エマ   作:篠原えれの

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第七話 『エルサイア王国』

 

 

 神系宇宙『ラ』所属、惑星ストリジア『エルサイア王国跡地』

 

 SH.2010年4月11日。14:30 天候:曇

 

 青い。

 

 クイントが最初に抱いた感想は、それだった。

 

 空は曇っている。

 

 けれど、空よりも大地の方が青かった。

 

 草も。

 

 木々も。

 

 建物も。

 

 道も。

 

 遠くに見える山肌さえも。

 

 何もかもが、薄気味悪い青色に染まっている。

 

「……ここが、エルサイア?」

 

 転送型の魔法陣から降りたクイントは、思わずギルの手を握った。

 

 先ほどまでいたラウル王国とは、まるで別世界だった。

 

 人の気配がない。

 

 鳥の声もしない。

 

 風が吹けば木々は揺れるのに、そこから葉が擦れる音すら聞こえてこないような錯覚を覚える。

 

 まるで、世界そのものが死んでいる。

 

「あぁ」

 

 ギルが答えた。

 

 その声は重い。

 

「五年前まで、ここが俺達の国だった」

 

「……お父さんが住んでたところ?」

 

「そうだ」

 

「お母さんとコウヤも?」

 

「あぁ」

 

「…………」

 

 クイントはもう一度、周囲を見渡した。

 

 想像していたよりも酷い。

 

 エルサイア王国が滅亡したこと自体は知っていた。

 

 しかしクイントにとって、それは歴史の話に近かった。

 

 自分が五歳だった頃。

 

 メリッサという少女だった頃の出来事。

 

 記憶がないわけではない。

 

 けれど、それを自分自身の出来事として実感することが難しい。

 

 だから今まで、ギルの故郷が滅んだと聞いても、どこか遠い話だった。

 

 今は違う。

 

「こんなになっちゃうんだ……」

 

「国を守護する神精霊が消滅すればな」

 

 答えたのはジンだった。

 

「まして五年間、青の雨に晒されっぱなしだ。ミリィの加護が残ってた頃なら、ここまで汚染されることはなかったんだがな」

 

「……ミリィがいなくなったから?」

 

「あぁ」

 

 クイントはミリィを見る。

 

 ミリィは何も言わなかった。

 

 ただ、変わり果てた故郷を見つめている。

 

「…………」

 

 五年前。

 

 彼女自身も、この国と共に消滅した。

 

 そして今。

 

 蘇生された彼女は、自分が守るはずだった国の成れの果てを見ている。

 

「ミリィ」

 

「はい」

 

「……大丈夫?」

 

「…………」

 

 ミリィは少し驚いたあと、微笑んだ。

 

「ありがとうございます」

 

「いや、だって……」

 

「大丈夫です」

 

 そう答えながらも。

 

 その表情は、少しだけ寂しそうだった。

 

 ■

 

「それで、どうするの?」

 

 クイントが尋ねた。

 

「王様になるって、何したらいいの?」

 

「まずは城へ向かいます」

 

「お城?」

 

「はい。エルサイア城です」

 

「まだ残ってるの?」

 

「形だけならな」

 

 ギルが答える。

 

「五年前の戦争でかなり焼けたが、城そのものは残っているはずだ」

 

「じゃあ、そこで王様になりますって言えばいいの?」

 

「そんな簡単なものではありませんよ」

 

「えー」

 

「何故不満そうなのです」

 

「だって難しい儀式とか嫌だもん」

 

「王になるんですよ?」

 

「分かってるけどさぁ」

 

 クイントが頬を膨らませる。

 

「安心してください。難しいことはしません」

 

「ほんと?」

 

「はい。私が貴女を王として正式に認め、貴女がそれを受け入れる。それだけです」

 

「ほんとに簡単だった!」

 

「だから言っただろ。神精霊が王を選ぶんだ」

 

「だったら最初からそう言ってよ、ジン!」

 

「言っただろ!」

 

「聞いてない!」

 

「お前が聞いてなかっただけだ!」

 

 ギャーギャーと言い合う二人を横目に、ギルは周囲を警戒していた。

 

 静かすぎる。

 

 青の雨による汚染地域であるにもかかわらず、屍が一体も現れない。

 

「……妙だな」

 

「ギルもそう思いますか」

 

 キリナだった。

 

「あぁ。静かすぎる」

 

「ですね」

 

 キリナも周囲を見渡す。

 

「屍の気配そのものはあります。ですが、近付いてこない」

 

「何かに怯えている?」

 

「その可能性はあります」

 

「ミリィ様か?」

 

「いいえ」

 

 キリナは首を横に振った。

 

「ミリィの加護はまだ国土へ戻っていません」

 

「なら――」

 

 ギルが言葉を止める。

 

 少し離れたところを歩いていたミカエルを見る。

 

 ミカエルは一人だけ、何の警戒もしていない。

 

 青く染まった大地を歩きながら、時折周囲へ視線を向けているだけだ。

 

「ミカエル」

 

「何でしょう」

 

「お前、何かしてるか?」

 

「いいえ」

 

「本当か?」

 

「私が屍を追い払っているとでも?」

 

「違うのか」

 

「違いますよ」

 

 ミカエルは面倒そうに答えた。

 

「もっと単純な話でしょう」

 

「何がだ」

 

「ここには、王となる者がいる」

 

 ミカエルの視線がクイントへ向く。

 

「そして、消滅したはずの神精霊も戻った」

 

「…………」

 

「まだ正式な契約こそ成立していませんが、この大地は既に変化を察知しているのでしょう。獣の方が、人間よりそういったものには敏感です」

 

「屍も?」

 

「元は生命体ですからね」

 

 ミカエルはそこで話を切った。

 

「もっとも、それだけとは限りませんが」

 

「どういう意味だ?」

 

「言葉通りです」

 

「お前な……」

 

「ギル」

 

 キリナが止める。

 

「今は城へ向かいましょう」

 

「……そうだな」

 

 ■

 

 しばらく歩くと。

 

 青く染まった城が見えてきた。

 

「…………」

 

 クイントの足が止まる。

 

「ここ……」

 

 何かが引っかかった。

 

 見たことがある。

 

「クイント?」

 

 ギルが振り返る。

 

「どうした」

 

「……分かんない」

 

「何がだ?」

 

「ここ、知ってる気がする」

 

「…………」

 

 ギルの表情が変わった。

 

「思い出したのか?」

 

「違う。たぶん」

 

 クイントは頭を押さえる。

 

「なんか……知ってるだけ。ここに階段があって、その向こうに大きい扉があって……」

 

「…………」

 

「その先が……」

 

 言葉が止まった。

 

 赤い髪。

 

 優しい声。

 

 誰かに抱き締められている。

 

 ――メリッサ。

 

「っ……!」

 

「クイント!」

 

 身体がふらつき、ギルが慌てて支える。

 

「大丈夫か!」

 

「うん……」

 

「無理に思い出そうとするな」

 

「分かってる」

 

 クイントは頭を振った。

 

「今の、誰だろ」

 

「…………」

 

「赤い髪の女の人」

 

「サクラ様でしょう」

 

 ミリィだった。

 

「貴女の母君です」

 

「……メリッサの?」

 

「はい」

 

「そっか」

 

 クイントはそれ以上聞かなかった。

 

 ただ。

 

「行こう、お父さん」

 

「あぁ」

 

 ギルの手を握ったまま。

 

 城へ入った。

 

 ■

 

 城内はさらに酷かった。

 

 焼け落ちた壁。

 

 崩れた天井。

 

 青く染まった床。

 

 五年前の戦争の跡が、そのまま残っている。

 

「…………」

 

 そして。

 

 玉座の間。

 

「ここで……」

 

 ギルが呟いた。

 

「前の王が死んだ」

 

「…………」

 

 クイントは何も言わなかった。

 

 自分の父親だった男。

 

 タタン・エルサイア。

 

 その男について、クイントはほとんど何も感じない。

 

 憎いとも思わない。

 

 愛していたとも思えない。

 

 メリッサなら違ったのかもしれない。

 

 けれど。

 

 自分はクイントだ。

 

「クイント様」

 

 ミリィが玉座の前へ進む。

 

「こちらへ」

 

「うん」

 

 クイントが歩き出す。

 

 ギルも続こうとした。

 

「ギル」

 

 ミリィに止められる。

 

「ここからは、クイント様だけで」

 

「……分かりました」

 

 ギルは立ち止まった。

 

 クイントだけが、ミリィのもとへ向かう。

 

「ここに座ればいい?」

 

「まだです」

 

「はい」

 

「返事だけは素直ですね」

 

「だって怒られそうだもん」

 

「怒りませんよ」

 

「ほんとかなぁ」

 

「クイント様」

 

「はい」

 

 ミリィの表情が変わった。

 

「私は、エルサイア王国を守護する神精霊ミリィ」

 

「…………」

 

 クイントも真面目な顔になる。

 

「古より定められた神精霊の盟約に従い、私は貴女を我が王として選びます」

 

 ミリィが跪く。

 

「クイント様」

 

「はい」

 

「貴女は、私の王となることを望みますか」

 

「……うん」

 

 少しだけ考えて。

 

「なる」

 

「国を守ることを誓いますか?」

 

「できる限り」

 

「…………」

 

「だって、絶対なんて言えないもん」

 

 クイントは真っ直ぐミリィを見る。

 

「私まだ十歳だし、知らないこといっぱいあるし、絶対失敗すると思う」

 

「…………」

 

「でも、お父さんの故郷を戻したい」

 

「クイント……」

 

「それに」

 

 クイントは青く染まった玉座を見る。

 

「こんなの、なんか嫌だ」

 

「…………」

 

「だから、やる」

 

 ミリィは微笑んだ。

 

「十分です」

 

 そして。

 

「神精霊ミリィの名において――クイント・エルサイア。貴女を、エルサイア王国の王として認めます」

 

「え」

 

 クイントが目を丸くした。

 

「待って。私、エルサイアって名字になるの?」

 

「王ですから」

 

「聞いてない!」

 

「今言いました」

 

「そういうの先に言ってよ!」

 

「クイント、今そこか!?」

 

「大事だよお父さん!」

 

 張り詰めていた空気が一瞬で崩れた。

 

 ジンが吹き出す。

 

「ハハハ! いいじゃねぇかクイント・エルサイア!」

 

「なんか慣れない!」

 

「そのうち慣れますよ」

 

「キリナまで!」

 

「クイント様」

 

 ミリィが笑いを堪えながら玉座を示す。

 

「どうぞ」

 

「……はーい」

 

 納得していない顔のまま。

 

 クイントは玉座へ座った。

 

 瞬間。

 

 ――ドクン。

 

「……え?」

 

 大地が脈動した。

 

「なんだ!?」

 

 ギルが身構える。

 

 しかしミリィは動かなかった。

 

「大丈夫です」

 

「ミリィ様?」

 

「始まったのです」

 

 玉座に亀裂が走った。

 

 青い表面が剥がれ落ちる。

 

 その下から現れたのは、本来の白い石。

 

「……色が」

 

 クイントが立ち上がる。

 

 変化は玉座だけではなかった。

 

 床。

 

 壁。

 

 柱。

 

 青が消えていく。

 

「外へ!」

 

 ギル達が城の外へ飛び出す。

 

「――――!」

 

 誰も言葉を発することができなかった。

 

 城から波紋が広がっていた。

 

 青い大地を飲み込みながら。

 

 本来の色彩が戻っていく。

 

 木々に緑が戻る。

 

 土が茶色へ変わる。

 

 青く濁っていた水が透明になる。

 

 枯れ果てていた草原から、新しい芽が顔を出す。

 

「すご……」

 

 クイントは呆然とする。

 

「私、何もしてないのに」

 

「しましたよ」

 

 ミリィが答えた。

 

「貴女が王になりました」

 

「それだけ?」

 

「それだけです」

 

「王様ってすご……」

 

 ギルは何も言えなかった。

 

「…………」

 

 五年前。

 

 もう二度と見られないと思っていた。

 

 エルサイアの空。

 

 エルサイアの大地。

 

 自分が生まれ育った故郷。

 

「お父さん?」

 

 クイントが振り返る。

 

「……泣いてる?」

 

「泣いてない」

 

「泣いてるじゃん」

 

「うるさい」

 

「お父さん泣いてるー」

 

「クイント」

 

「いたっ!」

 

 いつものようにでこぴんを食らう。

 

「痛い!」

 

「王になってもお前はお前だな」

 

「当たり前じゃん!」

 

「そうだな」

 

 ギルは笑った。

 

「……それでいい」

 

 ■

 

 少し離れた場所。

 

 ミカエルは、その光景を黙って見ていた。

 

「…………」

 

 キリナが隣へ来る。

 

「何を考えているんです」

 

「別に」

 

「貴方が黙っていると余計に怖い」

 

「随分な評価ですね」

 

「否定できますか?」

 

「できませんね」

 

 ミカエルはクイントを見る。

 

「星魅の巫女が興味を示すのも、分からなくはない」

 

「ミカエル」

 

「勘違いしないことです。私は何もするつもりはありません」

 

「……今は?」

 

「言葉尻を捉えるのが好きですね、君は」

 

「貴方相手なら当然でしょう」

 

 ミカエルは小さく息を吐く。

 

「それよりも、キリナ」

 

「何です?」

 

「気付きましたか」

 

「…………」

 

 キリナの表情から笑みが消える。

 

「ええ」

 

 二人が同時に森を見る。

 

「いますね」

 

「一人」

 

「人間ではない」

 

「それも――」

 

 キリナが目を細める。

 

「青の雨による汚染を受けていない」

 

「五年間、この土地で?」

 

「恐らく」

 

「興味深い」

 

「その言い方をやめなさい」

 

「では何と言えば満足なのです」

 

「普通に『生存者がいる』でいいでしょう」

 

「……生存者がいる」

 

「わざと言ってますね?」

 

「何のことでしょう」

 

 ■

 

 森の奥。

 

「…………」

 

 少女が地面に触れていた。

 

 茶色い。

 

「…………?」

 

 もう一度触れる。

 

 何度触れても青くならない。

 

 少女はゆっくり顔を上げた。

 

 緑色の葉。

 

 赤い花。

 

 透明な水。

 

「……ぁ」

 

 声が出ない。

 

 何年もまともに喋っていなかった。

 

 喋る相手がいなかった。

 

 死にたくない。

 

 あの頃の自分には、それしかなかった。

 

 死肉を食べた。

 

 それもただの死肉ではない。

 

 太陽さえあれば自己再生を続ける種族――『太陽の民』。

 

 青の雨によって、生きたままゾンビへ変えられた同胞達。

 

 肉体は朽ちる。

 

 太陽が再生させる。

 

 また朽ちる。

 

 また再生する。

 

 けれど。

 

 精神だけは戻らなかった。

 

 言葉を失い。

 

 理性を失い。

 

 最後には誰も、自分が何者なのかすら分からなくなった。

 

 そして。

 

 彼女だけが残った。

 

「…………」

 

 何故、自分だけが青の雨に耐えられたのか。

 

 知らない。

 

 何故、自分だけが正気を保てたのか。

 

 それも知らない。

 

 ただ生きたかった。

 

 だから食べた。

 

 死んだ同胞の肉を。

 

 何年も。

 

 一人で。

 

「…………」

 

 その世界に。

 

 突然。

 

 色が戻った。

 

 少女は知らなかった。

 

 何が起きたのか。

 

 けれど、幼い頃に聞いた話だけは覚えている。

 

 神精霊が王を選ぶ。

 

 王が生まれ。

 

 神精霊が国を守る。

 

 なら。

 

「……おう……?」

 

 何年ぶりかに出した声は、酷く掠れていた。

 

 王が。

 

 生まれた。

 

 少女は立ち上がろうとする。

 

「……っ」

 

 しかし、足に力が入らない。

 

 そのまま地面へ倒れた。

 

「…………」

 

 怖い。

 

 人が。

 

 誰かが来る。

 

 今さら。

 

 この姿を見られる。

 

 逃げなければ。

 

 そう思うのに。

 

 身体が動かない。

 

 遠くから声が聞こえた。

 

「こっち!」

 

「クイント、待て! 一人で行くな!」

 

 少女は知らない。

 

 自分を見つけようとしているその子供が。

 

 たった今、この国の王になったことを。

 

 そして。

 

 その少女――クイントとの出会いが。

 

 後に『神殺し』と呼ばれることになるライベルトの、最初の転機になることを。

 

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