井伊月重吾の物語   作:名無しの執筆者

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ほんとの終わり


EP 1『束』

 

 積み上げられた空き缶。

 脱ぎ散らかされた衣類。

 部屋の明かりは消し、目の前のテレビをぼうと見ている。

 片手に持ったビール缶を口元まで近づけ、傾ける。すると中身が入っていなかったらしく、欲した苦味が無かったことに、そのビール缶を投げ捨てた。乾いた音が、部屋の隅で鳴った。

 窓の外から差し込むのは太陽ではなくーーー月。

 目を細めた"織斑千冬"は、その月をジッと見つめた。爛々と輝く怪しい月が、部屋の中を妖艶に照らし上げる。それは偽りの「朝日」である。千冬は頭を抑え、顔を歪めた。酷い頭痛に苛立ちが募るばかりだ。

 その時、机に置いてある受話器が鳴る。

 目を細めた千冬は、それを無視した。ーーーが、いくら経ってもその受話器から音がやまない。「くそ」と口中に呟いた千冬は、緩慢な動きで机まで近寄り、乱暴に受話器を取った。「……もしもし」

 

『もしもし、ちーちゃん?』

 

 思わず仰け反った。

 その声の主が、"篠ノ之束"だったからだ。

 

「……お前……何をしていた」

 

 聞きたいことがあったのだ。数週間前からずっと。けれどこちらから電話をかけても繋がらなかったから、少し心配と思っていた。

 千冬は頭を掻き、くたびれたように息を吐く。変な緊張感に調子が狂ってしまったようだ。部屋の冷蔵庫から水を取り出し、盛大に喉に流し込む。ああ、酒を悪飲みし過ぎた。

 

「聞きたいことがあるのだ」

『うん、知ってるよ。彼のことだよね』

 

 彼ーーーそのワードだけで、千冬は全てを理解できたような気がした。胸の内が騒いだが、グッと堪えて、言葉を紡ぐ。

 

「……ほう……ならば聞きたい。……あの男……"井伊月重吾"を殺したのは…………お前なのか?」

 

 それが聞きたいことだった。

 それだけが聞きたかった。

 一ヶ月前に知り合い、そしてその日に居なくなった彼のことを、千冬はどうしても諦めきれなかった。自分の所為でもあったから。楯無の為でもあるから。あの朗らかに笑う青年がどうなってしまったのか、その真実を知りたかった。

 夢にも見た。血濡れた庭。咲き誇る赤い実。どんなに酒を飲んだって忘れられなかった。罪の意識だ。罪悪感だ。日が経っていくほど、彼のことで押し潰されそうになったのだ。

 

「教えろ。お前は知っている筈だ」

 

 だから饒舌になる。焦りも出る。ここで聞き出さなければ、またあの呪い苛まれると思うと、自然と口調も強まった。

 

『……』

 

 だが、こいつは答えない。

 何故だーーー何故答えないーーー。

 

「言え、言うのだっ!」

 

 だんだんと胸が締め付けられる。怒りは、既に懇願に変わっていた。お願いだから教えてくれ。何があったのか言ってくれ。その願いが千冬の頭を埋め尽くしていく。

 夜の光はいつの間にか消えていた。

 月は雲に隠された。

 受話器を握る千冬は、自分が暗闇の中にいることに気が付かない。それほどまでに焦り、そして願っている。

 するとその願いが届いたのか、遂に束が口を開いた。

 

『じゃあ、取引ね』

「なんだそれは?」

『私が情報を教えてあげる。けど代わりに、ひとつお願いを頼みたいんだ』

 

 その言葉に少し考えた。けれど本当に少しだった。

 

「ーーーわかった」

 

 真実を知れるならどうでもいい。何だってやってやろう。

 千冬は急かすように息を荒ぎ、受話器を握り締めた。やっと、やっと井伊月のことを知ることができる。奴は死んでない。ああ、絶対に死んでなどいない。奴のことだ。きっとまた、ひよっと目の前に現れる。

 息を飲んだ千冬は、束の次の言葉を待った。早く、早く!

 

『まず、ちーちゃんが彼と出会ったその日に、学園を襲ったのは私……。いや、正確には私が造った「無人機」かな』

 

 確かに、それは憶えている。

 学園を襲った、あの昆虫のような外見のISは、中に人が乗っていなかった無人機だった。驚くことだが、こいつはそれを完成させてしまったのだろう。人が乗らない、最強の兵器を。

 心の底で微かに恐怖したが、知りたいことはその先だ。「それで、続きは?」

 

『別に学園を襲ったのは気紛れさ。無人機の実験に丁度良い女の子も居たみたいだったからさ』

 

 女の子。きっと更識楯無のことだろうーーー。

 千冬は、 青髪の少女を脳裏に思い浮かべた。

 想像した少女が憂い顔だった。仕方がないと思う。だってあの娘の奥底には、冷たい氷が張っているのだから。

 頭に手を置いた千冬は、再び耳を傾けた。

 受話器の中から鳴る、その「幼馴染み」の声に、静かに。

 

『……でも、誤算だったんだ。あの男の子……井伊月重吾くんがいたなんて知らなかった。……きっと、彼を襲ったのは私が造った無人機なんだよ』

 

 震える声。

 否、怯えた声だ。

 束は何かに怯えている。私にはそう思えた。

 彼女のことは小さな頃から知っている。何時から一緒にいたのか憶えていないほどの時をーーー束とは過ごした。

 彼女は勇敢……というよりも果敢だった。

 何にも怯えない。

 興が沸けば、即座に動く。それこそ獣のようにだ。

 時には世界を、時には理を相手にしていた。

 そんな彼女は、もはや人間とは呼べる存在ではない。自分とて、枠の中から外れた存在だ。だからこそ言ってしまえる。

 

 窓に差し込んだ明かり。

 雷にも似た瞬間さで、それは部屋を照らし上げた。

 千冬は溜息を吐き、我が身にある熱を排出した。心にある抑圧された感情を、少しずつ吐き出した。

 

 言わねばなるまい。このことを。彼女にーーー

 それが非なることだったとしても、これだけはーーー

 

 千冬は始めに息を飲んだ。

 目の前に滞在していた熱を吸い飲み、再びこの身に「有害」の原因たるものを宿した。

 ーーーそれだけで、心が変わる。

 髪をかき上げた千冬は窓辺に立ち、月を見上げて言った。

 

「お前は人殺しだ」

 

 と。

 

 ああ。初めてだ。こいつを本当にののしったのは。

 嫌な感情が芽生えているのが解る。これはーーー毒だ。

 

 削り出された感情が何と恐ろしいことか。

 これこそが人間の心理。隠された心情。

 縛りつけられたものほど、反動は大きい。封じれば封じる程、膨れ上がった「感情」が毒となり、そして麻薬となる。

 

「……貴様は……いや、もういい。対価の頼み事を聞こう。今はお前と話す気分ではないのでな」

 

 きっと今の自分は酷い顔をしている。誰にも見せたくない。弟の一夏には特にだ。あいつは、常人とは違う心を持っているから、心配させてしまう。

 窓に背中を向け、部屋に身体を向ける。

 受話器から返答は無く、静寂が続いていた。

 奴なりに思うことがあるのかーーーそれは不明だ。奴は人間だが、その中身は人間よりもずっと不透明なのだ。計り知れない物差しでいつも、スケールの違う何かを比べている。私とて、

 束の心を全て把握している訳ではない。

 

 時計の針すら巨大な音に聞こえ始め、千冬は受話器を元の場所に戻そうと考え始めた。しかしあと二十秒、何も返答が無ければ電話を切ろうーーーそう考えたその時、

 

『黒兎を……殺して』

 

 やっと返ってきた親友の頼みは、涙に濡れた声で、千冬の中に入り込んできた。

 

 私は、やっと親友の心を知った気がしたーーー。

 




続く
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