休日の午後、オレはアキバモールのフィギュア専門店へ足を運んでいた。
目的は、部屋へ新しいフィギュアを迎えることではない。
少なくとも、店へ入った時点ではそのつもりだった。
オンラインゲームの協力戦が始まるまで少し時間があり、
別の店舗で攻略本を探した帰りに、新作展示を確認しておこうと考えただけである。
以前のオレであれば、陳列棚へ並ぶ人形の違いに意識を向けることはなかった。
同じ人物を立体化した商品が複数存在していても、なぜ一つだけ価格が高く、
なぜ予約開始直後に売り切れるものがあるのか理解できなかっただろう。
しかし、美少女ゲームを遊び、アニメを見て、
堀北の部屋を改造する作業へ参加したことで、
商品ごとに造形、塗装、表情、衣装、台座、ポーズが異なることを知った。
わずかな角度の差によって、同じ人物でも印象が変わる。
作品の中で見せた表情が再現されていれば、
ファンは単なる人形ではなく、物語の一場面を手元へ置いているように感じる。
その仕組みを理解したからといって、オレがすぐに収集家になるわけではない。
ただ、市場としても、人間心理を知る題材としても興味深かった。
店内へ入ると、入口近くの特設展示に多くの生徒が集まっていた。
人気アニメの放送終了を記念して発売される、
女性主人公の大型スケールフィギュアが展示されている。
風の強い高台へ立ち、遠くを見つめている場面を再現したものだった。
長い髪が後方へ大きくなびき、上着の裾やスカートにも風の流れが表現されている。
片足を僅かに前へ出した姿勢には静かな動きがあり、
台座には作中の崩れた石畳が再現されていた。
表情は笑顔ではない。
戦いを終えた後の安堵と、失ったものを思い返す寂しさが混ざっているように見える。
「よくできていますね」
すぐ横から、聞き覚えのある穏やかな声がした。
振り返ると、ひよりが展示を見つめていた。
片手にはライトノベルが数冊入った袋を持っている。
「ひよりも来ていたのか」
「はい。本を買いに来たのですが、
新作の展示が始まったと聞きましたので、少しだけ見ていこうと思いました」
「少しだけ、か」
「綾小路くんも同じではありませんか?」
「否定はしない」
二人で展示を見ていると、今度は杖の音が近づいてきた。
「お二人とも、随分と興味深そうに眺めていますね」
坂柳が神室を伴わず、一人で店内へ入ってきた。
彼女は展示へ近づくと、正面だけでなく左右からも確認し、
最後に少し距離を取って全体を見渡した。
「坂柳も見に来たのか」
「予約を判断するためです。画像だけでは、髪や衣装に施された陰影、
台座との一体感までは正確に把握できませんから」
「買うつもりなのですか?」
ひよりが尋ねる。
「現物を確認した上で決めます。話題性だけを理由に購入するつもりはありません」
坂柳はそう言いながら、明らかに高い関心を示している。
三人の視線が、同じフィギュアへ向けられた。
しばらく誰も話さなかった。
最初に口を開いたのは、ひよりだった。
「髪の流れが、とても綺麗ですね」
「風を受けている方向が統一されています」
坂柳が応じる。
「髪だけでなく、衣装の裾や細い飾り紐まで同じ方向へ動いているため、
静止しているのに風景全体が動いているように見えます」
「重心も不自然ではない」
オレは足元を確認した。
「片足へ負荷が偏りすぎれば、人物が倒れそうに見える。
これは体の中心が台座の内側に収まっている」
坂柳が微笑む。
「綾小路くんは、まず安定性を見るのですね」
「長期間飾る商品なら重要だろう」
「確かにそうですが、私が最初に注目したのは脚部でした」
坂柳は何気ない調子で言った。
ひよりが少しだけ首を傾ける。
「脚ですか?」
「ええ。この人物は作中でも軽やかな動きを見せることが多く、
立ち姿の美しさが魅力の一つです。膝から足首までの線が不自然に細すぎず、
それでいて衣装の裾から見える範囲へ十分な存在感があります」
「脚部の造形が売上へ影響すると?」
オレが尋ねる。
坂柳は当然のように頷いた。
「美しい脚は、フィギュア全体の印象を大きく左右します。
立ち姿を扱う商品では、顔の次に視線が向かいやすい箇所と言ってもよいでしょう」
「私は、脚だけで売れるとは思いません」
ひよりが静かに反論した。
坂柳は興味を示すように彼女を見る。
「理由を伺ってもよろしいですか?」
「どれだけ脚が綺麗でも、表情や衣装、人物らしい仕草が再現されていなければ、
そのキャラクターを好きな人には物足りないと思います。私は、このフィギュアの良さは、
脚よりも少し俯いた顔と、握りかけた左手にあるように感じます」
ひよりは展示の左手を指した。
完全に拳を握っているわけではない。
指先に少し力が入り、何かを掴もうとして、結局手放したような形になっている。
「最終話で、主人公が仲間から受け取ったお守りを返すか迷った時と同じ仕草です。
そこまで意識した造形であれば、作品を見た人ほど心を動かされるのではないでしょうか」
坂柳は左手を確認し、目を細めた。
「なるほど。私は全体のシルエットを先に見たため、手元の物語性を見落としていました」
「二人の意見は両立する」
オレが言うと、ひよりと坂柳がこちらを見る。
「脚部は全体の美しさと目を引く力へ影響する。
表情や仕草は、作品を知る人間の満足度へ影響する。
購入者の層が違えば、重視する点も変わる」
「市場分析へ持っていくのですね」
坂柳は楽しそうだった。
「では、綾小路くんは何が最も売上へ影響すると考えますか?」
「最初は知名度だろう」
オレは展示の横に置かれた予約案内を見た。
「造形が優れていても、原作や人物を知らない人間が高額な商品を買う可能性は低い。
人気作品の人気キャラクターであることが、最初の条件になる」
ひよりは少し考えた。
「ですが、知らないキャラクターでも、フィギュアを見て綺麗だと思い、
作品へ興味を持つ人もいるのではないでしょうか」
「一定数はいるだろう。だが、それが主要な購買層とは考えにくい」
坂柳が杖へ手を添えながら口を開いた。
「知名度が入口であることには同意します。
しかし、人気だけでは高価格帯の商品が成功するとは限りません。
同じキャラクターの商品が複数発売されれば、購入者は造形とメーカーを比較します」
「メーカーのブランド力ですか?」
ひよりが尋ねる。
「ええ。過去の商品で塗装の品質が安定しているか、発売延期が少ないか、
見本と製品版に大きな差がないか。その積み重ねが信用になります」
「つまり、キャラクターの人気とメーカーの信頼性が最初の購買判断を作る」
オレが整理すると、坂柳は頷いた。
「その上で、造形美と原作再現が最終判断を左右します」
「では、美脚が売れる条件という最初の意見は後退したのか?」
「後退していません」
坂柳は即答した。
「人気、メーカー、造形のすべてが一定水準に達した商品同士を比較するなら、
最終的な差を生むのは視覚的な魅力です。
その中でも、脚の美しさは非常に強い要素になります」
「坂柳さんは、脚へ強いこだわりがおありなのですね」
ひよりが悪意なく言った。
坂柳は一瞬だけ黙り、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「私個人の身体的事情と、造形上の評価は分けていただきたいですね」
「失礼しました」
ひよりは素直に頭を下げた。
オレは展示の全体を見直した。
「美脚だけで売れるというより、
立ち姿の魅力を象徴する要素として脚が重要だということか」
「その表現なら、私の意図に近いですね」
議論はそこで終わるはずだった。
最初は一つの展示について、数分意見を交わしただけである。
しかし、ひよりが隣のフィギュアへ視線を向けたことで、話題は次の段階へ進んだ。
そこには、同じ人物を扱いながら、まったく異なる衣装とポーズのフィギュアが並んでいた。
先ほどのものは、物語終盤の戦闘衣装だった。
隣にあるのは、特別編で披露されたメイド服姿である。
片手には銀色の盆を持ち、もう片方の手でスカートの端を少し持ち上げている。
表情は作中より柔らかく、普段は見せない微笑みが強調されていた。
「同じ人物でも、こちらは作品の物語性より、普段との違いを楽しむ商品ですね」
ひよりが言った。
「売上だけなら、こちらが上回る可能性もある」
オレは商品情報を確認した。
「価格は少し低い。衣装も分かりやすく、原作を深く知らない人間にも魅力が伝わる」
坂柳は二つを見比べた。
「しかし、長く飾った時に満足できるかは別問題です。
限定衣装は最初の印象こそ強いですが、
人物本来の姿を求める人には、いずれ違和感が出るかもしれません」
「私はメイド服も、そのキャラクターに似合っていれば良いと思います」
ひよりが答える。
「作中で本人が嫌がりながらも、
仲間のために着ていた衣装ですから、その場面を思い出せます」
「ひよりは衣装そのものより、物語上の理由を重視するようだな」
「はい。可愛い衣装でも、その人物が着る理由を想像できなければ、
私は少し落ち着かないかもしれません」
坂柳が別の展示を指した。
「では、水着はどうでしょう?」
展示棚の中央には、夏の海を舞台にした作品のヒロインが、
水着姿で波打ち際へ立つフィギュアがあった。
健康的で明るい雰囲気を重視した造形であり、
台座には透明素材を使った水しぶきが表現されている。
「水着は衣装の情報量が少ない分、
身体のバランスとポーズの完成度が直接評価されます」
坂柳が説明する。
「誤魔化しが利かないという意味では、
造形師の技術が最も表れやすい衣装の一つでしょう」
「ですが、人物の性格が表れにくくなりませんか?」
ひよりが尋ねた。
「同じ水着でも、ポーズと表情によって性格は出せます」
坂柳は展示を見ながら答える。
「この人物は活発な性格ですから、正面を向いて笑い、片手で水を払う姿が合っています。
引っ込み思案な人物に同じポーズをさせれば、確かに違和感が生まれるでしょう」
「性格は関係あるということか」
オレが言う。
「当然です」
ひよりは強く頷いた。
「フィギュアは外見だけを立体化するものではありません。
その人物らしさまで伝わるからこそ、ファンは欲しいと思うのではないでしょうか」
坂柳は少し考えた。
「私は、性格を必須条件とは考えません」
ひよりが驚いたように坂柳を見る。
「関係ないということですか?」
「完全に無関係ではありません。
しかし、原作では絶対にしないようなポーズや表情でも、
それ自体の完成度が高ければ、商品として成立することはあります」
「ですが、それはキャラクターではなく、見た目だけを借りた別人になりませんか?」
「購入者がどこまで原作再現を求めるかによります。
人物そのものを愛している者もいれば、デザインや衣装を気に入っている者もいます」
オレは二人の主張を整理した。
「ひよりは、人物の内面と外見の一致を重視している。
坂柳は、商品として独立した芸術性も認めている」
「はい」
「その通りです」
二人が同時に答えた。
議論は次第に、店内のあらゆる展示へ広がっていった。
制服姿。
メイド服。
水着。
バニー風の舞台衣装。
魔法少女。
騎士。
現代的な私服。
アイドル衣装。
同じ人物でも衣装が変われば、何を魅力として見せる商品なのかが変わる。
「制服が最も強いと思います」
ひよりは、学園作品のヒロインが放課後の教室へ立つフィギュアを見ながら言った。
「普段の姿ですから、その人物と過ごした物語を最も自然に思い出せます。
派手ではありませんが、机や鞄、窓から差す夕日のような小物と組み合わせれば、
作品の空気まで表現できます」
「制服は安定していますが、差別化が難しいですね」
坂柳は冷静だった。
「似たような商品が多く、並べた時に新鮮さを失いやすい。
衣装そのものの強さでは、メイド服やバニー風衣装の方が目を引きます」
「目を引くことと、長く愛されることは同じではありません」
ひよりは譲らない。
「では、魔法少女はどうですか?」
坂柳が尋ねる。
「衣装の情報量、象徴性、色彩、武器、エフェクト。
立体物として見せ場を作りやすい要素が揃っています」
「その作品の中心的な姿であるなら、強いと思います」
ひよりは認めた。
「ただし、装飾が多いほど、顔や仕草が埋もれる可能性もあります」
「情報量が多ければ良いわけではないということか」
オレが言う。
「はい。目をどこへ向ければよいか分からない商品は、見ていて疲れてしまいます」
坂柳は展示棚から少し離れ、複数のフィギュアを比較した。
「その点では、視線の流れが重要です。
顔、上半身、武器、脚、台座という順に自然に見られる構成が理想でしょう」
「坂柳は展示空間として見ているな」
「一体だけを眺める場合でも、鑑賞者の視線は動きます。
すべてを同じ強さで主張すれば、全体の完成度は下がります」
「では、最強の衣装は存在しないのでしょうか」
ひよりが尋ねた。
「人物による」
オレは答えた。
「同じ衣装でも、キャラクターの知名度、性格、作品内での意味、
造形師の技術によって結果が変わる。一つだけを最強と決めるのは難しい」
「議論を終わらせるには、少々早いですね」
坂柳が笑った。
どうやら彼女は結論より、議論そのものを楽しみ始めていた。
ひよりも同じらしく、次の展示を見つけて立ち止まる。
「こちらは、表情がとても良いと思います」
それは人気ラブコメ作品のヒロインだった。
衣装は普通の制服であり、派手なエフェクトもない。
椅子へ横向きに座り、読んでいた本から顔を上げた瞬間を表現している。
口元には僅かな笑みがあり、視線は正面ではなく、少し右上へ向いていた。
「誰かに話しかけられて、嬉しいけれど、それを隠そうとしている表情ですね」
ひよりが言った。
「口元だけなら笑っている。しかし、目は驚いている」
オレは確認した。
「原作の性格を知らない人間にも、感情が複雑であることは伝わる」
坂柳は髪と制服の境目を見た。
「衣装の皺も秀逸です。座っているため、腰と肘の周囲へ自然な圧力がかかっている。
布地の厚さも、冬服らしく表現されています」
「服の皺は、そこまで重要ですか?」
ひよりが尋ねる。
「非常に重要です。皺がなければ、衣装が身体へ貼りついた薄い膜のように見えてしまいます。
どこへ力がかかり、人物がどのように座っているかを説明するのが皺です」
オレは先ほどの風になびくフィギュアを思い出した。
「髪も同じか。動きの方向だけでなく、重さや風の強さを伝える」
「ええ。髪がすべて均等に広がれば、現実味がありません。
根元は重く、毛先ほど大きく動く。束ごとの間隔が違うことで、自然な流れになります」
「坂柳さんは、絵画や彫刻のように見ているのですね」
ひよりが感心する。
「フィギュアも立体芸術の一つです。工業製品であると同時に、
造形師の解釈が反映された作品でもあります」
「量産されるものでも、芸術と呼べるのか?」
オレが尋ねる。
「版画や写真も複数存在しますが、芸術性を失うわけではありません。
再現可能であることと、表現に価値がないことは別です」
ひよりが頷いた。
「私も、好きな物語を立体として残すことには芸術的な意味があると思います。
文章では読者が想像し、アニメでは映像として動きます。
フィギュアは、一つの瞬間を止めて、様々な角度から見られる形にしたものですから」
「一つの瞬間の選択も重要になるな」
「はい。どの場面を形にするかによって、
造形師がその人物の何を大切にしたか分かります」
議論開始から、すでに一時間以上が経過していた。
オレは一度端末を確認した。
オンラインゲームの協力戦は、すでに始まっている。
参加予定ではなかったため問題はないが、
当初は店へ十分程度立ち寄るつもりだった。
二人へ時間を告げようとしたが、坂柳が新しい論点を出した。
「先ほどから芸術性を重視していますが、
売上という点では、もう一つ無視できない要素があります」
「価格ですか?」
ひよりが尋ねる。
「価格もありますが、さらに直接的なものです」
坂柳は、少し大人びた雰囲気を持つ女性キャラクターのフィギュアへ視線を向けた。
露出を強調したものではない。
黒いドレスと長い手袋を身につけ、椅子へ腰かけている。
静かな微笑みと姿勢によって、落ち着いた魅力を表現した商品だった。
「成熟した雰囲気です」
坂柳は言った。
「明るさや可愛らしさとは異なる、落ち着きと気品。
そうした魅力を求める層も確実に存在します」
「大人びた色気が必要ということですか?」
ひよりは少し言葉を選びながら尋ねた。
「すべての商品に必要ではありません。
しかし、幼い可愛らしさだけが美少女フィギュアの魅力ではないということです」
「私は、純真無垢な雰囲気も同じくらい強いと思います」
ひよりは別の棚を示した。
そこには、白いワンピースを着た少女が、花畑で小さく笑うフィギュアがあった。
装飾は少なく、台座も透明な花びらだけで構成されている。
「この人物は、誰かを疑うことを知らないほど素直で、その純粋さが物語を動かします。
派手な衣装も、大人びた雰囲気もありませんが、
見ているだけで安心できる魅力があります」
「両方が市場に存在するのは、購入者が求める感情が違うからだろう」
オレは二つを見比べた。
「落ち着いた人物には憧れや緊張感を感じ、純真な人物には親しみや安心を感じる」
「では、綾小路くんはどちらを選びますか?」
坂柳が尋ねる。
「条件が足りない」
「どのような条件が必要ですか?」
「作品を知っているか。人物の性格が好みか。
部屋に飾った時に他の商品と合うか。価格。メーカー。造形の完成度」
「随分と慎重ですね」
「坂柳も同じだろう」
「私は、最後には直感も重視します」
「意外だな」
「すべてを数値化できるわけではありません。
見た瞬間に手元へ置きたいと思うかどうかも、立派な判断材料です」
ひよりが微笑んだ。
「坂柳さんにも、理屈だけでは説明できない好きなものがあるのですね」
「もちろんです。私を何だと思っているのですか?」
「すべてを分析して決める方だと思っていました」
「分析した上で、最後は自分の好みを選びます」
話題は、売れる条件から、所有する喜びへ移った。
フィギュアを買う理由は、投資でも、部屋の装飾でも、作品への応援でもあり得る。
箱から出さずに保存する者。
開封して様々な角度から眺める者。
同じシリーズをすべて揃える者。
好きな人物だけを集める者。
台座や照明まで工夫し、一つの場面として展示する者。
「私は、物語が繋がるように飾りたいです」
ひよりが言った。
「同じ作品の人物を近くへ置き、その関係が分かるようにしたいと思います」
「堀北と同じだな」
オレが言う。
「堀北さんも、先日アクリルスタンドを二つ購入されていましたね」
「一人だけでは関係性が伝わらないと言っていた」
坂柳が静かに笑う。
「堀北さんらしい理屈ですね。単純に二人とも好きだからと認めればよいものを」
「軽井沢にも同じことを言われていた」
「ですが、そのこだわりは展示へ意味を与えます」
ひよりは堀北を擁護した。
「単に多く並べるのではなく、自分が感じた物語を部屋の中で再現しているのですから」
「オレの部屋には、まだフィギュアは少ない」
「今後増える可能性は?」
坂柳が尋ねる。
「否定はしない」
「では、本日一体選んでみてはいかがですか?」
「なぜそうなる」
「理論だけでは、所有者の感情を完全には理解できません。
実際に購入し、部屋へ飾り、毎日眺めた上で評価する必要があります」
「研究対象として買えと?」
「その言い方なら、綾小路くんも購入しやすいのではありませんか?」
坂柳は楽しそうに言った。
ひよりも、少し期待するようにオレを見る。
「綾小路くんがどのようなフィギュアを選ぶのか、私も興味があります」
「二人とも、オレに買わせたいだけではないのか」
「否定はいたしません」
坂柳は即答した。
その後、三人でオレが最初に買うべき一体を探すことになった。
ここから議論はさらに複雑になった。
「人気キャラクターから選ぶべきです」
坂柳は、現在放送中の作品で最も人気が高いヒロインを候補に挙げた。
「最初の一体であれば、評価が安定しており、
関連商品も多い人物の方が収集へ繋げやすいでしょう」
「綾小路くんが本当に好きな人物でなければ意味がありません」
ひよりは反対した。
「知名度が高いからという理由だけで選べば、
後から別の人物の方が良かったと思うかもしれません」
「オレの好みを確認せずに話が進んでいないか」
「では、どのような人物がお好きですか?」
ひよりが尋ねる。
「簡単には決められない」
「美少女ゲームでは、どのヒロインの話が印象に残りましたか?」
「学級委員長の人物だな」
「真面目で、他人へ頼ることが苦手な方ですね」
「どこかで聞いた性格ですね」
坂柳が意味ありげに笑う。
「堀北のことを言っているなら、関係ない」
「私は何も申し上げていませんよ」
ひよりは少し困ったように二人を見る。
「では、真面目で不器用な人物を中心に探してみましょうか」
「オレがそういう人物だけを好むと決まったわけではない」
「しかし、最初の候補としては十分です」
店内を歩きながら、三人は表情、衣装、ポーズ、メーカー、価格を一つずつ検討した。
制服姿は原作らしいが、台座が簡素すぎる。
魔法少女姿は華やかだが、オレの部屋に置くには色が強い。
メイド服は造形が良いが、本編での出番が少ない。
私服姿は自然だが、人物の象徴となる小道具が不足している。
戦闘衣装は格好いいが、武器が大きく場所を取る。
「選択肢が多すぎる」
オレが言うと、坂柳が答えた。
「だからこそ楽しいのです」
「最初の一体でここまで迷うのですね」
ひよりも少し驚いていた。
「ひよりは何を基準に買っている?」
「私は、見た瞬間にその人物の好きな場面を思い出せるかどうかです」
「具体的だな」
「例えば本を抱えている姿なら、一緒に図書室で過ごした場面を思い出せます。
戦っている姿より、日常の中で好きになった人物は日常の姿で置いておきたいです」
「ひより自身が本を好むから、その姿へ共感する部分もあるのだろう」
「そうかもしれません」
坂柳は別の基準を述べた。
「私は、既に持っている商品との関係を考えます。
同じ人物を複数集める場合もありますが、
似たポーズばかりでは展示に変化がありません」
「コレクション全体の構成か」
「ええ。一体の完成度だけでなく、並べた時にどのような物語が生まれるかを見ます」
「二人とも、単体の商品の話をしながら、結局は物語と関係性を重視している」
オレが指摘すると、二人は少し考えた。
「確かにそうですね」
ひよりが認める。
坂柳も頷いた。
「美少女フィギュアの魅力を、造形だけで完全に切り離すことは難しいということでしょう」
「性格は関係ないという意見は?」
ひよりが尋ねる。
「修正しましょう。性格を忠実に再現しなくても商品として成立することはありますが、
購入者が人物を知っている場合、性格との一致は満足度へ強く影響します」
「では、関係あるということでよろしいですか?」
「条件付きで認めます」
「随分と慎重ですね」
「議論ですから」
話し始めてから三時間が経過した頃、店員が一度近づいてきた。
「何かお探しでしたら、お声がけください」
三人で同じ棚の前へ長時間立っているため、困っていると思われたのだろう。
坂柳が穏やかに答えた。
「ありがとうございます。
現在、美少女フィギュアにおける最適な造形条件を検討しています」
店員は一瞬返答に困った。
「そ、そうですか。ごゆっくりご覧ください」
店員が去ると、ひよりが小さく笑った。
「少し困らせてしまいましたね」
「質問へ正確に答えただけです」
坂柳は悪びれなかった。
議論は終わらない。
台座は目立つべきか、控えるべきか。
透明素材のエフェクトは高級感を出すのか、玩具らしさを強めるのか。
笑顔と無表情は、どちらが長く眺めやすいか。
目線は正面が良いのか、他のフィギュアへ向けた方が展示に物語が生まれるのか。
髪は大きくなびく方が立体映えするのか、自然に下ろした方が人物らしさを保てるのか。
服の皺は写実的であるべきか、アニメの線を残すために簡略化すべきか。
塗装は現実の布や肌へ近づけるべきか、原作の色彩を優先すべきか。
「現実へ近づけすぎると、アニメの人物らしさが失われる場合があります」
ひよりが言う。
「原作では髪が鮮やかな青色でも、
現実的に暗く塗れば別人のように見えるかもしれません」
「しかし、完全に平面的な色では立体感が出ません」
坂柳が反論する。
「光が当たる場所と影になる場所で、色を変える必要があります」
「原作の色を保ちながら、陰影だけ立体へ合わせるべきだということか」
「理想はそうです。ただし、どこまで変えるかは造形師の解釈になります」
「解釈が強すぎれば、原作再現から離れる」
「弱すぎれば、立体化した意味がなくなります」
「その境界に正解はありませんね」
ひよりが楽しそうに言った。
「正解が一つなら、ここまで多くの商品は必要ない」
オレが答えた。
同じ人物を複数のメーカーが立体化し、それぞれが異なる表情や解釈を見せる。
購入者は、その中から自分が最もその人物らしいと思うものを選ぶ。
あるいは、すべての違いを楽しむために複数購入する。
「つまり、完成度は客観的に比較できる部分と、個人の好みに委ねられる部分がある」
オレはこれまでの議論をまとめた。
「造形の破綻、塗装の乱れ、安定性、素材の品質は比較しやすい。
だが、衣装、表情、ポーズ、人物らしさ、色気、
純真さのどれを重視するかは購入者によって違う」
「かなり結論へ近づきましたね」
ひよりが言った。
坂柳はすぐに首を振った。
「まだ、美脚が売上へ与える影響について十分な結論が出ていません」
「そこへ戻るのか」
「最初の論点を曖昧にしたまま終えるわけにはいきません」
「私は、脚が重要であることは認めます」
ひよりが譲歩した。
「ただし、それだけで売れる条件にはならないと思います」
「私も、脚だけで成立するとは申し上げていません。
美しい脚は、全体の完成度を高める有力な要素です」
「では、二人の意見は最初から大きく対立していなかったのでは?」
オレが尋ねる。
二人は黙った。
しばらくして、坂柳が微笑む。
「細部の認識が異なっていました」
「五時間近く話すほどの違いだったか?」
「議論を始めてから、もう五時間も経ったのですか?」
ひよりが驚いたように端末を確認した。
店へ入った時は午後一時過ぎだった。
現在は、すでに午後六時を回っている。
窓の外は暗くなり始め、店内の客も少なくなっていた。
オレも時刻を確認する。
オンラインゲームの協力戦どころか、次の時間帯のイベントまで終わっている。
「気づかなかったな」
「綾小路くんも随分と熱心に参加していましたからね」
坂柳は満足そうだった。
「当初は市場分析のつもりだった」
「途中から、ご自分の最初の一体を選んでいましたよ」
ひよりが言う。
その言葉通り、オレの手には一つの商品箱があった。
議論の途中で最終候補として手に取り、そのまま持ち続けていたらしい。
制服姿の女性キャラクターが、窓際で本を閉じ、こちらへ少しだけ顔を向けている。
派手な衣装ではない。
台座も教室の床を模した簡素なものだった。
しかし、表情と手の位置が印象に残った。
普段は誰にも頼らず、一人で問題を解決しようとする人物が、
主人公から名前を呼ばれ、振り返ろうとしている瞬間である。
完全には笑っていない。
それでも、目元には僅かな安心が見える。
「それを購入なさるのですか?」
坂柳が尋ねる。
「まだ判断している」
「五時間持っていて、その返答ですか?」
「堀北さんと同じですね」
ひよりが柔らかく笑った。
「置き場所は考えましたか?」
「机の右側に小さな棚を置けば収まる」
「決まっているではありませんか」
坂柳が言った。
オレは箱を見た。
知名度は高い。
メーカーの評価も安定している。
衣装の皺は自然で、髪は大きく動いていないが、
振り返る動作に合わせて僅かに肩へ流れている。
脚部の造形も不自然ではない。
表情は人物の性格と一致している。
作品内の物語を思い出せる仕草もある。
二人が挙げた条件の多くを満たしていた。
「買うことにする」
オレが答えると、ひよりは嬉しそうに頷いた。
「良いと思います」
坂柳も満足そうだった。
「最初の一体としては、綾小路くんらしい選択ですね」
「どういう意味だ」
「真面目で、他者へ頼ることが苦手で、
それでも誰かに声をかけられることを待っている人物です」
「先ほども言ったが、誰かと結びつける必要はない」
「私は名前を出していませんよ」
坂柳は楽しそうに笑った。
ひよりは二人の間で少し困ったような表情を見せたが、否定もしなかった。
レジへ向かう前、坂柳は最初に見ていた風になびく髪のフィギュアを手に取った。
「坂柳も買うのか」
「ええ。五時間検討した結果、脚部だけでなく、表情、仕草、
衣装、台座、物語性のすべてが高い水準にあると判断しました」
「最初から買うつもりだったのでは?」
ひよりが尋ねる。
「確認には時間が必要です」
「五時間ですか?」
「必要な時間でした」
ひよりも、図書室で本を読む少女のフィギュアを購入することにした。
椅子へ座り、膝の上へ本を開いている。
顔は本へ向いているが、目だけが少し上へ動き、
隣へ座る誰かを意識しているように見える。
「ひよりらしいな」
オレが言うと、ひよりは嬉しそうに箱を抱えた。
「はい。この子が本当に楽しそうに読んでいるので、
部屋にいてくれたら私も嬉しいと思いました」
「最終判断は、理論ではなく感情か」
「理論も大切ですが、毎日眺めたいと思えることが一番ではないでしょうか」
坂柳も頷いた。
「結局のところ、売れる条件と、
自分が欲しい条件は完全には一致しないということですね」
「人気キャラクターでも、自分が好きでなければ買わない」
「知名度が低くても、心から好きなら手元へ置きたいと思う」
「メーカーや完成度は、その気持ちを後押しする要素にすぎない場合もある」
三人で店の出口へ向かいながら、議論の結論を整理する。
美脚は重要である。
しかし、全体の完成度が伴わなければ魅力は続かない。
服の皺や髪の流れは、人物の動きと存在感を生み出す。
ポーズ、表情、仕草は、その人物の性格と物語を伝える。
人気と知名度は、多くの人へ商品を届ける入口になる。
メーカーのブランド力は、購入者の不安を減らす。
成熟した気品も、純真な可愛らしさも、それぞれ異なる魅力を持つ。
水着、メイド服、舞台衣装、
制服、魔法少女のどれが最強かは、人物と作品によって変わる。
性格は必ずしも商品成立の絶対条件ではないが、
ファンの満足度へ大きな影響を与える。
そして、どれほど理論を積み重ねても、
最後に人間を動かすのは、その一体を自分の部屋へ置きたいと思う感情だった。
「一応、結論は出たな」
オレが言うと、坂柳は首を傾けた。
「大枠だけですね。次回は、スケールフィギュアと
低価格帯商品の芸術性の違いについて議論しましょう」
「次回があるのか」
「当然です」
ひよりも少し考えた後、静かに手を挙げた。
「私は、フィギュアと原作小説の挿絵の関係についてお話ししたいです。
立体化によって、挿絵では見えなかった部分がどのように補われるのか、興味があります」
「ひよりまで続けるつもりか」
「とても楽しかったので」
二人にとって、五時間は長すぎる時間ではなかったらしい。
店の外へ出ると、アキバモールの通路には夕方の照明が灯っていた。
昼に入った時より人は減っている。
オレたちは、それぞれ一体ずつフィギュアの箱を持っていた。
端末には、池から複数の連絡が届いている。
『今日ログインするんじゃなかったのか?』
『限定イベント終わったぞ』
『綾小路どこ行った?』
最後の文章は、約一時間前に送られていた。
オレは簡潔に返信した。
『フィギュアについて議論していた』
すぐに池から返事が届く。
『何時間だよ』
『五時間』
しばらく反応がなかった。
やがて、短い文章が送られてきた。
『お前が一番重症じゃん』
以前にも似たことを言われた覚えがある。
オレは端末を閉じた。
「何かありましたか?」
ひよりが尋ねる。
「池から、オレが一番重症だと言われた」
坂柳が上品に笑った。
「否定できますか?」
オレは手に持ったフィギュアの箱を見た。
店へ入った時は、買う予定などなかった。
気づけば五時間議論し、自分の部屋へ置く一体を選び、棚の設置場所まで考えている。
「難しいな」
オレが答えると、ひよりも小さく笑った。
三人はそのままアキバモールの出口へ向かった。
究極の美少女フィギュアとは何か。
美脚か、全体の完成度か、衣装の皺か、髪の流れか、表情か、人気か、
メーカーか、気品か、純真さか、制服か、メイド服か、水着か、魔法少女か。
五時間を費やしても、すべての人間が納得する答えは出なかった。
しかし、それでよかったのかもしれない。
好みが一つでないからこそ、同じ人物が様々な姿で立体化され、
異なる魅力を持つ商品が生まれる。
誰かにとって最高の一体が、別の誰かにとっても最高である必要はない。
自分が何を美しいと思い、どの瞬間を手元へ残したいのか。
その違いを言葉にし、他人の見方を知ること自体が、フィギュアを楽しむ方法の一つだった。
後日、オレの部屋を訪れた堀北は、
机の右側へ新しく設置された小さな展示棚を見つけた。
「あなたまでフィギュアを買ったの?」
「ああ」
「以前は、場所を取ると言っていたでしょう」
「実際に所有しなければ分からないこともある」
「また研究や分析を理由にしているのね」
「お前にだけは言われたくない」
堀北は棚へ近づき、フィギュアを様々な角度から確認した。
「髪の流れは控えめだけれど、振り返る動きとしては自然ね。
衣装の皺も悪くないし、表情もその人物らしいわ」
「詳しいな」
「私の部屋を見れば分かるでしょう」
堀北は少しだけ位置を変え、正面から見直した。
「この角度の方が、目線がよく見えると思うわ」
「坂柳も同じことを言いそうだ」
「坂柳さんも関わっているの?」
「ひよりと三人で、五時間ほど議論した」
堀北の動きが止まった。
「五時間?」
「ああ」
「その間、ずっとフィギュアの話をしていたの?」
「美脚、全体の完成度、服の皺、髪の流れ、ポーズ、表情、
知名度、メーカーの信用、衣装、性格、気品、純真さについて検討した」
堀北はしばらく黙り、展示棚とオレの顔を交互に見た。
「……私より重症ではないかしら」
「池にも同じようなことを言われた」
「否定しないの?」
オレは棚へ置かれた一体を見た。
振り返りかけた人物は、昨日まで何もなかった場所へ静かに立っている。
部屋へ入った時、以前より自然に視線が向くようになった。
「今のところ、否定する材料はない」
堀北は呆れたように息を吐いた。
それでも、フィギュアの位置をもう一度だけ調整し、僅かに満足そうな表情を見せた。
美少女フィギュアを巡る究極の激論は、
結論よりも先に、三人の収集家を一人ずつ増やして終わった。