オタク至上主義の教室   作:EXTERMINATION

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第9話 配信者とコスプレイヤー

龍園たちによるオタク狩りが終わってから、

高度育成高等学校を包んでいた緊張は急速に薄れていった。

 

アニメやゲームについて話すだけで、

目をつけられるかもしれないと警戒していた生徒たちは、

再び好きな作品を堂々と語るようになり、アキバモールにも以前以上の活気が戻っている。

 

むしろ、一度趣味を否定されかけた経験があったからこそ、

自分の好きなものを隠す必要はないと考える生徒が増えたようにも見えた。

 

龍園本人がプラモデルとエアガンへ熱中し始めたことも、

学校全体へ大きな影響を与えている。

 

アニメやゲームを馬鹿にしていた代表的な人物が、

今では模型店の常連になっているのだから、

他の生徒たちが趣味を恥ずかしがる理由は少なくなった。

 

石崎は放課後になるとラジコンを抱えて校外活動用の広場へ向かい、

アルベルトは鉄道模型の部品が入った小さな袋を大切そうに持ち歩いている。

 

伊吹は初心者向けのカードデッキを購入してから、

昼休みになるたび対戦相手を探すようになった。

 

勝負へのこだわりが強い彼女は、

すでに初心者という言葉では済まないほど細かくカードの効果を覚え、

相手の手札や次の行動まで予測しながら戦っている。

 

趣味を持つことで、それまで見えなかった人間の側面が次々と表へ出ていた。

 

そして、その流れの中で、作品を見るだけでは満足せず、

自分から何かを発信しようとする生徒も現れ始めた。

 

最初に異変へ気づいたのは、池だった。

 

朝の教室へ入るなり、

池は自分の席へ座る前に端末を掲げ、周囲へ呼びかけた。

 

「なあ、昨日の配信見た奴いるか?」

 

本堂がすぐに反応した。

 

「例の校内VTuberだろ?」

 

「そう、それ!」

 

池は待っていましたと言わんばかりに画面を操作した。

 

「絶対この学校の生徒だよな。話してる内容が詳しすぎる」

 

「購買部の新刊が昼前に売り切れた話まで知っていたからな」

 

本堂も興奮した様子で答える。

 

二人の会話を聞きつけ、外村や須藤、軽井沢たちまで集まってきた。

 

「校内VTuberって何?」

 

佐藤が尋ねる。

 

池は画面へ表示された少女の姿を見せた。

 

桃色と白を基調とした髪に、大きなリボンをつけたアニメ風の少女だった。

 

制服のような衣装を着ているが、

高度育成高等学校のものとは少しデザインが異なっている。

 

画面の下には、配信者の名前として「星宮こはる」と表示されていた。

 

「最近始まった配信者なんだけど、学校の話ばっかりするんだよ」

 

池が説明した。

 

「アキバモールの新商品とか、校内で流行ってるアニメとか、

カードゲームの大会結果とかを話してる」

 

「それは学校の情報を使っているだけではないの?」

 

堀北が冷静に尋ねる。

 

「外の人間でも、公開されている情報なら確認できるでしょう」

 

「でも昨日の配信で、二年の教室で誰かが机を倒したことまで話してたんだぞ」

 

「池くんが倒した机ね」

 

櫛田が笑顔で補足した。

 

「わざとじゃねえよ。足引っかけただけだって」

 

「その場にいた生徒でなければ、すぐには知れない情報ということか」

 

オレが言うと、池は強く頷いた。

 

「そうなんだよ。だから絶対、うちの学校の生徒なんだ」

 

軽井沢は画面を覗き込み、流れている過去の配信を数秒確認した。

 

アニメ風の少女が、明るい声で視聴者へ語りかけている。

 

声には少し加工が施されているらしく、元の話者が誰なのか簡単には判断できない。

 

「結構可愛いじゃん」

 

軽井沢は何気なく言った。

 

その隣で櫛田も画面を見ている。

 

「本当だね。話し方も上手だし、聞きやすいかも」

 

「昨日の配信、同時に200人くらい見てたぞ」

 

池は自分のことのように誇らしげだった。

 

「校内の生徒だけでそれなら、かなり多いのでござる」

 

外村が感心する。

 

「配信開始からまだ四日にもかかわらず、

登録者はすでに500人を越えているのでござるよ」

 

「外村も見てるのか」

 

「当然でござる。最新の校内オタク情報を扱う貴重な配信者なのでござるからな」

 

教室の中では、謎の校内VTuberについて様々な推測が飛び交い始めた。

 

「声の感じだと、一年生じゃない?」

 

「いや、二年だろ。俺たちの学年の話が多いし」

 

「もしかして坂柳じゃね?」

 

池が言うと、周囲から一斉に否定された。

 

「坂柳さんがこんな話し方するわけないじゃん」

 

軽井沢が笑う。

 

「でも、声を加工してるなら分からないだろ」

 

「それでも違うと思う」

 

「じゃあ一之瀬か?」

 

「一之瀬さんならありそう」

 

佐藤が頷く。

 

「優しいし、みんなの話も聞いてそうだし」

 

「でも、一之瀬さんはもっと素直に自分だって言いそうじゃない?」

 

松下が疑問を口にした。

 

「正体を隠す必要がないものね」

 

堀北も同意した。

 

候補として他にも、佐藤、松下、ひより、森下、白石などの名前が挙がった。

 

しかし、どれも決め手に欠けている。

 

軽井沢はしばらく配信を聞いた後、何気なく櫛田へ視線を向けた。

 

櫛田はいつも通りの笑顔を浮かべながら、池たちの推理へ耳を傾けている。

 

「どうしたの、軽井沢さん?」

 

「別に」

 

軽井沢はそう答えたものの、その目には明らかな疑いが含まれていた。

 

オレも画面から流れる声を聞きながら、配信者の話し方を確認した。

 

声そのものは加工されている。

 

ただし、言葉を選ぶ時の間や、

相手の意見を一度肯定してから自分の考えを伝える癖までは消えていない。

 

配信者は視聴者から届いた質問へ答えるたび、

 

「そういう考え方も素敵だと思うよ」

 

「みんなが仲良くできるのが一番だよね」

 

といった言葉を頻繁に使っている。

 

視聴者の誰かを強く否定せず、可能な限り全員へ好かれる振る舞いを選んでいる。

 

その点も、ある人物とよく似ていた。

 

「綾小路、誰だと思う?」

 

池が尋ねた。

 

「まだ判断できない」

 

「お前なら見抜けそうじゃん」

 

「声が加工されている以上、断定は難しい」

 

オレが答えると、櫛田は僅かに安心したように見えた。

 

その反応も判断材料の一つだった。

 

堀北は配信者の過去動画一覧を確認している。

 

「配信時刻は、平日の夜九時前後が多いわね」

 

「そうだな」

 

「土曜日だけ午後にも配信している」

 

「部活動には所属していない可能性が高い」

 

「あるいは、活動時間を自分で調整できる文化系の部活でしょうね」

 

堀北は推理を進めながら、櫛田へ一瞬視線を向けた。

 

オレと同じ結論へ近づいているらしい。

 

「何か分かった?」

 

櫛田が尋ねる。

 

「いいえ。まだ確証はないわ」

 

堀北は平静な表情で答えた。

 

しかし、その後、オレの机へ小さな紙が置かれた。

 

『櫛田さんではないかしら』

 

授業が始まる直前、堀北が書いたものだった。

 

オレはその下へ短く返事を書いた。

 

『可能性は高い』

 

紙を戻すと、堀北は僅かに頷いた。

 

その日の昼休み、軽井沢もオレたちのところへやってきた。

 

周囲に櫛田がいないことを確認してから、声を落とす。

 

「ねえ、あのVTuberって櫛田さんじゃない?」

 

「そう思う理由は?」

 

堀北が尋ねる。

 

「話し方がそのまんまじゃん。声はちょっと違うけど、

笑う前に少し息吸うところとか、誰かに謝る時の言い方とか、絶対櫛田さんだって」

 

軽井沢は普段から櫛田と長く話している。

 

細かな癖を知っているため、声を加工した程度では隠し切れなかったのだろう。

 

「本人へ確認するの?」

 

堀北が尋ねる。

 

「聞くけど、みんなの前では言わない方がいいよね」

 

「正体を隠して活動している以上、その意思は尊重するべきでしょう」

 

「堀北さんがそういうこと言うの、ちょっと意外」

 

「何が?」

 

「前なら、そんなものは本人の自己責任だって言いそうじゃん」

 

堀北は少し黙った。

 

「趣味を楽しんでいるだけなら、わざわざ邪魔をする必要はないでしょう」

 

軽井沢は笑った。

 

「本当に変わったね」

 

「あなたに評価されたくはないわ」

 

放課後になると、オレと堀北、軽井沢は櫛田へ声をかけた。

 

「少し話せる?」

 

軽井沢が尋ねると、櫛田は笑顔で頷いた。

 

「もちろん。どうしたの?」

 

オレたちは人の少ない特別棟の空き教室へ移動した。

 

櫛田は普段と変わらず明るい表情を浮かべていたが、

三人に囲まれている理由を考えているようだった。

 

「回りくどいの嫌だから、そのまま聞くね」

 

軽井沢が最初に切り出した。

 

「星宮こはるって櫛田さんでしょ?」

 

櫛田の笑顔が一瞬だけ止まった。

 

「何のこと?」

 

「誤魔化しても無駄。話し方で分かるし」

 

「声は全然違うと思うけど」

 

「加工してるだけじゃん」

 

櫛田は軽井沢、堀北、オレを順番に見た。

 

「二人もそう思ってるの?」

 

「ええ」

 

堀北が答える。

 

「配信時刻とあなたの行動がほぼ一致しているわ。

あなたが寮の外へ出ていた日は配信が行われず、

教室で行事があった日は、その内容が夜の配信ですぐ話題になっている」

 

「それだけなら、他の生徒でも同じじゃないかな」

 

「あなたには、相手の意見を一度肯定してから

自分の言葉を続ける癖があるわ。配信者も同じ話し方をしている」

 

堀北は淡々と根拠を並べた。

 

「それに、昨日の配信で『みんなと仲良くできたら嬉しいな』と三回言っていた。

あなたがよく使う表現ね」

 

櫛田の表情から、笑顔が少しずつ消えていった。

 

「綾小路くんも?」

 

「ああ」

 

「いつから気づいてたの?」

 

「今日の朝には可能性が高いと思っていた」

 

「思ったより早かったな」

 

櫛田は小さく息を吐いた。

 

完全に追い詰められたと判断したのか、

教室の扉が閉まっていることを確認し、普段より少し力の抜けた表情を見せた。

 

「そうだよ。私がやってる」

 

軽井沢は得意そうに頷いた。

 

「やっぱり」

 

「でも、絶対みんなには言わないでね」

 

「言わないけど、何で隠してるの?」

 

櫛田は窓の外へ視線を向けた。

 

「最初は、普通に配信してみたいと思っただけなの。

アニメやゲームの話をしたり、みんなから届いたメッセージに答えたりしたら楽しそうだなって」

 

「本名でやればいいじゃない」

 

堀北が言う。

 

「櫛田桔梗として始めたら、私のことを知ってる人しか見てくれないかもしれないでしょ」

 

「正体を隠した方が、純粋に配信内容を評価してもらえるということか」

 

オレが尋ねると、櫛田は頷いた。

 

「それもあるかな。それに、普段の私とは少し違うことも言えるから」

 

「違うこと?」

 

軽井沢が聞き返す。

 

櫛田は少し迷ってから、机へ腰を預けた。

 

「教室で誰かに相談された時って、

私はその人が喜びそうな答えを考えちゃうんだよね。

でも、配信なら相手の顔が見えないから、もう少し自分の考えを言いやすいの」

 

「それでも、配信で全員に好かれようとしているように見えるわ」

 

堀北が容赦なく指摘する。

 

櫛田は苦笑した。

 

「そこは簡単に変わらないみたい」

 

普段の櫛田は、周囲の人間から好かれるために、相手に合わせて自分の姿を変えてきた。

 

VTuberという別の姿を手に入れても、その性質は完全には消えていない。

 

ただし、現実の櫛田桔梗として背負っている立場から離れ、

自分の好きなことを話せる場所ができたことには意味があるのだろう。

 

「どうして校内の話題ばかり扱うの?」

 

軽井沢が尋ねた。

 

「最初は普通のアニメ感想を配信したんだけど、あまり見てもらえなかったの。

それで学校の話を少し入れたら、急に人が増えて」

 

「需要を分析したのか」

 

「そういう難しい言い方をするつもりはなかったけど、

みんなが聞きたいことを話そうと思っただけだよ」

 

「視聴者の求めているものを把握して、内容を調整したのでしょう。同じことよ」

 

堀北はそう言いながら、櫛田の活動そのものを否定する様子はなかった。

 

「正体を隠すなら、改善した方がいい点があるわ」

 

「堀北さん、配信の指導までしてくれるの?」

 

「今のままでは、いずれ他の生徒にも気づかれるでしょう」

 

「例えば?」

 

「普段使っている口癖を減らす。教室で起きた出来事を、その日のうちに話さない。

配信中に触れる人物の範囲を広げて、あなたの交友関係と一致しないようにする」

 

櫛田は真剣に聞いている。

 

軽井沢は呆れたように二人を見た。

 

「堀北さん、めっちゃ協力的じゃん」

 

「秘密を知った以上、中途半端な運営によって問題が起きれば、

こちらまで巻き込まれる可能性があるでしょう」

 

「またそういう言い方する」

 

「事実よ」

 

櫛田は堀北の顔を見ながら、柔らかく笑った。

 

「ありがとう、堀北さん」

 

「お礼を言われることではないわ」

 

「でも、応援してくれてるんでしょ?」

 

「改善点を伝えただけよ」

 

堀北は視線を逸らした。

 

翌日の配信から、星宮こはるの話し方には僅かな変化が現れた。

 

学校内の具体的な出来事を扱う頻度が減り、

代わりに視聴者から募集したアニメの感想や、

ゲームの悩み相談へ答える時間が増えた。

 

それでも人気は落ちなかった。

 

むしろ、配信者自身の考えが以前よりはっきり伝わるようになったことで、

視聴者の反応は良くなっている。

 

池たちは正体を見抜けないまま、毎日のように教室で配信の内容を話していた。

 

「昨日のこはるちゃん、カードゲームの相談に答えてたよな」

 

池が言う。

 

「伊吹へ聞いた内容を使ったのではないか」

 

本堂が推測する。

 

「じゃあ伊吹が中の人か?」

 

「絶対違うでしょ」

 

軽井沢が即座に否定した。

 

少し離れた席では、櫛田が何も知らないような顔で笑っている。

 

「誰なんだろうね」

 

本人が最も楽しそうに推理へ参加していることに、池たちは気づかなかった。

 

 

校内VTuberが話題になる一方で、アキバモールでは新しいイベントが企画されていた。

 

アニメショップの開店一か月を記念し、

生徒が好きなキャラクターの衣装を着て

参加できるコスプレ交流会が開かれることになった。

 

イベントの告知が始まった日、

一之瀬は店頭へ飾られたポスターの前で立ち止まっていた。

 

ポスターには、華やかな衣装を着た人物たちが並び、

初心者の参加も歓迎すると書かれている。

 

「帆波ちゃん、気になるの?」

 

隣にいた網倉麻子が尋ねた。

 

一之瀬は少し驚き、慌てたように首を振った。

 

「見るだけだよ」

 

「前にメイドさんの衣装着てみたいって言ってたよね」

 

「言ったけど、本当に着るとは言ってないよ」

 

「でも似合うと思う」

 

「人前に出るのは恥ずかしいかな」

 

一之瀬はポスターへ視線を戻した。

 

彼女が好きな作品には、主人公たちを支えるメイド姿の少女が登場する。

 

いつも明るく、誰かが落ち込んでいれば真っ先に声をかけ、

危険な時には自分より仲間を優先する人物だった。

 

一之瀬がその少女を好きな理由は、衣装が可愛らしいからだけではない。

 

周囲の人間を安心させる優しさや、誰かのために行動できる強さへ憧れているらしい。

 

「部屋で一回だけ着てみたら?」

 

網倉が提案した。

 

「外に出なくても、似合うか確認できるでしょ」

 

一之瀬はしばらく迷った後、小さく頷いた。

 

「見るだけなら、衣装を見に行ってみようかな」

 

その日の放課後、一之瀬たちはコスプレ衣装を扱う店へ入った。

 

軽井沢や櫛田も偶然店へ来ており、

一之瀬がメイド風の衣装を手にしている姿を見つけた。

 

「一之瀬さん、それ着るの?」

 

軽井沢が尋ねる。

 

一之瀬は恥ずかしそうに衣装を自分の後ろへ隠した。

 

「まだ決めてないよ」

 

「絶対似合うって」

 

「軽井沢さん、前にも同じこと言ってたよね」

 

「だって本当に似合いそうだし。試着してみなよ」

 

櫛田も賛成した。

 

「私も見てみたいな」

 

「二人に見られる方が恥ずかしいよ」

 

「大丈夫だよ。変だったら正直に言うから」

 

「それも怖いんだけど」

 

一之瀬は困ったように笑ったものの、最終的には試着室へ入った。

 

数分後、カーテンが少しだけ開いた。

 

「本当に出ないと駄目?」

 

「出てきてよ」

 

軽井沢が急かす。

 

一之瀬は意を決したように、ゆっくりと姿を見せた。

 

黒と白を基調としたメイド風の衣装に、作品の少女と同じ髪飾りをつけている。

 

過度に派手なものではなく、丈も落ち着いており、清潔感のあるデザインだった。

 

一之瀬の柔らかな雰囲気ともよく合っている。

 

軽井沢と櫛田は、一瞬言葉を失った。

 

「どうかな?」

 

一之瀬が不安そうに尋ねる。

 

「似合いすぎ」

 

軽井沢が答えた。

 

「本当にアニメから出てきたみたい」

 

櫛田も目を輝かせる。

 

網倉も何度も頷いている。

 

「帆波ちゃん、絶対イベント出た方がいいよ」

 

「でも、知らない人に見られるんだよね」

 

「見られるっていうより、同じ作品が好きな人と楽しむイベントだよ」

 

櫛田が説明した。

 

「一之瀬さんがそのキャラクターを好きな気持ちが伝われば、それでいいんじゃないかな」

 

一之瀬は鏡へ映った自分の姿を見た。

 

普段の制服とはまったく違う。

 

それでも、誰かへ見せるためだけに仮装しているという感覚ではなかった。

 

好きな人物の姿を借り、その人物へ少しだけ近づこうとしている。

 

「この子みたいに、見た人を元気にできたらいいな」

 

一之瀬は静かに言った。

 

「だったら出ようよ」

 

軽井沢が背中を押す。

 

一之瀬は長く迷った後、イベントへの参加を決めた。

 

交流会当日。

 

一之瀬がメイド姿でアキバモールへ現れると、

周囲の生徒たちは予想以上の反応を見せた。

 

会場へ向かっていた生徒が足を止め、遠くからでも一之瀬の姿へ気づく。

 

同じクラスの生徒たちは歓声を上げ、他クラスの生徒まで集まり始めた。

 

「一之瀬さん、本当に参加したんだ」

 

「似合ってる」

 

「写真お願いしてもいい?」

 

一之瀬は最初こそ頬を赤く染め、両手を胸の前で重ねながら戸惑っていた。

 

「ほ、本当に私でいいのかな……?」

 

遠慮がちな笑顔を浮かべる彼女へ、周囲の生徒たちは口々に声を掛ける。

 

「一之瀬さんなら絶対似合うよ!」

 

「お願い!一言だけでも!」

 

「無理しなくていいから!」

 

その温かい声援に、一之瀬は小さく息を吸い込み、照れ笑いを浮かべた。

 

「じゃ、じゃあ……少しだけね」

 

彼女は姿勢を正し、演じるキャラクターを頭の中で思い浮かべる。

 

最初はまだ恥ずかしさが残っている。

 

ぎこちなく両手を振りながら、明るい笑顔を作ると、元気いっぱいの声で叫んだ。

 

「オ、オハヨウゴジャマース!ヤッホロー!」

 

ほんの少しだけ噛みそうになりながらも、

一生懸命に再現したその挨拶に、一瞬の静寂が訪れる。

 

次の瞬間――。

 

「うおおおおおおっ!!」

 

「かわいいーーーー!!」

 

「すげぇ!本当にそれっぽい!」

 

「もう一回お願いします!」

 

会場中に歓声が響き渡った。

 

一之瀬は耳まで真っ赤に染める。

 

「え、えへへ……そんなに喜んでもらえるなんて思わなかった」

 

恥ずかしそうに頭を掻きながら笑う姿に、さらに歓声が大きくなる。

 

「その笑顔も最高!」

 

「本人までかわいい!」

 

「次はクール系お願い!」

 

そんなリクエストが飛ぶと、一之瀬は少し困ったように笑った。

 

「クール系かぁ……やったことないけど、頑張ってみるね」

 

今度はゆっくりと息を整える。

 

先ほどまでの柔らかな雰囲気は消え、表情が引き締まる。

 

視線も鋭く変わり、まるで別人のような空気をまとった。

 

右手をゆっくり前へ突き出し、低めの声で静かに告げる。

 

「貴様ら全員、剣の錆にしてやるぜ」

 

普段の優しい一之瀬からは想像もつかない凛とした口調に、

その場にいた生徒たちは一瞬息を呑んだ。

 

そして、数秒遅れて会場が爆発した。

 

「かっけぇぇぇぇぇ!!」

 

「ギャップが反則!」

 

「鳥肌立った!」

 

「もう一回!今のもう一回!」

 

「一之瀬さん最高ー!!」

 

拍手と歓声が止まらない。

 

一之瀬は張り詰めていた表情を崩すと、思わず吹き出してしまった。

 

「だ、だめだよぉ……恥ずかしいよ」

 

そう言って照れ笑いを浮かべると、先ほどまでの凛々しい姿との落差に、

会場はさらに大きな笑いと拍手に包まれた。

 

「やっぱり一之瀬さんは笑顔が一番!」

 

「いや、クール系もめちゃくちゃ良かった!」

 

「どっちも似合う!」

 

次々と飛んでくる称賛の声に、一之瀬は何度も頭を下げながら嬉しそうに微笑む。

 

最初は人前で演じることに戸惑っていた彼女だったが、

目の前で純粋に楽しそうな笑顔を見せる仲間たちを見ているうちに、

不思議と緊張は消えていった。

 

「誰かを笑顔にできるなら、それだけで十分嬉しいな」

 

その優しい一言に、会場は再び大きな拍手と歓声に包まれた。

 

会場の端では神崎が頭を抱えている。

 

「一之瀬、お前は自分の影響力をもう少し理解した方がいい」

 

「そんなに変だった?」

 

「逆だ。似合いすぎて人が集まっている」

 

神崎の言葉を聞き、一之瀬はさらに顔を赤くした。

 

「でも、みんな楽しそうだよ」

 

「それはそうだが」

 

「だったら参加してよかったと思う」

 

一之瀬は、写真を頼むため列へ並んでいる生徒たちを見ながら笑った。

 

単に注目を集めたいわけではない。

 

自分の姿を見た誰かが、好きな作品を思い出し、少し楽しい気持ちになってくれる。

 

そのことが、一之瀬には嬉しいらしい。

 

「一之瀬らしいな」

 

オレが言うと、隣にいた堀北が頷いた。

 

「ええ。本人は目立つことを目的にしていないもの」

 

堀北は一之瀬の姿を見ながら、興味深そうに衣装の細部を確認している。

 

「お前も着てみたいのか」

 

「どうしてそうなるの?」

 

「さっきから衣装を見ている」

 

「再現度を確認していただけよ」

 

「妹姫の衣装も置いてあるらしい」

 

オレが告げると、堀北の視線が一瞬だけ動いた。

 

「私は着ないわ」

 

「まだ頼んでいない」

 

「先に断っておいただけよ」

 

少し離れた場所では、軽井沢と櫛田が一之瀬の写真を撮っていた。

 

櫛田は後に配信でこのイベントを話題にするつもりなのだろう。

 

ただし、一之瀬本人の名前を出さないよう、堀北から注意を受けていた。

 

一通りの撮影が終わったところで、一之瀬は満足そうに息を吐くと、

近くで様子を見ていた自分のクラスの女子たちへ視線を向けた。

 

そこには網倉麻子、白波千尋、小橋夢、そして姫野ユキがいる。

 

四人とも最初は一之瀬のコスプレを見物するだけのつもりだったらしいが、

友人が大勢の生徒から歓声を浴び、楽しそうにポーズを取っている姿を間近で見ているうちに、

それぞれ違った反応を見せるようになっていた。

 

一之瀬はそんな四人の前まで歩いていくと、期待を隠そうともせずに笑った。

 

「ねえ、みんなも一緒にやってみない?」

 

「やる!」

 

真っ先に答えたのは網倉だった。

 

ほとんど考える時間すらなかった。

 

「帆波ちゃんが着てるの見てたら、私もやりたくなってきた!

こういうのって一人でやるより、みんなで合わせた方が絶対楽しいでしょ?」

 

「私も興味あるかも」

 

小橋も楽しそうに頷いた。

 

「せっかく五人いるんだし、ちょうど五人組の作品を選んだら面白そう。

衣装を揃えて、作中と同じ並び方で写真を撮ってみたいな」

 

二人が早くも乗り気になっている一方で、

白波は落ち着かない様子で自分のスカートの裾を両手で掴んでいた。

 

「わ、私は見てるだけでいいかな……。

帆波ちゃんみたいに、みんなの前でポーズを取るなんて恥ずかしいよ」

 

「大丈夫だよ、千尋ちゃん」

 

一之瀬は白波へ顔を近づける。

 

「一人だったら恥ずかしくても、

五人一緒ならそんなに気にならないと思うよ。それに絶対似合うから」

 

「そ、そういう問題かな……」

 

白波は頬を赤くしながら視線を逸らしたものの、強く拒否する様子もなかった。

 

そして最後の一人である姫野は、いかにも面倒そうな表情で四人を眺めていた。

 

「私はいいよ。そういうの、あんまり向いてないと思うし」

 

「ユキちゃんも似合うと思うけどなあ」

 

「そうそう」

 

網倉もすぐに加勢した。

 

「ユキって顔立ち綺麗だし、クール系のキャラだったら絶対似合うよ」

 

「……そう?」

 

先ほどまで嫌そうにしていた姫野の返事が、ほんの僅かに柔らかくなった。

 

小橋はその変化を見逃さなかった。

 

「今ちょっと嬉しかったでしょ?」

 

「別に」

 

「絶対嬉しかったよね?」

 

「しつこい」

 

姫野はそっぽを向いたが、口元にはほんの僅かな笑みが浮かんでいた。

 

褒められること自体は、どうやら満更でもないらしい。

 

一之瀬は四人の反応を確認すると、両手を合わせた。

 

「じゃあ決まりだね。次のコスプレイベント、五人で参加しよう!」

 

「私、まだ参加するって言ってないんだけど」

 

姫野が呆れたように言う。

 

「私もまだ……」

 

白波も小さく抵抗した。

 

しかし、一之瀬と網倉と小橋の三人は、すでにどの作品を選ぶかという相談を始めていた。

 

それからしばらくして。

 

五人は再び、多くの生徒が集まるイベント会場へ姿を現した。

 

今度の一之瀬は一人ではない。

 

一之瀬を中央にして、網倉、白波、小橋、姫野が横一列に並び、

それぞれ五人組のヒロインをイメージした色違いの衣装を身につけていた。

 

網倉は最初から楽しそうに笑っており、小橋もすっかりイベントの空気を楽しんでいる。

 

白波は最後まで恥ずかしそうだったが、隣に一之瀬がいることでどうにか逃げ出さずに済んでいた。

 

姫野に至っては、「何で私まで」と直前まで文句を言っていたにもかかわらず、

いざ衣装を着て周囲から似合っていると褒められると、

悪い気はしていないらしく、いつもより僅かに姿勢が良くなっていた。

 

「それじゃあ、みんな!」

 

一之瀬が合図する。

 

「せーの!」

 

五人は事前に何度も練習してきた決めポーズを一斉に取った。

 

一之瀬が堂々と中央へ立ち、網倉と小橋が楽しそうに左右を固め、

白波も赤くなった頬のまま懸命にポーズを決める。

 

そして姫野までが、少し照れくさそうにしながらも最後にはきっちりと動きを合わせた。

 

「太陽に代わって、おしおきよ!」

 

五人の声が綺麗に重なった瞬間、

周囲を埋め尽くしていた生徒たちから凄まじい歓声が巻き起こった。

 

一之瀬は驚いたように目を丸くした後、すぐに満面の笑顔を浮かべた。

 

網倉と小橋も笑い、白波は恥ずかしさに耐えきれなくなったように顔を赤くし、

姫野は呆れたような表情を作りながらも、結局は楽しそうに笑っていた。

 

一人で始めた一之瀬の新しい趣味は、いつの間にか大切な友人たちまで巻き込み、

五人で楽しむ新しい遊びへと変わっていた。

 

そして、その光景を撮影していた軽井沢と櫛田が顔を見合わせて笑う中、

会場にはもう一度、五人のコスプレイヤーへ向けた大きな拍手と歓声が響き渡った。

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