エンジンがかかった瞬間、空気が震えた。
私はヘルメットの中で息を止める。音が__先日聞かせてもらったハチロクやウチのオートマと全然違う。
ミニカーでも、ハチロクでもない。本物の「カート」の音だ。
50ccのヤマハKT100S。レブリミットは10,000rpm。
大人が笑って構えたそれに、4歳の手が触れた。
「……軽いな」
フレームの剛性が低い。ステアリングの切れ角も小さい。
でも、タイヤはSLタイヤ。ちゃんとした“スリック”だ。
つまり、ここは遊び場じゃない。ライン取り次第で、全てが決まる場所。
コースマーシャルが手を上げる。
私はアクセルペダルをそっと踏み込んだ。
クラッチが無い。だから、回転数を合わせて繋げない。
エンジン回転が立ち上がるタイミングを「聴く」しかない。
前世の記憶を思い出せ!!
1コーナー。軽いブレーキング。
ブレーキバランスはリアに寄っている。
それでも小さな身体でステアリングを切る瞬間、後輪のトラクションが抜ける。
テールがスライド___だが、すぐにカウンターを当てる。
「タックイン」じゃない。意図的な“イン荷重”。
アクセルオフでノーズを入れて、最短距離を通る。
「……速い」
ピットで見ていたインストラクターが呟いた気がした。なーーんて聞こえるはずも無いんですが空耳アワー様々である。口パクを見ただけだ。
文太は目の前の伊月の走り込みを見て、おもしれぇ女の子だと思った。最初は手紙で啖呵を切ってきたとはいえ、中身のない手紙だと思い、八百屋との商工会同士の繋がりもあって建前だけ付き合おうと思った。
だが、目の前の『異様な走り』はなんだ?
タイム計測用のセンサーが反応する。
1周目、子ども用カート平均より3秒速い。
2周目、ブレーキポイントを手前にズラす。
アウトインアウトが完璧に近い。
4歳児の反応じゃない。完全に“走り屋”の理屈だ。
最終コーナー。
ステアを切る。伊月のタイヤはまだ鳴いていない。
つまり、グリップ限界を超えていない。「まだ、いける」とばかりに伊月はぐんぐんと走り込む。
ハンドルをほんの数ミリ切り足して、アクセル全開。
コーナー出口で“スリップアングル”を保ったまま、ストレートへ飛び出す。
文太の視界の端で、スタッフが驚いた顔をしていた。そしてピットイン。
ヘルメットを外した伊月の頬は、赤く火照っていた。
その様子に文太はふぅ……と感嘆の息を漏らす。
自分でも理由はわからない。
でも、胸の奥で何かが鳴っていた。
この子は絶対、拓海の____になるぞ、と。