僕にとって、人生とは困難の連続だった。困難を乗り越え、それを積み上げて己の糧とし、克服する。だが、死というものは時に唐突で、理不尽にやってくる。人は誰しも、運命から逃れることはできない。
あの日もそうだった。〈機関〉のオブジェクトが収容違反を起こしたのだ。エージェントとして前線に立っていた僕は、親友である高柳や平山と共に、早急にこの事態を収束させなければならなかった。
だが、奴は強すぎた。圧倒的な力の前に、僕たちは劣勢を強いられた。高柳が吹き飛ばされ、奴の鋭利な刃が彼の命を奪おうとしたその瞬間――僕の体は動いていた。理屈よりも先に、本能が友を救うことを選んだのだ。
結果として、僕は友達を守り抜くことができた。しかし、引き換えに僕が負ったのは致命傷だった。容赦なく流れ出る血の感覚のなかで、僕は自らの死を悟った。不思議と、死にゆく感覚は心地よかった。もう二度と、彼らと会うことはできない。そう覚悟して、僕は意識を手放した。
だが、今はどうだ。目が覚めると、僕は見知らぬジャングルの真っ只中にいた。生き返ったのか、それともここが死後の世界なのか。
いや、そんなことはどうでもいい。今は一刻も早く、ここがどこなのかを突き止めるのが先決だ。
幸い、装備していた銃やダガーは手元にある。何が襲いかかってこようと、僕の実力なら容易く返り討ちにできるだろう。
――しかし、この世界の「異常」は、僕の経験則を遥かに超えていた。
鬱蒼と茂る草むらを抜けた瞬間、頭上の巨木の枝葉が爆発したように弾け飛んだ。
「なっ――!?」
回避行動を取る間すらなかった。上空から降ってきたのは、無数の人間の生首が、お互いの髪の毛を複雑に編み込んで巨大な球体と化した「肉塊」だった。
ドガッ……!!
強烈な質量が僕の左肩を直撃する。凄まじい衝撃。肉が潰れ、骨がきしむ嫌な音が響いた。僕は受け身も取れずに地面を激しく転がり、泥の中に叩きつけられる。
「が、はっ……!」
肺の空気を強制的に吐き出され、視界が真っ赤に染まる。左腕が痺れて感覚がない。不意を突かれた。あまりにも唐突で、理不尽な一撃。だが、体に染みついた戦術本能だけは死んでいなかった。
「ウガァァァァァッ!!」
頭部の球体が着地すると同時に、それぞれの生首が意思を持つように一斉に顎をガチガチと鳴らし、僕を貪り食おうと一気に距離を詰めてくる。
「舐めるな……ッ!」
僕は仰向けの姿勢のまま、右腕だけで拳銃を正確に引き抜き、迫り来る肉塊の群れへ銃口を向けた。
ドン! ドン! ドン! ドン!
反動で跳ね上がる銃頭を必死に抑え込みながら、大口径の弾丸を連射する。
弾丸は先頭の生首の眉間を次々とぶち抜き、脳漿と黒い血を撒き散らしながらその進行を強制的に足止めした。一発撃つごとに、肉塊を構成する顔が一つ、また一つと噛み砕かれたように爆散していく。
しかし、奴は執拗だった。撃ち抜かれた生首を引き剥がしながら、なおも弾むようにして僕の至近距離まで肉薄してくる。残った数十の口が、僕の肉を裂こうと大きく開かれた。
銃を撃ち尽くす時間は、もうない。
「下がれっ!」
僕は拳銃をホルスターへ叩き込むと同時に、右手でタクティカル・ダガーを逆手に引き抜いた。
飛びかかってきた肉塊の顎が、僕の喉元に迫る。
寸前で左腕を盾のように突き出し、怪物の突進を強引に受け止めた。激痛が走るが構わない。そのまま右腕を振り抜き、ダガーの鋭利な刃を、肉塊の中心部で不気味に脈打つ結合組織へと深々と突き刺した。
ズブ、と肉を断つ感触。そこから力任せに、横一文字へと刃を裂き進める。
「ギ、エェェェェェーッ!!」
何十人もの悲鳴が重なったような、鼓膜を裂く怪鳥音が響き渡る。ダガーで結合部をズタズタに引き裂かれた生首の球体は、形を維持できなくなり、ボトボトと地面に崩れ落ちてただの肉片へと還っていった。
荒い息を吐きながら、僕は泥の中に膝をつく。左肩の傷がズキズキと激しく痛む。
先ほどの教訓は深く骨身に染みていた。僕は痛む左肩を庇いながらも、全神経を尖らせてジャングルの奥へと進む。油断など微塵もない。
だが、この森の悪意は、僕の警戒を嘲笑うかのように膨れ上がっていった。
ズル、ベチャリ、と周囲の泥や木の陰から、次々と不快な音が這い出し始める。
現れたのは、一匹や二匹ではない。人間の四肢を無数に生やした巨大な百足(むかで)のような肉塊、全身が歪な眼球で覆われた獣型の異形――数にして十数体。完全に包囲されていた。
「チッ……群れを成してるか」
僕は再び重拳銃を構え、引き金を迷わず絞った。
ドン! ドン! ドン!
大口径の弾丸が、突撃してきた百足型の肉塊の頭部を正確に捉え、木っ端微塵に吹き飛ばす。すぐさま標的を切り替え、横から飛びかかってきた眼球の獣の脚を撃ち抜いて地面に転がした。
「一匹ずつ確実に処理する……!」
銃撃をメインに立ち回り、距離を保とうとする。しかし、敵の数が多すぎる。弾倉を交換するわずかな隙を突かれ、一体の異形が文字通り肉の壁となって僕の目の前に迫った。
「来いッ!」
銃をホルスターに戻す暇はない。僕は右手の拳銃を握ったまま、左手でタクティカル・ダガーを抜き放ち、正面から突き出された怪物の鋭い骨の爪を強引に受け流した。
キィィン、と硬質な音が響く。至近距離。僕はダガーを狂ったように振るい、怪物の喉元を掻き切り、さらに胸へと深く突き立てて力任せに引き裂いた。
だが、肉飛沫を浴びながら一体を屠ったその瞬間、背後から凄まじい殺気が膨れ上がる。
(しまっ――!?)
振り向くよりも早く、別の巨大な肉塊が僕の死角から跳躍していた。先ほどの負傷で、左腕の反応がほんのわずかに遅れた。
回避は間に合わない。ダガーも、銃口を向ける猶予もなかった。圧倒的な質量の肉と爪が、僕の視界を完全に覆い尽くす。
死を覚悟した、その刹那だった。
シュウゥゥッ――!!
鼓膜を震わせたのは、空気を切り裂く鋭烈な風切り音。
直後、僕の目の前に迫っていた怪物の巨体が、まるで目に見えない巨人の拳に殴られたかのように、真横へと激しく吹き飛んだ。
ズガァァァン!!
異形は数本の巨木をなぎ倒しながら激突し、その肉体を一瞬でひき肉のように狂わせ、沈黙した。
「……え?」
呆然とする僕の前に、鬱蒼とした木々の隙間から、一人の人物が音もなく姿を現した。ジャングルの泥や血に汚れた僕とは対照的な、どこか現実離れした洗練された佇まい。
その圧倒的な力と、突如として現れた未知の存在に、僕の防衛本能が最大級の警報を鳴らす。僕は痛む体に鞭打ち、すぐさま銃口をその影へと突き付けた。
「……誰だ!?」