(これが、無名の司祭が遺したオーパーツの力…ほんの少しアビ・エシュフに触れただけでその構造を即座に理解し、バックのエリドゥごとハッキングを行うなんて…!)
画面いっぱいに「Division」と表記された、赤く輝くモニターを前にしていたリオは、エリドゥの制御をアビ・エシュフごと乗っ取られたという事実に困惑を隠せないでいた。
(それに今の発言が真実なら……)
リオは引き攣った顔で、背後に安置されているアリスを見た。エリドゥのシステムに繋がれたアリスは、頬に涙の筋を多く残したまま、寝息も立てずに目を瞑っている。
都市内部のデータにKeyの存在を確認した。無名の司祭、その複製が、Keyの抽出を行う
(Key…?もしかしてそれが、名も無き神々の王女を呼び覚ます為のトリガー…?だとしたら、アリスの人格そのものは無害な存在だということ…?)
頭の中で、先程の少年の言葉が木霊する。
(無名の司祭にとって重要なのは王女としての器…それだけでは無かった……私はそのことを見落とし、アリスを…)
お前は、間違っていた
数多の叡智が詰まったリオの脳が出力したのは、あまりにも惨すぎる解だった。
セミナーの資金の横領、秘密裏に進めていた要塞都市の建設、そして、アリスの誘拐。
自分自身の心が傷付くと分かっていても尚かつての仲間達に唾を吐きつけ、憤慨した仲間達に心無い言葉を吐き返され、それでも「これが世界の為になる」という信念を貫いてここまで来た。しかしあの少年は、その執念と努力を嘲笑うかのように全てを覆し、その解を証明しようとしている。様々な想いが入り混じり、リオは唇を強く噛んだ。
(いえ、まだよ…!まだ、出来ることはある…!ここでKeyを奪われればキヴォトスの終焉は確実になってしまう…!まずはトキとアビ・エシュフを…)
それでもリオは諦めず、震える指をキーボードに添える。しかし
『その行為は徒労に終わるでしょう』
トキと繋げていた回線に、アリスによく似た、しかしアリスよりもずっと低い声が響いた。
「あなたが、Key…」
『左様です。私は鍵、王女を玉座に導き、それを引き継ぐ存在です。しかし、エラーが完全に修正されるまで、例えこの都市の全てを奪ったとしても、それを成すことは不可能なようです』
(この都市を、奪う…?……ツ、まさか…!)
「Keyがエリドゥを逆に利用し、キヴォトスに破滅をもたらそうとしていた」そのことを直ぐに悟ったリオは、更力無くその場で項垂れた。Keyは淡々と続ける。
『アリス、と呼称される現在の表層人格。神秘との触れ合いを通じて色濃く形成されたそれは、先生というイレギュラーの存在も相まって、もはや私一人の力では完全な排除がなし得ない。我が愚兄の中に遺された無名の司祭達の意識の複製は、そう判断致しました』
「愚、兄…?」
『左様です。LE-Y9、”始まり”の名を冠する王子。あれは名も無き神々の王女を生み出す為に無名の司祭が先んじて創造した、神秘をその身に宿さず、故にヘイローをすら持ち得なかった下らない木偶の坊です』
Keyがそう告げた瞬間、赤く染まったモニターが勝手に切り替わり、トキとアビ・エシュフ、そしてあの少年を映し出す。先程までの活き活きした笑顔が嘘のように、魂が抜けたような表情のまま瞳だけを力強く輝かせている少年の頭上には、Keyの言う通り、キヴォトスの生徒なら当然に浮かんでいる筈のヘイローが存在しなかった。
『私は司祭達による抽出プロトコルが完了次第、貴女がLAKEと命名した、LE-Y9に内在する領域に入り、そこで司祭達による洗礼を受けます。アリスというエラーを排し、今度こそアトラ・ハシースの箱舟を起動する為の力を蓄えるべく』
リオは、奇妙な痒みを伴った悪寒が全身を駆け巡るのを感じた。「もう手遅れだ」「結局、自分一人の力では何も出来なかった」他ならぬリオ自身の本能が、そう告げて来た証だ。
『プロトコル完遂まで、20…40…』
容赦の無いカウントダウンが始まった。ここで逃がせば、Keyは必ず力を増して戻って来るだろう。既にエリドゥを掌握できるだけの能力があるというのに、それ以上の力を得た彼女から、アリス達を守ることが出来るだろうか。可能性は、極めて低いと言わざるを得ないだろう。
(まだよ…まだ、時間は残っている…今からこの命を投げうってでもシステムを止めれば…)
しかしそれでも、リオは諦めていなかった。今のリオを突き動かしているのは、類まれなる頭脳を持つ者として太古の脅威からキヴォトスを守るという使命感ではなく、過ちを犯したことへの罪悪感と、それに対する強い贖罪の念だった。
『60…80…90…』
(さようなら、トキ。貴女には沢山迷惑をかけたわね…)
その時が迫る中、リオは冥土の土産に、最後まで自分に寄り添ってくれたトキの姿を見ようと、モニターに視線を戻す。そして、そこに映った光景に、目を大きく見開いた。
モニターの上端から突然満身創痍のネルが降って来たかと思うと、アビ・エシュフの右腕関節部に弾丸の雨を浴びせかけ、本体から強制的に切断したのだ。更に、隻腕のアビ・エシュフとネルが、拘束されたままの少年から距離を取った瞬間、モニターを含んだ全ての電子機器と照明が機能を停止した。まるで、供給される電力全てが遮断されたかのように。
(一体、何が…)
非常用照明がぼんやりと光る部屋の中で茫然としていると
「到着!!」
閉じていた自動ドアを無理矢理こじ開け、モモイ達ゲーム開発部、先生、そしてヒマリが突入して来た。
「貴女達…あの量のAMASを相手に、どうやってここまで…」
リオは独り言のように呟いた。以前ヒマリにハッキングされた経験から、武装を施したAMASは全て独立したシステムで動いている。エリドゥが機能を停止した今でも戦闘は継続できたはずだ。
「残ってるAMASは全部C&Cの先輩達とエイミが引き受けてくれたからね!それに今ユウカ達がここの電源を落としてくれたから警備システムも全部無視して来れたし!」
「会長もここまでだよ!アリスちゃんを渡して!」
「て、抵抗するのなら、会長が相手でも容赦しないよ…!」
モモイ、ミドリ、ユズの三人がそれぞれの銃を構えた。リオは3人を呆けた表情のまま見つめる。
「それは、出来ないわ…今のアリスには…」
そうぽつりと呟いた瞬間、3人が力むのをリオは感じ取った。先輩に向かって発砲するということに引け目を感じてはいるが、それでも今の彼女達は、本気で自分に危害を加えようとしているようだ。
(当然の報いね…今の私は…)
撃たれることを覚悟し、リオは静かに目を瞑った。あの少年やKeyのことを説明し、納得してもらえるだけの余地はもう無い。
「皆待って!」
しかしモモイ達が引き金に力を込めたその時、先生が待ったをかけた。
「ちょっと先生どういうこと!?ここまで来て会長の味方をするの!?」
モモイがくるりと踵を返し、背後の先生に噛み付いた。
「落ち着いてモモイ!さっきのヒマリの話忘れちゃったの?アリスを助ける前に先ずはリオと話したいって言ってたでしょ?」
「あ、そうだった…夢中になっててつい…」
「ふふ、私は構いませんよ。貴女達からの怒りの弾丸を頭から浴びるに相応しい事態を、この
おずおずと後ろに退いた3人に代わり、ヒマリがリオの前に出た。いつものアルカイックスマイルを浮かべたまま、ヒマリは僅かに潤んだリオの赤い瞳を見つめる。
「ヒマリ…貴女…逃げたんじゃ…」
「そんな寂しいことは致しませんよ。超天才清楚系病弱美少女たるこの私が何の活躍も無しにこの舞台から退場するなんて、そんな退屈でつまらない脚本はありませんから」
ヒマリは膝に置いていたタブレット端末を手に取り、そこに映っている映像をリオに見せた。タブレットには、ネル、トキ、そしてアバンギャルド君に乗ったエンジニア部が、アビ・エシュフの壊れた右腕を抱える少年と対峙している様子が映し出されていた。
「さて、リオのことですからまた何か事件を起こすだろうとは予測していましたが、これは流石に予想外でしたね。まさか、私達の可愛い後輩にお兄さんが存在したなんて」
そこでヒマリはリオから視線を外し、小首を傾げた。
「少々荒っぽいのは兎も角、容姿はアリスに負けず劣らずなのですから、愚兄呼ばわりはあんまりではありませんか?」
ヒマリの視線の変化と、驚愕に満ちたモモイ達の表情を見て、リオは自分の背後で何かが起こっているのを察した。ゆっくりと後ろを振り返る。
「アリス…?」
いつの間にか、アリスが目覚めていた。普段の彼女からは想像もつかない、氷柱のように冷たく鋭い眼光でモモイ達を睨みながら。
「あなたは…あなたはアリスちゃんじゃない…!アリスちゃんはそんな目で私達を見たりなんかしない!本物のアリスちゃんは何処!?」
『……』
Keyはミドリの言葉を無視し、睨みに更なる圧をかける。猛獣のようなその圧に、モモイ達は震え上がってしまった。
「貴女がKey、無名の司祭のオーパーツを起動する為のトリガーAIですね。先程のリオとのやり取りは全て、このタブレットを通じて盗み聞きさせて頂きました。勿論、貴女のお兄さんの動向も全て把握済みですよ」
ヒマリは再び膝上のタブレットを胸元に掲げた。画面には、銃弾と光線が幾重になって飛び交う様子が映し出されていた。トキ達が、少年と戦っているのだ。
「エリドゥの電力が失われた以上、勝利の天秤は私達に大きく傾いています。王子はこれからトキ達によって再起不能になる。貴女の抽出は決して叶いません。そうしたらあとはもう、貴女からアリスを取り返すだけです」
『それは机上の空論です。司祭との接続が失われたのなら、王子自身が此処に辿り着けば良いだけ。司祭の支えがある以上、貴女達が王子を上回ることは万に一つもあり得ません』
「おや、木偶と蔑んでいた割にはお兄さんのことを信頼しているようですね?」
『……』
Keyはすぐさま口を堅く結んだ。まるで図星を突かれたことを急いで隠そうとするかのように。
「ふふっ、今の発言で大方の見当がつきました。恐らくアリスは、その身体にあるデータベースの何処かに隔離されている。人格が完全に乗っ取られているので、それなり以上の深度に隔離されていることは確かでしょうが、私にかかればアリスの精神を分析してそこに到着するまでの隙を作ることなど朝飯前です。リオ、ダイブ設備くらいありますよね?」
「ええ、あるわ。でもそんな事、現実的にできるわけ……!」
「仮にアリスの精神に侵入できたとしても、下手すれば二度と戻って来られなくなる…そう、言いたいのですね?ここにいるアリスの友人達がその程度のことで怯むとでも思っているのですか?」
「……!」
リオはモモイ達と、先生の顔を見る。どうやら、とっくに覚悟を決めてきているようだ。
「それでは始めましょう。ですがその前に…」
ヒマリはリオの横に並ぶと、手にしていたタブレットを徐に差し出した。
「貴女にもまだ仕事が残っていますよ、リオ。トキ達があの少年を打ち破り、完璧な勝利を収める為には貴女の力が必要です」
「……それは」
リオの顔を見上げたヒマリはそこで、仕方なさそうに溜め息を吐いた。
「…リオ、そんな顔をしていたのではビッグシスターの名が泣きますよ?今の表情から、貴女が強い罪悪の念を抱いていることは嫌と言う程読み取れています」
リオはハッとした顔でヒマリを見下ろした。
「ですからウジウジと悩んでいないで、せめて最後くらいは後輩達に恥じない姿を見せなさい!!それが3年生としての矜持というものです!!」
そう力強く告げるや否や、ヒマリは右の掌で、リオの尻を力いっぱい引っ叩いた!思わぬ不意打ちに、リオは危うく膝から崩れ落ちそうになる。
「いって……くれるじゃない…!」
リオは尻を擦りながら、タブレットを片手に、機能を停止したモニターに向き直る。
(ウタハ、ネル、トキ…今の私がどれだけ貴女達の力になれるかは分からない……)
リオはモニター下に並ぶ制御盤の中で、唯一光を放っている「緊急連絡回路」と表示されたボタンに指を置く。
(でもヒマリの言う通り、貴女達を助けることが、今は最も合理的な行動よ…!)
そう心に誓ったリオの瞳には、久しぶりに強い光が宿っていた。