心臓は、まだ夢を見ている   作:ディーバイエム

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[第十五章]春の足場は高すぎて

冬が終わりに向かっても、タガノデュードの机の上には、まだ少し冷たい数字が残っていた。

 

こぶし賞、四着。

 

朝日杯フューチュリティステークスで五着に入ったあと、自己条件へ戻っての四着。

掲示板には載った。

大きく崩れたわけではない。

けれど、勝ってはいない。馬券圏内にも届いていない。

 

デュードはその数字を、何度も見た。

 

朝日杯五着。

こぶし賞四着。

 

高い足場に立てたからといって、低い足場でつまずかないわけではない。

 

古吉トレーナーはそう言った。

 

その通りだった。

悔しいくらい、その通りだった。

 

「デュードさん、また見てますぅ」

 

向かいの机から、シェイクユアハートが湯呑みを両手で包みながら言った。

 

「見てます」

 

「穴が空きそうですぅ」

 

「空いたら、そこから何か分かるかもしれません」

 

「ほわ~……現場の人ですぅ……」

 

「現場でも、見すぎて穴が空いた図面は使えませんけどね」

 

デュードはそう言って、紙の角をそろえた。

 

シェイクの机にも、新しい数字があった。

 

八坂ステークス、六着。

 

サンタクロースステークスで二着に来たあと、次で六着。

三勝クラスの足場は、近づいたと思ったら離れる。

シェイクはそう書いていた。

 

同じ部屋に、二つの届かなかった数字が並んでいる。

 

六着。

四着。

 

どちらも勝利ではない。

どちらも、期待された結果ではない。

 

それでも、春は来る。

 

春は勝手に来る。

こちらの足場が凍っていようが、図面が直っていなかろうが、予定表には次のレース名が書き込まれていく。

 

デュードの次は、フローラルウォーク賞だった。

 

中京、芝千六。

一勝クラス。

 

朝日杯の五着と、こぶし賞の四着。

そのあいだで揺れたまま、デュードは春の入口に立つことになった。

 

「今度こそ、ですかね」

 

デュードが呟くと、シェイクは顔を上げた。

 

「今度こそ?」

 

「はい。朝日杯五着のあと、こぶし賞四着で。今度は、ちゃんと上に行かないとって」

 

「ちゃんと……」

 

「親も、施設の人たちも、たぶんそう思ってます」

 

デュードは資料を閉じた。

 

「わたしも、思ってます」

 

シェイクは少しだけ眉を下げた。

 

「デュードさん、それ持っていくと重そうですぅ」

 

「重いです」

 

「置きますかぁ?」

 

シェイクは部屋の隅を見た。

 

期待置き場。

 

何もない床。

でも、二人にとっては、少しだけ余計な荷物を置ける場所。

 

デュードはその場所を見て、少し考えた。

 

「全部は置けません」

 

「はいぃ」

 

「でも、親の“今度こそ”は半分置きます」

 

「施設の人たちは?」

 

「応援として少し持っていきます」

 

「朝日杯五着は?」

 

「証拠として持っていきます」

 

「こぶし賞四着は?」

 

デュードは一瞬、黙った。

 

「……足元として持っていきます」

 

シェイクはほわりと笑った。

 

「いいと思いますぅ」

 

「根拠あります?」

 

「同室なのでぇ」

 

「便利ですね、同室」

 

「はいぃ。万能ですぅ」

 

フローラルウォーク賞の日、中京の空は曇っていた。

 

春と呼ぶには、まだ少し肌寒い。

けれど冬ほど硬くはない。

空気の中に、少しだけ次の季節の匂いが混じっている。

 

デュードの隣には、古吉トレーナーがいた。

 

古吉トレーナーはいつも通りだった。

朝日杯五着のあとでも、こぶし賞四着のあとでも、春の一戦でも、変に熱を入れたりはしない。

 

「硬いな」

 

「またですか」

 

「またや」

 

「毎回言われてます」

 

「毎回硬いからな」

 

デュードは少しだけ口を尖らせた。

 

「少しは柔らかくなってませんか」

 

「前よりはな」

 

「なら、褒めてください」

 

「まだ硬い」

 

「褒める気あります?」

 

「あったら言う」

 

デュードは小さく息を吐いた。

 

こういうところが、古吉トレーナーだった。

 

優しくないわけではない。

でも、甘くはない。

余計な言葉で包まない。

走るのに邪魔なものだけ、少しずつ横へ退かす。

 

「今日は、何を持っていけばいいですか」

 

デュードが聞くと、古吉トレーナーは少し考えた。

 

「朝日杯の五着」

 

「はい」

 

「こぶし賞の四着」

 

「はい」

 

「親の期待は少しだけ」

 

「半分置いてきました」

 

「ならええ」

 

「能力上位馬じゃないってやつは?」

 

自分で聞いてから、デュードは少し苦笑した。

 

古吉トレーナーは言った。

 

「持っていきたいなら持っていけ」

 

「いいんですか」

 

「それで楽になるならな」

 

「逃げになるなら?」

 

「重くなる」

 

デュードは黙った。

 

「じゃあ、置いていきます」

 

「無理に置かんでもええ」

 

「今日は、置いていきます」

 

古吉トレーナーは頷いた。

 

「ほな、走れ」

 

ゲートが開いた。

 

デュードは出た。

 

中京の芝千六。

朝日杯とも、こぶし賞とも違う。

だが、流れには乗れている。

足元は見えている。

低く組みすぎてはいない。

 

前を見る。

急がない。

でも、下げすぎない。

 

古吉トレーナーの声が届く。

 

「そこでええ」

 

そこでいい。

 

デュードは息を入れた。

 

朝日杯の高い足場。

こぶし賞の凍った足元。

親の期待。

能力上位馬じゃないという口癖。

 

全部が消えたわけではない。

 

でも今日は、足の裏がちゃんと芝を踏んでいる。

 

三コーナー。

四コーナー。

 

前が動く。

デュードも動く。

 

直線。

 

デュードは脚を使った。

 

前が近づく。

届きそうで、届かない。

でも、こぶし賞の時よりは、足場が少しだけ高い。

 

一頭を追う。

もう一頭を追う。

最後まで踏む。

 

ゴール。

 

三着。

 

デュードは息を弾ませながら、前を見た。

 

一番前ではない。

二番目でもない。

けれど、こぶし賞より一つ前。

 

三着。

 

古吉トレーナーが来た。

 

「三着や」

 

「はい」

 

「前よりは上がったな」

 

「はい」

 

「でも勝ってへんな」

 

「はい」

 

デュードは頷いた。

 

悔しい。

けれど、少しだけ息ができる。

 

「古吉さん」

 

「何や」

 

「足場、少し組めました」

 

「せやな」

 

「でも、まだ上までは行けてません」

 

「せやな」

 

「勝てませんでした」

 

「せやな」

 

「でも、こぶし賞の四着は、持ってきてよかったです」

 

古吉トレーナーは、ほんの少し目を細めた。

 

「なら、今日の三着も持って帰れ」

 

「はい」

 

「次に使える」

 

デュードは頷いた。

 

「持って帰ります」

 

その夜、寮の部屋で、シェイクはデュードのメモを覗き込んだ。

 

フローラルウォーク賞三着。

こぶし賞より、一つ前。

でも、勝ってはいない。

足場は少し組めた。

まだ上までは行けていない。

 

「三着ですぅ」

 

「三着です」

 

「近づきましたぁ」

 

「近づきました」

 

「でも、勝ってないですぅ」

 

「それ、シェイクさんみたいなこと言いますね」

 

「ほわ」

 

二人は顔を見合わせた。

 

シェイクは三勝クラスで、ずっとそう言っている。

 

近い。

でも、勝っていない。

 

デュードはまだ一勝クラスにいる。

けれど、同じ言葉が少しずつ自分の机にも入り込んできていた。

 

「デュードさんも、沼ですかぁ?」

 

「やめてください」

 

「ほわ~……」

 

「まだ沼って言わないでください。まだ足場です」

 

「足場沼……」

 

「混ぜないでください」

 

デュードはそう言って、けれど少しだけ笑った。

 

春は、まだ始まったばかりだった。

 

しかし春の足場は、思っていたより高かった。

 

フローラルウォーク賞の三着から少しして、デュードの予定表には、アーリントンカップの文字が書き込まれた。

 

阪神、芝千六。

GⅢ。

 

朝日杯五着のあと、一勝クラスで四着、三着。

そして再び、重賞へ。

 

「早くないですか」

 

デュードは、宮田先生の部屋でそう言った。

 

宮田先生は資料を見ながら、渋い顔をしている。

 

「早いか遅いかで言えば、早い」

 

「ですよね」

 

「ただ、朝日杯で掲示板に載っとる。春のうちにもう一回、上でどこまでやれるか見たいという気持ちも分かる」

 

「親ですか」

 

「親もやし、周りもや」

 

「わたしは?」

 

デュードが聞くと、宮田先生は資料から顔を上げた。

 

「お前はどうや」

 

逆に聞かれた。

 

デュードはすぐに答えられなかった。

 

怖い。

 

それが最初にある。

 

朝日杯五着。

エコロヴァルツ。

高い足場でも立てた感触。

でも、こぶし賞は四着。フローラルウォーク賞は三着。

 

まだ自己条件も勝っていない。

 

その状態で、また重賞へ行く。

 

「怖いです」

 

デュードは正直に言った。

 

「でも……行きたくないわけじゃないです」

 

宮田先生は黙って聞いていた。

 

「朝日杯の五着が、たまたまだったのか。そうじゃないのか。知りたいです」

 

「知るには、傷つくかもしれんぞ」

 

「はい」

 

「それでもか」

 

デュードは足元を見た。

 

自分の足場は、まだ低い。

でも、低く組みすぎるなと言われた。

高いところへ行きたいなら、背伸びしないと届かない時もある。

 

「行きます」

 

そう答えた。

 

アーリントンカップの日、阪神の空は晴れていた。

 

パドックの空気は、フローラルウォーク賞とは違っていた。

重賞の熱。

強い子たちの気配。

前を見ている子たちの集中。

 

デュードは、その中で少し呼吸が浅くなるのを感じた。

 

古吉トレーナーが隣に来る。

 

「硬い」

 

「分かってます」

 

「分かっとるならええ」

 

「よくないです」

 

「ほな、ほどけ」

 

「どうやってですか」

 

「走りながら」

 

「そればっかりですね」

 

「それしかない時もある」

 

デュードは小さく息を吐いた。

 

「今日は、何を持っていけばいいですか」

 

「朝日杯五着」

 

「はい」

 

「フローラルウォーク賞三着」

 

「はい」

 

「こぶし賞四着」

 

「それもですか」

 

「いるやろ」

 

「いりますか」

 

「足元見るにはいる」

 

デュードは頷いた。

 

「能力上位じゃないは?」

 

「今日は持っていくな」

 

古吉トレーナーは短く言った。

 

デュードは少し驚いた。

 

「今日は、ですか」

 

「重賞でそれ持っとると、下がる理由ばかり探す」

 

「……はい」

 

「上を見ろ。ただし、足元も忘れるな」

 

「難しいですね」

 

「難しい場所や」

 

ゲートが開いた。

 

アーリントンカップの流れは速かった。

 

朝日杯とも違う。

自己条件とも違う。

前へ行く子の圧。

外から動く気配。

内で脚を溜める子たち。

 

デュードは流れに乗ろうとした。

 

乗れていないわけではない。

だが、楽ではない。

 

足場が高い。

 

風が強い。

 

フローラルウォーク賞で組めたと思った板が、ここでは少し薄く感じる。

 

古吉トレーナーの声が届く。

 

「焦るな」

 

焦らない。

 

「下がるな」

 

下がらない。

 

「前見とけ」

 

前を見る。

 

でも、前は遠い。

 

三コーナー。

四コーナー。

 

デュードは動こうとする。

しかし、強い子たちはもう先に動いている。

自分が踏む前に、前の足場が組み上がっていく。

 

直線。

 

脚は使っている。

けれど、一番前の争いには入れない。

 

どこかで見た高い足場。

朝日杯では立てた場所。

 

今日は、そこに長く立てない。

 

ゴール。

 

十着。

 

デュードは、息を整えながら、前を見た。

 

朝日杯五着の子が。

フローラルウォーク賞三着の子が。

 

重賞で十着。

 

古吉トレーナーが来た。

 

「十着や」

 

「はい」

 

「今日は、足りんかったな」

 

「はい」

 

「崩れた、とは言わん」

 

「でも、立てませんでした」

 

デュードの声は低かった。

 

「高い足場に、長く立てませんでした」

 

古吉トレーナーは黙って聞いた。

 

「朝日杯は、立てた気がしたんです。でも今日は……途中で、風が強くて」

 

「せやな」

 

「朝日杯五着だけじゃ、足場にはならないんですね」

 

「ならんな」

 

「悔しいです」

 

「おう」

 

「でも、怖かったです」

 

「それも持って帰れ」

 

デュードは顔を上げた。

 

「怖さもですか」

 

「捨てると、また同じ場所で足元見えへん」

 

古吉トレーナーは前を見た。

 

「今日は十着。高い足場で風が強かった。それだけや」

 

「それだけ……」

 

「それ以上でも、それ以下でもない」

 

デュードは唇を結んだ。

 

「はい」

 

アーリントンカップの十着は、デュードのメモに少し濃い字で残った。

 

アーリントンカップ十着。

重賞の足場は高い。

朝日杯五着だけでは、足場にならない。

怖かった。

でも、捨てない。

 

シェイクはそのメモを読んで、しばらく黙っていた。

 

「デュードさん」

 

「はい」

 

「春の風、強いですねぇ」

 

「強いです」

 

「寒いですかぁ?」

 

「寒いというより、足元を持っていかれます」

 

「ほわ~……」

 

シェイクは自分の三勝クラスのメモを見た。

 

勝てない。

近づいて、離れて、また近づく。

 

デュードは、朝日杯の五着から春の重賞へ向かい、十着になった。

 

違う場所にいる。

でも、苦さはどこか似ていた。

 

「お茶、濃いめにしますぅ」

 

「お願いします」

 

二人はその夜、いつもより少し濃いお茶を飲んだ。

 

しかし春は、まだデュードを離してくれなかった。

 

次の予定表に書かれたのは、京都新聞杯。

 

京都、芝2200。

GⅡ。

 

十四番人気。

 

それを見た時、デュードは少し笑ってしまった。

 

「十四番人気です」

 

部屋で資料を見ながら、デュードが言った。

 

「ほわ?」

 

「人気、十四です」

 

「たくさん下がりましたねぇ……」

 

「アーリントンカップ十着でしたからね」

 

「でも、出るんですかぁ?」

 

「出ます」

 

シェイクは、デュードの顔を見た。

 

怖がっている。

でも、逃げようとしている顔ではない。

 

「行きたいんですかぁ?」

 

シェイクが聞くと、デュードはしばらく黙った。

 

「行きたいというより、確認したいです」

 

「何をですかぁ?」

 

「春の大きい足場が、本当にわたしに高すぎるのか」

 

デュードは資料を閉じた。

 

「あと、親にも、施設の人たちにも、ちゃんと見せたいんです。朝日杯の五着だけじゃなくて、アーリントンカップの十着も、今のわたしだって」

 

「京都新聞杯も?」

 

「はい。たとえ十四番人気でも」

 

シェイクはほわりと頷いた。

 

「デュードさん、足場を低く組みすぎてないですねぇ」

 

「最近、組み方が分からなくなってるだけです」

 

「それでも、組もうとしてますぅ」

 

デュードは少しだけ笑った。

 

「同室補正ですか?」

 

「同室補正ですぅ」

 

京都新聞杯の日、デュードは不思議とアーリントンカップの時より静かだった。

 

人気はない。

期待も、朝日杯の時ほど熱くない。

親の声も、少し落ち着いていた。

 

それが寂しくもあり、少し楽でもあった。

 

古吉トレーナーは、やはりいつも通りだった。

 

「十四番人気やな」

 

「はい」

 

「気楽か」

 

「少し」

 

「腹立つか」

 

「少し」

 

「ならええ」

 

「いいんですか」

 

「何も感じんよりはええ」

 

デュードはパドックの先を見た。

 

「今日は、何を持っていけばいいですか」

 

「朝日杯五着」

 

「はい」

 

「こぶし賞四着」

 

「はい」

 

「フローラルウォーク賞三着」

 

「はい」

 

「アーリントンカップ十着」

 

「はい」

 

「十四番人気」

 

デュードは少しだけ笑った。

 

「それも持っていくんですか」

 

「それも今のお前やろ」

 

「はい」

 

「ただし、十四番人気らしく走るな」

 

デュードは顔を上げた。

 

「どういう意味ですか」

 

「誰も見とらんみたいな顔するな、ってことや」

 

古吉トレーナーは短く言った。

 

「お前はお前を見とけ」

 

ゲートが開いた。

 

京都の芝2200。

 

距離も、流れも、これまでとは違う。

楽ではない。

だが、アーリントンカップの時のように、最初から足元を持っていかれる感じはなかった。

 

デュードは走った。

 

十四番人気。

朝日杯五着。

アーリントンカップ十着。

親の期待。

施設の視線。

エコロヴァルツの名前。

 

全部を抱えている。

 

でも、今日は少し違った。

 

人気がないなら、自分で自分を見るしかない。

誰かの期待が少ないなら、自分の足元を自分で見るしかない。

 

三コーナー。

四コーナー。

 

前は強い。

上位の子たちは簡単には止まらない。

 

けれど、デュードは沈まなかった。

 

直線。

脚を使う。

届かない。

勝負には届かない。

でも、完全に風に持っていかれることはない。

 

ゴール。

 

七着。

 

十四番人気、七着。

 

デュードは、息を弾ませながら、少しだけ空を見た。

 

勝っていない。

掲示板にも載っていない。

けれど、アーリントンカップの十着とは違う。

 

高すぎる足場から、ただ落ちたわけではなかった。

 

古吉トレーナーが来た。

 

「七着や」

 

「はい」

 

「十四番人気で七着」

 

「はい」

 

「よう走った方やな」

 

デュードは、少しだけ驚いた。

 

「褒めました?」

 

「少しな」

 

「珍しいですね」

 

「珍しいから覚えとけ」

 

デュードは笑おうとして、少しだけ目元が熱くなった。

 

「勝ってません」

 

「せやな」

 

「掲示板でもないです」

 

「せや」

 

「でも、今日は……」

 

デュードは言葉を探した。

 

「今日は、十四番人気のまま終わらなかった気がします」

 

古吉トレーナーは頷いた。

 

「それでええ」

 

「持って帰れますか」

 

「持って帰れ」

 

デュードは深く頷いた。

 

「はい」

 

その夜、部屋の机には、春のメモが並んだ。

 

こぶし賞四着。

フローラルウォーク賞三着。

アーリントンカップ十着。

京都新聞杯十四番人気、七着。

 

シェイクは、それを一枚ずつ読んだ。

 

「間違えないように並べましたぁ」

 

「ありがとうございます」

 

「こぶし賞は四着ですぅ」

 

「はい」

 

「フローラルウォーク賞は三着ですぅ」

 

「はい」

 

「アーリントンカップは十着ですぅ」

 

「はい」

 

「京都新聞杯は、十四番人気で七着ですぅ」

 

「はい」

 

デュードは少し笑った。

 

「シェイクさん、確認係みたいです」

 

「デュードさんの戦歴、間違えると足場が崩れますからぁ」

 

「そうですね」

 

デュードは、自分のメモに最後の一行を書き足した。

 

春の足場は高かった。

でも、全部から落ちたわけじゃない。

 

シェイクはその文字を見て、ほわりと笑った。

 

「いいですぅ」

 

「いいですか」

 

「はいぃ。春、怖かったですけど、終わってないですぅ」

 

「シェイクさんの三勝クラスも?」

 

「終わってないですぅ」

 

「わたしの一勝クラスも?」

 

「終わってないですぅ」

 

デュードは湯呑みを持った。

 

外では、春の夜が静かに降りていた。

 

デュードは朝日杯の五着で高い足場に立った。

こぶし賞でつまずき、フローラルウォーク賞で少し組み直し、アーリントンカップで風に押され、京都新聞杯で十四番人気のままでは終わらなかった。

 

春の足場は高すぎた。

 

けれど、高いからといって、もう見上げないわけではない。

 

デュードはまだ、自分の足場の組み方を探している。

シェイクもまた、三勝クラスの壁の前で、心臓の鳴らし方を探している。

 

二人の机の上には、勝利ではない数字ばかりが並んでいた。

 

でも、その数字は全部、次の図面になる。

 

春は、まだ遠い。

 

それでも二人は、同じ部屋でお茶を飲みながら、それぞれの足場を組み直していた。

 

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