レオナの顔を見にやって来た。

 

「こんにちは」

 

「ミリィ」

 

 クイントが。

 

 嬉しそうに迎える。

 

「ちょうど起きたところだよ」

 

「本当?」

 

「うん」

 

 ミリィが。

 

 そっと近づく。

 

「こんにちは、レオナ様」

 

「…………」

 

 レオナの。

 

 小さな目が。

 

 ミリィを見る。

 

「今日も元気そうですね」

 

「朝は結構泣いたけどね」

 

「お父さんが起こした」

 

 リリーが。

 

 即座に告げ口する。

 

「違うって!」

 

「お父様の声が大きかったからです」

 

 レアまで加わる。

 

「レア!?」

 

「事実です」

 

「クイント!」

 

「コウヤだと思う」

 

「キリナ!」

 

「申し訳ありませんが……私もコウヤ様だと思います」

 

「少佐!」

 

「私に聞くなよ。知らんぜ」

 

「ミカエル!」

 

「私に振るな」

 

「父さん!」

 

「諦めろ」

 

「全滅した!」

 

 ミリィが。

 

 くすくす笑う。

 

「賑やかですね」

 

「毎日こんな感じ」

 

 クイントが答える。

 

「いいですね」

 

「そう?」

 

「はい」

 

 ミリィは。

 

 もう一度。

 

 レオナを見る。

 

 以前。

 

 すでに。

 

 クイントには話している。

 

 この子が。

 

 いつか。

 

 エルサイアの次代の王になることを。

 

 だから。

 

 今日は未来を告げに来たわけではない。

 

 ただ。

 

 小さな王女の顔を見に来ただけだった。

 

「元気に育ってくださいね」

 

 ミリィが。

 

 優しく笑う。

 

「レオナ様が次の王になられますからね」

 

「うん」

 

 クイントも。

 

 穏やかに答える。

 

 それだけ。

 

 もう。

 

 二人の間では。

 

 知っている話だった。

 

「でも」

 

 コウヤが。

 

 横からレオナを見る。

 

「まだずっと先だろ?」

 

「はい」

 

「なら」

 

 コウヤが。

 

 レオナの小さな頭を。

 

 そっと撫でる。

 

「それまでは普通に育てような」

 

「お父様」

 

「ん?」

 

「普通とは何でしょうか」

 

「え?」

 

「王族として必要な教育は――」

 

「レア」

 

「はい?」

 

「お前もまだ子供だからな?」

 

「存じています」

 

「ちゃんと遊んでる?」

 

「はい」

 

「何して?」

 

「読書を」

 

「…………」

 

「それから剣術を」

 

「…………」

 

「礼法と――」

 

「クイント」

 

「うん」

 

「レアもうちょっと遊ばせよう」

 

「私も今そう思った」

 

「お父様、お母様」

 

 レアが。

 

 少し不満そうに。

 

 二人を見る。

 

「私は毎日楽しく過ごしています」

 

「ほんと?」

 

「はい」

 

「では」

 

 キリナが。

 

 柔らかく微笑む。

 

「今日は皆様で遊ばれてはいかがですか?」

 

「キリナ」

 

「はい?」

 

「いいこと言う」

 

「ありがとうございます」

 

「何する?」

 

 コウヤが聞く。

 

「追いかけっこ!」

 

 リリーが。

 

 即答する。

 

「よし」

 

「待て」

 

 ギルだった。

 

「何?」

 

「王宮内を走るな」

 

「庭!」

 

「庭なら構わん」

 

「やった!」

 

 リリーが。

 

 そのまま。

 

 扉へ向かおうとする。

 

「お姉様」

 

「なに?」

 

「まだお祖父様がお話しされています」

 

「…………」

 

「…………」

 

「ごめんなさい」

 

「よろしい」

 

「レアってたまにお姉ちゃんみたいだな」

 

 コウヤが笑う。

 

「私がお姉様です!」

 

「分かってるって!」

 

     ◇◇◇

 

 庭へ向かう途中。

 

 王宮の廊下には。

 

 騎士や侍従。

 

 何人もの臣下が行き交っていた。

 

 ギルが。

 

 少し先を歩いている。

 

「聖騎士様」

 

 レアが呼んだ。

 

 ギルが。

 

 振り返る。

 

「何だ」

 

「先ほど仰っていた場所まででしたら、走っても構わないのでしょうか」

 

「ああ」

 

「ありがとうございます」

 

 家族しかいない場所では。

 

 お祖父様。

 

 けれど。

 

 ここでは。

 

 聖騎士様。

 

 レアは。

 

 幼いながらに。

 

 それをきちんと分けていた。

 

「…………」

 

 ギルが。

 

 少しだけ。

 

 レアを見る。

 

「どうかなさいましたか?」

 

「いや」

 

 ほんの僅かに。

 

 表情が緩む。

 

「何でもない」

 

「そうですか」

 

「ああ」

 

「レア!」

 

 庭の方から。

 

 リリーの声。

 

「早く!」

 

「お姉様! まだ廊下です!」

 

「もうすぐ庭だよ!」

 

「もうすぐと、庭に着いたは違います!」

 

「細かい!」

 

「細かくありません!」

 

 そして。

 

 ようやく。

 

 庭へ出た瞬間。

 

「着いた!」

 

 リリーが走り出す。

 

「待ってください!」

 

 レアも。

 

 追いかける。

 

「…………」

 

 ギルが。

 

 その後ろ姿を見送る。

 

「父さん」

 

 コウヤが。

 

 横へ来る。

 

「何だ」

 

「嬉しそう」

 

「何がだ」

 

「レア」

 

「…………」

 

「公の場じゃちゃんと聖騎士様なんだな」

 

「ああ」

 

「寂しい?」

 

「何故だ」

 

「お祖父様って呼ばれないから」

 

「本人が考えてしていることだ」

 

「うん」

 

「なら、それでいい」

 

「…………」

 

 コウヤが。

 

 少し笑った。

 

「父さんらしいな」

 

「何がだ」

 

「何でもない」

 

「お父さん遅い!」

 

 庭から。

 

 リリーの声。

 

「ほら」

 

「今行く!」

 

「お父様!」

 

 今度は。

 

 レア。

 

「本気で追いかけてはいけませんよ!」

 

「分かってるって!」

 

「前回もそう仰っていました!」

 

「信用ないな俺!?」

 

 コウヤが。

 

 二人を追って。

 

 庭へ駆けていく。

 

「…………」

 

 ギルは。

 

 そんな息子と孫たちを。

 

 静かに見送った。

 

     ◇◇◇

 

「お父様!」

 

「待てって!」

 

「待ちません!」

 

「お姉様、こちらです!」

 

「レアそっち!?」

 

「二人がかりはずるいだろ!」

 

「私たちは子供です!」

 

「そういう時だけ子供使うなよ!」

 

 庭を。

 

 リリーとレアが。

 

 走っている。

 

 その後ろを。

 

 コウヤが追う。

 

「コウヤ様」

 

 少し離れた場所。

 

 キリナが。

 

 声をかける。

 

「何!?」

 

「本気になってはいけませんよ」

 

「なってないって!」

 

「どう見ても本気だな」

 

 ライベルトが。

 

 呆れたように言う。

 

「少佐!」

 

「子供二人相手に大人げないぜ」

 

「二人が速いんだよ!」

 

「言い訳するな」

 

 ミカエルまで。

 

 淡々と言う。

 

「ミカエル!」

 

「私は事実を言っただけだ」

 

「全員敵だ!」

 

 クイントが。

 

 レオナを抱きながら笑っている。

 

 ミリィも。

 

 キリナも。

 

 楽しそうに。

 

 その光景を見ている。

 

 そして。

 

 ギルも。

 

 少し離れた場所に立っていた。

 

「…………」

 

 何でもない。

 

 本当に。

 

 何でもない。

 

 午後だった。

 

     ◇◇◇

 

 夕方。

 

 部屋へ戻った頃には。

 

 リリーは満足そうで。

 

 レアの髪も。

 

 少し乱れていた。

 

「レア」

 

「はい?」

 

「楽しかった?」

 

 コウヤが聞く。

 

「…………」

 

 レアは。

 

 少しだけ。

 

 照れたように。

 

「はい」

 

「そっか」

 

「とても楽しかったです」

 

「よかった」

 

「ですが」

 

「何?」

 

「お父様」

 

「うん」

 

「大人げありません」

 

「何で!?」

 

「最後、本気で追いかけてきました」

 

「二人がかりだっただろ!」

 

「だから子供相手に本気になるなって言っただろ」

 

 ライベルトが。

 

 呆れたように笑う。

 

「少佐まで!」

 

「私は見てて面白かったぜ」

 

「ほら!」

 

「面白かっただけだ。お前の味方とは言ってない」

 

「少佐!」

 

「ふふ」

 

 キリナが。

 

 口元を押さえて笑う。

 

「コウヤ様、とても楽しそうでしたよ」

 

「キリナは味方?」

 

「それとこれとは別のお話ですね」

 

「また丁寧に見捨てられた!」

 

「申し訳ありません」

 

「謝らないでって!」

 

 ミリィも。

 

 クイントも。

 

 笑っている。

 

 ミカエルも。

 

 呆れたような顔をして。

 

 そこにいる。

 

 ギルも。

 

 リリーも。

 

 レアも。

 

 レオナも。

 

「…………」

 

 コウヤは。

 

 ふと。

 

 周りを見た。

 

「コウヤ?」

 

 クイントが。

 

 気づく。

 

「どうしたの?」

 

「いや」

 

「?」

 

「…………」

 

 コウヤは。

 

 笑った。

 

「平和だなって」

 

「何それ」

 

「そのまま」

 

「急にどうしたの」

 

「別に」

 

 クイント。

 

 リリー。

 

 レア。

 

 レオナ。

 

 父さん。

 

 ミカエル。

 

 キリナ。

 

 ライベルト。

 

 ミリィ。

 

 みんな。

 

 いる。

 

「俺さ」

 

「ん?」

 

「もう欲しいものないわ」

 

「…………」

 

「今のままでいい」

 

 昔。

 

 聖騎士になりたいと。

 

 夢見たこともある。

 

 父親のように。

 

 強くなりたいと。

 

 思った。

 

 誰かを。

 

 守れる人間になりたいと。

 

 願った。

 

 でも。

 

 今は。

 

 それより。

 

 ずっと。

 

 大切なものがある。

 

「守れたら」

 

 コウヤが。

 

 ぽつりと言う。

 

「これ、全部守れたら。それでいい」

 

「…………」

 

 クイントが。

 

 少しだけ笑った。

 

「じゃあ、よろしくね」

 

「任せろ」

 

「私も守るけど」

 

「そこは俺に格好つけさせろよ」

 

「やだ」

 

「クイント!」

 

 また。

 

 笑い声が。

 

 広がった。

 

 何でもない。

 

 幸せな。

 

 一日だった。

 

     ◇◇◇

 

 夜。

 

「疲れた……」

 

 コウヤが。

 

 ベッドへ倒れ込む。

 

「自業自得」

 

「クイントまでそれ言う?」

 

「だって本気で走るから」

 

「本気じゃないって」

 

「レアに大人げないって言われてたよ」

 

「あれはリリーが煽るから」

 

「子供に煽られないでよ」

 

「無理」

 

「もう」

 

 クイントが。

 

 笑う。

 

「でも」

 

「ん?」

 

「楽しかったね」

 

「うん」

 

「リリーも」

 

「いつも通り元気だった」

 

「レアも」

 

「珍しく髪ぐちゃぐちゃだったな」

 

「楽しそうだった」

 

「うん」

 

「レオナはほとんど寝てたけど」

 

「まだ赤ちゃんだからね」

 

「そのうち」

 

「ん?」

 

「三人で走り回るようになるんだろうな」

 

「まだ先だよ」

 

「すぐだって」

 

「そうかな」

 

「そうだよ」

 

「…………」

 

 コウヤは。

 

 目を閉じる。

 

 その頃には。

 

 リリーも。

 

 レアも。

 

 もっと大きくなっている。

 

 レオナも。

 

 歩いて。

 

 喋って。

 

 笑って。

 

 自分たちを。

 

 困らせるようになる。

 

「楽しみだな」

 

「うん」

 

「おやすみ、クイント」

 

「おやすみ」

 

 そして。

 

 その夜。

 

 コウヤは。

 

 夢を見なかった。

 

 あの暗闇も。

 

 あの女の声も。

 

 何もない。

 

 ただ。

 

 眠った。

 

 次の日も。

 

 何もなかった。

 

 その次の日も。

 

 夢はない。

 

 三日。

 

 五日。

 

 一週間。

 

 何も。

 

 起こらない。

 

 ミカエルも。

 

 警戒を解いたわけではなかった。

 

 だが。

 

 コウヤの精神に。

 

 異常は見つからない。

 

 夢もない。

 

 干渉の痕跡もない。

 

 だから。

 

 コウヤも。

 

 少しずつ。

 

 思い始めていた。

 

 もう。

 

 終わったのかもしれない。

 

 けれど。

 

 星魅の巫女は。

 

 消えたわけではなかった。

 

 ただ。

 

 待っていた。

 

 あの日。

 

 コウヤ自身が。

 

 教えてくれたから。

 

 誰を愛しているのか。

 

 何を失いたくないのか。

 

 何を守りたいのか。

 

 ――これ、全部守れたら。それでいい。

 

 もう。

 

 夢の中で。

 

 根掘り葉掘り。

 

 尋ねる必要などなかった。

 

 彼女はもう。

 

 全部。

 

 知っている。

 

 だから。

 

 あとは。

 

 その中から。

 

 最も壊れやすい場所を。

 

 選べばいい。

 

 そして。

 

 コウヤ自身の手で。

 

 壊させればいい。

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