心臓は、まだ夢を見ている   作:ディーバイエム

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[第十三章]エコロジーとロマンチック

朝日杯の五着は、タガノデュードの中に妙な形で残った。

 

勝てなかった。

 

それは確かだった。

一番前にいたのはジャンタルマンタルという子で、デュードはその背中を見ることすら、最後は遠く感じた。

 

GⅠの直線は、未勝利の直線とは違っていた。

みんな速い。

みんな強い。

そして、強い子ほど止まらない。

 

それでも、デュードは沈まなかった。

 

五着。

 

掲示板に名前が残った。

親は泣いた。育成施設の人たちも騒いだ。

宮田先生は「よう立った」と言った。古吉トレーナーは「持って帰れる五着や」と言った。

 

けれど、デュードの胸に一番残ったのは、勝者の背中ではなかった。

 

エコロヴァルツ。

 

その子の名前だった。

 

朝日杯のあと、控えの通路にはいろいろな音が混ざっていた。

 

勝った子を称える声。

悔しさを噛みしめる息。

次を見ている先生たちの低い会話。

泣いている親。

笑っている関係者。

何も言わずに壁を見ているウマ娘。

 

デュードはタオルを肩にかけたまま、しばらく通路の端に立っていた。

 

「高い足場でも、立てた」

 

自分でそう言った。

確かにその通りだと思う。

 

でも、立てたからこそ、上にいる子たちが見えた。

 

その一人が、エコロヴァルツだった。

 

彼女は二着だった。

ジャンタルマンタルには届かなかった。

けれど、デュードより前にいた。

 

レース後の彼女は、悔しそうというより、何かを測っているような顔をしていた。

静かで、でも目の奥に熱がある。

勝った子を見ているのか、自分の脚を見ているのか、あるいはもっと先を見ているのか分からない。

 

デュードは、なぜかその横顔から目が離せなかった。

 

「エコロヴァルツさん」

 

名前を口に出すと、本人がこちらを向いた。

 

「はい」

 

「あっ、すみません。声に出てました」

 

「出てました」

 

エコロヴァルツは少しだけ笑った。

 

その笑い方も、どこか不思議だった。

柔らかいのに、芯がある。

ロマンチックな名前なのに、足元は現実を踏んでいる感じがする。

 

「タガノデュードさんですよね。五着」

 

「はい。五着でした」

 

「GⅠで五着。すごいです」

 

「いや、わたしは能力上位馬じゃないからな~……って言おうと思ったんですけど」

 

デュードは少し言葉を止めた。

 

「今日は、あんまり言わないようにしてます」

 

「どうして?」

 

「古吉さんに、足の裏を地面につけとけって言われたので」

 

「いい言葉ですね」

 

「雑な言葉ですよ」

 

「でも、残るでしょう」

 

デュードは少しだけ驚いた。

 

「残ります」

 

「なら、いい言葉です」

 

エコロヴァルツはそう言った。

 

デュードは、その言葉を聞いて、少し胸が軽くなるのを感じた。

 

「エコロって、変わった名前ですよね」

 

デュードが言うと、エコロヴァルツは自分の胸元に手を当てた。

 

「エコロジーと、ロマンチック。合わせて、エコロ」

 

「エコロジーとロマンチック……」

 

「造語みたいなものです。ちょっと不思議でしょう」

 

「はい。現場ではあまり見ない組み合わせです」

 

「現場?」

 

「実家が建設会社なので」

 

「ああ」

 

エコロヴァルツは納得したように頷いた。

 

「じゃあ、わたしの名前は現場向きではないですね」

 

「でも、足場には立ってました」

 

デュードは思ったままを言った。

 

「名前はロマンチックなのに、走りはちゃんと地面踏んでました」

 

エコロヴァルツは、少しだけ目を丸くした。

それから、静かに笑った。

 

「それ、嬉しいです」

 

「褒めてます」

 

「分かります」

 

「よかったです」

 

二人の間に、少し沈黙が落ちた。

 

遠くで、ジャンタルマンタルの名前が呼ばれている。

勝者の周囲には、光が集まる。

それは当然のことだった。

 

けれどデュードは、その光を見ながら、なぜか思った。

 

自分がこれから何度も意識するのは、あの勝者ではないのかもしれない。

 

もちろん、ジャンタルマンタルは強かった。

今日の一番前にいた子だ。

届かなかった背中だ。

 

でも、長く同じ道のどこかで顔を合わせる気がしたのは、エコロヴァルツだった。

 

エコロジーとロマンチック。

現場と夢。

地面と名前。

 

妙に、気になる。

 

「エコロヴァルツさん」

 

「はい」

 

「また、どこかで走る気がします」

 

デュードが言うと、エコロヴァルツはまっすぐこちらを見た。

 

「わたしも、そんな気がします」

 

「次は、もう少し近くで」

 

「はい。できれば、もっと前で」

 

「勝者の近くですか」

 

「勝者になる場所かもしれません」

 

その言葉は静かだった。

 

でも、ロマンチックなだけではなかった。

ちゃんと地面を踏んでいる言葉だった。

 

デュードは少し笑った。

 

「わたし、能力上位馬じゃないんですけど」

 

「今日は言わない日では?」

 

「そうでした」

 

「じゃあ、言い直してください」

 

エコロヴァルツにそう言われ、デュードは少し考えた。

 

「わたしは、今日GⅠで五着でした」

 

「はい」

 

「高い足場でも、立てました」

 

「はい」

 

「次は、もう少し上に組みます」

 

エコロヴァルツは頷いた。

 

「いいと思います」

 

その夜、寮に戻ったデュードは、朝日杯のメモにもう一行書き足した。

 

エコロヴァルツ。

エコロジーとロマンチック。

名前は夢みたいなのに、足は地面を踏んでいた。

勝者より、この子とは長い付き合いになりそう。

 

向かいの机で、シェイクユアハートが湯呑みを持ったまま覗き込んだ。

 

「エコロヴァルツさんですかぁ」

 

「はい。二着の子です」

 

「気になるんですかぁ?」

 

「気になりますね」

 

「ライバルですかぁ?」

 

「まだ分かりません」

 

デュードはペンを置いた。

 

「でも、勝ったジャンタルマンタルさんより、なぜかこの子の方が今後も顔を見る気がしました」

 

「ほわ~……長い付き合いの予感ですぅ」

 

「そういう感じです」

 

「いいですねぇ」

 

シェイクはほわりと笑った。

 

「デュードさんにも、そういう子ができたんですねぇ」

 

「そういう子?」

 

「前を見る時に、ちょっと横にもいる子ですぅ」

 

デュードは少し考えた。

 

勝者は前にいる。

でも、長い道で気になる相手は、必ずしも一番前にいる子だけではない。

同じ高さの足場を、別の組み方で上がっている子。

名前も性格も違うのに、なぜか同じ現場に何度もいる気がする子。

 

「前を見る時に、横にもいる子」

 

デュードは繰り返した。

 

「それ、いいですね」

 

「はいぃ。シェイク名言ですぅ」

 

「自分で言います?」

 

「言いますぅ」

 

二人は少し笑った。

 

そのあと、シェイクは自分の三勝クラスのメモを見た。

 

比叡ステークス四着。

サンタクロースステークス二着。

 

近いのに、まだ届かない。

 

「シェイクさん」

 

デュードが声をかけた。

 

「はいぃ」

 

「シェイクさんにも、前を見る時に横にいる子、いますか?」

 

シェイクは少し考えた。

 

同じ三勝クラスを走る子たち。

先に行く子。

後ろから来る子。

毎回違う相手。

 

でも、今一番近くで自分の足音を聞いているのは、レース場の誰かではなかった。

 

「デュードさんですぅ」

 

「わたし?」

 

「はいぃ。同じレースではないですけど、同じ部屋にいますからぁ」

 

デュードは目を丸くした。

 

「それ、ライバルとは違いません?」

 

「違いますぅ。でも、横にいますぅ」

 

シェイクは湯呑みを持って、にこりとした。

 

「デュードさんは、わたしの足場を見てくれる子ですぅ」

 

デュードは少し黙った。

 

それから、照れ隠しのように資料の角を揃えた。

 

「じゃあ、ちゃんと崩れないように見ます」

 

「お願いしますぅ」

 

「その代わり、シェイクさんは、わたしが足場を低く組みすぎたら言ってください」

 

「言いますぅ」

 

「ほわっと言わずに」

 

「ほわっと言いますぅ」

 

「そこは直らないんですね」

 

「はいぃ」

 

部屋の外では、冬の風が廊下の窓を鳴らしていた。

 

朝日杯は終わった。

勝者の名前は大きく残る。

ジャンタルマンタル。

その強さは、誰の目にも明らかだった。

 

けれど、デュードのメモには別の名前が強く残っている。

 

エコロヴァルツ。

 

夢みたいな名前で、地面を踏んでいた子。

今日の二着。

これから長く、どこかで顔を合わせる気がする子。

 

デュードはペンをもう一度取った。

 

最後に、小さく書き足す。

 

次に会う時は、もう少し上で。

 

その文字は、いつもの彼女より少しだけ高い足場にあった。

 

シェイクはそれを見て、ほわりと笑った。

 

「デュードさん」

 

「はい」

 

「今日は、能力上位馬じゃないって言わない日、延長ですねぇ」

 

デュードは少し考えた。

 

「そうですね」

 

そして、静かに頷いた。

 

「今日だけ、延長します」

 

その夜、タガノデュードは眠る前にもう一度、朝日杯の直線を思い出した。

 

届かなかった勝者。

前にいたエコロヴァルツ。

自分の足元。

古吉トレーナーの声。

 

高い足場でも、立てた。

 

次は、もう少し上に組む。

 

その決意はまだ小さい。

でも、低すぎはしなかった。

 

エコロジーとロマンチック。

夢と地面。

 

エコロヴァルツという名前は、デュードの胸の中で、不思議な響きを残していた。

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