アリス達とミレニアムに帰り、半ば自室と化している反省部屋に戻ったリオは、ユウカに許可を得て貸し与えられたノートパソコンで一晩中作業をしていた。アリスがこの部屋に来てくれて以降、不安と罪悪感で寝付けないということは無くなったが、それはそれとして、リオはあの少年に関する様々な事柄についての調査で、依然として短い睡眠時間で生活をしていた。
「もう昼ね…流石に疲れたし、コーヒーでも淹れようかしら」
リオはパソコンの時計をちらりと見る。夢中で作業をしていたせいで、少年が目覚めてから既に24時間が過ぎていた。リオは重たい腰をソファから持ち上げ、パソコン片手にコーヒーメーカーの前に立つ。コーヒーが出来上がるまでの時間にリオがパソコンで見ていたのは、今日の早朝にウタハから送られて来た、「昨日目覚めた少年(ゲーム開発部によってレイクと命名)についての情報共有」というタイトルのメールだった。
「対物ライフルと同等の反動を持つレールガンを片手で発砲、極めて正確な反動制御でタレットを破壊……熱ッ!」
ウタハのメールを読むのに夢中になっていたせいで、リオは出来立ての熱々コーヒーを冷ますことも無く飲んでしまった。眠気が多少飛んだ代わりに舌全体に火傷のザラザラした嫌な感触がこびりついてしまったリオは、苦い顔をしながらソファに戻り、メールの続きを読む。
「アリスとは異なる点は確認出来た限りで二つ。レイクの表皮はナノマシンによる自己修復能力を持たず、代わりに数千発の弾丸を短時間で受けても傷一つ付かない、極めて頑強な設計になっていること。そして…」
リオはコーヒーを慎重に啜ると、メールをスクロールする。
「レイクには観測不可能領域の状態に関わらず、熱を探知する能力が備わっている可能性が高い。それが索敵の為なのか、それともリオの言う、司祭が残した力なのかは不明……」
リオはコーヒーの入ったマグカップをコースターの上にそっと置き、送られて来た情報をパソコンのメモ帳に端的に要約した。
(熱探知能力…エリドゥでの戦闘でトキやアバンギャルド君の接近を察知していたのは、その能力があったから…?仮にそうだとして、どうしてその能力が記憶よりも優先して残ったのかしら…?)
リオは高速でタイピングをしつつ、寝不足で若干鈍ったその脳を回転させる。
(考えられる仮説は二つ。一つは機体の保護を最優先した為。例え記憶が無くともこの能力があれば、外敵の接近をいち早く知ることが出来る。そして…)
キーボードを叩いていた細い指が、ぴたりと止まった。
(また私は、非合理的なことを…)
リオは大きくため息を吐いた。リオの頭脳が導き出した、二つ目の仮説。それを、文字として出力することが出来なかったからだ。それをしてしまうと、彼を信じて精神に入ったアリス、ヒマリ、先生の決断と勇気を否定してしまうような気がしてならなかった。
リオは再びため息を吐くと、連続稼働でかなり熱を持ったパソコンをそこで初めて閉じ、疲れた顔で、相変わらず暗い天井を仰いだ。その時
「失礼します」
扉が開き、小さな影が部屋の中に入って来た。
「おや、随分と暗いですね。まぁ、映画鑑賞には好都合ですが」
部屋を訪れたのは、ヒマリだった。膝の上にはキヴォトスでは比較的ポピュラーなホームシアター用のプロジェクター、学校の売店で売っているポップコーンと炭酸水、そして何故か、大きな向日葵の造花が一凛置かれていた。
「その顔、一体どういう風の吹き回しなのか、と言った具合ですね」
「えぇ、その通りよ。貴女がたった一人でこの部屋に来るなんて」
「私はこう見えて結構アクティブなのですよ?行きたいと思った所には、この体と時間が許す限り何処へでも行きます。ふふっ、自由というのは実に良いものですね。翼を折られ檻に繋がれた頭でっかちな烏とは違い、私は凛とした白鳥のように、好きな時に好きな場所へ羽ばたいていけるのですから」
その言葉に、リオは眉をひそめる。それは、今まで自分の事を「汚水」だの「腐った水」だのと例えて来たヒマリの罵倒が幾分かマイルドになったから、ではなく、彼女の口調が異常に早口であったからだ。
「今日私がここに足を運んだのは、特異現象捜査部の部長として、貴女とお話したいことがある為です。エリドゥに関する面倒事も粗方片付き、レイクと名付けられたあの少年も…えっと、私達の可愛い後輩として新たな生を受けたようですし、そろそろ”あのAI”についての調査を再開しても良い時期でしょう」
瞬間、リオの顔に付着していた疲れと迷いが消え去った。
「そうね。今日、彼との接触を貴女に願い出たのも、次の預言者の調査の為に他ならないわ。それで、彼からは…」
「えぇ、えぇ、えぇ、そうです。貴女の考えることなんて、この超天才清楚系病弱美少女たる私にかかれば全て手に取るように分かるのですよ。ですが本題に入る前に、一緒に映画を一本観ませんか?これから水と油が手を取り、未知の脅威に立ち向かう為には親睦の時間が必要だと思うので」
変わらずの早口で、ヒマリは慌てた様子で膝上のプロジェクターを掲げる。そのせいで、プロジェクターの上に置かれていたポップコーンと炭酸水、そして向日葵の造花が転がり落ちてしまった。「はわわ…」という情けない声を上げながら、ヒマリは急いで落ちたものを拾い上げようとするが、座った姿勢のせいで、中々手が届かない。それを見かねたリオはソファから立ち上がり、ヒマリから一番遠い場所に落ちた造花を手に取った。
「私は別に、構わないわ。ただ、この向日葵は…」
「勘違いしないで下さい!それは貴女への贈り物では決してありませんッ!」
突然叫んだヒマリにリオはびっくりして、その場で小さく跳び跳ねた。対するヒマリも、リオに手を思いっきり伸ばしたまま固まってしまう。
「…ヒマリ、一体どうしたの?何だか、自分の行動を自分の頭で理解できていないような、そんな感じだわ…」
「リオ、貴女に一生のお願いというものをしたいと思います。どうか今の発言を、金輪際忘れて下さい…」
ヒマリは固まったまま、口をぱくぱくと動かした。
「…?良く分からないけれど、分かったわ。それよりも、早く映画を観ましょう」
様子のおかしいヒマリが持ち込んだのは、以前話題になった恋愛映画だった。年頃の初心な二人の男女が、学校生活を通じて不器用だけど真っすぐでピュアな恋をするという、一見するとありきたりな内容だが、物語の中盤で主人公の男の子が交通事故で亡くなってしまうという衝撃の展開から、それ以降はヒロインが男の子を失ったことへの絶望と喪失感を克服し、好きな人の思い出を胸に前向きに生きてゆく様を描くという構成が特徴の映画で、「生徒がトラックに跳ね飛ばされたくらいで死ぬのはおかしい」という批判が一部から送られたものの、90分程の尺で登場人物の心情を緻密に描き、短いながらも観ている者の感情を大きく揺さぶったことが高く評価されていた。
(ヒマリには悪いけど、私にはいまいち魅力が理解できないわ…)
学園祭の終わり際で主人公がヒロインに告白するという序盤の山場のシーンをポップコーンと炭酸水片手に眺めながら、リオは懸命に眠気と戦っていた。恋愛映画なんて今まで見たことも無いし、興味が湧いたことすら無かったが、わざわざヒマリが一緒に観ようと言って来たものを前にして居眠りをするということは死んでもできなかった。
(ヒマリは、楽しんでいるのかしら…)
リオはちらりと、横に座るヒマリを見た。
(その表情は、もしかして恥ずかしがっているの…?)
ヒマリは告白シーンを前にして、胸のときめきに任せて瞳を輝かせるでも無く、ましてや「微笑ましいですね」といった感じのすまし顔を浮かべるでも無く、少し俯いた姿勢で顔を赤らめていた。その表情は、今まさに「好きです!僕と付き合って下さい!」というストレートな告白を受けたヒロインと、良く似ていた。
「ふぅ、終わりましたね。世間の評価ほど、面白い映画ではありませんでした」
エンドロールが流れ終わったのを確かめたヒマリは、プロジェクターの電源を切ると共に反省部屋の灯りを付けた。
「そうかしら?私は良い映画だと思ったわ。主人公が亡くなったからといって悲劇で終わるのでは無く、天国の彼を悲しませたくない想いで、辛い現実と上手く折り合いをつけながら生きていくことを決めたあの時のヒロインは本当に魅力的だったと思うわ」
リオのその言葉に、嘘は無かった。確かに前半の恋愛パートはあまり面白いとは思えなかったが、恋人の死という現実から目を背けず、歯を食いしばりながらも前に進む。作中のヒロインの言動から、リオ自身もそんな強さを身に付けたいと思っていた。
「今の貴女らしい感想ですね。ただ、私から言わせればそもそも主人公が亡くなるという脚本自体がナンセンス。ただハッピーエンドにするのでは面白い作品にならないから、無理矢理主人公の死という展開に繋げた。そんな制作陣の意図が読み取れました。やはり、所詮はフィクションですね」
「中々厳しい評価ね」
「ふふっ、別に評論家を気取るつもりはありませんけれど」
そう言いつつも、ヒマリはいつもの落ち着いた調子とすまし顔で、殆ど口を付けていない炭酸水のペットボトルを開けた。
(ヒマリ、元に戻ったわね…さっきまでのは、一体何だったかしら…)
映画鑑賞の前後で情緒がまるで違うヒマリに首を傾げるリオ。ただそれはそれとして、今まで自分のことを毛嫌いしていた筈のヒマリが、こうして自分のもとを訪ねて来てくれたことが、リオは素直に嬉しかった。
(やっぱり、ミレニアムに戻って正解だった…)
そう思いながら、リオは僅かに残っていた炭酸水を飲み干した。
「そしたらそろそろ本題に入りましょう。ヒマリ、彼は結局貴女に付き合ってくれるのかしら?」
リオがそう尋ねた瞬間、ヒマリは口に含んでいた炭酸水を勢いよく吹き出した!その光景に、今度はリオが驚きの余り石のように固まってしまう。
「ももも勿論とても嬉しかったですよ!ですが私のような女性と釣り合うには、彼は世の中というものを知らな過ぎます!これから学校生活を送る中で酸いも甘いも経験し、それでも尚私のパートナーになりたいという気持ちが変わらないのであれば、その時は……」
口の周りがびしゃびしゃになっていることなど気にも留めず、恐ろしい速度で言葉を発するヒマリ。リオは途端に怪訝そうな表情になる。
「あの、ヒマリ?今の話だと、貴女は彼に『特異現象捜査部に入って欲しい』という願いを伝え、彼からその了承を得、その上で入部を断ったように聞こえるのだけれど…」
顔を赤くしたまま、ハッとした表情になるヒマリ。どうやら、とんでもない認識違いを起こしかけたことを悟ったようだ。
「ンッン!そ、そういうことでしたか!」
ヒマリはわざとらしく咳き込むと、ポケットからハンカチを取り出し、吹き出した炭酸水で濡れた口の周りを拭った。
「分かりにくい説明をしてしまい大変申し訳ありませんでした。リオのお望み通り、先程彼から入部の意志を受け取りました。これからレイクは表向きはゲーム開発部として活動しつつ、私の求めに応じてエイミと共に特異現象の探査・研究に同行することになります。勿論、預言者についての情報も、現状可能な範囲でのみ共有済みです」
「それを聞いて安心したわ。ありがとう、ヒマリ」
ヒマリが求めていた結果を無事得てきたことに、リオは安堵の息を吐いた。
「ですが、本当に良いのですか?現状、デカグラマトンやその予言者に対する私達の理解は全くと言っていい程進んでいません。その調査に、同じく未知に溢れたレイクを同行させるなんて。預言者の力に触れることで凍結が解除され、暴君の王子へと逆戻りしてしまうかもしれませんよ?」
「危険なことをお願いしているという自覚は、勿論あるわ」と、リオは毅然とした態度で言った。
「神を崇拝する者に創造されたにもかかわらず、その身に神秘を宿さないオーパーツ。その存在を知った預言者やデカグラマトン本体が一体どんな反応を示すのか、私はそれをどうしても知りたい。無価値な存在、或いは純粋な脅威と見なして牙を剥くか、それとも彼の中にある無限に等しい領域に興味を示し、接触を試みて来るのか。いずれにせよ、彼の協力は『神性を探し求める人工知能』の理解を助けてくれる筈よ」
「協力…えぇ、そうですね。本人の同意を得ているのですから、これは間違いなく協力ですね」
ヒマリはたっぷりと皮肉を込めながら、仏頂面でそう言った。
「…やり方は貴女に任せると言ったでしょう。貴女が彼の生命を最優先させようが、それとも使い走りの駒として扱おうが、私はそれを必ず尊重する。貴女をこの特務組織の部長として選んだのは、そういう意図もあるのよ」
「左様ですか。でしたらお望み通り、私の好きなようにやらせて頂きます。それと部長として、最後に二つお願いがあります」
「何かしら…?」と首を傾げたリオを、ヒマリは真剣な眼差しで見つめる。
「汚したカーペットのクリーニング代は、私個人の口座に付けておいて下さい。それと、彼にはゲーム開発部が付けてくれたレイクと言う名があるのですから、貴女も彼だのオーパーツだのと言わず、しっかり名前で呼びなさい」
それだけ伝えると、ヒマリはゴミとプロジェクターと向日葵を持って、部屋を後にしようとした。しかし、踵を返したその時
「待って、ヒマリ。私からも、お願いがあるわ」
「なんでしょうか?」と、ヒマリは背中越しに応える。
「貴女は自由の身なのだから、ここを出たら今すぐ医務室に行ってメディカルチェックを受けなさい。さっきの不安定な情緒は、何か大きなショックを受けて脳が混乱している証拠だわ」
ヒマリは車椅子を止める。
「お気遣いありがとうございます」
そう短く言い残し、ヒマリは反省部屋を後にした。ただ扉が閉まる瞬間、ヒマリの耳がまた赤くなっているのを、リオは見逃さなかった。