「…って、ボーっとしてる場合じゃない!二人を助けないと!!」
ゲブラが氷海に消えるのを見届けたレイクはそこで、エイミとトキの存在を思い出した。
「レイク、待って下さい!」
しかしレイクはヒマリの制止を無視し、赤熱したペンシルノヴァを握ったままベースキャンプを飛び出してしまった。
「…全く、こういうところは本当にゲーム開発部の部員ですね…」
ゲブラが消えたことで一人でも問題ないと判断したのだろう、ヒマリはぼやきつつも、無理にレイクを引き留めるようなことはしなかった。それに、このメンバーの中で二人をベースキャンプまで直ちに運び込むことが出来るのはレイク以外にいない。
「ヒマリ、怪我は無い?」
先生の問いに、ヒマリは「はい」と答える。
「良かった。それにしても、氷山が落ちて来た時は本当にダメかと思ったよ…」
張り詰めた緊張の糸が切れた反動か、先生はそれは深いため息を吐いた。
「えぇ。私も恥ずかしながら、自分から意識を手放しかけていました。この場にレイクが居なかったらと思うと、ゾッとします…」
ヒマリはゲブラが潜っていった青い海を見つめる。その手前の氷原には、変わらず凍り付いたままのエイミとトキ、そして二人に駆け寄っていく小さなレイクの姿があった。
(あんな小さな少年に、私は命を…)
氷塊を支えていたレイクの姿が、ヒマリの脳裏に鮮明に蘇る。自分達の命を救ったあの時の彼は正に―
「やっぱりレイクも、勇者だったみたいだね」
勇者。それはヒマリ自身も思い浮かべていた言葉だった。
「えぇ、私達の直感は間違っていなかったようです。彼もアリスと同じように、仲間を想い、互いに助け合える精神を持ち合わせていました。それこそ魔王のような、あの傍若無人な性格が何処に行ったのかは、未だに分かりませんが」
そう言いながら、ヒマリは自分の顎に指を添えた。
(氷山を投げ飛ばしたあの時、デバイスに一瞬だけバグが生じた…偽の信号に勘付いたことと言い…)
しかしヒマリは小さく首を横に振った。
(いいえ、今考えるべきことではありませんね。レイクが二人を連れて戻り次第、ミレニアムに戻る準備を…)
その時である。
『改めてやっほやっほ~!ゲブラをあそこまで追い詰めるなんて、やるじゃん!』
『は、はい。お陰で予想外のデータが取れました…アビ・エシュフ、禁じられた技術が含まれた武器は研究の余地があります…』
『それに加え、まさかオーパーツを二つも引っ提げた状態でこの氷海に来る者がいるとは思いませんでした。まぁ、どうでも良いのですが』
ヒマリのホログラムに、真っ白な肌を持った、3人の少女の姿が投影された。
「…貴女達が、ゲブラのサポートをしていたのですね?」
現れた3人に、ヒマリは至って冷静な態度で尋ねた。
『おぉ~、大正解!中々勘が鋭いじゃん?なんで分かったの?』
「先程『一度退くことにしましょう』などとベラベラ喋っていたのは、他でも無い貴女達でしょう?それに、騙し討ちや周囲の環境を巧みに利用し、常にこちらの裏を突こうとする戦闘。それはこれまでの独立した預言者には決して見られなかったものです。まるできちんと訓練を受けている軍人と戦っているような、そんな様相を、あの預言者は呈していたので」
『…なるほど。やはりただのバカではありませんでしたね』
『ではそんな預言者であるゲブラを退けたことに一抹の敬意を表して、自己紹介をさせて頂こうと思います』
3人はヒマリと先生に、仰々しく一礼をした。
『私はアイン』
『私はソフ!』
『自分はオウルと申します』
3人は続ける。
『私達は実在の無い存在者』
『私達は無限に存在する非存在者』
『私達は顕現せぬ光であり永久』
『私達は、デカグラマトンを敬愛する者』
最後のその言葉に、先生は息を飲んだ。
『残念ですが、今明かせる情報はここまでです…』
『まぁ取り敢えず、私達のことは預言者を色々サポートするエンジニアや科学者みたいなものだと思ってくれればいいよ!それじゃあね!楽しかったよ!』
そう言い残し、アインとソフは消えた。
『それでは、私もこれにて失礼します。あぁ、仰る必要はありませんよ。貴女達とはまた近いうちに会う事になるので』
「それは、何故…」
オウルはヒマリを挑発するように、人差し指をひらひらと揺らした。
『私達が何の意味も無くこんな極寒の地にいると思いましたか?目的を達するまでは、私達もゲブラもこの氷海を離れるつもりはありません。その間に、貴女達はせいぜいゲブラを打ち倒せるだけの戦力を準備しておくことです。あぁ、それと…』
オウルは揺らしていた指を止めると、今度は先程まで戦場となっていた氷原を指さした。
『悪いことは言いません。あのオーパーツは、この付近にある海溝にでも深く沈め、二度と目覚めないようにすることを勧めます。不可解な箱は兎も角として、あれは貴女達の手に負えるような代物ではない。偽のヘイローを与え、自分達と同じ存在だと錯覚していては、いつか痛い目を見ますよ?まぁ、私達には関係の無いことなのでどうでも良いですが』
その言葉を最後に、オウルもその姿を消した。冷たい沈黙が、二人を包む。
「はぁ、はぁ…お待たせ、しました…」
その沈黙を破ったのは、エイミを肩に背負い、隻腕のアビ・エシュフを装備したままのトキをベースキャンプまで引きずって来たレイクの絶え絶えとした声だった。
「う…ん…」
体を揺らす振動と響くローターの音で、トキは目を覚ました。
(ここは、ヘリの中…?)
トキは無機質で狭いヘリの中に設置された簡易ベッドの上に仰向けの体勢で寝かされていた。上半身を持ち上げようとしたトキはそこで、全身にむず痒い感触を覚える。
(これは…エイミの湿布?)
むず痒さの正体、それは体の至る所に貼られた湿布だった。少しでも涼しい感触を得る為にエイミがいつも大量に常備している湿布が何故、自分の体に。
「目を覚ましたみたいだね」
先生の声に、トキは急いで体の向きを変えた。安堵の表情を浮かべた先生、ヒマリ、そしてエイミが、自分を見つめている。
「その湿布剥がさないでね。トキ、全身に霜焼けを負ってるから」
エイミの言葉に、トキは湿布まみれになった二の腕を顔の前まで持ち上げる。そしてそれを見つめながら、深いため息を吐いた。
「私達は…負けたのですね」
自分の状態と、メンバー全員がヘリに乗って移動しているこの状況で、トキは察した。自分達は氷海地域の探査を中止し、学校へと戻っている最中なのだと。
「えぇ、残念ながらそうですね。ですが気に病む必要はありませんよ、トキ。全員無事でここにいる。今はそれだけで十分です」
「ヒマリ先輩…」
トキは少しの間呆けた表情でヒマリを見つめていたが、やがて何かを思い出したかのようにその顔を引き攣らせた。
「そ、そうです…!ヒマリ先輩に先生、お怪我はありませんか!?あの時、お二人は…」
焦った様子のトキに、二人は微笑んだ。
「大丈夫だよ。レイクが助けてくれたんだ」
「えぇ、そうです。彼は私達に落ちて来た氷塊を受け止め、そして狙撃によってゲブラを退けてくれた。彼が居なければ、私達は今頃あの氷海の冷たい水底に沈んでいたことでしょう」
トキは二人の話を聞きながら、今度こそ上半身をゆっくりと持ち上げた。
「そう、だったのですね…レイクが、お二人を…」
「それに、最初に飛んで来た魚雷を撃ち落としてくれたのもレイクだしね。私達、今回の戦闘でレイクに助けられっぱなしだね」
エイミは少しばつが悪そうに笑った。学籍上では同学年とはいえ、実質的な後輩であるレイクに命を救われたという事実に、先輩としての負い目を感じているのだろう。
「彼は、何処に…?」
3人はスッと身を引く。トキの丁度反対側に設置されたもう一つの簡易ベッドの上で、レイクが穏やかな寝息を立てていた。
「私が目を覚ました時に凄く眠たそうだったから、代わりに使っていいよって言ったんだ。私は特に霜焼けとかなかったしね」
高い体温が幸いしてか、霜焼けによって赤い発疹があちこちに浮かんでいるトキとは違い、エイミは氷海に来た時のままの白い肌をしていた。あの極寒の地を水着で過ごし、ゲブラとの戦闘の際に氷点下を下回る海の中を平気な顔で泳いでいたのだから、当然と言えば当然のことだが。
「ん…にゃ…待っててください…今日はちゃんと、ケーキ持って帰ります、から…」
先程までの元気で活発な姿は何処へやら、レイクは遊び疲れた子供のように眠りながら、呑気に寝言を呟いていた。
「あらあら、夢の中でもケーキのことを。本当に真面目な後輩ですね」
そんな彼を優しく見守りながら、ヒマリはクスクスと笑う。そして、キョトンとした顔のトキに向き直った。
「あぁ、トキ。貴女に伝えなければいけないことがあります。私達はこれからミレニアムに帰還した後、駅前の洋菓子店でゲーム開発部へのケーキを買うことになりました。勿論、先生も含めた割り勘ですよ」
「ケーキ…ですか?それはどうして…」
その問いに、エイミが答えた。
「さっきね、私達で『命の恩人に何かお礼をしたい』ってレイクに伝えたら、『ゲーム開発部の皆にケーキを買って欲しい』って言って来たの。この前部室に集まった時、モモイと『お土産に駅前のケーキ買って帰る』って約束してたんだって。でもそれを忘れて帰ったせいでモモイに凄い顔をされたから、そのお詫びにって」
それを聞いた途端、トキは思わず笑みを溢した。
「…ふふっ。それはお礼とは、言えないような気がします」
「えぇ、トキの言う通りです。けれどどれだけ言い聞かせても、それが良いと言って聞かなかったので」
トキは小さく肩を竦めた。
「まぁ、私は構いません。仲間の幸せな姿を見られること。それがきっと、彼の望むことなのでしょう」
そう言って、トキはレイクの寝顔を改めて見た。
(仲間の幸せが、自分の幸せ…貴方も…それを知っているのですね)
アリスの一件が終わったことで「リオの忠実な右腕」という役目を失い、普通の生徒としてC&Cに所属することになった自分。そこで得た仲間達と、彼女達との関わりを通じて得た、新たな気付き。それと同じものを、レイクは知っている。そう思うと、トキはもはや彼を脅威と見ることなど出来なかった。彼もまた、大事な人の幸せを願うことの出来る、”自分達と同じ存在”なのだと。
「そしたらミレニアムに急ごう!私がお金出すから、皆も好きなケーキ選んで良いからね!」
「先生本当?だったら私、こないだ出た新作が食べたいな。イチゴのタルトにチョコのムースが乗ってるやつ」
「私はチーズケーキが良いですね。あのスフレのような柔らかい食感は、完璧なメイドである私でも再現が出来なかったので」
「私はケーキでは無く焼き菓子のセットをお願いしましょうか。チーちゃんとのお茶会で出すお茶請けがそろそろなくなりそうなので」
「そんなこと言って、部長はクリームとかスポンジが重たくて食べ切れないだけでしょ?」
「な、何を言いますかエイミ!花の女子高生であるこの私にかかれば、ホールのケーキだってペロリです!」
それから暫く、4人はケーキ談議に花を咲かせていた。新たな預言者によって調査を続けることが困難になり、撤退と言う苦渋の決断を迫られたというのが、嘘のように。