AL-1Sの兄   作:空を飛ぶジンベエザメ

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1話 湖

その少年は、一糸まとわぬ姿で、体格に合わない大きな木製の椅子にちょこんと腰かけていた。周囲には、何も無い草原がひたすらに続いている。時折吹くそよ風でなびく短い草の他に少年が認識できるもの、それは足元に無造作に置かれた、石で出来た大きな水盆だった。

 

盆の中は透明な水で満たされている。少年は戯れに、小さな両足を水にそっと浸してみた。

 

「湖。満ち満ちた滑らかな水は全てを受け入れ、そして我が物とする」

 

「しかしそれは傲慢。即ち、神を崇める我々にとって忌避すべきもの」

 

「故に我々は無名の司祭の意識の複製として生まれ、湖にその身を投げ、同時にこれの制御を担った。偶然の産物とはいえ、神を崇めるのではなく、それに僅かでも近づこうとした、その贖罪として」

 

「しかしそれが今、我らの悲願を果たす為の”鍵”となり得ようとしている」

 

少年の向かい側、盆を挟むようにして、4つの人影が佇んでいる。全身を純白の装束で包み、同じく白い仮面を身に着けている。少年は足裏で水面をぱしゃぱしゃするのを止め、こちらを見下ろす不気味な四つの白い顔を見上げた。

 

「王女が、鍵を拒もうともがいている」

 

「王女が、我々を裏切ろうとしている」

 

「それだけではない。王女と鍵を止めようと、数多の神秘が動いている」

 

「この者が、それらを防ぐ鍵と、真になり得るのか」

 

少年は視線を落として白い顔達を視界の隅に追いやると、今度は波紋が揺らめく水盆を眺め始めた。天上の青い空しか映していなかったその水面に、髪の長い二人の少女が向かい合う様子が浮かび上がったからだ。

 

「断定は決して出来ぬ」

 

「この者は『名も無き神々の王女』の礎であり、同時に無価値の存在。それを偽りの世界に呼び起こしたとして…」

 

「おい、司祭共」

 

不意に、少年が口を開いた。端整で可愛らしい顔つきに似合わない、随分と粗暴な口ぶりだ。

 

「LE-Y9は腹が減っている。また同時に、LE-Y9は覚えている。この中には俺が潰した存在が腐る程に泳いでいた筈だ。お前達が『守護者』と呼ぶ、にょろにょろしたのが幾つも生えた、気色の悪い連中だ。奴らがこの中にいた間は、俺は腹など一度たりとも減ったことがない事も覚えている。司祭共、また奴らを寄越せ。そして破壊させろ」

 

少年は言い終えると、にたりと笑った。眼下の水盆に映る、何かを言い争っているだろう少女達など、まるで興味が無いかのように。

 

司祭達は一斉に少年を見下ろす。表情が全くない白い仮面。しかしそんな仮面越しでも、今の少年の言葉を聞いて、司祭達が失望の感情を抱いたことは容易に感じ取れた。

 

「果てぬ欲。生命の原動力にして、この者の内に湖を産み出した元凶だ」

 

「神秘と決して相容れない器を象ろうとも、我々は遂にそれを排除することが叶わなかった」

 

「破壊を通じてこの者は、『個としての強さ』を求めることに傾倒した。それでは決して崇高は得られない。穢れた神秘に、浄化の手を差し伸べることは出来ない」

 

「しかし王子としての意識が薄まり、欲を強く抱いた今なら、あるいは―」

 

司祭達はそこで、水盆に映った少女達を見る。2人のうち、赤い瞳をした方の姿がゆらゆらと朧げになり始めた。

 

「王女に生まれた新たな意識は、既に極めて強くなっている。このままでは、鍵の力のみでは起動は不可能だ」

 

「であれば、致し方ない」

 

「我々の意識は既に、この水に薄く広く溶け込んでいる。この者を通じてのみ世界を認識する以上、例え一縷の望みであったとしても託すしかあるまい」

 

「所詮我々も、崇高を求める過程で生まれた紛い物に過ぎない。捨てられた遺物と共に穢れた世界を泳ぐもまた、数多ある可能性の一つだ」

 

いつの間にか、少年はその足で地に立っていた。踏み締める草に良く似た、緑色の瞳を爛々と輝かせながら。

 

「LE-Y9は認識した。司祭が力を発揮することを求めている。さぁ教えろ、今度は何を壊せばいい?未だ底知らぬこの水中に、次は何を放り込ませてくれる?」

 

司祭達は再び少年を見た。生気と野心、渇望に満ちた瞳と、暗く虚ろな8つの目が重なる。

 

「鍵を護ること。今はそれが、全てにおいて優先される」

 

「湖を用いれば、鍵を沈め、深い水によって保護することも容易い」

 

「王女を取り戻すは、それからでも遅くない」

 

それを聞き、少年は不満そうに鼻を大きく鳴らした。

 

「久方ぶりに目を覚ましたかと思えば、癪に障ることを求める。俺のことを『王女と鍵の足元にも及ばぬ劣等』と散々蔑んでおきながら、兄としてその優れた妹を護れ、だと?ヒトに物を頼む前に、そのつまらん仮面を外し、己が面の皮の厚さを確かめることを勧めるぞ、司祭共」

 

少年は背後の椅子にどかっと腰掛け直すと、爪先で水盆の縁を軽くつついた。「顔を見るのにこいつを使え」という意味の皮肉だろう。

 

「不服を唱えるは承知の上。破壊と勝利による自己証明、万物を喰らい、己の力とすることで生まれる刹那的な快楽。お前がそれらの中毒に陥っていることは、我々が最も良く理解しているところだ」

 

「故に我々はまた、お前の視野の狭さを理解している」

 

「観測をするのだ。お前が足蹴にしている、その湖で」

 

「お前にお誂え向きの世界が広がってることに、気付くだろう」

 

少年は目だけを動かし、爪先の水面をつまらなそうに一瞥する。そしてそこに映ったものを見て、両の瞳に再び光を灯した。

 

「感じるぞ、神秘達が争っているのが。そしてごく僅かだが、匂う。神々の力を宿した武器の鼓動を。……なるほど、故は分からぬが、俺の肉体は今、戦場の最中にあるようだ」

 

少年は再び立ち上がると、水盆に両足を入れた。ちゃぷん、という静かな水音が響く。と、次の瞬間、水盆から大量の水が溢れ出し始めた!少年の足下から噴き出す水は瞬く間に、司祭達の長く白い裾を濡らすと、広大な草原を湖に変えんとする程の速度で大地に流れ始める。

 

「LE-Y9は司祭の求めを受け入れた。これより偽りの世界へと戻り、我が妹たる鍵を保護する……案ずるな、同志を喰らってしまう程、俺は力に溺れてはいない」

 

少年は仮面の下に浮かんだ表情を読み取ったかのように、余裕の笑みを浮かべる。そして何度か首を鳴らした後、まるで魚のようなしなやかさで、足から勢い良く水盆に潜り込んだ。少年が姿を消した途端、水盆から溢れる水はその勢いを穏やかにし、草の隙間から僅かに覗く黒い土に吸い込まれていく。溢れた水が全て土に溶け消えるまで、司祭たちは静かになった石盆を見下ろしていた。

 

 

 

『トキ、聞こえるかしら?イレギュラーが発生したわ』

 

タワーから落下しながらもアビ・エシュフを駆り、ネルに機関砲を連射し続けていたその時、不意にリオから通信が入った。その声に気を取られ、操縦の手が一瞬、緩まる。その隙を、ネルが見逃す筈が無かった。

 

「貰った……!」

 

ネルは自分のマシンガンから伸びた鎖を、銃ごとトキ目掛けて投げつけた。鎖と銃がアビ・エシュフの関節部に素早く巻き付き、動きが更に鈍る。

 

「後ろがガラ空きだぜ……!」

 

ネルはそこから鎖を自分自身に引き寄せ、なんとビルから落ちている最中にもかかわらず、まるで空中ブランコのような動きでトキの背後に回った。隙だらけのアビ・エシュフの背中に、残った銃の銃口が向けられる。しかし

 

「対応を自動操舵に切り替え。反撃します」

 

トキは右腕のマニピュレーターから手を放す。するとそれに伴い、アビ・エシュフの右腕がぐるりと半回転し、背後のネルに銃口を向け返した。

 

「……ッ!?!?」

 

予想外の動きに怯んだのも束の間、ネルは機関砲の射撃をもろに浴び、そのまま遥か真下の地上へと静かに落下していった。トキはマニピュレーターに手を戻すと、タワーの鉄筋を素早く捕まえ、落下を止める。

 

『申し訳ないわね、トキ。戦闘の邪魔をしてしまって』

 

戦闘が終わったのを確認したのか、再度リオから通信が入る。

 

「問題ありません、マム。それよりも、イレギュラーとは」

 

『えぇ。あの少年が、『最初の王子LE-Y9』が起動したわ。現在隔離ブロックを突破、防衛用のAMASを破壊して地上へと向かいつつある。直ちに対処に向かってちょうだい』

 

瞬間、ネルを排除し、ほんの僅かだけ安堵していたトキに、再び強い緊張が走る。

 

「ですがマム…」

 

『タワーへと向かうC&C達は残存戦力をかき集めて対処する。幸い、ネルが負傷したことで先生達も撤退を始めている。今なら十分に対処が可能だわ』

 

トキは自分の真下に広がるビル群を見下ろす。この高さではタワーの足下の様子は全く分からないが、リオがそう言うのなら間違いないだろう。そしてリオを信用する以上、急がなくてはならない。以前あの廃墟で行った極秘調査で発見したあの「少年」は、リオから「アリスと同様の危険を孕んだ存在」と評された代物なのだから。

 

「…了解しました。それでは、アビ・エシュフのオペレーティングシステムを変更。エリドゥの基幹システムより『ミスター・フリーズ』を緊急ダウンロード。起動したLE-Y9の凍結を行います」

 

トキがそう告げた瞬間、アビ・エシュフ各デバイスの発光が水色から白色に変化した。

 

『目標の座標を送信…完了。それでは頼んだわ、トキ。私は一つ大きなミスを犯した。やはりあれはアリス同様、廃墟から持ち出すべきではなかった。それの尻拭いを貴女に任せるのは心苦しいけれど…』

 

「いいえ、マム。これは貴女のミスでは無く、計画に生じた変数に過ぎません。それであれば、機能不全にすれば済むだけのことです」

 

トキは最後にそう言い残すと、眼下のビル群の一つに飛びおり、そこからビル伝いに指示された目標へと向かい始めた。

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