追伸。ごめんなさい。
兎という存在が世界に知れ渡ってから二週間の時が流れ、人々はその存在に、明確な悪意を向けつつあったーーー。
◆◆
右を見渡しても左を見渡しても、平和の跡など微塵も残っていなかった。辺り一面が焼け払われたこの土地に存在しているものは、物々しい雰囲気と、鼻腔を刺激する異臭の臭いだけ。そこにある思い出や人々の笑い声は、初めから無かったかのように抹消されている。
足元にある小石を見下ろし、蹴りつけた。
カランコロン、と音が鳴り、小石が転がってゆく。
不愉快な臭いに鼻を鳴らした更識楯無は、そうして焦土から目を逸らし、ここに来るまで歩いてきた道を辿り始めた。
今日の空からの日差しは、冬の季節には有難い眩いもので、夏の日差しにも負け劣らない輝きを放っていた。見上げるだけでも顔が顰む。
歩きつつ空を見上げる楯無。
そんな楯無を呼ぶ声が、風に乗って運ばれてきた。
む、と口を曲げて顔を戻した楯無の瞳に、およそ14歳ほどの小さな女の子の姿が映った。遠くの丘の上に立っている。
少女は両手を上にして、元気一杯に手を振っている。顔も破顔していて、まるで子犬のようだ。可愛らしい。
ふふ、と微笑んだ楯無は、そんな少女に手を上げてやった。するとそれに気付いた少女が、心底嬉しそうに飛び跳ねた。いけない。本当に子犬に見えてしまった。
「なーにしているの? リディアちゃん」
そう呼んだ少女の名前はリディア・スカイ。金色の髪色をしていて、クリッとした可愛らしい目を持つ少女だ。
楯無が近付くと、彼女はもう我慢出来ないといった感じでこちら目掛けて飛んでくる。苦笑いして、まだまだ発展途上の小柄な体を抱きとめた楯無は、久しぶりの再開にリディアの頭を撫でてやり、強く抱き締めてやった。
「お久しぶりです、先輩!」
「相変わらず元気なこと」
「そーっス!いつも元気なリディア・スカイです!」
えへへと笑うリディア。
その姿に楯無もつられて笑う。
体からひょいっと降りたリディアが後ろで手を組み、体を左右に揺らしながら楽し気に微笑む。なにがそんなに楽しいのか、鼻歌も歌い始める。
「……」
彼女はいつもこうなのだ。なにもなくても、楽しそうに笑う。彼女曰く、誰かが悲しんでいる分、自分が楽しそうにしなければ勿体ないとのことだ。不思議な自論である。けれどそれをちゃんとやれている彼女は、凄い信念の持ち主だ。
「日本では大変だったみたいッスね、先輩」
「そーね……大変だったわ」
少しだけ「彼」のことを思い出し、苦笑する。
リディアは楯無の感情の変化に気付いたのか、ほんの一瞬だけ悲し気な顔をし、そして「なるほどぉ!」とまた笑った。
「ーーーおーす、テメーら。おせ〜ぞぉ〜」
この怠そうな声。間延びした声。間違いない。
楯無は口を窄め、視線を遠くに向けた。すると一本の巨木が見えた。そしてその巨木の下で仰向けになっている、見るからにガサツそうな女性の顔もーーーついでに見えた。
「ラージさん……お久しぶりです」
「はっはっは。なんだよぉ、そんなに嬉しそうな顔してよぉ〜。ホントに可愛い奴だなぁ〜。楯無ちゃーん」
立ち上がった女性ーーーラージ・エレクトロがニヤニヤとエロ親父のような笑みを浮かべ、こちらに歩んでくる。
楯無はそれに心底面倒くさいと思い、
「気持ち悪いので近付かないでください」
と正直に本音を漏らした。
「リディアちゃ〜〜〜ん! 楯無が酷いんだよ〜〜〜!」
「リディアも面倒くさいんで近付かないでくださいっス」
「うわ〜〜〜ん! ラージさん泣いちゃうぞ〜〜〜!」
◆◆
「にしても合同作戦ねぇ……。いがみ合ってた奴らも呼び込んでの作戦とは……お偉いさん方、そうとう必死だとみた」
と、ラージ・エレクトロが、不意に話を始めた。
「それはそうでしょ」
楯無はそれに軽く返事をし、道中で買ったホットドッグを頬張った。
「……どんな戦いになるんでしょうか? リディアは、正直怖いです……」
隣に座るリディアが、不安げにそう漏らす。
楯無は横目でリディアを見、そしてリディアの後ろに広がる焦土の地上に口を歪ませた。
「別にさ……お前たちまで参加しなきゃいけないなんてことはないんだよ。こーゆー面倒くさい問題は、馬鹿な私たちだけで解決すればいい話だし、私たちの方が慣れてんだ……」
ふう、息を吐いたラージ。そして「だからよ」言葉を紡ぐ。
「絶対に、死なないでくれねぇかな?」
普段では絶対に聞けないような、そのラージ・エレクトロの真剣な言葉。それは楯無の心を掻き立て、そして苛立てた。
「嫌です。私は戦う」
待っていた返答とは違った為か、ラージが悲しげな表情を一瞬だけ浮かべる。
見逃さなかった楯無は、それにまたさらに苛立ち、ホットドッグを乱暴に齧った。
と、そこで隣のリディアがスカートの裾を握ってきた。視線を動かしてリディアを見ると、その目は真っ直ぐに楯無の瞳を据えていた。それに楯無は、酷く複雑な気持ちに陥った。
「リディアは……リディアは誰が死んでも嫌っス。……リディアは何となく分かるんス。この作戦は犠牲が出ることが前提の作戦だって……」
純粋であった。
リディア・スカイはその両目に涙の膜を張り、気持ちを必死に堪えていた。
そんな少女の姿を見て、楯無は困惑した。
なぜ怖いのかーーーと。
しかし同時に理解もした。
怖いのは当然だーーーと。
矛盾と歪が混ざり合ったような考え方。
井伊月重吾を失ったあの日、更識楯無の思考回路は恐怖によって汚染され、そしてどこかのネジが飛んでしまっていた。だからこその感じ方であった。恐怖する少女を不思議に思い、そして理解することも出来るその歪んだ感じ方が、何よりの証拠である。
「ーーー楯無……お前はなんでそんなそそかっしいのさ?」
「……どういう意味です」
「あっちで何があった?」
その問いに、目が眩んだ。
一瞬の閃光と、駆け抜けた頭痛。
数週間前に起こった出来事はあまりにも鮮明であり、霞もかかっていない。ふと目を閉じれば嫌でも思い浮かぶ。
ラージから目を逸らし、楯無は俯いた。
心の中は酷く渇いていた。
泣き疲れた果ての、様だった。
そんな楯無に痺れを切らし、ラージが口を開く。
「なんだか今のお前はーーーーー機械みたいなんだ」
「機械ーーー!?」
驚き、ラージを見た。
ラージは至極真剣な顔をしていた。ふざけている様子など、微塵もその瞳には存在していない。
「テメーはいつもそうやって、何か隠してた。ーーーいや、怖がってた。見えない何かに怯えてた……。分からねぇがよーーーそれは自分に対しての恐れか? それとも周りか?ーーーーー気にすんじゃねぇよ、そんなのはよ〜。気にすんな。だってよ? テメーには、楯無……ーーー」
風が吹き、ラージの声が掻き消された。けれど楯無はハッキリと最後の言葉を聞き取った。ラージの心が篭ったその言葉を、泣きそうになりながら聞き取った。
木々のざわめきや、鳥のさえずりが邪魔をした。だがその言葉だけは、まるで吸い込まれるように楯無の頭の中に染み込んでいった。深く、深くーーー胸の底まで、慰めてくるように。
胸を押さえた楯無は、途端ホットドッグを貪った。照れ隠しだった。珍しく年上らしいラージの言葉に感動してしまったから恥ずかしかったのだ。
隣に座るラージはそんな楯無を、まるで姉のように見つめていた。瞳に優しさを宿し、"覚悟"を感じさせるその瞳で、ただ何も呟かずに見つめ続けていた。
「ーーー大丈夫……。おめーら二人は……絶対に守るよ」
「え?」
顔を上げた楯無の瞳に映ったラージの表情は、今まで一度も見たことがない、とても不思議な顔をしていた。
◆
ロシアと他国とを繋ぐ空港。
様々な人種が入り混じる、異文化の交流場ーーー。
そんな場所に、また新たに加わる異国の女性。
金の髪を煌めかせ、周囲に妖艶さと"怒り"を撒き散らすその女性の名は、ナターシャ・ファイルス。
彼女は手に持つ鞄を握り締め、空港内を闊歩する。
すれ違う男性は、美しいナターシャに目を向けるが、何かに怯えたようにすぐに目を逸らしていた。ナターシャの、獣のような双眸がそうさせていたのだ。
光景は圧巻で、ナターシャは道を埋める人間達を割って歩くモーゼのようになっていた。皆一様に、ナターシャに目を合わせようとはしない。
最後まで誰にも道を譲ること無く、自分のペースで空港内を歩き抜いたナターシャは、出口を出た際に差し込んできた日差しに目を細めた。
周囲を見渡すと、かつてのロシアの面影は薄れ、あちらこちらに黒ずんだ焦土が存在しているのが伺えた。
ゾッーーー。
鞄の持ち手を強く握り、視線を背ける。
再び歩き始めたナターシャの脳裏には、未だ忘れることのできない"友"の姿が、鮮明に浮かび上がっていた。
ナターシャがロシアに来た目的は、近々発動する『兎狩り』に参加する為であった。
兎狩りーーーその名の通り、兎を狩り殺す作戦だ。
世界を乱すテロリスト。
『兎』と呼称されるその者ら。
今、このロシアには、全世界からIS使いの女性が集結しつつある。その想いは、ただ純粋に作戦に参加する為、名誉を上げる為、正義の為ーーーそして復讐の為にと様々であると思う。
ーーーーナターシャは、復讐の為だった。
友の体を欠損させたその者を討つ為、己の信念など関係無い私情でこの地に訪れた。
……愚かと笑われるだろうか? いや、それでも結構だ。
ナターシャは空を見上げる。
もし仮にこの行為が野蛮だったとしても、自分はそれを許せない。この行いを笑うのなら、勝手に笑えばいいと思う。何も気にはしない。
己の恨みを晴らす為、友の仇を討つ為ーーーそれが自分の中で『覚悟』としてある限り、ナターシャ・ファイルスは恥じはしない。
「待ってて……イーリ」
目を閉じ、浮かべるのは親友の姿。片腕、片眼が欠損しても尚、自分を心配させぬようにと笑顔を浮かべて強がるーーーそんな健気な親友の姿。それを浮かべてナターシャは決意する。
殺すーーー兎をーーー狩り殺すーーーと。
「もしもし、そこのお嬢さん」
と。突然の呼びかけ。
振り向くと、そこには一人の男が立っていた。
赤茶色の艶やかな髪に、おっとりとした優しげな瞳。蛮行など何も知らずに育ったかのような柔かな雰囲気を持ち、そして気丈とした意思の強さを感じさせるオーラを纏っていた。
そんな不思議な男をナターシャは、ジッと見つめた。
それに男は照れた様子で、
「そ、そんなに見つめないでください……」
と口籠り、言った。
「ああ、ごめんなさいね。……なんだか、面白かったから」
言うと、男が笑った。その笑顔は暖かさに満ちていた。
ナターシャは変な気分だった。
懐かしさ……と言えばいいのか分からない、何かの熱。それが心中に湧き出ていた。
彼を見ていると、その熱は温度を増していく。これ以上にないほど熱せられていって、不意に眩暈がした。
「……貴方……ううん。何でもないわ。ごめんなさい。確か私を呼んだのよね? 何かお困りなの?」
胸の熱は消えていない。まだ温度を保っている。が、それをまずは一蹴し、ナターシャは男に笑みを向けた。
「はい。実は道に迷っていまして……。サウザンド通りはどこに向かえば着くのですか?」
その単語には聞き覚えがあった。
ーーーサウザンド通り。有名な観光地だ。
見た所、彼は地図のような物もバックも背負っていなかったようなので、確かにそれでは道にも迷ってしまうだろうなと思った。
「サウザンド通りならそこの道を真っ直ぐに歩いて、それで山が見えてくるはずだから、その山を背中に歩いて行けばいずれ辿り着けるわ。……ロシアには観光に?」
「はい! 一人で来ました!」
「あら……そうなの」
ふと、ある考えがナターシャの頭に浮かんだ。
ーーーそして、それが口に出た。
「なら、私と一緒にサウザンド通りまで行かない?」
「え? そ、そんな僕なんかと……っ」
「だーいじょうぶ。私がエスコートしてあげる」
その場のノリ……というものであった。
事実、ナターシャには時間があったし、作戦の集合場所からサウザンド通りは近かった。別に一人で向かってもよいが、旅は道連れと言うし、それに彼には興味があった。
「さ、行きましょう」
「な……なんで僕みたいなのと?」
「……うーん」
立ち止まり、考える。そして振り返り、微笑む。
これが最初に出てきた『言葉』ーーーそして返答だった。
「貴方を見てるとね……なんだか守ってあげたくなっちゃうのよね。不思議な話だけど、信じてよ」
そう言って苦笑した時、私は彼が悲しげな顔をしたのを見逃さなかったーーーーー。
◆
彼の歩みは静かだった。
何事もーーー歪みも無い歩き。
彼の横顔は真剣だった。
眉は吊りあがり、目は切れを帯びている。
ナターシャは彼を観察した。不思議な彼を。
その姿、その様子をひたすらにーーー。
ふと、彼がこちらを向く。
ーーー目が合った。
ニコリと笑った彼の顔は幼く、まるで少年のそれ。時を維持したまま成長してしまったーーー青年の顔だった。
「貴方は何をしてきたの?」
問い。
彼は少しだけ黙り、そして苦笑した。
「難しい質問ですね」
と頭を掻き、唸った彼が絞り出した解答は、
「幸せになる為の努力をしてきました」
そんなおかしなものだったーーー。
彼は恥ずかしそうにそっぽを向いた。
けれどナターシャはそれを素敵だと微笑んだ。その夢見る子どものような願いが素敵だったから、恥ずかしがることはないと彼の肩に手を置いた。
ーーーありがとう。
そう言い、彼は心底幸せそうに笑う。
子どものそれで、ナターシャの心を熱くする。
不思議だ。彼のことを、もっと知りたいーーー。
ナターシャは質問を続けた。
「どうして幸せになろうとしたの?」
「……そうですね。ーーーあ、そういえばこんなことがあったのを思い出しました」
はぐらかすように、彼は頷く。
「昔、僕は一人の女性にこんなことを言われたんです。……『幸せになることは、不幸になること』だって……。おかしいですよね。幸せになることが不幸なら、何が幸せなのか分からない。ーーーでもその人は真面目な顔でそれを言った。一字一句噛み締めるように、真っ直ぐな瞳で……」
「幸せになることは、不幸になること……か」
確かに、不思議な言葉だ。
何を思って、そんな言葉を作ったのだろう。
「だから僕はーーー努力した。そんな訳ないから、不幸になる筈ないと思ったから、見返してやろうと努力しました」
けどーーーと彼は続ける。
その目は、空を見上げていた。
「けど結果……僕は不幸になった。言った通りになったんです……。なんででしょうかね?」
そう言った彼の言葉には、不思議な違和感があった。が、それが何の違和感なのか判明しないまま、ナターシャは小さく「そうなの」と分かった"フリ"をして頷いた。
すると彼は笑った。「ありがとう」と微笑んだ。
ナターシャは黙り込み、彼の顔を見た。そして瞳を見た。底の無い、仄暗い渦の中ーーー。触れることを躊躇うような色で染まったその男の瞳を、恐れを知らずに覗き込んだ。
「貴方……悲しいのね」
ナターシャには、彼がそんな風に見えた。
「おかしなことを言う……僕は大丈夫ですよ?」
「……頑固なんだ」
言うと、彼が目を丸くする。
ふふっ、と笑い、ナターシャは彼の頬を人差し指で撫でてやった。
「そういう友達がいるからわかるの」
ウインクし、身を翻した。
彼はまだ呆然としている。
ナターシャの心は浮かんでいた。不思議な気分だった。
こんな感覚は味わったことがなかった。どんな風にも言い表すことが出来ない気持ちだ。熱を持ち、少しだけ酔っているような……そんな心地である。
彼はぼうとしたまま立ったままで、こちらを見据えている。
どうしたものか。金の髪をすき、肩を越えて前に流したナターシャは、そんな彼に苦笑を送ってやった。
◆
忘れてたとか、そんな訳じゃないんです。ただデジモンにハマっていただけで……