文章は動かした以外いじってないので、そのまま読んでください。
しおり挟んでたひとはゴメンなさい
兄貴が魅せてくれたもの。
それは恐怖のドライブだった。FCに乗せられて赤城山に連れてこられた時。俺は正直ここで死ぬと思ったね。
いきなり下りで全開かまされてさ。
すっげぇショックだったな。
マジで命ないと思った。
グレた弟を道連れに、兄弟で無理心中するつもりなのかとマジで思った。
その時から生活がガラッと変わった。
それまでは金髪に脱色して暴走族に仲間入りしてチャラチャラした人生だった。喧嘩とかもよくしたし、親に反抗して問題を起こしたりもした。
その頃は目標みたいなのは無かったし、毎日退屈でイライラしていたんだ。
親には見放されてたけど、兄貴だけは分かってくれた。
その時ふと思い出したんだ。
兄貴の文化祭に来てた中坊のふざけたセリフ。
『もし車が好きになったらお金持ちの豪邸見せてくださいね』
まるで死に間際の未来まで見透かした目してやがった。一切何を考えているのか分からない趣味に貪欲な目。真っ黒い闇の中にありそうな。
だからこそ今思い出した。
「兄貴……今年って」
「ああ、文化祭だな。お前の」
「ちげぇよ。それもそうだけどアイツが来るんだ」
兄貴がわざと、とぼけた顔で「アイツ……?」と言ってくる。その様子にイラッとしながらも俺は答えた。ソイツは俺が車好きになることを当てたやつだと。
「ハハ。啓介からかってすまない。覚えていたさ」
「冗談じゃないぜ……兄貴のことまで当てやがった女のこと忘れるかよ」
すると、低い声で「ああ、覚えているとも」と言う兄貴。寒気が走ってビクッと背筋が伸びた気がした。
「それでな、啓介はこう言って欲しいんだ」
___。と言われた言葉に、「分かった。兄貴」と返事をする。
ようやく会えるぜ。
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今現在、私たちはまたあの県内1位の高校の文化祭に来ている。時は秋なり。寒さばっちり。
「へっっっくしょぉぉンンンンン!!!」
「うわ、イツキ汚い」
酷い拓海。秋になって急に気温が下がったんだから、寒暖差で風邪になってもおかしくないだろう!?
「あああ寒い」
寒いから拓海のセーターをめくって二人羽織みたいに背中側に潜り込む。
「あっ、こらイツキ……あっ」
なんで艶っぽい声出すねん。あらやだミキシンボイスの無駄遣い。
その声で一部の女子から黄色い悲鳴が出る。多分拓海はこのあとB5ノートの切れ端で薄い本ならぬ薄いノートにされるに違いない。
それはともかく。
拓海が「お前さぁ、例の金髪から逃げてるだろ」と言われたのが解せない。
だってさ!!!だってさ!!!
決め台詞的な流れでカッコイイ顔しちゃって、『車好きになりますよ』なんて(ただでさえ文化祭で人通りが多い)廊下で言っちゃったんだもん!!
しかもイケメン金持ち設定の高橋啓介に!!
「もうダメだ……金髪のヤンキーなんてただの飛ばないヤンキーなんだ」
「なんだそれ」
拓海よ……今はツッコむな。
しくしくと拓海のセーター被ったまま、顔隠して泣いてると、急に拓海から「静かにしてろ」と言われる。
「なんで?」
「いいから黙ってろ」
いやなんで? 突然の拓海の冷たさに混乱する。
すると拓海の前方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。関〇一みたいなボイスだ、な……?
そのスネ夫ボイスは言った。
「おいそこの坊主。お前、去年あの女の横に張り付いて俺の事睨んでたやつだろ。例の女どこに居やがる?」
あっっれれ?? もしかして、もしかしなくても私の事ですかウッソだろオイー。
え、今ハリボテエレジーみたいに拓海のセーターに隠れてるんですが。後ろ見られたらというか、後ろ見なくてもめっちゃ分かるんですが。
ヤンキーなのにその目は節穴ですか?
そう思っていると邪念が伝わったのか、スネ夫が苛立った声で「なんかムカつくこと考えてるな?」と言ってくる。ごめん拓海。この邪念、お前に預ける(シャ〇クス)
拓海はナウシカだったのか、私を背に隠して、ここには何もいないよ!と伝えるもヤンキーはカンが冴えているらしい。
「おい、後ろのお前……顔出せやコラ」
「はぁーい!イツキ行っきマース」
呼ばれてとび出てジャジャジャジャーン。
足は産まれたての子鹿のように震えている。
拓海は心配した目で見てくるけど、正直背を向けて置いてっていいだろうか。ダメですか。左様ですか。
高橋啓介は元暴走族。その威厳は未だ健在らしく、ガン飛ばしてくる。漫画だと『あはは!!セカンダリータービン!!』って笑ってたキャラクターなのに、今目の前にすると怖い。
「はい。私が去年貴方をコケにして車好きになるってガン飛ばして突き飛ばした女です」
「そこまで言ってねえ」
オタクは時に早口になるんだ。特に好きなものを語る時と脅された時。今は後者。
「ここは騒がしいから来い」
「へい旦那!!」
「居酒屋かよ馬鹿」
そう言って恥ずかしそうに前を歩き出す高橋啓介。ポケットに手を突っ込んで背筋は真っ直ぐで、鍛えられた背筋(はいきん)が馬鹿みたいに目立ってる。それもそうだ。高三の中でも身長が高ぇ。
廊下をモーゼのごとく掻き分ける高橋啓介の後を着いてくことにした私と拓海。身長高いから分かりやすい。あと金髪だし。よくここの高校許してくれたな。私も金髪に染めようかな。
着いたのは、人がたまに通る程度の廊下で空き教室らしき部屋だった。
机と椅子は教室の後ろに片付けられており、黒板側は広いスペースができている。どこもかしこもホコリが目立つ、進学校にしては珍しい場所だった。
「やっと静かになったな」
なんか高橋啓介が恋愛ドラマみたいなこと言ってる。
ゾワッと鳥肌がたって拓海の背中に隠れると、高橋啓介は懐かない猫を見たかのようにケラケラと笑った。
「既に知ってるとは思うが、俺の名は高橋啓介。ここの高校を通ってる3年生だ。そして____」
まさか、『イマココで』出会うとは思ってなかった。
「俺が啓介の兄の高橋涼介だ。……何故ここに居るって顔しているな?」
黒髪マッシュの青いシャツを着た男。カーテンに隠れていて、しかも気配を完全に隠していて気づかなかった。
高橋涼介はせせ笑う。私はゾッとした。
作中一の頭脳明晰を持つこのキャラクターに。漫画のページを捲ってても次に何を考えるのかが分からない。この人を圧倒することは出来ない。
……そう、拓海以外は。
「だいぶ、『俺』のことを知っているみたいだな。そちらのお嬢さんは。そっちの君は……いい腕をしてそうだ」
君と呼ばれた拓海がピクリと動く。高橋兄弟を睨んで、険悪なオーラだ。
そうだ。そうじゃん。
これじゃダメだ。
私がやりたかったことってなんだ?
高橋兄弟との接触? ちがう。
高橋啓介をおちょくること? ちがう。
高橋涼介をおびき寄せること? ちがう。
____最強の拓海をこの目で見たかったからだろ。
最強の拓海とは、これすなわち永遠に勝つこと。
負けるのも大事だが、それは負傷なしでだ。
だが負傷無しの負けってのは奇跡に近い。
原作での拓海はMFGで知ったが事故にあった。それもまだ若いうえでの光を喪った事故。
のちにMFGの作中でのラジオにて、怪我してるも存命な拓海が居て感動となるのだが、私はいかんせん藤原拓海の女だった。
頭文字Dのほうが大好きだった。
MFGのほうが好きな人はのちの感動を消してごめんと思う。この世界には居ないけど一応謝る。
けど私は勝ち続ける拓海が見たいのだ。
そして私が拓海の隣に____立つ。
「ごめん、拓海。もう大丈夫」
それだけ言うと私はニッコリと笑った。
「私の名前は武内伊月。こっちは藤原拓海」
まずは自己紹介。そして、
「私たちここを受験します。もし受かったらお約束通り、家に連れてってください。拓海を」
「「「は???」」」
「そして高橋涼介さんが持つ『データ』を拓海に見せてください」
「ッなんでそれを!?」
ヤンキーこと高橋啓介が焦った声を出す。高橋涼介も焦っているのか冷や汗をかいているようだ。こめかみに汗できてますよ。
「君は……何者なんだ?」と高橋涼介が言う。
「私ですか? ただのドラテク好きの女ですよ。ついでに横にいる拓海とハチロクも好きです」
そう言うとヒュウと高橋涼介が口笛を吹く。
横を見ると赤面した拓海が固まっていた。どうした?拓海。
「ふはっ!あはは!!気に入った。おい啓介。例のセリフは言わなくていいぜ」
「あ、兄貴……」
「受験生なんだろ? 勉強は出来るのか?」
問われると私はニンマリと笑う。
「ばっちり!!なんせA判定なんで」
ピース付きで答えてやった。
「そうか。まだと言うなら俺が直々に教えてやろうかと思ったが要らないようだな。そうだ。帰りはどこだ? 送ってやろうか」
すると、すかさず拓海が断ろうとしたその隙に私は高橋涼介さんの出された手を握る。
「はい喜んで!!!」
ちなみに例のセリフってなんだろ。
*
拓海が不機嫌そうだ。
それもそのはず、なぜか面識のない男の助手席に乗っている。後部座席も良いと思ったんだけど、足元まで意識したドラテクを間近で見るなら助手席かなって。ラリーもコドラ乗せるしな。
コドラと言えば、何書いてるのか意味わからん謎の文字をノートに書きなぐってて、私が居た世界だと夫婦漫才のように文句言い合ってたラリードライバーとコドラが居たもんだ。私もコドラとして拓海の傍に居たいな……とか思ったり。その確率、高校入試で1位取るよりも厳しいけど。
話はさておき、今はFCを堪能する瞬間だ。
「急ぐ必要はないが、少し緩急を付けてみようか。後ろ、揺れるから気をつけて」
高橋涼介が涼しい顔でそう言った直後、FCのエンジンが鋭く吼えた。
シートに体が押し付けられる。窓の外の景色が、一瞬で非現実的なスピードで後ろへと流れていった。
おいおい公道でこのスピードかよ。お巡りさんどこいった。
にしても、私が密かに驚いたのは、助手席に座る中学三年生の拓海の様子だった。
この速度、このG(重力)のなかで、彼は怖がる風でもなく、ただぼんやりと窓の外を眺めている。いや、窓より高橋涼介を見ろよ。
ムカついたので頭を掴んで高橋涼介に向ける。
拓海のこめかみに筋が見えた。怒ってる?怒ってないよ。
だけど、すぐにそんな他人の心配をしている余裕はなくなった。
目の前に、直角に近い急カーブが迫ってくる。
おぇ……!?
思わず身構えた私を置き去りにして、高橋涼介の両手が滑らかにステアリングを回した。
ガガガッ、とタイヤが路面を掴む凄まじい音が響く。
車体が横に滑る――そう思った瞬間には、FCの鼻先は綺麗にコーナーの出口を向いていた。
無駄のないブレーキングだな、こりゃ。前のめりになる衝撃が最小限に抑えられている。
しかも完璧なライン取り。ガードレールが目の前をかすめるのに、全くぶつかる気がしない。
まさに地元走りの拓海かよ、って気分である。
高橋涼介はまだ二十歳のはずだ。
プロでもないはずなのに、彼の運転には恐怖をねじ伏せる圧倒的な「理論」と「センス」があった。減速から加速への繋がりがスムーズすぎて、まるで車自体が意志を持って意志を持って踊っているみたいだ。
ふと助手席を見ると、拓海が、高橋涼介の足元のペダルワークをじっと見つめていた。その瞳が、一瞬だけ、ものすごく深い色に変わったのを私は見逃さなかった。なんだか良いものを見た気がする。
猛烈なGの嵐に揉まれているうちに、FCはあっさりと山を駆け下り、見慣れた街並みへと滑り込んだ。
キキッ、と静かに車が止まる。そこは、拓海ん家の「藤原とうふ店」の前だった。
「ハチロク、藤原。この2点のワードから藤原とうふ店かと思って事前に調べておいたんだが……少し荒っぽかったかな?」
高橋涼介がバックミラー越しに、端正な顔でイタズラっぽく微笑む。
「場所あってるし、FCに乗れたんでバッチOKです!!」
私がシートベルトを外しながら息を吐き出すと、助手席の拓海くんが「お邪魔しました」と眠そうな声で車を降りていく。
FCは帰り際に運転席側のサイドガラスが開いた。
「お嬢さんにだけ教えておこう。例のセリフは俺たちと友達になれ、だ」
「は……?」
「『友達』なら俺らの両親も気を使うことなく呼べるだろ? なんせ年上の男2人もいる家に上がらせろと言う女の子だからな。何されるか分かったもんじゃない」
クククと声を抑えて笑う高橋涼介。
な……な!!な!!!
なんですとぉー!?!?!??
「誰がそんな破廉恥みたいな女なんかに!!」
「じゃあな」
そう言うとゆっくり閉まるサイドガラス。涼しい表情のムカつく顔がゆっくり消えてった。え?殴っていいですか??? 高橋涼介のイケメン設定無くなってもいいですよね?
と考えているうちにもFCはそのまま去っていった。
にしても、二十歳の高橋涼介。末恐ろしいぜ。
だけども。
そのドラテクは素晴らしいけど…………文太さんに比べるとなあ。未熟な部分もあるのかもしれない。文太さんの後部座席で死にかけた私からすれば、今回のは慣れた散歩道だった。でも上手い。
私ってまだまだヒヨっ子なんだって嫌でも知らされた。
明日から文太さんに練習量増やしてもらうようにしよ。
そう意気込んでいると、視界が、いきなり真っ暗になった。
背後から伸びてきた大きな掌が、容赦なく私の両目を覆い隠す。
「うおっ、びっくりした……!」
心臓が跳ね上がったけれど、すぐに鼻腔をくすぐった香りに緊張が解ける。ガソリンと、洗剤と、ほんの少しの文太さんが吸ってる煙草が移った匂い。間違えるはずがない。毎日一緒にいる男の匂いだ。
「拓海、何してるの?」
「……補給」
「は?」
返ってきたのは、いつもより低くて、どこか余裕のなさそうな声。
ずるりと拓海の身体が引き寄せられ、私の背中が彼の胸にそっと預けられる形になった。抱きつかない程度、けれど確実に逃がさないという意思を感じる密着感。
待って。これ、外から見たら完全に少女漫画の「後ろからハグ」的なアレでは? 相手はあの、色恋沙汰に地球一周分くらい疎いはずの藤原拓海だぞ?
じわじわと顔に熱が昇っていくのがわかる。ダメだ、この体勢は心臓に悪い。
顔が熱くなってきた。
「や、やめない? 拓海」
「やだ」
即答。しかも耳元で言われたから声がダイレクトに鼓膜に響く。
なんだよ「やだ」って! 反抗期か!
いつもなら「わりぃ」とか言ってすぐ離れるはずなのに、今日の拓海はなんだか妙に頑固だ。……まてよ。この態度、もしかして私、何かやらかしたか?
あ、心当たり、あるわ
脳裏をよぎる、数日前の自分の悪行。
「悪かった。あれでしょ。拓海のノートにハチロク落書きしたから怒ってるでしょ。しかもパトカーに追いかけられてるやつ」
「は?待て。それお前だったのかよ!あのあとセンコーに見つかったんだぞ!」
やべぇミスった。
やべぇ、地雷を自ら踏み抜いた。しかも完全に新規の地雷だった。
拓海が怒っていた理由は別だったらしい。
自爆の衝撃に冷や汗を流した、その瞬間だった。
「お前さぁ……」
耳元で低く呆れたような、だけどそれ以上にゾクりとするような声音が降ってくる。
怒られる、と思って身を縮めた直後。
チクッ、と。
髪をかき分けられた首筋に、鋭い痛みが走った。
えっ、なんか吸われてるんだが???
とうふ屋の息子は吸血鬼にでも転職したのか。
目隠しされたままの暗闇の中、首筋に押し当てられた拓海の唇の熱さと、皮膚が強く引っ張られる独特の感覚に、私の思考は完全にフリーズした。
「あの〜拓海さん」
「……」
これはひょっとして……キスマークというやつではないだろうか。
「拓海さん、あのですね。こういうのは好きな人と行ってください」
「……だよ」
「なに?聞こえない」
「だから__」
拓海がなにか言おうとした時、ドアが開く。
ここは藤原とうふ店前。
つまり、客か店員しか居ないわけで。
「おーおー、一丁前に色気づきやがって」
背後から響いたその声に、全身の血が引いていくのが分かった。
振り返るまでもない。紫煙の匂いと渋い声と共にそこに立っていたのは、藤原文太だった。
文太さんに見られた瞬間に視界は広がった。夕暮れの眩しい光が一気に飛び込んでくる。
「うるせぇ! 父ちゃん!」
拓海の声は、聞いたこともないほど上擦って尖っていた。耳まで真っ赤に染めた拓海は、私を文太さんから隠すように一瞬だけ身を硬くしたあと、逃げるようにして藤原とうふ店の暖簾をくぐり、荒々しく奥へと消えていく。引き戸の閉まるガタガタという音が、妙に大きく響いた。
親にそんな現場を見られたのだ。
拓海が恥ずかしさのあまりパニックになるのも無理はない。普通なら、私も「恥ずか死ぬ」と頭を抱えてその場にしゃがみ込みたいところだった。
けれど、私の胸を満たしていたのは、羞恥よりももっと冷たい、ひどく冷徹な諦観だった。
「邪魔して悪ぃな」
文太さんが、咥え煙草のまま、いつもと変わらない低い声で呟く。
その声音にどれほどの意図が含まれているのか、私には測りきれなかった。ただの偶然か、それとも、『私が拓海に向ける奇妙な空気』を察しての割り込みだったのか。
私は、首元を隠すように無意識に襟元を掴みながら、精一杯の愛想笑いを浮かべた。
「大丈夫ですよ。拓海のあれは一時的なものだろうし」
「一時的?」
文太さんの細い目が、わずかに動いたような気がした。
煙草の灰が、静かにアスファルトへと落ちていく。
そう、一時的。これ以外の言葉なんてない。
幼馴染としてずっと一緒にいて、距離感が狂って、ちょっとした気の迷いで私に男としての興味が向いてしまっただけ。ただのバグだ。
だって、私には中身がない。
私は武内樹じゃない。ただ彼の座に滑り込んで、彼の名前を騙って生きているだけの、空っぽの「成り代わり」なのだから。
拓海が今、執着しているのは、私という人間の本質じゃない。都合よくそこにいた幼馴染の殻に、一時的に目を眩ませているだけだ。
本物のイツキじゃない私が、彼の隣にずっといられるはずがない。いつか必ず、この熱は冷めて、拓海は私に飽きる。
それじゃあ困るのだ。いつかラリードライバーの藤原拓海の隣に立つ私としては恋愛が絡むより、最初から一時的なお遊びだと思っている方が、傷浅く済む。
「……じゃあ、私、もう帰りますね」
逃げるようにそう言って頭を下げ、文太さんの横を通り過ぎようとした。
だから、気づかなかった。
すれ違うその瞬間、文太さんの細められた瞳の奥に、ぞっとするほど冷徹で、すべてを見透かすような鋭い光が宿っていたことに。
男として、父親として、そして何より『藤原文太』としての鋭敏な勘が、息子を狂わせかねない私の根深い歪みを、確かに捉えていたのだ。
その事実を、私はまだ知る由もなかった。
シリアスになっちゃった