その日の王宮は、驚くほど平和だった。
軍を動かすような事件もなければ、緊急の報告もない。久しぶりに訓練へ時間を割ける程度には穏やかな午後だった。
「ライベルト」
「ん?」
訓練場へ向かう途中、ミカエルに呼び止められてライベルトは足を止めた。
「今日の模擬戦についてだ。対戦相手が決まった」
「ああ。誰だ?」
「ギルだ」
「…………」
ライベルトの足がぴたりと止まった。
数秒の沈黙。
それから、露骨に眉を寄せる。
「嫌だな」
「即答だな」
「だってギルだろ? 嫌だぜ」
「勝てないと思っているのか?」
「そういう話じゃない」
ライベルトは腰に差した大太刀へ手を置きながら、深々とため息をついた。
「近づかれたら終わる」
「大太刀を使うお前が言うのか」
「だから嫌なんだよ。私だって接近戦には自信あるけどな。あいつ相手に近距離で付き合うほど馬鹿じゃないぜ」
大太刀の長い間合いはライベルトにとって大きな武器だ。踏み込もうとする相手を斬撃で牽制し、そこへテレポートやサイコキネシスを組み合わせれば、並の相手なら近づくことすら難しい。
だが、ギルは違う。
「私が刀を振れる距離ならまだいい。問題は、その内側まで入られた時だ。一回腕でも取られてみろ。何が起きたか分かる頃には地面だぜ」
「随分と評価しているんだな」
「実際強いんだから仕方ないだろ。あいつ体術のプロだぞ」
攻撃予測によって相手の初動を読み、高速移動で一気に間合いを潰す。そこから先は殴り合いではない。手首を制し、肘や肩の関節を極め、重心を崩して転倒させる。その一連の動きに、殺傷性の高いサバイバルナイフまで組み込まれる。
ギルにとって近接戦闘とは、相手を倒すための手順そのものだった。
「なら、断るか?」
「…………」
ライベルトがミカエルを見る。
「誰がそんなこと言った?」
「嫌なんだろう?」
「嫌なのと、やらないのは別だぜ」
そう答えると、先ほどまで嫌そうにしていたくせに、ライベルトの口元に少しだけ笑みが浮かんだ。
「近づけなきゃいいんだろ。だったら勝てる」
「そうか」
「何だその顔」
「いや。楽しみにしている」
「お前な……」
◇◇◇
「えっ、ライベルト、父さん相手そんな嫌?」
「嫌だぜ」
「本当に?」
「何で嬉しそうなんだよ」
午後の訓練場で事情を聞いたコウヤは、面白そうに笑っていた。
今日はクイントやコウヤだけではなく、リリーとレア、キリナも見学に来ている。審判役はミカエル。そして訓練場の向こうでは、すでにギルが準備を始めていた。
「だって珍しいじゃん。ライベルトが戦う前から嫌がってるの」
「お前はギルと本気で近距離戦やったことないから言えるんだよ」
「ないけど」
「一回やってみろ」
「嫌だよ」
「ほら」
「何の『ほら』!?」
そのやり取りを聞いていたレアが、不思議そうにライベルトを見上げた。
「ライベルトお姉様。聖騎士様は、それほど近接戦闘がお強いのですか?」
「強いなんてもんじゃないぜ」
「でも聖騎士様って、銃がお得意なんでしょう?」
リリーも会話へ入ってくる。
「ああ。遠距離とか精密射撃なら銃を使うな。あいつの射撃は相当なもんだぜ」
「じゃあ、近くだと?」
「ナイフと体術」
「ナイフ?」
「ああ」
ライベルトは自分の手首を軽く掴んでみせた。
「ただ斬ってくるんじゃないぜ。まず腕を取る。手首、肘、肩。こっちの身体を動かせなくしてから急所にナイフを入れる。実戦なら、そこで終わりだ」
「怖い……」
リリーが思わずギルを見る。
「おじ――」
口にしかけて、周囲に騎士たちがいることに気づいたらしい。
「……聖騎士様って、そんな怖い戦い方するの?」
「合理的って言ってやれよ」
「ライベルトお姉様でも、捕まったら難しいのですか?」
レアの問いには、ライベルトも素直に頷いた。
「難しいな。だから捕まらない」
「テレポートで?」
「そういうことだ。腕を取られる前に逃げる。今日はそれが生命線だな」
「模擬戦だからね?」
すぐ横からクイントが口を挟んだ。
「生命線とか言わないでよ」
「言い方の問題だって」
「それとライベルト」
「何だ?」
「絶対、楽しくなって無茶するでしょ」
「しない」
クイントは何も言わず、じっとライベルトを見る。
「……その顔やめろよ」
「私が育てたんだから分かるよ?」
「…………」
「ね?」
「努力する」
「ほら」
リリーがくすくす笑った。
「ライベルトお姉様、お母様には勝てないね」
「昔からな」
「ライベルト?」
「何でもないって」
◇◇◇
「でもさ」
コウヤだけは、まだ納得していないらしい。
「一回捕まったら終わりって、ちょっと大袈裟じゃない?」
「じゃあ後でギルと組手してみろ」
「それは嫌だって!」
「だから何でだよ」
「父さん普通に強いもん!」
「お父様」
レアが静かに口を挟む。
「私もおやめになった方がよいと思います」
「レアまで!?」
「以前、聖騎士様の体術を拝見したことがありますので」
「どうだった?」
「…………」
レアは少し考えてから、真面目な顔で答えた。
「お父様では難しいかと」
「そんな真顔で言う!?」
キリナが堪えきれず小さく笑った。
「ふふ……申し訳ありません」
「キリナまで笑った!」
「ですが、ギル様の体術は本当にお強いですから」
「じゃあ俺と父さんなら?」
「…………」
「キリナ?」
「今日は模擬戦を楽しみましょう」
「逃げた!」
◇◇◇
「双方、準備を」
ミカエルの声で、訓練場の空気が変わった。
ライベルトが中央へ進み、大太刀を抜く。長い刀身が陽光を反射した。
向かい合うギルは、まだ何も持っていない。
それを見た瞬間、ライベルトがまた嫌そうな顔をした。
「最初からそれかよ」
「何がだ」
「何も持ってない」
「問題があるか?」
「あるぜ。近づく気満々じゃないか」
「そうだな」
「嫌だなあ……」
「ならやめるか?」
「やめるわけないだろ」
ライベルトは大太刀を構えた。
十分な距離がある。ここなら自分の間合いだ。
「ここから先、一歩も入れないぜ」
「そうか」
「余裕だな」
「入ればいいだけだからな」
「……ほんと嫌な奴だな」
観覧側では、リリーが小声でクイントに尋ねていた。
「お母様。ライベルトお姉様、本当に嫌そう」
「そうだね」
「大丈夫かな?」
「大丈夫だよ。あれで結構楽しみにしてるから」
「聞こえてるぞ、クイント!」
「ほら、元気でしょ?」
「そういう問題じゃない!」
◇◇◇
「最後に確認する」
ミカエルが二人を見る。
「ライベルト。獣化は禁止だ。雷と吹雪も使うな」
「分かってるって」
「ギル。模擬戦だ。殺すな」
「ああ」
「何で私だけ注意事項多いんだよ」
「お前は訓練場ごと壊しかねん」
「失礼だな」
「否定できますか?」
キリナに言われ、ライベルトが振り返る。
「キリナ!?」
「ふふ、冗談ですよ」
「絶対半分くらい本気だろ」
「双方、構えろ」
ライベルトの表情から笑みが消える。ギルも僅かに重心を落とした。
「始め」
先に動いたのはライベルトだった。
大太刀が横薙ぎに振るわれる。ギルは一歩後ろへ退いて刃をかわしたが、直後にはまた前へ出た。
「お、ライベルトから行った」
コウヤが声を上げる。
「違います」
レアは真剣な目で二人を追っていた。
「攻撃というより、近づかせないための牽制だと思います」
「正解だぜ!」
ライベルトが戦いながら答える。
「ライベルトお姉様、前を!」
「分かってる!」
ギルが一歩踏み込む。それを阻むようにライベルトが大太刀を斜めに振り下ろした。
ギルは止まる。
「入れないだろ?」
ライベルトが僅かに笑う。
しかしギルは何も答えず、再び踏み込んだ。
大太刀が来る。かわす。
また一歩。
今度は横薙ぎ。僅かに身を引く。
そして、また一歩。
「……しつこいな」
ライベルトの表情から、少しずつ余裕が消えていく。
「父さん、全然攻撃してないな」
コウヤも気づいた。
「はい」
「ずっと近づいてるだけだ」
「それが目的なのでしょう」
ギルは攻撃していない。
だが、一度大太刀を振らせるたびに、確実にライベルトの間合いを削っていた。
◇◇◇
「しつこいって!」
ライベルトが大太刀を大きく振り抜いた。
ギルが身体を沈める。長い刃が頭上を通過した、その瞬間だった。
ギルが一気に加速する。
「――っ!」
高速移動。
一瞬で大太刀の内側へ潜り込んだ。
「ライベルトお姉様!」
リリーが叫ぶ。
「っ!」
だが、ライベルトも分かっている。
ギルの手が届く寸前、その姿が消えた。
テレポート。
十数メートル離れた場所へ再出現すると、すぐに大太刀を構え直す。
「危なっ……!」
コウヤが思わず息を吐いた。
「今の何?」
「聖騎士様が、ライベルトお姉様の間合いの内側へ入られました」
「でも逃げたじゃん。なら大丈夫じゃない?」
「今はな」
答えたのはミカエルだった。
「あれを繰り返せば、いずれ捕まる。ライベルトもそれを理解している」
訓練場の向こうで、ライベルトがギルへ大太刀を向けた。
「ほらな! だから嫌なんだよ!」
「まだ触っていないぞ」
「触らせるか!」
「なら逃げ続けろ」
「言われなくても!」
ギルが走る。
ライベルトが消え、右へ飛ぶ。
ギルは即座に方向を変える。
再びテレポート。今度は左。
さらに後方。
それでもギルは追ってくる。
「……聖騎士様が」
レアが息を呑んだ。
「ライベルトお姉様のテレポートに、少しずつ対応されています」
未来を見ているわけではない。
ただ、ギルは戦いながら相手を覚えている。
呼吸。視線。重心。大太刀の向き。どの方向から追い詰められた時、ライベルトがどこへ逃げることを好むのか。
攻撃予測だけではない。
体術のプロとして積み上げた膨大な経験が、ライベルトの行動を少しずつ絞っていく。
「もう読んできたか」
「少しな」
「早すぎるだろ」
◇◇◇
「なら、これはどうだ?」
ライベルトが左手を上げる。
サイコキネシス。
地面に転がっていた訓練用の武器や石、砕けた破片が一斉に浮かび上がった。
「距離を作るおつもりですね」
キリナが言う。
「近づけたくないから?」
「はい」
無数の物体がギルへ飛ぶ。
ギルは高速移動で軌道から外れ、一つをかわし、次を身体を捻って避ける。その隙にライベルトはさらに距離を取った。
「よし」
これなら大太刀を十分に振れる。
そう思った直後、ギルの手元へ人工精霊が収束した。
「精霊弾!」
リリーが声を上げる。
放たれた精霊弾を、ライベルトは横へのテレポートでかわした。
だが次の瞬間。
「――っ!」
再出現したライベルトの目前を、二発目の精霊弾が通過する。
咄嗟に再転移。
僅かに髪を掠めただけで済んだが、離れた位置に現れたライベルトの表情が変わった。
「お前、今……私が飛ぶ場所に先に撃っただろ」
「ああ」
「…………」
「外したがな」
「そういう問題じゃないぜ」
ライベルトが大太刀を構え直す。
精霊弾そのものは珍しくもない。ストリジアでは一般的な攻撃方法の一つだ。
異常なのは、使い方だった。
ギルは目の前のライベルトを狙っていない。
次に現れるライベルトを狙っている。
「もう一回やってみろ」
ライベルトが笑う。
「次は当てる」
「当てさせるかよ」
◇◇◇
距離がさらに開いたところで、ギルが武器を生成した。
今度は銃だった。
「あ、銃」
リリーが言う。
「ようやく出したな」
コウヤも身を乗り出す。
「距離が開いたからですね」
キリナが答える。
ギルが銃口を上げる。
発砲。
一発目をライベルトがサイコキネシスで逸らす。
二発目も同じ。
三発目は大太刀で弾いた。
「やっぱり銃だとライベルトの方が有利じゃない?」
「通常の撃ち合いなら、そうかもしれません」
「通常の?」
コウヤが聞き返した時には、レアが気づいていた。
「……近づいています」
「え?」
「聖騎士様です」
ギルは撃ちながら歩いていた。
一発撃つ。
ライベルトが弾く。
その間に一歩。
次は逃げ道を塞ぐように二発。
ライベルトがテレポートする。
また一歩。
射撃はライベルトを倒すためではない。
回避する方向を制限するため。
テレポート先を絞るため。
そして。
自分が近づくため。
「……お前」
ライベルトも気づいた。
「銃撃で私を追い込んでるな」
返事の代わりに銃声が響く。
「性格悪いな!」
ライベルトがテレポートする。
今度は右後方。
再出現。
その瞬間。
「……え」
目の前に、ギルがいた。
◇◇◇
「――っ!」
ライベルトが反射的に大太刀を振ろうとした。
遅い。
銃が消える。
代わりにギルの右手へ現れたのは、短く厚い刃を持つサバイバルナイフ。
同時に左手がライベルトの手首を掴んだ。
「っ!」
そこから先は、あまりにも速かった。
手首を返され、大太刀を振れない角度へ腕を持っていかれる。抵抗しようとした瞬間には肘を固定され、そのまま肩まで制された。
ライベルトがテレポートを意識する。
だが、その一瞬より早く重心を崩された。
「――まずっ」
視界が反転する。
背中から地面へ落とされ、呼吸が僅かに詰まった。
気づいた時には片腕を完全に極められている。身体を起こすことすらできない。
そして。
首筋へ、冷たい刃が触れた。
「…………」
静まり返った訓練場で、ギルだけが何事もなかったようにライベルトを押さえている。
派手な技は一つもなかった。
掴んで。
崩して。
倒して。
極めた。
それだけだった。
「…………父さん怖っ」
コウヤがぽつりと言った。
「だから言っただろ!」
地面へ組み伏せられたまま、ライベルトが叫ぶ。
「一瞬じゃん!」
「だから嫌なんだよ!」
「ライベルトお姉様!」
リリーが立ち上がる。
「大丈夫!?」
「大丈夫だ!」
レアも思わず一歩前へ出ていた。
「ライベルトお姉様、お怪我は……!」
「平気だって!」
「喋る余裕はあるのか」
ギルが淡々と言う。
「ある!」
「なら続けるか」
「――!」
次の瞬間。
ギルの手の中から、ライベルトそのものが消えた。
テレポート。
十五メートルほど離れた場所へ再出現したライベルトは、すぐに大太刀を構えながら肩を一度回した。
「危ないな……」
「逃げたか」
「逃げるに決まってるだろ!」
リリーが観覧側から身を乗り出す。
「ライベルトお姉様、本当に怪我してない!?」
「してないぜ!」
「本当に?」
「ほんとだって!」
レアもようやく小さく息を吐いた。
「よかった……」
「ほら!」
ライベルトが大太刀でギルを指しながら、今度はコウヤを見る。
「見ただろ!」
「見た」
「一回捕まったら終わりだって言っただろ!」
「うん」
「分かったか!」
「めちゃくちゃ分かった」
「だろ!」
「でもさ」
「何だよ」
コウヤが真顔で尋ねた。
「今の、三秒くらいじゃなかった?」
「…………」
ライベルトが黙る。
ギルは何も言わない。
「…………だから嫌なんだよ!」
訓練場いっぱいに、ライベルトの声が響いた。
◇◇◇
「お母様」
リリーがクイントを見る。
「聖騎士様、怖いね」
「強いって言ってあげて」
「強いけど怖い」
「まあ……分かるけど」
「お母様は、聖騎士様と戦ったことある?」
「ないよ」
「やらないの?」
「絶対やらない」
「即答ですね」
レアが言う。
「だって痛そうじゃん」
「クイント!」
遠くからライベルトが叫ぶ。
「お前だけ安全なところで言うなよ!」
「私は戦うなんて言ってないもん!」
「ずるいな!」
「知らないよ!」
そんな二人を見ていたミカエルが、ライベルトへ声をかける。
「それで、どうする?」
「何が?」
「続けるのか?」
「…………」
ライベルトはギルを見る。
ギルの右手には、まだサバイバルナイフがある。
「…………嫌だなあ」
「なら終わるか?」
「誰が終わるって言った?」
大太刀を肩へ担ぐ。
「今ので分かった」
「何がだ」
「やっぱり近づけたら駄目だ」
「最初から分かっていただろう」
「再確認だよ!」
ライベルトが笑う。
「次は絶対に触らせないぜ」
「そうか」
ギルもナイフを構え直した。
「やってみろ」
「……ほんっと嫌な奴だな」
嫌だ、嫌だと何度も言っていたくせに。
ライベルトの顔には、もう隠しきれない笑みが浮かんでいる。
「ライベルトお姉様、頑張って!」
リリーの声が飛ぶ。
「どうか無茶はなさらないでくださいね」
レアも続ける。
「分かってるぜ」
「本当に?」
「何でレアまでクイントみたいになってるんだよ」
「お母様から聞きましたので」
「クイント!」
「何?」
「変なところだけ娘に受け継がせるなよ!」
「私のせいじゃないでしょ!」
笑い声が上がる。
それを背に受けながら、ライベルトはもう一度大太刀を構えた。
対するギルは静かに腰を落とす。
今度こそ。
一度も懐へ入れさせない。
そう決めて。
ライベルトは地面を蹴った。
ただし、今度は先ほどまでとは違う。
ギルへ向かって距離を詰めるためではない。斜め後方へ跳びながら大太刀を振り抜き、最初からギルとの間合いを広く保つ。
「今度は来ないのか」
「行くわけないだろ。一回やって分かったんだ。お前の近くには絶対行かない」
「そうか」
「何でちょっと残念そうなんだよ」
ギルがサバイバルナイフを消す。
代わりに手元へ生成されたのは、先ほど使っていた銃だった。
それを見たライベルトは小さく息を吐いた。
「……まあ、そうなるよな」
銃声が響く。
一発目は大太刀で弾いた。二発目はサイコキネシスで僅かに軌道を逸らし、三発目が届くより先にテレポートする。
ライベルトが姿を現したのは、ギルの右後方。
しかし着地した瞬間、目の前を銃弾が通り過ぎた。
「っ!」
すぐに身を沈める。
続けて二発。
「だから、何でそこ撃ってるんだよ!」
「来ると思ったからだ」
「簡単に言うな!」
ギルは今いるライベルトを狙っているのではない。
次にライベルトが選ぶ場所を狙っている。
もちろん、完全に未来を読んでいるわけではない。ライベルトが意図的に転移先を変えれば外れる。それでも、一度戦った相手の癖を覚える速度が異常だった。
テレポート。
射撃。
サイコキネシス。
さらにテレポート。
ライベルトが移動するたび、ギルの銃口もそれを追う。
「すごい……」
リリーはもう座っていなかった。観覧席の柵に両手をついて、二人の戦いを食い入るように見ている。
「聖騎士様、ライベルトお姉様が出てくるところを撃ってる」
「正確には、出てくる可能性が高い場所ですね」
レアも同じだった。
「ですが、ライベルトお姉様も先ほどとは動きが違います」
「どこが?」
「聖騎士様から離れることを最優先になさっています。大太刀も攻撃ではなく、近づかせないために使っておられます」
「そうだな」
ミカエルが静かに頷いた。
「先ほどギルに捕まったことで、ライベルトも完全に戦い方を切り替えた。あれでいい。ギルの間合いで戦う必要はない」
「でも」
コウヤが苦笑する。
「父さん、めちゃくちゃ追いかけてるけど」
「だから嫌なんだよ!」
また聞こえていたらしい。
「ライベルト、集中しろ!」
「誰のせいだ!」
◇◇◇
ライベルトが大きく後方へ転移する。
距離を取った。
そう思った直後、ギルが銃口を僅かに上へ向けた。
「…………?」
自分を狙っていない。
そのことに気づいたライベルトの視線が、銃口の先を追う。
「おい」
発砲。
弾丸はライベルトの遥か右を通過した。
「外れ――」
コウヤが言いかける。
「違います」
レアが遮った。
ライベルトも同時に理解した。
「そこ、次に私が飛ぼうとしてた場所じゃないか」
「ああ」
「…………」
ならば。
逆へ飛ぶ。
テレポート。
左後方へ再出現。
だが今度は、ギルが撃たない。
「……?」
ライベルトの眉が動いた。
ギルはすでに銃を下ろしている。
そして。
走っていた。
「しまっ――」
撃たないことで、一瞬だけ判断を遅らされた。
高速移動。
ライベルトとの距離が一気に縮む。
「来るな!」
大太刀を振る。
ギルが身体を沈めてかわす。
もう一撃。
今度は踏み込ませないための横薙ぎ。
ギルが止まる。
そこへライベルトはサイコキネシスを叩き込んだ。
直接身体を吹き飛ばす。
「――!」
ギルの身体が数メートル後方へ押し戻された。
「よし!」
リリーが思わず声を上げる。
「ライベルトお姉様!」
「今度は捕まらないぜ!」
ライベルトも笑う。
だが、ギルは倒れていない。
着地と同時に姿勢を立て直し、再び銃を生成する。
「……ほんと嫌になるな」
「何がだ」
「お前と戦ってると、どこに逃げても正解じゃない気がしてくる」
「なら逃げなければいい」
「近づいてくる奴が言うな!」
銃声。
ライベルトがテレポート。
再び銃声。
今度は大太刀で弾く。
ギルが精霊弾を放てば、ライベルトはサイコキネシスで軌道をずらしながら身体を横へ逃がした。
だが、完全には避けきれない。
「っ」
一発が頬を掠める。
「ライベルトお姉様!」
「大丈夫だ!」
薄く血が流れる。
しかし今日は雲一つない。
降り注ぐ太陽の光を受け、傷口はすぐに塞がり始めた。
「これくらいなら問題ないぜ」
「でも……」
「リリー」
クイントが娘の肩へ手を置いた。
「大丈夫。ライベルトも分かってるよ」
「……うん」
そう言いながらも、リリーは心配そうに訓練場を見ていた。
◇◇◇
「……さて」
ライベルトが頬に残った血を親指で拭う。
ここまで防戦に回って分かったことがある。
ギルの攻撃予測は厄介だ。
こちらが攻撃へ移ろうとした瞬間、すでに回避の準備へ入っている。
なら。
「ギル」
「何だ」
「一個聞いていいか?」
「戦闘中だぞ」
「知ってる」
ライベルトが大太刀を両手で構えた。
「お前、私が今から斬ると思ってるだろ」
「…………」
「図星か?」
「来るなら避けるだけだ」
「そうか」
ライベルトが笑った。
「じゃあ避けろよ」
消える。
テレポート。
ギルの右側へ出現。
大太刀を振りかぶる。
ギルが即座に反応した。
刃が届くより早く、身体を左へ逃がす。
「――!」
レアが息を呑む。
だが。
大太刀は振り下ろされなかった。
「え?」
リリーが目を丸くする。
ライベルトの視線は、ギルではなく――その足元へ向いていた。
「そっちだ」
サイコキネシス。
ギルが回避先として選んだ地面が、一気に砕けた。
「――!」
足場を失う。
ほんの一瞬。
姿勢が崩れる。
「取った!」
ライベルトが再び消えた。
テレポート。
ギルの背後。
大太刀を返し、その刃を首筋へ。
「お姉様!」
レアが立ち上がる。
ライベルトの大太刀が止まった。
ギルの首まで、あと僅か。
「…………」
静寂。
ライベルトが笑う。
「どうだ?」
だが。
その直後。
ライベルトの表情から笑みが消えた。
「……あ」
腹部に。
何かが触れている。
視線を落とす。
ギルの右手。
サバイバルナイフ。
刃先が、ライベルトの脇腹へ正確に向けられていた。
「…………」
「…………」
二人とも動かない。
ライベルトの大太刀はギルの首筋。
ギルのナイフはライベルトの急所。
「……いつ抜いた?」
「足場を崩された時だ」
「そこからかよ」
「ああ」
「ほんっと油断ならないな」
「お前もな」
「…………」
ライベルトが少し笑う。
「続けるか?」
「構わん」
「じゃあ――」
「はい、そこまで!」
二人が同時に動こうとした瞬間。
クイントの声が訓練場に響いた。
「…………」
「…………」
ギルとライベルトが揃って振り返る。
「何だよ」
「何だ、じゃないよ!」
クイントは完全に呆れていた。
「二人とも何する気だったの?」
「続けようかと」
「私も」
「駄目!」
「まだやれるぜ」
「やれるかどうかの話じゃないの!」
クイントが二人の間まで歩いてくる。
「ライベルトは首に大太刀。ギルはお腹にナイフ。それで『続ける』って何するつもりだったの?」
「模擬戦を」
「だから模擬戦って意味分かってる!?」
ライベルトが大太刀を下ろす。
「あと少しだったのにな」
「何が?」
「勝てそうだった」
「ギルも刺せる位置だったでしょ!」
「まあな」
「じゃあ引き分け!」
「えー」
「えー、じゃない!」
そのやり取りに、キリナが口元を押さえて笑う。
「ふふ……クイント様が止めてくださってよかったですね」
「キリナもそう思うよね?」
「はい。お二人とも、少々楽しみすぎておられたようですので」
「私は冷静だったぜ」
「嘘」
クイントが即答する。
「私が育てたんだから分かるって言ったでしょ」
「……それ言われると弱いな」
◇◇◇
終了が宣言されると、真っ先にリリーが駆けてきた。
「ライベルトお姉様!」
「おっと」
勢いよく飛びついてきたリリーを、ライベルトが受け止める。
「大丈夫!?」
「大丈夫だって」
「本当に?」
「ほら」
先ほど精霊弾が掠めた頬を見せる。
傷はすでにほとんど残っていない。
「太陽が出てる間は、この程度ならすぐ治るからな」
「でも痛かったでしょ」
「まあ、少しはな」
「もう」
リリーが頬を膨らませる。
「ライベルトお姉様、無茶しないでよ」
「してないって」
「お母様がするって言ってた」
「クイント……!」
「私のせいにしないでよ」
少し遅れて、レアもやって来る。
「ライベルトお姉様」
「ん?」
「お怪我がなくて安心いたしました」
「心配させたな」
「はい」
「そこは『いいえ』じゃないのか?」
「実際に心配いたしましたので」
「レアは正直だな」
そう言いながら、ライベルトは優しくレアの頭を撫でた。
その隣では、リリーが今度はギルのところへ駆けていく。
ただし。
ここはまだ公の訓練場だ。
周囲には騎士や兵士たちがいる。
「聖騎士様!」
呼び方もきちんと変わる。
「何だ」
「怪我してない?」
「ああ」
「ほんと?」
「問題ない」
「よかった!」
レアもギルの前へ来ると、きちんと姿勢を整えた。
「聖騎士様。お疲れ様でした」
「ああ」
「先ほどの体術、大変勉強になりました」
「そうか」
「特に、ライベルトお姉様の手首を取られてから肩を極められるまでの動きについて、後ほどお伺いしてもよろしいでしょうか」
「構わん」
「ありがとうございます」
「レア」
コウヤが横から口を挟む。
「真似しないよな?」
「なぜですか?」
「いや、父さんのあれ覚えて俺にやられたら怖いから」
「お父様にはいたしません」
「よかった」
「必要がなければ」
「必要になる可能性あるの!?」
ライベルトが吹き出した。
「コウヤ、娘に関節極められないように気をつけろよ」
「笑い事じゃないって!」
◇◇◇
訓練が終わってしばらくすると、一行は王宮の奥へ戻った。
騎士たちの姿もなくなり、ここにいるのはほとんど身内だけ。
すると。
「おじいちゃん!」
リリーの呼び方が、あっさり元へ戻った。
「さっきのすごかった!」
「そうか」
「ライベルトお姉様を、ばーんって倒したやつ!」
「ばーんではない」
「でもすごかった! あれどうやったの?」
「リリーにはまだ早い」
「えー!」
「危険だからな」
「じゃあ大きくなったら教えて!」
「考えておく」
「約束ね!」
その隣。
レアも先ほどとは違う。
「お祖父様」
「何だ」
「先ほどお話しした体術についてなのですが、今よろしいでしょうか?」
「ああ」
「ライベルトお姉様の手首を取られた時点で、すでに次の動きまで決めておられたのですか?」
「決めていたわけではない。相手の抵抗する方向に合わせて変えている」
「なるほど……」
「力で押さえ込む必要はない。関節が動かない方向へ持っていけばいい」
「はい」
レアは真剣そのものだった。
横で聞いていたライベルトが嫌そうな顔をする。
「ギル」
「何だ」
「私を教材にするなよ」
「分かりやすいからな」
「どこがだよ」
「よく逃げる」
「テレポートできるんだから逃げるだろ!」
「ライベルトお姉様」
レアが振り返る。
「大変参考になりました」
「それ本人に言うのか?」
「はい。ありがとうございます」
「……まあ、レアが嬉しいならいいけどな」
なんだかんだ。
結局甘い。
◇◇◇
「父さん」
今度はコウヤがギルへ声をかけた。
「何だ」
「俺にも今度教えてよ」
「体術をか?」
「うん」
「いいぞ」
「お」
コウヤが嬉しそうに笑う。
それを聞いたライベルトが、少し離れたところから振り返った。
「やめとけ」
「何でだよ!」
「痛いぞ」
「訓練なら父さん加減してくれるだろ」
「する」
「ほら!」
「それでも痛いぞ」
「ライベルトは黙ってて!」
「親切で言ってるんだぜ」
「お父様」
レアが静かにコウヤを見る。
「頑張ってください」
「何でちょっと心配そうなの?」
「応援しております」
「絶対『大丈夫かな』って思ってるだろ!」
「そのようなことは」
「目逸らした!」
笑い声が広がる。
少し離れたところで、その様子を見ていたクイントも笑っていた。
「平和だね」
「そうですね」
隣にいたキリナが柔らかく答える。
クイントはライベルトを見る。
ついさっきまでギルと本気に近い模擬戦をしていたというのに、今ではリリーに腕を引っ張られ、何やらせがまれている。
その向こうでは、レアがギルから体術の説明を聞いている。
コウヤも混ざり。
ミカエルは少し離れた場所から、その騒がしさを眺めていた。
「ミカエルも混ざれば?」
「私はいい」
「そう?」
「ああ」
そう答えながらも、ミカエルの表情は穏やかだった。
「こうして見ているだけで十分だ」
「そっか」
クイントも、それ以上は言わなかった。
何も起きない日だった。
誰かが傷つくこともなく。
何かを失うこともなく。
ただ家族が集まって。
笑って。
明日の話をしている。
そんな時間が。
今はまだ。
当たり前のように続いていた。
そしてコウヤは、ギルのそばで楽しそうに笑っていた。
「父さん、やっぱ強いよな」
「急にどうした」
「いや。昔から思ってたけどさ」
コウヤは先ほどの模擬戦を思い出したのか、少しだけ目を輝かせる。
「やっぱ聖騎士って格好いいなって」
「…………」
「俺もなりたかったなあ」
何気ない一言だった。
誰も。
その言葉を気に留めなかった。
ギルですら。
「そうか」
ただ、それだけを返した。
この時はまだ。
それが。
コウヤ自身を壊すための言葉として、いつか返ってくることなど。
誰も知らなかった。