「それはつまり、どういうことかしら?」
いつの間にか、ヒマリの背後にリオが立っていた。リオはヒマリの車椅子の背もたれ部分に手を置き、「お前はいったい何をトチ狂ったことを言っているんだ」と言った感じの冷たい視線をヒマリに送る。
「あら、貴女でしたら私がこれから何をしたいのか、今の発言で理解して頂けたと思ったのですが」
リオは呆れたように、小さくため息を吐いた。
「えぇ、勿論理解しているわ。ここにあるダイブ設備を使って、彼の精神に入るつもりなのでしょう?ゲーム開発部がアリスにそうしたように」
どうやら、先程の発言でヒマリの意図を読み取れたのはリオと先生だけだったようだ。リオの言葉を聞いた途端、ユウカ、ゲーム開発部の4人が血相を変えてヒマリを見た。
「な、何を言っているんですかヒマリ先輩!第一、アリスちゃんのような人格が認められないって言ったのはヒマリ先輩自身でしょう!?それなのにどうして!?」
「危なすぎるよヒマリ先輩!私達だってアリスの精神に入った時、Keyのせいで危ない目に合ったんだから!」
「そうだよヒマリ先輩!この人、とんでもない暴れん坊なんでしょう!?そんな人の精神とか絶対マトモじゃないって!」
「わ、私も反対だよ…ヒマリ先輩…!」
満場一致の反対意見を受けるヒマリ。しかし彼女はすまし顔でリオを見上げると
「うふふ、何だか誰かさんになった気分ですね?」
と、何ともイジワルな冗談を飛ばした。誰かさん当人であるリオは苦い顔だ。
「…ヒマリ。悪いけど私も貴女の提案には反対よ」
リオはそう言って、モニターに再び観測不可能領域を表示させる。
「先の戦闘で、LAKE内に格納した情報を外部に出力させるネットワークは、私が開発したウイルス『ミスターフリーズ』によって無効化されているわ。ウイルスに感染して以降彼が覚醒しないのも、表層にある彼の人格や精神そのものが感染によって凍結しているか、あるいはLAKE内にそのまま閉じ込められた可能性が高い。だから仮に彼の精神にダイブしたとしても、きっと何も見つけられずに終わることになるわ」
「あら、それなら問題はありませんよ。彼の精神に近づくことの危険性が、骨折り損になるだけというのなら」
「いいえ。それだけではないわ。私が気掛かりなのは、感染が完了する直前の、彼の発言よ」
リオがタブレットに触れる。すると画面はそのままで、ノイズ混じりの音声が部屋中に響き渡った。
『し、司祭共、なんだそれは…?それは、俺の…?』
『…ッ!?や、止めろ…!そ、そんなものに俺の肉体を預けるなど…!止めろッ!手を放せ!今湖に戻れば、俺は俺で無くなる…!』
次第に弱々しく、しかしそれに伴って語気に帯びる必死さが強くなるその音声に、ゲーム開発部はびっくりして先生の足にしがみついた。4人にしがみつかれてふらふらとよろける先生を横目に、リオは続ける。
「この発言から分かることは主に二つ。一つは、彼の中には無名の司祭、そのコピーが存在していること。恐らくはLAKEの制御を担う為に複製されたものなのでしょう。そして二つ目は、その司祭のコピー達がウイルスに感染する直前、『彼の中に”何か”を残した』ことよ」
部屋に緊張が走ったのを、リオは感じ取った。
「それが一体どういうものなのかは、残念ながら私にも分からない。ウイルスに対するカウンタープログラムの一種かもしれないし、或いは私達には想像もつかない、何かとても恐ろしいものかもしれない。だけど彼の精神に入るということは、その得体の知れない存在に近づくということを意味しているわ。現実世界に戻れなくなる以上の、もっと取り返しのつかない事態を引き起こしかねない。それでも貴女は、その選択を貫くつもりなの?」
「えぇ」
「勿論!」
「勿論です!」
リオの問いかけに、ヒマリ、先生、そして、アリスが答えた。一同、キョトンとした顔でアリスを見る。
「えっと、アリス…?アリスも私達と一緒に行くつもりなの…?」
「はい!アリスもヒマリ先輩のパーティーに合流したいです!」
先生に無邪気な笑顔を向けるアリス。だがその瞬間、アリスはモモイに胸倉を勢いよく掴まれた。
「ちょちょちょちょっと待ってアリス!!今のリオ会長の言葉聞いてなかったの!?アリスをそんな危ない目に合わせるなんて私達絶対反対だからね!?勿論先生とヒマリ先輩にも大反対だから!!」
「も、モモイ、そんなに頭を揺らさないで下さい…!アリス、混乱状態になってしまいます…」
それでもお構いなしにアリスの胸倉をわしゃわしゃと揺らすモモイ。すると
「止しな。チビが脳震盪起こしちまうぜ?」
ここまで沈黙を貫いていたネルがモモイの腕を掴み、やや無理矢理に止めさせた。モモイから解放されたアリスは「ありがとうございます…チビメイド先輩…」とふらふらと体を揺らしながら礼を告げる。そんなアリスに、ネルは徐に自分の顔を近づけた。
「一つだけ、聞かせてくれ。チビとこのガキは一応は兄妹みてーだけどよ、チビはコイツのことを一切知らないんだろ?なのにどうして、そんなあぶねー橋渡ろうとするんだ?」
「それは、目の前に新たな勇者がいるからです!」
その問いに、一転して背筋をピンと立てたアリスが答える。
「チビメイド先輩の言う通り、アリスは彼のことを知りません。アリスの誕生日は、モモイ達と先生に出会ったあの日ですから。ですが……何となく、分かるんです。彼とアリスは何処か似ていて、だから彼にも勇者になる資格があるんじゃないかって。その可能性が少しでもあるのなら、アリスはお兄さんとお話をしてみたいです!モモイ達がアリスを救い出してくれた、あの日と同じように」
「…なるほどな。チビらしいじゃねえか」
それを聞き、ネルは満足そうにニヤッと笑うと、リオに身体を向けた。
「なぁ、リオ。他でもねぇガキの家族がこう言ってるんだしよ、行かせてやったらどうだ?」
その発言に、再びユウカが真っ先に噛みついた。
「ちょっと!なに簡単に絆されてるんですかネル先輩!!」
迫るユウカに、ネルは表情一つ変えず、こう答えた。
「良いじゃねぇか。このチビは世界を救った勇者様だぜ?絆されねぇ方が失礼ってモンだ」
「なッ…!?だ、だからって…」
その時、ユウカの肩に静かに手が置かれた。振り返ると、リオが諦めに満ちた顔でユウカを見ていた。
「…ユウカ。これ以上反論しても、時間の無駄よ」
「ちょっ、会長…!?」
リオはユウカの反論を待たず、今度はアリスの前に立った。リオの細い瞳を、アリスはじっと見つめる。
「…アリス。本当なら貴女は勿論、先生にもヒマリにも危険な目には合って欲しくない。だけど、私は貴女に、一生かかっても返しきれない、とても大きな借りがある。だから…」
アリスが何か言おうとしたのを察したリオは、自分の口元に人差し指を近づけた。「今は私の話を聞いて欲しい」のハンドサインだ。
「綺麗ごとを言うつもりは無いわ。これはアリスではなく、私個人の問題よ。貴女への借りを返し、自分で背負ったものを少しでも軽くしたい。貴女の意見を尊重するのは、そういう私の身勝手が多分に含まれている。それでも良いというのなら、私は喜んで貴女達をダイブ設備に繋げるわ」
リオなりの誠意を受け、アリスは暫くの間彼女の顔と、自分の背後に佇む先生とヒマリの顔を交互に見ていた。そして
「よろしくお願いします、リオ先輩!」
と、いつもの無邪気な笑顔をリオに向けた。そんなアリスに、リオも目元を緩め「ありがとう、アリス」と小さく礼を告げるのだった。
『バイタル正常。相互リンク、問題なく機能中。こちらリオ、聞こえるかしら?』
リオのその声で、ヒマリは瞑っていた目を開く。そして、自身を包んだ冷気に堪らず全身を震わせた。
(さ、寒い…!)
『ヒマリの覚醒を確認したわ。こちらリオ、聞こえていたら返事をして』
ヒマリは震える手で、膝の上に置いたスマホを手にする。
「え、えぇ聞こえているわ…。これが、あの少年の心の中…?恐ろしく寒いのだけれど…」
『恐らくはミスターフリーズの影響ね。ネットワークの凍結が確実に実行された証拠だわ』
「そのせいで私の精神も凍えそうなのですが…?リオ、コートか何かを送って貰うことは…?」
「残念ながら貴女の車椅子とスマホのデータ、貴女達との通信を確保するので手一杯よ。肉体に物理的な影響が出る訳では無いけど、病は気からと言うし、今は自分をしっかり保って」
「諺なんて非合理的なことを言うようになるとは、本当に貴女は変わりましたね」という軽口を返す気力は既になく、ヒマリは弱々しく「分かりました…」と返した。
(それにしても…ここは一体…)
ジバリングで全身をガタガタ震わせながら、ヒマリは周囲を見回す。アリスの心に入ったモモイ達曰く、心の中では、これまでアリスが見て来た光景が走馬灯のように現れては消えて行ったという。だからヒマリもそういうものが見られるものだと思っていたのだが、実際は全く違っていた。
ヒマリは今、真っ白な霜がこびりついた短い草が広がる草原に佇んでいた。加えて辺りには濃霧が立ち込めており、空は愚か、自分の足元すら良く見えない。当然、一緒にダイブした先生とアリスの姿を確かめることも出来なかった。ヒマリは再びスマホを手に取った。
「リオ、聞こえているかしら?先生とアリスがいないのだけれど…」
『大丈夫、二人共無事に目を覚ましているわ。ただ全員バラバラの位置にいるから、少し待っててちょうだい。ヒマリもその場から動かないで…』
〈あなたは、誰…?〉
突然、リオの言葉を遮るように、か細い声がヒマリの耳に流れ込んで来た。ヒマリは慌てて辺りを見渡す。すると先程までは見えなかったのに、濃霧の中に何かが小さく揺れているのが分かった。
『ヒマリどうしたの!?動かないでって言ったでしょ!?』
リオの言葉を無視し、ヒマリはそれに近づいていく。霧の中から現れたもの、それは凍り付いた大きな石の水盆と、その前に置かれた木製の椅子。そしてその上に膝を抱えて座る、あの少年だった。
「あなたは、誰ですか…?ここには、僕しかいないと思っていたのに…」
ヒマリは、息を飲んだ。それは、彼がこの極寒の中で一糸まとわぬ状態で腰かけていたからではない。自分を不安そうに見つめる彼は、ついこの間エリドゥで暴虐の限りを尽くした存在には思えない程、弱々しいものだったからだ。
「寒くは、無いのですか…?」
その姿があまりにもちっぽけに見えたからだろうか、ヒマリの口から自然と出たのは彼を心配する言葉だった。ヒマリの問いに、少年は小さく首を横に振る。
「とても、寒いです…。それに僕、ここでずっと一人ぼっちで、自分が誰かも分からないんです…僕は、僕は…」
「……っ!」
少年が体を更に小さく丸めたのを見た途端、ヒマリは今まで経験した事の無い胸の高鳴りを感じた。
(この鼓動は、一体…?)
ヒマリは思わず、自分の胸に手を当てる。
(もしかして、庇護欲、というものなのでしょうか…?)
そうとしか、考えられなかった。守ってあげたい、この寒さから解放してあげたい。確かにそう思ってしまう程、彼はとても貧弱な存在だ。今の彼に、キヴォトスを滅ぼすに匹敵するような力が秘められているとは、とても思えない。
「あの…貴女は誰ですか?僕と同じように、この寒くて誰もいない場所に迷い込んでしまったのですか…?」
少年は捨てられた子犬のような目でヒマリを見つめる。若干のあざとさすら覚えるその視線に、ヒマリは言葉を詰まらせてしまう。
(こちらの善性に浸け込んで…もしかしてこれが、司祭のカウンタープログラム…?)
そうヒマリが思ったその時
「ヒマリ!」
「ヒマリ先輩!」
車椅子越しに振り向くと、そこには慌てた様子のアリスと先生が立っていた。二人共この寒さは堪えるようで、ヒマリと同様に身体を震わせている。
「リオ、ヒマリを見つけたよ。それと、王子も」
先生は冷静にスマホを取り出し、冷静に状況を報告した。一方のアリスは、ヒマリの前に立つ少年をじっと見つめる。
「3人に…増えた…?一体、何が…」
突然の来訪者達に、少年は訳も分からず、椅子の上でおたおたするだけだ。
「…ヒマリ先輩。何だかアリスのお兄さん、弱って追い詰められた魔物みたいです…」
「…うん。とても同一人物とは、思えない…」
こちらを脅すでも無ければ、危害を加える気配も無い。そのギャップに、先生もアリスもヒマリと同じ顔をしている。互いにどうすれば分からないままの、膠着状態が始まった。
(一体、どうすれば…)
言い出しっぺなのだから、自分がどうにかしなければならない。しかし完全に想定外なこの展開の中、彼に一体どんな言葉をかけて良いか、その類まれな頭脳をどれだけ捻っても、最良の答えは見つけられなかった。
「…えっと、こんにちは。アリスのことが、分かりますか…?」
ヒマリが頭を抱えかけたその時、アリスが一歩前に踏み出た。アリスの水色の瞳を、少年はじっと見つめる。
「はい、貴女の姿は見えています。ですが、貴女が何者なのかは、分かっていません。貴女達は、一体…」
「私はあなたのお姉さんです!」
「…え!?」
少年は目を見開いた。少年だけでなく、ヒマリと先生からの同様の視線を受けながら、アリスは続けた。
「あなたは覚えていないようですが、私は勇者アリスであり、同時にあなたのお姉さんです!記憶を失った弟を救い出す為、勇者アリスは仲間達と共に、賢者達の助けでこの凍てつく草原に降り立ったのです!パンパカパーン!」
いつものファンファーレと共に、アリスは右手を力強く天に掲げた。どうやら、互いのことを何も知らないということを逆手に取り、それっぽい設定をでっち上げたようだ。
「僕の、お姉さん…僕を助けに…」
そこで初めて少年の目に光が宿る。しかしそれも束の間、少年はまた直ぐに体を丸めてしまった。
「ありがとうございます、とても嬉しいです…でも、僕を助け出したとして、僕はそれから一体どうすれば…」
「それはあなた自身が決めることです!」
「え…」
そこでアリスは掲げていた右手を、ビシッと少年に向けた。
「アリスもかつて、自分がこの世に存在してはいけないものだと、自分で自分の命を絶とうとしました。でもそんな時、アリスの仲間達がこう励ましてくれたんです!『自分が誰なのか、それは自分自身で決めるものだよ!』『アリスは、ただ自分がなりたいジョブを選んで転職すればいいんだよ』って!」
アリスは続ける。
「あなたには、なりたいものや、叶えたい夢はありませんか?もしあるのだったら、アリスに教えて欲しいです!」
少年は相変わらずの表情で、アリスの顔を暫く見つめた後、自分が座る椅子の足元に置かれた石盆を見つめた。
「えっと…貴女の言うじょぶとかてんしょくとかは、良く分からない…です。でも、僕を助けに来てくれたというのなら、ここじゃない何処かに、少なくとも一人ぼっちにはならない場所に連れて行ってくれると、嬉しい、です…」
それは、アリスが考えていたような願望では決して無かった。それでもアリスは、にこりと微笑んで、こう言った。
「勿論です!」