エマ   作:篠原えれの

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第一章 最終話『星魅の巫女』

 

 

 ――コウヤがクイントを殺した。

 

 その事実を、ミカエルはまだ受け入れられずにいた。

 

 受け入れられないまま、それでも彼はコウヤを止めた。

 

 止めるしかなかった。

 

 クイントを殺し、ギルを殺し、リリーにまで重傷を負わせたコウヤは、一度だけ正気を取り戻した。

 

 ほんの僅かな時間だった。

 

 自分が何をしたのかを理解するには、十分すぎるほどの時間だった。

 

『ミカエル』

 

 あの声が、まだ耳に残っている。

 

『頼む』

 

 血に濡れた手で、それでもコウヤはミカエルの腕を掴んだ。

 

『俺を、止めてくれ』

 

 殺してくれとは言わなかった。

 

 けれど、意味は同じだった。

 

 自分ではもう、自分を止められない。

 

 また正気を失う。

 

 次は誰を殺すか分からない。

 

 レアかもしれない。

 

 生まれたばかりのレオナかもしれない。

 

 あるいは、名前も知らない誰かかもしれない。

 

 そして実際に。

 

 コウヤは再び狂った。

 

 だから。

 

 ミカエルは、その命を絶った。

 

     ◇

 

「…………」

 

 腕の中から力が抜けていく。

 

 つい先ほどまで暴れていた身体が、嘘のように静かになっていた。

 

 ミカエルはコウヤを床へ横たえた。

 

 乱れた衣服を直し、開いたままになっていた瞼を閉じる。

 

「……これで」

 

 声が出ない。

 

 一度、息を吸う。

 

「これで、よかったのですか」

 

 返事はなかった。

 

 当然だった。

 

「貴方に頼まれたからといって……」

 

 自分の手を見る。

 

「私が貴方を殺した事実は、変わりません」

 

 もっと早く気づいていれば。

 

 もっと早く来ていれば。

 

 何か違ったのだろうか。

 

「…………」

 

 考えたところで、答えなど出ない。

 

 ミカエルは立ち上がった。

 

 その先に。

 

 ギルがいた。

 

「…………」

 

 倒れた聖騎士は、もう動かなかった。

 

 最後まで戦った痕跡だけが残っている。

 

 近距離であれば、誰よりも恐ろしい男だった。

 

 僅かな間合いを取られただけで、相手はサバイバルナイフの殺傷圏内へ入る。

 

 体術。

 

 関節技。

 

 精霊弾。

 

 必要なら銃器による精密射撃。

 

 積み重ねてきた技術だけなら、怪物と呼んでも差し支えないほどの男だった。

 

 それでも。

 

 死んだ。

 

「……ギル」

 

 ミカエルはその傍へ膝をついた。

 

 首筋へ指を当てる。

 

 分かっている。

 

 それでも。

 

 確かめずにはいられなかった。

 

「…………」

 

 何もない。

 

「貴方まで……」

 

 それ以上は言えなかった。

 

 ギルが守ろうとしたものを思えば。

 

 その先にいる者を、見ないわけにはいかなかった。

 

 けれど。

 

 ミカエルの足は、すぐには動かなかった。

 

「…………」

 

 視線の先。

 

 クイントがいる。

 

 血の中に。

 

 横たわっている。

 

「…………クイント」

 

 呼んだ。

 

 返事はない。

 

 もう一度呼ぶ勇気が出なかった。

 

 一歩。

 

 それでも進む。

 

 また一歩。

 

 やがて。

 

 クイントの傍へ膝をついた。

 

「…………」

 

 手を取る。

 

 冷たい。

 

 握り返してはくれない。

 

「……貴女は」

 

 声が掠れた。

 

「何をしているんですか」

 

 返事はない。

 

「起きてください」

 

 分かっている。

 

 起きない。

 

「貴女なら……何か言うでしょう」

 

 それでも話しかける。

 

「いつまで寝ているんだと私が言えば、余計なお世話だとでも言うのでしょう」

 

 何も。

 

 返ってこない。

 

「……言ってください」

 

 握った手に、少しだけ力が入った。

 

「何でもいい」

 

 叱られてもいい。

 

 呆れられてもいい。

 

 くだらないことでもいい。

 

「貴女の声で……何か」

 

 静寂だけが返ってくる。

 

「…………」

 

 十五歳で王になった。

 

 若すぎる王だった。

 

 最初から何もかも完璧だったわけではない。

 

 迷って。

 

 悩んで。

 

 それでも少しずつ、クイントは王になっていった。

 

 コウヤと出会った。

 

 家族になった。

 

 リリーが生まれた。

 

 レアが生まれた。

 

 そして。

 

 レオナが生まれた。

 

「……レオナは」

 

 まだ赤子だ。

 

「貴女の顔すら……覚えられないでしょう」

 

 口にして。

 

 初めて、その意味が胸へ落ちてきた。

 

「リリーは……行方さえ分からない」

 

 爆発の混乱の中。

 

 重傷を負っていたはずのリリーは姿を消した。

 

「レアも」

 

 まだ。

 

 母を失っていい年齢ではない。

 

「三人を残して」

 

 握った手は。

 

 もう温かくならない。

 

「コウヤまで、あんなことになって」

 

 そして。

 

「私たちまで残して」

 

 そこで。

 

 とうとう言葉が詰まった。

 

「……何をしているんですか」

 

 返事はない。

 

「貴女は……こんなところで死ぬ人ではなかったでしょう」

 

 国王だからではない。

 

 ただ。

 

 クイントだから。

 

「まだ、やることがあったでしょう」

 

 国のこと。

 

 子供たちのこと。

 

 家族のこと。

 

 これから先の。

 

 何でもない日々のこと。

 

「クイント」

 

 王とは呼ばなかった。

 

「起きてください」

 

 もう一度。

 

「……お願いします」

 

 それでも。

 

 奇跡は起きなかった。

 

「…………っ」

 

 頬を何かが伝った。

 

 クイントの手の甲へ落ちる。

 

 ミカエルは、それを拭わなかった。

 

 ただ。

 

 しばらく。

 

 彼女の手を握っていた。

 

     ◇

 

 どれほど時間が経ったのか。

 

 やがて。

 

「…………?」

 

 ミカエルが顔を上げた。

 

 違和感があった。

 

 血と。

 

 人工精霊と。

 

 いくつもの力が入り混じった王宮の中。

 

 その中に。

 

 覚えのあるものがある。

 

「…………」

 

 コウヤを見る。

 

 近づく。

 

 そして。

 

 残された気配へ触れる。

 

「……まさか」

 

 知っている。

 

 この力を。

 

「…………貴女ですか」

 

 悲しみは消えなかった。

 

 絶望も。

 

 何一つ。

 

 消えてはいない。

 

 ただ。

 

 その奥から。

 

 静かに。

 

 殺意だけが浮かび上がった。

 

     ◇

 

 星魅の巫女を見つけるまでに、それほど時間はかからなかった。

 

「…………」

 

 女が振り返る。

 

「ミカエル」

 

「…………」

 

「随分な顔ね」

 

「そうですか」

 

「何かあった?」

 

 ミカエルは答えなかった。

 

 ただ。

 

 彼女を見た。

 

「コウヤに何をしました」

 

「…………」

 

 僅かな沈黙。

 

 それだけで。

 

 十分だった。

 

「……そうですか」

 

 ミカエルが一歩近づく。

 

「やはり、貴女だったのですね」

 

「待って」

 

「何をです?」

 

「話くらい――」

 

「黙りなさい」

 

 星魅の巫女の表情が変わった。

 

「クイントが死にました」

 

「…………」

 

「ギルも」

 

 一歩。

 

「コウヤも」

 

 さらに。

 

 一歩。

 

「リリーは行方が分からない」

 

「…………」

 

「レアは母親を失った」

 

 もう一歩。

 

「レオナは」

 

 声が詰まる。

 

「……母親の顔を覚えることすらできない」

 

「ミカエル」

 

「貴女がやったのですか」

 

「殺したのは私じゃない」

 

「ええ」

 

 ミカエルは否定しなかった。

 

「クイントを殺したのはコウヤです」

 

「なら――」

 

「ギルを殺したのも、コウヤです」

 

「だったら」

 

「そして」

 

 自分の手を見る。

 

「コウヤを殺したのは、私です」

 

「…………」

 

「私が殺しました」

 

 まだ。

 

 感触が残っている。

 

「彼に頼まれたから」

 

 止めてくれと。

 

「これ以上、誰かを殺す前に」

 

 だから。

 

「私が殺した」

 

「…………」

 

「ですが」

 

 ミカエルが顔を上げる。

 

「そうさせたのは」

 

 星魅の巫女を見据えた。

 

「貴女でしょう」

 

「…………」

 

「貴女がコウヤを狂わせた」

 

 一歩。

 

「貴女がクイントを殺させた」

 

 一歩。

 

「ギルを殺させた」

 

 一歩。

 

「リリーまで傷つけさせた」

 

「ミカエル、私は――」

 

「もういい」

 

「…………」

 

「貴女の言葉を聞くつもりはありません」

 

「待って」

 

「嫌です」

 

「ミカエル!」

 

 星魅の巫女が力を放つ。

 

 ミカエルも動いた。

 

 衝突。

 

 人工精霊が弾け飛び、床が砕ける。

 

 けれど。

 

 ミカエルは止まらない。

 

「何故!」

 

「分かりませんか」

 

 攻撃を弾く。

 

「貴女は」

 

 一撃。

 

「私から」

 

 もう一撃。

 

「奪いすぎた」

 

「――っ!」

 

 星魅の巫女がよろめく。

 

「やめ――」

 

「嫌です」

 

「話を――!」

 

「聞きません」

 

「ミカエル!」

 

「その名前を」

 

 初めて。

 

 声が荒れた。

 

「貴女が呼ばないでください!」

 

 最後の一撃だった。

 

「――――っ」

 

 星魅の巫女の身体から。

 

 力が抜ける。

 

 床へ。

 

 崩れ落ちる。

 

「…………」

 

 ミカエルは受け止めなかった。

 

 星魅の巫女は。

 

 死んだ。

 

     ◇

 

 終わった。

 

 これで。

 

 終わった。

 

 そう思った。

 

「…………」

 

 だが。

 

 何も戻らなかった。

 

「……当然、ですか」

 

 クイントは生き返らない。

 

 ギルも。

 

 コウヤも。

 

 リリーが戻ってくるわけでもない。

 

「…………」

 

 それでも。

 

 もう同じことは起きない。

 

 少なくとも。

 

 そう思った。

 

 ――その直後だった。

 

『ミカエル様!』

 

 通信が鳴った。

 

「何です」

 

『緊急事態です! 各地で――』

 

 轟音。

 

 悲鳴。

 

 通信の向こうが騒がしい。

 

『――黄の雨を確認!』

 

「……黄の雨?」

 

『はい! 大罪シリーズです!』

 

「…………」

 

『複数の大罪シリーズが、世界各地で同時に活動を開始しています!』

 

 映像が開く。

 

 黄の雨。

 

 その下で。

 

 少女が笑っていた。

 

『色欲――ミミを確認!』

 

 別の映像。

 

『暴食です!』

 

 黄色いコートを纏った少女が。

 

 ただ。

 

 歩いている。

 

 少女が進んだ場所から。

 

 次々と。

 

 何かが消えていく。

 

 食べる。

 

 喰らう。

 

 満たされないまま。

 

 また次へ向かう。

 

『嫉妬も出現!』

 

 画面が切り替わる。

 

 そこに映っていたものを。

 

 一人の人間と呼ぶことはできなかった。

 

 恨み。

 

 妬み。

 

 憎悪。

 

 いくつもの感情が集まり。

 

 念仏のように。

 

 延々と。

 

 恨み言を唱えている。

 

『傲慢――アラジンを確認!』

 

 さらに。

 

『強欲です!』

 

 茶髪の少女が。

 

 街を歩いている。

 

『あれが欲しいのじゃ』

 

 一つ。

 

 手に入れる。

 

 すぐ。

 

 別のものを見る。

 

『……あれも欲しいのじゃ』

 

 また。

 

『これも』

 

 手に入れても。

 

 満たされない。

 

『全部、妾のものにするのじゃ』

 

 そして。

 

「怠惰は?」

 

『確認しています! ですが――』

 

「何です」

 

『何もしていません』

 

「…………?」

 

『動くことすら面倒なのか……ほとんどその場から動いていません。ただ』

 

 通信員が息を呑む。

 

『排除できません』

 

「…………」

 

『攻撃が通らない。何をしても倒れません!』

 

「……大罪シリーズが」

 

 ミカエルが呟く。

 

「すべて?」

 

『それだけではありません!』

 

「何ですって?」

 

『――紫の雨を確認!』

 

「…………!」

 

『星座シリーズです!』

 

 また。

 

 映像が切り替わる。

 

『獅子座、出現!』

 

 別の地域。

 

『双子座を確認!』

 

 さらに。

 

『天秤座!』

 

『蠍座も活動を開始!』

 

『魚座を確認しました!』

 

「待ちなさい」

 

 ミカエルの表情が強張る。

 

「何故、同時に」

 

『分かりません!』

 

 通信が。

 

 また重なる。

 

『ミカエル様!』

 

「今度は何です!」

 

『緑の雨です!』

 

「…………」

 

『童話シリーズが活動を開始しました!』

 

 灰の中から。

 

 一人の少女が姿を現す。

 

『灰かぶり――シンデレラです!』

 

 森では。

 

 赤い頭巾。

 

『赤ずきんを確認!』

 

 そして。

 

 海では。

 

『人魚姫です!』

 

「…………」

 

 ミカエルは。

 

 言葉を失った。

 

 黄の雨。

 

 大罪シリーズ。

 

 紫の雨。

 

 星座シリーズ。

 

 緑の雨。

 

 童話シリーズ。

 

 それまで。

 

 それぞれの場所で。

 

 それぞれに存在していた災厄が。

 

 今。

 

 一斉に。

 

 動き始めている。

 

『大罪シリーズへの抑制が効きません!』

 

『星座シリーズ、交戦開始!』

 

『童話シリーズが市街地へ――!』

 

『ミカエル様!』

 

『指示を!』

 

『ミカエル様!』

 

 声が。

 

 重なる。

 

「…………」

 

 偶然ではない。

 

 星魅の巫女を殺した。

 

 その直後だ。

 

 ミカエルは。

 

 ゆっくりと。

 

 振り返った。

 

 そこには。

 

 自分が殺した女がいる。

 

「…………まさか」

 

 ようやく。

 

 気づいた。

 

「貴女……」

 

 星魅の巫女は。

 

 災厄を生み出すだけの存在ではなかった。

 

「統べていたのですか」

 

 黄の雨。

 

 大罪シリーズ。

 

「貴女が」

 

 紫の雨。

 

 星座シリーズ。

 

「この者たちを」

 

 緑の雨。

 

 童話シリーズ。

 

「…………」

 

 星魅の巫女が。

 

 いたから。

 

 彼らは完全には自由ではなかった。

 

 彼女が王として存在していたから。

 

 その下にいた。

 

 そして。

 

 その王を。

 

「私が……殺した」

 

 枷を。

 

 外したのは。

 

 自分だ。

 

『ミカエル様!』

 

 通信の向こうから悲鳴が聞こえる。

 

『このままでは――!』

 

「…………」

 

 分かっている。

 

 このままなら。

 

 国一つでは済まない。

 

 エルサイアどころではない。

 

 世界そのものが。

 

 壊れる。

 

「…………」

 

 ミカエルは目を閉じた。

 

 クイントを思い出した。

 

『貴女は、こんなところで死ぬ人ではなかったでしょう』

 

 自分が言った。

 

『まだ、やることがあったでしょう』

 

「…………」

 

 なら。

 

 自分は。

 

 まだ生きている。

 

「……そうですか」

 

 小さく。

 

 息を吐いた。

 

「私には、まだあるのですね」

 

 やるべきことが。

 

 クイントはいない。

 

 ギルもいない。

 

 コウヤもいない。

 

 リリーもいない。

 

 赤子のレオナを王に据え。

 

 レアが国を支えようとしている。

 

 生きている者たちは。

 

 もう。

 

 次へ進もうとしている。

 

「…………」

 

 なら。

 

 自分だけが。

 

 ここで終わるわけにはいかない。

 

 ミカエルは。

 

 星魅の巫女へ歩み寄った。

 

 自ら殺した女の傍へ。

 

 もう一度。

 

 膝をつく。

 

「……皮肉ですね」

 

 死者へ語りかける。

 

「私は貴女を憎んだ」

 

 返事はない。

 

「貴女さえいなければと」

 

 心の底から。

 

 そう思った。

 

「だから、殺した」

 

 けれど。

 

「今度は」

 

 世界が。

 

 星魅の巫女を必要としている。

 

「貴女がいなければ」

 

 大罪シリーズを。

 

 星座シリーズを。

 

 童話シリーズを。

 

 止める者がいない。

 

「…………」

 

 ミカエルは手を伸ばした。

 

「なら」

 

 誰かが。

 

 代わらなければならない。

 

「私が」

 

 その手が。

 

 星魅の巫女へ触れた。

 

「貴女に代わります」

 

 瞬間。

 

 力が。

 

 流れ込んだ。

 

「――っ!」

 

 身体が軋む。

 

 拒絶したくなる。

 

 当然だった。

 

 これは。

 

 自分が。

 

 心の底から憎んだ者の力だ。

 

 クイントを奪った。

 

 ギルを奪った。

 

 コウヤを奪った。

 

 その力を。

 

 今。

 

 自ら受け入れている。

 

「……私は」

 

 身体が震える。

 

 それでも。

 

 手を離さない。

 

「貴女にはなりません」

 

 星魅の巫女へ。

 

 言う。

 

「貴女と同じ者にもならない」

 

 それでも。

 

「ですが」

 

 その役目だけは。

 

「貰います」

 

 力が。

 

 ミカエルの中へ。

 

 流れ込む。

 

 星魅の巫女と。

 

 ミカエルが。

 

 重なっていく。

 

「…………っ」

 

 世界が。

 

 見えた。

 

 黄。

 

 紫。

 

 緑。

 

 雨の中にいる者たち。

 

 それらすべてが。

 

 繋がっている。

 

「…………」

 

 ミカエルは。

 

 目を開いた。

 

     ◇

 

 その瞬間。

 

 世界のどこかで。

 

 色欲――ミミが。

 

 足を止めた。

 

「…………?」

 

 黄色いコートを纏った暴食が。

 

 顔を上げた。

 

 念仏のように恨みを唱え続けていた嫉妬が。

 

 不意に。

 

 静かになった。

 

 傲慢――アラジンが。

 

 空を見る。

 

「…………」

 

 茶髪の少女が。

 

 手に入れたばかりのものを抱えたまま。

 

 動きを止める。

 

「……なんじゃ?」

 

 強欲。

 

 そして。

 

 何をすることも面倒がっていた怠惰が。

 

 ゆっくりと。

 

 顔を上げた。

 

 黄の雨。

 

 大罪シリーズ。

 

 そのすべてが。

 

 同じものを感じ取った。

 

 紫の雨。

 

 獅子座が。

 

 動きを止める。

 

 双子座が。

 

 振り返る。

 

 天秤座が。

 

 蠍座が。

 

 魚座が。

 

 一斉に。

 

 同じ方向を見る。

 

 星座シリーズ。

 

 そして。

 

 緑の雨。

 

 灰かぶりが。

 

 赤ずきんが。

 

 人魚姫が。

 

 何かに呼ばれたように。

 

 空を見上げる。

 

 童話シリーズ。

 

 誰も。

 

 名前を聞いたわけではない。

 

 姿を見たわけでもない。

 

 それでも。

 

 分かった。

 

 自分たちの上に。

 

 何かが。

 

 現れた。

 

     ◇

 

「――聞きなさい」

 

 ミカエルの声が。

 

 届く。

 

「黄の雨――大罪シリーズ」

 

 ミミが。

 

 笑みを消す。

 

「紫の雨――星座シリーズ」

 

 獅子座が。

 

 頭を上げる。

 

「緑の雨――童話シリーズ」

 

 灰かぶりが。

 

 静かに目を閉じる。

 

「そして」

 

 まだ。

 

 そこに名を連ねていない者たち。

 

 星魅の巫女が。

 

 これまで束ねてきたすべてへ。

 

「星魅の巫女に連なる者たち」

 

 ミカエルは。

 

 命じた。

 

「好き勝手にするのは」

 

 世界中で。

 

 彼らが。

 

 新たな王の声を聞く。

 

「――そこまでです」

 

 雨が。

 

 弱まった。

 

 黄の雨の中。

 

 大罪シリーズが。

 

 一人。

 

 また一人。

 

 動きを止める。

 

 紫の雨。

 

 星座シリーズも。

 

 緑の雨。

 

 童話シリーズも。

 

 戦いを止めていく。

 

 それは。

 

 忠誠ではなかった。

 

 彼らはまだ。

 

 ミカエルを慕ってなどいない。

 

 服従を誓ったわけでもない。

 

 ただ。

 

 本能で。

 

 理解した。

 

 星魅の巫女が死んだ。

 

 王が消えた。

 

 だから。

 

 自由になった。

 

 そのはずだった。

 

 けれど。

 

 もう。

 

 次がいる。

 

 自分たちを統べる。

 

 新たな王が。

 

     ◇

 

『……ミカエル様?』

 

 通信から。

 

 恐る恐る声が聞こえた。

 

「…………」

 

『いま……何を』

 

「必要なことを」

 

『…………』

 

「それだけです」

 

 通信を切る。

 

 静かになった。

 

「…………」

 

 ミカエルは。

 

 自分の手を見る。

 

 何も変わっていない。

 

 同じ手だ。

 

 クイントの手を握った。

 

 ギルの死を確かめた。

 

 コウヤを殺した。

 

 星魅の巫女を殺した。

 

 そして今。

 

 その女の力を。

 

 自ら受け入れた。

 

「…………クイント」

 

 名前を呼ぶ。

 

「貴女なら」

 

 こんな自分を見て。

 

「何と言うのでしょうね」

 

 返事はない。

 

「怒りますか」

 

 少し考える。

 

「……怒るでしょうね」

 

 僅かに。

 

 笑った。

 

「ですが」

 

 すぐに。

 

 その笑みは消える。

 

「私には」

 

 まだ。

 

 やることがある。

 

「もう少しだけ」

 

 だから。

 

「待っていてください」

 

 いつか。

 

 全部が終わったら。

 

 その時は。

 

 また。

 

 貴女に会えるのだろうか。

 

「…………」

 

 ミカエルは。

 

 立ち上がった。

 

     ◇

 

 この日。

 

 エルサイアは。

 

 一人の王を失った。

 

 クイントが死んだ。

 

 聖騎士ギルが死んだ。

 

 コウヤが死んだ。

 

 リリーが消えた。

 

 そして。

 

 生まれたばかりのレオナが。

 

 新たな王となった。

 

 幼すぎる王に代わり。

 

 レアが。

 

 国を支えることになった。

 

 同じ日。

 

 世界から。

 

 一人の星魅の巫女が消えた。

 

 その瞬間。

 

 黄の雨――大罪シリーズ。

 

 紫の雨――星座シリーズ。

 

 緑の雨――童話シリーズ。

 

 それまで星魅の巫女によって統べられていた者たちは。

 

 王を失い。

 

 枷を失い。

 

 世界各地で。

 

 一斉に牙を剥いた。

 

 世界は。

 

 そこで初めて知った。

 

 星魅の巫女とは。

 

 災厄を生み出すだけの存在ではない。

 

 災厄を束ね。

 

 その上に君臨する。

 

 王でもあったのだと。

 

 そして。

 

 その王を殺した男は。

 

 自ら。

 

 空席となった座へ上った。

 

 憎んだ者の力を受け入れ。

 

 大罪を。

 

 星座を。

 

 童話を。

 

 雨より生まれた者たちを。

 

 その身一つで。

 

 統べることを選んだ。

 

 この時はまだ。

 

 誰も。

 

 彼を恐れてはいなかった。

 

 ミカエルという名に。

 

 畏怖の意味などなかった。

 

 けれど。

 

 それは。

 

 この日から。

 

 少しずつ変わっていく。

 

 人々はやがて。

 

 雨が降るたび。

 

 その名を思い出すようになる。

 

 災厄たちは。

 

 その声一つで。

 

 動きを止めるようになる。

 

 そして。

 

 数多の異形を従え。

 

 世界すら敵に回しかねないほどの力を持つに至った彼を。

 

 人々は。

 

 畏れとともに。

 

 一つの名で呼ぶようになる。

 

 星魅の巫女――ミカエル。

 

 それは。

 

 彼が世界を救った日だった。

 

 同時に。

 

 後に世界から畏怖される存在となる男が。

 

 初めて。

 

 雨を統べる王となった日でもあった。

 

      

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